令和三年 明けましておめでとう御座います

令和三年 正月 初富士 Copyright par Duc de Matsuoqua

2021年、明けましておめでとう御座います。

この渓流斎ブログ、旧年中、皆さまにおかれましては御愛読賜りまして、洵に有難う御座いました。

 お正月は、下賀茂茶寮と姉上殿の御節料理の御相伴に預かりました。

 お酒は、九州の叔母からの差し入れの唐津の地酒「聚楽太閤 原酒生酒初しぼり」と、ナポレオンも愛したブルゴーニュ・ワインですが、10万円もするシャンベルタンではなく、ゼロが少ない市販のブルゴーニュ・ワイン。そして辛口の「久保田」の純米大吟醸です。

 寄る年波か、すっかり弱くなってしまい、全部は呑めませんでしたが…(笑)。

都心から見る初日の出 Copyright par Duc de Matsuoqua

本年も、恐らく、ブログを書き続けると思いますので、皆さまからの投稿、御意見、叱咤激励等宜しくお願い申し上げます。

 一刻も早い新型コロナの終息を願っています。

 今年こそは、東京五輪・パラリンピックは開催されるのでしょうか? 総選挙の年、政局はどうなるのか? コロナ禍で甚大な影響受けた世界経済、景気はどうなるのか?-ま、そんな辺りが今年の注目株でしょうが、私は相変わらず、お城巡りや寺社仏閣巡り(寺院は全国に7万5000カ寺、御住職は6万人いらっしゃるそうです)に勤しむことでしょう。無理強いながら、お付き合いの程を、隅から隅まで、ずずいっと、宜しくお願い申し上げます。

恐惶謹言

 令和三年 一月二日

 高田渓流斎

幸田文「流れる」と法輪寺三重塔再建=江戸しりとり唄「牡丹に唐獅子」

 昨日は、NHKラジオの「聴き逃しサービス」の11月に放送された「語り継がれる”幸田家”のことば」のことを書きましたが、私はギリギリながら全5回を聴き通すことができました。お話は、幸田露伴の曾孫で、幸田文の孫に当たる青木奈緒さん。第2回放送分以降も、来月4日からだんだん聴けなくなってしまいますから、聴くのは今のうちで御座います。

 面白いので、2回、3回、繰り返して聴いた回もありましたが、このままでは、私の右の耳から左の耳を通過しただけなので、必ず、忘れていくことでしょう。それでは惜しいので、印象深かった「幸田家の言葉」を少しだけ書いてみたいと思います。語り手の青木さんは、「小石川の家」を書いた露伴の孫の青木玉さんの娘です。露伴から4代続く、文筆家ですが、話し方もとても魅力的で、ずっとお話を聴いてみたい気にさせてくれます。

 「幸田家の言葉」を書き並べる前に、青木奈緒さんの祖母に当たる幸田文さんのことをまず書いておきます。私が、彼女の名前を知ったのは、確か、小学校の教科書に載っていた「あか」という作品でした。内容はすっかり忘れてしまいましたが(笑)、主人公のお父さん(つまり露伴ということになるでしょう)が、「犬殺し」(明治大正時代は、ブン屋=新聞記者と犬殺しには嫁は出せないと言われていた!)から処分されそうになっていた赤毛の野良犬をもらって来て、彼女は「あか」と名付けて飼うことにしました。でも、家には既に血統書付きのしっかりした犬がいて、主に彼女の弟が面倒をみていましたが、その犬と比べるどうみても見劣りする。それでも、あかは主人公になつき、子どもたちの間でも段々人気者になっていく、といった話だったと思います。

 何と言っても、幸田文と言えば、私の大好きな映画監督・成瀬巳喜男の代表作の一つ「流れる」(田中絹代, 山田五十鈴, 高峰秀子, 杉村春子のオールスターが出演)の原作者。実は、私自身、この小説を読んでいませんが、実際に幸田文が「断筆宣言」した後、柳橋の芸者置屋で働いた経験を元に書いたようですね。

 そして、青木奈緒さんのお話(自身の随筆朗読)の中にも出てきますが、幸田文さんは、奈良のお寺の塔を再建する作業のお手伝いをするために、1960年代後半から70年代にかけて、奈良に移り住んだりしています。ここは何処かと思ったら、先日、テレビで「聖徳太子と法隆寺」の番組をやっていて見ていたら、法隆寺の近くにある奈良・斑鳩の法輪寺が出てきて、「作家の幸田文らの尽力で、焼失した三重塔が再建されました」とナレーションでやっていたので、吃驚してしまいました。何というシンクロニシティ!

 さて、幸田家に4代に渡って日常生活の営みの中で伝わってきた「言葉」の中に、

 人には運命を踏んで立つ力がある。

 というものがありました。これは説明はいらないでしょう。

 もう一つ、印象に残った言葉は、

  心ここに在らざれば 見えども見えず 聞けども聞こえず 食らえどもその味を知らず

 これは、青木さんが幼い子どもの頃、食事するのが遅く、食べるとき、遊んでしまっている時に親や祖母から諭された言葉だったそうです。半世紀過ぎても覚えているところが凄い。青木さんは、当然、露伴の言葉かと思っていたら、実は中国の四書五経の「大学」の中の言葉だったことを結婚をし何年も経ってから知ったという逸話を話していました。

