運転免許を自主返納すれば特典があるとは!

 最近、高齢者による交通事故が後を絶ちません。特に、4月に東京・池袋で起きた、87歳の元高級官僚 (瑞宝重光章)による事故では、3歳の幼い女の子と母親が死亡するなど12人の死傷者を出す大惨事となり、今でも高齢者による運転の是非が問われています。

 私自身は、5年前に、信号のない交差点で、こちらは優先道路を直進しているのに、右から一時停止を無視した暴走車に追突されそうになり、ひやっとし、「こちらが道交法を順守していても、いつ何時、事故に遭うか分からない」と会得しました。たまたま、それからしばらくして、病気をして車が乗れなくなり、私的なゴタゴタもあって車を売ってしまったので、今はペーパー・ドライバーです。

 そして、交通事故のニュースを聞くたびに、勝手ながら「加害者にだけはなりたくない」と思ってしまいます。

 そんな折、運転免許を自主返納すれば、特典まで受けられる話を初めて聞きました。今、運転免許証は、区役所や銀行やレンタルビデオ店などで「身分証明書」代わりになっているので必需品です。ですから、自動車を運転しなくても、更新するつもりでしたが、自主返納すれば、代わりに「運転経歴証明書」を発行してくれて、それが身分証明書になり、しかも、特典まであると聞けば、私のような貧民は耳がダンボ (陳腐な表現!) になってしまうわけです。

3点盛り

 「特典」は、それぞれ全国の都道府県で違うようですが、例えば、映画「翔んで埼玉!」で今、全国的に最も注目されている埼玉県では、「シルバー・サポーター制度」といって、実にさまざまな特典があることが分かりました。市バスやタクシーの割引、大型店舗での駐輪代無料、それに、お茶の10%引き、和菓子の5%割引、食事をすれば、アイスクリームやドリンクの無料などいう店舗もあります。ヘアーサロンの10%オフなんてのもありますね。切る髪が少ないんですからそれでいいでしょう(笑)。

 しかし、何と言っても極め付けは、お葬式の優待価格です。「運転経歴証明書」がある、と言えば、割り引いてくれるというのです。

 これは凄い!邪魔臭かったお爺ちゃんも、死んでから褒められます。「お爺ちゃんはね、運転免許を自主返納してくれたおかげで、事故を起こさず、おまけに、お葬式も安くあげられたのよ」と、子々孫々、末代までも語られることでしょう。

近代資本主義の勃興を知る=鹿島茂著「渋沢栄一Ⅰ 算盤篇」

 まさに、ど真ん中の直球。見事ツボに嵌った本を今読んでいます。この本は、長年疑問に思っていたことを解明してくれ、知的好奇心を十二分に満足させてくれます。

 鹿島茂著「渋沢栄一Ⅰ 算盤篇」(文藝春秋・2011年1月30日初版)です。もう8年以上前に出た本です。前から読もう、読もうと思っていながら機会を逃していました。確か、2010年の10月に東京・飛鳥山の渋沢栄一記念館を初めて訪れて、500社近い企業をつくった渋沢栄一が、森羅万象、至る所に顔を出して、ここにも渋沢、あそこにも渋沢といった感じで夢にまで出てくるので、頭の中が「渋沢栄一漬け」になり、嫌になってしまったことを思い出します(笑)。

 渋沢栄一が今度、「1万円札の顔」になることから、この機会にやっと読んでみようかという気になったのです。

 鹿島氏といえば、博覧強記、天下無敵の仏文学者です。私も一度、講演会で目の前でお見かけしましたが、比類のない知識と教養の塊で、脳みそが詰まった頭がどでかくて、講演中は、照れも、衒いも全くなく、ひたすら自信に満ち満ち溢れ、言いよどみも、ど忘れもなく、これ以上聡明で賢い学者は見たことがないといった感じでした。

 最初は、仏文学者が何で、畑違いの、中国の「論語」に傾倒した、しかも財界人の渋沢栄一の評伝を書くのか不思議でした。でも渋沢とフランスとのあまりにも濃密な関係を本書で知り、もし、渋沢が1867年のパリ万博の日本代表団(徳川慶喜の実弟徳川昭武代表)の一員に加わらなければ、「日本の資本主義の父」は生まれなかったったことは確実だったことが分かりました。

