光の速度は不変なので時空がゆがむ=Newton 別冊「相対性理論」

 今、Newton 別冊「相対性理論」(ニュートンプレス、2023年2月5日発行)を読んでいます。私は、典型的な文系人間のズブの素人なのに、実に大胆不敵です。

 しかし、実は、あることがあってから、私はすっかり「理系」志望になりました。文系の学問なんて実に幼稚に見えます。歴史や政治思想なんて、勝者の論理じゃないですか。何はともあれ、お家大事、周囲を洞ヶ峠から眺めて、忍びを使って、勝ち馬に乗ることしか考えない人間。インパール作戦では、10万人の兵卒を白骨街道に置き去りにして指揮官の将軍は飛行機で逃げ帰った人間。心理学なんて学問なんですか? 人間は、気まぐれでコロコロと自分の意見を変えます。朝は、「左」だと言っていた人間が、夕方には「右」だと言い張ります。自己保身のためなら、気に喰わない人間を踏み台にして、内通、変節、寝返り、裏切りなんて平気の平チャラです。所詮、人間は、生物学的にそのように出来ているわけですね。

 人間には物語が必要だ?ー要らないでしょう。新聞のお悩み相談コーナーを読んでごらんなさい。強欲あり、嫉妬あり、羨望あり、怠惰あり、卑怯あり、無関心あり、差別あり。人間は、毎日毎時、いかに醜い争いをしているのか3分間で分かりますよ。21世紀になっても戦争はなくなりません。ウクライナだけではありません。パレスチナ、シリア、スーダン、アフガン…と紛争、内戦が続き、明日の生活もままならない難民が溢れています。人間は所詮、他者を支配して楽をして過ごしたい無責任な生物なのです。弱肉強食のジャングルでの仁義なき戦いの世界です。人生に意味も目的もありません。それでお仕舞い。

 えっ? それを言っちゃあ、おしめえよ、ですか?ま、確かに、ここまで言ってしまっては身も蓋もありませんね。ただ、私も「あること」があってから、随分、醒めました。達観して冷血人間になりました。でもー。

 出来る限り、勇気と夢と希望を持ってください。人間にとって最も大切なことは慈愛であり、思いやりである、と思ってください。恵まれない他者には親切にしてください。ボランティア奉仕と寄付と布施に励んで、陰徳を積んでください。

 というのが私の本心、としておいてください。

◇物理学、万歳

 その一方で、自然科学は宇宙の真理を教えてくれます。人間なんていなくても構いません。地球46億年、宇宙138億年の歴史から見て、人間は小数点以下のページにやっと登場するに過ぎません。すっかりひねくれてしまった私としては、それが実に爽快なのです。宇宙に終わりがありますが、その前に、我々が住む天の川銀河の終末があります。いや、その前に太陽系の崩壊、消滅があります。そうなれば、人間も、その記憶も、文化遺産も何もかもなくなります。

 このように理系の学問は随分、悲観的絶望的な危険思想なのに、どういうわけか生きる勇気と希望が湧いてきます。人間が考え出した神や如来や宗教を超えた絶対真理を追究するからなのでしょう。泣こうが喚こうが人間を超えた学問とも言えます。

 ですから、「光の速度は不変なので、時間と空間が相対的に変化する。時間が遅れたり、空間がねじれたり、縮んだりして見える」(アインシュタイン特殊相対性理論)と言われても、門外漢でもすんなりと理解できるのです。いや、人間を超えた真理なので、泣こうが喚こうが、そう理解するしかないのです。

築地「わのふ」

 でも、科学は、それほど乱暴な話ではありません。発表された当初は仮説だったとしても、ちゃんと科学的実験で証明されていきます。例えば、2020年、東大、理化学研究所、島津製作所などが光格子時計という最新技術を使って、東京スカイツリーの地上階と450メートルの展望階とで時間の進み方を測定したところ、約5京分の1、展望階の方が地上階より時間が速く進んでいたことが証明されたというのです。

 えっ?本当ですか? 典型的な文系人間のズブの素人の私なのに、このNewton 別冊「相対性理論」は実に面白く読めます。

 

 

生年月日と運命との関係=五木寛之「孤独を越える生き方」

 ラジオ深夜便の放送を書籍化したものですが、作家の五木寛之「孤独を越える生き方」(NHK出版)を興味深く拝読いたしました。

 ・人生とは苦しみと絶望の連続だと覚悟する。

 ・孤独でいることは、人生を豊かにしてくれるボーナスのようなもの。

 ・孤独とは人間にとって必要な時間。

・「他力」とは努力を尽くした人が最後に行き着く境地。

 …等々、心に染み入る言葉が胸に突き刺さりました。

 90歳になる作家は、いまだに人生を達観したわけではなく、迷いながら一つずつ歩んでいるようにさえ思えました。仏教思想、特に親鸞、蓮如らの浄土真宗の思想に影響を受けた五木氏なので、彼の人生観、死生観は、浄土真宗の思想そのものですが、日本人として生まれると、どういうわけか、無意識に共鳴してしまいます。

