動画サイトは「承認欲求」の強さの表れか?

 旧い友人のAさんは、忘れた頃にやって来る人です。もう疎遠になったのかな、と思った頃に、急に、メールを送って来たりするのです。昨晩も突然でした。履歴を見たら、実に約1年ぶりのメールでした(笑)。

 内容は大したことではありません。「このYouTubeに出ている元朝日新聞記者・ジャーナリストの〇〇さんは御存知ですか?」といったものでした。メールにリンク添付されていたので、早速見てみましたが、私は存じ上げない方でした。(でも、間接的には彼の周囲の人の中で私が昵懇にさせて頂いている人もおりました)

 「マスコミでは語られない報道の真実。日本と報道を滅ぼす存在達との戦い。特別動画講義」と題して、政財界のスキャンダルの真相に斬り込み、舌鋒鋭く、口角泡を飛ばして、語りとばしておられました。何十万という読者さまがいらっしゃるようで、コメント欄には「情報量の多さに驚きました」「表に出ないカラクリを知るたびに日本の衰退の加速を感じます」「正義の味方」などといった賛美のオンパレードです。

 その方は、かなり自信満々の語り口でしたが、そのYouTubeは、約1時間とあまりにも長いので全部を見ませんでした。とはいえ、ジャーナリズムの世界もここまで来たか、と思いましたね。他のYouTubeを見れば、ジャーナリストと称する有名無名の有象無象の皆様方が「我よ、我よ」とばかりにサイトをアップされておりました。今の若い人たちは、新聞も週刊誌も、もう面倒臭い活字は読まないんでしょうね。YouTubeは、お笑いや映画、音楽、演劇、美術などのプロモーションに最適だとは思っておりましたけど、ジャーナリストもYouTubeで稼ぐようになったんですね。

Tsuquiji

 ジャーナリストという世間では一応「潔癖」だと思われている商売も、YouTubeの視聴者を引くためにはある程度過激でなければいけません。「絶対に儲かります」とか不確実性のことでも自信満々に断言しなければいけません。(予言が外れたり、間違っていたりしたら即、削除!)そして、アクセス数を稼ぐには肩書がモノを言います。ジャーナリスト以外に「元朝日新聞記者」とわざわざ名乗っているのは、朝日新聞がマスコミ界一の知名度と信頼度があると思っていらっしゃるからなのでしょう。確かに、大変失礼ながら、「元産経新聞記者」とか「元時事通信記者」では格が落ちますからねえ。「元読売新聞記者」も残念ながら弱い…。

 でも、ここだけの話ですが、(ブログではありえない!)正直、見ていて恥ずかしくなりました。いくら、それが真実で、正義であっても、雁首を晒して、ジャーナリストを称して登場して持論を展開するなんて、まず、私にはあり得ない。ブログで精一杯ですよ。ブログでも恥ずかしいぐらいなのに(笑)。

 それにしても、旧友のAさんは、何でこんな動画を送って来たのでしょうか?

 一応、それとなくワケを聞いてみますと、こんな答えが返って来ました。

 「この『元新聞記者』は、現役時代の空気が忘れられず、ネットの渦に巻かれて、いつまでも承認欲求が強いのかもしれません。老婆心ながら、良からぬ外的ストレスも抱えることでしょうに」

 動画サイトは、「私を見て、見て!」「ねえ、私の話を聞いて、聞いて!」のオンパレードです。普通の正常な人が見たらウンザリします。そのような作為を、Aさんは「露出狂」とは言わずに、「承認欲求が強い」なんて、随分、上手い事を言うなあ、と思いました。座布団2枚あげたいぐらいです。

 本人が至って生真面目で、悪や不正を追求している姿は美しくもありますが、世の中、そう単純ではありません。欧米諸国から「戦争犯罪人」と訴追されているロシアのプーチン大統領でさえ、中国や北朝鮮などにとっては、欧米の悪と対峙する正義の味方ということになっていますからね。

 いくら高邁な精神で、自己の良識を信じて、ネットやメディアに登場したりしても、「どうせ金儲けだろ?」と見透かされます。だから、私は、結果的に、自分で金儲けでブログを書いていることを棚上げにして、動画サイトはあまりにも露骨なせいか、「恥ずかしいなあ」と思ってしまうのです。

マイナーカードは税徴収と病歴・口座筒抜けが目的なのか?

 昨日(7月31日)の日経夕刊の1面トップ記事には驚愕しましたね。

 地球「12万年ぶり暑さ」=7月平均気温、温暖化に警鐘ー古気候学者

 という見出しです。12万年ぶりの暑さですか!? 私は、生まれてはいませんが、あまりにも凄い壮大な話です。 12万年前は、我々の御先祖様に当たるホモ・サピエンスはかろうじで生きていました。約30万年前に誕生し、20万年前から生まれたアフリカから外に出たので、世界へ散らばって行った頃です。また、その頃は、まだネアンデルタール人とも共生していたと言われます。ネアンデルタール人は4万年前に絶滅したといいますから、12万年前は一緒に暑さをしのいでいたことでしょう。12年前の猛暑を生き残ったから、我々がいるということになります。

 ◇◇◇

 さて、先日、マルセル・デュシャンの墓碑「死ぬのはいつも他人」を取り上げましたけど、考えてみれば、私自身も、世の中の出来事は、ほとんどが他人事です。それに加えて、自分自身が当事者になるわけがないと思って、普段は生きていることに気が付きました。

 何が言いたいのかといいますと、世間で、目下、これだけマイナンバーカードの誤記入やひも付き銀行口座が他人名義に書き換えられていた、などの不祥事が頻発しておりますが、報道する側のマスコミ人にとって、それは、マルセル・デュシャンじゃありませんけど、あくまでも他人事なのです。まさか、自分自身のマイナーカードにそんな誤記はない、と思ってしまうのです。理由は特にありませんが(笑)。

 でも、先週末、私は暇だったので、少し心配になり、自分のマイナンバーカードに正確に健康保険証番号が登録されているのかどうか、スマホのアプリを使って確認してみたのです。そしたら、保険証の記号や番号などは大体合っておりましたが、どういうわけか、保険証の交付日と資格取得年月日が間違っていたのです。えっ?どういうこと?

