ヒトはどうやって言語を獲得していくのか?=今井むつみ著「英語独習法」を読む

 今年2月から内紛が続いていた私も所属する通訳団体の騒動に一応、一区切りが付きました。内紛は、会長、副会長を中心にした執行部と、それに対して、「現執行部は自分たちのお仲間だけを優遇している」と異議を唱える3人の理事らとの間で、会員ネットメール上で、激しい応酬で始まりました。言わば、ネポチズムで恩恵を受けている者たちが現執行部を擁護し、仕事のおこぼれに与らなかった者たちが反発しているという構図です。最後は、現執行部が3理事らを会員ネットから削除し、挙句の果てには、3理事解任を含めた臨時総会まで開催しようとしました。

 確かに、3理事や急進派の連中の言動は、過激で読むに堪えないほどウザイものもありましたが、ネット遮断は、明らかに言論封鎖というか言論弾圧であり、このコロナ禍にわざわざ臨時総会まで開いて、3理事らの除名を決議することなど、スターリンの「血の粛清」に近い行為です。私も黙っていられなくなり、会員ネットに実名で「どちらか一方に加担するつもりはないが、臨時総会を開催するのは狂気の沙汰だ」といった趣旨で批判しました。

 その結果、4月22日開催予定だった臨時総会は、会員(807)の出欠返信数が過半数(404)に達することができず、流会(不成立)となりました。至極真っ当な結果だと思います。私も臨時総会を流会させるために、返事を出しませんでした。総会開催が成立し、3理事追放が決定したら、間違いなく退会するつもりでした。

 事務局から送られてきたメールによると、K理事の解任に賛成を投じた数は114だということが分かりました。114人全員ではないでしょうが、これで、現執行部から恩恵を受けている人たちの数が大体、想像することができました。

 いずれにせよ、流会させることにした会員が多数を占めた事実により、この団体も捨てたもんじゃないと見直しました(笑)。

 実は、こんな「コップの中の嵐」を書くよりも、もっと建設的な面白いことをブログに書きたいものです。ということで、今日は、今読んでいる面白くてたまらない本をご紹介します。

 今井むつみ著「英語独習法」(岩波新書)という本です。(現在11万部のベストセラーだとか)著者は慶応大学の教授ですが、英語や言語学のエキスパートではありません。専門は、認知科学などで、いわば心理学者です。心理学者が書く外国語の学習法ですから、幼児期からの言語獲得の過程から始めて、英語母語者と日本語母語者が使う脳の領域やその活用(著者は「スキーマ」という用語を使っています)の違い、つまり著者専門の認知科学を使って違いを分析し、その違いを認識して初めて外国語はネイティブ並みに習得できることをこの本は教えてくれるのです。

 本当に「目から鱗が落ちる」ことが色々書かれています。私も既に、英語は半世紀以上勉強していますが、一向に上達しません(苦笑)。でも、この本にもっと早く知り合っていたら、遥かに向上していたことだろうと思います。

◇様態動詞+前置詞で「動き」を表現

 例えば、ビンがぷかぷかと浮かんでいて洞窟の穴の中に入っていくイラストを見せられると、大抵の日本語話者は、

 A bottle entered the cave, slowly floating.

といった表現をする、と著者は言います。しかし、英語話者なら、まずそんな表現はしない。多くは以下のように表現するというのです。

  A bottle floated into the cave.

 動きの様子を表す様態動詞(ここではfloat)に方向を表す前置詞(同into)を合わせて、様態動詞を「~しながら」という意味に転化する構文を多用するというのです。

 話を単純化すると、日本語は助詞や副詞などを多用して動きを表現するのに対して、英語では、動詞に前置詞を付けるだけで、「動き」まで表現できるということです。となると、日本語のスキーマを棄てるか、何処か頭の片隅に置いておかなければ、英語らしい表現ができないということになります。これも目から鱗が落ちる話です。認知科学ですね。

  以前、私は、このブログで、「英語は簡単過ぎるから難しい」といったことを書いたことがあります。例えば、日本語なら自分のことを、「私」「僕」「俺」「吾」「吾人」「小生」「迂生」「妾」「わし」「おいどん」…と何通りもあるというのに、英語には「I」しかない。貴方の「you」も同様です。

 でも、英語にも、それなりに微妙な言い回しがあり、この本に出てきましたが、例えば、日本語では「許す」で一言で済んでしまうのに、英語では、「罪・過失を許す」ならforgive,excuse 「黙許する」ならtolerate 「見過ごす」ならoverlook 「放免する」ならrelease,acquit などと、それぞれの語義に対応した英単語が与えられているのです。著者も「日本語を母語としない人たちが、このような多様な意味を脈絡もなく一つの動詞のもとにまとめてしまう日本語ってなんなの、という気持ちになるのも無理ないと思う」とまで書いています。

 これも全く気が付かなった、目から鱗が落ちる話でした。

 キリがないので、今日は取り敢えずこの程度に収めておきますが、「スキーマ」という考え方は根本的な問題をはらんでいるので、非常に明解で分かりやすいのです。

 そう言えば、日本の英字紙Japan Times は、日本人記者が英語で書いているのか、日本人が読んでも分かりやすいのに、New York Times  ともなると、何処か気取っていて、日本人だったら絶対表現しないあり得ないような書き方をしています。これも、日本語脳に染まった人間だからこそそう感じてしまうんですね。

◇バイリンガルはどうやって言葉を覚える?

 個人的な話で恐縮ですが、たまたま今、二カ月ほど、2歳になる孫を預かって一緒に生活しているので、幼児が言語を獲得する様を具に観察することができます。孫は米国人と日本人とのハーフなので、どうやって二か国語を同時に習得していくのか興味津々なのですが、もうすぐ自宅に戻ってしまうので、残念ながらそこまで見届けることができません。

 でも、少なくとも、言語習得、獲得は幼児でも簡単ではなく、何度も何度も周囲から訂正されて覚えていくことが分かりました。今井氏の「英語独習法」では、「英語脳」と「日本語脳」と別々に個別的なことしか書いていないようですが、英語話者と日本語話者の両親から生まれた子どもがどうやって双方の言語を獲得していくのか、個人的に大変興味があります。

山本悦夫氏が小説「ホーニドハウス」を出版へ

モッコウバラ 木香薔薇 Copyright par Keiryusai

 皆さま御存知の山本悦夫氏が自ら立ち上げた出版社「(株)インターナショナルセイア」から、5月中旬に「ホーニドハウス」という小説を出される予定で、日販、東販、栗田書店などの取次を介して全国書店に配布し、5万部の販売計画を立てている、というニュースが飛び込んできました。

