日本も韓国も消滅か?=そんなことないでしょうが人口減に拍車掛かる

 昨年2023年の日本(人口1億2570万人)の出生数(速報値=在留外国人も含む)が前年比5.1%減の75万8631人だったと厚生労働省が発表した数字は実に衝撃的でした。8年連続で減少し、過去最少です。一方、死亡者数は159万503人で、前年から8470人増え、過去最多だったといいますから、人口減に一層の拍車が掛かったわけです。何しろ、生まれてきた赤ちゃんの倍以上の人が亡くなっているわけですから減る一方です。

 このまま少子化が進めば、日本人はいなくなってしまうのではないかというSFの世界が待っているかもしれません。

東京・新富町

 これは日本だけの問題かと思いましたら、お隣りの韓国(人口5174万人)ではもっと大変な状況でした。女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す「合計特殊出生率」が、8年連続で前年を下回り、昨年の韓国は過去最低の0.72だったというのです。低水準といわれる日本の1.26(2022年)より低いのです。生まれた韓国の子どもの数も、前年比7.7%減の約23万人で過去最少です。8年間でほぼ半減し、少子化は「日本以上」に見えます。

 韓国の少子化の背景には、ソウルに人口が一極集中して、地価と住宅価格が高騰し若者が住宅を購入出来ず、結婚に踏み切れない状況があるようです。結婚しても韓国はかなり苛烈な受験競争と超狭き門の大企業就職と格差拡大問題があり、高額の教育費が掛かるので子どもを2人も3人も持つ余裕がないという遠因があるようです。

 日本もそして韓国も、結婚新生活支援事業や育児休暇、子ども手当、教育費無償化など少子化対策を推進していますが、それでも歯止めが効きません。となると、結婚したくても出来ない非正規雇用といった経済的理由や、将来に対する不安など心理的理由が大きいと思います。

 林官房長官も記者会見で「少子化の進行は危機的状況」と述べ、少子化対策も発表していましたが、口先だけで、「笛吹けども踊らず」の印象です。だって、当事者である企業が賃金を引き上げ、非正規労働者の社員化を進めない限り、改善しないことが分かりきっているからです。「内部留保」に邁進する企業は、相変わらず、低賃金に抑え、非正規雇用の比率を挙げることで利益と業績を上げているわけですから、イエスマンで這い上がってきたサラリーマン経営者が、そんな「打ち出の小槌」を手離すわけありません。

 「内部留保税」や「非正規雇用割合税」なるものを徴収すれば、そんな悪循環が改善するでしょうけど、そんな法案を提出する政治家は一人もいないでしょうし、財界も大反対のキャンペーンを張ることでしょう。フリードマンや竹中平蔵らの新自由主義思想の根が深いからです。

 かくして、少子化に拍車が掛かり、人口減が幾何学級数的に進み、…この先はあまり想像したくないですね。

情けは人の為ならず?=「物価高騰対応重点支援給付金」騒動

 個人的な話なのですが、本日、私が住んでいる自治体から思いも寄らないような大金が私の銀行口座に振り込まれました。

 いえいえ、還付金詐欺でも特殊詐欺でもありません。10日程前に自宅に葉書が来まして、さすがに「お前は貧乏だから」とまでは書いておりませんでしたが、「物価高騰対応重点支援給付金を支給致しますので、貴方の銀行口座に2月28日付で振り込みます」との案内があったのです。

 半信半疑でしたから、振り込まれるまで分かりません。油断も隙もありません(笑)。そしたら、本日、口座を確認したところ、ちゃんと振り込まれていたのです。「あの通知は本物だったんだあ」と、安心と嬉しさと喜びと感激に満ちあふれたのでした(笑)。大袈裟ですねえ。

 大金とはいえ、私は2月1日に早々と確定申告を済ませて、6万5200円もの多額のお金を納税したばかりでした。納税分をギリギリ取り戻したか否かの状態なので、何となく、プラスマイナスゼロといった感覚です。とても、これで「豪遊したい」といった気分にもなれません。

 そもそも、物価高騰対応重点支援給付金ということですから、家計の赤字を解消する補填金ですからね。

東京・新富町

 それでも、大いに助かります。もしかして、私が住む自治体だけがこんな行政サービスをしてくれるのかしら?