 特に「人生とは苦しみと絶望の連続だと覚悟する」なんて、キリスト教やイスラム教では絶対、説いたりしませんからね。

 本文の中で、フィギュアスケートの羽生結弦選手の「努力はウソをつく。でも無駄にならない」という言葉を引用しながら、「『他力』とは努力を尽くした人が最後に行き着く境地と言えるかもしれない」と五木氏は、発言しておりました。これも、仏教思想の「諦念」に通じるところがあります。

 実は、本日は、以上のことをブログに書きたかったわけではありません(笑)。五木氏が「奇しくも石原慎太郎さんと同月同日生まれなんです」と発言したことに吃驚したからでした。二人とも1932年9月30日生まれだったのです。二人は、性格も違えば、趣味も思想も政治信条も全く違いますが、小説家という共通点があります。片や芥川賞、片や直木賞の違いがありますが、これは偶然なのかなあ、と思ってしまったのです。

 よく、「星の下に生まれる」と言いますが、やはり、生まれた生年月日で人の運命が決まるんでしょうか? 四柱推命は、まさに、生年・月・日と生まれた場所の四つの要素で運命を判断しますが、科学的に証明できなくても、何かの法則があって、だから当たるのでしょうか?

 背中がゾクゾクっとしてしまいました。

パラレルワールドもタイムマシンも出来るかもしれない?=ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」を読了して

 昨日、ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」(NHK出版)を読了しました。「嗚呼、面白かった」と言いたいところですが、理解できたのは7割ぐらいかな、というのが正直な感想です(苦笑)。

 これは以前にもこのブログに書きましたが、後半に量子論が登場してから、俄然、難しくなります。例えばー。

 ひも理論の超対称性といった要素は、無用でもなければ物理学に適用できないわけではもないことは認めなければならない。超対称性が存在する証拠はまだ見つかっていないが、量子論に潜む問題の多くを取り除くために欠かせないことは分かっている。超対称性は、ボソンをフェルミオンで相殺して量子重力理論を悩ます発散を取り除くことで、長年の課題を解決することができる。(174ページ)

 なんて言われても、日本語として辛うじて字面は読めても、うーん?どうゆうこと?と思ってしまいます。やはり、修行が足りない。

 でも、著者を批判しているわけではありません。一般の人でも、生まれて初めて相対性理論や量子論に触れる人でも分かりやすく基本的に説明してくれます。しかも、現代の最先端の理論物理学は、この相対性理論や量子論を統合した「万物の理論」を構築しようとしています。でも、いまだその理論は確立せず、そもそも相対性理論と量子論が統合できるわけがないという学者もいるようです。

 今後どうなるのか? 素人はその推移を見守るしかありませんが、少なくとも「まだ分からないことが分かった」ことは収穫ではありませんか!

銀座

 著者らが提唱する「超ひも理論」によると、我々が、縦、横、高さの三つの座標で定義される空間を動く三次元の存在だと思い込んでいるが、それは幻かもしれないといいます。本当は、我々は、ホログラムのような中で生きているかもしれないし、我々が体験している三次元の世界は、本当は十次元や十一次元である現実世界が落とす影に過ぎないかもしれないというのです。そう言われてもねえ。。。。しかも、本文では十一次元の世界とはどうゆうものなのか、素人に分かりづらいだろうと著者は思ったのかどうか知りませんが、説明がありません。

 十一次元の世界とは何か? 調べてみると、我々が実感できるのは縦、横、高さの三次元の世界で、見えたり、触ったり、匂いを感じたりすることができます。これに時間が加わると四次元の世界になります。でも、超ひも理論となると、この四次元以外に七次元の世界もあるというのです。この七次元は触ることも見ることもできず、「余剰次元」とも呼ばれますが、素粒子にぐるぐる巻かれたり折り畳まれたりして確かに存在するというのです。そう言われてもねえ。。。

銀座「割烹 きむら」

 ちなみに、この素粒子というのは、物質を分解していくと、分子や原子になり、さらに分解していくと、電子、陽子、中性子になり、またさらに分解してこれ以上のものにならないもののことですから、もともと、肉眼や普通の顕微鏡では見えないものです。これらの形状は、当初は粒と考えられていましたが、粒ではなく、実は波の性質を持って回転したり、振動するひものようなものではないかという説を唱えたのが、後にノーベル物理学賞を受賞する南部陽一郎氏らです(1970年の弦理論)。これが10次元空間の場に発展した「超ひも理論」(84年)となり、さらに11次元のM理論(95年)に引き継がれたといいます。

東銀座

 そこで、私なりに考えたことは、音楽の平均律です。ド、レ、ミ、ファ…の1オクターブを12等分した音律のことです。明治以降に教育を受けた日本人の多くは、ド、レ、ミ、ファの12平均律は極めて当たり前で常識な話です。しかし、これは西洋音楽が、オクターブを12分割しただけだったのです。トルコでは53平均律があるらしく、インドでは100とか200とかの平均律もあると聞いたことがあります。バイオリンなど弦楽器を例に取れば分かりやすいと思います。ドとレの間の半音としてド#か、レ♭の音がありますが、本来ならドとド#の間にも音があり、またその間にも音があり、音階として使えるはずなのです。それをわざわざ音階として使っているのはトルコの音楽であり、インド音楽になるわけです。