 面白い、実に面白い。

 若い頃の渋沢らは、幕末動乱の中、水戸学の尊王攘夷思想に染まり、高崎城を襲撃して武器を奪い、横浜の外国人居留地を襲う計画を立てますが、寸前になって中止します。その後、渋沢は、一橋慶喜に仕官するに当たり、水戸藩に立ち寄っています。

 えっ?水戸?! 先日、水戸城跡に行って、この足で歩き、この目で見てきたばかりじゃありませんか。

 渋沢は若き頃の学問の師で、従兄弟に当たる尾高惇忠の影響を受けますが、尾高は、水戸学の藤田東湖や会沢正志に多大な影響を受けていました。後年、渋沢はこの水戸学にかぶれたことについて、「若気の至りだった」と反省しますが、それだけに、鹿島氏にかかると、この水戸学がコテンパンなのです。彼はこう書きます。

 水戸学は、学と呼べるような体系性も論理的整合性もそなえていない、ある種の過激な気質の純粋結晶のようなものにすぎないのだ。すなわち、その根源にあるのは「武士は食わねど高楊枝」というあの武士の痩せ我慢の思想をひたすら純化して、本来マイナスの価値でしかない「貧乏」に倫理的なプラスの価値を与え、劣等感を優越感に変えて、自分よりも少しでも恵まれた他者を攻撃するという一種の奇矯な「清貧の思想」である。

 わー、ここまで書かれると、水戸の人は怒るかもしれませんね。しかし、水戸藩では尊王攘夷思想が過激になり、仏教や寺も夷狄の宗教として排斥したといいます。

 とにかく、渋沢は国際情勢を実地で見て、過激な攘夷思想から脱却して、開明派に転向します。その最大のきっかけは、フランスで、サン=シモン思想にどっぷり漬かったことでした。

 サン=シモンといっても、私の浅薄な知識では、空想的社会主義者で、現実には通用しない絵空事を展開しただけという程度でしたが、これが全くの正反対でした。「空想的社会主義」と命名して批判したのはマルクス、エンゲルスらであって、実際には、サン=シモン思想に影響を受けた弟子たちによって、特に1851年からのナポレオン3世による第2帝政時代には、フランスを近代資本主義社会に発展させる礎がつくられたのでした。

 サン=シモン主義の骨子の第1が、「すべての社会は産業に基礎をおく。産業はあらゆる富の源泉である」だったからです。これにより、「株式会社」「銀行」「鉄道」が「三種の神器」となり、産業革命を成し遂げた英国に大きく遅れをとっていたフランスも、発展していきます。ペレール兄弟によるクレディ・モビリエ銀行の設立と鉄道網の拡張などがその例です。民間に退蔵していた貨幣を吸い上げて、血液のように循環・流通させて産業を興し、冨を獲得していったのです。そのために一番重要だったことは、「信用=クレディ」だったのです。ナポレオン3世自身もサン=シモン主義者で、セーヌ県のオスマン知事に命じて、上下水道を完備するなどパリ市街の大改造に着手します。

 渋沢栄一は1867年、そんな近代資本主義の勃興期のフランスを訪れて、株式会社や銀行などのシステムを目の当たりにして、ゼロから学び、知識を吸収することができたのです。

 同書にはそれらの仕組みが丁寧に説明されていますので、評伝というより経済書として読めなくもないのです。私のように資本主義の初期や初歩を知りたかった書生にとっては、この本は打ってつけだったわけです。

 

 

平清盛一族の屋敷跡か?=何と、葬送の鳥辺野で

おはようございます。京洛先生です。

水戸漫遊記や、お城巡りと休日は歴史探索をされているようで何よりです。

ところで、昨晩のNHKの全国ニュースでも報じられていましたが、当地、洛中では、ホテル建設の工事現場から「平清盛一族の屋敷跡か?」とみられる遺構が見つかりました。

昨日はその発掘現場で、遺跡の説明会がありました。迂生も「どんなものか」と野次馬の一人として見てきました。

 場所は京都市内は東山通五条西入る付近で、通称「五条坂」と呼ばれ、清水焼の窯元などがあるところです。

 清水寺に行く観光客でごった返す五条通りに面しています。観光客の激増で、京都市内は、ホテルの新築ラッシュですが、その工事現場から、平安時代後期のそれらしき堀や石垣、井戸などが見つかったのです。

