懐かしい「イージー・ライダー」を、知らないとは…

 私の義理の息子は、アメリカ人なので、会った時に、覚えたばかりの英語のフレーズを試す「実験台」になってもらっています(笑)。

先日も会った時に、

 I gave the last full measure of devotion. 知ってるかい?

 と、試してみたら、

「リンカーンのゲティスバーグ演説ですね。さすが、お義父さん」と褒められてしまいました。

 「なーんだ、自慢話かあ」で終わりたくないので、この後、深刻な続きがあります(笑)。

 (↑ 試訳は「私は死力を尽くして献身した」)

銀座「たか」焼き魚定食1200円 近くの大手出版社の編集者が通い詰める店らしく、さすがに美味。

「じゃあ、映画The Last Full Measure(『ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実』)(2019年)は観た?ベトナム戦争の話だけど、タイトルは、そのリンカーンの演説から取られた。ピーター・フォンダの最期の出演作になったやつ…」と私。

 「観てませんけど…。ピーター・フォンダ?」

 「えっ?ピーター・フォンダ知らないの?『イージー・ライダー』の」

  ちなみに、彼はロサンゼルス出身で、ハリウッドに近い所で育ち、映画通でもあります。

 私は「えーー、それは驚き。ピーター・フォンダのお姉さんはジェーン・フォンダで、お父さんも有名なヘンリー・フォンダで、ノーベル文学賞を受賞したスタインベックの『怒りの葡萄』(ジョン・フォード監督、1940年)にも出ていた…」と一気にまくしたてました。

 「うーん、ジェーン・フォンダは聞いたことあるけど…。スタインベックは学校で習った気がするけど…。うーん、チェック!」と、いつものように、彼はスマホを取り出して、検索し始めました。

 「あの歴史に残る名作『イージー・ライダー』(1969年)だよ! 本当に観てないの?」

 「うん、ノーーー」

 スマホ画面を睨みながら、「全く、何を言っているのか、訳が分からない」といった表情を彼は浮かべるのでした。

これに対して、私は I’m taken aback.とか、 astonishedとか、 shocked とか、あらゆる「驚愕」の言葉を並べました。

◇世代間ギャップ

 しかし、冷静になって考えてみると、それは「世代間ギャップ」ではないかと思いました。私の世代で、「イージー・ライダー」やピーター・フォンダを知らない人はまずいない。常識だと思われます。でも、そんな常識も、哲学的に考察すると、世代が変わると全く通じなくなってしまうということです。

 あんなに人気があって、有名で、一世を風靡しても、30年も経てば、すっかり忘れ去られてしまうという事実に、遅まきながら気が付いたわけです。同時に、自分が常識だと思っていることなど、年が経てば風化して、通用しなくなることも身に染みて分かりました。

 「常識を疑え」ではなく、「常識は時代によって変化する」です。平たく言えば、「おっさん、もう古いよ」ということになるんでしょうが、仕方ないですね。私はもう新しいモノは受け付けられない年になってしまいました。

 「イージー・ライダー」には、デニス・ホッパーとジャック・ニコルソンも出ていました。ステッペンウルフのテーマ曲「ワイルドでいこう!」も大ヒットしたんだけどなあ…。

 「世代間ギャップ」と言えば、父親と子との葛藤を描いた映画「エデンの東」(1955年、エリア・カザン監督)を思い出します。ジェームス・ディーン主演の名作です。テーマ曲も素晴らしい。

 そう言えば、「エデンの東」も原作者は、ジョン・スタインベックでしたねえ。

 繋がりました。

 お後が宜しいようで。

ビートルズ「ペニー・レイン」にはエッチな歌詞も?

 銀座「大海」 大分鳥てん定食 880円

◇「世界ふれあい街歩き」

 NHKの「世界ふれあい街歩き」という番組は、とっても面白い番組なので結構見ています。歩く旅人の目線になるよう特殊なカメラで撮影してくれるので、自分もその街に実際に行った気分になれます。コロナ禍で海外旅行に行けない今、ピッタリの番組ではないかと思います。

 先月は、英国のリヴァプールをやっていました。リヴァプールと言えば、ビートルズの故郷です。見逃すわけにはいきませんでした。この他、リヴァプールはサッカーの聖地でもあり、リヴァプールFCとエヴァートンFCと、二つもプレミアリーグ所属の強豪チームがあり、前者はRED(赤)、後者はBLUE(青)と、ユニフォーム・カラーの俗称で呼ばれ、街中でも”Red or Blue?” お前はどっちのファンなんだ?といった会話が交わされることもやってました。

本文と全く合っていない!(笑) ビートルズの写真にしたいのですが、他の多くの人のような著作権の違反はできませんからね(皮肉)

 そして、ビートルズでした。私が好きな彼らの曲の中でベスト5に入る曲に「ペニー・レイン」があります。リヴァプールにある通りの名前で、ジョン・レノンが少年時代に住んでいたメンローヴ・アヴェニューの家から近い所にあります。私も、リヴァプールには2度ほど訪れているので、勿論、ペニー・レインにも行ったことがあります。(ジョン・レノン自身は、労働者階級を強調していましたが、ジョンが住んだ家は中産階級が住むような住宅で、日本で言えば高級住宅街ですよ)

 番組の中でもペニー・レインは取り上げられ、そこで「出演」した市民が、「歌詞にはリヴァプール人しか分からない言葉が出てくるんだよ」と意味深なことを言っていたので、気になっていました(番組ではその答えを教えてくれませんでした)

