宇宙はまだ未知数が多く、その一方希望もある=高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」

 高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」(PHP研究所、2022年10月10日初版)を読了しました。昨日は、法華経やマルクス主義の本を読んでいたかと思えば、今日は、宇宙論です。まさに乱読です。節操がない。恐らく、このブログを御愛読して頂いている皆さんは、ついていけないことでしょう。

 実は、私もそうです。知的好奇心と興味が赴くまま、手当たり次第に本ばかりに手を伸ばしていたらこうなってしまったのです。だから、頭で整理できないので、こうしてブログに書いて整理しているようなものです(笑)。

 でも、宇宙論は最後に残る究極の学問だと思います。宇宙論は数学、物理学、化学、生物学、天文学、量子力学、人類学、進化論、さらには医学といった理系だけでなく、文学、哲学、宗教学、はたまた経済学にも通じ、逆に総合知識がないと理解できない究極論だと思います。

 そんな宇宙論ですが、この本によると、人類は宇宙の物質に関してはまだ全体の5%未満しか分かっておらず、9割以上は未知の謎だらけというのですから、魂げます。182~183ページには、宇宙は、通常の物質4.9%、光と反応しない物質ダークマター28.8%、そして物質なのか分からない未知のエネルギで満たされたダークエネルギーと呼ばれるものが大半の68.3%で出来ている書かれています。

 通常物質というのは、元素で表され、私も大学受験で化学を選択したのでまだ覚えていますが、「スイヘイリーベ ボクノフネ」と覚えたH、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne…の元素の周期表は、宇宙で共通する元素が出来上がった順番で、宇宙の歴史そのものだというのです。へ~、それは知らなかった。そして、元素を分解すると、例えば、1番目の水素(H)は、陽子(プロトン)1、電子(エレクトン)1(質量数1.008)で出来ていますが、2番目のヘリウム(He)になると、陽子2,電子2,に中性子(ニュートロン)2が加わって出来ているので、質量数は4.003と水素の約4倍になります。この中性子というのは、陽子二つだと同じ電荷で強い斥力によって反発し合ってまとまらないため。クッション材として必要とされるというのです。

東京・大手町

 個人的ながら、虚無主義に駆られていた中学生時代にもっとこんな宇宙論を勉強していたら、虚無主義を克服して救われていたんじゃないかなあ、と思ったりします。もっとも、私が中学生時代は、宇宙は、ビッグバンから138億年で、地球はその3分の1の46億年といった基本的な数字すらまだ正確に解明できていなかったと思います。そして、太陽の寿命は最大でも150億年で、現在、太陽は50~60億歳と言われていますから、いつか太陽も消滅して、地球はその太陽の活動に完全に依存しているので、著者の高水氏は「太陽が死ねば、本質的に地球上の生命活動はなくなり、ただの鉄の塊の惑星が永遠に残るだけです」と遠回しに書かれております。要するに、泣こうが喚こうが、人類はいつか必ず滅亡するということなのでしょう。

 人類が絶滅すれば、経済活動どころか、文化も哲学も宗教も学業も定理も消滅することになります。となると、究極的な虚無主義になりますが、逆に言えば、どんなに有名になっても、どんなに大金持ちになっても、独裁者になって他国を侵略して英雄になっても、その財産も名誉も勲章も消えてなくなるということです。最初からなかったようなものです。世界は空であり、世界は無であるというのが、究極の真理だということになります。まるで、仏教思想みたいですが、このような物理学的宇宙論に中学生の時に触れていたら、あそこまで落ち込んで虚無的にはならなかったろうになあ、と今でも思ったりします。

 著者の高水氏は、英ケンブリッジ大学理論宇宙センターに所属し、あのホーキング博士に師事したといいます。1980年生まれで、まだ40歳代の方ですが、子どもの頃は星座や天文学ではなく、アインシュタインの相対性理論の方に興味があり、手塚治虫の漫画で読んだことでハマってしまい、宇宙論を専門にするようになったといいます。

 私は、相対性理論は一般も特殊も何も理解していないので、アインシュタインといえば、雲の上の大天才だと思っていましたが、そのアインシュタインでさえ間違うこともあるんですね。その一つ。アインシュタインは、「宇宙は静かで大きさは変わらない」と宇宙定数理論を考えていたのです。が、その後、ハッブルらの観測によって、宇宙は膨張していることが判明しました。その反対で、アインシュタインが一般相対性理論として「予測」していたブラックホールは、その後すぐにドイツ人物理学者によって発見され、2019年には、イベント・ホライズン・テレスコープによって人類初めてブラックホールの撮影に成功しています。

 このように、宇宙は、まず理論が先行して、観測によって証明されることによって解明されてきましたが、近年では、機器が精巧になったお蔭で、観測が先行して解明されることが多いようです。

新富町「美好弥」美好ランチ880円 あっ!スパゲティが付いていなかった! お店の人に言えなかったあ~

 さて、宇宙は、このように、訳が分からないダークマターだの、地獄の奈落の底のようなブラックホールなどで出来ていて、何んともおっとろしい世界のように感じてしまいますが、実は光明もあります。この本に沢山書かれているたった一つだけ、取り上げますと、非常に強力な重力場を与えている環境は、モノを高速で回転させることが可能なので、例えば、ブラックホールをエネルギーとして活用する道があるというのです。「うまく軌道を計算し、利用することで、一種の発電所のように、ブラックホールの重力をエネルギーに変換することができるかもしれません」と著者の高水氏も書いています。エネルギー問題の救世主です。

 なるほどねえ。確かに、いつかは地球は消滅し、そこに棲む生命体も絶滅する運命かもしれませんが、生きている限り、何とか努力したり、改良したり、問題を解決したり、発展させたりするのが、生態系ピラミッドの頂点に立つ人類の役目なのかもしれません。

 万物は流転し、いずれ、全てのものが無に帰することが真理ならば、嫉妬や憎悪や怒りや迷いといった負の感情もなくなることでしょう。別に齷齪したり、虚無的になったりする必要はないのです。

東京の川や堀は米軍空襲の残骸で埋め立てられていたとは!=鈴木浩三著「地形で見る江戸・東京発展史」

 斎藤幸平著「人新世の『資本論』」(集英社新書)は3日ほどで急いで読破致しました。仕方がないのです。図書館で借りたのですが、2年ぐらい待たされて手元に届き、しかも、運が悪いことに、他に2冊、つまり3冊同時に図書館から届いたので、直ぐ返却しなければならなかったからです。