 この遺構は、武家政権を初めて確立した平清盛(1118~1181年)時代のものと、推定されるということで、清盛の屋敷跡ではなかったかと歴史学者、専門家は見ています。

浄土真宗本願寺派(西大谷)

 最初の写真のように堀は東西約15メートル、幅3メートルで、石がしっかり積み上げられていました。出土品から、12世紀頃に作られたと見られます。

 また、この周辺は古代以前から葬送の場所で、平安時代からは「鳥辺野」(とりべの)と言われていました。平氏など武家は、この界隈に軍事拠点や住居を構えていたと見られます。保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)が起きた頃です。

六波羅密寺

  特に、今回注目されていることは、鎌倉幕府が西国の御家人、朝廷を監視するためにつくった「六波羅政庁(探題)」が出来る以前の、平清盛の頃の遺構が見つかったということでした。

 また、遺構の見つかった場所からは、弥生時代後期の「方形周溝墓」も見つかり、平安時代よりもさらにもっと古くから、葬送がこの地で行われていた歴史を知ることができます。

 昨日の遺構現場には大勢の見学する人が来て、発掘した専門家の説明を熱心に聞いていました。流石に、煩い観光客は居ませんでしたね( ´艸`)。

 今回の発掘では、同時に、「平安京」が成立(794年)するもっと大昔の「古代」が、ちらっと地中から垣間見られた瞬間でもありました。

 まずは、ご報告まで。

 以上

All photos copyright by Kyoraque sensei

水戸漫遊記=水戸城址を訪ねて

 昨日18日(土)、ついに水戸城址に行って参りました。何しろ御三家で、最後の将軍徳川慶喜を輩出した藩ですからね。

 でも、遠かったあー。自宅から3時間以上掛かってしまいました。行く前に会社の後輩から「水戸に行くんですか?成田空港より遠いですよ」と脅されていましたが、まさかこんな遠いとは(苦笑)。筑波山よりも遠いんですからね。

 そう言えば、この間、古河城址に行った時、地元のお好み屋のおばちゃんから、「県庁の水戸まで行くのに遠過ぎる。栃木県の宇都宮や埼玉県の浦和だったら近いのに」と嘆いてましたが、その気持ちが良く分かりました。

水戸学の道

でも、行ってよかったですね。書物だけじゃ駄目です。実際に自分で現地に行かなければいけません。新聞記者の原点である「足で稼がなければ」なりませんね。

 土曜日だというのに、上の写真の通り、人が少なかったでした。さすがに水戸駅前は人が多かったでしたが、ちょっと離れた城下町に入るとタイムスリップしたような感覚に襲われました。

 古河市も素晴らしい城下町でしたが、何度でも言いますが、水戸は御三家です。やはり、規模が違いました。でかい。広い。

 上の看板写真のように、あちらこちらに案内図があり、「城歩き」には大変便利でした。

 水戸彰考館は、上の写真の説明にある通り、水戸黄門(黄門とは、中納言の唐風の呼び方)こと二代藩主徳川光圀が、「大日本史」の編纂のために創設した学問所です。勿論、現物は残っていません。昭和20年8月2日、アメリカ軍の爆撃で焼失しました。

 この水戸城三階櫓もアメリカ軍にやられました。このように戦前の写真が残っていますが、誠に惜しい櫓を失いました。

 水戸城は、御三家にしては質素な平城で、この三階櫓が天守のシンボルのようなものだったといわれています。説明文には「水戸空襲で焼失した」とだけしか書いておらず、主語が抜けています。忖度したのでしょうか?