 もう一つ、

 一寸伸びれば 尋伸びる

 もう日本では尺貫法は廃止されてしまったので、現代人はさっぱり分からなくなりましたが、一寸とは、3センチちょっと、尋(ひろ)とは両手を広げた長さのことで約1.8メートル。これは、当座の困難を切り抜けていけば、または、やり過ごしていけば、時間が経てば楽になる、収まっていくといったような意味で、”幸田家”ではよく使われたそうです。生活の中ではよく針仕事もするので、それに関連した言葉でもありました。

 他にも心に響く幸田家の言い伝えがありましたが、面白かったのは

 世の中に寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働く

 これは江戸時代の狂歌が原点にあり、地方によって色んな言い方があるようです。これは、今でも使われるので私も知っていました。毎日休まずブログを書いているので、座右の銘にしたいです。

 最後に、青木さんが子どもの頃に、祖母の幸田文さんと遊んでもらった時にやった言葉遊びの一つを取り上げます。幕末から明治にかけて流行った「しりとり唄」で「牡丹に唐獅子」というものです。私は全く知らなかったので、全文掲載しておきます。特に意味があるわけではなく、当時流行った、と言うか、当時の人なら誰でも知っている常識みたいなものを尻取りで並べたようです。が、現代人にはその「常識」がもはや通用しないですね。伝統は守らなければ、消滅してしまうという良い見本です。今では狩野永徳の描く絵画や歌舞伎の芝居などに少し残っているぐらいですから。

牡丹に唐獅子 竹に虎 虎を踏んまえ 和藤内
内藤様は 下がり藤 富士見西行 後ろ向き
むき身蛤 ばかはしら 柱は二階と 縁の下
下谷上野の 山かずら 桂文治は 噺家で

でんでん太鼓に 笙の笛 閻魔はお盆と お正月 
勝頼様は 武田菱 菱餅 三月 雛祭
祭 万燈 山車 屋台 鯛に鰹に 蛸 鮪
ロンドンは異国の 大港 登山駿河の お富士山

三べん回って 煙草にしょ 正直正太夫 伊勢のこと
琴に三味線 笛太鼓 太閤様は 関白じゃ
白蛇の出るのは 柳島 縞の財布に 五十両
五郎十郎 曽我兄弟 鏡台針箱 煙草盆

坊やはいいこだ ねんねしな 品川女郎衆は 十匁
十匁の鉄砲 二つ玉 玉屋は花火の 大元祖
宗匠のでるのは 芭蕉庵 あんかけ豆腐に 夜鷹そば
相場のお金が どんちゃんちゃん ちゃんやおっかあ 四文おくれ

お暮れが過ぎたら お正月 お正月の 宝船
宝船には 七福神 神功皇后 武内
内田は剣菱 七つ梅 梅松桜は 菅原で
藁でたばねた 投げ島田 島田金谷は 大井川

かわいけりゃこそ 神田から通う 通う深草 百夜の情
酒と肴は 六百出しゃ気まま ままよ三度笠 横ちょにかぶり
かぶりたてに振る 相模の女 女やもめに 花が咲く
咲いた桜に なぜ駒つなぐ つなぐかもじに 大象とめる

NHKラジオの聴き逃しサービスは是非ともお薦めです

 年賀状をやっと書き終わりました。12月5日から書き始めたので、結構掛かりました。

 今年はかなり「喪中はがき」が多かったり、「70歳を機に年賀の御挨拶を今年限りに致します。長い間の交際有難うございました」という方も少なからずいらっしゃって、買い求めた年賀状がかなり余ってしまいました(苦笑)。そこで、出してはいけない人に出したりしてしまいました。…告白しておきまする。

 出す相手を探すために、古い住所録を引っ張り出して見たところ、かなりの方が故人になっておりました。半数近いかもしれません。会社の今の職場ではいつの間にか自分が最年長になってしまいましたからね。亡くなった方は、会社の上司に当たった人、仕事で知り合った人たちが主ですが、仕事柄、有名作家さんや評論家、芸能関係の方もいらっしゃいます。時の流れは速いものです。人生、こうしてバトンタッチしていくものだとしみじみと感じています。

 さて、一昨日のこのブログで、学生時代の畏友小島先生からの指令で、NNKラジオ「らじる☆らじる」の聴き逃しサービスの三島由紀夫の話を書きましたが、他にも沢山の聴き逃した番組があったことを発見して、はまってしまいました。(小島先生には感謝申し上げます。有難う御座いました)

 特に興味深く拝聴したのは、NHKラジオ第2で放送されている「宗教の時間」で、田上太秀駒澤大学名誉教授による「釈尊にとってのあの世とは」(11月15日放送)と静岡市の宝泰寺住職藤原東演氏による「百喩経(ひゃくゆきょう)の教え~自分を見つめる」(11月29日放送)でした。「こんな良質な番組を聴き逃していたとは!」と自分の不明を恥じたほどです。

 田上氏によると、仏教思想の根幹の一つである極楽とかあの世とかは、釈尊は説いていないといいます。それは、紀元後に成立した「無量寿経」などの極楽浄土思想によって広まったというのです。確かに、お経は釈尊一人が説いたものだけを指すのではなく何百年、何千年に渡って高僧が受け継いで説いてきたものですから、特に異論はなく、むしろ、仏教思想の深さを思い知らされました。田上氏の語り口からは、何も、仏教だけが絶対的な真理だといった押し付けがましさが全くなく、難しいことをかみ砕いて分かりやすく解説し、視聴者と一緒に考えていきましょう、といった好印象を受けました。

