「個人の判断」も忖度優先なのか?=コロナのマスク着用に関する哲学的考察

 3月13日(月)から、政府方針により、マスク着用は「個人の判断」に委ねるということになりましたので、私も俄か文化人類学者になってフィールドワークを試みました(笑)。

 まず、自宅から最寄り駅までバスを使いますが、車内のマスク着用率は100%。全員マスクをしていたので拍子抜けしました。そして、最寄り駅からの通勤電車。超までいきませんが、車内は満員で、やはり、私が見える範囲で全員マスクをしておりました。

 職場は、東京・銀座なのですが、街を歩く人で、外国人観光客の3人に2人はマスクを着用せず、日本人らしき人はほぼマスク着用でした。私がすれ違った数十人の中で、3人だけがマスクをしていませんでした。マスク着用率98%といった感じです。

 昼休みに、雨の中、ランチがてら、私の縄張りである(笑)銀座、築地、新富町辺りを散策しましたが、やはり、ほとんどの人がマスク着用でした。

 厚労省の発表では、3月12日は全国で7013人がコロナに感染し、43人が死亡したといいます。ということは、コロナは終息も、収束もしたわけではないということです。専門家の中には、日本人全員がマスクを外せば、5月には感染者が倍増するといった予想をした人もおりました。

 岸田首相や小池都知事といった権力者たちが「マスクなし」で出勤したとはいっても、まさか、満員の通勤電車に揺られて来たわけでなく、運転手付きの黒塗り高級車に乗って来られたわけでしょ?

 つまりは、為政者が声高に叫んでも、一般庶民は、権力者のことを誰も信用していないということになりますかね? 庶民がコロナに罹ったとしても、「経済を回す」ことの方が優先なのでしょう。それとも、日本人は横並びで、斟酌、忖度が得意な民族なので、周囲の皆と一緒に合わせているのでしょうか?

 私自身は花粉症でもあるので、しばらくの間は、今まで通りマスクを着用するつもりです。勿論、コロナ感染者の被害者にも加害者にもなりたくありませんからね。

 明治維新になって、ちょん髷からザンギリ頭になっても、大正の頃までちょん髷を結っていた人がいたぐらいですから、ずっとマスクをし続ける人もいるかもしれません。そう言えば、昭和の40年代ぐらいまで女性で日本髪で和服の人が結構いたような記憶があります(明治生まれの祖母の洋服姿は見たことなかったなあ)。京都の舞妓さんは、今でもそうですし、お相撲さんは現代でもちょん髷じゃありませんか!(笑)