 自分が登録したわけではないし、誰がこんな誤記をするんだろう? それに、この間違いは、誰に聞いて、どうやって訂正してもらえるんでしょうか? デジタル庁なら、今、この時間は週末なので、やっていません。週明けの月曜日まで待つしかありません。

 そこで、月曜日になって満を持して、デジタル庁に電話を掛けてみました。何度かのAI操作によるデジタル誘導をされた末、やっと人間のオペレーターに繋がりました。出て来た「アズマ」さんに、簡単に経緯を説明しますと、「しばらくお待ちください」となり、なかなか出てきません。やっと、3分ぐらい経って出て来たアズマさんは「それが、会社の健康保険証でしたら、会社の御担当者に確認してもらえませんか」と言うのです。それなら、早く言え!ですよ。瞬時にものの1秒で、応えられるはずです。毎日、毎分、同じような問い合わせがあるでしょうから。

 苦々しい思いで電話を切り、この後、会社の健康保険担当者に問い合わせてみました。「取り敢えず、こちらに来てください」と言うので、担当者のところに行くと、結局分かったことは、保険証の交付日と資格取得年月日が間違っていたのは、私自身が定年延長で仕事をしているせいだということが分かりました。保険証の交付日と資格取得年月日は60歳定年の後、再交付された日付だったのです。なあ~んだ、という話でした。

Nowhere land

 他の私自身の名前や生年月日、性別など間違って登録されたデータはありませんでしたから、結局、何も間違っていなかったことになります。

 とはいえ、こんなんで安心しちゃいけません。為政者の最終目的は、国民に背番号を付けて、租庸調の税を徴収して、病歴を管理して弱味を握り、年金と銀行口座を筒抜けさせて逃げ場をなくすことですからね。

 そんな庶民の税金が、政党助成金に回り、ブルジョア女性議員のパリ観光旅行に使われてはたまったもんじゃありませんよ。

【追記】2023.8.2

 自民党の松川るい議員(女性局長)のパリ観光写真投稿事件について、テレビを中心に大手メディアは大々的に報道したのに、どういうわけか、読売新聞は発覚した翌日の8月1日の紙面に掲載しませんでした。翌2日になって、やっと自民党幹部による松川議員への厳重注意の記事を短く載せただけでした。

 読売が自民党を庇うのは分かりますが、かなりの作為を感じますね。

語源を学ぶと楽しくなる

 先日、映画を観に行った際、同じビルの5階に大型書店があるので覗いてみました。犬も歩けば棒に当たる、です。

 そしたら、偶然にも面白い本が見つかりました。「語源」の本です。以前から手頃な本がないかなあと思っていたところでした。この本は向こうから飛び込んで来ました。清水健二著「英語は『語源×世界史』を知ると面白い」(青春新書、1100円)という本です。初版が7月15日と出たばかりなので、目立つ所で平積みになっていました。著者は、進学校で知られる埼玉県立浦和高校などで長年、英語教師を務め、「英単語の語源図鑑」シリーズ累計90万部突破を誇るなどかなりのベストセラー作家でした。だから平積みになっていたんでしょう。

 でも、偉そうに言いますけど、ちょっと読みにくい編集の仕方です。著者は頭が良い人だということはよく分かりますが、次々と話が飛んで、色んな単語が出てきて、正直、学習しにくい面があります。それに、出来れば巻末に参考文献か引用文献のリストが欲しい。本の内容の信憑性を高めるためにも…。なーんて、悪口を書いてはいけませんね。少しは頭を低くして拝読させて頂かなければいけません。ただし、私自身は世界史が得意だったので、何も困ることはありませんが、不得意な方は大変でしょうね(笑)。

東銀座

 語源の本が欲しかったのは、この歳になっても、いまだに英語の勉強をしているからです。主に杉田敏先生の「現代ビジネス英語」をテキストに使っていますが、この中で、asteroid という単語が出てきて、「小惑星」という意味だと知りました。これは、aster-oid と分解され、asterは「星」、oidは「のようなもの」になるそうです。そっかあー、これは分かりやすい。ちょうど、星座の勉強もしていたので偶然の一致です。asterisk は「星印(*)」という意味ですし、asterism は「三ッ星」「星座、星群」の意味になります。高級中国料理店の「銀座アスター」は、「銀座の星」という意味なのかなあ?