 もっと言えば、人間の耳に聞こえる周波数の範囲(可聴域)は、低い音で20ヘルツ、高い音で20キロヘルツぐらいまでの間だと言われています。それは、人間だけに当てはまることであって、例えば、イルカですと、150ヘルツから150キロヘルツの間なら聞こえると言われています。つまり、音の周波数は無限大にあり、人間が聴こえないからと言って、その周波数の音がないとは言えないわけです。

 先ほどの十一次元の世界で、七次元の世界は余剰次元と言われて、まだ実体が分かっていないのですが、まだ見つかっていないからと言って、「ない」とは言えないことも、今の例え話で共感してもらえるんじゃないかなあ、と思いました。

 何か偉そうなことを書いてしまいましたが、以前もブログに書いた通り、最先端の物理学とは結局、宇宙論です。「万物の理論」が構築されれば、ブラックホールの実体が分かり、我々の世界と同じようなパラレルワールド(並行世界)が宇宙の何処かに見つかるかもしれません。SFの絵空事だったタイムマシンだって、開発されるかもしれません。そう思うと、何かワクワクして、もっと長生きしたいと思いますよね?(笑)。

最先端の物理学とは宇宙論?=ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」

 ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」(NHK出版)を読んでいます。まだ途中で、3分の2ぐらい進んでいます。

 でも、登山でいうところの「難所」があり、途中で引き返したくなるほど読むのが難儀してしまう箇所もありました。特に量子論に入った頃から難しくなりました。ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマン博士ですら「量子力学を理解している人は誰もいないと言っていいと思う」と発言するぐらいですから、まして文科系の素人をや、です。それに、学生時代は量子論なんて全く習いませんでしたからね。

 この本は2022年4月30日初版ですから、出版されて1年以上経ってますが、日本ではあまり大きな話題になりませんでしたね。「神の方程式」ですから、新興宗教の聖典と勘違いされたのでしょうか? でも、この本は、理論物理学の一般向けの好著だと思います。難しい数式は本文では避けて、註釈の中に登場させています。また、訳者の斉藤氏の翻訳がこなれていて読みやすいお蔭で、文科系の素人でも理解しようと頑張れば出来るからです。

 この本は、このブログで以前ご紹介したニュートン別冊「学びなおし 中学・高校物理」(ニュートンプレス)を読了した際にも取り上げました。繰り返しになりますが、現代の最先端の物理学は、マクロな世界を記述するアインシュタインの一般相対性理論と、ミクロな世界を記述するシュレーディンガーやハイゼンベルクらの量子力学(量子論)を融合した「究極の理論」を構築しようとしていて、未だにその統一された「万物の理論」は出来ていません。本書はそれまでに至る過程というか、偉大な科学者の業績と歴史を辿り、今後の展望を探っています。つまり、この1冊で、最先端の物理学が分かるわけです。先のブログでご紹介した通り、著者のミチオ・カク(賀来道雄)氏(76)は、日系3世の米国人で、ニューヨーク市立大学教授です。米国では、テレビの多くの科学番組やニュースの解説者として登場し、大変な有名人のようですが、不勉強な私は存じ上げませんでした。

 私は文科系の人間ですが、最先端の物理学の礎を築いたニュートンとアインシュタインの二人の科学者について、著者の見方が面白かったです。カク氏によると、ニュートンは、孤独を好み寡黙で、人間嫌いと言っていいほど。生涯の友はおらず、日常会話も満足に出来なかった、とまで言ってしまっております。一方のアインシュタインは、社交的で、人間的で気取らず、周囲の人間はその高潔さに圧倒されるものの、誰からも愛される性格だったといいます。文科系の人間は、理論よりも、こういった人間臭い話の方が好きです(笑)。

 カク氏は大学の先生ですから、説明の仕方も分かりやすいです。例えば、こんな感じです。

 アインシュタインは見事にこう見抜いた。光の速度は不変だから、光速を不変にするために、時間と空間が歪むのに違いない!

 アインシュタインは、万有引力が実は錯覚であるという見事な知見を得た。物体が動くのは、重力や遠心力で引っ張られるからではなく、周囲の空間の湾曲によって押されるからである。もう一度言おう。重力が引っ張るのではなく空間が押すのだ。

 このように、「時空は重い質量によって歪み、重力による力の錯覚をもたらす」という一般相対性理論を一般向けに易しく解説してくれます。

 さて、究極の万物の理論が構築されると何が解明されるのか? 著者は、それについても明確に答えています。著者によると、究極の理論とは、自然界の四つの力(重力、電磁力、強い核力、弱い核力)が一つの理論にまとまる考えだといいます。疑問が解明する可能性があるものの中にはー。

●ビッグバンの前に何が起きていたのか? そもそも何故ビッグバンが起きたのか?

●ブラックホールを抜けた向こう側に何があるのか?

●タイムトラベルは可能なのか?

●いくつもの並行宇宙からなるマルチバース(多宇宙)は存在するのか?

