秀才が書くような文章でした=三木谷浩史著「未来力  『10年後の世界』を読み解く51の思考法」

 今朝の通勤電車。満員電車のはずが、私が乗ろうとした車輛はどういうわけか、空席が目立ち、異様な雰囲気でした。そしたら、ドアの出入り口付近で、もはやいくなった酔っ払いらしき人物が例の物をまき散らしていて、それに気が付いた乗客は慌てて、他のドアに移動していたのでした。 

 それでも、都心に近づくと、かなりの人が乗って来て、ハイヒールを履いたある若い女性が、例の物に全く気付かずに踏んでしまい、すってんころりん。「も~、最悪~」と言いながら、電車から降りてしまいました。

 毎日通勤していると色んな光景にぶち当たります。

 さて、三木谷浩史著「未来力  『10年後の世界』を読み解く51の思考法」(文藝春秋、2023年1月10日初版)を読了しました。申し訳ないですが、拙宅は狭いので、購入したわけではなく、図書館で借りました。お借りしたので、2日で読み終えました。

 三木谷さんは、御案内の通り、世界に3万人もの従業員を擁する楽天グループの会長兼社長です。ネット通販大手の楽天市場の創業者であり、今や、電気、ガス事業から携帯電話にまで進出し、スポーツ好きで、プロ野球楽天イーグルスやサッカーJリーグのヴィッセル神戸のオーナーでもあります。新経済連盟の代表理事として多くの政治家とのパイプも持っておられます。以前、三木谷氏の楽天創業時の苦労話は読んだことがありますが、そんな超大物財界人が、今後10年の未来をどう予想されているのか興味を持ってページを捲ってみたわけです。

 そしたら、驚くほど、正統的で、米ハーバード大学でMBAを取得したまさに秀才の文章でした。大変お忙しい方なので、最初はゴーストライターが書いたものにかなり筆を入れたのではないか、と勝手に想像されますが、もっと破天荒なことが書かれているかと思いましたら、理路整然といいますか、地道な話でしたので、少し拍子抜けしました。

 三木谷氏は、どうも御尊父で経済学者だった三木谷良一神戸大名誉教授(1929~2013年)に多大な影響を受けたようで、本書でも何度も登場します。その父親が影響を受けた世界的経済学者シュンペーター(1883~1950年)の「イノベーション」や「創造的破壊」にもかなり影響を受けていたようで、起業するに当たって、理論的支柱になったことも明かしております。

銀座「萬福」レバニラ定食890円

 当たり前の話ですが、超一流の経営者には読書家が多いのですが、三木谷さんも例にもれず、唐の皇帝太宗の統治をまとめた「貞観政要」までこの本で引用していたので吃驚しました。私はちょうど、植木雅俊著「日蓮の手紙」(NHK出版)も読んでいて、この中で、日蓮の愛読書として「貞観政要」が登場していたからです。何という偶然の一致! もっとも、植木氏の説明では、この「貞観政要」は、「唐代の呉兢(ごきょう)が編纂したとされる北宋第二代皇帝太宗の言行録で、政治の要諦がまとめられている。全10巻40篇」と書かれています。唐第2代皇帝も太宗ですが、有名な「貞観の治」と呼ばれる太平の世を築いたことから、やはり、唐の太宗の方かもしれません。

 三木谷氏は、「貞観政要」の中から、「三鏡」の逸話を引用しています。三つの鏡ーすなわち「銅の鏡」で自分の表情を確認し、「歴史の鏡」で過去から物事の盛衰を学び、「人の鏡」で今自分のやっていることが周囲からどう見られているかを知り、行いを省みる、というものです。三木谷氏は「三鏡は、組織を率いる者にとって重要だ」と引用しているわけです。

 三木谷氏は米シリコンバレーにも邸宅をお持ちのようで、ホームパーティーを開いて、色んな国からのIT関係者らと親睦を深めて最新情報も仕入れているようです。例えば、シリコンバレーがあるカリフォルニア州は、個人所得税は1~12.3%、法人所得税は9%なのに対して、テキサス州では基本的に個人所得税も法人所得税もゼロ。そのため、イーロン・マスクのテスラ社を始め、オラクルもヒューレットパッカードも、次々とテキサス州に移転(計画)しているというのです。

 私も、テキサス州に住む日本人の友人がおりますから、起業したらどうかな、と思いました。もっとも、彼は最近、このブログを読んでいないようなので、通じないかなあ?(苦笑)。

 三木谷氏は今年58歳。まだ当分、現役を続けられるようです。私は、彼の政治信条とは全く合いませんけど、今後もブレイクスルーを続けてほしいものです。何故かって? だって、昨今、スマホから電気まで、楽天グループの色んなものと契約してしまったからです。まさに、死活問題ですから、トップの動向は、そりゃ気になりますよ(笑)。

「京」と「宮」の違いとは?=「歴史人」4月号から

 「古代の首都になった『京』と『宮』の違いって分かりますか? 何で、平城京や平安京と言うのに、飛鳥宮や近江大津宮は、飛鳥京とか近江京とか言わないんでしょうかねえ?」ー会社の同僚のAさんが何処か思わせぶりな言い方で私にカマを掛けてきました。

 いやあ、分からん!今まで、そんな違いなんて全く意識していませんでした。

 そこで、しょうがないので、久しぶりに「月刊歴史人」(ABCアーク)4月号「古代の都と遷都の謎」特集を買ってみました。Aさんは、答えはその本に書いてある、というからです。

 「歴史人」を買ったのは3カ月ぶりぐらいです。その間買わなかったのは、ここ数年買い続けてきたので、同じような特集が続いていたからです。拙宅は狭いのでそんなに沢山の本を置けません。でも、4月号の「古代の都と遷都の謎」特集は初めてです。昨日、読了しましたが、知らなかったことばかりでした。雑誌ですから図表や写真がふんだんに掲載されているので、本当に分かりやすく、確かに「保存版」です。しかも、「歴史人」にしては珍しく、本文に大きな誤植がないので、驚愕してしまいました。失礼!大袈裟でした(笑)。