 この本で初めて知ったのは、disaster です。「災害」とか「大惨事」という意味で中学生でも知っていますが、この単語は、dis-aster が語源だったんですね。 disは「否定」とか「~から離れて」といった意味です。asterは勿論、「星」です。つまり、「地球が幸運の星から離れた時に災害が起こるという中世の占星術から生まれた言葉」(47ページ)だというのです。

 oid「のようなもの」も色々あります。今、日本人が一番身近にあるのは、グーグルが開発したAndroidのスマートフォンでしょう。Andr-oid の Andrはギリシャ語の接頭辞で「男性」「人間」を意味しますから、「人間のようなもの」、つまり「人造人間」という意味になります。

東銀座・宝珠稲荷神社

 世界の人種は、Caucasoid (コーカソイド)、Mongoloid (モンゴロイド)、Negroid(ネグロイド)などに分けられます。 Caucasoid (コーカソイド)は「コーカサス」(「旧約聖書」の「ノアの箱舟」に出て来る神によって選ばれた場所)のような、という意味から「白色人種」ということになり、Mongoloid (モンゴロイド)は「モンゴル人のような」、Negroid(ネグロイド)は「黒人のような」という意味になります。

 日本人はモンゴロイドですから、新大関豊昇龍は「日本人のような」は間違いです。我々日本人の方が、モンゴル人の豊昇龍のようなものになるんでしょうね。

 いずれにせよ、語源を知れば、外国語の勉強が楽しく捗ります。

地球沸騰化の時代に考える

 こう毎日のように気温35度、36度の日が続き、天気ニュースで「命に関わる危険な暑さです」「不要不急の外出は避けてください」などと叫ばれたりすると、さすがに、今年の夏休みの旅行計画は諦めました。泊り掛けだけでなく、片道数時間の小旅行も含めてです。「野ざらし」紀行になりたくありませんからね。

 熱中症が危険なのは、高齢者だけではありません。先程も、山形県の女子中学生が部活帰りに熱中症の疑いで倒れ、亡くなったというニュースをやっていました。若くて元気溌剌なはずなのに、部活で無理をし過ぎたのでしょうか。大変お気の毒で、ご冥福をお祈りいたします。

 この異様な猛暑はどうしたもんでしょうかねえ? 気温40度などという現象は、日本だけでなくイタリア、ギリシャ、米国など世界各国(今は北半球)で起きています。昨日も国連のグテーレス事務総長が「地球温暖化の時代は終わった。地球沸騰化の時代が到来した」などと発言しておりました。

 思うに、人類滅亡につながりかねない原因は、人為的な環境破壊による気候変動に尽きるかもしれませんね。

新富稲荷神社

 この確信に突き当たるまでに、私自身は、ずっと、ずっと、トマス・ホッブズ(1588~1679年、清教徒革命期から王政復古期にかけての英国の政治思想家。91歳という当時としてはかなりの長命だったので、日本で言えば、家康から五代綱吉の時代まで生きたことになります)の「リヴァイアサン」が気になっておりました。

 リヴァイアサンといえば、「万人の万人に対する戦い」the war of all against all というフレーズが有名です。個人の能力差が明白にないような人間同士が自然権を行使し合うと、結果的に各人が闘争し合うことになるという説です。苛烈な生存競争です。会社や役所内での出世競争もそれに入るでしょうが、道端を歩いていて、こちらが右側の隅を歩いていても、左側を歩いてきた暴漢が「どけ!」とばかりにぶつかってくるような些細なことも入ります。

 自己保存の権利が衝突するわけですから、そこには善悪はありません。お互いに自分が、自分たちこそが正義であると主張します。ホッブズは、この混乱状況を阻止するために、「人間が天賦の権利として持ちうる自然権を国家に対して全て譲渡するべきだ」という社会契約説を主張します。この思想はジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーらにある意味で引き継がれ止揚されていくわけです。

 「生存競争」は、ダーウィンの言葉ですし、「自己保存の権利の衝突」は、人類学的にも生物学的にも簡単に証明されます。法や秩序もない弱肉強食のジャングル状態です。しかし、何が言いたいのかと言いますと、今は、人間同士が争っている暇はないんじゃないですか、ということなのです。

「新宿中村屋」ビーフカリー1870円 えっ?値上がったなあ

 5億4000万年前以来、これまで「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる生物の大量絶滅期がありましたが、一部の科学者は、今は、既に6度目の大量絶滅の危機を迎えている、と訴えております。2億5000万年前には、地球上の生物の種の95%も絶滅した最大危機もありましたが、6度目は一体どれくらいの種の割合が絶滅するのでしょうか?

 今から6600万年前に、1億6000万年間も栄華を誇った恐竜が絶滅しましたが、その原因は隕石と激突と大規模な火山噴火による気候変動だと言われています。でも、今回の「6度目の大量絶滅の危機」の要因は、乱獲や伐採、化学汚染などよる環境破壊など人為的なものという説が有力です。となると、人類滅亡も視野に入れなくてはいけませんね。地球温暖化による熱中症で、若い元気なヒトが亡くなることも何か関係ありそうです。(ちなみに、現生人類のホモサピエンスは20万年前に出現し、文字や話言葉も創造し、農業革命で文明を築いたのもわずか1万年前です。恐竜は凄い!)

 私自身は、別に危機感を煽り立てるつもりは毛頭ありませんよ。それに、人間というものは、おめでたく出来ているようで、いまだにコロナ患者が増え続けていると報道されても、マスクもつけずに、クラスターが起きかねない、人間が密集するお祭りや花火大会を「4年ぶりだあ~」とか何とか言って、楽しんでいるではありませんか!