 第一感想は「凄いなあ」の一言です。山本氏には既に「インドに行こう」(インターナショナルセイア)や「蛇とニーチェ」(創英社)などの著書があり、個人情報ながら(ネット上でも公開されておりますので)敢て触れますが、1934年生まれで今年87歳です。その無尽蔵のヴァイタリティには感服するしかありません。

 山本氏とは「おつな寿司セミナー」を通じて30年程前に面識を得て、東京都内の一等地の御自宅に何度かお邪魔したことがありますが、民芸輸入商社の社長さんということぐらいしか知りませんでした。20年程前に、1995年から8年7カ月、内閣官房副長官を務めた(歴代最長)古川貞二郎氏とは九州大学時代の無二の親友だということを初めて知り、長崎の御出身だと思っていたら、10年程前に、生まれも育ちも台湾の台北(戦前の日本領時代)だったということを初めて知りました。

 今回初めて知ったのは、山本氏が九州大学を卒業して上京して就職したのが、学陽書房という行政、法律、実用書関係が中心の出版社だったということでした。今でこそ有名ですが、当時、同社は、東京・雑司ヶ谷の菊池寛邸にあった小さな出版社で、山本氏は、その出版社の顧問をしていた藤沢閑二さんから我が子のように親身になって可愛がられたそうです。その藤沢氏は、菊池寛の遠縁に当たり、ご夫人の瑠美子さんは菊池寛の長女だったという関係で、戦前は、文芸春秋の専務として創業者の義父菊池寛を助けた人でした。

 山本氏が出版社に就職したのも、少年時代からの夢だった小説家になることがあったからだったようです。

 山本氏がこれまで上梓された本は主に研究書、ノンフィクションでしたので、今回の小説は、70数年目にして少年時代の夢を実現したことになります。

 小説「ホーニドハウス」の「前書き」に「この物語は、一九六五年のアメリカのディープサウス(深南部)が舞台である。この年、アメリカによるベトナムの北爆が始まり、夏には米国北部の大都市を中心とする『長く暑い夏』と呼ばれる黒人の暴動が荒れ狂った。 主人公、太郎は、ジョージアの境界に近い北部フロリダの小さな町の大学に通っていた。」とあります。山本氏自身も米フロリダ大学経済学部大学院に留学した経験があるので、主人公の太郎は山本氏自身がモデルになっているのかもしれません。

 「文学しているなあ」というのが第二の感想です。何と言っても途中で諦めないところが凄いです。長年、文芸同人誌「四人」(105号刊行予定)を発行し続けて来たことだけでも、その凄さを証明できます。

 先日亡くなった気象予報士の富沢勝氏も、この同人誌「四人」の同人だったことから、山本氏が最初に富沢氏の訃報を知り、関係者に連絡して頂いたという話も聞きました。

 結局、文学も人生も、人との繋がりが肝要だということになります。

【追記】記事表紙の写真の花の名前は、いつもながら碩学Y氏による御教授の賜物です。有難う御座いました。

渋沢栄一 守屋淳訳「現代語訳 論語と算盤」を読む

 雪の大谷 Copyright par Syakuseidou

 悪の道に走りかけた釈正道老師が心を入れ替えたらしく、彼から急に写真が送られてきました。キャプションは

天気には恵まれました。雪の大谷、今年は積雪量は14メートルとかで。多くは無いのかな。山の写真は剣岳などです。

 これだけです。

 またもや暗号です。場所は何処なのか?このコロナ禍で、緊急事態宣言が出掛かっているこの非常時に、まさか旅行にでも行かれたわけではないはず…。私が調べたところ、「雪の大谷」とは富山県の有名な観光スポットらしい。ということは、わざわざこの時期に東京からベンツにでも御乗車されて旅行ですかあ!?

剱岳 Copyright par Syakuseidou

 しかも、肝心の剱岳と思われる写真は、この通りピンボケです。(バランスも悪い。)こんな芸術作品を撮影できるのは、ロバート・キャパと釈正道老師以外考えられませんね(笑)。

 さて、今年(2021年)、NHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送されていることから、主人公渋沢栄一が、この1年間、あらゆる媒体で引っ張りだこです。他の民放テレビで特集番組が放送されたり、雑誌で特集記事が組まれたりしています。嗚呼、NHK畏るべしです。

 私も本屋さんに行ったら、この渋沢の代表作「論語と算盤」(ちくま新書)が山積みになっていたので、思わず買ってしまいました。現代語訳ということで、類書の中で最も売れているらしく(新書売り上げナンバーワン)、私が先月買った時は42万部でしたが、4月17日の時点で既に60万部を超えているようでした。年内に100万部いくかもしれません。

 それだけ、読み易い本でした(いつぞや、このブログに書いた通り、他に読む本があって、しばらく「つん読」状態でしたが)。同書はもともと講演会の速記録を文字で起こしたもので、大正5年(1916年)に東亜堂書房から発行されました。ちょっと、ふと思ったのですが、「現代語訳」ということですから、速記録は文語文ということなのでしょう。でも、渋沢翁は、講演会でも文語調で講演していたということなんでしょうか?まあ、どちらでもいい話ですが。

雪の大谷 Copyright par Syakuseidou

 「論語と算盤」は、乱暴に一言で要約してしまうと、一見、人としての倫理観を説く「論語」と、金儲けの「算盤」とは矛盾するようだが、そんなことはない。商売するにしても、自分さえ良ければ良い、とか自分だけが儲かればそれで良いという考えでは商業資本主義は発達しないし、結局、損することになる。論語が説く倫理観が絶対に必要だ、といったところでしょうか。

 青年期に幕末、維新の激動時代を生き抜き、フランスへ徳川昭武の随行員に選ばれて、最先端の資本主義を見聞して、帰国後に500近い企業を起こした渋沢栄一だけに、確かに説得力があります。渋沢は1840年生まれですから、この本が出版された時は76歳ぐらいですか。功成り名を遂げた名士として、社会福祉活動にも力を入れていた時期です。渋沢栄一の思想哲学が凝縮され、「こういう考え方の人だったからこそ、大きな仕事を成し遂げることができ、偉人とも巨人とも言われたんだなあ」とよーく分かります。