◇奇妙な歌詞「ペニー・レイン」

 そこで、調べてみました。私も高校時代から訳してみたりしましたが、どうしても分からない単語が出てきました。例えば、Mack は、今でこそ、アップルのコンピュータか、マクドナルドかな、と想像してしまいますが、これはMackintosh のことで、Mack といえば、マッキントッシュのレインコートのことでした。当時の辞書には載っていなかったので、これが分かった時は目から鱗が落ちました。

 もう一つは、 roundabout で、これも当時の辞書にはなく、今では「ロータリー」だということがすぐ分かります。Behind the shelter in the middle of a roundabout となると、ロータリーの真ん中にある待合所ということになり、「世界ふれあい街歩き」のHPのサイトにはその写真が載っています。

 とにかく「ペニー・レイン」は奇妙な歌詞です。リヴァプール人しか分からないスラングとは、多分、 Full of fish and finger pies in summer 辺りだと思われます。ネットのサイトの中にはFour of fish and finger pies と表記して翻訳しているものがあり、このFour とは「4ペニー分の」という意味だと解説しているものもありましたが、私は一応、Full ofとします。

 直訳すると、「夏のたくさんの魚とフィンガーパイ」で、何のことかよく分かりません。それが、色んなサイトを読むと、fish とは、あの英国の定番食のフィッシュ・アンド・チップスのことであるらしい。そして、肝心なのが、finger piesで、これはリヴァプール人しか分からない俗語らしく、食べ物ではなく、女の子のprivate part を愛撫すること、または、万引きすること、なんてのもありました。これでは、米国人でも分からないでしょうね。

 でも、今はネットが発達してとても便利ですね。この曲は、メインヴォーカルのポール・マッカートニーが作詞作曲したと思われますが、ジョンも少し手伝っているかもしれません。さっきの問題個所のFull of fish and finger pies in summer ですが、Full of fish and finger piesまでは、ジョンとポール(そしてジョージも?)がコーラスでハモってますが、 in summer はジョンだけの声に私は聴こえます。「あの夏にやっちゃったんだよ」という雰囲気がよく出ています(笑)。そんな名曲を作ったポールは当時、24歳か25歳。ジョンは26歳か27歳の若さです。

◇「ノルウェーの森」は「ノルウェー製家具」

 昔はとんでもない、誤訳が多かったものです。以前にもこのブログで書いたことがありますが、例えば、ビートルズのNorwegian woodは「ノルウェーの森」と訳されてましたが、本来なら「ノルウェー製の家具」が正しい。ジョン・レノンのCold Turkey は、「冷たい七面鳥」のタイトルでシングルが発売されましたが、これは、麻薬の禁断症状のことで、今では大変な誤訳だったことが分かります。

 「ペニー・レイン」は1967年発売。私は当時小学生でしたが、ラジオで同時代で聴いてました。(その後、レコード、CDを買い、何百回聴いたことか!)でも、歌詞の意味が分かったのは、やっと54年も経ってからでした(笑)。

【関連記事】

2022年2月27日付「A four of fish に新たな解釈!=ビートルズ『ペニー・レイン』の歌詞」も合わせてお読みください。

見つかった? 何が? 愉しみが=備前焼の湯呑茶碗購入記

 備前焼 湯呑茶碗(鈴木美基作)

 コロナ禍による自粛で、つまらない毎日を送らざるを得ません。でも、あまり、落ち込んでばかりもいられないので、何か愉しみを見つけることにしました。

 面白きなき世を面白く、です。

 私の場合、ほんの少し、焼き物に凝ってみました。焼き物といっても、サバの塩焼き定食ではありません(くだらない!=笑)。有田焼、九谷焼、笠間焼といったあの焼き物です。高校生程度の基礎知識しかないので、少し調べたら、中世から現代まで続く代表的な六つの窯を「六古窯」と呼ぶそうですね。それは、越前、瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前の6窯です。1948年頃、古陶磁研究家の小山冨士夫氏により命名されたといいます。既に奈良、平安時代から生産が始まっています。

 となると、私も、以前購入したり、家にあったりして、良く知っている唐津焼や萩焼や志野焼や益子焼などは、六古窯と比べれば、それほど古くないということになります。豊臣秀吉による朝鮮出兵で、多くの陶工が日本に強制的に連れて来られたりして、九州を中心に全国至るところで、窯が開かれたという話を聞いたことがあります。

 茶道具の陶磁器の中には城が買えるほど、超高価なものがあったりして、調べれば調べるほど焼き物の世界は奥が深いので、歴史的な話はひとまず置いて、個人的な話に絞ります。

◇湯呑茶碗が欲しい

 きっかけは普段、家でお茶を飲んでいる湯呑茶碗です。いくらなのか、知りませんが、安物で、スーパーで「一山幾ら」の中から見つけてきたような代物です。毎日使っているものですから、そんな安物ではあまりにも味気ない。それでは、何か良い物でも奮発して買ってみようかと思い立ったわけです。

 でも、焼き物は種類が莫大で迷うばかり。そこで、誰が言ったか知りませんが、「備前に始まり備前に終わる」という格言を思い出し、備前焼に絞ることにしたのです。

 そしたら、銀座に備前焼の専門店があることを見つけました。何と私の通勤路のみゆき通りにあり、毎日のようにそのビルの傍を通っていたのです。その店は「夢幻庵」といい、ビルの2階にあります。昼休みに、飛び込みで入ったら、40代ぐらいの女性の店主が笑顔で迎えてくれました。「夢幻庵」は岡山県備前市に本店と支店があり、陶芸作家を200人以上抱えているというのです。東京の、しかも銀座に支店を出すぐらいですから、相当なお店なんでしょう。