 さて、冒頭の京と宮の違いです。

宮=天皇の住まい+儀式のための役所

京=宮+豪族・庶民の居住域を計画的に造った都

ということでした。

 武家時代で言えば、宮とはお城と大名屋敷で、京とは城下町ということになりますか。

 時代の変遷でどんどん変わっていきますが、平安京を例にとりますと、平城京以来中国・唐の都・長安などにならって、碁盤の目の道路を整備して、「平安京」の中央北端に政務の中心である「平安宮」を置き、それ以外には、貴族が館を構え、寺社仏閣も創建され、庶民も住み、禁止されていたにも関わらず、右京の南部は湿地帯だったため、水田にもなったようです。貴族の人気スポットは左京の北側だったということです。

 平安宮の中には大内裏があり、ここには政務が行われる政庁である「朝堂院」や国家や宮廷儀礼が行われる「大極殿(だいごくでん)」、それに「太政官」や「民部省」などの官庁があります。また、その大内裏の中に天皇がお住まいになる「内裏」があり、「源氏物語」などにも出て来る「清涼殿」(天皇の日常生活の場)や即位礼など宮廷儀式が行われる「紫宸殿」などもありました。こういうのは、文章ではなく、雑誌で図解で見るのが一番ですね(笑)。

 古代は天皇が変わる度に何度も遷都をしておりましたが、一番興味深かったことは、桓武天皇が奈良の平城京を捨てて、京都の長岡京に遷都した理由です。仏教勢力の南都六宗の政治干渉を避ける目的があったから、というのは定説で、私も習ったことがあります。もう一つ、この本の著者の一人である藤井勝彦氏によると、天武天皇の孫・元正天皇が即位した霊亀元年(715年)から天武系の天皇が続いていたのに対し、桓武天皇の父・光仁天皇の代で半世紀ぶりに天智天皇系の天皇が出現しました。天応元年(781年)に父から譲位された桓武天皇が新たな天智系の王朝と捉えて、新王朝にふさわしい王都の造営を目論んだというのです。なるほど、奥が深い。(他に平城京は、下水道設備が不十分で、また清掃が行き届かなくて不衛生で、金属による環境汚染もあったという説もあります。)

 さらには、桓武天皇の生母が、百済渡来人である高野新笠(にいがさ)で、その父・和乙継(やまとのおとつぐ)は百済王武寧王の子孫だといいます。ですから、平城京から長岡京への遷都は、造営された山背国乙訓郡長岡村(現京都府向日市南部)が高野新笠の本拠地だったため、ということもあったようです。長岡村は、絶大な財力を持っていた秦氏の拠点でもありました。秦氏というのは、応神天皇の御代に百済から渡来してきた弓月君(ゆづきのきみ)を祖とする氏族で、当初は大和国葛城辺りに住んでいところ、後に山背国太秦などにも移り住み、土木や養蚕、機織りなどの技術を生かして財を蓄えたといいます。長岡京から平安京への遷都も秦氏の財力に頼ったことでしょう。

 こうしてみると、日本の古代国家(政権)が定着するには渡来人の助力がなければ、成り立たなかったと言えます。さらに踏み込んで言えば、人類学的にみて、弥生人=渡来人ならば、日本人のルーツ、特に権力者や上流階級の一部というより、多くのルーツは、文字や算術や仏教、それに農耕、土木建築、冶金、陶芸、養蚕、機織り技術を会得していた渡来人なのかもしれません。

 少なくとも、渡来人や遣隋使や遣唐使らが齎した朝鮮や中国の文物や文献なしでは、日本の古代国家が成立したなかったことは確かだと言えます。

日本人は縄文人と渡来人と南方人の混血か=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」を読了しました

 有楽町「大正軒」ロースかつ定食」1100円 久しぶりに行ったら少し値上がってた?

 8日(水)夜は、高校時代の友人の田中君の通夜に参列して来ました。会場は、浜松町からモノレールに乗り「流通センター駅」で降り、歩いて10分ぐらいの所にありました。

  彼の交友関係の広さから多くの方が参列しましたが、高校時代の友人は小生を含めて7人だったので、帰り、浜松町の何処かで飲みに行くことにしました。以前はJRの浜松町駅に隣接して世界貿易センターがあり、その地下にあった「いろはにほへと」という居酒屋によく行ったことがあったのですが、貿易センターは目下、解体工事中でした。

 仕方がないので「大門」駅の繁華街に歩いて行き、適当な店を探していたら、怪しげな客引きに捕まってしまいました。「普通の居酒屋だから大丈夫です」と言いながら、連れて行かれたのは、路地の奥で、しかも、綺麗なお姐さんの写真が並んだその筋の店が何軒も同居する雑居ビル。客引きのオジサンに「変な店なら帰るよ」と忠告してビルの3階にまで昇り、最初にメニューを見せてもらい、この値段なら、ま、いっかということで、入ることにしました。

 お店の人に色々と話を聞くと、最初は「隠れ家」的コンセプトでやってたそうですが、目立たない路地裏なので、さっぱり客が来ない。そこで、客引きを始めたらしいのですが、本当にお客が全く来ない(笑)。でも、ある程度呑んで、食べて、一人当たり4000円で済んだので、結果的に「普通の店」で安堵しました。

 しばし、田中君の思い出話で盛り上がり、8人掛けのテーブル席だったので、一人分席が空いていましたが、まるでそこに田中君が座っているような錯覚に襲われました。

 さて、話は全く変わって、速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」(文春新書)を読了してしまいました。