 等々ですが、あれっ?です。最先端の物理学の究極の理論というのは、宇宙論のことではありませんか!(つづく)

【追記】2023年8月24日

 ニュートンとアインシュタインという2人の天才に関して、もう一つ、人間的な側面を追加しておきます。

 ・人間嫌いで奥ゆかしいニュートンは、自分の著作の出版を考えていませんでしたが、ニュートンの業績に感嘆して、その著作の印刷費用を支払うことを申し出たのは、「ハレー彗星」で名を残した天文学者のエドモンド・ハレーだった。その著作とは、科学史に残る重要な最高傑作の一つとなる「プリンシピア 自然哲学の数学的原理」(1687年)だ。

 ・アインシュタインは、ロングスリーパーで、毎日10時間寝ていたといわれる。

 

物理学に苦手意識がなくなったことが収穫です=ニュートン別冊「学びなおし 中学・高校物理」

 むふふふ…。ニュートン別冊「学びなおし 中学・高校物理」(ニュートンプレス)を読了しました。広げたら縦27.5センチ、横42.0センチというデカイ本を小さく折り畳んで、満員電車の中で一生懸命読んでいた老師がいたとしたら、それは私です。今どき、電車の中で勉強している人間は皆無です。。。と思いきや、本日は、司法試験らしき勉強をしている若い人を一人だけ見つけましたが、彼は座ると直ぐ寝入ってしまいました(笑)。

 「学びなおし 中学・高校物理」は、看板に偽りあり、ですね。「ドップラー効果」「慣性の法則」「ボイル・シャルルの法則」といった実に懐かしい用語が出てきましたが、「キルヒホッフの法則」も「波動関数」も、それ以外はほとんど習っていないことばかりです。「学びなおし」にならず、お初に学習させて頂きましたが、お蔭様で、物理学に対する謂れも知れぬ恐怖心はなくなりました。「全て理解できた」などとおこがましいことを言うつもりはありませんが、少なくとも、物理学に対する苦手意識がなくなり、むしろ、非常に好きになりました。

 いやはや、人類が確立した学問の中で、物理学ほど面白い学問はありません、と図々しく言っても過言ではありません(笑)。

Ginza

 この本では、

・重力は距離の二乗に反比例する。

・重力の正体は時空のゆがみである。

・自然界は波(電磁波、電子の波、音波など)に支配されている。

・自然という書物は、数という言語で書かれている。(ガリレオ)

 などといった物理学のキーワードが登場し、文科系の人間でも大いに深く考えさせられました。

 結局、自然科学は、実験で得た仮説を、最終的には数式に当てはめることによって初めて万物に応用が出来る学問だと思いました。アインシュタインが自らの相対性理論らしき理論を、黒板いっぱいに数式を書いて説明講義している写真を見たことがありますが、素人にはさっぱり分かりませんでしたけど(笑)。

 しかも、物理学は象牙の塔には閉じ籠りません。ニュートンの万有引力の法則は、蒸気機関の発明に応用され、産業革命の土台になりました。ファラデーとマクスウェルによる電気と磁気の解明によって、都市に街灯が巡らされ、発電機が発明され、ラジオやテレビの通信にまで応用されました。アインシュタインの相対性理論は、核力の存在を明らかにし、残念ながら本人は関与しなくても原子爆弾の開発につながり、シュレーディンガーやハイゼンベルクらの量子力学は、レーザーを始め、インターネットからスーパーコンピューターの開発に至るハイテク革命にまで応用されました。(実は、この辺りは、ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式」(NHK出版)からの部分引用です。)

Ginza

 さて、現代の最先端の物理学はどうなっているのでしょうか? 同書によると、現在の物理学者たちは、マクロな世界を記述する一般相対性理論と、ミクロな世界を記述する量子論を融合した「究極の理論」を構築しようと努力しているといいます。

 それは、仮に「量子重力理論」と呼ばれているそうですが、先に引用した「神の方程式」の日系3世の米国人ミチオ・カク(賀来道雄)ニューヨーク市立大学教授(76)もその一人です。彼は、「粒子と波の二面性」を持つ素粒子は点状の粒子とは考えず、長さを持つ「ひも」として考える「超ひも理論」の提唱者です。と、言われても、中学・高校で習ったことはなく、これまた初めて聞く理論です。

 人間、何歳になっても、勉強し続けなくてはいけませんね。時代についていけなくなってしまいます。

健康のために出来ること=物理の学び直し

 別に(沢尻エリカさん風に)、皆様とお約束したわけではありませんけど、今、物理学の勉強をし直しています。

 ここ数年、人間関係で色々とありまして、すっかりミザントロープになってしまいました。人間どもの歴史も哲学も宗教も物語もうんざりです。勉強とは言っても、写真のニュートン別冊「学びなおし中学・高校物理」を読んでいる程度ですが、気分はすっかり中学生です。自分が多感だったあの中学生時代も思い出します。あの頃は大人と子どもの中間時代で、どっちつかずという精神的にも肉体的にも不安定を抱えていました。社会に対する不信感だらけで、大人顔負けのニヒリズムに陥っていました。中学生時代に戻りたい気持ちは毛頭ありませんが、戻れたとしても、もっと理科系の勉強をしておけばよかったと思っております。

 その思いが強いのでこうして物理を勉強し直しているのです。自分は何のためにこの世に生まれて来たのか?他人が歌ったり踊ったり演技したりしているのを見るためにこの世に生まれてきたわけではないし、他人の「妄想」に付き合うために生まれて来たわけでもありません。それに、他人の動画を見て時間を浪費するために生まれて来たわけでもありません。そんなこと言うなんて、我ながら随分ひねくれてますけど、結局、誰も自分の身代わりになってはくれません。自分自身で答えを見つけて納得した人生を送るしかありません。

