地の底に堕ちたマスコミ=朝日新聞も知らない警察官

 朝日新聞の本日19日付朝刊の政治コラム「多事奏論」で、斯界では有名な高橋純子編集委員が、正月早々、自分が運転していた車が商業施設のパーキングで駐車中の車のバンパーに「軽く」ぶつけてしまい、念のため、警察を呼んだ逸話を書いております。

 駆け付けて来た20歳そこそこのお巡りさんから、名前、職業、そして勤務先を聴かれ、「朝日新聞です」と答えると、そのお巡さんから「あさひは、平仮名ですか、カタカナですか?」と聞かれた上、漢字なら「旭日のあさひ、じゃなくてですか?」と確かめられたといいます。

 高橋編集委員は「ひと昔前は朝日新聞と告げると、良くも悪くも警戒されたものだけど、ね」と皮肉ってますけど、私は椅子からズッコケ落ちるほど驚愕しましたね。

 若い人は新聞を読まなくなったと言われて長いですが、警察官まで読まなくなったとは衝撃以外他に何ものでもありません。時事通信を知らないのは分かりますが、朝日新聞を知らないとは!!

銀座「いわた」 銀座にしてはお手頃

 高橋編集委員の「ひと昔前」をお借りすると、私の経験では、その「ひと昔前」ですが、朝日新聞の人から「朝日の記事にならないニュースはニュースではない」とまで豪語されたことがあります。1993年のことですから、30年近い昔のまだインターネットが普及していない牧歌的時代です。その朝日新聞の人は傲慢さが脳と皮膚に染みついていたのでしょう。

 当時の朝日新聞の夕刊で、園山俊二さんの「ペエスケ」という四コマ漫画が連載されていました。1993年1月20日のことですが、その園山俊二さんが57歳で急逝されたということで、私は、仕事として彼の訃報を書かなくてはならなくなりました。いつ、どこで、何の病気で亡くなり、業績はどうのこうの、といったあれです。

 そこで、園山さんの御自宅に電話すると、奥様らしい方が出てきて、「その件に関しまして情報は、全て朝日新聞にお任せしているので、朝日新聞に聞いてもらえないでしょうか」と丁重なお言葉があったので、私は朝日新聞の代表電話にかけて、担当者につないでもらいました。

 こちらの会社名と名前と、趣旨を説明すると、その担当者は「あ、その件は、(朝日新聞の)夕刊に出ますからそれを見てください」と言い放ったのです。私は、怒りで一瞬、頭が真っ白になりました。その夕刊の時間帯に間に合わせたいから、こうして、取材しているのではないか! 遺族の方も「窓口」を朝日新聞に指定されたので、電話しているだけじゃないか!

 しかし、相手はけんもほろろでした。あくまでも、夕刊を見てくれ、と主張し、ウチが載せない記事はニュースに価しない、とまで傲慢ぶりをかましてきたのです。

 その後、どうなったのか、御想像にお任せします(笑)。

銀座「ライオン」グリル

 それより、何と言っても、私が言いたいのは、時代の趨勢で、マスコミを代表する天下の朝日新聞が、今では警察官にさえ知られていない、吹けば飛ぶような存在に堕ちてしまったことです。ネット時代となり、ニュースは、どこの誰なのか得たいの知れない人間まで発信していますから、氾濫しています。若い人たちは、ニュース源がどこだろうと、どうでも良いのでしょう。

 (本当にどうでも良いのですが、最近の新聞やテレビは「SNSで話題」なんていう安易な話題づくりは止めてもらいたいものだ!)

 気になったのは、先ほどの30年近い昔の朝日新聞の傲慢な中年か初老の記者です。今はもう御存命ではないかもしれませんけど、この高橋編集委員のコラムを読んだら、口から泡が出て卒倒することでしょう。

 確かめたいので、その傲岸不遜紳士さんには是非ともこちらに連絡してもらいたいものです。