 でも、私は若き文芸記者だった頃、月に30冊から50冊は読破していた経験があるので、1日1冊ぐらいは平気でした。歳を取った今はとても無理ですが…。

 斎藤幸平著「人新世の『資本論』」についての感想は、先日のブログで書きましたので、本日は、今読み始めている鈴木浩三著「地形で見る江戸・東京発展史」(ちくま新書、2022年11月10日初版)を取り上げることに致します。(これも図書館から借りました)

 著者の鈴木氏は、東京都水道局中央支所長の要職に就いておられる方で、筑波大の博士号まで取得された方です。が、大変大変失礼ながら、ちょっと読みにくい本でした。内容が頭にスッと入って来てくれないのです。単なる私の頭の悪さに原因があるのですが、あまりにも多くの文献からの引用を詰め込み過ぎている感じで、スッと腑に落ちて来ないのです。とは言っても、私自身は、修飾語や説明がない固有名詞や歴史的専門用語でも、ある程度知識があるつもりなのですが、それでも、大変読みにくいのです。何でなのか? その理由がさっぱり分かりません…。

 ということで、私が理解できた範囲で面白かった箇所を列挙しますとー。

・江戸・東京の地形は、JR京浜東北線を境に、西側の武蔵野台地と、沖積地である東側の東京下町低地に大きく分けられる。赤羽~上野と田町~品川~大森間では、京浜東北線の西側の車窓はには急な崖が連続する。…この連続した崖が、武蔵野台地の東端で、JRはその麓の部分を走っている。(17ページ)

 ➡ 私は京浜東北線によく乗りますので、この説明は「ビンゴ!」でした。特に、田端駅の辺りは、西側が高い台地になっていて、かつては芥川龍之介の住まいなどもありました。一方、東側は、まさに断崖絶壁のような崖下で、今はJR東日本の車輛の車庫か操作場みたいになっています。東側は武蔵野台地だったんですね!上野の寛永寺辺りもその武蔵野台地の高台に作られていたことが車窓から見える寛永寺の墓苑を見ても分かります。

・江戸前島は、遅くとも正和4年(1315年)から鎌倉の円覚寺の領地だったが、天正18年(1590年)に徳川家康が関東に入府した後、秀吉が円覚寺領として安堵していたにも関わらず、家康が“実行支配”し、江戸開発の中心にした。江戸前島は、本郷台地の付け根部分で、現在の大手町〜日本橋〜銀座〜内幸町辺り。(47〜50ページなど)

 ➡︎ 江戸前島は、日本橋の魚河岸市場や越後屋などの商店が軒先を連なる町人の街となり、銀座はまさしく銀貨鋳造所として駿府から移転させたりしました。江戸前島の西側は日比谷入江という浅瀬の海でしたが、神田山から削った土砂で埋め立てられました。現在、皇居外苑や日比谷公園などになっています。江戸時代は、ここを伊達藩や南部藩など外様の上屋敷として与えられました。当時は、埋め立てられたばかりの湿地帯だったので、さすがに仙台伊達藩は願い出て、上屋敷を新橋の汐留に移転させてもらいます。この汐留の伊達藩邸(現日本テレビ本社)には、元禄年間、本所吉良邸で本懐を遂げて高輪泉岳寺に向かう忠臣蔵の四十七士たちが途中で休息を求めて立ち寄ったと言われています。

・江戸城防御のため、家康は江戸城南の武蔵野台地東端部に増上寺、北東の上野の山の台地に寛永寺を建立した。寺院の広大な境内は、軍勢の駐屯スペース、長大な堀は城壁、草葺などが一般的だった時代の瓦葺の堂塔は「耐火建築物」だった。(50、76ページなど)

 ➡天海上人の都市計画で、特に北東の鬼門に設置された寛永寺は「鬼門封じのため」、南西の裏鬼門に建立された増上寺は、「裏鬼門封じのため」と言われてきましたが、それだけではなかったんですね。増上寺は豊臣方が多い西国の大名が攻め上ってくる監視、寛永寺は伊達藩など奥州から来る軍勢を防ぐ監視のための軍事拠点として置かれていたとは! それぞれ、上野の山、武蔵野台地と高台を選んで設置されたことで証明されます。

 ・東京の都市としての構造や骨格は、江戸時代と連続性があるどころか、実は少しも変わっていないものが多い。…その背景には、江戸幕府から明治新政府になっても、社会・経済システムの多くがそのまま使われ続けたことにあった。明治維新の実態は「政権交代」に近かった。(176,181ページなど)

 ➡この説は大賛成ですね。明治維新とは薩長藩などによる徳川政権転覆クーデターで、新政府は政経システムもそのまま継承したことになります。江戸城は皇居となり、江戸城に近い譜代大名の上屋敷は霞ヶ関の官庁街や練兵場になったりします。外務省外周の石垣は福岡黒田藩の上屋敷時代のものが引き継がれているということなので、今度、遠くから見学に行こうかと思っています(笑)。築地の海軍兵学校は、尾張家、一橋家などの中屋敷跡だったとは…。他に、小石川・水戸家上屋敷→砲兵工廠→東京ドーム、尾張家上屋敷→仮皇居→赤坂御用地などがあります。

 ・昭和20年、米軍による東京大空襲で、都市部の大部分は焦土と化した。…GHQは、東京都に対して、大量の残土や瓦礫を急いで処理するよう命じた。東京はてっとり早く外濠に投棄することを決定した。(196ページ)

 ➡関東大震災の際の瓦礫は、後藤新平東京市長の原案で、埋め立てられたり、整備されたりして「昭和通り」になったことは有名ですが、東京空襲の残骸は、外濠埋め立てに使われたとは知りませんでしたね。それらは、現在の「外堀通り」なったりしてますが、真田濠が埋め立てられて、四ツ谷駅や上智大学のグラウンドになったりしております。そう言えば、銀座周辺は、かつて、外濠川、三十三間堀川、京橋川、汐留川、楓川など川だらけで、水運交通の街でしたが、空襲の瓦礫などでほとんどが埋め立てられ、(高速)道路などに変わってしまいました。(戦災後だけでなく、昭和39年の東京五輪を控えての都市改造もありました)まあ、都心の川や堀がなくなってしまうほど、カーティス・ルメイ将軍率いる米軍の東京爆撃が酷かった(無辜の市民10万人以上が犠牲)と歴史の教科書には載せてもらいたいものです。