 いえいえ、昨年11月に閣議決定したものでした。内閣府のホームページにはこんなことが書かれていました。

 エネルギー・食料品価格の物価高騰の影響を受けた生活者や事業者の支援を通じた地方創生を図るため、「デフレ完全脱却のための総合経済対策(令和5年11月2日閣議決定)」への対応として、地方公共団体が地域の実情に応じてきめ細やかに必要な事業を実施できるよう、令和5年11月に「物価高騰対応重点支援地方創生臨時交付金」(重点支援地方交付金)を創設するとともに、低所得世帯への支援のための「低所得世帯支援枠」を創設しています。
 また、令和6年度与党税制改正大綱のとりまとめと併せて成案を得た「低所得者支援及び定額減税を補足する給付」に対応するため、令和5年12月に「給付金・定額減税一体支援枠」及び「給付支援サービス活用枠」を創設しています。

 お役所の文書なので、大変読みにくいですねえ(失礼!)。交付金は補正予算を含めて、2兆6903億円。

 原資は国民の税金ですから、なあ~んだ、やはり、自分の支払った納税金が、自分の懐に戻って来たようなものです。

 これは、表裏の区別が出来ない連続面となる「メビウスの輪」みたいなものなのでしょうか? まあ、例えは悪いですが、お腹が空いた蛸が自分の足を食べて空腹を満たすようなものかもしれません。

 それとも、自分の投げたブーメランが返って来たようなものなのか? 「情けは人の為ならず」ということで、困った人を助けたお蔭で、逆に、自分が困った時に助けられたような話なのかもしれません。

 いずれにせよ、私自身は2月1日に早々、確定申告を済ませて、納税したお蔭だと思っています。目下、自民党議員の裏金問題で、「確定申告ボイコット」の波がSNS上で巻き起こっているらしいのですが、やはり、確定申告はした方が良いですよ。

 「正直者は得をする」世の中を造っていかなければなりませんから!

漢字を知らない私

 恥をさらします。

 仕事で、たくさんの地名や人名を扱っています。他人様の名前の中には吃驚するほど、今まで聞いたことも見たこともないお名前に遭遇したりします。例えば、祖母井(うばがい)さん、八月一日(ほずみ)さん、薬袋(みない)さんとかです。地名は、読めない漢字が多いのは沖縄や北海道に多いのですが、沖縄の豊見城村(とみぐすくそん)、北海道豊頃町の十弗(とおふつ)、青森県の鷹架沼(たかほこぬま)などがあります。まあ、何千件もありますから、キリがないのでやめておきます。

 私が取り上げたいのは、この年になるまで、間違って覚えていた漢字です。

 東京都葛飾区の「葛」です。「かつしかく」の「かつ」ですが、「くず」とも読みます。この漢字の下方に、周りに囲まれるようにして、「人」の文字が入っております。恥を忍んで申し上げますが、私は、ずっと、これは「人」ではなく、カタカナの「メ」だと思い込んで手書きでそう書いていたのです。

 その間違いに気が付いたのは、つい最近ですから、もう救いようがありませんね。それとも、「生涯勉強だ」と前向きに捉えることにしますか。

築地「魚竹」

 最近、驚いたお名前に、高橋胄さんというという方がいらっしゃいました。「胄」は「よつぎ」と読みます。この漢字は、理由の「由」の下に「月」を書きます。ところが、この「胄」に似た漢字に「冑」があります。こちらは、理由の「由」の下に「月」ではなく、月に似た、横棒がくっつかない字を当てます。実は、こちらの方が馴染み深い漢字で、甲冑(かっちゅう=よろいかぶと)の冑でした。