備前焼 湯呑茶碗(鈴木美基作)良い景色です♪

◇「小橋俊允は私の弟です」

 それで、店主と色々と話しているうちに、結局、湯呑茶碗一個を買ってしまいました。備前市の鈴木美基さんという陶芸作家が作ったものです。6600円也。お店の女性は「作者は48歳ぐらいの方です」と説明してくれましたが、後で自分でネットで調べてみたら、1970年生まれの方でした。ということは50歳ですよね? もう一人、気に入った湯呑茶碗があり、どちらにしようかと最後まで悩みましたが、8800円という値段の関係もあり、今回は諦めました。作家は小橋俊允さんという人でした。この方、ネット通販でも名前を見かけた人でした。偶然です。通販で購入してもよかったのですが、ネットでは重さも大きさも肌合いもよく分からないので、店舗に足を運ぶことにした経緯があります。

 そしたら、お店の女性は、後になって、「(小橋俊允は)私の弟なんですよ」というので吃驚してしまいました。既に、鈴木美基さんの茶碗を注文してしまっていたので、「遅かりし蔵之介」です。店主は、最初、小橋さんのことを「41歳ぐらいです」と説明しておりましたが、私が後で調べたら、1977年生まれ、ということで、それなら43歳です。えっ!? もし、その場で分かっていたら、「ご自分の弟さんなのに、年齢も知らないんですか?」と、突っ込みを入れていたことでしょう(笑)。

お茶だけでなくビールや焼酎も呑めるとは!

◇茶碗で酒でも呑むかあ

 ということで、鈴木美基氏の湯呑茶碗は、これからも長く愛用していくつもりです。何と言っても、おまけの「収穫」は、この茶碗で、お茶だけでなく、ビールが飲めたり、焼酎のお湯割りなんかも呑めたりできるという話を聞いたことでした。

 「使えば使うほど、味が出てきますよ」と店主さん。こりゃあ、いい。愉しみが一つ増えました。

新ばし料亭街を歩く=「京都 瓢亭 銀座本店」でランチ

◇6.9億人が飢餓に苦しむ 

 国連食糧農業機関(FAO)などが昨年8月に発表した統計によりますと、現在、世界人口の8.9%に当たる6億9000万人が飢餓に苦しんでいるといいます。

 先日は、ミャンマーで軍事クーデターが起きましたし、同国のロヒンギャ族もいまだに虐げられています。中東では、シリアでもイエメンでも内戦が続いて収束の兆しが見られず、コロナ禍でも、アフリカ難民の人々がいまだに地中海を彷徨っています。

 それなのに、お前は気楽に銀座でランチなんかして、しかもブログにその写真なんぞまで上げたりしている。そんなんでいいのか!との天の声が聞こえてきます。

 「いえ、私自身も、あまり気が進まないんですが、グルメ関係は反応が多いもので…」と弁解しようものなら、「堕落したプチブルめえ。どうせ、ブログのアクセス数と広告クリックで、稼ぎたいんだろ?地獄に行きやがれ!」との非難の声が聞こえてきます。

 我ながら、あに、やってんでしょうかねえ? 気が引けます。

 とは言いながら、

 不届きにも、今日も今日とて、銀座ランチのお話です。

 本日行ったのは、「京都 瓢嘻 銀座本店」です。敷居が高く、ちょっと入りにくい高級懐石料理店です。チェーン展開されているようで、系列店かどうか分かりませんが、「瓢嘻 赤坂店」の方は、前の首相の安倍さんが贔屓にしていたお店で、「首相動静」を見ると、ちょくちょく、この店の名前が出てきたものです。

◇高級料亭街を闊歩する

 実は、この「瓢嘻 銀座本店」の周囲(東銀座、新橋、築地)は、いつぞやこのブログで書いたことがありますが、著名高級料亭街でもあります。「吉兆」(東京吉兆本店)、「松山」、「金田中」(新橋演舞場)、「米村」、「小すが」、「花蝶」(1968年の「日通事件」の舞台)、そしてほんの少し離れてますが、「新喜楽」(芥川・直木賞選考委員会開催会場)…。

 いずれも、皆様、一度は行かれたことがあることでしょうから、御説明はいらないことでしょう。もし、行かれたことがない方がいらっしゃったらいけないので、「東京新橋組合」のサイトのリンクを貼っておきます。

「京都 瓢亭 銀座本店」のランチ「鯛胡麻タレ丼」 1320円

 それで、「瓢嘻 銀座本店」の話でしたが、この店の前にメニューと値段も展示しているので、怖れることはないのです(笑)。特に昼間のランチは。

 完全個室で、他に誰もいない「孤独のグルメ」なので、新型コロナに感染するリスクは、至って少ないと思われます。最近、剃髪して出家された釈正道師におかれましては、近くの歌舞伎座での歌舞伎鑑賞のお帰りがてらにお薦めです。釈正道師は、このブログの本文は読まず、専ら料理の写真ばかり見ているという噂ですが。

 ◇「料亭政治」復活を

 かつては、この料亭街では「料亭政治」が蔓延り、店の前は、黒塗りのハイヤーや社用車が列をなして並んでいたものです。しかし、世知辛い世の中になってしまい、めっきり減ってしまいました。道理で、人間が小粒になり、小さくなったものです。

 先ほど、料亭「花蝶」にリンクを貼っておきましたが、ここは、昭和の疑獄事件の一つである「日通事件」で舞台になったところでした。

 悪徳検事や政治家や大物財界人を自称するなら、料亭に行って、どんちゃん騒ぎをして、「ムフフフ、おぬしも悪やのお~」とやらなければ駄目ですよ。日本の経済発展のためにも、です。

 あれ? 皮肉に聞こえましたか? 貴方も随分、性格が擦れてきましたねえ(笑)。コロナの影響ですか?