二の丸は「藩の政務の中心施設」と書かれています。

 現在、この広大な二の丸の敷地跡には、筑波大付属小学校、市立水戸第二中学校、県立水戸第三高校があります。

 茨城県は、全国の魅力度ランキングで47都道府県中、6年連続最下位と聞いたことがありますが、教育に力を入れているんですね。もっと、アピールしなければいけませんよ。

 このように、現在、大手門の復元工事を行っていました。完成は今年9月30日ということですから、ご興味のある方は、お出掛けになったら如何でしょうか。魅力度アップに貢献してください(笑)。

 これは、二の丸と本丸の間の土塁と言われていますが、現在、JR水郡線が走っております。

 やっと本丸跡に着きました。えーー?看板が剥げて読みにくい。こりゃないよー。到達感が味わえない!

 こんな無粋で、興醒めするような碑を建てちゃ駄目でしょ?これでは、魅力度が落ちるはずだ。(何か、持ち上げたり下げたり忙しいですね)

 本丸は、現在、名門水戸一高になっており、敷地内は関係者以外入れませんが、私のような城好きの文化財視察者には特別に開放されているわけです。

 水戸一高は、旧制茨城中学で、小説「土」を夏目漱石に激賞された長塚節は中退していますが、この学校の出身です。

 上の説明文にある通り、旧水戸城薬医門は、旧水戸城で現存するただ一つの建造物で、現在は、水戸一高の校門みたくなっています。文化財見学者は、許可は取らなくても、ここまで入れます。

 土曜日でしたが、水戸の高校は授業があるようでした。生徒さんたちが帰るところでした。

 本丸から二の丸に戻って、三の丸に向かいました。ここには、藩校の弘道館があります。

 九代藩主徳川斉昭が天保12年(1841年)につくった日本最大級の藩校で、あの吉田松陰らも訪れています。最後の将軍慶喜は5歳のころから、ここで英才教育を受けたといいます。

 また慶喜は、鳥羽伏見の戦いに敗れ、大坂から逃れ、江戸城を出て、ここでしばらく、新政府軍に恭順の意を示すために、謹慎しました。

 この弘道館は、昭和20年8月のアメリカ軍の爆撃では、必死の消火作業で、延焼を免れたと、案内係の人が説明してくれました。ということは、今年で創建178年ですか。昭和39年には国の重要文化財に指定されていますので、まだの方は、是非行かれるといいでしょう。

 水戸駅に戻って、バスで茨城県立歴史館を訪れました。

 そう言えば、申し遅れましたが、バスを利用するのでしたら、水戸駅に着いたら最初に「水戸漫遊1日フリーきっぷ」を買うといいです。乗り放題で大人400円。

 水戸駅から歴史館・偕楽園まで往復480円ですから、80円のお得。それだけでなく、弘道館、歴史館、偕楽園好文亭などの入場料も割引になりますから、買わなきゃ損。私は、水戸駅を降りて、バス停の看板でその存在を初めて知りました。

 ただし、バスは1時間に1~2本ですから、前もって時刻表を確かめて行動するといいでしょう。

茨城県立歴史館内にある旧水海道小学校

 水戸市内には、私も昔行ったことがある水戸芸術館をはじめ、茨城県近代美術館など多くの美術館・博物館があります。私も事前に調べて、何処に行くべきか迷ったのですが、時間の関係で、最低1カ所だけしか行けないのでしたら、そして、城好き歴史好きでしたら、この歴史館がお勧めです。

 個人的な感想ながら、水戸藩と言うと、どうしても朱子学や尊王攘夷思想などの影響で、幕末は桜田門外の変や天狗党事件などを起こし、過激派のイメージが強いことは確かです。

 歴史館ですから、最初は古代の縄文土器や埴輪などに始まり、中世、近世、近代と時系列に展示されています。その最後の方で、私は思わず、あっと叫びそうになりました。

 太平洋戦争末期の昭和19年9月から11月にかけて激戦が行われた太平洋パラオ諸島のペリリュー島の戦い。ここで、水戸の歩兵第2連隊(第14師団)が中核となって戦い、全滅したというのです。日本軍の戦死者1万人以上、米軍も2300人以上戦死したといわれます。