 結局、地球温暖化も他人事ですし、マルセル・デュシャンの墓碑にあるように「D’ailleures, C’est toujours les autres qui meurent.(何はともあれ、死ぬのはいつも他人)」だと思っているのです。

 

🎬宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」は★★★☆

 ブログを書く話題が欠乏してしまったので、命に関わる危険な暑さの中、有休を取って、久しぶりに映画館に行って来ました。

 今年3月に観た「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が、米アカデミー賞で主要部門の作品賞を含む7部門も受賞したというのに、あまりにもつまらなくて、生涯初めて途中で席を立って退場したことをこのブログに書いたことがありました。あれ以来、トラウマになってしまい、わざわざお金を出して、映画館に行くのが怖くなってしまったこともあります。

 ですから、事前に色々と調べたり、ネットで予告編も観て、この映画なら、時間とお金を掛けて観る価値があるな、と納得してから観るようにしたら、大して観るに値する映画がなかなか現れず、その機会が一段と減少してしまったわけです(失礼!)。

 それなのに、嗚呼、それなのに。今回は、ほとんど調べたりせず、ただ話題先行だけで、観ることにしました。第一、製作者側もこの映画の宣伝を全くと言っていいぐらいしないのです。内容公開どころか、予告編もありません。辛うじて、公表されたのは(上の写真の)ポスター一枚と、全国で公開されている映画館の案内ぐらいです。

 以前、映画関係者に聞いたことがあるのですが、映画は、製作費の半分は「宣伝費」につぎ込むんだそうです。全部の公開映画がそうではないかもしれませんが、それがほぼ常識になっているようです。しかし、この映画は、宣伝費がほぼなし、ですから、かなり画期的です。

新富町

 映画は、宮崎駿監督作品、スタジオジブリ製作の「君たちはどう生きるか」です。宮崎駿監督は、2013年公開の「風立ちぬ」を最後に長編アニメ映画の製作から引退を発表しておりましたが、それを撤回して、10年ぶりに新作を手掛けたというのですから、話題にならないはずがありません。つまり、「10年ぶりの新作」「宮崎駿」「スタジオジブリ」だけで、それ以外何の告知をしなくても、十分に何十万、何百万人もの観客を呼べるわけです。

 なんて、偉そうに書いている私ですが、私は宮崎駿作品は「となりのトトロ」や「もののけ姫」など数本、ビデオかテレビで観ただけで、明らかに不勉強です(苦笑)。お子様用だと思っていたからです。宮崎作品を映画館で観たのは、10年前の「風立ちぬ」で、それが生まれて初めてでした。

 今回の新作も「風立ちぬ」と同じ、先の大戦の時代を扱っているということで、文句なしに観ることにしたのです。

 それで、内容ですが、緘口令が敷かれているわけではないと思うので、ほんの少しだけ書きます。(内容を知りたくない方は、この先は読まないでください)。時代は日中戦争が始まった昭和12年から戦後にかけての話で、ポスターになっているアオサギが、物語の重要な役割を演じたりします。東京に住む主人公の眞人少年は、母親を亡くし、父親と一緒に田舎に疎開しますが、そこで、父親が再婚する母親の妹が住む大きな屋敷に住むことになります。父親は軍需企業の経営者のような感じで、飛行機の部品などが出てくるので、疎開した舞台の田舎というのは、どうも、戦闘機を製造していた中島飛行機の工場があった群馬県太田市をモデルにしているのではないか、と思ってしまいました。

 内容は、成長する少年の亡くなった母親と、行方不明になった新しい母親探しと同時に自分探しの物語になっていますが、十分、大人の鑑賞に耐えます。ただ、個人的にはちょっと長過ぎるかなあ、と思いました。荒唐無稽過ぎる場面も多々ありました。宮崎駿監督は1941年生まれで、今年82歳ですから、映画の主人公の眞人少年より14~15歳ぐらい若いですが、当時の時代の空気を「同時代人」として吸って、自分の戦争観や人生観を主人公に投影しているような感じでした。それらは、確かにアニメでしか表現できない世界観でもありました。

洒落っ気の効いた名前を持ちませう

昨日のつづき

  昨日は、占い師の古澤鳳悦氏のお導きで筆名を改名したお話を書きました。そしたら、大反響です、と思いきや、反応ゼロでした(笑)。

 所詮、皆様にとっては、どーでも良い話でしたね。失礼しました~。しかし、これにめげずに、昨日の続きを書かさせてください(笑)。

 占いは、ネット社会になると、無料で、ある程度ですが、鑑定してくれるサイトが増えました。そこで、私も昨日、自分で命名した筆名「高田謹之祐」が、ネットの無料「姓名鑑定」でどんな鑑定をしてくれるのか気になり、やってみました。

 そしたら、何と何と、あるサイトでは、「凶」だとか「大凶」だとか、実にボロクソなのです。えっ? 何で? 古澤師によれば、この筆名だと、字の画数が、天格=15、人格=23、地格=32、外格=24、総格=47となり、「史上最高」「天下無敵」「非の打ち所がない最高峰の名前」になるはずでした。本当に、えっ? 何でえ? です。

 そこで、その意地悪サイトを詳しく読んでみたら、例えば、「謹」の画数は、古澤師の場合「18」なのですが、このサイトでは「17」としているのです。また、「祐」にしても、古澤師は「10」画なのですが、件のサイトでは「9」にしているのです。うーむ、確かに、現代人から見ても、謹は17画で、祐は9画になります。でも、この画数にすると、確かに「凶」や「大凶」の相が出現してしまうのです。