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斎藤幸平著「人新世の『資本論』」を読みながら考えたこと

  3年前に大ベストセラーになった斎藤幸平著「人新世の『資本論』」(集英社新書・2020年9月22日初版)を今頃になって読んでおります。図書館で予約したら、やっと届いたからです。大ベストセラーなので、予約者数が甚大で、手元に届くのに2年ぐらい掛かったということになります(苦笑)。

 「そんなら買えよ!」と皆様方からお叱りを受けるかもしれませんが、私はへそ曲がりなので、基本的にベストセラー本は買わない主義でして…(苦笑)。大抵は図書館で借ります。もし、その本があまりにも面白ければ、敢えて、購入します。例えば、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」などです。この本にすっかり感銘を受けて、同じ著者の「ホモ・デウス」や「21世紀の人類のための21の思考」などはせっせと購入しております。ただ、あまり本の収集癖がなく、自宅も狭いので、それほどの蔵書はありません。古書店に売ってしまったりもします。

東銀座

 さて、「人新世の『資本論』」を読み始めて、何でこんな難解な本が大ベストセラーになるのか不思議でした。同時に、日本人というのは大の読書家=勉強家で、捨てたもんじゃないなあ、と見直してしまいました。

 この本は、「地球環境危機を救うには、マルクス主義しかない」という結論に行きつくと思われ、私自身はそれに関しては懐疑的なので、全面的に賛同しながら読んでいるわけではありません。著者の斎藤氏は、天才学者の誉が高いようですが、1987年生まれということで、学園紛争や連合赤軍事件(1972年)などは生まれる前の話ですし、天安門事件やベルリンの壁崩壊(1989年)、ソ連邦崩壊(1991年)は幼児で同時代人として体験した感覚はないと思われるので、世代間ギャップを感じます。勿論、良い、悪いという話では全くなく、学者ですから文献を読めば、いくらでも習得出来るので、同時代人として経験しようがしまいが関係ないとも言えますが。

 ただ、1950年代生まれの私たちの世代は、悲惨な戦争体験をした1920年代生まれの親から話を聞いたり、赤紙一枚で一兵卒として召集された伯父なんかはシベリア抑留の苛酷な体験もしたりしているので、どうも、共産主義、全体主義には皮膚感覚でアレルギーがあります。中国共産党の毛沢東も大躍進政策や文化大革命等で数千万人の国民を死に追いやったという説も同時代人として見聞しました。1980年代生まれの斎藤氏の世代では分かり得ないアレルギー感覚だからこそ、このような本を著すことができるのではないか、とさえ思ってしまいます。

東銀座

 などと、書いて、この本の評価を貶めようとしているわけではありません。これだけの大ベストセラーになるわけですから、読む価値はあります。著者は、万巻の書籍を読破して、さまざまな提言しています。例えば、

 「私たちが、環境危機の時代に目指すべきは、自分たちだけが生き延びようとすることではない。それでは、時間稼ぎは出来ても、地球はひつしかないのだから、最終的には逃げ場がなくなってしまう。…今のところ、所得の面で世界のトップ10~20%に入っている私たち多くの日本人の生活は安泰に見える。だが、このままの生活が続ければ、グローバルな環境危機はさらに悪化する。(111ページ)

 「無限の経済成長を目指す資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる。」(118ページ)

 といった提言は、大いに賛同します。仰る通り、このままだと人類は遅かれ早かれ確実に滅亡します。しかし、その改善策として、著者の言うところのケインズ主義では駄目で、マルクス主義しかない、とまでは私自身は飛躍しません。反体制派の人間らを強制収容所に連行したり、計画経済が失敗して何百万人もの自国民を虐殺したり、餓死させたりしたソ連のスターリンも、先述した毛沢東も、本当のマルクス主義者ではなく、マルクスは、独裁のために虐殺してもいい、なんて一行も書いていないと言われても納得できません。マルクス本人が意図しなかったにせよ、マルクス思想が独裁者の理論的支柱となり、政敵を粛清する手段として利用されたことは歴史が証明しているからです。

 と、またまたここまで書きながら、グローバリゼーションと地球環境破壊と資本主義の矛盾による格差社会の現代、マルクスはそれら危機を打開してくれる福音書のように、苦しむ勤勉な若者たちの間で読まれているという現実が一方にあることは付記しておきます。

 「人間の意識が存在を規定するのではなく、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」(カール・マルクス=1818~83年、享年64歳)

 

 

杉田敏著「英語の極意」から連想したこと

 あれから、杉田敏著「英語の極意」(集英社インターナショナル新書)を読んでいます。2023年4月12日初版ですから出たばかりです。私は、杉田先生のNHKラジオ「ビジネス英語」で勉強させて頂いたお蔭で、かなり英語が上達したと思っておりますので、お会いしたことはありませんが、勝手に師として仰いでおります。

 そんな杉田先生が、どのようにして英語を獲得されたかと言えば、毎日、必ず、ニューヨーク・タイムズを始め、英字紙3紙以上に目を通されたりしている不断の努力の賜物なのですが、それ以外に、ただ闇雲に単語や文法を覚えるのではなく、英語という言語の裏に隠された「文化」を知るべきだ、とこの著書で「極意」を明かしているのです。

 その文化として杉田氏が挙げているのは、順不同で、聖書、シェークスピアの作品、ギリシャ神話、イソップ寓話、ことわざ、スポーツ用語、広告コピーなどです。欧米人ならお子ちゃまでも知っている格言、成句、聖句の数々です。

 まあ、日本人も「鬼に金棒」とか「早起きは三文の得」とか普段の会話などにも使ったりしてますからね。

 となると、英語上達の早道は、聖書やシェークスピアなどを英語で読むことかもしれません。特に聖書は、言語だけでなく、泰西美術(西洋絵画)を鑑賞したり、バッハを始めクラッシックを聴く際は必須で、聖書を知らないと話になりません。

 残念ながら、と言う必要はありませんが、英語には、当然のことながら、仏教用語やイスラム教用語は格言としてあまり取り入れていません。ただ、The nail that sticks out gets hammered down. は、日本のことわざ「出る杭は打たれる」を翻訳して取り入れたものだと杉田氏は言います。

