ゾルゲは「陸軍中野学校」出身みたいだった?=「新資料が語るゾルゲ事件」シリーズ第2弾、オーウェン・マシューズ著、鈴木規夫・加藤哲郎訳「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」(みすず書房)

 長年のこの渓流斎ブログの御愛読者の皆さまならよく御存知かと思いますが、私は、長年、「20世紀最大の国際スパイ事件」と呼ばれる「ゾルゲ事件」にはまってしまい、このブログでも散々書いて来ました。(そのほとんどの記事は、小生の不手際で消滅してしまいましたが)

 関連書籍もかなり読み込んできたので、偉そうですが、何でも知っているつもりになってしまいました。そのため、しばらくゾルゲ事件関係から離れていました。そしたら、解散した日露歴史研究センターを引き継ぐ格好で、加藤哲郎一橋大学名誉教授らが昨年、「尾崎=ゾルゲ研究会」を立ち上げ、ほぼ同時に、みすず書房から「新資料が語るゾルゲ事件」シリーズ全4巻の刊行が昨年10月から刊行開始されたこともあり、その潮流に巻き込まれる形で、またまた小生のゾルゲ事件に関する興味も再燃してしまったのでした。

浮間舟渡公園

 ちょっと余談ながら、私が最近、《渓流斎日乗》でゾルゲ事件に関してどんなことを書いていたかピックアップさせて頂きます。

①2018年4月22日 「解明されたゾルゲ事件の端緒ー日本共産党顧問真栄田(松本)三益の疑惑を追ってー」

②2019年11月12日 「新段階に入ったゾルゲ事件研究=思想検事『太田耐造関連文書』公開で」

③2020年7月27日 「『ゾルゲを助けた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち』はお薦めです」

④2021年3月19日 「スパイ・ゾルゲも歩いていた銀座=ドイツ料理店『ケテル』と『ローマイヤ』」

⑤2022年3月20日 「『日ソ情報戦とゾルゲ研究の新展開』=第41回諜報研究会を傍聴して」

⑥2022年11月8日 「ゾルゲは今でも生きている?=『尾崎=ゾルゲ研究会設立第一回研究会』に参加して来ました」

⑦2023年1月12日 「動かぬ証拠、生々しい真実=アンドレイ・フェシュン編、名越健郎、名越陽子訳『新資料が語るゾルゲ事件1 ゾルゲ・ファイル 1941-1945  赤軍情報本部機密文書』」

⑧2023年1月18日 「ゾルゲと尾崎は何故、異国ソ連のために諜報活動をしたのか?=フェシュン編『ゾルゲ・ファイル 1941-1945 赤軍情報本部機密文書』」

⑨2023年10月1日 「使い捨てにされたスパイ・ゾルゲ?=尾崎=ゾルゲ研究会の第3回研究会「オーウェン・マシューズ『ゾルゲ伝』をめぐって」

 皆さまにおかれましては、わざわざ再読して頂き、誠に有難う御座います。

浮間舟渡

 我ながら、結構書いていたんですね。そして今、「新資料が語るゾルゲ事件」シリーズ第2弾、オーウェン・マシューズ著、鈴木規夫・加藤哲郎訳「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」(みすず書房、6270円)をやっと読み始めています。この本、今年の5月10日に初版が出ておりますが、初版、じゃなかった諸般の事情で出版されてから5カ月遅れで読み始めております。

 いやあ、実に面白いですね。著者はジャーナリストですが、まるで推理作家のように文章がうまいのです(翻訳のせい?)。(例えば、100ページに出てくる「少なくとも1ダースほどの別名で知られていた、このピク(本名エフゲニー・コジェフニコフ)は不謹慎な冒険者が多いこの街で、詭計を働く一人滑稽歌劇(オペラ・ブッファ)で既に名を馳せていた。」といったような凝った書き方)

浮間舟渡

 先程、私はゾルゲ事件に関しては何でも知っているつもり、などと偉そうに書きましたが、加齢とともに記憶力も急降下し、失語症か何かのように固有名詞が出て来なくなりました。脳細胞は一日、10万個消滅するらしいですから、忘れてしまったことが多いのです。そのため、この本は随分新鮮な気持ちで読むことができます。また、この本を読んで、自分が間違って覚えていたことも分かりました。

 決定的な間違いは、私は、ゾルゲが所属していた「赤軍第4部」という諜報機関は、かの悪名高いKGBにつながる、と思い込んでいたのでした。スパイと言えば、世界中の誰もが知っているKGBですからね。(勿論、プーチン露大統領の出身)著者のマシューズ氏は、ソ連の諜報機関について、かなり念入りに調べ上げているので大変な勉強になりました。

 簡略すると、まず、冷戦時代に活躍したKGBは、戦時中(1934~46年)はNKVD(内務人民委員会)と呼ばれ、その前は秘密警察GPU(国家政治保安部)という組織でした。NKVDやGPUは、ゾルゲ事件関係の本には必ず出てきます。これらはもともと、レーニンがロシア革命を成し遂げた直後に、全ロシア臨時委員会(チェカ)として発足されました。

 次に、コミンテルン(共産主義インターナショナル、1919~43年)の中に諜報機関OMS(国際連絡部)が設立されます。ゾルゲはドイツ人ですから、当初はこのOMSに所属していました。

 最終的にゾルゲが所属して上海、東京で活動したのはGRU(赤軍参謀本部情報総局)傘下の労働者・農民赤軍参謀本部第4部(赤軍第4部)でした。ゾルゲは、この組織を設立したヤン・カルロヴィッチ・ベルジン(1889~1938年、48歳で粛清処刑)からスカウトされたわけです。

 私は、このソ連の三つの諜報機関の「親玉」は誰なのか、と考えてみたら、まずKGBは「警察」、OMSは「共産党」、赤軍第4部は「軍部」だということにハタと気が付きました。つまり、大日本帝国の組織に当てはめれば、KGBは「特高」、赤軍第4部は「陸軍中野学校」に当たるのではないかと思ったのです。OMSは、朝日新聞を下野した緒方竹虎も総裁を務めた内閣の「情報局」に当たるかもしれません。当たらずと雖も遠からずでしょう。

 ゾルゲは「陸軍中野学校」出身かと思うと、急に身近に感じでしまいますよね(笑)。もっとも、同じく死刑になった盟友尾崎秀実は、ゾルゲはコミンテルンのスパイだと最後まで信じ込んでいたようですから、尾崎は、ゾルゲが「情報局」の人間だと思い込んだことになります。この違いは大きいですね。尾崎は軍人嫌いでしたから、もし、ゾルゲが「陸軍中野学校」だと知ったら、あれほどまで情熱的にゾルゲに情報を提供しなかったかもしれない、と私なんか思ってしまいました。

 

 

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