 でも、はっきり言って、「成功物語」なので、誰もが渋沢栄一になれるわけではないので、この本を読めば出世できる、とか金持ちになれるなどと誤解しない方が良いです(笑)。

 渋沢もこう言ってます。

 世間には、冷酷無情で全く誠意がなく、行動も奇をてらって不真面目な人が、かえって世間から信用され、成功の栄冠に輝くことがある。これとは反対にくそ真面目で誠意にあつく、良心的で思いやりに溢れた人が、かえって世間からのけ者にされ、落ちこぼれとなる場合も少なくない。(75ページ)

 この一節を読んだだけでも、渋沢栄一という人は、人間観察に鋭敏な人だったことがよく分かります。

 落ちこぼれで、失敗と挫折ばかりしてきた私自身も、渋沢の説くこの後者だったので、よーく分かり過ぎるくらい分かるのです。

 【追記】「歴史人」によると、日本史上「子だくさん」の第1位は、本願寺の中興の祖、蓮如で男子13人、女子14人の計27人でしたが、渋沢栄一の場合、二人の正妻以外に妾や愛人もたくさんいて、同書によると、庶子を含めて30人の子どもをなしたといいます(50~100人の説も)。となると、蓮如さまどころではなく、明らかに渋沢栄一こそが、日本一の艶福家となりますね。(そう言えば、十一代将軍徳川家斉は、大奥制度もあり、53人の子をなしたといいます)

 東京・王子飛鳥山にある「渋沢栄一記念館」に行くと、展示パネルに、今も活躍する企業や子孫の系図も出てきて、どこまで行っても「渋沢栄一」の名前があらゆるところに出てくるので眩暈を覚えたことがありました。

知ってましたか?江戸、京都、大坂の庶民の暮らしを

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 昨日、私の書斎の机の上は「つん読」状態で、まだ読んでいない本や雑誌で溢れかえっている、といったことを書きましたが、月刊誌「 歴史人」もその一つ。面白い特集ばかりやってくれるので、昨年辺りから毎月のように買うようになりました。

 このブログでも何回か取り上げましたが、情報量が多いので読むのが大変。他の本と併読しているせいか、数週間も掛かってしまいます。

 昨日はやっと、3月号の「江戸 京都 大坂 名所めぐりと庶民の暮らし」特集を読了しました。でも、机の上にはまだ4月号の「戦国武将ランキング」特集と5月号の「日本の城 基本のき」特集があります(笑)。「歴史人」は昨年までKKベストセラーズ社の発行でしたが、どういうわけか、今年1月号辺りから発行がABCアーク社に変わったようです。詳細は分かりませんけど、ABCアークを調べたら、どうも大阪のABCテレビ(朝日放送)の関連会社のようです。テレビは、歴史ものやクイズ番組を放送するので、買収したのかしら?スタッフさんはどうも変化ないようですが…。詳しい方は教えてください。

 またまた前置きが長くなりましたが、「歴史人」3月号「江戸 京都 大坂 名所めぐりと庶民の暮らし」の話でした。私が知らなかったり、へーと思ったりしたことを備忘録として箇条書きすることにします。

◇江戸

 ・享保6年(1721年)、幕府が全国調査したところによると、江戸の町方人口は50万1394人だった。これは推定だが、武家人口50万人を加えると、江戸の人口は100万人を超え、ロンドンやパリを超える大都市だった。(私が先日読んた本によると、幕末ではロンドンの人口は300万人ぐらいだったようです)

・明暦3年(1657年)1月18日、明暦大火(振袖火事)が江戸を襲い、市中の6割が灰となり、死者は10万人に達した。

・天皇は幕府の統制下に置かれ、3万石ほどの領地(禁裏御料)を貰っていた。(1万石以上が大名と言われます。3万石だと美濃・高須藩、上総・久留里藩などと同じになります。「江戸の藩の石高ランキング」による)

・江戸には日銭が3000両落ちるとされた。そのうち千両ずつ落ちるのが、朝の魚市場、昼の芝居町、夜の吉原だった。

・忠臣蔵、赤穂浪士で有名な泉岳寺は、もともと徳川家康が幼年時代に身を寄せた今川義元の菩提を弔うために、慶長17年(1612年)に外桜田の地に創建したものだった。しかし、寛永18年(1612年)の大火で喪失し、三代将軍家光の命により今の地に移設・再建された。

・江戸四宿とは、品川、千住、、板橋、内藤新宿のことを指す。

ソメイヨシノとは違う変わった種類の桜 色まで違う! Copyright par Keiryusai

◇京都

・京都の三条大橋は、天正17年(1589年)、小田原征伐が決まった直後、豊臣秀吉が増田長盛に命じて修復・架橋させた。この三条大橋の河原では、石川五右衛門をはじめ、豊臣秀次、石田三成らが処刑された。

・京都・妙心寺は臨済14派の中でも最大宗派で、全国の臨済宗寺院約6500のうち約3500を有する。

◇大坂

・人口の約半分が武士だった江戸に対して、大坂の人口40万人のうち武士はわずか8000人だった。

・元禄年間の地図に描かれた大坂は、現代の北区、西区、中央区の3区に当たる範囲だった。東西約8キロ、南北約6キロと歩いて回れるサイズの街に、最盛期に40万人以上の人が暮らした。

・大坂も、大地震や火災が多く、「坂」は土に返るに通じて縁起が悪い、ということから、大「阪」に変更したという説がある。

江藤淳を再評価したい=「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」を読んで

 山本武利一橋大学・早稲田大学名誉教授が書かれた「検閲官 発見されたGHQ名簿」(新潮新書)の中で、江藤淳著「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文藝春秋、1989年8月15日初版)がよく出てきて、自分自身は未読だったため、今さらながらでしたが探し求めて、やっと読了しました。なかなかの労作でした。この一冊を以って江藤淳(1932~99年)の代表作とする識者はいないのですが、私は代表作にしてもいいと思いました。

 何と言っても、今ではかなりGHQによる検閲の研究は進んでおりますが、江藤淳がこの本を上梓するまで、秘密のヴェールに包まれ、占領軍による検閲の実態を知る人はほとんどいなかったからです。著者もあとがきでこう記しています。

 敢えて言えばこの本は、この世の中に類書というものの存在しない本である。日本はもとよりアメリカにも、米占領軍が日本で実施した秘匿された検閲の全貌を、一次史料によって跡付けようと試みた研究は、知見の及ぶ限り今日まで一つも発表されていないからである。