 聖書やシェークスピア以外で、「イソップ寓話」が結構、英語に取り入れられていたとは、少し意外でした。「アリとキリギリス」や「オオカミ少年」などは日本人でも知っていますが、「キツネとブドウ」から取られたsour grapes(酸っぱい葡萄)などは格言にもなっています。

 そしたら、この「イソップ寓話」は、定説ではありませんが、紀元前6世紀頃の古代ギリシャのアイソーポスという名前の奴隷がつくったという説があるというのです。たまたま、私自身は、3月から4月にかけて、植木雅俊訳・解説の「法華経」をずっと読んでいたのですが、この法を説いたお釈迦さまは、紀元前565年に誕生して紀元前486年に入滅されたという説があるので、イソップ(アイソーポス)とほぼ同時代の人ではありませんか! 仏教のお経が何百年にも渡ってお経が書き続けられたように、イソップ寓話も何百年にも渡って、物語が書き続けられたという点も似ています。

 お釈迦さまは6年間の厳しい厳しい苦行の末、覚りを開かれましたが、イソップさんも、奴隷だったとすれば、厳しい苛酷な肉体労働を強制されて、つかの間の休憩時間に物語を生み出したのかもしれません。

 お経は宗教書ですが、イソップ寓話は子どもでも分かる教訓書になっていて何千年も読み継がれ、語り継がれました。となると、イソップ寓話も人類の文化遺産であり、仏教書に負けずとも劣らず人類に影響を与え続けて来たと言っても過言ではないでしょう。

 さて、ここで話はガラリと変わりますが、先日、テレビで古代エジプトの悲劇の少年王ツタンカーメンの特集番組を見ました。このツタンカーメンは、父アクエンアテン王が宗教改革を断行して、多神教から太陽神だけを祀る一神教にしたため、大混乱に陥った最中の紀元前1341年に誕生したと言われます。父王の死後、9歳で即位し、戦闘中での膝の傷から感染症が悪化して20歳前後で亡くなったという波乱の生涯をやっておりました。(ツタンカーメンの死後、クーデターで実権を握って王になった最高司令官ホルエムヘブが、ツタンカーメンを歴史上から抹殺したため、長年、その存在が忘れ去られ、奇跡的にほぼ無傷で20世紀になって墳墓が発掘されました。)

 私はテレビを見ていても、法華経を説いた仏陀=お釈迦さまのことが頭から離れずにいたので、「あっ!」と小さく叫んでしまいました。

 当たり前の話ですが、紀元前1341年生まれの古代エジプト王のツタンカーメンにとって、釈迦は、自分より約800年も先に生まれる「未来人」に当たるわけです。逆に人間お釈迦さまにとっては、ツタンカーメンは800年も前の昔の人で、恐らく、その存在すら知らなかったことでしょう。

  つまり、何が言いたいのかと言いますと、古代エジプト文明から見れば、お釈迦さまは、意外にも「最近」の人で、仏教も新しいと言えば、新しい。キリスト教はまだ2000年しか経っていないからもっと新しい、といった感慨に陥ったのでした。

 Art is long, life is short.  芸術は長く、人生は短し。(紀元前5~4世紀 ギリシャの医者ヒポクラテス)

 

観音さまは古代ペルシャの神様だったのか?

 相変わらず、植木雅俊=翻訳・解説「サンスクリット版縮訳 法華経」(角川ソフィア文庫)を読んでおります。「読む」などと書きますと、怒られるかもしれませんが、首を垂れながら、熟読玩味させて頂いております。これまで、法華経は部分訳で読んだことはありますが、この本で初めて「全体像」を把握することが出来ました。

 法華経は、本来なら、「神力品」の次に「嘱累品(ぞくるいぼん)」で完結していましたが、後世になって「陀羅尼品」から「普賢品」まで六つの章が付け足されたということも、この本で私は初めて知りました。

 翻訳された植木氏も、解説の中でさまざまな矛盾を指摘されております。例えば、最古の原始仏典「スッタニパータ」に著されているように、釈尊は占いや呪法を行ったりすることを禁止しておりました。それなのに、後世に付け加えられた「陀羅尼品」の中では、法華経信奉者を守護する各種のダーラニー(呪文)が列挙されます。

 また、同じく付け加えられた「薬王菩薩本事品」の中では「説法の場に女性がいない」と書かれていますが、本来の法華経の冒頭では、魔訶波闍波提(マハー・オウラジャーパティー)=女性出家第一号=や耶輸陀羅(ヤショーダラー)=釈迦の妃で、十大弟子の一人になった羅睺羅の母=ら何千人もの女性出家者が参列しています。植木氏の解説によると、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経のいずれにも、説法の場に女性が含まれておらず、「『無量寿経』で阿弥陀如来の極楽浄土には女性が皆無とされていることと関係があるかもしれない」(356ページ)と書かれています。

 えっ?西方極楽浄土には女性はいないんですか!? 

 翻訳・解説の植木氏は、どうも浄土教系とは距離を置いている感じで、「極楽(スカーヴァティー)世界」についても、法華経の中では、後世に付け加えられた「薬王菩薩本事品」と「観世音菩薩普門品」しか出て来ない。「何の脈絡もなく阿弥陀如来が出てきて、唐突さが否めない」(356ページ)とまで書いておられます。よほど腹に据えかねたのでしょうか?

 いつぞやもこのブログで書きましたが、お経は、お釈迦様御一人が語られたものだけでなく、多くの弟子たちが「如是我聞」ということで、書き足されたことは確かなので、私なんかそれほど目くじらを立てることもないと思ってしまいます。が、人文科学者として正しい行いであり、正確を期する意味では有難いことだと感謝しています。

 さて、これまたいつぞやにも書きましたが、釈迦入滅後の56億7000万年後に如来(仏陀)となるあの弥勒菩薩が「名声ばかり追い求める怠け者だった」と「序品」で明かされたことは衝撃的でした。あの有名な京都・太秦「広隆寺」の弥勒菩薩半跏思惟像は、個人的にも特別に尊崇の念をもって拝顔しておりましたので、少しショックでした。法華経で、弥勒菩薩の「過去」を暴かれたことについて、翻訳・解説の植木氏は「イランのミトラ神を仏教に取り入れた当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれていたので、気になって調べたら、色んなことが分かりました。