 物理を勉強し直そうと思ったのは、これまで思想形態の変更ーもっと易しく言えば、自分自身の考え方のクセを変えてみようと思ったからでした。例えば、ロシアによるウクライナ侵攻は、プーチンが自らをピョートル大帝に見立てて、大国ロシアの復活を試みたとか、米国を中心にした西側NATO諸国との覇権争いだの、文科系思考で何とでも言えますが、自然科学的思考を導入すると違った側面が見えてきます。黒海沿岸の肥沃地帯(ウクライナ)を巡るホモ・サピエンスの浸食とか、物理学の運動の第3のの法則「作用・反作用の法則」とニュートンの万有引力の法則で説明できるとか…。勿論、プーチン大統領の蛮行は万有引力の法則の定数には当て嵌められないことでしょうが、プーチンも人間なら自然界の生物の一員ですから、何らかの自然界の法則に左右されていることは間違いないはずです。

 それに、長引くウクライナ戦争を見ていると、「作用・反作用の法則」が働いていることは間違いないですね(実際、ロシアとウクライナの戦力が同等ではないので、この法則は科学的に証明できませんが)。ロシアがイラン製(と思われる)のドローンを使えば、ウクライナもドイツ製の戦車や米国製のクラスター弾を使用していると言われていますから、歴史学者が否定しようが、もう第3次世界大戦が進行中と言えるのではないでしょうか。

 ところで、この「学びなおし中学・高校物理」を読んでいると、懐かしい微分積分が出てきます。私自身、受験生時代に苦しめられたものですが、受験が終われば、全く使うことがなかったので、すっかり忘れてしまいました。ダーウィンに言わせれば「用不用説」なのでしょうか。

 社会に出ても微分積分は使うことなく、全く役に立ちませんでしたが、果たして学んで損したのでしょうか? いや、私はそう思いませんね。難問が解けない苦しみは夢にまで出てきますが、解けた時の快感は今でも思い出してアドレナリンが出るくらいですからね(笑)。

 つまらない人間関係に拘っているのなら、微分積分の問題を解いている方が健康に良いのかもしれません。

日本人のルートにまで迫る=更科功監修「人類史の『謎』を読み解く」

 もし、貴方がこの渓流斎ブログの長年の愛読者様でいらしたら、ここ数日、何で、違う話題なのに、急にネアンデルタール人やホモ・サピエンスが出てくるのか不可思議にお感じなったのではないでしょうか?

 はい、更科功監修「人類史の『謎』を読み解く」(宝島社、2023年8月5日初版)を併行して読んでいたからです(笑)。この本は、人類学の最新の学説を表や写真やイラストを取り入れて分かりやすく解説した好著です。高校か大学の副読本にしてもおかしくありません。こんな情報が1320円で手に入るなんて安いもんですよ。

 私が急激に人類史にのめり込んだのは、昨年10月に読んだジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)がきっかけでした。えっ?こんな話聞いたことない。アウステラロピテクスは知っていても、サヘラントロプス・チャデンシスって何だ!…てな具合でした。それからは人類学、進化論、宇宙論にまではまってしまったことは、このブログの読者ならご案内の通りです。この本を監修している分子古生物学者・更科功氏の著書「禁断の進化史」(NHK出版新書)についても、このブログで取り上げました。

 人類の進化史研究が飛躍的に進歩したのは、技術的に核ゲノムの解析まで可能になったからです。それが西暦2000年のことだといいますから、これまでの古い学説が次々と書き換えられるようになったのはつい最近のことだったのです。古生人類の化石の新発見に次ぐ新発見は、1970年代で学業を終えた旧世代の学徒は全く知らなかったのは当たり前の話だったのです! 20世紀後半までは、母親から子に遺伝するミトコンドリアのDNAの解析まで辛うじて解析できたのですが、それが限界でした。核ゲノム(DNAの中の遺伝情報の全て)の解析で両親から子へ遺伝子まで分かり、それが進化史研究の飛躍的発展につながったわけです。

 例えば、現生人類であるホモ・サピエンスは30万年前にアフリカで出現しましたが、その前の43万年前にホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)が誕生していました。ネアンデルタール人は4万年前に絶滅しましたが、それまで同時代人として地球上で生きていて、何とホモ・サピエンスとも交雑していたというのです(最新の学説ではデニソワ人との3者が共存した時代があり、お互いに交雑したともいわれます)。核ゲノムの解析で、現生人類の中にネアンデルタール人の遺伝子が約70%残っていることが分かったといいます(ただし、一人ひとりの個人では約2%)。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの交雑が分かったのは2010年頃といいますから、これまた、本当につい最近のことですね。