 私も思わず、パネルに向かって黙祷しました。

 歴史館から歩いて13分ほどで偕楽園に着きます。入場無料は、大変有難い。

好文亭表門から入りました。

 広い、広い。日本の三大名園ですが、一番規模が大きいようです。

 梅シーズンを外したので、それほど混雑しておらず、ゆっくり森林浴が出来ました。

目指すは好文亭(200円が割引で150円に)です。天保13年(1842年)、徳川斉昭が自ら設計した別邸です。

好文亭

 好文亭もアメリカ軍の空爆で焼失しましたが、戦後、復元したようです。

 さすが、ここは観光ガイドブックに載っているのか、外国人観光客でごった返していました。(写真には写っていません)

常磐神社

 最後に訪れたのが、偕楽園に併設している常磐神社。二代藩主徳川光圀と九代藩主徳川斉昭を祀る神社です。

水戸市内には多くの寺社仏閣がありますが、時間の関係で一カ所しかお参りできなければ、ここが究極の選択になるかもしれません。

お土産に水戸の名物の青梅でも買おうかと思ったら、青梅が出るのは6月の中旬だそうです。残念でした。

 とにかく、行ってよかったでした。水戸城は「名城100」のうちの一つでした。そんなら、本丸跡の碑は、もうちょっとしっかりして下さいね。

果たして「舞い戻った転校生」さんは「空飛ぶ転校生」さんなのか?

 ほぼ毎日、《渓流斎日乗》なるものを書き続けておりますが、今日はどうも食指が動くような題材がないので、つまらない内輪話を打ち明けます。

 皆様お気づきがどうか分かりませんが、先月4月24日から、このブログのサイトがおかしくなってしまいました。

 まず、このブログと、ツイッター、フェイスブックのSNSとの同期ができなくなってしまいました。以前は、ブログをアップすれば、自動的にツイッターとフェイスブックに同時にアップできたのに、それができなくなりました。このため、しばらく、記事を書いても、SNSのプラットフォームだけで御覧になっている方には届かなかったわけです。

 それが、5月のゴールデンウィーク後半で、偶然、手動でSNSに送信すればSNSに反映できることが分かり、今は、手動でSNSにアップすることにしております。

 でも、その弊害で、ツイッターには、ダブリで配信されたり、順番が変になったりして、熱心な読者の方から「どうなってるんですか?」との問い合わせを受けました。すみません。これは因果関係が分からないので、解決できませんでした。

 フェイスブックも変になっているかもしれませんが、以前と同じように、有難いことに、「いいね」やコメントまで頂いております。

湯島・酒肴「吟」にて

 もう一つ、このブログから広告が消えてしまったことです。これも紆余曲折、さんざんの苦労の末、本日、やっと復活できました。これもIT専門家の松長氏のお蔭です。有難う御座いました。

 2017年9月に、Gooブログから独立して自分のサイトを設置して以来、これでも「プロ精神」として毎日のように淡々と執筆してきましたので、皆様にはまた広告のクリックを御願い申し上げる次第です(笑)。(スマホでは広告が付かないようなので、是非、パソコンかタブレットで)

◇「舞い戻った転校生」さんとは?

 さて、本日未明、「舞い戻った転校生」さんという方から、今年5月11日付の記事「『記者たち 衝撃と畏怖の真実』は★★★★★」にコメントを頂きました。ここに転載しますが、以下の通りです。

 観てきました。最終日前日に駆けつけました。大感謝です。凄い映画でした。おまけに、9:52頃シャンテビル真ん前で、高校同期の映画監督に遭遇!お互いあれ~っと叫びました。時々とんでもない所で会うのです。3年前は京都駅ホームでした。閑話休題、

 私はこのコメントを読み、大変感動しました。このブログも、皆様に少しはお役に立てたかな、と思ったからです。

 でも、「閑話休題、」と何か途中で切れているのも気になりました。そしたら、急に、この「舞い戻った転校生」さんは、かつてのGooブログで展開していた頃に、よくコメントをお寄せくださった「空飛ぶ転校生」さんではないだろうか、と思ったのです。

 このブログの「《渓流斎日乗》について」に書きました通り、諸般の事情で、2008年8月から2015年10月までの7年間の記事は、コメントと一緒に消滅してしまいましたが、「空飛ぶ転校生」さんは、ちょうどその頃によくコメントして下さった方でした。 よく覚えています。直接お会いしたこともなく、ハンドルネームしか存じ上げておりませんが、もし、「舞い戻った転校生」さんが、「空飛ぶ転校生」さんだとしたら、こんな嬉しいことはありません。