 この本では、色んなことを教えてもらい、渓流斎ブログ2023年3月7日付の「本当の日本人の姿が分かる=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」」でも取り上げましたが、最後に特筆したい一つだけ書いておきます。

 それは速水氏の歴史人口学の研究成果(江戸時代の「宗門改帳」で家族や人口の在り方を調査)として、日本人は大きく三つのパターンがあることが分かったというのです。(1)東北日本型(2)中央日本型(3)西南日本型です。それによるとー。

(1)東北日本型=早く結婚するが子供の数が少ない。母親は子供を4~5人産んで、その後、家の労働力につく。親子三代以上が同居する直系家族。⇚狩猟・採集が中心のアイヌ・縄文時代人型。

(2)中央日本型=結婚年齢は遅いが子供は沢山産む。江戸など大都市に移住する。2代~3代が住む直系家族か核家族。⇚農耕、鉄器など弥生文化を伝えた渡来人型。

(3)西南日本型=結婚年齢は遅いが結婚前に子供を産むことがある。離婚も多く、次の結婚の間に子供を産むこともある。性行動に関しては比較的自由。家族の形態は、傍系の夫婦まで住む合同家族と直系家族。⇚東シナ海沿岸地域で、東南アジアと風習が一致するものが多い。

 速水氏は「日本には極論にいえば文化的独自なものはなく、外来のものを模倣し、融合させたのである。逆に、こういった模倣・融合能力こそ、日本を特徴づけるものだった、といえないだろうか」とほぼ結論付けております。

有名な銀座「AOI」のハンバーグ定食1000円。すこし辛かったかなあ…

 この辺りを読んで、私も以前読んだ篠田謙一氏著「人類の起源」を思い出しました。その読書感想文として、私は「この3000年前に到達した渡来系弥生人というのは、中国東北部(旧満洲辺り)の西遼河にいた『雑穀農耕民』(青銅器文化を持つ)が6000年前以降に朝鮮半島に進出し、遼東半島と山東半島にいた『稲作農耕民』が3300年前に朝鮮半島に流入し、在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合して新たに出来た地域集団だといいます。」(2022年12月27日付渓流斎日乗「現代日本人のルーツは3000年前の渡来系弥生人にあり」)と書きました。

 これらを敷衍すると、人類学的に、日本人とは、最初に日本列島に定住したアイヌや琉球系を含む縄文人と中国、朝鮮からの渡来人と東南アジア系と恐らくポリネシア系の南方人の混血と言ってよいのではないでしょうか。

 

本当の日本人の姿が分かる=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」

 今読んでいる速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」(文春新書、2022年5月20日初版)は、久しぶりに、ページを繰って読み通してしまうのが惜しいほど面白い本です。

 「歴史人口学」なるものを日本で初めて確立した慶応大学教授による「一代記」とともに、そもそも歴史人口学とは何なのか、その史料集めから分析方法まで手取り足取り惜しげもなく披露し、それらによって得られる「日本人の歴史」を活写してくれます。

 日本の歴史と言えば、信長、秀吉、家康といった偉人が登場して、彼らの家系図や姻戚・家臣関係から、戦績、城下町づくり、政策などを研究するのが「歴史学」の最たるもののように見なされ、我々も歴史上の有名な人物の生涯を学んできました。その一方、歴史人口学となると、有名人や偉人は出て来ません。無名の庶民です。その代わり、江戸時代の日本の人口はどれくらいだったのか?(速水氏の専門は日本経済史ですが、使う史料が江戸時代の「宗門改帳」だったため)江戸時代の平均寿命は何歳ぐらいだったのか?平均何歳ぐらいで結婚し、子どもはどれくらいいたのか?幼い子どもの死亡率はどれくらいだったのか?長子相続制だったため、次男三男らは江戸や大坂、名古屋などの大都市に奉公に出たが、何年ぐらい年季を務めて、地元に帰って来たのか?-等々まで調べ上げてしまったのです。

 この手法は、速水氏が慶応大学在職中(恐らく、助教授時代33歳の時)の1963年に欧州留学の機会を得て、そこで、フランス人のルイ・アンリという学者が書いた歴史人口学の入門書等と初めて出合い、アンリは、信者が洗礼する際などに教会が代々記録してきた「教区簿冊」を使って、その土地の一組の夫婦の結婚、出産、子どもたちの成長、死亡時の年齢まで押さえて、平均寿命や出産率などを分析していることを知り、帰国後、この手法は日本では「宗門改帳」を使えば、同じようなことが出来るのではないか、ということを発見したことなどが書かれています。

 私が速水融(はやみ・あきら、1929~2019年)の名前を初めて知ったのは、確か30年ぐらい昔に司馬遼太郎のエッセーを読んだ時でした。何の本か忘れましたが(笑)、そこには、江戸時代の武士階級の人口は全体の7%だった、ということが書かれ、その註釈に、 歴史人口学者の速水融氏の文献を引用したことが書かれていました。そこで初めて、歴史人口学と速水融の名前をセットで覚えました。そして、先日、エマニュエル・トッドの大著、 堀茂樹訳の「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」(文藝春秋)の上下巻本を読んだ際、この本の中でも速水融氏の文献が引用され、しかも、トッド氏というあの大家が尊敬を込めて引用していたので、いつか速水融氏の何かの著作を読まなければいけないなあ、と思っていたのでした。そしたら、ちょうどうまい具合にこの本が見つかったのです。

 何度も言いますが、これが面白い。実に面白い。特に偉人変人?を中心にした人物史観に飽き飽きした人にとってはとても新鮮で、目から鱗が落ちるほどです。

 ですから、あまりこの本の内容について書くことすら憚れますが、目下150ページまで読んで、興味深かった点を少し挙げますとー。

・歴史人口学の基礎史料となる欧州の「教区簿冊」と日本の「宗門改帳」を比較すると、「教区簿冊」では、洗礼(出生)、結婚、埋葬(死)といったイベントは分かるが、教区の人口が何人とか男女比まで分からない。一方の日本の宗門改帳は、世帯単位で作成されているので、出生、結婚、死亡は勿論、村の人口やどこへ移動したのかまで分かる。ただし、宗門改帳は全国バラバラで統一性がないので、全国としての研究はやりにくい。