 藤原東演氏の講話も実に面白かったです。静岡駅に近い宝泰寺という臨済宗妙心寺派のかなり大きな禅寺の住職の子として生まれながら、家業を継ぐ気は全くなく、外交官にでもなろうと、京都大学法学部に進学しますが、学生時代は遊んでしまい、司法試験にも落ちたりして、結局、家業を継ぐことになったという飾らない正直な話には、身近に感じてしまいました。ひねくれているかもしれませんが、成功譚なんかより、失敗譚の方が遥かに面白いですからね。

「百喩経」とは、目先の利益や快楽を求める者や物事の本質が分かっていない者たちの失敗や過ちを題材にユーモアと皮肉にあふれた小咄によって仏法を説いたもので、私もこんなお経があったとは知りませんでした。皆さんもこの番組を「聴き逃しサービス」でお聴きになるといいでしょう。あと1カ月ぐらい聴くことができそうです。

 あ、もう一つありました。今、聴いている真っ最中ですが、「カルチャーラジオ 日曜カルチャー『語り継がれる“幸田家”のことば』」(1)~(5)(11月8日~29日放送)です。お話は文筆家・エッセイストの青木奈緒さん。文豪幸田露伴の曾孫で、随筆家の幸田文の孫に当たる人で、露伴とは会ったことはありませんが、文には一緒に育ててもらったらしく、彼女との思い出を中心に作品を朗読しながら語っています。

 これまた、実に面白い。残念ながら、第1回放送の聴き逃しサービスは今日12月28日午後3時で終わってしまいますが、第2回以降ならまだ少し間に合います。第1回では、幸田文の書いた「木」を朗読しながら、それに関する逸話などを話しています。エゾマツやトドマツなどは「倒木更新」といって、種からしか次世代が生まれないといいます。接ぎ木として生まれず、種子から育つので、成長して大木になるまでに50年から60年掛かる。そのため、林業に従事している人たちは50年とか60年とか長いスパンで物事を考えている、といった話には非常に感銘を受けました。青木さんは、北海道の富良野までそのエゾマツを見に行く話をされていました。幸田文が50年前に書いたエッセイが御縁で、東京大学が管理している普段は入れない場所に行くことを誘われて感動したといった話もされていました。

何故、日本人は勤勉で不安を感じやすいのか=中野信子著「シャーデンフロイデ」を読んで

 銀座「バルネア」 パエリヤ サラダ付 1000円

 最近どうもツイていなくて、ほんの少し落ち込んでいます。

 まあ、そう大した話でもないんです。

 例えば、九州の叔母さんから蜜柑が送られてきたので、そのお返しに通販で北海道の御菓子を送ったところ、10日も経ったというのに先方から御返事がない。「届きましたか?」と聞くのも変ですし、モヤモヤしてしまいます。たかが、御菓子で1週間も2週間も掛かるんでしょうか?

 もう一つ、やっとパソコンのプリンターを購入し、1週間前に届きましたが、無線LAN方式になっていて、どうしても、パソコンとプリンターが繋がりません。幸い、スマートフォンはアプリを入れて、どうにか繋がりましたが、やはり、パソコンでなくては意味がありません。これも、原因が分からず、モヤモヤしてしまいます。

 あとは、目の前でバスや電車に乗り遅れるとか、期待して初めて食べに行った銀座のランチが美味しくなかった、とか、まあ「軽症」の不運でしたが、私にとって重症の不運もありました。

 3年程前に、変動金利型10年満期の個人国債を購入したのですが、金利があまりにも低いし、1年経てば中途解約できるので、先日、思い切って解約したところ、何と、約5000円も損失額を出して返金されました。「元本保証」だったはずなのにどういうことだ!!

 調べてみたら、中途換金の場合、元本+経過利子相当額-中途換金調整額で「払戻金」が計算され、財務省のホームページにも「元本割れしないから安心」なんて書いてますが、嘘こけー!ですよ。実際は、中途解約金とか手数料とか証券会社から差し引かれるので、前述通りマイナスになってしまいました。これは私が実体験したので、本当の話です。やはり、自分は投資家に向いていないと思ってしまいました。(21日に発表された2021年度予算案は106兆円で、そのうち借金に当たる国債発行額は43兆超円で歳入の40.9%にも上るとか。日本は大丈夫かなあ?)

会津の赤べこ、ついに買っちゃいました

 まあ、こんな調子で少し落ち込んでしまっているわけですが、いわば、軽い「不安神経症」だと思われます。何で、日本人にこのような症状を持つ人が多いのかと思いましたら、ちゃんと脳科学的に説明できるんですね。

  先日、このブログで中野信子著「サイコパス」(文春新書)を取り上げましたが、同じ著者が書いた「シャーデンフロイデ」(幻冬舎新書、2018年1月20日初版)が一番良かった、と旧友の森川さんが薦めてくれたので、読んでみました。確かに、こちらも実に面白い。シャーデンフロイデ Schadenfrreude とはドイツ語で、シャーデンとは「損害、毒」、フロイデとは「喜び」という意味だそうです。そう言えば、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」は、An die Freude ( アン・ディー・フロイデ)でしたね。