「歴史人」の読者プレゼント当たる

東京・銀座「みちのく」 刺身盛り合わせ定食ランチ 1050円

 いつ出したのか、忘れてましたが、雑誌「歴史人」(KKベストセラーズ)のアンケートに応えたら、「読者プレゼント」が当たりました。

 小生、自慢じゃありませんけど、子どもの時分からクジ運が悪く、博打の才能もからしきないので競馬も競輪も競艇もやりませんが、ここ最近、どういうわけか、当たるのです。先月は、地元商店街の年末の福引で、3等賞「100円」の商品券が当たりました。5等賞がティッシュ1枚でしたから大したもんです。(せこい、せこ~い!)

 「歴史人」は最近、ちょくちょく買うようになりました。2020年11月号の「戦国武将の国盗り変遷マップ 応仁の乱から大坂の陣まで 戦国史を地図で読み解く」特集、21年1月号の「遺言状や辞世の句で読み解く 戦国武将の死生観」特集、そして2月号の「名字と家紋の真実―天皇家から戦国武将」などです。みーんな面白い。よーく取材し、一流の学者、作家、ライターさんが分かりやすく図解入りで書いてくれるので、非常に分かりやすいのです。

 当選したのは、東京・赤坂のサントリー美術館で開催中の「美を結ぶ。美をひらく。美の交流が生んだ6つの物語」展の招待券でした。当日一般1500円ということですから、2枚で3000円。年末の福引と比べると大当たりです(笑)。

 新型コロナで東京は緊急事態宣言が発令されていて、東京はおっかねえ所ですから、どうしようかなあ、と思っています。コロナだから、友人を誘うわけにも行かず困っちゃいますね。いっそ、誰かにあげちゃおうかしら…。

ベトナム人留学生のトゥクさんと話が弾む=焼鳥屋で

 新型コロナの蔓延で気が引けましたが、週末、自宅近くの居酒屋に行って来ました。自粛警察がウロウロしていましたが、今のところ味覚が分かり、平熱の私は、困っている飲食店を応援したくなったのです。

◇新型コロナと鳥インフルのWパンチの焼鳥屋を救え

 新型コロナウイルスに加え、全国で鳥インフルが吹き荒れて何百万羽もの鶏たちが処分されていることから、飲食店の中でも焼鳥屋さんを選んで行って来ました。

 それでも、この御時勢で、私自身、ある程度の常識と時代的識見を持ち合わせているつもりなので、人が混んでいないと予想される午後4時に出掛けました。

◇ベトナム人留学生との対話

 ネットで探してやっと見つけたお店は、チェーン展開している焼鳥屋さんなので、皆さんも一度は行ったことがあるかもしれませんが、私は初めて行きました。そしたら、そのお店のアルバイトがトゥクさんという大学3年生のベトナム人で、彼とは随分と話が弾んでしまいました。ビールや焼き鳥や鶏雑炊などを注文する度に、店主に気兼ねしながら話しかけました。

私 日本語うまいね。もう何年いるの?

トゥク 4年です。今は大学に通ってます。

 どこの大学?

トゥク K市のS大学です。今は、オンライン授業ですけど。

 ベトナムの何省の出身なのかなあ?

トゥク フエという所です。

 おお、フエですか。「ベトナムの京都」と言われている古都だね?

トゥク えーー、嬉しい。よく知ってますねえ。。。

 うん、ベトナムには仕事と観光で何度か行ってるからね。ハノイとかハイフォンとかホーチミンとかビンズオン省とか…フエには行ったことがないけど。

◇自分の首都に行ったことがないトゥクさん

トゥク よく知ってますね。僕はまだハノイに行ったことがありません。

 何?ベトナム人なのに首都に行ったことないの?

トゥク 行ったことないです。フエの大学を卒業して日本に来ましたから。それに、今はコロナでずっとベトナムに帰れないんです。

 残念だねえ。でも、フエは、19世紀から150年近く続いたグエン王朝の首都だったんでしょ?世界遺産にもなっているし…。

トゥク 嬉しいですね。本当によく知っていますね。

 僕は変なおじさんだからね。それより、グエン・スアン・フック首相(66)はお元気ですか?ベトナムでは1月25日から2月2日まで、5年に1度の共産党大会が開かれて、76歳のグエン・フー・チョン国家主席が、ベトナムの最高権力者である書記長を続投するかどうか注目されてるけど?

トゥク えーー、何で知っているんですか? ベトナム人でも知らないのに、こんな(日本)人、初めてですよ。

◇技能実習生の犯罪

 うん、おじさんは怪しい人だからね(笑)。それより、この新型コロナで、多くの外国人労働者が雇い止めされているけど、最近のベトナム人の技能実習生は、豚を盗んだり、梨や桃を盗んだり、日本の法律に違反した犯罪者が増えて、評判を落としているんじゃないかなあ?