 逆に言いますと、甲冑の「冑」(かぶと)は、「胄」(よつぎ)ではないのです。

 新聞社や出版社にはこうした間違いを「発見」するお仕事があります。「校閲」とか「校正」とか呼ばれています。縁の下の力持ちで名前は出ませんが、なかなか大した仕事をされているのです。

 いくら大作家、文豪と呼ばれている人でも、校閲さんの影の支えがあってこそなのです。

今更ながら、外山滋比古著「新版 思考の整理学」を読んで

 新聞の広告で「東大&京大で一番読まれた本」「刊行から40年読み継がれて287万部 ロング&ベストセラー」の宣伝文句に惹かれて外山滋比古著「新版 思考の整理学」(ちくま文庫)を有楽町の書店で購入し、読んでみました。

 うーん、あまり、批判はしたくはないのですが、えっ?この本が40年も読み継がれて287万部も売れて、東大、京大で一番売れている本なの? というのが正直な感想でした。偉そうですね。

 40年も経てば、古典の名著と言えるのかもしれませんけど、この本の中で取り上げられたコンピューターの話はさすがに、パソコン時代を乗り越えた現代のスマホ優勢時代では、古びてしまっており、また、40年前なら「セレンディピティ」という言葉も新鮮で、斬新過ぎて、格好良い響きがあったかもしれませんが、その後、勝間和代さんが著書でかなり世間に浸透させて、今や少し聞き慣れ過ぎた言葉になってしまっています。

 読者感想文の中に「もっと若い時にこの本に出合っておけばよかった」というのがありましたけど、やはり、その通りです。若い人向き、特に大学の卒論を執筆しようとしている人向けに書かれているようなフシがあり、もう年老いた「手遅れ」の人が読んでも感動しないのは当たり前かもしれません(苦笑)。

 本を読めば、大抵、引用したい心に引っかかる文章があるものですが、この本で引用したいと思った箇所は、「思考の整理学」の本筋とは全く関係がない包丁を長持ちするための秘訣でした。包丁はさびやすく、直ぐ切れにくくなりますが、その対策としてこんなことが書かれています。

 使ったあと、湯に浸してから乾いたふきんでふいておけばいい。なぜそんな簡単なことが知られていないのか。一説によると、早く包丁をだめにした方が、買い換え需要が増えて業者の利益になる。長持ちさせる方法など教えるのは自分の首をしめるようなものだ、というのである。(185ページ)

 著者の文章は、新聞記事のようにセンテンスが短く、歯切れが良い。だから読みやすい。だから、売れてロング&ベストセラーになったのではないかと推測します。

 悔しかったらお前も、ロング&ベストセラーを書いてみろ、ということですか。

「マティス」展で作品の撮影が解禁! 著作権は大丈夫でしょうか?

 2月24日(土)に、東京・乃木坂の国立新美術館で開催中の「マティス」展を観に行って来ました。土曜日の午前中でしたが、意外と空いていました。5月27日まで開催されるので、皆さん余裕を持っていらっしゃるからでしょう。

 国立新美術館は本当に久しぶりです。10年ぶりぐらいかもしれません。ですから、行き方もすっかり忘れておりました。そしたら、地下鉄千代田線の乃木坂駅に直結していたのでした。

 でも、入場したら、あまりにも広大で何処に行ったら良いのか、訳が分からなくなりました。何しろ、マティス展だけでなく、他の会場では、多摩美術大学や日大芸術学部など東京の5大学の美術部の展覧会が同時に開催されていまして、私なんか3階にまで行ってしまい、迷子になってしまいましたよ。(マティス展は2階でした)

4×8メートルの切り紙絵「花と果実」(マティス展・乃木坂・新国立美術館)

 フランスの画家アンリ・マティス(1869~1954年)に関しては、日本人も大好きですし、御説明するまでもないでしょう。フォーヴィズム(野獣派)の代表作家であり、「色彩の魔術師」の異名まであります。私も知っているつもりでしたが、若き頃、官立のフランス高等美術学校に入学できず挫折を味わっていたことまで詳しく知りませんでした。ただし、ギュスターヴ・モローから特別に個人指導を受けることで才能が開花します。