 本書は、著者が1979年から80年にかけて9カ月間、米ワシントンの国立公文書館などに籠って、米占領軍が日本占領中に行った新聞、雑誌等の検閲の実態を調査し、雑誌「諸君!」に断続的に発表したものをまとめたもので、米国における検閲の歴史から、日本で実行した検閲の事案まで事細かく、微に入り細に入り詳述されています。

 全てを網羅することは出来ないので、私が不勉強で知らなかったことを少しだけ特筆したいと思います。

 ・ルーズベルト大統領から直接、検閲局長官に任命され、日本の検閲のプランを作って実行し、その総責任者だったバイロン・プライスは、AP通信専務取締役・編集局長だったこと。(肩書こそ立派ですが、「新聞記者あがり」が検閲のトップだったという事実は、同じように取材と原稿執筆を経験した同業記者として、苦々しい思いを感じました。)

 ・昭和16年12月19日に成立した日本の言論出版集会結社等臨時取締法は、戦後GHQ指令によって廃止を命じられたため、自由を抑圧した悪法の世評が定着しているが、罰則は最高刑懲役1年に過ぎない。これに対して、米国の第一次戦時大権法第303項が規定している検閲違反者に対する罰則は、最高刑罰金1万ドルまたは禁錮10年、あるいはその双方である。江藤淳も「罰則を比較するなら、米国は日本よりはるかに峻厳な戦時立法を行っていたと言わなければならない」と怒りを込めて(?)記述しています。

 こういった自国の検閲の歴史を持つ米国が、占領国の検閲をするわけですから、苛烈を極めたと言っても過言ではありません。

 ◇「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の断行

 それだけではなく、占領軍は、日本の軍部が如何に国民をだまして、戦争を遂行して犠牲を強いてきたかということを強調するために、「ウォー・ギルト(戦犯)・インフォメーション・プログラム」を断行します。その最たるものが、GHQのCI&E(民間情報教育局)がつくった「太平洋戦争史」と題する連載企画で、ほとんどあらゆる日本の日刊紙に連載させます。その一環として、GHQは、1945年12月15日付の「指令」で、「大東亜戦争」という呼称を禁止し、公文書では「太平洋戦争」の名称を使用するように命じます。このほか、「八紘一宇」など国家神道、軍国主義、過激な国家主義を連想させる用語の使用まで禁止します。

 よく知られているように、占領軍に歯向かう思想に通じるような「仇討ち」はもってのほかで、「忠臣蔵」などの上演、上映が禁じられました。

 このような検閲は、敗戦国だから甘んじて受け入れなければならなかったかもしれませんが、同じ敗戦国であるドイツはここまで酷くなかったことを著者は実証しています。

 実際の検閲例や組織など詳しいことを知りたい人は是非、本書を手に取ってください。

 ところで、私の世代は、このような米占領軍であるGHQが指導したプログラムの影響を色濃く反映された「戦後民主主義教育」を受けてきました。そのせいなのか、保守派論客だった江藤淳は、戦後民主主義に反動する右翼の巨魁という怖いイメージが少なからずあったことは否めません。

 しかし、私自身は、もう30年も昔に、彼が日本文藝家協会の会長を務めていた頃、2年近く、何人かの文藝記者と一緒に毎月のように懇談して、江藤淳の人間的側面に触れた経験があります。一言でいえば、真摯で誠実な人柄で、年少だろうが、人の話をよく聞いてくれる方でした。私は初めてお会いした時は拍子抜けしたことを覚えています。

 これはその後の話ですが、江藤淳(本名江頭敦夫)は、私が卒業した東京の海城学園の創設者である古賀喜三郎(海軍少佐)の曾孫に当たる人で、文藝家協会会長の後は、同学園の理事も務めました。事前に知っていたら、その話もできたのになあと残念に思いました。

 人間を右翼とか左翼とかイデオロギーで判断してはいけませんね。国際的な文学賞を受賞しながら、文化勲章を辞退した著名作家は「反日左翼」とか言われたりします。それは的外れの言い過ぎだと思いますが、もう30年も昔、この大作家とは何度も取材でお世話になったことがありました。ただ、自分の家族の売り出しには積極的なものの、短い随筆にせよ、作品発表に関してはメディアを選別したりするので、色んな意味でがっかりしたことを覚えています。勿論、作家としては当然の権利なのですが、偉大な思想家のイメージが崩れ、違和感を覚えました。

 今から振り返ると、江藤淳は生前、あれだけ孤軍奮闘したというのに、最晩年に不幸に見舞われ、気の毒な最期を遂げてしまいました。今年で没後22年にもなりますか…。若い人はもう知らないかもしれません。30年前に毎月のようにお会いした時は、70代の老人に見えましたが、実際は50代後半で、亡くなった時も66歳と、随分若かったことに今さらながら驚かされます。(早熟の秀才でした)

 私は、アメリカ仕込みの戦後民主主義教育を受けてきたせいで、正直に言えば、かつては少なからぬ反対意見を抱いていましたが、江藤淳を改めて再評価して、彼の著作を読んでいきたいと思っています。

【後記】

 「『新聞記者あがり』バイロン・プライスが検閲のトップだったという事実は、苦々しい思いを感じました」と書きましたが、再考すると、「新聞記者あがり」が、検閲担当に一番相応しいと思い直しました。前言を撤回するようで節操がないですが、メディアは、放送禁止用語や差別用語に敏感です。読者から訴えられないように言葉遣いに細心の注意を払って自主規制し、校正には念には念を入れます。この「自主規制」と「校正」を「検閲」に置き換えれば、そっくりそのまま通用するわけです。

「源平藤橘」以外にも伝統ある名前が=名字の歴史

 「歴史人」(ABCアーク)2月号の特集「名字と家紋の真実」は大変読み応えがあり、端から端までゆっくり読んでいたら1カ月以上も掛かってしまいました。

ある程度は知っているつもりでしたが、まさに知らなかったことばかりでした。名前に歴史あり、です。

 この本ではあまりにも多くことが書かれているので、大雑把なことしかこのブログでは書けないことを御勘弁ください。

 まず、古代には氏姓制度があり、地位身分を表す「姓」(かばね=真人、朝臣など)、血筋を表す「氏」(うじ=阿倍、紀、橘、源などの「皇別」と、藤原、大伴、弓削などの「神別」、渡来人の子孫である秦、丹波、武生、高麗などの「諸蕃」)と、職業などで所属する「部」(べ=服部<機織り>、久米<軍事的役割>、犬養<番犬で守衛>)などがありました。