 困った、困った。そこで、古澤師に聞いてみました。すると、早速、こんな答えが返ってきました。

 画数についてですが、小生が使っている「熊﨑式」というのは、姓名判断で最も権威のある流派で、一般的なのですが、漢字は「康煕字典」をベースに画数を決めています。さんずいは、3画ではなく、「水」で4画、くさかんむりも3画ではなく、艸で6画、りっしんべんも3画ではなく、「心」で4画、しめすへんは4画ではなく、「示」で5画というように数えます。従って、「祐」はしめすへん5画に右が5画、つまり10画となります。

 「之」(これゆき)は4画と数えます。「謹」のごんべんは7画で、つくりの上はくさかんむりではなく、「++」なのでつくりだけで11画、つまりトータル18画が正解です。どの流派を信じるかは本人が決めることですが、私はこの康煕字典による画数が最も正確であると思います。

 「謹之祐」はユニークでとてもいい名前だと思います。

 そうですか、そういうことだったのですか! 「康煕字典」でしたら、最も権威があり、信頼できますね。「謹之祐」も古澤鳳悦師からのお褒めに与ることができましたので、今後、この筆名を使わさせて頂くことにしました。

 謹之祐は「きんのすけ」と読みますが、調べてみたら、「謹」は「謹んで」という意味になり、「祐」は天祐や神祐の祐で、「神仏の助け」という意味になります。つまり、謹之祐は、偶然にも「謹んで、天からの助けをお受けします」という意味になるではありませんか! 英語で言えば、to accept heaven’s help respectfully. となるでしょうか。画数も良ければ、意味も良い、となると、こいつは夏から縁起がいい、てなことになりますね~(笑)。

ライチ Copyright par Tamano Yoshimura

 私の話で終わってしまうと、物議を醸してしまいますので、今読んでいる浜田義一郎著「大田南畝」(吉川弘文館)の話に転換します。この本には、面白い筆名(狂名)が沢山出てくるのです。例えば、南畝の親友になった歌舞伎役者の五代目市川團十郎は、「花道つらね」と名乗り、多くの狂歌をつくりました。團十郎だけでなく、他の人気役者も狂歌づくりが流行となり、瀬川菊之丞は「まがきのきせ綿」、松本幸四郎は「高麗洒落人」(幸四郎の屋号「高麗屋」から取り、「こうらいのしゃれひと」と呼んだことしょう)、中村仲蔵は「かき根の外成」、芳沢あやめは「あやめの真久良」という筆名で歌会に参加しました。

 戯作者・浮世絵師の恋川春町(駿河小島藩士倉橋格=いたる)は「酒上不埒(さけのうえのふらち)」、吉原の妓楼「大文字屋」の村田市兵衛は、「加保茶(かぼちゃ)元成」(酒井抱一の弟子で浮世絵師としても活躍。酒井抱一も狂歌名・尻焼猿人を持つ)、国学者・石川雅望は「宿屋飯盛」の狂名で狂歌をつくりましたが、それぞれ、洒落っ気たっぷりで遊び心が効いております。他に、大飯食人(おおめしのくらんど)、土師掻安(はじのかきやす)、野戸川伎(のどのかわき)などとふざけた名前もあります。そうそう、謎の絵師・写楽の版元として名を残した蔦屋重三郎(1750~97年)の狂名は「蔦唐丸」(つたのからまる)です。ペギー葉山が歌った「学生時代」(1964年)の「蔦のからまるチャペルで…」を200年も先行していたとは!(笑)。

 皆さんも江戸の文人に倣って、遊び心を発揮して、独自の筆名をお持ちになったら如何でしょうか?

古澤鳳悦氏の占いサロンに久しぶりに参加=筆名は高田謹之祐に改名

 会社の先輩で、20年前に会社を早期退職して東京・駒場で占いラボを主宰している古澤鳳悦師から1週間ほど前に、「7月23日(日)に川口駅前市民ホールで、占いサロンの出張ブースを出します」との御連絡を受けました。

 ちょうど、私自身、人間関係を含め、人生の岐路に立っておりましたから(苦笑)、これを機会に参加させて頂くことにしました。事前にメールで、今の私自身が置かれている状況を事細かくお伝えさせて頂いたので、古澤師も事前にたくさんの資料を用意してくださいました。お会いするのは実に8~9年ぶりでしたが、話もスムーズに進みました。

 古澤師の専門は、「四柱推命」「姓名判断」「九星気学」「手相」のようですが、30分間という短い時間でしたので、四柱推命で今後の運勢と、姓名判断で改名について鑑定してもらいました。出張サロンでしたから、東京・駒場の占いラボとは違い、30分で2000円という実に良心的だったので「大丈夫かなあ?」と思ってしまいました。

 内容に関しましては、他人にとっては他愛のない個人的なことなので、茲では細かく触れませんが(笑)、私の今の運勢は、五行変通星分布図の中の「金」の部屋(偏財、正財)に一つも星がないことで悪い影響を受けているようでした。(他の「木」「火」「土」「水」には辛うじて星があり、「土」には2027年11月頃まで表現の星と呼ばれる「食神」があるので、今がチャンスだというお話でした。)

 とにかく、生年月日と生まれた時間と場所で鑑定する複雑な四柱推命のことですから、こう書いても皆さんは何のことなのかさっぱり分からないことでしょうが、古澤師からアドバイスも受けた私自身は、とても、とても参考になりました。参加して良かったでした。