 また、絵画だけでなく、生涯にわたって彫刻や切り絵も手掛け、ライフワークとして南仏ヴァンスにステンドグラスから壁画、礼拝台に至るまで「ロザリオ礼拝堂」を設計し、今展でその礼拝堂の一部が展覧されていました。

「ロザリオ礼拝堂」(マティス展・乃木坂・新国立美術館)

 個人的な話ながら、最近、どうもメンタルが不調気味でしたので、「色彩の魔術師」の力によって煩悩を圧倒してもらおうと会場に足を運びました。2200円と入場料が高かったのですが、それだけの価値はあったと思いました。

 会場に足を運んで、一番驚いたことは、一部の作品が「撮影可能」だったことです。ですから、こうして、恐る恐る、一部写真を渓流斎ブログに掲載させてもらっています(もっと沢山撮影したのですが、ほとんど破棄しました)。

 何故、恐る恐るなのか、と言いますと、実は私は、もう30年も昔ですが、1990年代に美術記者をしていまして、当時、新聞にマチス(当時はマティスではなく、マチスでした)作品を取り上げて、その写真を掲載する際、かなり高額の著作権料を請求されたからでした。それで、マティス作品の著作権は大丈夫なのかなあ、と気になってしまったのです。

 そして、「そっかあ、マティスは1954年に亡くなっているから、没後50年の2004年で著作権は切れていたのかあ」と気付いたのです。しかし、話はそんな単純なものではなかったのです。例えば、海外の作家には「戦時加算制度」というものがあり、通常の著作権保護期間(50年間)に、第2次世界大戦の期間に相当する日数を加えることで、戦時中保護されていなかった著作権者の利益を回復する制度があるのです。マティスのフランスは、3794日(約10年5カ月)なので、50年ではなく、60年5カ月となります。

 となると、マティス作品は、2004年ではなく、2014年で著作権が切れたということになります。しかし、これでは安心できないようです。2018年に著作権法(TPP11協定)が改正され、1968年以降に亡くなった作家の著作権は、没後50年から没後70年まで延長されることになったからです。これにより、例えば、藤田嗣治画伯は、1968年に亡くなったので、これまで50年後の2018年まで著作権は保護されていましたが、改正により、70年後の2038年12月31日まで保護されることになったのです。

 さてさて、肝心のマティスさんです。繰り返しになりますが、2018年の著作権法改正に該当しない1954年に亡くなり、戦時加算を入れても、2014年には著作権が切れているはずです。しかし、フランス本国ではどういうわけか、マティスの著作権は切れておらず、「マティス財団」(著作者人格権)が管理しているというのです。彼らは、ミュージアムショップ等で売られるカップやバッヂなどのグッズに関して、いまだに制約しているといいます。

 私は著作権法に関しては素人なので、これ以上踏み込めませんが、今年2024年はマティス没後70年です。それで、展覧会の主催者さんは、会場の作品の撮影を許可したんじゃないかなあ、と判断しました。はい、間違った解釈でしたら、このブログに掲載した写真は全て取り下げますので、マティス財団さんの御見解も宜しくお願い申し上げます。

 (写真にも著作権があり、だから私が撮影した写真ですから、著作権は私にあるはずです。しかし、平面の絵画には写真の著作権がなく、立体の彫刻を撮影した写真なら著作権が有効になるとか、色々と複雑なようです。詳しい方、どうか御教授ください。)

 

”Ça ne fait rien” Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

先日、小生が作詞作曲した”Ça ne fait rien”という曲を、この渓流斎ブログにアップしました。唄もギターも下手くそなのに、どういうわけか、お二人の方から反響が御座いまして、嬉し恥ずかしで本人は気を良くしております。そこで、前回は日本語の歌詞でしたので、今回はフランス語の歌詞でアップしたいと存じます。

 勿論、強制でも何でもありませんから、「怖いもの聴きたさ」を感じている方だけ、肝試しでもしてみてください(笑)。今回は歌詞も掲載します。

”Ça ne fait rien” 

                     Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

1, Ah oui, je voudrais te dire.