・速水氏は享保年間の日本の人口を3000万人+αと推測した。八代将軍吉宗が全国の国別人口調査を実施し、2600万人という数字を出したが、(仏革命期のフランスの人口は2800万人と推測されている)しかし、この数字は、ある藩で8歳以下や15歳以下が含まれていなかったり、そもそも最初から武士階級がカウントされていなかったりしていた。そこで、速水氏は約500万人を追加して、3000万人ちょっとという数字を弾き出した。

・速水氏の「都市アリ地獄説」=江戸は人口100万という世界的にも大都市だったにも関わらず、周辺地域も含めて人口減が見られた。それは、大都市が健康的なところではなく、独身者も多くて出生率が低く、特に長屋など住環境も悪く、火災も多く、疫病が流行ると高い死亡率となる。これは、農村から健康な血を入れないと人口が維持できないということを意味する。欧州でも同じ現象があり、それは「都市墓場説」と命名されている。

・江戸やその周辺、大坂・京都の近畿地方は経済が発達し、人口も増えていくと思われがちだが、実はそうではない。江戸時代に人口が増えたのは北陸や西日本など大都市がなかった所だった。人口が増えた西日本には長州藩や薩摩藩があった。その地域が明治維新の主導力になったのは、人口増大による圧力があったからかもしれない。関東や近畿には人口圧力がない。人口圧力だけが世の中を動かすとは限らないが、明治維新を説明する一つの理由になると思う。西南日本のように、大都市がなく、出稼ぎに行く場所がない所では、人口が増えても生かす場所がない。それらが不満になって明治維新というところまで来たのではないか?

・美濃地方の宗門改帳を分析した結果、結婚した者の平均初婚年齢は、男は28歳、女は20.5歳だった。結婚継続期間はわずか1年というのが一番多く、全体の7%。銀婚式(25年)は2.3%で、金婚式(50年)はほんの0.5%。これは死亡時期が早いこともあるが、わりと離婚率が高かったことになる。結婚して1~3年で離婚のケースが一番多かった。

 へ~、江戸時代は意外にも離婚が多かったんですね。(これ以上のコメントは差し控えさせて頂きます。)そして、男の初婚平均年齢が28歳だったとは、現代とそう変わらないのでは? 信長にしろ、家康にしろ、戦国武将は政略結婚とはいえ、10代ですからね。江戸期の庶民は、少し遅い気がしました。

つい、昨日写されたもののよう=佐藤洋一、衣川太一 著「占領期カラー写真を読む」

 私は「ポイント貴公子」なので(ポイント乞食ではありませんよ!)、三省堂書店のポイントが少し溜まったので、何か新書を買うことにしました。でも、三省堂はちょっと不便でして、他の書店、例えば、紀伊國屋書店なんかは、いつでも何ポイントからでも使えるのに、三省堂は100ポイント(以上)単位でしか使えないのです。

 御存知なかったでしょう? 最近、本屋さんなんかに足を運ばれていないんじゃないんですか? 私は、街の本屋さんがなくなってしまっては困るので、なるべくリアルの書店に行くようにしております。だって、「エンゲル係数(お酒も含む)」以外でお金を使うとしたら旅行するか、もう本を買うか、洋服を買うかぐらいしかないからです。競馬もパチンコもしませんし…。

 昨日は、高校の同級生田中英夫君の訃報に接しました。4日に同窓会を開いて久しぶりに皆で顔を合わせようという時期だったので、衝撃が走りました。同級生ですから同い年です。人生100年時代、世間的にはまだまだ早い方ですが、誰でも、いつ何時、死神が襲ってくるか分かりません。それなら、生きているうちが華ですから、お金なんか貯め込んだりせず、日本経済に貢献し、好きなものを買って楽しく過ごした方が健康にいいですよね?

新富町「はたり」日替わり定食1000円

 さて、新書と書きましたが、古書に対する新しい本という意味で最初に書いたのですが、結局購入したのは新書でした(笑)。佐藤洋一、衣川太一 著「占領期カラー写真を読む」(岩波新書、2023年2月21日初版)という本で、1週間前に買ったので、先ほど電車の中で読了しました。

 コダックや富士フイルムなどカラー写真やスライドの歴史の詳細にも触れ、正直、かなりマニアックな、ある意味では難解な学術書でしたが、占領期のカラー写真は初見のものばかりでしたので、興味深く拝読しました。著者は二人なので、どのように本文を分担されていたのか分かりませんが、写真については、2009年頃から、ネットオークションで手に入れることが多くなったことが書かれていました。写真投稿サイト flickr やネットオークション eBay などです。オークションにかけられる写真は、ほとんど撮影した本人が亡くなった後、遺族によるものが多いので、撮影された年月日や場所など基礎情報に欠けるものが多く、さながら歴史探偵のように苦労して調査しておられました。しかも、売る側が高く売ろうとして「バラ売り」したりするので、ますます出所判明に困難を来すことも書かれていました。

 6年7カ月間、マッカーサー将軍率いるGHQという名の米軍による日本占領期(1945年9月2日~52年4月28日)は今から70年以上昔ですから、若い人の中には「えっ?日本って、占領されてたの?」という人もいるかもしれません。それ以上に、「えっ?マジ?日本はアメリカと戦争してたの?マジ、マジ?」と驚く若者もいるかもしれません。学校での歴史の授業は明治時代辺りまでが精一杯で、近現代史を学ばないせいなのでしょう。でも、こうしてカラー写真で見ると、つい最近のように見えます。いくらAIが発達して、白黒写真をカラー化出来ても、ほんまもんの「色」には及ばないことでしょう。