 このミトラ神とは、古代ペルシャ(イラン)の国教になったゾロアスター教の聖典「アヴェスター」に出て来るらしく、ミトラは、閻魔大王のような、人の死後の判官だったというのです。また、ゾロアスター教の創造主はアフラマズターと呼ばれ、この神が仏教では大日如来の化身となり、アフラマズダ―の娘で水の女神アナーヒターが、仏教では観音菩薩になったという説があるというのです。

 観音菩薩は、勢至菩薩とともに、阿弥陀如来の脇侍に過ぎないのですが、日本の仏教では、「観音さま」として特別に信仰が深いのです。33のお姿を持ち、全国では千手観音像や如意輪観音像や聖観音像などを御本尊としておまつりしている寺院が圧倒的に多いのです。あらゆる苦しみ、恐怖、憂いを消滅させてくれる菩薩さまだと言われております。その観音さまが、もともとはゾロアスター教のアナーヒター神だったとすると、驚くばかりです。

 また、仏教に影響を与えたバラモン教(聖典「リグヴェーダ」)の最高神ブラフマーは、仏教では梵天、ブラフマーの娘である河の女神サラスヴァティは弁財天の化身だという説もあるようです。

 バラモン教が創始されたのは紀元前1500年以降、ゾロアスター教は紀元前1400年以降、仏教は紀元前500年以降と言われているので、仏教はバラモン教(ヒンズー教)やゾロアスター教などを取り入れたことは確実ですが、とにかく、奥が深い世界です。

 (ただし、植木氏は「観世音菩薩普門品」の解説の中で、「架空の人物である観世音が、歴史上の人物である釈尊以上のものとされる本末転倒がうかがわれる」と批判されてます。)

心の安寧を求めて法華経に学ぶ

 相変わらず、植木雅俊訳・解説のサンスクリット版縮訳「法華経」(角川ソフィア文庫)を少しずつ読み続けております。

 「はじめに」によると、「法華経」が編纂されたのは、紀元1世紀末から3世紀初めのガンダーラを含むインド西北だと考えられ、釈尊が入滅して500年も経過していたといいます。となりますと、21世紀に生きる人文科学者たちには、当然のことながら、このお経は、歴史上の実在人物である人間ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が一人で直接、本当に説法したものではなく、後世の弟子たちによって創作されたものも含まれているのではないかという疑念が生じることでしょう。

 私は、仏教を信仰する信者、信徒、門徒の人たちや僧侶に怒られるかもしれませんが、それでも構わないと思っております。いくら超天才のお釈迦様でも、万巻のお経を全て自ら独りで著すことは物理的にも無理でしょうから。お経に関しては、最初にまとめられたとされるお経は「阿含経」と言われ、小乗仏教の経典になりますが、次第に厳しい苦行を経て修行した一部の者しか成仏できず、女性が成仏できるわけがないという差別的、特権階級的宗教になってしまいました。それが、西暦紀元前後から大乗仏教運動が起こり、「般若経」を始め、「法華経」「維摩経」「阿弥陀経」など多くの経典がつくられます。それは、一言で言えば、特別な人ではなく、老若男女のあらゆる衆生が身分や階級の差別がなく成仏できるという本来釈迦が唱えた「原始仏教」に帰れといった運動でした。

 よく誤解されますが、成仏というのは、死んだ後にあの世に行って仏になるという意味ではなく、全ての人には仏になれる性質、つまり「仏性」を持っているので、本来自分自身に備わっている仏性に目覚めて、現実世界で悩みや苦しみを乗り越えて生を充実させる生き方を覚ることが成仏と言われています。特に、この「法華経」には、成仏のための方便が描かれています。訳者の植木氏によると、この方便とは、ウパーヤの漢訳で、ウパは「近くに」、アヤは「行くこと」で「接近」を意味し、英語のアクセスに当たるといいます。仏典では、衆生を覚りへと近づけるための最善の方策、という意味で使われます。

 法華経は、特に日本の仏教にも影響を与え、天台宗と日蓮宗が所依経典としています。(真言宗は紀元6世紀頃につくられた密教の「大日経」などを所依経典とし、浄土宗、浄土真宗などは、「阿弥陀経」など浄土三部経を所依経典とし、臨済宗、曹洞宗の禅宗には所依経典がないといいます。)

 実は、私は、この法華経を、ひとかけらの批判精神もなく、ただただ盲目的に信じて一言一句を読みながら、脳裏に焼き付けているわけではなく、取り敢えず、初めて遭遇する専門的な仏教用語に悪戦苦闘しながら、読み続けております。それでも、植木氏の翻訳と解説が大変分かりやすいので、本当に読み易くて助かっております。(私が購入した本は、2022年11月25日発行で、何と16刷です。かなり多くの人が「法華経」を求めていることが分かります)

 さて、やっと本文に入ります。第7章の「化城喩品(けじょうゆぼん)」には、16人の王子たちが、この上もなく正しい覚りを得て仏陀(如来)になった様が描かれています(140~141ページ)。何処に、どなた様がいらっしゃるかと言いますとー。

【東】歓喜の世界

(1)阿閦(あしゅく)如来

(2)須弥頂如来

【東南】

(3)獅子音如来

(4)獅子相如来

【南】

(5)虚空住如来

(6)常滅如来

【西南】

(7)帝相(たいそう)如来=インドラ神の旗を持つ

(8)梵相如来=ブラフマー神の旗を持つ

【西】

(9)阿弥陀如来

(10)度一切世間苦悩如来

【西北】

(11)多摩羅跋栴檀香神通(たまらばつせんだんこうじんつう)如来

(12)須弥相如来

【北】

(13)雲自在如来

(14)雲自在王如来

【東北】

(15)壊一切世間怖畏(えいっさいせけんふい)如来

【中央】娑婆(しゃば)世界

(16)釈迦牟尼如来

 やはり、法華経でも、西方の極楽浄土にいらっしゃるのは阿弥陀如来だったことが説かれています。そして、お釈迦さまがいらっしゃるのは、中央の娑婆世界だったとは! 娑婆とは、刑務所用語かと思っていました。いや、訂正して撤回致します。これは、これは、罰当たりなことを申して大変失礼致しました!