Ça ne fait rien. Ça ne fait rien. Ça ne fait rien.

2, Mais non, tu dois me dire.

Ça m’est égal. Ça m’est égal. Ça m’est égal.

※ Ne t’inquiète pas. Quoi qu’il arrive. Ne t’inquiète pas. Quoi qu’il arrive.

3, Eh bien, elle doit me dire.

Ça y est, bien sûr. Ça y est, bien sûr. Ça y est, bien sûr.

※ répétition

4, Tu m’a donné le meilleur amour

surtout pour moi surtout pour toi-même surtout pour tous

Ça ne fait rien. Ça ne fait rien. Ça ne fait rien.

【大意】

 そうそう、君には言っておかなきゃ

 そんなこと大したことじゃないんだよって

 でも、君は僕に言うはずだ

 そんなことどっちでもいい、と。

 ※心配すんな 何があっても 心配すんな 何があっても 

 ところで、彼女は言うのさ

 勿論、やったわ、と。

 ※ 繰り返し

 君は最高の愛をもたらしたね

 特に僕に 特に君自身に 特に皆に

 まあ、大したことないけどね 大したことないさ

今年も自家製味噌づくりのお手伝いをしました

 今年も恒例の味噌づくりのお手伝いを致しました。鬼より怖い我が家の総司令官の命令で、大豆の足踏みから始まります。

 材料は大豆と麹と塩だけです。至って簡単ですが、その工程はかなり大変です。大豆は北海道産の鶴の子大豆です。5キロで5100円。麹は栃木県那須の味噌麹専門店「日野屋」さん。5キロで5500円。麹は大豆より高いのです。何よりも、麹菌は育成するのが大変で、もし、納豆と一緒に麹を冷蔵庫に入れたりすると、たちまち麹菌は死んでしまうそうです。それだけ、麹菌は弱く、納豆菌は強いのです。そして、塩は赤穂浪士で有名な「赤穂の天塩」で、1キロ443円。

 大豆は20時間も水に浸し、その後、4時間も煮込みます。この茹で上がった大豆を(冷めてから)一枚100円もする厚手のビニール袋を二重にして詰め込んで、その上から足で踏んで、豆をつぶしていきます。私の出番はここからです(笑)。市販のお味噌の場合、大量生産ですから、こんな人が足で踏むような面倒臭いことはやってられません。機械で潰していきます。

 あらかた潰れて、ペースト状になった大豆に塩と麹を混ぜ合わせていきます。

 その過程で、まだ潰れていなかった大豆の豆粒も手でつぶしていきます。

 大方、それが出来たら、その塩と麹の入った大豆ペーストを大きな団子状にして、木樽の中に投げつけるようにして入れて行きます。

 この木樽は、福岡県八女市の桶店「松延工芸」から取り寄せたものです。

 木樽が満杯になったらもうお終い。蓋をして寝かせますが、定期的な天地返しや水取り、黴取りなどの大変な作業もあります。お味噌が食べ頃になるのは、やっと秋になってからです。

 自家製味噌づくりを始めたのは7~8年前だったでしょうか。最初は私は全く手伝わなかったので、はっきり覚えていません(苦笑)。

 でも、自家製味噌を食べるようになってから、申し訳ないのですが、市販の味噌が食べられなくなってしまいました。あまり書くと営業妨害になるので詳しくは書けませんが、要するに人工添加物も人工保存料も何も入っていませんから、本来の味噌の風味を味わうことができるのです。小さい頃から味噌汁は食べていましたが、やはり自家製味噌となると、数倍、数十倍、数百倍も美味いのです。何も高級会席料理店に行かなくても良いのです。

 手間暇かけることを惜しまなければ、何でも美味しく食べられるのです。ですから、手間暇がかからないコンビニなどで手軽に手に入るような、大量生産の人工調味料で作られた食べ物はとても私の口には合いません。

 贅沢ですね。

Midnight Scat Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

今からもう半世紀近い大昔、私がまだ20歳の時に作詞作曲した「Midnight Scat」という曲があります。

 亡友神林康君がギターのフレーズを手伝ってくれましたので、彼との最初で最後の共作でもあります。

 「Midnight Scat」ですから、真夜中にお一人で気が向いたときにお聴きくだされ。

 

Midnight Scat

1, Don’t make me haste.