トゥク ぼ、僕は違いますよ。そういう人がいることは知ってますけど…。僕は今、サービス経営学を専攻しているので、できたら、日本のホテルに就職したいと思っているんです。

 じゃあ、日本語と英語を習得しなければ駄目じゃん。

トゥク 漢字が難しいです。

◇戦争を知らない子供たち

 あれ? もともとベトナムは漢字を使っていたんだよ。今は、似非フランス語みたいな変なアルファベットを使っているけど。ベトナムは、「越南」と国境の南の辺境、つまり「南蛮」だと中国に蔑まされて1000年間支配されて、漢字が嫌になっちゃんたんだよね?それでも、中国の後に、フランスに100年間、日本に5年間、アメリカに30年間ぐらい支配されたわけだ。トゥクさんは、ベトナム戦争なんか知らないでしょ?1975年に終わっているから。もう、45年以上も昔だからね…。

トゥク 僕は今28歳ですから、知りませんけど、お祖母ちゃんの弟が戦死しています。フエも結構、激しい戦闘があったんです。

 嗚呼、古都フエでの「テト攻勢」は有名だね。フエのお坊さんが戦争に抗議して焼身自殺をしたフィルムを見たことあるよ。貴方は平和な時代に生まれてよかったね。いずれにせよ、今、そしてこれからの日本は、ベトナムなど東南アジアとの交流抜きでは考えられないから、どうぞ宜しく。

トゥク こちらこそお願いします。

ツイッター創業者と無名の若者が起業したネット企業

銀座「ローマイヤー」 豚バラ肉と野菜のコンソメ煮 スープ、珈琲付き1100円

ツイッターの4人の創業者

 エヴァン・”エブ”・ウイリアムズEvan Williams、クリストファー・”ビズ”・ストーンChristopher Stone、ジャック・ドーシ―Jack Dorsey、ノア・グラスーNoah Glass。この4人の米国人の名前を知っている日本人は、ネットsavvyですね。IT関連の関係者なら知らない人はいない常識なんでしょうけど、少なくとも、門外漢の私は知りませんでした。彼ら4人は、今でも何かと話題になっているツイッターの創業者なんだそうです。

 特に、天才プログラマーの”エブ”は、世界で初めてブログを作成して管理するアプリ「ブロガー」を開発して、世界中にブログを広めた功績者だといいます。私も毎日、こうしてブログを書いているのに、フェイスブック創業者のザッカ―バーグCEOは知っていましたが、エブさんのことを全く知らず、大変失礼致しました。

 エブは、前述の3人ととともに、ツイッターを開発し、CEOに就きますが、ジャック・ドーシ―との確執からお互いに追放したり、追放されたりして、現在はジャックがツイッター社のCEOです。エブの方は、Medium という双方向性メディアサイトを運営しているようです。

「ネット興亡記」読了

杉本貴司著「ネット興亡記」(日本経済新聞出版社)をやっと読了しました。1週間近くかかったかもしれません。757ページの大作だったとはいえ、視力も落ち、読書力(速度、吸収度、記憶)も劣化しましたね。

 私が30歳代の頃は、月に30冊以上読んでいました。1日1冊のペースです。大半は、文藝記者として仕事として読んでいましたが、500ページぐらいの大作でも1日で読み切ってしまうのです。締切に間に合わないからです。その代わり、電車内は勿論、信号待ちでも、食事中でも、トイレの中でも、睡眠中とお風呂以外は、四六時中、本を読んでいました。当時はネットも発達しておらず、テレビは一切見ません。さすがに、半年ぐらいで心身ともにダウンしてしまいました。

 ある有名作家が、還暦を過ぎてもいまだに、「月に50冊読んでいる」と豪語しておりましたが、凄いなあと感心してしまいます。経験者だから分かります。恐らく、睡眠時間は3時間ぐらいじゃないでしょうか。

 私は、metallic years(gold in the tooth, silver in the hair and lead in the pants)になり、読んだことをすぐ忘れてしまう境地に達したので、この本の備忘録としてメモ書き致します。

「iモード」開発戦略チームに小山薫堂ら

・1997年、NTTドコモの「iモード」開発戦略チームに、NTTの「無線屋」栃木支店長・榎啓一がスカウトしたリクルート「とらばーゆ」の編集長などを務めた松永真理と、彼女が推薦したハイパーネット副社長の夏野剛のほかに、後にDeNAを創業する経営コンサル会社マッキンゼーの南場智子と、後に映画「おくりびと」の脚本でアカデミー賞を受賞する放送作家の小山薫堂らもいた。

楽天市場の開店時の出店はわずか13店

・興銀を辞めてクリムゾングループを起業した三木谷浩史が、慶大大学院生だった本城慎之介とともに創業したのが後の楽天で、創業メンバーには、京大大学院を出て「大学への数学」の東京出版にいた「すご腕のプログラマー」増田和悦(社員番号3)と、慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)大学院出身の1期生、杉原章郎(同4)と小林正忠(同5.大日本印刷を退社)と、それに三木谷の妻・晴子(同6)がいた。(増田を三木谷に紹介した早大大学院生でいったんはNTTに入社した安武弘晃を7人目に入れる時も)1997年5月1日に楽天市場が開店した時に出店したのはわずか13店(そのうちの8店舗が三木谷の個人的コネで出店)だった。

起業家の梁山泊だった渋谷の「ネットエイジ」

・1998年2月、AOL日本法人にいた西川潔が渋谷に立ち上げた「ネットエイジ」は、渋谷の「ビットバレー」の拠点となり、無名の若者が集まる梁山泊になった。ここから、ミクシィを創業した笠原健治、コンプラを創業した千葉功太郎、グリー創業者の田中良和、メルカリを起業する山田進太郎、ヤフーのeコマースを手掛けた小澤隆生らが巣立った。小澤は、ネットエイジが主催する飲み会で、青学大生で電脳隊を創業していた川邉健太郎と知り合い、後に川邉がヤフーのCEOに、小澤はヤフーのCOOとなる。また、ネットエイジの共同創業者の一人になったNTTの社員だった西野伸一郎は、後に、農水省官僚からリクルートなどに転身した岡村勝弘と一緒に渡米し、アマゾンのジェフ・ベゾフに直談判し、2000年11月に、ソフトバンクの孫正義に先んじてアマゾン日本法人の設立に成功した。