 この如来様の配置図で、法華経が分かったつもりになって安心していたら、第15章の如来寿量品(第十六)の植木氏の解説(273ページ)を読むと「あっ」と驚くことが書かれていました。

  歴史的に実在した人物は釈尊のみであった。「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのだ」という西洋の言葉と同様に、釈尊以外の仏・菩薩は人間が考え出した架空の人物である。 

 えっ!? 本当なのでしょうか? もし、そうなら、釈迦如来の脇侍である文殊菩薩も普賢菩薩も架空だということなのでしょうか? 特に、「智慧第一」の文殊菩薩は、釈迦の弟子マンジュシリーの名で、この法華経にも何度も登場しますが…。

 その一方、弥勒菩薩は、釈尊入滅後の56億7000年後に現れる未来仏と言われていますが、こちらは、どうも、実在するとは思えません。何故なら、地球が誕生して46億年しか経っていないこと、そして、太陽の寿命から、地球の寿命もあと50億年しかもたないことを現代人は知ってしまっているからです。

 それに、法華経序品で描かれるマイトレーヤ(弥勒)菩薩は、意外にも、心もとない菩薩として描かれていて驚いてしまいました。つまり、弥勒菩薩の過去は、名声ばかりを追い求めて、怠け者だったというのです。植木氏の解説では、「これは、歴史上の人物である釈尊を差し置いて、イランのミトラ神を仏教に取り入れて考え出されたマイトレーヤ菩薩を待望する当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれています。古代ペルシャ(イラン)の宗教の中にはゾロアスター教も含まれています。ゾロアスターとは、ニーチェの言う「ツァラトゥストラ」です。

 なるほど、そういうことでしたか。仏教は、今から2500年前に、ジャイナ教やバラモン教などの影響を受けながらお釈迦さまによって創始されましたが、その後、ゾロアスター教やヒンズー教(密教)を取り入れて変容していきました。色んな経典が出来たのも、そのためなのではないかと思われます。

 法華経は、日本人が最も影響を受けた経典の一つであることは間違いなく、私自身は、先人に倣って、謙虚に学んでいきたいと思っております。

 それなのに、仏教が生まれた本国インドでは、仏教は下火となり、厳しいカースト制度のあるヒンズー教が現在、優勢になっているのはどうしてなのか? 人間とは差別、身分社会こそが本来の姿なのか? 格差がないと、観光資源になるような文化は生まれて来ないのか? 仏教はあまりにも平等思想を吹き込み過ぎたのか? 仏教の説く覚りは、やはり、煩悩凡夫では無理で、次第に人々の心から離れて行ってしまったのか? そもそも、人類にとって、救済とは何か?ーまあ、色々と考えさせられながら、今、法華経を読んでおります。

「猿族」で最も劣る人類が何故、生物の頂点に立てたのか?

 私が子どもの頃に観た「猿の惑星」(1968年)は今でも忘れられない映画です。衝撃的なラストシーンは、本当に「あっ」と驚きましたが、それ以上に、ヒト種族の人間が、他のオラウータンやゴリラやチンパンジーなどの猿に体力的にも知的にも劣る「下等動物」として奴隷のような扱いを受けている姿は、本当に衝撃的でした。

 原作となったピエール・ブールの同名SF小説(1963年発表)は読んだことはありませんが、内心では全くあり得ない、実に荒唐無稽な、科学的根拠のない全くのフィクションだと思い込んでいました。

 しかし、実はそうではなかったんですね。ピエール・ブールは正しかった。実際、人類は、いかなる猿にも劣る生物として誕生したのです。このことは、ゴリラ研究の世界的権威である山極寿一・元京大総長による論文や新聞記事で知りました。

 山極氏によると、人類が、同じ霊長類であるチンパンジーから分岐して誕生したのが、約700万年前のことでした。その時の人類は、同じ「猿族」の中で、木登りも下手くそで、走るのも遅く、体力的にも、そして脳の容量という意味で知的にも最も劣る、いわば最低の「猿」だったようです。何で、そんな下等動物が、生物界の頂点に立つとは不思議の中の不思議です。(結局は、「進化」がポイントになったのでしょう)

 人類の脳がゴリラより大きくなり始めたのは、今からやっと200万年前だったといいます。やはり、ピエール・ブールのSFは荒唐無稽ではなかったんですね。人類誕生して500万年間は、いわゆる「下等動物」だったことになります。そして、現代人並みの脳の容量が達成したのは約40万年前です。ちょうど、ホモ・サピエンスが誕生した時期と重なります。(サピエンス誕生は30万年前という説も有力ですが、それでも、脳の容量はネアンデルタール人より少なかったのです)

 さらに、我々が話しているような言語が登場したのは、7万年前だと推測されると山極氏は言います。人類が700万年前に誕生したとすれば、「人類の進化史の99%は言葉なしに暮らしていた」ことになります。

 その間、身振り手振りやアイコンタクトや雄叫びとやらでお互いにコミュニケーションを図っていたんでしょう。山極氏は面白いことを言っております。化石人類の頭骨の大きさから、当時の集団サイズの大きさを算出したところ、10~15人だったといいます。これは初期の人類がゴリラと同じぐらいの脳のサイズだったことから算出されました。200万年前に脳が大きくなり始めた頃には、集団は30人となり、現代人の1400ccぐらいの脳サイズの集団は150人ぐらいのサイズになったといいます。

 この150人の集団サイズは、現代でも狩猟採集生活を続けている民族でも大体それぐらいだ、と文化人類学者は報告しています。つまり、7万年前に言葉が登場し、1万2000年前に農耕牧畜が始まる前まで、人類は150人ほどの集団で暮らしていたと考えられるというのです。

 面白いことに、スポーツの団体競技で、サッカーは11人、ラグビーは15人です。20人とか30人とかの集団になるとやっていけないようなのです。15人なら、人類がいまだ言葉を持たなかった時の集団サイズと一致します。ということは、15人というのは、競技中は、言葉が通じないので、身振り手振りやアイコンタクトでコミュニケーションをせざるを得ない、その限界値だということになります。

 200万年前に人類の脳が大きくなり始めた時、集団は30人とか50人になりました。これは学校のクラスや宗教の布教集団、軍隊の小隊の数に一致します。

 そして、現代人の脳の大きさに匹敵する150人という集団サイズは、過去に喜怒哀楽を共にし、スポーツや音楽などで身体を共鳴して付き合った仲間で、まさに信頼できる仲間の数の上限だと山極氏は言います。

 つまり、FacebookやYouTubeなどでフォロワーがたとえ10万人、100万人いたとしても、面識があるわけではなく、本人の手に余るということなのでしょう。脳の限界だからです。