Please don’t let me go.

Because I don’t like its taste.

2, Don’t make me sad.

Please do let me know.

Because I don’t wanna be mad.

※ Isn’t it in a hurry to decide?

I wish you’re here by my side.

Isn’t it worry to suicide?

I hope you’re there by inside.

”repetition”

「エントロピーが増大する」とはどういうことなのか?=ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を再読してやっと分かりました

 以前、予告しました通り、ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)を読了した後、今は再読しております。

 一回目は、著者特有の韜晦的な書き方によって、正直、よく分からない部分が多かったのですが、再読すると、意味がよく分かるようになりました。えっ?韜晦(とうかい)的の意味が分からない? 衒学的の正反対です。えっ? 衒学的も分からない? 韜晦的とは、自分の才能を包み隠すこと。衒学的とはその逆で、自分の知識を自慢したり見せびらかしたりすることです。

 著者のグリーン氏は、自分の知識を包み隠すような書き方で、はっきりした結論は書かないように一回目に読んだとき思ったのですが、二回目に読んだ時は、実は印象が少し変わりました。例えば、109ページに「ビッグバンから、10億分の1の10億分の1のさらに10億分の1秒後には、斥力的重力は空間の小領域を大きく引き伸ばし、…広がった。…それと同じくインフラトン場もまた、いずれ『破裂』し、場の粒子たちは霧になる。」と書いた後、「その粒子たちが正確に何だったのかは分かっていない」とはっきりと、分からないことは分からないと明言しておりました。

王子神社

 宇宙の生成から終焉において、熱力学第二法則の「エントロピーは増大する」というキーワードが最も重要で、本書の後半にかけても何度も出てきましたが、この意味を深く理解することがなかったので、1回目に読了したとき、どうも痒い所に手が届かなかった読後感がありました。が、再読してみたら、前半で、はっきりとエントロピーとは何かについてかなり詳述されていたことが分かりました。一回目は一体、自分自身何を読んでいたのかしら?

 「エントロピー」とはざっくばらんに「無秩序状態」と翻訳して良いと思いますが、本書の70ページでは、実に分かりやすく、エントロピーとは何なのか説明してくれています。一回目で読んだはずなのに、覚えていなかったとは本当に情けないですね。メンタルの不調のせいにしておきます(笑)。

 著者はこのように書いています。(少しだけ差し替えています)

 エントロピーは時間とともに増大する圧倒的な傾向がある。きれいにアイロンのかかったシャツが皺になるように「特別な配置は平凡な配置に近づく傾向がある」とか、整理されたガレージが、道具類や収納箱や遊び道具がごちゃ混ぜに詰め込まれた物置になるなど「秩序は無秩序になる傾向がある」といったことだ。

 なるほど。エントロピーが増大する、とはガレージが散らかったり、シャツが皺になったりすることでしたか。こりゃあ、分かりやすい。

王子神社

 また、著者のグリーン氏によると、宇宙が生成されるきっかけとなったビッグバンは、高度に秩序立った極めてエントロピーが低い出発点だったといいます。つまり、最初は極めて秩序が整った状態だったということです。それが、熱力学第二法則により、エントロピーが増大すると、宇宙に存在するもの全ては、衰え、劣化し、朽ちるという、抗いがたい傾向を持ってしまうのだといいます。ということは、これで、宇宙に終焉があるという結論が導き出されるわけです。

 その前に、地球の生命体の一つである人類の消滅が先にあります。人類だけが持つ「考える」という行為そのものも、(思考することによって)無益な環境エントロピーを増大させてしまうせいで自滅するともいいいます。あまり、自分勝手に苦しんだり悩んだりしたら、エントロピーが増大するということなのかもしれません。