松浦佐用姫 Copyright par Y Tamano

 平安時代になると摂関政治の藤原氏が絶大なる権力を握り、京都の中央政府(という言い方はありませんけど)では有り余ってしまい、地方の国司とか後の守護とかになって荘園領主となり、名前を変えます。

 加藤=加賀の藤原

 伊藤=伊勢の藤原

 後藤=備後、もしくは肥後の藤原

 近藤=近江の藤原

 遠藤=遠江の藤原

まあ、この辺は初級です。日本で一番多い「佐藤」は左衛門尉(左衛門府の判官で検非違使を兼ねたりした)の藤原です。意外と難しい。

  私が知らなかったのは、尾藤と工藤と武藤でした。

 尾藤は尾張の藤原。 なあんだ、でした。

 工藤は、宮殿の造営に関わる「木工助(もくのすけ)」の藤原。現代は、青森県に多い名前です。

 武藤は、武者所の藤原、もしくは武蔵国の藤原でした。

 あ、もう一つ、斎藤は、斎宮(伊勢神宮に奉仕した斎王の御所)の藤原でした。こちらは中級ですね。

 「藤」が入らない藤原氏の末裔には、皆川(下野国皆川荘の藤原)、薬師寺(下野河内郡薬師寺の藤原)、宇佐美(伊豆の荘園で栄えた工藤氏の末裔)、狩野(遠藤氏から分かれた) などがあります。これは全く知らなかった!

 奈良平安から栄えた、もしくは生き残った貴族に藤原氏の他に、「源平藤橘」といって、武士化した源氏と平氏、橘氏があります。このほか、天神様こと菅原道真の子孫には、菅原以外では、今の首相の菅(すが)や元首相の菅(かん)や唐橋、高辻などがあります。

Turtle Copyright par Y Tamano

 戦国時代ともなると、武将たちは大抵、武家の棟梁である源氏か平氏の子孫を名乗ります。例えば、織田信長は、平清盛の末裔と言われ、徳川家康は、清和源氏の新田氏の末裔で、三河に定着した親氏(ちかうじ)から松平姓を名乗り、その九代目の家康が徳川に改めたといいます。

 意外と知られていないのは、毛利(元就)氏です。鎌倉時代の幕府政所初代別当だった大江広元の子孫と言われています。

 長州藩毛利氏が出たので、薩摩藩島津氏の話も付け加えなければいけませんね。一説には、初代島津忠久は、鎌倉幕府の御家人で、源頼朝から薩摩の地頭に任じられたことで島津姓を称したいいます。彼は、渡来人の秦氏の流れを汲む子孫貴族・惟宗広言(これむね の ひろこと)と言われる一方、源頼朝の落胤とする説もあるようです。

 この他、著名武将である伊達(政宗)氏、斎藤(道三)氏、蒲生(氏郷)氏はそれぞれ藤原氏、楠木(正成)氏は橘氏、武田(信玄)氏は常陸那賀郡の武田郡から甲斐に移った甲斐源氏の末裔といわれております。

 あと、名字とは全く関係ないのですが、織田・徳川連合軍が鉄砲部隊を使って武田勝頼の騎馬隊を撃破した「長篠の戦い」は有名ですが、この合戦で、武田の家臣で真田幸村(信繁)の伯父に当たる真田家の嫡男の信綱と次男の昌輝が戦死していたんですね。そのため、幸村の父である三男の昌幸が真田家の当主になったわけです。嫡男信綱が長篠の戦いで討ち死にしないで生き延びていれば、真田幸村がこれほど歴史上有名になっていなかったかもしれません。

 他にも色んなことが書かれていますが、ここでは書き切れないので、ご興味のある方はこの本をご参照ください。

闇が深い占領期の検閲の史実=山本武利著「検閲官 発見されたGHQ名簿」

 山本武利著「検閲官 発見されたGHQ名簿」(新潮新書、2021年2月20日初版)を読了しました。

 実は、2月28日の渓流斎ブログで「占領期の検閲問題=三浦義一論文も削除、木下順二は検閲官だった?-第34回諜報研究会」という記事を書きました。この中で、この諜報研究会を主催するインテリジェンス研究所理事長の山本武利一橋大学・早稲田大学名誉教授が最近上梓された「検閲官」(新潮新書)を未読だったため、オンライン講演会で質問もできなかった、といった趣旨のことを書いたところ、この記事に目を留めて頂いた山本先生御本人から「まだ購入されていなかったら献本致しますよ」と、声を掛けて頂いたのです。

 一瞬、自分自身が、GHQ占領下の日本人検閲官か、総務省の高級官僚になったような気分に陥りましたが、せっかくの御厚意ですからお言葉に甘えてお願いしてしまいました。

梅は咲いたか、桜はまだかいな

 いつもながら、前置きが長くなりましたが、これはかなりの労作です。新書のスタイルですが、中身はかなり濃厚です。著者略歴で公表されている通り、山本氏満80歳の著作ですから、本当に頭が下がります。「GHQの検閲・諜報・宣伝工作」など長年にわたってライフワークとして取り組んできたインテリジェンス(諜報)研究の最新の成果が表れています。

 戦後、GHQによる検閲に関しては、江藤淳による先行研究がありますが、山本氏は江藤説を止揚(アウフヘーベン)している格好です。例えば、江藤説では、日本人検閲官は約1万人だった、としていたのに対して、山本氏は2万人余と訂正。また、長洲一二元神奈川県知事(1919~99年)ら東京裁判の検察側証人の事務所雇員を、江藤が検察官グループに入れてしまった誤りなどを山本氏は指摘しています。

 何しろ、GHQによる検閲を主導したCCD(民間検閲局)が閉鎖された時点(CCDは1949年10月31日廃止)での全国の本部・支部の所在地について、山本氏は長年追求してきましたが、ようやく資料が発見できたのが、アメリカ公文書館で、何と2019年11月のことだった、というのです。つい、最近ではありませんか!!江藤淳が「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文藝春秋、1989年)を発表した当時は、日本人検閲官だった人は誰一人証言する人はなく、メリーランド大学のプランゲ文庫などが全面的に公開されていなかった時代だったかもしれませんが、もしかしたら、今後も新資料が見つかるかもしれません。(本書では日本人検閲官の体験談がかなり採用されています)