デジタル・ネイティブ世代の申し子、デビッド・ホッグ君

 昨日15日夕方、ちょうど会社からの帰宅時に、JR東海道線品川駅付近での「人身事故」に遭遇し、私の利用する路線も巻き込まれて、長らく待たされ、猛烈な混雑な上に、帰るのに1時間以上余分に掛かってしまいました。

  私は迷惑を受けた15万人のうちの1人でしたが、 今朝の朝刊を見たら、記事にしていたのは毎日新聞と東京新聞ぐらいで、他紙は無視。もうニュースにもならないんでしょうね。15万人ぐらい…て、とこでしょうか。

 さて、今朝、ラジオを聴いていたら、月尾嘉男東大名誉教授が、米国のZ世代(1990年代後半~2000年頃生まれ)について興味深い話をしておられました。この世代は、現在10代から20代半ばの若い世代ですが、生まれたときからパソコンやスマホに囲まれて育った「デジタル・ネイティブ」世代だということが特徴的です。

 月尾先生は、この世代を代表する一人としてデビッド・ホッグ君という19歳の青年を取り上げていました。今や、全米で知らない人はいないそうです。

 彼は、昨年2月に米フロリダ州の高校で、17人の犠牲者を出した乱射事件の生存者の1人で、事件後、メディアや集会などに出ては、銃規制に反対する「全米ライフル協会」や、その団体から献金を受けている政治家を実名で批判し、銃規制の必要性を訴えて来ました。

  その彼が昨年3月に、自分のSNSでカリフォルニア大学受験に不合格になったことを明らかにすると、彼の言動を心良く思っていないFOXテレビのトーク番組の女性司会者が「不合格にされ、めそめそと愚痴をこぼしている」とツイッターで発信します。これに対して、ホッグ君は、その番組のスポンサー企業名をSNSで公開して、このような番組のCMをやめるよう求めると、大反響を呼び、ペットフードのニュートリッシュ、旅行サイトのトリップアドバイザーなどが降板して、女性司会者が謝罪と1週間の休養に追い込まれたというのです。

 まさに、ホッグ君は、デジタル・ネイティブ世代の申し子で、SNSという武器を十二分に駆使したわけです。彼はその後、ハーバード大学に合格して政治学を専攻し、将来は政治家になるのが夢だといいます。 米国人のほとんどは、この話は知っていることでしょうが、日本人の私は知りませんでした。

 と、ここまで、ラジオを聴きながらメモも取らなかったのに書けたのはネットのおかげでした(苦笑)。私自身は、米国の世代分類では、X世代、Y世代の前のベビーブーム世代になりますけど、十分にネットの恩恵を受けているわけです。

鰻屋「川松」

 また、別の日にラジオで聴いた話ですが、あるキャスターが、ある取材先に電話で問い合わせたところ、先方は「ちょっとお待ちください」と言うので、待っていると、電話の向こうで「パチパチ」「カチカチ」というキーボードを叩く音がして、どうやら、パソコンで検索しているらしいことが分かってしまったのです。そして、キャスターは嘆きます。「そんなことなら、最初から自分で検索した方が早い。何のための電話取材なのか分からない」

 取材される側までもがネット検索ですか…。まあ、そういう時代になってしまった、ということなんでしょうかね。

作家遠藤周作の御子息がテレビ局社長に

 フジテレビの新社長に作家遠藤周作(文化勲章受章)の長男龍之介氏(62)が、6月の株主総会を経て就任するという記事を読みました。おめでとうございます。

 テレビ局に縁故入社する有名人の子弟は案外多いので、驚いたわけではありませんが、さすがにトップの社長になる人は少ないので、感心しました。遠藤氏が縁故入社かどうか公表されてもいないのに、何か上から目線ですねえ(苦笑)。

Espagne

 でも、マスコミが、作家や画家や文化人や大手企業重役などの子弟を採用するのは理由があるのです。ただし、茲では書きません。偶には、皆さんご想像してみてください。あ、それとも、既に御存知でしたか?