新富町

 今や旧統一教会との関係問題ですっかりミソを付けて信頼を失ってしまった細田博之・衆院議長は、若き通産省官僚の頃、米国に留学し、下宿先のスティール夫妻が占領下の日本で撮影したカラースライドをたまたま見たことがきっかけで、「毎日グラフ別冊 ニッポンの40年前」(1985年)の出版などに繋がったことも書かれていました。細田氏は「あと10年は待てない。なぜなら多くの撮影者はこの世を去り、写真は散逸してしまうから」との思いから、毎日新聞社と連携し、スティール氏が中心になって全米から1万枚もの占領期のカラー写真を集めたといいます。

 エリートの細田氏にそんな功績があったとは全く知りませんでした。

名著なればのズッシリとした感動=レヴィ=ストロース著、川田順造訳「悲しき熱帯」

 レヴィ=ストロース(1908~2009年)著、川田順造訳「悲しき熱帯Ⅱ」(中公クラシックス)をやっと読了することが出来ました。マルセル・プルーストのような文章は、非常に難解で、かなり読み解くのに苦労しましたが、やはり、名著と言われるだけに、読了することが出来てズシリと重い達成感があり、感無量になりました。

 最後まで読んでいたら、本当に最終巻末に「年表」や「関連地図」(大貫良夫氏作成)まで掲載されていたので、「ありゃまあ、知らなかった」と驚いてしまいました。最初から地図があることを知っていたら、参照しながら読めたのに、と思ったのです。確かに、カタカナの固有名詞が出て来ると、最初は、これが地名なのか、ヒトの名前なのか、植物なのか、戸惑うことが多かったからです。そんなら、今度は地図を見ながら再読しますか?(笑)

新富町・割烹「中むら」小アジフライ定食 銀座では絶滅した、雰囲気のある小料理屋。銀座より価格は100円ほど安くリーズナブル。女将さんも感じが良い、常連さんが多い店でした。

 「悲しき熱帯」の大長編の中で、一つだけ印象深かったことを挙げろ、と言われますと、私は迷うことなく、ナンビクワラ族の訪問記を挙げますね。この部族に関しては、以前にもチラッとこのブログに書きましたが、とにかく、アマゾン奥地の未開人の中で最も貧しい部族だったからです。(著者は、ナンビクワラ族のことを「石器時代」なんて書いております。)

 「悲しき熱帯Ⅱ」の161ページにはこんな記述がみられます。

 ハンモックは、熱帯アメリカのインディオの発明によるものだ。が、そのハンモックも、それ以外の休息や睡眠に使う道具も一切持っていないということは、ナンビクワラ族の貧しさを端的に表している。彼らは地面に裸で寝るのである。乾季の夜は寒く、彼らは互いに体を寄せあったり、焚火に近寄ったりして暖をとる。

 この前の141~142ページには、ナンビクワラ族の生活様態が描かれています。

  ナンビクワラ族の1年は、はっきりとして二つの時期に分けられている。10月から3月までの雨の多い季節は、集団は各々、小川の流れを見下ろす小さな高地の上に居住する。先住民は、そこに木の枝や椰子の葉でざっとした小屋を建てる。(中略)乾季の初めに村は放棄され、各集団は幾つかの遊動的な群れになって散って行く。7カ月の間、これらの群れは獲物を求めてサバンナを渡り歩くのである。獲物といっても多くは小動物で、蛆虫、蜘蛛、イナゴ、齧歯動物、蛇、トカゲなどである。このほか、木の実や草の実、根、野性の蜂蜜など、いわば彼らを飢え死にから守ってくれるあらゆるものを探し歩く。

 うーむ、凄いなあ、凄まじい生活ですね。蛆虫まで御馳走?になるなんて、最も生活レベルが低い人類であることは間違いないことでしょう。とても、生き残れるとは思えません。彼らはその後どうなったのか? と思ったら、日本人の文化人類学者がしっかりと、フォローされているようですね。巻末に参考文献として列挙されていました。

 一つは、著名な文化人類学者の今福龍太氏の論考「時の地峡をわたって」(レヴィ=ストロース著「サンパウロのサウダージ」(みすず書房)の今福氏による翻訳版に所収)です。今福氏が2000年3月にサンパウロ大学に招聘されたことを機会に、60年余り前にレヴィ=ストロースが住み、写真を撮った地点を丹念に再訪して鋭利な考察を行ったものです。

 もう一つは、この「悲しき熱帯」を翻訳した川田順造氏の著書「『悲しき熱帯』の記憶」(中公文庫)です。レヴィ=ストロースのブラジル体験から50年後(1984年)に、ナンビクワラをはじめ、ブラジル各地を訪れて感じ、考えたことを起点に「悲しき熱帯」の現在を考察したものです。

 いずれも、私自身未読なので内容は分かりませんが、こうして、世界中の文化人類学者がレヴィ=ストロースに大いなる影響を受けたことが分かります。レヴィ=ストロースのもう一つの代表作「野生の思考」(みすず書房)も私自身、未読ですので、いつか挑戦してみたいと思っております。

地球はどうなってしまうのか?その時、人類は?=「文系のためのめっちゃやさしい地球46億年」

つづき

 惜しまれつつではありますが、田近英一東大大学院教授監修、小林直樹著「文系のためのめっちゃやさしい地球46億年」(ニュートンプレス)は読了してしまいました。不勉強のせいか、知らないことばかりでした、はい。

 46億年の「地球史」ですから、最後の章の方で、やっと人類が出て来ます。700万年前、霊長類の中のチンパンジーから分岐して人類(猿人)が誕生する話は、以前、このブログでも、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)や篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)などから引用して詳述させて頂きましたので、今回は人類史については触れません。