 シャーデンフロイデには、「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンという物質が大きく関わっています。例えば、困った人を助けたりすると快楽ホルモンのオキシトシンが分泌される一方、人に対する嫉妬や妬み、組織や社会の輪を乱す者に対する制裁心や、別に関係もないのに有名人の不倫を叩いたり、自警団のような過剰な正義感などもオキシトシンと関係があるといいます。つまり、喜びと害毒の両極端の感情を作用するわけです。

 本書の中で、一番興味深かったのは、なぜ、日本人は正義感が強くて真面目で、規律正しく、大人しく全体行動に従う人が多いのか、といった分析でした。まず、日本は古代から稲作農業が中心で、米作りには集団による協同作業が必要になります。こうした向社会性が強い場では、個性が重んじられる合理主義より集団の意思決定が尊重されます。つまり、異分子は排除され、反集団的な人の遺伝子は絶えたということなのでしょう。

 もう一つ、日本は世界的に災害大国だということです。地球全体の総面積のわずか0.28%しかない日本列島で、マグニチュード6以上の大地震の約2割も起き、災害被害総額も世界の約2割も占めているというのです。こういった土地で生き延びて繁殖するためには、助け合いや集団行動が不可避になっていくわけです。

 また、日本人には不安を感じにくくする物質セロトニンが少ないため、不安を抱きやすいという説があります。脳内でセロトニンを合成する部位におけるタンパク質の密度が低いSS型とSL型を持っている日本人は98%もいるといいます。密度が低いと物事をいい加減に考えることができず、事前に準備をする勤勉なタイプが多いということになります。逆に密度が高いLL型は、まあ、無鉄砲で果敢にリスクを取るタイプでしょう。こちらは、日本人の2%だといいます。サイコパスが人口の1%だと言われていますから、本書には書いていませんが、恐らく、日本人のサイコパスは、この2%の密度が高いLL型の中に入ると思われます。

 日本人の98%が勤勉タイプだとしたら、自然災害が多い日本では、セロトニンが少ない方が生き延びやすかった、つまり、不安で心配性の方が予防策を講じられて有利になったことから、そういうタイプの人が生き延びて遺伝子が残ったと考えられるというのです。一方、米国人にセロトニンが多い人が見受けられるのは、リスクを取ってでも新大陸に向かう不安を感じにくいタイプの人が生き延びたためだといいます。

 面白いですね。私自身が不安を感じやすいこと、大きなリスクを取ってでも投資したいと思わないことが、見事証明されたような感じです。つまり、私自身、セロトニンが少ない日本人の典型だったということになります。

 となると、人の性格や人格など、何でも、遺伝子のせいにすることができるかもしれません。所詮、人間だって、単なる生物です。「俺のせいじゃない。DNAのせいだ」と。-ここまでくると、脳科学は免罪符みたいに感じますね(笑)。

 

仏マクロン大統領もCovid-19に感染=ランチはゆったりとした店で

 昨日17日はフランスのマクロン大統領が新型コロナウイルスに感染(陽性)したというニュースEmmanuel Macron a été déclaré positif au Covid-19 が世界中を駆け巡りました。米国トランプ大統領、英国ジョンソン首相、ブラジル・ボルソナロ大統領ら世界の最高指導者が次々と感染しましたが、「フランスよ、お前もか」といった感じです。

 ルモンドなどの現地仏紙は、マクロン大統領は16日夜に、与党幹部ら10人ほどをエリゼ宮に招いて夕食を伴にしていたことを一斉に報道しました。政府は、国民に対して、会食人数は6人を超えないよう呼びかけ、おまけに夜間外出禁止令までが出していたので、野党からは「警察は何をしているんだ」と糾弾の声が上がったらしいですね。

 そう言えば、我が極東の国でも最高指導者が、銀座の超高級ステーキハウスで7人で会食したことが発覚して陳謝したばかり。まさか、マクロンさんは菅さんの真似をしたわけじゃないでしょうが、随分、世界が狭くなった感じがします。

 情報が本当に瞬時に伝わってしまうからです。

 ということで、政治嫌いの渓流斎は、「孤独のグルメ」ですから、本日も銀座ランチ行脚です。

 「京町しずく」という店にしました。銀座インズ1の2階にあります。夜の居酒屋がメインでしょうが、ランチもやってました。全室個室というので落ち着けます。

 ほんの少し、高級感がありますが、値段は驚くほど大衆並みなので、得した気分になれます。

ヒレカツ御膳 御飯は大盛でーす

 どれも美味しそうで、メニュー選びに迷ってしまいましたが、週替わりの「ヒレカツ御膳」にしました。

 おかずが五品もあり、コーヒーも付いて、1000円(税込み)ですから、リーズナブルです。ちょっと近くの三省堂で買い物があったので、ゆっくりできませんでしたが、時間があれば、ゆったりとくつろげます。何しろ、個室になっていますからね。

 愚生自身、もう最近、すっかり縁遠くなってしまいましたが、アベック向きの店かもしれません。アベック? 死語ですか? カップルでした!年齢がバレてしまいますね(笑)。

時の首相は政権トップの器ではないのでは?=「孤独のグルメ」に敬意を表して銀座ランチ巡り

銀座 スペイン料理「ロボス」 イベリコ豚のグリル 1000円

  もう破れかぶれ気味です。

 今の、時の政権といいますか、菅義偉首相は、どうも為政者トップの器ではないように見受けられます。聞こえてくるのは「官僚の書いた作文の棒読み」とか、「二階(幹事長)政権の操り人形」とか、「内閣支持率低下に怯えて宗旨変え」とか、ネガティブな噂ばかりです。コロナ禍という有事の宰相として相応しいとは思えず、何か、批判する気にもなれません。

 派閥を持たないガースーさんということで、日本学術会議問題にせよ、融通が効かないというのは、「揺るぎない精神」の持ち主ではなく、周囲の首領(派閥の長)に気を遣い過ぎて、単に、自己判断ができずに硬直しているだけなのかもしれません。いつも目がどんよりしていて、その目が泳いでいる人です。こういった噂は「首相周辺」とやらが政治記者に流しているようですが、「周辺」って、一体誰なんでしょうか?