ミモザ

 さて、私自身が、GHQによる検閲という史実を初めて知ったのはいつだったのか忘れてしまいましたが、少なくとも若い頃は、新聞雑誌の検閲や仇討映画や演劇の上映、上演禁止といったこと以外は、あまりよく知りませんでした。特に日本人のインテリによって電話が盗聴されたり、庶民の私信が開封されて英訳されたりしていたことなど、これは超機密の極秘事項だったので、多くの国民が知る由もなかった、というのが実情でしょう。

 本書では、その実体について、的確に教授してくれます。まず、敗戦後の日本を支配下占領軍GHQ(General Headquarters、連合国軍最高司令部)内で諜報、検閲を扱う総本部はG-2(参謀第2部)と呼ばれ、そのトップは、マッカーサーの忠臣チャールズ・ウィロビーでした。そのG-2の傘下には民事を扱うCIS(民間諜報部)と軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)が置かれ、このCISに属していたのがCCD(Civil Censorship Detachment、民間検閲局)でした。

 CCDには、郵便、電信、電話の検閲を行う通信部門(Communications)と、新聞、出版、映画、放送等を検閲するPPB(Press, Pictorial &Broadcasting)部門がありました。検閲対象については、例えば、1948年6,9月のリストでは郵便部門が75%と全体の4分の3を占めていました。つまり、GHQは、右翼、左翼の大物も含めて、日本国民の占領軍に対する「庶民感情」を一番知りたかったことになりますね。支配者として、統治の基準を暗中模索で探っていたか、問題人物は刑務所にぶち込むなどしていたのでしょうね。

 日本人検閲官は、かなりの高給で採用されたことを本書で初めて知りましたが、GHQのポケットマネーで給与が支払われたわけではなく、日本政府が賠償金代わりに負担させられていたというのです。まさに、踏んだり蹴ったりですね。

 江藤淳が追及していた当時は分からなかった日本人検閲官については、ほんの一部ながら、本人による手記などで分かってきています。2月27日の諜報研究会のオンライン講座で話題になった進歩派知識人の代表である劇作家の木下順二もその可能性大ですが、後に推理小説の大家となる鮎川哲也(1919~2002)は、「うしろめたい仕事だった」と回想し、ロッキード事件などの追及で「国会の爆弾男」の異名を持った楢崎弥之助(1920~2012、元衆院議員)も、福岡のCCDで検閲に携わった体験談を残しています。

 日本人検閲官は、英語の出来る東大や津田塾大などの若い学生が多かったようですが、興味深かったのは高齢者雇用です。例えば、斎藤玉男という人は、東大医学部を卒業した精神科医で、「智恵子抄」の高村智恵子が入院したゼームス坂病院を開設したり、東京府立松沢病院副院長などを歴任しながら、戦後は職がなく、猛烈な食糧難とインフレに悩まされていたことから、1948年にCCDに採用されます。斎藤は1880年生まれなので、この時、68歳です。他にも高齢者採用の中に、元大学教授や元外交官らエリート層がいましたが、著者の山本氏は「人生50年と言われた当時の60歳代は現在の90歳代に相当するだろう」と書いています。

参謀本部の高級幕僚は売国奴に

 検閲以外で、著者の山本氏が最も糾弾しているのが、有末精三中将や服部卓四郎大佐といった戦時中の参謀本部の高級幕僚だった元軍人で、彼らは専門知識を旧敵国に最高値で売り込み、占領の手助けをしたというのです。山本氏は「売国奴以外の何者でもない」と書いてますが、その通りですね。戦後直後の占領期には、帝銀事件、下山国鉄総裁事件、三鷹事件、松川事件などといった「陰謀事件」が多発し、キャノン機関による工作などGHQの影もちらついています。

 私自身、最近、戦国時代に夢中になって、少しだけ近現代史から遠ざかっていましたが、まだまだ勉強が足りないと実感しました。

老化は病気なので治療可能?=デビッド・A・シンクレア著「LIFE SPAN 老いなき世界」

 何とも言えない異様な世界に足を踏み入れてしまいました。

 不老不死を求めた秦の始皇帝が派遣した徐福になったような気分です。

 何しろ、「老化とは一個の病気であり、治療可能。死は必然であるとする法則はない」と著者は力説しているのです。今、話題のデビッド・A・シンクレア、マシュー・D・ラプラント著、梶山あゆみ訳「LIFE SPAN 老いなき世界」(2020年9月29日初版)という本を読み始めています。分子生物学、遺伝学の専門書ですが、日本版が経済専門出版社である東洋経済新報社から出版されたということは意義深いのかもしれません。

サーチュイン、エピゲノムって何?

 でも、文科系出身の人間が読むと、かなり難しく、私なんか途中で投げ出したくなりました。(私の生物学の基礎知識は、この本の著者がまだ幼児だった頃の1970年代初頭の高校時代で終わってます。ワトソン=クリックが発見したらせん状のDNAの発見までは習いましたが、それがどんな働きをして、生命にどんな影響を及ぼすのか詳しく知らないままで終わっていました)ということで、最初から耳慣れない専門用語がドバドバ出現して頭が混乱します。

 例えば、死滅しつつある細胞の中で、増えたいという根源的な欲求に応えようと奮闘する「マグナ・スペルテル」(「偉大なる生き残り」の意味)とか、DNAの損傷の修復や細胞分裂など「災害対応部隊の指揮官」と呼んでも良い「サーチュイン」という酵素、そのサーチュインが活動するのに必要な「NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)」、このほか、生体のアナログ情報である「エピゲノム」とか、DNAとタンパク質の複合体「テロメア」などです。

 でも、こういった専門用語を会得すると、俄然と面白くなってきます。私の場合は、本書の3分の1に当たる第2部の168ページを過ぎた辺りからです。そこからは、健康寿命を伸ばすための「工夫」が書かれているからです。

酒、タバコを控え、たまには断食、そして運動

 「長生きするには、どうしたらいいんだよ」というセッカチな皆さんに合わせてみますと、著者が力説するのは、まず、タバコは百害あって一利なしということで御法度です。DNAを損傷させ、肺がんなどの疾患になって死に至ります。(私の大好きなビートルズのジョージ・ハリスンはかなりのヘビースモーカーだったせいか、肺がんのため58歳の若さで亡くなってしまいました。)

 また、お酒もほどほどにした方がよく、ワインもグラス2杯ぐらいに止めることが賢明だとか。食事は、なるべくカロリー制限し、肉食より菜食、できれば、間欠的断食で身体に負荷をかけた方が長生きするといいます。(国際カロリー制限協会会員のマグロシンさんは、70歳になったとき、カロリー制限のおかげで、血圧も悪玉コレステロール値なども実年齢より遥かに若かったといいます)そして、何よりも、定期的な運動です。それも、気楽な散歩ではなく、それなりの速さで走った方が、長寿遺伝子を活性化するといいます。

 他にポリ塩化ビニルなど複合化学物質や排気ガスなどを避けて、たまには極寒の体験によりサーチュインにスイッチを入れ、長寿遺伝子を活性を促す、なんてものもあります。

 これらは、いずれも荒唐無稽な話ではなく、科学者である著者(豪州シドニー出身で、現在米ハーバード大学医学大学院教授)が実際に酵素やマウスなどを使って実験したデータなどから導き出したものです。

 ◇ラパマイシンで10年も寿命伸びる?