 ついでながら、この本の監修者である更科氏は、ホモ・サピエンスの脳の容量は約1350ccに対して、ネアンデルタール人は1600ccだったことなどから、ネアンデルタール人がホモ・サピエンスよりも知能的にも体力的にも劣っていたというこれまでの学説に疑問を投げかけ、絶滅するのが、ネアンデルタール人ではなく、ホモ・サピエンスの方だったとしても「何の不思議もない」とまで発言しています。(更科氏は、ホモ・サピエンスが絶滅しなかったのは子沢山だったためで、ネアンデルタール人が絶滅したのは少子だったからではないかと推測しています)

 この本に書かれている「新説」は、私自身、これまで人類史関連の本を結構読んできたので、生意気ながらあまり驚くことはありませんでしたが、図解入りで整理して解説してくれるので、頭に入りやすい。多くの人にお勧めしたいぐらいです。それに、「学説」は色々ありますから、何を信じたら良いのか分からなくなることがありますが、この本は、「これが最新学説だ」ということで提示してくれます。

 例えば、同じ霊長類の生物の中で、現生人類に繋がるヒトとチンパンジーが分岐して進化したのは、この本は約700万年前であることを提起してくれます。この700万年前説を否定する学者もいますが、それだけなくても、人間が猿から進化したことを真っ向から否定するキリスト教聖書原理主義者も現代にはいるわけです。だから、原理主義者さんから見れば、この本や進化論は発禁本ということになると思われます。

 もう一つ、この本が読み易いのは、進化の過程を「初期猿人」「猿人」「原人」「旧人」「新人」に区分けして解説してくれることです。国際学会では、もうこんな区分けはしないそうですね。でも、我々のような旧世代にとっては大変馴染み深い区分なので理解が増すことが出来ました。(700万年前の初期猿人のサヘラントロプス・チャデンシスの復元写真が掲載されていますが、これは猿そのものですね)

◇日本人のルーツとは?

 本書の終わりの方では、日本人のルーツにまで迫っています。ホモ・サピエンスが日本列島に到達したのは4万年前としています。つまり、地球46億年の歴史で、わずか4万年前まで日本列島には一人も現生人類はいなかったのです!主にサハリン経由で北海道へ、そして、台湾、沖縄経て九州へと2ルートあったといいます。彼らが1万5000年間続いた縄文人となったのでしょう。だから、縄文人の遺伝子がアイヌと琉球人に色濃く残っています。その後も、大陸から朝鮮半島を通しても渡って来たりしますが、それが稲作などを伝えた弥生人です。弥生時代は紀元前300年頃からとなっていますが、渡来人はその前からかなり多くやって来たようです。この本の最新学説では、現代日本人は、弥生人が縄文人を征服したわけではなく、混血によって同化し、その後、古墳時代になって、中国の内乱(4〜5世紀の五胡十国時代)を避けて日本列島に渡ってくる人(政治亡命者?)がかなり多かったことから、この古墳人とも混血していったといいます。

銀座・スペイン料理店 サラダとスペインオムレツ これで1200円 前菜かと思いましたよ

 興味深かったことは、日本人に多いミトコンドリアDNAの分布を解析すると、中国東北部と朝鮮半島と東南アジアに多く見られたと言います。

 吃驚です。

 恐らく「大炎上」するかもしれませんが、中国東北部とは旧満洲のことです。先の世界大戦で、日本人が朝鮮と満洲と東南アジアに進出(というより侵攻)したのは、ホモ・サピエンスとして、故地を目指した(奪回?)のではないかと錯覚してしまいました。

 いえいえ、政治的意味はありません。単に自然科学の人類学からの推測です。

英国人とは何者なのか?

 昨日は、清水健二著「英語は『語源×世界史』を知ると面白い」(青春出版社)を取り上げ、内容については、「かなり知っているつもりだった」と放言してしまいました。

 これからは、正直に、この本に書かれていた語源で、知らなかったことを告白していきます。(順不同)

 ◇ lady (女性、貴婦人)は「パン生地をこねる人」だったとは!

 「領主」や「地主」「管理者」などを意味するlord は、「パンを管理する者」が語源で、ここからloaf (パン一斤)が派生し、「パン生地をこねる人」のlady も派生した。ちなみに、女性の地主は、landlady 。

東銀座

 ◇フランス人はフランク人か

  481年、ライン川東岸にいたゲルマン系のフランク人が北ガリア(北仏)に侵入してフランク王国を建国します(第一次ゲルマン人の大移動)。フランク Franks は、彼らが好んで使用していた武器「投げ槍」に由来します。フランク人は自由民であったことから、frank は「率直な」という意味になり、これから、「自由に販売・営業する権利」などを意味するfranchise (フランチャイズ)に派生します。名前のFrancis は「自由で高貴な」、Franklinは「槍を持つ人」「自由民」を意味します。ドイツの都市フランクフルトFrankfurt は「フランク人が渡る浅瀬furt 」だったとは知りませんでしたね。

 フランク人に征服される前のフランスは、ケルト系のガリア人が住んでいました。古代ローマ帝国のカエサルが遠征した「ガリア戦記」で有名です。フランス人は、自分たちのことをゴウロワ(ガリア)と自称していますから、大まかに言えば、ケルト人とゲルマン人の混血が今のフランス人になったということになるでしょう。