 こういう話って、面白くありませんか? 私なんか、面白い話は、他の人にもどんどん喋りたくなります。この話は、せめて150人ぐらいの読者の皆様に届けば、大変嬉しい限りです(笑)。

【追記】

 山極寿一氏の発言の主な部分は、2022年7月6日に東京・日仏会館で行われた講座記録から引用させて頂きました。

 話し言葉は7万年前に生まれたとしたら、その一方、文字ともなりますと、世界で最も古い文字は、今から5000年から3000年前になります。エジプトのヒエログリフ、メソポタミア・シュメールの楔形文字、中国の甲骨文字です。それ以前、4万年前から1万年前の欧州の氷河期の洞窟に文字らしきものが発見されたようですが、人類の歴史のほとんどが、話し言葉も書き言葉もなかったことに変わりありませんね。

【追記2】2023年4月4日

 思い出しました。私の大学時代のクラスは15人でした。言語もなかった初期人類の最大集団が15人でした。語学専門だったので、クラス15人は、その限界値だったのか、と改めて目を見張りました。

運慶作「国宝 大日如来坐像」(奈良・円成寺)のモデルを入手できました

 昨日はランチで、新橋にある「奈良まほろば館」に行って参りました。奈良まほろば館は、いわゆる奈良県の物産店ですが、店内には簡単に飲食出来るコーナーもあります。ここの「柿の葉寿司セット」が食べたくなったのでした。

 奈良には何度か行きましたが、どういうわけか真夏の思い出が多く、暑い最中を汗を拭き拭き、寺社仏閣巡りをするのですが、その近くで食べた柿の葉寿司やかき氷の方が寺社仏閣よりも印象に残ったりしてます。…駄目ですねえ。

新橋「奈良まほろば館」柿の葉寿司セットランチ

 食事を終えて、物産店ですから、ちょっと店内をひやかすことにしました。お菓子や素麺とかの土産物がありましたが、一番目を引いたのが仏像でした。以前、東京国立博物館でも展覧会が開かれた聖林寺の国宝「十一面観音像」もありましたが、確か、33万円! とても手が出ません(苦笑)。有名な興福寺の国宝「阿修羅像」もありましたが、こちらも30万円ぐらい。う-ん、これも、ちょっと…。

 そしたら、それらの隣にミニチュアの「大日如来像」がありました。こちらは、十一面観音像の10分の1以下の値段。それでも、結構高額なんですが、これなら手が届きます。それに、今の私の精神状態は、神仏に縋りついてでも、心の平安を渇望しているので、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、思い切って購入してしまいました(頭記写真)。

 そして、色々と調べてみましたら、この大日如来像のモデルは只者ではなかったのです。あの仏師運慶(?~1223年)のデビュー作だったのです!奈良市にある円成寺の国宝に指定されている大日如来坐像だったのです。平安時代末期の安元2年(1176年)の制作で、運慶がまだ20代の若々しさに溢れた仏像彫刻です。もう850年近い年月が経っているので、本物(高さ98.8センチ)は、金箔らしきものが剥げ落ちて黒くなっていますが、私が購入した「モデル」は、高さわずか9.5センチ。柘植の木肌が輝くようで、全く別物のような感じですが、そこはかとなく威厳さが漂っています。(MORITA社仏像ワールド製)

水仙

 しかも、智拳印が結ばれ、御顔立ちが綺麗で、御利益(精神的幸福)もありそうで、一心不乱に拝めそうです。大日如来は、真言密教における一切諸仏諸尊の根本仏ですが、私の干支の守護仏にもなっているようです。

 ちなみに十二支の守護本尊とは、千手観音菩薩(子歳)、虚空蔵菩薩(丑/寅歳)、文殊菩薩(卯歳)、普賢菩薩(辰/巳歳)、勢至菩薩(午歳)、大日如来(未/申歳)、不動明王(酉歳)、阿弥陀如来(戌/亥歳)となっております。

 人間はか弱い動物ですから、本当に苦しいときは、神仏に縋って、拝むか祈るしかありませんからね。

老若男女、身分の差別なく覚りを啓くことが出来る思想

 現在再放送中のNHK「100分de名著」の「日蓮の手紙」の著者植木雅俊氏は「そもそも『浄土』という言葉は、『阿弥陀経』のサンスクリット原典にも鳩摩羅什(による漢)訳にも出てきません。もともとは『仏国土を浄化する」(浄仏国土)という意味なのです。」と自信たっぷりに書かれていたので、自分の不勉強を恥じるとともに、驚いてしまいました。

 植木雅俊氏は、「法華経」と「維摩経」をサンスクリット語と漢訳語を参照して平易な現代日本語に翻訳された仏教思想研究家だけあって、学識の深さには恐れ入ります。

 となると、南無阿弥陀仏を唱えて、西方の「極楽浄土」を望む浄土宗や浄土真宗などは、どうなるのかと思ってしまいます。「選択本願念仏集」を著した浄土宗の開祖法然は、これまで天皇と貴族のための鎮護国家の宗教だった仏教を、老若男女を問わず、一般庶民にまで信仰を広げた革命的功績は日本史に屹立と輝く偉人だと私自身考えていますが、「選択本願念仏集」と著書名がまさに表しているように、法然は「西方浄土」を「選択」したわけです。

 そうなると、釈迦の教えの中には、東方にも「浄瑠璃浄土」があり、そこには薬師如来がいらしゃいます。浄土宗や浄土真宗といった念仏宗は、西方の阿弥陀如来だけ選択して、東方の薬師如来は重視しないのかなあ、といった素朴な疑問が浮かんできます。

 念仏宗を「無間地獄」と糾弾した日蓮は、法華経を「選択」します。選択というより、他宗派を激烈に批判ししため、多くの「敵」をつくて、日蓮自身も何度も法難に遭うわけです。

 植木雅俊氏によると、日蓮は、浄土と言えば、極楽浄土のような死後の別世界ではなく、我々が今生きている娑婆世界で体現できる世界を「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」と呼んだといいます。これは、「現在」の瞬間に過去も未来もはらんだ永遠の世界を意味しています。