 実は、まだ半分ぐらいしか読んでいないのですが、できれば、この本を読むお仲間を増やして語り合いたいと思ったので、早々に御紹介しました。

 モアイ像で有名なイースター島で、1965年に発見された菌の化合物「ラパマイシン」というのが、ヒトの免疫を抑制する機能を持つ一方、mTORタンパク質を阻害することで寿命を伸ばす働きを持つことが分かってきました。(ショウジョウバエなどにラパマイシンを与えると、人間に換算すると約10年分も健康寿命が伸びた!)このように、近年になって、次々と長寿につながる物質が発見されているのです。このままでは、人間、100歳どころか120歳まで生きるのが普通になる未来がやってくるかもしれません。

 久しぶりにドキドキワクワクする知的興奮を味わっています。

【追記】

NMN(ニコチンアミド モノ ヌクレオチド)については、面白いサイトを見つけました。TEIJIN系の会社のようですが、分かりやすい。

黙っていることは独裁者の容認につながる=ジョージ・オーウェル「動物農場」を読んで

  ジョージ・オーウェルの代表作「動物農場」(早川文庫)を読了しました。

 読書力(視力、記憶力、読解力)が衰えたせいか、「あれ?このミュリエルって何だっけ?」「ピンチャーって何の動物だったかなあ…?」などと、何度も前に戻って読み返さなくてはなりませんでした。嗚呼…。

◇ケッタイな小説ではない

 しかも、読み終わった後も、「何だか、ケッタイな小説だったなあ」と関西人でもないのに、関西弁が出る始末です。でも、この浅はかな感想は、巻末のオーウェルによる「報道の自由:『動物農場』序文案」と「『動物農場』ウクライナ語版への序文」、それに「訳者あとがき」を読んで、自らに鞭を打たなくても撤回しなければならないことを悟りました。

 この本を読む前の予備知識は、ソ連の社会主義、というよりスターリン独裁主義を英国伝統のマザーグース(寓話)の形を取って暗に批判したもの、ぐらいだと思っていたのですが、もっともっと遥かに深く、含蓄に富んだ野心作だったのです。著者によると、1944年に書き上げた時点で、この作品を世に出そうとしたら、出版社4社にも断られたといいます。当時は、まだ秘密のヴェールに包まれたソビエト社会主義に対する幻想と崇高な憧れが蔓延していて、こんな本を出してロシア人の神経を逆なでしては不味いという「忖度」が、出版を取り締まる英国情報省内にあったようです。

本文と関係ありません

 社会主義者を自称するオーウェルに対して強硬に批判したのが、右翼ではなく、まだスターリンの粛清や死の強制収容所の実態を知らない左翼知識人だったというのは何とも皮肉です。後にノーベル文学賞を受賞する詩人T・S・エリオット(当時、出版を断ったフェイバー&フェイバー社の重役だった)もその一人です。訳者の山形浩生氏によると、同書は、ナチスによる反共プロパガンダに似たようなものと受け止められた可能性さえあったといいます。当時の時代背景をしっかり熟慮しなければいけませんね。(日本は太平洋戦争真っ只中で、敗戦に次ぐ敗戦)

 いずれにせよ、この作品は1945年にやっと刊行され、日本でも、米軍占領下の1949年に永島啓輔による訳(GHQによる翻訳解禁第1号だった)が出されるなど世界的ベストセラーとなり、オーウェルの代表作になりますが、その間、色々とすったもんだがあったことが巻末の「あとがき」などに書かれています。

 日本ではこの後、あの開高健まで訳書を出すなど何冊か翻訳版が出ていますが、私が読んだのは、2017年に初版が出た山形氏による「新訳版」です。日本語はすぐ古びてしまうので、このように新訳が出ると助かります。原書を読んでもいいのですが…。

◇知らぬ間に独裁政権

 私自身は浅はかな読み方しかできませんでしたが、登場するブタの老メイジャーがレーニン、インテリで演説がうまいスノーボールがトロツキー、そして、このスノーボールを追放して徐々に徐々に独裁政権樹立していくナポレオンがスターリンをモデルにしていることは感じていました。当初は、人間であるメイナー農場主のジョーンズを「武装蜂起」で追放して、平等な動物社会を築いていく目論見だったのが、最初に皆で誓った「七戒」が、ナポレオンに都合の良いように書き換えられていくことがこの作品の眼目になっています。例えば、もともと最後の7番目の戒律が「すべての動物は平等である」だけだったのに、いつのまにか、「だが一部の動物は他よりもっと平等である」という文言が付け加えられていて、次第次第にブタのナポレオンが、イヌや羊や馬やロバやガチョウなどの上に君臨して富と権力を独占していくのです。

抗議しないことは独裁者容認と同じ

 私自身は、こういった独裁者に対する批判だけが著者の言いたかったことだと皮相的に読んでしまったのですが、訳者の山形氏は「あとがき」でこう書いておりました。(一部変更)

 ここで批判されているのは、独裁者や支配階級たちだけではない。不当な仕打ちを受けても甘んじる動物たちの方である。…動物たちの弱腰、抗議もせず発言しようとしない無力ぶりこそが、権力の横暴を招き、スターリンをはじめ独裁者を容認してしまうことなのだ。

 なるほど、さすがに深い洞察です。

 ここで思い起こすことがあります。今、ロシアのプーチン政権下で、毒殺されかけた反体制指導者アレクセイ・ナワリヌイ(44)氏が、拘束されると分かっていながら、1月17日、ドイツからモスクワに帰国し、案の定、空港で拘束されて30日間の勾留を命じられました。ナワルヌイ氏は、とても勇気のある行動で尊敬に値することですが、私は、正直、無謀の感じがして、普通の人なら「長い物には巻かれろ」で黙ってしまうと思ってしまいました。でも、抗議の声を上げないことは権力者の横暴と独裁を容認することになってしまう、という自覚がナワリヌイ氏にあったということなのでしょう。「動物農場」を読んでその思いを強くしました。

ジョージ・オーウェル「一九八四年」は人類の必読書

◇自分は何のために生まれてきたのか?