 ◇英国人はノルマン人なのか

 5世紀中頃、アングロ・サクソン人がブリテン島に侵入して、先住民のケルト系ブリトン人を征服します。(ブリトン人は、4~6世紀にフランスのブルターニュ地方に移住し、ブルトン人と呼ばれます。)アングロ・サクソン人とは、ユトランド半島とドイツ北岸のエルベ川流域に居住していたゲルマン系のアングル人とサクソン人とジュート人の3部族の総称のことです(第一次ゲルマン人の大移動)。

 アングル人は、ユトランド半島の海岸線の地形が釣り針(古英語でangel)に似ていたことからそう呼ばれたといいますが、このアングル人が住む土地からイングランドEngland 、アングル人が話す言葉からイングリッシュEnglish が生まれました。また、アングル angle は「角」とか「角度」を意味したことから、triangle(三つの角⇒三角形) quadrangle(四つの角⇒四角形、) rectangle( rect真っ直ぐな角⇒長方形)が派生しました。さらに、ankle 「曲がったもの」から「足首」、anchor「曲がったもの」から「錨」が生まれました。

 サクソン人the Saxonは「ナイフを持った兵士」、ジュート人 the Jutes は「ユトランド Jutlandの住人」に由来します。

 そっかあ、英国人とはゲルマン系のアングル人の子孫かあ、と思ったら、9世紀頃からノルマン人(スカンジナビア半島やユトランド半島など北欧に留まっていたゲルマン人。いわゆるヴァイキング)の一派であるデーン人(デンマーク人)がブリテン島を征服します。デーン人は11世紀にも再び、侵攻して、クヌート1世は、デンマークとノルウェーだけでなく、イングランド王まで兼ねます(第二次ゲルマン人の大移動)。

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 そっかあ、英国人はデンマーク人なのか、と思ったら、1066年、ノルマンディー公ギョーム2世が王位継承を主張してイングランド王国を征服して、ウイリアム1世として即位します。世に言う「ノルマン・コンクエスト Norman Conquest」です。(ノルマンディーは、西フランク王のシャルル3世が、ヴァイキングの侵入を防ぐためにノルマン人にフランス北西部の土地を与えて公爵に任命したもの)このノルマン王朝が現在の英国王室に繋がっています。先に亡くなったエリザベス女王も生前、「あれ(ノルマン・コンクエスト)は私どもがやったことです」とインタビューに平然と答えたといいます。

 となると、英国人はノルマン人(ヴァイキング)ということになりますね。しかし、先住民が絶滅したわけではないので、英国人とは、ケルト人(アイルランド)とゲルマン系のアングロ・サクソン人とデーン人の末裔でもあるわけです。ブリテンに王朝を建てたノルマンディー公ギョーム2世はフランス育ちなので、英語が出来ず、ノルマン・コンクエストからその後300年間も英国の公用語はフランス語で、公文書はラテン語を使っていたといいます。えっ?英語はどうしちゃったの? 辛うじて庶民が使っていたようです。

 道理で、日本人は、英国人とフランス人とドイツ人とデンマーク人とノルウェー人との区別がつかないのかよく分かりましたよ。

 でも、英国人だの、フランス人だのと言っていては、ちいせえ、ちいせえ。元々、欧州にはネアンデルタール人(43万~4万年前)が住んでいたのですから。ネアンデルタール人は4万年前に絶滅しましたが、はっきりした原因は分かっていません。現生人類ホモ・サピエンスよりも、脳の容積量が多く、腕力も強かったのに、です。はっきりしているのは、少子化による子孫絶滅ということですから、ホモ・サピエンスも少子高齢化社会ですから、ネアンデルタール人と同じ運命を辿るかもしれません。

ミトラ神を巡る攻防=弥勒菩薩が貶められあんまりだあ

 清水健二著「英語は『語源×世界史』を知ると面白い」(青春出版社)を相変わらず読んでいます。

 前回(7月31日)、この本を渓流斎ブログで取り上げた際、ちょっとケチを付けてしまいましたが、訂正します。なかなかよく出来たためになる本です。英語の語源と世界史を同時に学ぶことが出来るので、一石二鳥、一石三鳥です。

 「言葉は世につれ、世は言葉につれ」なんて私しか言ってませんけど、言葉は歴史的出来事の影響に事欠きません。この本を読むと、英語が特に影響を受けたものは、順不同で挙げてみますと、古代ギリシャ神話、ローマ神話、古典哲学、医学、天文学、キリスト教、イスラム教、人種と民族、十字軍、ルネサンス辺りで、この本でも章に分けて解説しております。

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 私自身、かなり知っているつもりでしたが、この本で初めて知ることも多く、勉強になります。その中の一つが「ミトラ教」です。キリスト教が入る前の古代ローマは多神教で、ミトラ教もその一つでした。これは、古代インドや古代イランの太陽神ミスラ信仰やアケメネス朝ペルシャのゾロアスター教の流れを汲む密教宗教がローマの神々と融合されたもので、歴代ローマ皇帝も信奉者だったといいます。自らを太陽神ミトラになぞらえて皇帝崇拝の思想を強める狙いがあったといいます。

 このミトラmitra は、サンスクリット語で「軽量者」の意味で、歳月を測ることから「太陽神」となります。また、人間関係を量ることから「友情の神」「契約の神」などとされるといいます。このミトラの語源から阿弥陀(アミターバ amitabha とアミターユス amitayus)が出来て、阿弥陀仏とは、「測り知れない命や光の仏陀=覚りを開いた人=」を意味することになります。