川口駅前

 もう一つ、「姓名判断」も鑑定してもらいました。私自身は、「高田信之介」という筆名が大変気に入っていたのですが、五格(天格、人格、地格、外格、総格)画数別運勢鑑定によると、画数の中に「凶」や「大凶」が含まれているものがあり、「あまり良くない」と仰るのです。

 古澤師は、「人名によく使われる漢字」の画数表と、「五格画数別運勢」表と「理想的な画数組み合わせ」表まで提供してくださいました。「理想的な画数組み合わせ」の中で、古澤師は、(4)の天格=15、人格=23、地格=32、外格=24、総格=47か(5)の天格=15、人格=24、地格=32、外格=23、総格=47のどちらかが一番良い、と仰るのです。その場では決められなかったので、持ち帰って検討することにしました。

 上の説明だけですと、これはどういう意味なのか、お分かりになれる人は、よほど精通した方だけでしょうが、茲では細かく御説明はしません。御興味のある方は、古澤師の「占いラボ」のホームページのリンクを最後に貼っておきますので、もし機会があれば、直接、ご相談されれば良いかと存じます。(科学的エビデンスはどうなんだ、といった堅い話は抜きにして、あくまでも参考意見として、心の負担を軽くするのが一番だと存じます。)

 さて、私の筆名のことでした。

 私はすぐに家に帰って、「人名によく使われる漢字」の画数表と、「五格画数別運勢」表と「理想的な画数組み合わせ」表を睨めっこしながら、試行錯誤して筆名を製作してみました。最初に選んだのは、古澤師が例に挙げていた「騎慎」です。「高田騎慎かあ、何か、写真家の篠山紀信のマネしているみたいだなあ」。それなら「騎郎」にしようか?…うーむ、何かちょっと平凡過ぎるなあ…

白蓮華 Copyright par TY

 結局、2時間ほどで骨格を固めました。一つは、(5)の天格=15、人格=24、地格=32、外格=23、総格=47の「高田遼照」です。うーん、何か、お坊さんみたいだなあ、辛気臭いかなあ。。。そこで、(4)の天格=15、人格=23、地格=32、外格=24、総格=47の「高田謹之祐」はどうかなあ、と決めることにしました。高田謹之祐(たかだ・きんのすけ)なら、「あいうえお」の母音が全て含まれます。それに、天格(高田)=15画は「最大の吉数。福寿円満、富貴栄誉、家を興す」、人格(田謹)=23画は「勢い強く功名栄達、大志大業を成す頭領運。財運あり」、地格(謹之祐)=32画は「濡れ手に粟。目上の引き立て厚く繁栄幸福を得る」、外格(高之祐)=24画は「無から有を生じる。手先器用で金運大いにあり」、総格(高田謹之祐)=47画は「天賦の幸福に満ち、大業成就、子孫繁栄の大吉」を意味すると言います。これ以上、運が強い名前はない、ちゅうことです。

 名前の「謹之祐」は、私が最も尊敬する作家の夏目漱石の本名「金之助」にも通じます。あれっ?そんな大それたことを放言しても大丈夫なんでしょうか?

 それにしても、我ながら随分と名前を替えてきました。大田南畝さんも、寝惚先生、山手馬鹿人、四方赤良、蜀山人…とたくさんの筆名をお持ちでしたから、世間の皆さんもお許しくださることでせう。

 【追記】

 古澤鳳悦師の「占いラボ」のホームページをリンクしました。

天婦羅もタバコもコップも元々はポルトガル語だったとは!

 ポルトガルの旅行番組を見ていたら、ポルトガル料理が食べたくなりました。ポルトガル料理といえば、ポルトガル好きが高じて何年か現地に滞在した好きな作家の檀一雄のことを思い起こします。ポルトガル料理店は、銀座にあるのかしら?

 ご安心ください。東京・銀座は、恐らく世界一のグルメ都市かもしれません。ない料理店はないくらいです。ミシュランの三ツ星レストランが多いということで世界的に有名になったスペイン・バスク地方のサン・セバスティアンに引けを取らないのではないでしょうか?だって、ランチでさえも、世界中の料理が楽しめるからです。

 私の個人的印象では、やはり、銀座で気軽にランチが食べられるお店で一番多いのは和食店というのは当たり前ですが、二番目は一時の「イタ飯」ブームが続いているイタリア料理店だと思います。西洋料理店の筆頭でしょう。次は、フランス料理店といきたいところですが、どうも高級感が先に出て下火になり、イタリアンに抜かれ、今やスペイン料理店の方がフレンチより多いような気がします。フランス料理店ともなると、ロワジールにせよ、エスコフィエにせよ、ポール・ボウキューズにせよ、ちょっと敷居が高過ぎますからね。フレンチと聞いただけで、庶民は、敬遠してしまいます。

銀座・ベトナム料理「ニャー」バンミー&牛フォーセットランチ一1200円

 残念ながら、英国とドイツはグルメの世界では除外されてしまいますが、銀座にはあります。また、ロシア料理店は数軒あり、私の行きつけの店もあります。世界三大料理の一つと言われるトルコ料理店もあります。アジアでは、中華料理店がイタリアンと同じか、それより少し多いぐらいありますが、タイやヴェトナム、インドネシアなども増えました。個人的には、ヴェトナムのラーメンと言われる「フォー」が好きなので、結構、ヴェトナム料理店には行きます。

 さて、銀座にポルトガル料理店はあるのでしょうか?