 自分では若いつもりでしたが、いつの間にか、自分の人生を逆算する年代に突入してしまいました。残りの人生、自分に何ができるのか、何がしたいのか、そもそも、一体何のために、この世に生まれてきたのか?

 まあ、答えは見つからないまま、一生を終えることでしょう。ですが、少しながら、見極めぐらいできるようになりました。つまり、ベンチャー企業に投資して莫大な利益を得たい、とか、競馬で大穴を当てたい、とか、若い女の子を侍らしてどんちゃん騒ぎをしたい、とか、もうそういった欲望は歯牙にかけないで、このまま知的好奇心を持ち続けていくということです。具体的には、本を読んだり、寺社仏閣、城巡りをしたり、劇場や博物館などに足を運んだりといった程度ですが。

スペイン・バルセロナ・サグラダファミリア教会

 今は、新型コロナによる自粛で動きが取れないので、只管、読書です。残りの人生、あと何冊読めるか限りがあるので、なるべく、まだ読んでいない古典や名作に絞ることにしました。その中で、気になっていたのが、やはり、ジョージ・オーウェル(1903~50年)です。2018年9月にスペイン旅行を敢行し、帰国して早速読んだのが、彼のスペイン内戦従軍記「カタロニア讃歌」でした。その感想文は同年11月6日の記事「『カタロニア讃歌』はノンフィクション文学の金字塔」に書いた通りです。誰一人も褒めてくれませんが、我ながらよく書けたと思っています(笑)。

 この時、「ジョージ・オーウェルの代表作を読んでいくつもり」と書いておきながら、なかなか実現していなかったことを2年以上も経って、やっと着手しているのです。「一九八四年」はやっと読了し、今は「動物農場」を読み始めているところです。

◇今さらながらの「一九八四年」

 えっ?あれだけ話題になっていたのにまだ読んでいなかったの?

 皆様のご怒り、ごもっともです。でも、「一九八四年」の「訳者あとがき」によると、読んでいないのに、見栄によるのか礼儀によるのか、読んだふりをしてしまう本の英国での第一位が、この「一九八四年」だというのです。

 私も高校時代に、高校の図書室で初めて手に取って、「何だ、SFかあ」と生意気にも数行読んで借りずに書棚に返したままでした。私が高校生時代、1984年は、まだまだ先の未来の話だったのです。そんなあり得もしない空想小説なんて…と本当にボンクラだった私は勝手に判断してしまったのです。

 今回読んだ「一九八四年」(ハヤカワ文庫)は、2009年初版で高橋和久東大名誉教授による新訳です。旧版のミスプリントなどを直した本格版のせいか、私が手に入れた2020年1月15日発行は「42刷」にも達しています。やはり、結構読まれているのですね。

 この本が書かれたのは1949年で、オーウェル45歳ぐらいの時です。(翌年亡くなるので、最後の作品になりました)彼にとって、1984年は「35年後の未来」ということになりますが、今、我々が生きている現代2021年は、1984年から見れば、もう軽く「35年の未来」は過ぎてしまっています。嗚呼、何とも怖ろしい…。

 「ビッグ・ブラザーがあなたを見ているという全体主義的な監視社会は、空想事ではなく、現実世界になっています。世界中で、何億もの監視カメラが街角やコンビニや駐車場に張り巡らされ、チップが埋め込まれたスマホが公然と販売され、位置情報やら、その個人が何を買って、何を食べたのか、FacebookなどSNSのお蔭で、趣味趣向から友人、家族関係、不倫まで情報漏洩して当局や広告代理店やメディアに把握される有様です。特に、ブログなんか書いている小生なんぞは丸裸にされているのも同然ですね(笑)。

 「一九八四年」は、ミステリーか推理小説の側面もあるので、まだ未読の人のために、主人公のウィストン・スミスと恋人のジュリアが最後にどうなってしまうのか、書かない方がいいでしょう。でも、人類にとって必読書であり、知的財産であることは確かです。「人類が読むべきベスト10」に入ると思います。

◇露骨な性的描写も

 正直、最初、出だしのオーウェルの文体に馴染めず、投げ出したくなりましたが、それを越えると、どんでん返しが待っていて、「ガーン」と視界が開けます。というより、露骨な性的描写があったとして「チャタレー夫人の恋人」(D.H.ローレンス作、伊藤整訳)の裁判で問題になった最高裁による猥褻の概念ー「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、通常人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」に匹敵するどころか、それを越えた描写が出てきて、俄然、面白くなります(笑)。よく、発禁処分にならなかったなあ、と思ったぐらいです。私なんか高校生の頃、「チャタレー夫人」を読んでも何ともなかったですが、やはり、未成年は読んじゃ駄目ですね(笑)。

◇観念論による鋭い政治風刺

 でも、この小説の中核は、観念論と政治風刺です。監視と粛清の嵐が吹き荒れるソ連のスターリニズムを思わせる箇所が想起されるのは今さら言うまでもありませんが、そう容易く読める文章は続きません。オーウェル特有の「無知は力なり」「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「二重思考」といった概念を会得するには骨が折れることでしょう。

 文庫版の解説はあの著名なトマス・ピンチョンが担当して、鋭い指摘をしています。

  平和省は戦争を遂行し、真理省は嘘をつき、愛情省は党の脅威になりそうな人物を片っ端から拷問し殺していく。もしこれが馬鹿馬鹿しいほど異常と思われるなら、現在の米国に目を向けてほしい。戦争を造り出す装置が「国防省」と呼ばれていることを疑問に思っている人はほとんどいない。同様に、司法省がその恐るべき直轄部門であるFBIを用いて基本的人権を含む憲法の保障する権利を踏みにじっていることは、十分な書類として提出されているにもかかわらず、我々はその省を真顔で「正義(ジャスティス)の省」と呼んで平気でいる。

 オーウェルの「一九八四年」も英国伝統の風刺と逆説を熟知していなければ、作者の意図も理解できないということになりますね。