 かつて、こういったヤバい噂をオフレコで発言する人をマスコミ業界はボカして、「政府首脳によると」とか「政府高官によると」とか書いていましたが、今では「政府首脳=内閣官房長官」「政府高官=事務次官、内閣官房副長官」のことだということがバレバレです。そこで、「政府筋」とか「首相周辺」なんていう新語を生み出したのかしら?(各社まちまちですが、周辺とは公設秘書も入るようです)

 傍から見て、菅首相と加藤官房長官との意思疎通がうまくいっているようにも見えません。邪推かもしれませんが…。

 ということで、政局の話はこれぐらいにして、本日も、渓流斎ブログ、実は「グルメ・ブログ」と揶揄される通り、銀座ランチ巡りの話です。

銀座コリドー街の先、つまり新橋寄りに「裏コリドー」なる商店街が出来ていました

 今年初め辺りから、テレビで「孤独のグルメ」という番組を見るようになりました。原作の漫画は読んだことはありません。俳優の松重豊さん扮する井之頭五郎という輸入雑貨商が、腹が減ったので仕事先の街でお店を見つけてランチする、というそれだけの話です。

 この番組は、再放送か、再々放送か知りませんが、第1シリーズは2012年1月から始まったようで、もう9年前のことですから、主演の松重さんも今のように白髪ではなく、黒髪で実に若い(笑)。取り上げられるお店は、どの店も安くてボリューム満点の和洋中華何でも御座れといった感じです。番組の最後の方で、原作者の久住昌之さんが、その店に実際に訪問して、昼間っから呑んだりしているので、是が非でも行きたくなるお店ばかりです。でも、いざ、実行に移そうと調べてみると、何と、ほとんどのお店が現在、閉店してしまっているのです。

 テレビに取り上げられて大いに宣伝になったはずなのに、です。閉店の理由は、店主の高齢化とか、後継ぎがいない、といった切実なものが多かったようですが、それにしても残念。

 ということで、つまらない政治の話をするより、私も井之頭五郎になったつもりで、職場のある銀座ランチを楽しむことにしたのです。今までは行きつけの同じような店ばかりでした。

 本日行ったのは、「ローマイヤ―」という老舗のドイツ料理店です。創業1921年ということは、大正11年。まあまあ、古いお店です。

 初めて行ったのですが、知る人ぞ知る有名店らしく、こんなコロナ禍の御時勢なのに超満員。前に3人組が店内に立っていて入れず、外で待っていたら、後から来た元気がいい若い女性がつかつか来て、先に店内に入ろうとするので、「おや?」と思ったら、「(おめえごときが)先に入りますか?」と一応声を掛けてくれたので、「はい」ではなく「うん」と言って先に店に入らせてもらいました。

「豚肩ロースの白ワインビネガー煮込み」

注文したのは、本日のランチの「豚肩ロースの白ワインビネガー煮込み」。ライスとスープとコーヒー付きで1100円。本日のランチなので、早いかと思ったら、混んでいたせいか、10分以上待たされました。これで、味が悪かったら、もう二度と…、と思いましたが、これが結構、薄味でいけました。この味と値段なら再訪したいと思いました。

 さすが老舗です。

 ついでながら、昨日行ったランチは、銀座7丁目の「只今」という割烹・小料理屋さんです。看板に「ランチはじめました」とあるので最近始めたと思われます。

 「只今」は「ただいま」と読むのではなく「しこん」と読みます。禅用語で、「今は今しかなく、自分は自分でしかない」という意味なんだそうです。「ただいま」の語源だとか。奥が深いです。

 場所は、ちょっと分かりにくい、路地を入ったマンションのような建物の4階。九州出身の女将さんともう一人女性が給仕してくれます。狭いお店で、席数は15。

 恐る恐る入ったら、男性1人のほか、男女4人の先客がいて、4人は昼間からワインや焼酎を飲んで御機嫌でした。4人とも50代ぐらいの感じでしたが、ゴルフ談義に花が咲いていました。

写真の4種のおばんざいの他にイワシ焼きが付きました 1200円

 ランチは「おばんざいランチ」1種類で、メインディッシュとして「ロールキャベツ」か「肉豆腐」か「本日のお魚料理」のいずれか一つを選びます。私は、魚がイワシだったので、「本日のお魚料理」にしました。

 初めて行く店なので、その店の「作法」を知りませんでしたが、最初におばんざいが出てきて、さあ食べようかな?と思ったら、なかなか御飯とお味噌汁が出てきません。先に食べ終わった男性客を女将さんたちが、わざわざ出口までお見送りしているのです。ランチなのに、そこまでするかな、といった感じです。時計を見ていませんでしたが、おばんざいが運ばれた4分後にやっと御飯と味噌汁が出てきて、その6分後にメインのイワシが出てきた感覚でした。