 ミトラ mitra は、インド・ヨーロッパ語に入ると「量る、測る」という意味のme となり、この派生語から、metronome(メトロノーム)、 diameter(直径)、 thermometer(温度計)、 symmetry(左右対称)、 asymmetry(左右非対称)、 pedometer(歩数計)などが生まれました。

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 ここまでがこの本に書かれていることですが、ミトラと言えば、以前読んだ植木雅俊氏がサンスクリット語から現代語に翻訳した「法華経」(角川文庫)を思い出します。ミトラ神は仏教にも取り入れられ、マイトレーヤ菩薩になったというのです。マイトレーヤ菩薩とは、釈迦入滅後、56億7000万年後に仏陀として現れる弥勒菩薩のことです。でも、「法華経」では、文殊菩薩が語るところによれば、この弥勒菩薩は名声ばかり追い求める怠け者だったとしているのです。何ともまあ手厳しい。弥勒菩薩は京都・太秦の広隆寺の半跏思惟像が大変有名で、あの有難い弥勒菩薩が、そこまで貶められてしまうとは! この部分について、翻訳者の植木氏は「イランのミトラ神を仏教に取り入れて考え出されたマイトラーヤ菩薩を待望する当時の風潮に対する皮肉と言えよう」と解説しています。

 こうして見ていくと、インド・ヨーロッパ語族というくらいですから、古代の世界は現代人が想像する以上に、欧州とペルシャとインドとの交流が盛んだったということが分かります。ただし、宗教に関しては、お互いにかなり影響を受けながらも、欧州人とイラン人とインド人とで反目し合っていたということなのでしょう。

(つづく)

語源を学ぶと楽しくなる

 先日、映画を観に行った際、同じビルの5階に大型書店があるので覗いてみました。犬も歩けば棒に当たる、です。

 そしたら、偶然にも面白い本が見つかりました。「語源」の本です。以前から手頃な本がないかなあと思っていたところでした。この本は向こうから飛び込んで来ました。清水健二著「英語は『語源×世界史』を知ると面白い」(青春新書、1100円)という本です。初版が7月15日と出たばかりなので、目立つ所で平積みになっていました。著者は、進学校で知られる埼玉県立浦和高校などで長年、英語教師を務め、「英単語の語源図鑑」シリーズ累計90万部突破を誇るなどかなりのベストセラー作家でした。だから平積みになっていたんでしょう。

 でも、偉そうに言いますけど、ちょっと読みにくい編集の仕方です。著者は頭が良い人だということはよく分かりますが、次々と話が飛んで、色んな単語が出てきて、正直、学習しにくい面があります。それに、出来れば巻末に参考文献か引用文献のリストが欲しい。本の内容の信憑性を高めるためにも…。なーんて、悪口を書いてはいけませんね。少しは頭を低くして拝読させて頂かなければいけません。ただし、私自身は世界史が得意だったので、何も困ることはありませんが、不得意な方は大変でしょうね(笑)。

東銀座

 語源の本が欲しかったのは、この歳になっても、いまだに英語の勉強をしているからです。主に杉田敏先生の「現代ビジネス英語」をテキストに使っていますが、この中で、asteroid という単語が出てきて、「小惑星」という意味だと知りました。これは、aster-oid と分解され、asterは「星」、oidは「のようなもの」になるそうです。そっかあー、これは分かりやすい。ちょうど、星座の勉強もしていたので偶然の一致です。asterisk は「星印(*)」という意味ですし、asterism は「三ッ星」「星座、星群」の意味になります。高級中国料理店の「銀座アスター」は、「銀座の星」という意味なのかなあ?

 この本で初めて知ったのは、disaster です。「災害」とか「大惨事」という意味で中学生でも知っていますが、この単語は、dis-aster が語源だったんですね。 disは「否定」とか「~から離れて」といった意味です。asterは勿論、「星」です。つまり、「地球が幸運の星から離れた時に災害が起こるという中世の占星術から生まれた言葉」(47ページ)だというのです。

 oid「のようなもの」も色々あります。今、日本人が一番身近にあるのは、グーグルが開発したAndroidのスマートフォンでしょう。Andr-oid の Andrはギリシャ語の接頭辞で「男性」「人間」を意味しますから、「人間のようなもの」、つまり「人造人間」という意味になります。

東銀座・宝珠稲荷神社

 世界の人種は、Caucasoid (コーカソイド)、Mongoloid (モンゴロイド)、Negroid(ネグロイド)などに分けられます。 Caucasoid (コーカソイド)は「コーカサス」(「旧約聖書」の「ノアの箱舟」に出て来る神によって選ばれた場所)のような、という意味から「白色人種」ということになり、Mongoloid (モンゴロイド)は「モンゴル人のような」、Negroid(ネグロイド)は「黒人のような」という意味になります。

 日本人はモンゴロイドですから、新大関豊昇龍は「日本人のような」は間違いです。我々日本人の方が、モンゴル人の豊昇龍のようなものになるんでしょうね。

 いずれにせよ、語源を知れば、外国語の勉強が楽しく捗ります。