 地球の特筆すべき、そして何よりも驚くべき現象です。46億年前の地球は出来立てのホヤホヤですら、マグマがグズグズと煮えたぎったような超高温度の天体でしたが、次第に水が出来、海が出来、生命が生まれ、海から大地が隆起していきます、そして、約3億年前は、地球上の各大陸は殆ど全て繋がっていたというのです!北部の北米大陸とユーラシア大陸は「パンゲア大陸」と呼ばれ、南部のアフリカ大陸と南米大陸などは「ゴンドワナ大陸」と呼ばれます。パンゲアとゴンドワナは3億年前はまだくっついております。これを超大陸パンゲアという言い方もあります。

 大陸は、マントル対流(地下深くにあるマントルが液体のように動くことによって、その上にある陸地も動く)の力で少しずつ動く、というのが「大陸移動説」です。(大陸移動説を始めて提唱したのは1912年、ドイツの天文学者アルフレッド・ウェゲナー{1880~1930年}でした。当初、殆ど信用されなかった彼の説は、1960年代半ばにプレートテクトニクス理論が登場してやっと受け入れられました。と思ったら、1955年に出版されたレヴィ=ストロース著「悲しき熱帯」Ⅱ{中公クラシックス}20ページに、既に「ゴンドワナ大陸」が出て来ました!)

 3億年前、殆どの大陸は「超大陸パンゲア」としてくっついておりましたが、2億年前ぐらいから大陸移動が始まり、1億5千万年前になると、パンゲアとゴンドワナが離れ出し、7000万年前になると、北米とユーラシアと南米とアフリカとインドとオーストラリア、南極の各大陸が分岐します。(例えば、南米大陸とアフリカ大陸の海岸線はジグソーパズルのようにくっつくことが見て取れますが、それは、ウェゲナーが世界地図を見て、大陸移動説を発見するきっかけとなりました。)

 そして、意外にも注目されるのがインド亜大陸です。7000万年前は離れ離れの独立した大陸だったのでした。それが、5500万年~4500万年前になって北上し、ついにユーラシア大陸と合体します。その影響で地殻を隆起させます。大陸同士が衝突した衝撃みたいなものです。それが、世界一のエベレストを始めとしたヒマラヤ山脈やチベット高原だというのです。

 そして、何よりも驚くべきことは、今、現在でもインド亜大陸は、年間約5.5センチの速度で北上し続けているというのです。

 えーーーー!? ですよね?

銀座・本格香港料理「喜記(ヘイゲイ)」 牛カルビと青菜のオイスター炒め ランチ 1600円

 ギリシャのヘラクレイトスの「万物は流転する」か、「方丈記」鴨長明の「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という言葉が言い得て妙です。

 現在も世界各地で、地震や津波や火山活動が活発だということは、いまだに地球が活動している証拠です。ということは、これから数千万年も経てば、ほぼ確実に現在とは違う想像もつかない大陸状況になっていることでしょう。領土争いなどしている暇などないのですが、その頃、果たして人類は生き残っているのか?ーまあ、心配してもしょうがないですよね。

古い教科書は全て書き換えられるはず=田近英一監修、小林直樹著「文系のためのめっちゃやさしい地球46億年」

 先日来、このブログで何度も、小生が人類学や進化論にはまってしまったことを取り上げさせて頂いております。人類学や進化論が行き着く先は、生物学であり、生命論であり、地球物理学であり、宇宙論となります。まさに、「我々は何処から来て 何処へ行くのか」というアポリアに答えてくれます。

 今読んでいる田近英一東大大学院教授監修、小林直樹著「文系のためのめっちゃやさしい地球46億年」(ニュートンプレス、2022年6月20日初版、1650円)は確かにめっちゃ面白くて、読了してしまうのが勿体ないぐらいなのです。書かれていることは、理系の人にとっては基本中の基本で常識なのかもしれませんが、私のような文系人間にとっては初めて知る専門用語ばかりです。しかも、私は年配の人間ですので、私が学生時代に習った地球史なんて全く役に立ちません。教科書も新しく書き換えられていることでしょう。何と言っても、21世紀になって人類の化石のゲノムが解読されるようになって古生人類学が飛躍的に進歩したわけですから、20世紀に学生時代を送った今は40歳代以上の方の多くも知らないことばかりだと思われ、この本を読めば吃驚することでしょう。

 大変失礼ながら聞いたことがない出版社ですから、何処でこの本を見つけたかと言いますと、久しぶりに浦和にある須原屋書店に行き、地下にある人類学・進化論のコーナーで発見したのです。やはり、アナログの店舗に行けば、セレンディピティ、つまり思わぬ好運に恵まれるものです(笑)。須原屋は、江戸時代、最大手の版元だった浅草の須原屋茂兵衛(蔦屋重三郎のライバルだった)の流れを汲み、明治9(1876)年に浦和宿に貸店舗として創業されました。ということは創業147年という老舗です。出版不況でつぶれてほしくないので、足を運んだわけでした。

移転した銀座「天国」で初ランチ。天婦羅定食ランチ1600円

 さて、「地球46億年」ですが、何が面白いかって言ったら…、いやあ、皆さんも是非とも手に取ってくださいな(笑)。大きな活字で、ヘタウマのイラストが入り、ちょっとお子ちゃま向けの書き方なので、人前で読むのは恥ずかしいかもしれませんけど、恐らく、知らないこと(人)ばかり出て来ると思いますよ。シアノバクテリア、ストロマトライト、スタンリー・ミラー、アノマロカリス、ダンクルオステウス、超大陸パンゲア、アルフレッド・ウェゲナー、P/T境界大量絶滅イベント(2億5200万年前、生物の90%以上が大量絶滅)…等々ですが、これら全て御存知でしたら、この本を読む必要はありませんが(笑)。

