大谷さん結婚、それで?

Higashi-Ginza

 ドジャースの大谷翔平選手、ご結婚おめでとう御座います。日本時間、昨日の夕方からこの話題で持ちきりで、民放なんか、政倫審(政治倫理審査会)の大事なニュースまで飛ばして、この話題ばかり放送しているんですからね。

 恐らく、これから書くことは直ぐ古びてしまうと思いますが、お相手はどなたかと思ったら、顔写真どころか、名前すら明かさないというのです。交際していたことすらどこのマスコミにも感づかれず、この徹底した秘密主義には脱帽です。それでも、SNS隆盛時代ですから、皆さん好き勝手に飛ばしています。こういった「飛ばし記事」は、昔だったら、東京スポーツや日刊ゲンダイや「噂の真相」の独壇場だったんですが、今や「普通の人」の発表舞台になってしまいました。

 私はそれほど暇ではないのですが、気になるので、検索してみたら、お相手は、いずれも身長180センチを超えた元バレーボール選手、元バスケットボール選手らの名前が挙がっていました。世界中から注目されますから、そりゃあ大変でしょうね。ご同情申し上げます。

東銀座「紹興苑」 香港焼そば1000円

 さて、またまた私事ですが、このごろ、どうも自信がなく、ビクビク、オドオド生きている気がしております(本日は、満員の駅構内でクソガキからいきなり足で蹴られました)。何も悪いことをしているわけではなく、毎日、往復3時間のバスと満員電車に乗って通勤し、真面目に仕事をし、帰りに悪所に通うことなく、飲みにも行かず、瞬きもせず、真っすぐ帰宅しています。しかも、電車の中では量子力学の難解書を読み、家に帰れば、錆び付いたフランス語を紙の辞書を引きながら勉強しているぐらいです。嗚呼、それなのに、それなのに。誰からも褒められもせず、苦にもされず、木偶の坊と呼ばれるだけです。甲斐性なし扱いです。何か悪いことでも、私、しましたか?

 これでは、ビクビク、オドオド生きてしまうのも仕方ないですね(苦笑)。最近、私が住む地域でも、毎日のように微震が続いているので、「大災害や事件、事故に巻き込まれたら嫌だなあ」といった不安がないことはありませんし、残り少なくなった人生を如何に生きるか? お前は一体何者で、何のためにこの世に生まれてきたのか? といったアポリアが頭の中で堂々巡りしているので、そりゃあ、心が不安定になっても当たり前です。

 一番の薬は、「考えないこと」でした。何しろ、回答がないのです。頭の中で堂々巡りしているだけですから、エントロピーが増大し、考えるだけで時間の無駄なのかもしれません。

 再読している「時間の終わりまで」(ブルーバックス)の著者ブライアン・グリーン氏によると、我々という人類といいますか生命は、自然法則に支配された膨大な粒子が集合してできた物理的存在だというのです。我々の行為や思考は全て、粒子の運動に帰着していることから、自由意志が入り込む余地がないというのです(シュレーディンガー説)。つまり、我々が自由に選択しているようにみえるものは、自然法則が最も基本的な姿で働いているところを我々は見ていないからで、我々には自由な意志で考えたり行動したりしているように強く感じられるとしても、実のところ、それは物理法則に完全に支配されて動き回る粒子たちの複雑なプロセスであることが分かるといいます。

 ちょっと難しい書き方ではありますが、理論物理学者の目から見れば、人間とは「物理法則に支配されている粒子が詰め込まれ袋」に過ぎず、結局、意識や思考も物理法則に支配されているというわけです。

確かに、量子論学者さんから見れば、意識しようが、思考しようが、不安になろうが、人間というものは所詮、「粒子の袋」に過ぎないんですね。文学から見ればあまりにも救いようがない話ですが、科学が見れば、それこそが真実なのでしょう。

最初から、Et Alors?(だから何なのさ?)という話でした。