 そもそも、マスコミも大手企業も縁故入社があることは公然の秘密です。政治家の口利きで入社する人もいるぐらいですから。

 マスコミが「社会の木鐸」とか、清廉潔白だというのは幻想であって、天下のNHKも、大手広告代理店も、大手出版社も縁故入社はかなりいます。朝日新聞だって、もともと縁故採用が本筋で、入社試験を始めたのは1920年からです。近現代の歴史を勉強していれば、つい最近だということが分かります。コネ入社の方が、身元がはっきりしていますし、安心安全だからです。

 さすがに、霞ヶ関の官僚の世界では試験重視なので、縁故入省はないですが、外務省となると、不思議なことに、東郷さんのように、親や子や孫や何代も続いて外務官僚になる家系が多いですね。

 だから何だ、という話で、今日はオチがありません(笑)。

スペインの旅行写真はこれが最後です。本文とは関係ないのに長らく御鑑賞有難う御座いました。

フォネティックコード、御存知でしたか?

 マスコミの世界で仕事をした経験のある人なら誰でも知っていますが、原稿の名前や住所などを校正する際に、間違いがないかチェックし、最後は2人1組になって、「読み合わせ」をします。

 この時に、漢字の場合、例えば、「伊藤俊行」なら、「イタリアの伊、下がり藤、俊敏の俊、行進する行く」といった感じです。カタカナの場合、例えば「バビロニア」なら、「葉書のハに濁点、広島のヒに濁点、ロシアのロ、ニンジンのニ、アメリカのア」といった具合です。こういうのを業界用語で、「字解」と読んでいます。

バルセロナ

 日本だけかと思ったら、欧米にもあるんですね。特に有名なのが、「フォネティックコード」です。この中でも北太西洋条約機構(NATO)が定めた通話表が、世界中の航空業界や無線・通信業界で広く使われているようです。

大雑把に言いますと、

AAlpha   B=Bravo C= Charlie D=Delta E=Echo F= Foxtrot G=Golf H=Hotel I=India
J=Juliett
K=Kilo
L=Lima
M=Mike
N=November
O=Oscar
P=Papa
Q=Quebec
R=Romeo
S=Sierra
T=Tango
U=Uniform
V=Victor
W=Whiskey
X=X-ray
Y=Yankee
Z=Zulu

ほとんど、人名か地名か、中学生ぐらいの英単語なので、分かりやすいでしょう。日本人が引っかかるとしたら、S=SierraZ=Zulu あたりでしょうか。Sierra は、「のこぎり状の山脈」のほか、19世紀後半から20世紀にかけて活躍したメキシコ人の教育者・歴史家、または、フォード自動車の車種名にも使われていました。Zulu は、南アフリカのズールー族や俗語で「黒人」の意味もあるようです。欧米人としては常識なんでしょうね。

グエル邸=バルセロナ

 国際民間航空機関(ICAO)は、世界各国の航空機に「国際民間機登録記号」を定めています。例えば、日本はJA、米国はN、パラグアイはZPです。ある空港にパラグアイの民間機が発着する時、パイロットと管制官との間で、ZPだけでは聞き取りにくいので、「Zulu Papa ×○△」などと無線でやり取りするわけです。

 私は業界人ではないので知りませんでしたが、大変勉強になりました。

 

母の日にコンビーフ

 ウマイめんこい村の白羽作彦村長です。

 何か、わたすのライヴァル・サイト「ウマズイめんくい村」の赤羽彦作村長さんが、東京・千駄木腰塚の「極旨 コンビーフ」を取り上げておりましたが、たまたま、わたすも同じように「ここのコンビーフは日本一、極旨ですよ」という極秘情報をある情報筋から仕入れて来ました。

 もしかしたら、この極秘情報は、ワトキ会か、または、同じ情報筋かもしれませんが(笑)、今日は「母の日」ということもあって、母親へのお土産として、奮発して買いに行って来たわけです。

 千駄木本店にしか売っていないという情報でしたが、JR日暮里駅の「駅ナカ」でも販売しておりました。昭和24年創業の腰塚自家製「極旨 コンビーフ」は、400グラムというかなりボリュームで、価格は、1個1980円。