 でも私のような文系人間にとってはほとんどが初耳です。しかも、私の学生時代は「氷河期」と習ったのに、今では「全球凍結」なんてシャレた言い方になっています。ちなみに、全球凍結は、過去に少なくとも3回あったらしく、最初が約23億年前のマクガニン氷河期、次が約7億年前のスターチアン氷河時代、今のところ最後が約6億年前のマリノアン氷河時代です。ということは、あと何億年?かしたら、地球はまた氷河期、いや全球凍結になるのでしょうね、きっと。勿論、そうなれば人類も確実に滅亡します、残念ながら。

 まさに、レヴィ=ストロース言うところの「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」(「悲しき熱帯」)です。

 現在、地球温暖化が叫ばれ、温暖効果ガスとして二酸化炭素(の排出)が悪玉の親分のように毎日取り上げられていますが、逆に、全球凍結になれば、回復するにはこの二酸化炭素が何よりも必要なことがこの本で初めて知りました。また、38億年前に生命が誕生し、27億年前に出現した二酸化炭素と太陽光で光合成を始めたシアノバクテリアのお蔭で、酸素が生まれ、その酸素をエネルギーとして多種多様な微生物(まだバクテリアの段階ですが)が生まれたという話には、ロマンを感じましたね。色々な偶然が重なって、生物が進化していく過程は、必然ではなく、まさに奇跡と言って良いでしょう。

銀座

 このような地球46億年の歴史は、聖徳太子が教科書から消えて厩戸皇子となったとか、鎌倉幕府成立が1192年ではなく、1185年に教科書が書き換えられたというレベルなんかの話ではありません。私の学生時代の教科書が全く通用しないぐらい全面的に書き換えられたと言って良いでしょう。

 そんな新しい知識がこの本には分かりやすく網羅されているわけですから、こうして開かれた新知識に接しないなんて勿体ないですよ!何歳になっても勉強しなきゃ(笑)。

 そうそう、忘れるところでしたが、何で地球46億年で、宇宙誕生138億年なのか、その関連性が分からず疑問に思っていたら、138億の3分の1=46億という数式から出されたらしいですね。これも、この本で初めて知り、ちょっとスッキリしました。

つづく

知的レベルの高さに驚嘆=レヴィ=ストロース著、川田順造訳「悲しき熱帯1」をやっと読了

 昨秋、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)を読んだことがきっかけで、すっかり人類学、進化論、そして、生物学、地球物理学にはまってしまったことは、このブログで何度も書いております。正確に言いますと、その前に、春先にユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」(河出書房新社)などを読んだことがきっかけでした。

 根本的に、「人間とは一体、何者なのか?」という素朴な疑問が少年時代からありました。そもそも、人間とは何か分からなければ、社会現象も政治や経済のシステムも歴史も何も分かりません。つまり、哲学的考察だけでは限界があると思うようになったのです。最終的には、自然科学的アプローチで、生命とは何かに行きつくのかもしれませんが、それらについても大いに関心がありますので、これからも勉学に励んでいきたいと思っております。

 そんな読書遍歴の一環で、レヴィ=ストロース著、川田順造訳「悲しき熱帯1」(中公クラシックス)をやっと読了することが出来ました。難解で、他の本も並行して読んでいたので、読破するのに数カ月かかりました(苦笑)。既に、「古典」と呼ばれる名著ですが、昔の人の知的レベルの高さには驚嘆するばかりです。著者のレヴィ=ストロースは当然のことながら、それを受け入れる一般大衆の読者の知的レベルの高さもです。正直言いますと、当初は未開の「野蛮人」(264ページ)に接触した文化人類学者による体験記か旅行記、もしくはフィールドワークの報告記かと思っていましたら、そこまでに到達するまでが長い(笑)。少年時代の教師の身振りや服装までも事細かく描写され、船に乗り込む話かと思ったら、いつの間にか、インドの思い出の話になったりです。要するに、時系列に書かれていないのです。この本を12年間もかけて翻訳した訳者の川田氏も「時間の叙述を無視した叙述」などと前書きに書いております。

 しかも、暗喩と隠喩が多く含まれているので、この本をさらに難渋難解にしています。著者のクロード・レヴィ=ストロース(1908~2009年)が、ブラジルのサンパウロ大学の社会学教授の職を得た若き頃の1930年代にアマゾンの奥地の未開の地で先住民を取材した体験記が中心ですが、執筆したのは、何とそれから四半世紀を経た1954年から翌年にかけてだったのです(初版は1955年)。何という恐るべき記憶力!と思いましたが、恐らく著者は異様なメモ魔で、あらゆることをメモに書き残していたのではないかと想像されます。

 この本は一応、ノンフィクションではありますが、暗喩を伴った実に詩的な文章なので、まるで「失われた時を求めて」のマルセル・プルーストのような文体です(如何に難解か分かることでしょう)。レヴィ=ストロースもプルーストもユダヤ系ですから、頭脳の明晰さは人類学上でもピカイチなので、その難解さで読解できる人は少ないと思いきや、いずれもベストセラーになっておりますから、最初に書いた通り、読者の知的レベルの高さに驚嘆したわけです。

 私自身は、それほど深く理解することができたわけではないことは告白しておきます。とにかく、ブラジルの地理が頭に入っていないので、色んな地名が出て来ますが、感覚的にもつかめないのでした。