 でも、さすが割烹だけあって、美味しかったでしたが、ちょっと量が少なかった。お腹が空いている時は、物足りない感じでした。

 

コメディアン小松政夫さん逝く=またお手頃の銀座ランチ発見

  コメディアンの小松政夫さん(12月7日、78歳)が亡くなられました。確か、私が中高校生か大学生ぐらいだったでしたか、淀長さんの真似とか、「どーかひとつ」とか「小松の親分さん」とか「しらけ鳥」とか彼独特のギャグネタには大いに笑わされ、楽しませてもらいました。

 今年3月に新型コロナで亡くなった志村けんさんにしろ、コメディアンというのは本当に凄い職業だと思います。この世で、人を怒らせることは簡単ですが、人を笑わせることほど難しいことはないからです。

 そういう意味で、歴史の教科書は為政者の活躍が中心に記述されますが、世の中を明るくして、人類に本当に役立つ仕事をするのは、政治屋よりも、コメディアンの方だと個人的には思っています。

 博多出身の小松さんは腕利きの車のセールスマン時代、セールストークが上手かったらしいですね。植木等の付き人から芸能界にデビューし、本名は松崎雅臣。伝説のお笑い番組「シャボン玉ホリデー」に出演した際、レギュラーの松崎真と名前がダブルので、「小さい方の松崎」という意味で小松と呼ばれ、芸名になったということを今回初めて知りましたが、長い間、本当に御苦労さまでした。

 小さい頃から親しんだ好きなコメディアンがどんどん亡くなっていくので、哀しい限りです。

豚の焼肉御膳 900円

 で、本日も、またもや、書くネタがあまりないので、苦し紛れのランチの話題です。

 銀座のランチだと視聴率が取れるからです(笑)。そんなこと、ありませんよね?

 今日行ったのは、マロニエゲートの12階にある「江戸前肉割烹 宮下」です。ちょっと高そうで、敷居も高そうで、ディナーはそれなりでしょうが、ランチは意外なほど安くて美味しかったでした。

 何と言っても、平日のランチには「ドリンクバー」があり、ウーロン茶もコーヒーも紅茶も「飲み放題」が有難い。こんなことを書くと、お里が知られてしまいますね(笑)。

 今回、月代わりらしいランチ「豚の焼肉御膳」を注文しましたが、珈琲付きで900円というんですから、まさにお手頃でした。

 

人類は疫病との闘いの歴史だった

 ブログを毎日書き続けていくことは結構大変なもので、昨日は予告もなく休んでしまいました。強烈なネタがないのと、金曜日なので、毎日都心まで出勤している疲れが出てしまったからでした。勿論、「こんなことをブログで書いたらヤバイ」という自己検閲もあったことも告白しておきます(笑)。

 一昨日のように、篤信家の入江さんが写真を送ってくださったように、読者の皆さんからネタを提供してくだされば助かるんですけどね…。大歓迎です。えっ? 渓流斎から下手にいじられたくない?

 ハハハハ、これは一本取られました(笑)。

ネタ探しに苦しむリーリー Copyright par Syakusyodou

 新型コロナウイルスの感染拡大は止まりません。緊急事態宣言が発令された今年4月より感染者や重症者は遥かに多いのに、菅義偉首相は、相変わらず、「Go to キャンペーン」の一時中断など、「考えていない」とか。

 政府の感染症対策分科会(尾身茂会長)が、キャンペーンの一時停止を全会一致で求めても、菅さんは聞く耳を持たないんですからね。日本学術会議で、気に入らない学者の任命を拒否するぐらいですから、根本的に学者の言うことは聞かない人なのかもしれません。あ、これは、昨日は自己検閲して書かないことにしたことでした(苦笑)。

銀座日向

 さて、私は歴史好きですから、歴史に学ぶことが多いです。今、現代人は世界的に新型コロナの「流行り病」に悩まされていますが、人類の歴史は、まさに、こういった「流行り病」との闘いと言っても過言ではないかもしれません。

 例えば、大宝律令を編纂し、「日本書紀」を編纂した中心人物で、まさに日本の古代をつくった藤原不比等。その子息である藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)は、奈良天平時代、政権の中枢にいながら全員、当時の流行り病で亡くなってしまいます。史料に明記されていませんが、死因は天然痘だったと言われます。

 平安時代の陰陽師、安倍晴明が一条天皇や藤原道長らに重用されるようになったのは、疫病を退治する呪術師として活用されたことがきっかけらしいのです。疫病とは、赤痢や咳逆(がいぎゃく)と言われた今のインフルエンザが多かったようです。

 いずれも、古代に電子顕微鏡があるわけがなく、疫病は目に見えないものですから、当時の人は、訳も分からず、予防法も分からず、マスクもなく、恐れ慄くばかりだったと思います。となると、何とかして疫病の正体を具現化したいと思うのが人の常です。その一つが「鬼」だったというのです。

 先日、テレビの番組で、京都府北部の大江山の鬼退治伝説を特集していました。室町時代に成立したと言われるこの物語は、飛鳥時代、聖徳太子の弟に当たる麿子親王による鬼退治や平安時代中期の武将源頼光による鬼の王・酒呑童子討伐といった伝説が出てきましたが、これら鬼とはどうやら疫病のメタファー(隠喩)だったというのです。これには「へー、そうでしたか」と感心してしまいました。ある寺院では、鬼退治の絵を「秘画」として、御開帳の時に、説教しながら信者や檀家や門徒らに見せて、喜捨も募ったという話もやっていたので、「さすが」と唸ってしまいました。