 コンビーフは最近ほとんど口にしていませんでしたが、子どもの頃は、缶詰入りのコンビーフをよく食べたものでした。そう言えば、小中学校の給食でもよく出ていたと思います。

 手始めに生でそのまま食べてみました。まあ、コンビーフの味はしましたけど(笑)、脂の乗ったほどよい塩加減にしろ、今まで食したコンビーフと比べると、老舗の腰塚さんから広告宣伝費をもらっているわけではありませんが、類似品とは違い、高級感たっぷりで、旨味がありました。

 でも、キャベツなどの野菜炒めにしたり、手を加えても美味しいと思いました。

 生コンビーフと一緒に、サンドイッチ(580円)も一緒に買ってきました。

 このサンドのコンビーフにはキャベツが入ってました。

 「千駄木 腰塚」のネットのサイトを見たら、「コンビーフは一人1個まで」とか、「午前10時には売れ切れてしまう」といったコメントが書かれてあったので、日曜日だというのに朝早く起きて、買いに行きましたが、コンビーフは何個でも買えたし(年末とか特別な日は制限するらしいですが)、午前10時ぐらいでしたが、まだ沢山売れずに残っておりました(笑)。

 一緒に食べた母親も「美味しい」と褒めてくれたので、ほんの少し親孝行ができてよかったかな、と思いました。

「これが特殊詐欺師からのはがきだ!」

 昨日も書きましたが、今、このブログはツイッターやフェイスブックといったSNSとはつながっていません。おかげで1日のアクセス数が50人ぐらい減っております(笑)。復旧まで2週間ぐらい掛かることでしょう。

 同様に「広告宣伝」ともつながっていません。ということは、何を書いても貴重な時間を無駄にしているだけ、みたいなもんで、聊か、書く気力も萎えてしまいました(笑)。

 ところが、今週発売の週刊誌(宣伝になるので誌名は省略=笑)に、新井紀子・国立情報学研究所社会共有知研究センター長が「SNSというのはタダ働きなんですよ」と、見事に的確な表現をしてくれてました。彼女は、「小中高生が算数や数学の問題を解けないのは、計算ができないのではなく、問題の内容が理解できていない。つまり、文章読解能力、国語の問題なのだ」と喝破した人でしたね。

 新井氏は、SNSは、感情を搾取される「感情資本主義」とまで仰っておりました。フェイスブックの「いいね!」が欲しいばかりに、せっせと個人情報を貢いで、広告宣伝に利用され、アマゾンの商品評価を書いて、自己満足を満たしたと思ったら、ちゃっかり、利用どころか、搾取されていたというわけです。

 搾取する代表的なものは勿論、今問題になっているGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)と言われているプラットフォーマーです。ブログも、Yahoo やgooや FC2などで、簡単に無料で利用できると思ったら大間違い。ちゃっかり、ブログの内容は宣伝や広告として利用されているだけで、実は搾取されていたのでした。的確に言えば、プラットフォーマーは自分たちで生産せず、「他人のふんどしで相撲を取っている」ようなものなのです。

Espagne

 そういう真相を知ってしまったので、今日は書く気がしなかったのですが、皆さん御存知、関東地方にお住まいの宮さんから「これが特殊詐欺師からのはがきだ!」との 凄いニュースが飛び込んで来ました。一昨日の4月24日に書いた「ついに特殊詐欺師からの電話」をお読みになって連絡をくださったのでしょう。(宮さんは、普段は、SNSのプラットフォームでこのブログを御覧になっていたのに、わざわざホームページに直接アクセスして頂き、有難い限りです)

 宮さんの場合、電話ではなく葉書による詐欺師でした。「今週火曜日、我が家にまた特殊詐欺師からのはがきが郵送されてきました。これで2回目です。前回とほとんど同文ですが、締切期日が絶妙なタイミングになっています。
…先方の電話番号が 03 ですが、もしかしたらタイのアジトにでも繋がってしまうのかもしれません。はがきの画像を添付しておきます。皆さん、どうぞ気をつけて下さい」とのことでした。

 ということで、その葉書の文面を公開することに致しました。皆さん、このような葉書が来ても、絶対に騙されてはいけませんよ。