 以上、敬称略で、未完ながら、長くなるとまた釈正道師に怒られるので、この辺でやめておきます。

【追記】

 この記事は、いったん書いてアップしたのに、どういうわけか後半が消えていて、もう一度、書き直しました。5~6時間掛かったのではないでしょうか? 面倒臭い厄介な引用があると、消滅する傾向があります。もうネットもブログも嫌いだぁー。時間を返してほしい。

残念「京町しずく」は閉店、期間限定の「鮨処 写楽」=辻惟雄氏の「私の履歴書」は面白い

 コロナ禍がなくても、飲食店業界は浮き沈みが激しく、経営も厳しいと言われています。国が正式に調査したデータはありませんが、業界団体が調査したあるデータによると、飲食店の廃業率は1年後に30%、2年後に50%、10年後ともなると95%にもなるというのです。10年後に生き残っている店舗はわずか5%ということになります。

 このブログでも、ネタに行き詰まると、すぐグルメ情報を載せますが、先日、「これは良い!」と皆さんにもお薦めした東京・銀座の和食店「京町しずく」が昨年12月31日をもって閉店していたのです。完全個室の落ち着ける店で、値段も手頃だったので、先週、「折り入って話があります」という会社の後輩がいて、私自身は「終わった人」で何の力にもなれませんが、話を聞くことぐらいはできるので、2人でこの店に行ったら、閉店していました。「ガビ~ン」です。思わず、「聞いてないよ~」と叫んでしまいました。

 ということで、私が書くグルメ情報は、行く前に事前に確かめてからお出かけください。既に、閉店してしまっていることがあるからです。

 本日行ったランチは、銀座の「鮨処 写楽」です。期間限定ですが、今、えっ?こんなに安くていいの?というぐらい低価格で美味しいお寿司を提供してくれるのです。

 上の写真のランチの「牡丹」は、あとお椀付きで、1100円(税込)なのです。まあ、安くても銀座ですから1300~1500円はしますね。ですから、期間限定なので、期限が過ぎれば、それぐらいの価格になるかと思われます。(お店の人に聞いたら、キャンペーンは、最低でも、緊急事態宣言が出されている2月7日までは続けるそうです)

 話はこれで終わってしまうのも何なんで、話を変えますが、今、日経朝刊で連載中の美術史家・辻惟雄(つじ・のぶお)氏の「私の履歴書」は面白いですね。

 辻氏と言えば、近年新たな脚光を浴びている異能の絵師伊藤若冲の素晴らしさを早いうちから見抜いた先駆者としても知られています。その伊藤若冲らを取り上げた辻氏の出世作が、もう半世紀も昔の「奇想の系譜」(1970年初版)という本です。

 本日13日は、その「奇想の系譜」のことが取り上げられていて、その最初に登場するのが岩佐又兵衛というこれまた知る人ぞ知る異能の絵師です。私も5年ほど前の展覧会で彼の代表作「洛中洛外図屏風」(国宝、東博蔵)の実物を初めて目にして圧倒されたことを覚えています。「何で、こんな凄い絵師を知らなかったんだろう」と反省したぐらいです。

 この岩佐又兵衛は、摂津国伊丹の有岡城主、荒木村重の子息でした。荒木村重は織田信長に謀反を起こしたため、一族郎党皆殺しになったはずですが、岩佐又兵衛だけは当時まだ乳飲み子で、乳母に助けられて城を脱出し、石山本願寺に保護されたといいます。成人して紆余曲折の末、京都で絵師として活動しますが、師匠は村重の家臣の子息だった狩野内膳ら諸説あり、よく分かっていないようです。とにかく、最近、戦国時代にハマって、戦国武将を身近に感じていたので、岩佐又兵衛まで身近に感じてしまったわけです。

 ともあれ、辻惟雄氏のことでした。彼は1950年、岐阜高校から都立日比谷高校(旧制府立一中)に難関の編入試験を突破して入学しますが、同級生に江頭敦夫(後の評論家江藤淳)や大宅壮一の長男歩(あゆむ)氏(東大卒後、銀行員に。ラグビーで頭を怪我した後遺症に悩み、30代前半で亡くなったといいます)もいたというので、「へー、同級生だったのかあ」と驚いてしまいました。

 猛勉強の末、大学は、東大の医学部に進める学部に合格しますが、途中で、父親と同じ医者になる学業を諦め、以前から画家になりたかったこともあり、文学部美術史学科に「転向」するまでの話が今日の回まで書かれています。今後の展開が楽しみです。

IT起業家の人物相関図が分かる「ネット興亡記」

 極東日本列島では、毎日、Covid-19感染者が「過去最多」を更新しています。そこで、私は、このところ、書斎に引き籠って、古代や戦国時代や江戸時代にタイムスリップして、「現実逃避」しておりましたが、それだけではマズイので、たまには現代に返ることにしております。

 まさに、今読んでいる杉本貴司著「ネット興亡記」(日経BP、2020年8月25日初版)が現代そのものです。著者の杉本氏は1975年生まれ。京都大学修士号を持つ日本経済新聞社編集委員で、文章は読み易いのですが、多少、自己の文才に溺れた奇をてらった、勿体ぶった書き方をするので、数行読まないと意味が分からない箇所が散見されます。でも、100人以上にインタビューして書き上げたといいますから、登場人物の「告白」は熾烈で鮮烈です。本書に従って敬称を略しますが、楽天の三木谷浩史、動画配信U-NEXTの宇野康秀、「パチンコの釘師から這い上がった」ネットインフラGMOの熊谷正寿、ライブドアの堀江貴文、サイバーエージェントの藤田晋ら錚々たる名士が登場します。今では綺羅星の如く輝くネット業界の起業家とも風雲児とも言われたりする一方、「IT長者」とか「IT成り金」とか「ヒルズ族」とか揶揄された人物の一代記でもあります。

