「コロナ後」は、もう「コロナ以前」に戻らない?

 オミクロン株の感染拡大が止まりません。第6波の真っ最中です。

 昨日(25日)は、全国で6万2610人の感染拡大が確認され、首都東京は1万2813人といずれも過去最多を記録してしまいました。もっとも、日本の人口の3倍弱の米国では25日の1日だけで、実に100万8502人もの莫大な感染者を輩出?していますから、それに比べれば微々たるものかもしれませんが。(米国の死者は87万人近くに及び、南北戦争での死者=75万人~90万人=に匹敵してきております)

 とはいえ、私が勤務する会社の同じ階のフロアで2人も感染者が出てしまいました。でも、どうも、「コロナ慣れ」してしまったのか、大騒ぎせず、周囲は緊張感が足りないように感じています。

 会社は、第5波までは、「自宅待機」処置にするなど、「密」を避ける方策を打ち出していたのに、今回は、そんな素振りもなく、毎日、「何処そこで(社員の)感染者が出ました」と、他人事のように、事務的に、淡々と、社員に一斉メールで報告するだけです(ここ数日は、毎日です!)。

 私がよく行く、地下にある銀座のイタリア料理店でも、以前は、入店前に厳しく体温測定していたのに、本日ランチに行ったら、測ることなく「素通り」です。本当に緊張感が足りないなあ、と感じました。

東京・汐留

 さて、昨日はこのブログで「築地の電通旧本社の思い出」と題して、芥川賞作家のA氏のことを書いてしまいましたが、実は、必要に迫られて、ここ1カ月、私自身のこれまでの経歴を振り返ってみたら、色々と思い出してしまったからでした。

 30年も40年も昔のことで、時効みたいな話なので勘弁してほしいのですが、「あの頃は、今ではとても考えられないことも普通に起きていたなあ」と感じる今日この頃です(歌謡曲か!?=笑)。

 「歴史は繰り返す」とよく言われますが、40年前と今ではかなり時代が変わり、恐らく、現代人は、能動的に過去を繰り返すことはないだろうと思います。40年前の常識は、今の非常識になっていることが多い、と言えるでしょう。

 例えば、40年前でしたら、スポーツ選手は「途中で水なんか飲むな、それが常識だ」と鍛えられましたが、今では、途中で水どころか、お菓子まで食べてしまうスポーツもあります。

 何と言っても、女性の権利が少しは向上したのではないでしょうか。ウチの会社は以前から男女平等の給与でしたが、大半の企業も男女差別が少なくなったと思います。そのせいか、共働きの家庭も増え、今では専業主婦が白い目で見られたり、逆差別されたりする世の中です。

東京・汐留

 個人的な会社の仕事の話ですが、コロナ前は、霞ヶ関の官公庁や企業などが発表する資料を「バイク便」といって、オートバイを使って担当者に取りに行ってもらったものですが、コロナになってからは、官公庁も発表資料はホームページにアップするか、記者クラブ員宛メールに添付するようになりました。その結果、最近、社内ではバイク便が廃止されたというのです。(オートバイのお兄さんはどうなっちゃったのかなあ?)

 今は100年に一度のパンデミックに襲われていますから、以前の物差しでは全く通用しなくなりました。これだけは言えますが、「コロナ後」は、もう「コロナ以前」に戻ることはないでしょう。

 つまり、コロナ後も、バイク便が復活することはないでしょうし、以前のように元に戻ることはないと思います。

 仕事も遊びも、今さら、ネットがなかった時代に戻れないのと同じように。(アーミッシュのような生活をするしかありません)