 ところで、18世紀のニュートンの時代まで人類はモノが引き寄せられる「重力」しか分かっていませんでしたが、20世紀になって、その逆のモノが引き離される「斥力」が発見されました。同じようにエントロピーが増大する、とだけ考えられていたのに、エントロピーは減少することも分かってきました。エントロピーの減少とは、カメラを逆回しにしたようなSFのような世界ですから、専門外の私からはうまく説明できませんが、この本にはそういった話も多く出てきます。

 いずれにせよ、私自身は「エントロピーが増大する」とはどういう意味なのか? 再読してやっと分かったという、実に情けない恥さらしなお話を御紹介しました。

オートルマンって何のことですか?

 2月16日、北極圏にある刑務所で、プーチン政権によって殺害されたのではないかとされているロシアの反体制指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(行年47歳)。日本のマスコミでは、「ナワリヌイ」と表記されますが、英字紙では Alexei Navalny と表記されています。このまま日本語に置き換えればアレクセイ・ナヴァルニイとなります。ナワリヌイとは読めません。ロシア語では Алексе́й Анато́льевич Нава́льныйと表記され、アレクセイ・ナヴァリヌイと読むらしいので、これが一番正しいのかもしれませんが。

 国際語になっている英語は、あくまでも独自路線を貫いているということなのでしょう。地名にしても、オーストリアのウィーンは、「ヴィエナ」と言うし、イタリアのヴェネツィアは「ベニス」と発音したりしますからね。

新富町「躍金楼」(明治6年創業)天ぷら膳(五点盛)1320円 本文と全く関係ないやないけ!

 何でこんな話をするのかと言いますと、先日、久しぶりに婿殿に会った時、驚く体験をしたからです。婿殿は米国人です。その彼が急に「オートルマンは知ってますよね」と言うではありませんか。えっ? オートルマン? 聞いたことないなあ~ 「知らないなあ」と応えると、彼は「えっ?日本人なら誰でも知ってますよ。そりゃあ、おかしい」と言いながら、スマホを取り出して、そのオートルマンというものの画像を私に見せたのです。

 なあ~んだ。ウルトラマンじゃないか! 「オートルマンじゃないよ。ウルトラマン。オートルマンじゃ、日本人に通じないよ」と諭しましたが、彼はあくまでも、「いや、違う。絶対にオートルマンだ」と譲らないのです。仕舞いには、「ゴジラ」ではなく、「ガジ~ラ」が正しい、とまで言い出しました。

 これで、私は1970年代に流行ったテレビCMを思い出しました。パナソニックのカラーテレビ「クイントリックス」のCMです。1930年代から「あきれたぼういず」で活躍していた坊屋三郎(1910~2002年)が、相手の外国人タレント、トニー・ダイヤが「クイントリックス」と連呼するのに対して、坊屋が日本語風に発音して、「英語でやってごらんよ。なまってるよ。外人だろ、あんた。発音だめだねえ」と切り返して笑いを誘っていました。坊屋さんは随分お爺さんに見えましたけど、当時まだ61歳だったんですね。

 英語は現地語の発音を超越して自分たちの発音を押し通すように、日本語も同じことをやっています。

 この渓流斎ブログで、以前にも取り上げましたが、第2次世界大戦下の米国の大統領を日本のマスコミは「ルーズベルト」と表記しますが、本来は、つまり、米国では「ローズベルト」Rooseveltと発音します。米下院議長を務めたナンシー・ペロシはペロシではなく、「プロウシイ」Pelosi と発音するので、ペロシと言っても誰のことなのか分かりません。

 もっとも日本では和製英語が氾濫しています。今や事故だけでなく、事件や災害の際に大いに活躍しているドライビング・レコーダーがあります。これはdriving recorder で欧米でも通じるかと思っていましたら、米国では、略してdashcam、もしくは dashboard cameraというんですってね。ドライビング・レコーダーでは通じないのです。

 何か、本日は「ゲーテとは、俺のことかとギョーテ言い」みたいな話になってしまいましたね(笑)。