  彼らは1960年代~70年代生まれで、「ウインドウズ95」日本版が発売され、「インターネット時代」到来という大ブームを巻き起こした1995年以降に起業しています。(私もこの年に生まれて初めてパソコンMac bookを買い、ネットも始めました。当時は電話回線の呼び出しみたいなネットで、画像を出すだけで時間が掛かり、パソコン通信に毛が生えたようなものでした。IT業界は日進月歩の世界ですから、四半世紀=25年も経つと全くパラダイムが変わっていて、既に歴史になってしまっています。)彼らの全く無名時代から筆を起こしているので、「人物相関図」がよーく分かり、意外にも、というか、私だけが知らなかったのでしょうが、ほぼ全員お互いに面識があり、盟友だったり、師弟関係だったり、憎きライバルだったりします。そして、一見華やかな世界に見られながら、裏切りあり、抜け駆け、出し抜きあり、破産倒産、再起あり、中には自殺未遂やホリエモンのように塀の中に収監されたりで、一様に若くしてとてつもない波乱万丈の戦国時代みたいな生涯を送っています。

 そうなのです。コンピューターは「0」と「1」の世界で、勝ち負けがはっきりしている世界なので、その覇権争いは、刀剣や弓矢は使わなくてとも生死を賭けた戦国時代とそう変わりません。名を残した一人の勝者の陰に何百万人もの敗れて業界を立ち去った無名の人々がいるわけです。運があったのか、才覚があったのか、分かりませんが、成功者は、どん底に突き落とされた時も「最後まで諦めなかった」というのが共通しています。ネット業界のキーパースンの群像に焦点を当てたこれ以上の書物はないと思われるので、もはやこの本は「ネット興亡記」というより、「ネット興亡史」と言っても良いかもしれません。

 何故なら、ネット業界人だけでなく、あの「物言う株主」”村上ファンド”の村上世彰や元弁護士で経営コンサルタントの井上智治(楽天によるDLJ証券買収、タカラとトミーの合併、USENのエイベックスへの出資など手掛ける)ら、知る人ぞ知る多士済々の人物も登場し、物語に彩りを添えているからです。

 何しろ757ページの百科事典のような大著ですから、この本の内容を一言ではとても言えません。現代日本人は、生活の上でグーグルやアマゾンやLINEやヤフーなどを日頃、当たり前のように使っていますが、その陰にどんな「物語」があったのか、私を含めてほとんど知りません。それがこの本にはバッチリ書いてあるんですよ。

本文とは関係ない現代の風物詩

 一橋大学を卒業し、日本興業銀行時代に米ハーバード大でMBAを取得してエリート街道を進みながら、興銀を退職してネット通販「楽天」を起業した三木谷氏の動機の一つが、1995年の阪神・淡路大震災で叔母夫婦を亡くしたことがあったことも初めて知りました。

 もう一つ、LINEは、韓国の検索エンジン最大手のNAVERが、米グーグルに対抗するために、ネット検索しても出て来ない人間関係をつなぐメディアをつくったという話です。つまり逆転の発想で「検索会社が検索を棄てて」初めて、とても太刀打ちできない巨大ガリバー企業グーグルに打ち勝つことができたというのです。その立役者の中には、1990年から来日してゲーム会社の日本法人代表になって人脈を広げた千良鉉(チョン・ヤンヒョン)や開発の総責任者・慎重扈(シン・ジュンホ)のほかに、ソニーから転職した森川亮、中国最大手検索会社、百度の日本法人元幹部で、「LINEの軍師」と呼ばれた舛田淳、ライブドア事件で壊滅状態だった会社を復興して社長になった出澤剛らライブドア残党組も「合流」してLINE開発を担当していたことまでは知りませんでした。

 とにかく、IT業界、ネット社会といっても、無機的ではなく、とても人間臭い凄まじい世界です。最初にちょっと嫌味を書いてしまいましたが、そんな魑魅魍魎の世界を活写したこの本が面白くないわけがありません。この本の主人公を一人挙げるとしたら、リクルートを退社して人材紹介・派遣会社インテリジェンスを仲間と創立し、父親が創業した大阪有線を再起させた(その後買収され、再び買い戻した)動画配信U-NEXTの会長・宇野康秀氏かもしれませんが、これ以上書くと長くなるので、ブーイングが聞こえてきそうです(笑)。

 ということで、宣伝ではありませんが、この本の一読をお薦め致します。今のネット社会の原点が分かり、視野が広がると思います。

 

邪馬台国は何処にあったのか?=「永遠に謎」でもいいのでは?