 植木氏は言います。時間は、今(現在)しか存在しません。過去といっても、過去についての「現在」の記憶であり、結局「現在」です。未来といっても、未来についての「現在」における期待や予想でしかありません。それなのに、多くの人は「今(現在)」の重みに気付かずに、過去や未来にとらわれてしまいがちです。過去につらく、忌まわしい経験をしてそれを忘れられない人は、過去に引きずられて今を生きていることになります。あるいは、今をいい加減に生きて、未来に夢想を追い求めて生きている人もいます。いずれも妄想に生きていることに変わりありません。

 植木氏は、現在の生き方次第で、過去の「事実」は変えられなくても「意味」は変えられる。未来も現在の生き方次第だ、とまで言い切るのです。

銀座「吉澤」 韓国大統領と日本の首相が会食された所です

 これこそが、「現世利益」なのかもしれません。利益(りやく)とは、金銭的なものではなく、精神的な幸福を意味すると思います。往生してあの世の幸福を願うのではなく、現実世界に浄土世界を実現して幸福になる、という意味ではないでしょうか。

 法華経の思想について、もっと詳しく知りたくなり、目下、植木雅俊氏が、サンスクリット語と漢語から現代日本語に翻訳した「法華経」(角川文庫)を読み始めたところです。サンスクリット語の原典から翻訳したところに意義があります。かつて先人たちが日本語に翻訳したものの中には、漢語からの翻訳が多く、サンスクリット語から漢語に訳された際の間違いをそのまま踏襲して日本語訳した箇所もあり、そんな誤訳も厳しく指摘しておられました。同書の「はじめに」を読んだだけでも、かなり戦闘的です(笑)。でも、解説もあり、かなり、平易に訳されているので、私でも読めます。

 法華経とは、サンスクリット語で、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言いますが、植木雅俊氏は、「白蓮華のように最も勝れた正しい教えの経」と翻訳されています。法華経は、釈迦が入滅後500年ほど経過した紀元1世紀末から3世紀初頭に編纂されたといいます。当時は、厳しい修行を経たほんの一部の菩薩しか悟りを啓くことができないとされ、釈迦も神格化された権威主義の小乗仏教が隆盛でした。が、そんな風潮に異議を唱える意味で、「原始仏教に帰れ」と大乗仏教が生まれ、法華経が編纂されたといいます。小乗仏教では女性は成仏できなかったのに、法華経では、老若男女、身分の差もなく平等に誰でも覚りを開く道があることを説いています。

 私も目下、必要に迫られて、法華経を読んでいるので、心に染み入ります。

強い心を持ち、正しい道を歩む=日蓮の実像に迫るー「偉人・素顔の履歴書」と「100分de名著 日蓮の手紙」

 渓流斎ブログの3月20日付で「NHK『英雄たちの選択』に違和感=意図的な隠蔽を感じます」を書いて批判しましたが、今のところ、関係者からの抗議はありません(苦笑)。「あの番組は、細川幽斎の『古今伝授』という有職故実に通じた文人としての戦国武将を描くことが趣旨なので、明智光秀も細川ガラシャには敢えて触れませんでした」との回答が寄せられそうですが、テレビにせよ、出版にせよ、そしてネット情報にせよ、作品意図を貫徹するために故意に不都合な部分は切り取ってしまう「編集」には警戒するべきだ、という思いを強くしました。

 私は、この他のテレビの歴史番組として、BS11「偉人・素顔の履歴書」もよく観ますが、どちらかと言えば、こちらの方が、地方の名士ら色んな人に語らせて、比較的「客観的に」史実を追っている感じがします。御意見番で番組進行役でもある作家の加来耕三氏のキャラにもよるのでしょう。番組では、歴史上の人物が、かつて言われていた定説になっていた人物像とは全く違う意外な面を多角的に引き出しています。

 人なんて複層的ですから、見方を変えれば全く違った人物に見えたりします。下剋上の典型の「天下の極悪人」と言われた松永弾正久秀なんかもそうで、奈良の大仏を焼き討ちした張本人ではなく、教養のある茶人という一面をあったといいます。

 「偉人・素顔の履歴書」では、「兄・武田信玄を支え続けた名補佐役・武田信繁」や「信玄に二度も勝利した北信の雄・村上義清」ら私自身よく知らなかった人物も取り上げてくれたりして、勉強になりましたが、3月11日に放送された「闘う仏教者・日蓮」も、私の知らなかった日蓮の意外な面に触れることが出来て心に残りました。

 日蓮と言えば、「四箇格言(しかかくげん)」〈念仏無間(ねんぶつむけん)禅天魔(ぜんてんま)真言亡国(しんごんぼうこく)律国賊(りつこくぞく)〉に代表されるように、他宗派を激烈に批判し、何度も法難(迫害)にあっても挫けない不屈の僧というイメージが強かったのですが、この番組では、案外涙もろく、弟子たちを労わる慈悲深い面も多く紹介されていました。

 特に印象的だったことは、植木雅俊さんという仏教思想家が出演し、日蓮の意外な一面を明かしていたことでした。

 「日蓮は、飢饉の際、鎌倉の市場で鹿肉や魚などに人肉を混ぜて売っていた、と書くなどジャーナリスト的だった」

 「日蓮は、自己を拠り所として、他人を拠り所としない。法という真理を拠り所として、他の物を拠り所としない、と説いた」

 「神や迷信にすがるのではなく、一人一人が強い心を持ち、正しい道を歩めば、この世を浄土に変えることができる。来世ではなく、現世の幸福を願う法華経こそが最も尊い教えだ」

ーといった日蓮の言葉を紹介してくれたので、日蓮に対する偏見が吹き飛び、大変、大変勇気づけられました。それと同時に、紹介してくれた植木雅俊さんのことも調べたら、目下、NHKのEテレ「100分de名著 日蓮の手紙」(再放送)にも出演されているというので、テキストも買って番組も見ることにしました。

 残念ながら第1回は放送終了してしまいましたが、第2回からは間に合いました。「厳しい現実を生き抜く」というテーマで、日蓮が弟子である富木常忍、四条金吾らに宛てた手紙が紹介されておりました。この中で、直情径行型の四条金吾に対しては、冷静になるよう諄々と説き、「法華経に凝り固まるな」とまで助言している様には驚きました。日蓮こそ法華経に凝り固まった人であるはずなのに、意外にも本人は冷静で、かなり自身を客観視することが出来る人だと分かり、感服した次第です。法華経信奉者ならまず言えない言葉です。

 やはり、後世につくられた人物像より、手紙などに表れた人物像の方が確かに本物により近いのではないでしょうか。