福井名物 焼きサバ棒寿司御膳 980円 こりゃあ旨い

 話は凄く飛びますが、インドには身分制度であるカースト制度があります。私自身、仏教思想に興味があるので、ちょっとこのカースト制度を調べてみたら、カーストというのはポルトガル語のカスト(身分)から来た言葉で、インドではヴァルナ(四種姓)と言うんですね。

 この四種のヴァルナは、皆さん御存知のように、バラモン=婆羅門(司祭、支配者階級)、クシャトリヤ=刹帝利(せつていり=武士、貴族階級)、ヴァイシャ=吠舎(農民、職人、庶民階級)、シュードラ=首陀羅(隷属民階級)のことです。さらに、この下に不可触民階級があります。現在のインド憲法ではカースト制度による差別は禁止されていますが、制度そのものが廃止されたわけではなく、いまだにインド社会ではその影響が根強く残っています。

 カースト制度は、紀元前1500年ごろ、アーリヤ人による侵略により南部のドラヴィダ人(インダス文明を築いたと言われる。現代はタミール人がその子孫とも言われている)を征服したことにより始まったといわれます。アーリア人が唱えたバラモン教(古代ヒンドゥー教)により、征服民であるアーリア人が上位3位のバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャを独占し、ドラヴィダ人は奴隷のシュードラ階級に甘んじさせられたわけです。

 このカーストの身分制度に異議を唱えて、平等主義の宗教を確立したのが紀元前500年頃の釈迦(王侯のクシャトリヤだったという)の仏教ですが、インドではどういうわけか、仏教は衰退してしまいます。今のインドはカースト制度を色濃く残したヒンドゥー教信者が多数を占めています。仏教復活を願って信者も増えていますが、彼らはかつて、シュードラや不可触民と呼ばれた人たちが多いといいます。

 とにかく、紀元前1500年のアーリア人が何で身分制度をつくったのか長らく疑問を持っていましたが、どうやらこれも疫病と関係しているらしいのです。この疫病はコレラなどの風土病だと思われますが、ドラヴィダ人には既に免疫を持っていましたが、征服者のアーリア人には免疫がなく多くの人が死んでいきました。そこで、支配者が、被征服民との接触を極力避けるために身分制度をつくったという説があるというのです。

 これまた疫病と関係があるとは、「へー」と思ってしまいました。

新型コロナ第三波を考える=でもキムラヤのビーフシチューは美味でお得感

 釈正道と称する立派な在家の読者の方から「読みたくも無い長文の記事を拝見しておりますが、関心が高いのは、美味そうなランチの写真の方です。店名と値段を忘れずにキャプションに書いて下さい。上から目線のコメントに怒ってはいけません。修行が足りない証拠です」との”脅迫状”が届きました。

 サイコパスの方かもしれないので、無視するわけにもいかず、「努力目標と致します」と返事を認めておこうかと思っています。

 でも、小生が伝えたいのは長文の記事の方です。昨日12月8日に書いた記事「凶悪犯も詐欺師も冒険家もジャーナリストもサイコパス?=物事には両面あり」も、読み返す方は一人もいないでしょうが、見出しも含めて、5回も書き直したり、追加したりしました。記事には終わりがないのです。「ああ書けばよかった」「こう書き直した方が良かった」とキリがないので、その辺りを斟酌して頂いて、見るだけでなく、読んで頂ければ幸甚です。。。

銀座 キムラヤ 3階「洋食グリル」では憧れの窓際の席を確保してくれました

 いつものように前触れが長くなりましたが、新型コロナは第三波が襲来していることは間違いないでしょう。12月8日の時点で全国で2171人が感染し、このうち、人工呼吸器や集中治療室での治療を受けるなどしている重症者は、過去最多の536人だそうです。ここ数日、医療関係者から「医療崩壊の危機」が叫ばれてますが、政府は「GO to トラベル」も「Go to イート」もキャンペーンを中断する気配が一向にありません。

 何故なんでしょうか?東大などの研究チームも「Go To トラベル」の利用者の方が、利用しなかった人よりも多く新型コロナ感染を疑わせる症状があったとの調査結果を7日に公表して、関連性を裏付けたではありませんか。

 「GO to トラベル」を続けるのは、「自民党の二階俊博幹事長が全国旅行業協会の会長を務めているから」、「GO to イート」の方は、「菅義偉首相とぐるなびの滝久雄会長が昵懇の仲で、菅首相の政治団体にぐるなびが献金してくれるから」と明確に答えてくれれば、国民も納得できますが、国会答弁でも官僚の作文を朗読することが大好きな菅首相は、記者会見で「二階幹事長が特別ということじゃなくて」と応えるにとどまっています。

 このブログで私がいくら「いかがなものか」と叫んでも所詮、犬の遠吠えですから、無気力感に苛まれます。

銀座「キムラヤ」3階「洋食グリル」のビーフシチュー 2100円

  そこで気分を変えて、ランチは思い切って、東京・銀座「キムラヤ」のビーフシチューにしました。

 普段食するランチの2倍ぐらいの値段でしたが、先日、銀座の魚金さんでポイント貯めて、タダでランチさせてもらったので、これで清算されることになりますから、渓流斎財閥はビクともしません(笑)。

 銀座には美味しいビーフシチューが沢山あります。まだ行ったことがありませんが、昭和30年創業の専門店「銀の塔」は、シチューのランチは2650円、昭和16年創業の老舗・資生堂パーラーのビーフシチューは3700円。その点、キムラヤは2100円と価格も手ごろです。

貧乏人根性丸出しだあぁぁぁぁ

 しかも、キムラヤはパン屋さんですから、ランチのパンは食べ放題!