 富岳 Copyright par Duc de Mtsuoqua

  年末年始は、コロナ禍で自宅待機を半ば強制され、朝から酒を呑んでいるので活字が頭に入らず、となると、テレビを見ることになります。しかし、現代人なのに最先端の流行ものに興味を持てず、というか、全く付いていけず(苦笑)、恒例の紅白歌合戦も5分見てギブアップしてしまいました。

 以前はよく見ていたお笑い番組も、流行の笑いに付いていけず、むしろ、馬鹿らしさと空虚さと怒りを感じてしまう始末でした。いけませんね。

 でも、その代わり、大収穫がありました。正月の夜にNHKで放送された「邪馬台国サミット2021」です。女王・卑弥呼の都「邪馬台国」の所在地を巡り、江戸時代から続く「九州説」と「近畿説」の大論争で、侃侃諤諤の議論はひじょーに面白かったでした。恐らく、多くの方もご覧になったかと思いますが、御覧になっていなかった皆さんは、「九州と近畿、どっちなんだあ」とせっかちに身を乗り出すと思われます。(戦前は、東京帝大の白鳥庫吉教授の「九州説」と京都帝大の内藤湖南教授の「近畿説」が有名ですが、エジプト説もあったりして吃驚しました)

 結論を先に言いますと、有力な「九州説」も「近畿説」も決定的な「証拠」に欠けて、まだ「分からない」というのが正解でした。でも、九州説では、例えば、佐賀県神埼市・吉野ケ里町で発掘された有名な吉野ケ里遺跡には、「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に記された楼観(ろうかん)跡と推定される物見やぐらや大壕などがあったことから、北九州に邪馬台国があったという有力説になってます。(近畿には物見やぐらや大壕などの古代遺跡がない!ただし、吉野ケ里は邪馬台国に先立つ50~100年前の大集落だったらしいので、ここが邪馬台国跡ではないようです)

 近畿説は、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡が有力のようでした。纏向遺跡内の箸墓(はしはか)古墳が卑弥呼の墓ではないか、とも言われていますが、古墳は宮内庁が管理して学術調査もできないので、まだ決定的証拠が見つかっていません。纏向遺跡には柱跡からかなり大きな宮殿のような巨大建築物が見つかり、ここで卑弥呼が「鬼道」(呪術)を使っていたのではないかと推測されていますが、魏志倭人伝の記述にあるような物見やぐら大壕などは発掘されていません。少なくとも、これだけ広大な宮殿跡は、初期天皇である大王の都跡、もしくは、出雲や吉備などの地方豪族の集合体の王都ではないかという説には私は惹かれました。(卑弥呼は、天照大神だった、卑弥呼は神功皇后だった、という説もあります)

 しかし、私もその御著書を愛読している倉本一宏・国際日本文化研究センター教授は「(正史である)『日本書紀』に邪馬台国も卑弥呼も出て来ない。天皇家とは別の政権だからではないか。となると近畿というより九州ではないか」といった趣旨の発言をしておられましたが、私もどちらかと言えば、分が悪い「九州説」派です。(魏志倭人伝には、「倭人は鉄の矢じりを使っている」と書かれていて、これまで福岡で1740点、熊本で1891点の鉄の矢じりが発掘されていますが、大阪では153点、奈良では13点しか出土していないそうです。おっ!九州説、有利か?)

番組はきこしめながら見たので、このムックで捕捉しました。最新研究成果の書かれた良書です。

 話は脱線しますが、纏向遺跡も箸墓古墳も1970年代から発掘が始まり、その成果は20世紀末から21世紀になって徐々に明らかになったということですから、私の世代の学生時代は全く習いませんでした。古代史は日進月歩、新たな発掘で書き換えられているということですね。

 近畿説を取る福永伸哉・大阪大学文学部研究科教授は「自虐的九州説」と一刀両断しておられました。同教授は、魏志倭人伝に邪馬台国には7万戸あったということは人口は30万人いたことになる。しかし、927年の「延喜式」によると、筑後の人口は7万3300人、肥前は8万1400人しかいない。とても、九州とは思えない、といった論陣を張っておられました。

 これに対して、中国古代史が専門の渡辺義浩・早稲田大学文学学術院教授は「中国の場合、人口などの数字は正確ではありません」と説明していました。さすが「白髪三千丈」と、数字は桁違いにオーバーに言うお国柄です。こちらの分が高いようです。もっとも、渡辺教授は、邪馬台国が九州にあろうが、近畿にあろうが、どっちでもいい、三国志に興味があっても、そんなもん興味ない、というスタンスだったので笑ってしまいました。

 渡辺教授によると、邪馬台国の第一次資料である陳寿著「魏志倭人伝」は、日本人のために書かれたものではないことをもっと注目すべきだと強調していました。魏呉蜀の三国が覇権を争っていた時代に、天下国家を取るために、自国に都合の良いように脚色した部分もあり、全面的に信用できないといいます。だから、魏志倭人伝に書いた通りに邪馬台国の場所を探して辿っていくと九州の南の海の中になければならなくなってしまいます。

 これは、他の本で読んだのですが、卑弥呼に「卑しい」を使い、、邪馬台国に「邪(よこしま)」の文字を当てたこと自体が、明らかに中国側から見た倭人に対する蔑称です。(日本では、卑弥呼は、姫子と呼んでいたという説もあり)

 邪馬台国は何処にあったのか?-は確かに「古代のロマン」として好奇心をくすぐられます。でも、なぜ、明智光秀が、主君織田信長を裏切って本能寺の変を起こしたのか、諸説あって理由が定かでないように、「よく分からない」「ミステリー」が、日本史の魅力にもなっているのではないでしょうか。

 また、新たな発掘調査で真相が明らかになるかもしれませんが、「永遠に謎」でも私は構わないと思ってます(笑)。

 【後記】

 写説に書いた通り、きこしめながら、番組を見ていたので、書いた数字は正確ではないかもしれません。もし、事実誤認がありましたら、訂正致します。また、番組と同じぐらい週刊朝日ムック「歴史道」(「古代史の謎を解き明かす!」特集号)を参照しました。

 ところで、今朝(1月4日付)朝日新聞によると、本能寺の変の際、明智光秀が直接、本能寺を急襲したのではなく、家臣の斎藤利三(としみつ=春日局の父)に任せて、自分は京都市南部の鳥羽にいた、という説には驚きました。これだから歴史は面白いのです。