 ありました、ありました。さすがに銀座です。数軒あるようですが、私は、その中の泰明小学校の向かいのビルの地下にある「ビラモウラ」という店にしました。何度か店先は通っても、入店するのは初めてでした。

 ビラモウラとは、ポルトガルの南の地中海に面したリゾート地らしいですね。

 ランチに何種類かありましたが、私はポルトガルの伝統料理「フェイジョアーダ」というのも頼んでみました。「麦小町豚肉と豆の煮込み」と書いてありましたが、同じイベリア半島なのに、スペイン料理と全くと言っていいぐらい違いますね。豆が入っているせいかもしれません。言い過ぎかもしれませんが、ポルトガル料理の方が、庶民的な味がしました。

 そう言えば、ワインもスペインのきりっとしたワインとポルトガルのポートワインと全然違いますからね。ポルトガル人は甘口を好むのかしら?

 世界のGDPランキングで、ポルトガルは現在50位で、スペインは15位ですから、欧州の中でも下位です。15世紀から17世紀にかけての大航海時代では、スペインと世界を二分した超大国だったポルトガルは、今はその勢いの影もないほどですが、遺産だけは残しています。植民地にしたブラジルやアンゴラ、モザンビークなどでは今でも公用語はポルトガル語ですし、南蛮人として日本にやって来たので、結構、ポルトガル語が日本語に取り入れられているのです。

 カステラ、カルタ、ボタン、ビロード、ビスケット、キャラメルなどは私も知っておりましたが、何と何と、天婦羅までポルトガル語のtempero から来ているんですってね! これには吃驚しました。天婦羅がもともとポルトガル料理だとしたら、世界遺産の和食じゃないってことなんでしょうか?(笑)

 テーブルに「日本語になったポルトガル語」の一覧表があって、他にも色々とありました。ブランコ、カナリア、コンペイトウ、チャルメラ、コップ、デウス(神)、マント、パン、オルガン、タバコ、ベランダ、シャボン(石鹸)までありました。

 全く「へ~」ですよ。確かに、日本人が最初に接触した西洋人は1543年に種子島に鉄砲を伝来したポルトガル人でした。世が世なら、日本はもっとポルトガルの影響を受けたかもしれませんが、コップ、パン、ベランダ…といった言葉だけでも凄いですよ。

動画に振り回されて三千里=御自分の時間を大切に

 電子情報技術産業協会(JEITA)は昨日20日に、今年1~6月の薄型テレビ出荷台数が前年同期比12.2%減の212万9000台ということで、2001年以降、上半期として過去最低となったと発表しました。

 その主な原因について、若年層を中心にスマートフォンなどでの動画視聴が主流となってきているため、と分析しておりましたが、その通りなんでしょう。ズバリ、若者たちがテレビを見なくなったということです。新聞や雑誌の部数低迷はスマホにやられましたが、メディア界天下一を享受していたテレビ業界もついにスマホ動画の軍門に降ったことになります。若い人がテレビを見なくなったということは、将来、視聴者がもっと減っていくということになります。

銀座・スペイン料理「エスペロ」

 スマホ動画というのは、YouTubeなどのことでしょうが、確かに、最近では、三流のプロデューサーがつくり、三流タレントが出演するテレビ番組より、面白い動画が増えました。動画制作者は素人だったのが、セミプロになり、何十万もアクセスを誇るプロになり、テレビに逆進出する人も増えました。

 とにかく、内容がマニアックなものが多いので、好奇心旺盛な人にとっては好都合です。私自身も先日、ピアノソナタの「新約聖書」といわれるベートーヴェンのピアノソナタ全32曲の演奏者から見た難易度ランキングの動画サイトを発見してしまい、つい見てしまいました。

 私は、かのヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンのピアノソナタ全集のCD(グラモフォン)を随分昔に購入し、今でもたまに聴くのですが、「悲愴」「熱情」「月光」以外はどうも難し過ぎて、触手が湧かなかったというのが正直な感想でした。でも、この動画を見ると、32曲が全て異様に魅力的になり、弾けはしませんけど、楽譜を見ながら再聴したくなるのです。

 この動画に出演されている女性は、ハンドル名で登場し、略歴等も分かりませんけど、恐らく、有名音大のピアノ科を卒業された現役のピアノ教師さんだと思われます。このハンドル名を検索して他の動画を見てみると、彼女は、かなり多くの動画を制作していることが分かりました。最初の頃は、本人の「口から下」しか写されず、いわゆる「顔出しなし」でした。どんな女性が話をしているのか想像を逞しゅうされます。それが、何本か、何十本か制作するうちに、覚悟が出来たのか、堂々と「顔出し」で登場されるようになりました。かなりの美人さんでした。ただし、よおく喋る人で、服装は暗めのキッチリとしたスーツ姿です。

銀座之曽良

 そして、何カ月後なのか細かいことは分かりませんが、お召しになられる服がだんだんと明るくなり、ついにノースリーブの胸を強調した路線になっておられました。天下無敵、自信満々です。お堅いクラシックの教養講座が一転して、ラップのノリノリになった感じです(※個人的な印象です)。

 いやあ、これは、テレビには出来ない「演出」ですねえ(笑)。世の興味津々なおっさんたちが、こぞって銀蠅のようにこの動画にたかるでしょうね。そう気が付くと、何か醒めてしまいました(苦笑)。