 ということで、貧乏人根性を発揮して沢山、取ってしまいました。しかも、また、給仕してくださる方が「お代わり」で回ってきました。さすがに三度目に回ってきた時、「もう十分です」とお断りしました。でも、明治2年創業の洋パンの老舗中の老舗・木村屋(家)。色んな種類が食べられ、全部美味しかった。

 どうです。この経済性(笑)。

 あれ? でも、これ、もしかしたら、釈正道さんの罠にハマってしまったのかもしれません。「場所」と「価格」もしっかり書き、そのお得感まで書いてしまいました。

 渓流斎ブログの愛読家でもあると勝手に想像している釈正道猊下、こんなとこでよかとですか?

 

凶悪犯も詐欺師も冒険家もジャーナリストもサイコパス?=物事には両面あり

  現代人の悩みの8割は人間関係だと思っています。

 「ウチのポチが言うこと聞いてくれないの」という有閑マダム(死語)もいらっしゃるかもしれませんが、大抵は「ウチの嫁が寄り付かず孫の顔も見られないの」とか、「先生が依怙贔屓する」とか、「マコトさんの気持ちが分からなくなった」なぞといった類のものが多いことでしょう。

 私も現代人ですから、御多分に漏れず、似たようなものです。恐らく、仕事の関係で、有名無名に関わらず、普通の人よりちょっと多くの人と会ってきましたが、本当に色んな人を見てきました。まあ、ほとんが信頼が置ける真面目そうな人でしたが、中には、他人を出し抜いて自分の手柄にして出世しようとする人、平気で嘘をつく人、約束を守らず適当な人、自己中心的で人を支配しようとする人、仕事をさぼって楽して金を稼ごうとする人…等々もいました。いわゆる、とんでもない奴、困った人たちです。

 直接関わらなくても、大嘘をついても平気な政治家、自分の快楽のために何人もの若い女性を誘惑して殺害してしまう人、か弱い老人を騙してオレオレ詐欺を働く輩、狂気的な連続殺人をする犯罪者らは毎日のようにニュースで見聞きさせられます。

 こういう人達には罪悪感がないのか? 良心の呵責も、自責の念もないのか? 自己嫌悪にもなったこともないのか? そういう思いと疑念を抱きながら何十年も過ごしてきましたが、中野信子著「サイコパス」(文春新書、2016年11月初版)を読んで色々と腑に落ちました。4年前に出た本ですが、さほど古びず、読み終わってしまうのが惜しいほど面白くてたまりませんでした。

 中野氏は脳科学者ですから、こういった罪悪感のないサイコパスは、脳の扁桃体(人間の快・不快や恐怖などの情動を決める場所)の活動が低く、物事を長期的な視野に立って計算して、様々な衝動にブレーキをかける前頭前皮質との結びつきが弱いことなどを指摘しています。科学的なエビデンス(この言葉、個人的に嫌いだなあ)を言われると納得できますね。

 また、サイコパスには脳科学者らが唱える遺伝説と教育学者や社会学者らが唱える環境による後天説(こちらは、サイコパスと言うよりソシオパスと言うらしい)があるらしいのですが、私自身は両方の要素が複雑に絡み合っているんじゃないかなと思います。

  とにかく、サイコパスには凶悪犯罪者とか詐欺師といったマイナスのイメージが強いのですが、実は社会的に成功した経営者とか、外科医や冒険家、開拓者、そしてマスコミ(これは実に分かる!)に多いとも言われてます。不快や恐怖感を味わうことが少ないので大胆なことができるということなのでしょう。サイコパスは100人に1人の確率でいるということですが、本来なら、人を出し抜いたり、犯罪を犯したりする輩は淘汰されるはずですが、生物学的に1%の確率で生き残っているという事実は、それだけ存在意義があるということなのでしょう。中野氏はサイコパスと思われる人物として、織田信長や毛沢東、アップル共同創業者のスティーブ・ジョブズ、月面着陸に成功したアポロ11号のアームストロング船長らを挙げていました。

 このように物事にはプラスとマイナス面、ポジティブとネガティブな部分があるということなのでしょう。

Kyoto

 私はどちらかと言えば、物事を悲観的に考えがちで、不快や不安や恐怖を感じやすいタイプなのですが(ということはサイコパスではなく、ジャーナリスト失格か?)、中野氏によると、不安感というものは、先を見通す力、将来を考える力があるからこそ芽生えるといいます。逆にサイコパスの人たちは、不安感が少ないのであまり先のことは考えず、浮ついた気持ちで刹那的な快楽を求め、ブレーキが効かないので反社会的な行動を取りがちだというのです。

 これは、実に目から鱗が落ちるような話でしたね。私自身は、いつも自責の念に駆られたり、自己嫌悪に陥ったりしますが、「失敗を繰り返さない学習能力がある」「おかげで反社会的な行動はしない」などとポジティブに思い込んだ方が良さそうです。

 久しぶりに示唆に富む良い本を読ませて頂きました。