本当の日本人の姿が分かる=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」

 今読んでいる速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」(文春新書、2022年5月20日初版)は、久しぶりに、ページを繰って読み通してしまうのが惜しいほど面白い本です。

 「歴史人口学」なるものを日本で初めて確立した慶応大学教授による「一代記」とともに、そもそも歴史人口学とは何なのか、その史料集めから分析方法まで手取り足取り惜しげもなく披露し、それらによって得られる「日本人の歴史」を活写してくれます。

 日本の歴史と言えば、信長、秀吉、家康といった偉人が登場して、彼らの家系図や姻戚・家臣関係から、戦績、城下町づくり、政策などを研究するのが「歴史学」の最たるもののように見なされ、我々も歴史上の有名な人物の生涯を学んできました。その一方、歴史人口学となると、有名人や偉人は出て来ません。無名の庶民です。その代わり、江戸時代の日本の人口はどれくらいだったのか?(速水氏の専門は日本経済史ですが、使う史料が江戸時代の「宗門改帳」だったため)江戸時代の平均寿命は何歳ぐらいだったのか?平均何歳ぐらいで結婚し、子どもはどれくらいいたのか?幼い子どもの死亡率はどれくらいだったのか?長子相続制だったため、次男三男らは江戸や大坂、名古屋などの大都市に奉公に出たが、何年ぐらい年季を務めて、地元に帰って来たのか?-等々まで調べ上げてしまったのです。

 この手法は、速水氏が慶応大学在職中(恐らく、助教授時代33歳の時)の1963年に欧州留学の機会を得て、そこで、フランス人のルイ・アンリという学者が書いた歴史人口学の入門書等と初めて出合い、アンリは、信者が洗礼する際などに教会が代々記録してきた「教区簿冊」を使って、その土地の一組の夫婦の結婚、出産、子どもたちの成長、死亡時の年齢まで押さえて、平均寿命や出産率などを分析していることを知り、帰国後、この手法は日本では「宗門改帳」を使えば、同じようなことが出来るのではないか、ということを発見したことなどが書かれています。

 私が速水融(はやみ・あきら、1929~2019年)の名前を初めて知ったのは、確か30年ぐらい昔に司馬遼太郎のエッセーを読んだ時でした。何の本か忘れましたが(笑)、そこには、江戸時代の武士階級の人口は全体の7%だった、ということが書かれ、その註釈に、 歴史人口学者の速水融氏の文献を引用したことが書かれていました。そこで初めて、歴史人口学と速水融の名前をセットで覚えました。そして、先日、エマニュエル・トッドの大著、 堀茂樹訳の「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」(文藝春秋)の上下巻本を読んだ際、この本の中でも速水融氏の文献が引用され、しかも、トッド氏というあの大家が尊敬を込めて引用していたので、いつか速水融氏の何かの著作を読まなければいけないなあ、と思っていたのでした。そしたら、ちょうどうまい具合にこの本が見つかったのです。

 何度も言いますが、これが面白い。実に面白い。特に偉人変人?を中心にした人物史観に飽き飽きした人にとってはとても新鮮で、目から鱗が落ちるほどです。

 ですから、あまりこの本の内容について書くことすら憚れますが、目下150ページまで読んで、興味深かった点を少し挙げますとー。

・歴史人口学の基礎史料となる欧州の「教区簿冊」と日本の「宗門改帳」を比較すると、「教区簿冊」では、洗礼(出生)、結婚、埋葬(死)といったイベントは分かるが、教区の人口が何人とか男女比まで分からない。一方の日本の宗門改帳は、世帯単位で作成されているので、出生、結婚、死亡は勿論、村の人口やどこへ移動したのかまで分かる。ただし、宗門改帳は全国バラバラで統一性がないので、全国としての研究はやりにくい。

・速水氏は享保年間の日本の人口を3000万人+αと推測した。八代将軍吉宗が全国の国別人口調査を実施し、2600万人という数字を出したが、(仏革命期のフランスの人口は2800万人と推測されている)しかし、この数字は、ある藩で8歳以下や15歳以下が含まれていなかったり、そもそも最初から武士階級がカウントされていなかったりしていた。そこで、速水氏は約500万人を追加して、3000万人ちょっとという数字を弾き出した。

・速水氏の「都市アリ地獄説」=江戸は人口100万という世界的にも大都市だったにも関わらず、周辺地域も含めて人口減が見られた。それは、大都市が健康的なところではなく、独身者も多くて出生率が低く、特に長屋など住環境も悪く、火災も多く、疫病が流行ると高い死亡率となる。これは、農村から健康な血を入れないと人口が維持できないということを意味する。欧州でも同じ現象があり、それは「都市墓場説」と命名されている。

・江戸やその周辺、大坂・京都の近畿地方は経済が発達し、人口も増えていくと思われがちだが、実はそうではない。江戸時代に人口が増えたのは北陸や西日本など大都市がなかった所だった。人口が増えた西日本には長州藩や薩摩藩があった。その地域が明治維新の主導力になったのは、人口増大による圧力があったからかもしれない。関東や近畿には人口圧力がない。人口圧力だけが世の中を動かすとは限らないが、明治維新を説明する一つの理由になると思う。西南日本のように、大都市がなく、出稼ぎに行く場所がない所では、人口が増えても生かす場所がない。それらが不満になって明治維新というところまで来たのではないか?

・美濃地方の宗門改帳を分析した結果、結婚した者の平均初婚年齢は、男は28歳、女は20.5歳だった。結婚継続期間はわずか1年というのが一番多く、全体の7%。銀婚式(25年)は2.3%で、金婚式(50年)はほんの0.5%。これは死亡時期が早いこともあるが、わりと離婚率が高かったことになる。結婚して1~3年で離婚のケースが一番多かった。

 へ~、江戸時代は意外にも離婚が多かったんですね。(これ以上のコメントは差し控えさせて頂きます。)そして、男の初婚平均年齢が28歳だったとは、現代とそう変わらないのでは? 信長にしろ、家康にしろ、戦国武将は政略結婚とはいえ、10代ですからね。江戸期の庶民は、少し遅い気がしました。