 動画に振り回されずに、自分の残された時間を大切に生きなければいけない、と思い直しました。

華やかな江戸文化の中心人物、大田南畝

  やっと、浜田義一郎著「大田南畝」(吉川弘文館)を読み始めています。この本は、6月に東京都墨田区の「たばこと塩の博物館」で開催された「没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界」展の会場で販売(2200円)されていたものでした。初版が1963年2月20日となってますから、60年ものロングセラーです。大田南畝に関する伝記・評論本は、この本を超えるものがあまり出ていないせいなのかもしれません。

 兎に角、この本は6月に最初に15ページほど読みましたが、他の本に取り掛かっていたら、内容をすっかり忘れてしまい、もう一度最初から読み始めています。というのも、登場人物の名前がなかなか頭に入って来ないからなのです。

 例えば、大田南畝の師匠に内山賀邸(1723~88年)という人がいました。名は敦時(あつとき)、号は陳軒(ちんけん)、牛込加賀屋敷に住んだので賀邸(がてい)とも号しました。私塾を開いて、漢学も教えましたが、国学が主で、和歌は当時江戸六歌仙の一人に数えられたといいます。その賀邸の門人、つまり南畝の同門に小島謙之(けんし)という四谷忍原横丁に住む幕臣がおりました。通称は源之助。年は南畝より6歳上。和歌が得意で、20歳ごろから狂歌をつくり、橘実副(たちばな・みさえ)という狂名を名乗っていました。それが、師の賀邸から狂歌を褒められ、唐衣橘洲(からごろも・きっしゅう=1743~1802年)と師によって改名されたといいます。小島謙之は、小島源之助であり、橘実副でもあり、唐衣橘洲でもあるわけです。

 このように、同一人物なのに、本名(諱)の他に、通称や雅号や狂名や字(あざな)まで出てきて、頭がこんがらがってしまうのですよ。日本人は古来から、本名をあけすけに言われることを忌み嫌いました。そこから、本名のことを諱(いみな)と言われます。(だから、目上の人に対しては、官職名や住んでいる所=例えば、鎌倉殿=などで呼び掛けしたのでした)通称というのは綽名(あだな)のような別名のことです。一方、字(あざな)となると、中国で始まった風習で、元服して本名以外に正式に付けられた名前のことを言います。特に漢学の素養のある日本人は好んで付けたといいます。最後に、雅号は、文人や画人が自称した名前ですね。

 こうなると、一人の人間が幾つもの名前を持つことになります。でも、こういうのは個人的には大好きですね。ですから、私も、渓流斎と号し、複数の名前や雅号を持っているわけです(笑)。

 この本の主人公である大田南畝(おおた・なんぽ=1749~1823年)は、江戸牛込仲御徒町生まれで、御徒(おかち)職の幕臣です。御徒職というのは、文字通り、将軍らが公用や鷹狩りなどで出掛ける際に、徒歩で側に仕える一番下っ端の直参のことです。本名が直次郎で、南畝は号です。中国の古典「詩経」の「大田(だいでん)篇」から取られたといいます。同時に、ここから、子耜(しし)を字(あざな)として取っています。でも、これだけでは済みません。19歳の時に出版した詩文集のタイトル「寝惚先生」は晩年になるまで呼ばれ、22歳の頃に狂名として名乗った四方赤人(よもの・あかひと)、後に四方赤良(あから)もあります。また、30歳代後半から、幕臣としての仕事に専念するためいったん文芸の筆を折りますが、乞われて断り切れずに再開した際、匿名として名乗ったのが蜀山人でした。他に、風鈴山人、山手馬鹿人、姥捨山人などの筆名も使っています。

 幕臣大田直次郎は知られていなくても、大田南畝も四方赤良も蜀山人も歴史に名を残しています。一人でこれだけ複数の名前を残す偉人も多くはいません。

 大田南畝は19歳から本格的に文芸活動を始め、いわゆる文芸サロンのようなものを開催したり参加したりしますが、その幅広い交際には目を見張ります。江戸時代は、士農工商のガチガチの身分社会と思われがちですが、南畝は幕臣なのに、町人とも気軽に交流します。特に平秩東作(へずつ・とうさく=1726~89年)という町人は、南畝に多大なる影響を与えた戯作者であるといいます。南畝より23歳年長で、内山賀邸の同門でした。東作は、稲毛金右衛門という町人で、内藤新宿で煙草屋を営み、文学を好んで立松東蒙と称し、字は子玉。「書経」から取った平秩東作を筆名にしたといいます。この東作の親友に川名林助という漢詩人がおり、大田南畝はこの川名を通して、あの平賀源内と相知ることになります。

銀座「エスペロ」

 有名どころとの交際と言えば、ほかに、戯作者の山東京伝、版元の蔦屋重三郎、絵師の鈴木春信勝川春章(北斎の師)、葛飾北斎谷文晁、歌舞伎役者の五代目市川團十郎(写楽が描いた有名な「市川鰕蔵の竹村定之進」)、それに塙保己一らがおり、大田南畝は、華やかな江戸文化の中心人物だったとも言われています。

 ところで、狂歌というのは、私自身、江戸時代に大田南畝によって開始された文芸だと勝手に誤解していたのですが、史実は、鎌倉時代初期(平安時代という説も)から、既に歌会や連歌会の余興として行われていたといいます。和歌と同じ五七五七七ですが、和歌とは違って、風刺や諧謔に富んだものです。そのせいか、当初は、座興による読み捨てにするべきものとされていたようです。大田南畝の時代である江戸中後期が全盛期のようで、明治以降は廃れてしまったようです。

 本日はこれだけ書いて、いっぱい、いっぱいになりました。続きはまた次回に。