 この本はまだ「上巻」で、いまだに「下巻」まで読んでおりませんが、この上巻の中で、一つだけ興味深かったことを書いて、この記事をお終いにすることにします。

 それは、著者が、顔全体に入れ墨か、もしくは何かの染料で幾何学模様のような線を顔上に描く風習のあるカデュヴェオCADUVEO族の集落を訪れた話です。

  彼らは写真に撮られることに対して支払いを要求しただけでなく、金を払わせるため、無理失裡私に彼らの写真を撮らせようとした。女が度外れに飾り立てて私の前に現われ、私の意向にはお構いなく、シャッターを切って彼女に敬意を表するように私に強要しない日はほとんど一日もなかった。持っていたフィルムを節約するために、しばしば私は写す真似だけをし、金を払った。(306~307ページ)

 先述した通り、この本は「時間の秩序を無視した叙述」なので、はっきりといつのことか書かれておりませんが、恐らく、著者がブラジルに滞在していた1930年代初めのことだと思われます。1930年の時点で、もうすでに「未開人」の人々が金銭経済の波の中での生活を余儀なくされていたことをこの箇所で知ったわけです。

思わず同情したくなる超人的牢破り=斎藤充功著「日本の脱獄王 白鳥由栄の生涯」

 皆様も御存知のノンフィクション作家、斎藤充功氏から出版社を通じて、本が拙宅に送られてきました。出版社は神田神保町にある論創社。事前に何の御連絡もなかったので、何事かと思ったら、「謹呈 著者」のしおりが一枚だけ入っておりましたので、有難く拝読させて頂きました。

 「日本の脱獄王 白鳥由栄の生涯」という本です。2023年2月1日初版となっておりますが、昨日(1月30日)の時点で既に読了しました(笑)。斎藤充功氏には「日本のスパイ王 – 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」(GAKKEN)という名著がありますけど、「日本の王」というタイトルが著者の大好物のようです(笑)。

 脱獄王といえば、4回も牢破りをした傑物が昭和初期にいて、私も昔、吉村昭(1927~2006年)の小説「破獄」(岩波書店、1983年初版)を読んで驚嘆したことがあります。小説では、主人公の名前は佐久間清太郎となっておりましたが、斎藤氏の本は、「日本の脱獄王 白鳥由栄の生涯」です。あれっ?どゆこと? これは、実在の人物の本名は、白鳥由栄で、吉村昭は、この白鳥をモデルに小説にしたものでした。(実は、斎藤氏のこの作品が書籍化されるのは、これが3度目です。最初に1985年に祥伝社から出版され、続いて、1999年に幻冬舎アウトロー文庫となり、そして今回です。)

 吉村作品と斎藤作品との違いは、フィクションかノンフィクションの違いにありました。その点について、御年81歳になられる斎藤充功氏が面白い逸話をメールで知らせてくれました。

 吉村作品は小説なので主人公は創作です。拙著は吉村作品(岩波書店)と、ほぼ同じ時期に刊行され、当時「小説」と「ノンフィクション」の違いが話題になった作品です。吉村さんとはこの作品が御縁になって、それ以来、交流が続きました。小生の作品の中で関心を持って頂いたのは「登戸研究所と中野学校」でした。ご本人も中野学校に関心大でしたが、残念ながら、「小説」は未完に終わりました。
 生前、吉村さんの井之頭公園の自宅で数十回会い、「小説」と「ノンフィクション」の違いについて大いに語りあった思い出があります。斎藤(※一部字句を改めております)

 へー、そうだったんですか。実に興味深いお話です。これも、小生が直接、著者の斎藤氏と面識があるからこそ得られた情報ですね。

浦和「金星」 肉汁つけ蕎麦 700円 安くて旨い

 さて、本書はとにかく読んで頂くしかありません。私もこの本を読むと、途中で喉がからからに乾いたり、狭いじめじめした薄暗い独房の中に閉じ込められて、閉所恐怖症になったような感覚に襲われました。

 脱獄王・白鳥由栄は1907年、青森県生まれ。33年に青森市内で強盗殺人の罪を犯すなど逮捕され、青森刑務所に留置。36年、ここを脱獄(1回目、28歳)。3日後に逮捕され、37年、宮城刑務所に移監。この後、東京の小菅刑務所を経て、41年に秋田刑務所に移監。翌年、ここも脱獄(2回目、34歳)。3カ月かけて東京・小菅に戻り、「待遇改善」を訴えて自首。43年、極寒の網走刑務所に移監。翌年、また、何とここも脱獄(3回目、37歳)。2年間、敗戦も知らず、山中の洞窟などで生活し、北海道砂川町で再び殺人を犯し逮捕。47年、札幌刑務所に移監。翌年、やれやれ、ここも脱獄(4回目、39歳)。翌年、札幌市内で逮捕され、48年、GHQの命令により、東京・府中刑務所に移監。61年、模範囚として仮出獄。79年、三井記念病院で心筋梗塞のため死去、行年71歳。

 ざっと、簡単に白鳥の略歴を並べました。これだけでは、白鳥は、殺人などの大罪を犯した極悪非道人で手の付けられない悪党と思われがちですが、本書を読むと、殺人の中でもやむにやまれぬ正当防衛的な情状酌量の余地があり、脱獄したのも、手錠や足枷を付けられ最低の食事しか与えられない待遇最悪の奴隷以下の独房生活の境遇をどうしても改善させたいという欲求が動機の一つにあり、白鳥の人間性に同情したくなります。

 著者の斎藤充功氏は、人一倍、この白鳥由栄に興味を持ち、4年以上、本人を探しまくり、1977年11月、御徒町にある三井記念病院に入院していた白鳥にやっと会うことが出来ます。それから、彼は何度も取材を続け、抜群に記憶力に優れた白鳥から脱獄の方法や脱走経路、逃亡先の生活などを聴きまくり、白鳥だけでなく、当時の刑務官や弁護士らも探し当てて取材し、まとめたのがこの労作だったのです。1977年といえば、著者の斎藤充功氏はまだ30歳代の若さです。怖いもの知らずで突撃取材したのでしょう。ノンフィクションというより、歴史的証言とも言うべきルポルタージュといった方が相応しいです。