ある同時通訳者の悲喜こもごも

昨日の日曜日は、明治時代から続いていると言われる「仏友会」に2年ぶりに参加してきました。(東京・本郷)

仏友会とは、宗教とは関係なく、東京外国語大学でフランス語を専攻で学んだ同窓会のことです。何と、最高齢は、1956年卒業の中村さん。最年少は現役の大学4年生でしたから、年齢差は62歳もありました。

毎回、卒業生の中で活躍されている方を講師としてお呼びして、お話を伺い、その後は、この時季に相応しいお楽しみのボージョレヌーボーを味わうという、とっても粋な会です。

今回の講師は、同時通訳者の袖川裕美さんという同期の女性ですから、是が非でも参加するつもりでした。私の学生時代の複数の友人にも参加を呼びかけたのですが、残念ながらいずれも欠席の通知。流石に「冷たいなあ」と思いましたが、もうこの歳になると各々諸般の事情がありますからね。一人で参加しました。

そしたら、総勢67人も参加しました。同期のYさんが初参加で、卒業以来数十年ぶりの再会でした。

私はこの会には15年ぐらい前から参加しており、その経験の中での判断ですが、これだけの人数が参加したのは最大でしたし、講師の話の面白さも最高でした。

袖川さんは、2年前に「同時通訳はやめられない」(平凡社新書)を出版し、朝日新聞の「天声人語」にまで取り上げられました。

私も仕事の関係で多くの同時通訳の皆さんにはお世話になったので、その仕事の重圧と準備の大変さはよく知っています。また、私自身も時たま、通訳の仕事をしているので、よく分かりますが、逐次通訳と同時通訳のレベルは、まるで月とスッポンです。同時通訳が大学院レベルだとしたら、逐次通訳は小学生レベルです(笑)。

そのリスニング能力と、即時・瞬時に日本語に置き換える能力は、まさに神業です。先ほどご紹介した本の表紙帯に「もう…逃げ出したい!」とありますが、よーく分かります。

とにかく、話し言葉ですから、相手は何を言うのか分からないのです。政治や経済の話をしていて、急に、今流行りのアイドルや漫画の話をするかもしれません。日本人が誰も知らない細かい地名や人名や風習、歴史用語、もしかしたら、専門家しか分からない医学用語や科学用語が出てくるかもしれません。突拍子もないことや、矛盾したこと、勘違い、言い間違いも、それは、それは頻出します。

発音のナマリが激し過ぎて、聴き取れない場合もあるでしょう。逐語訳しても、さっぱり意味が通じない場合もあるでしょう。

恐らく、人工知能でもできないのではないでしょうか。

同時通訳の方も人間ですから集中力はそれほど続きません。テレビを見ていても、5分か10分ぐらいの頻度で通訳が交代している感じです。袖川さんによると、15分が限界だそうです。

◇45分間の「拷問」

それが、な、な、何と、彼女は45分間もたった一人で同時通訳をする羽目になったことがあったというのです。しかも、あの歴史に残る今年6月にシンガポールで行われた初の米朝首脳会談です。トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長のあの歴史的会談です。

それを、某テレビ局でたった一人で45分間も同時通訳する羽目になったというのです。まず、15分で限界を感じて意思表示し、30分でやめようとブースから出て行こうとしたら、ディレクターに必死に懇願されて止められ、とうとう最後までやり遂げたらしいのですが、頭の中が空になるほどシンドイ思いをしたそうです。

そりゃそうでしょうねえ。労働基準法違反じゃないでしょうか。

でも、本人は、局の方からもエージェントからも大変感謝されると、極度の疲労が喜びに変わったそうです。

◇至福のマクロン氏のウインク

このほか、フランスのマクロン氏が大統領になる前の2014年に、オランド大統領の経済相として来日した際、テレビ番組で通訳をしたのが彼女だったそうで、下準備に大変苦労したこぼれ話を披露してました。

インタビューが終わって、一堂が帰る際に、マクロン氏が振り返って、黒子であるはずの彼女に向かって、「お疲れさま」という意味でウインクしてくれた時は、それまでの疲れがいっぺんに吹き飛んだそうです。彼女は「一生の宝にしたい」と大袈裟な感想を漏らしてました。

とにかく、同時通訳という仕事は半端じゃない能力と百科事典のような豊富な知識、日々の研鑽が必要とされます。まさに、ジャーナリストです。外国語だけでなく、それ以上に日本語力も試されます。

それに、情報はすぐ古びてしまうので、毎日、いや毎分、毎秒、常に更新していかなければなりません。ですから、過去のキャリアが役立つというわけでもないのです。同時にスポーツ選手のような瞬発力も必要とされます。とにかく、何が起きるか分からないから、下準備が大変なのです。彼女は「準備は、5日間でも足りない」と言ってましたからね。

◇ロングマン辞書を制覇

その前提として、語彙力がありますが、彼女は、あのロングマンの辞書を、最初から最後まで辞書編纂を兼ねて全て読んだそうですから、まあ、それぐらいのことをしなければ、基礎体力はつかないことでしょう。(もちろん、彼女には留学や海外勤務経験、それに同時通訳で有名なアカデミーでの修行経験など積み重ねておりました)

感心したり、感服したり、大笑いしたりしながら、彼女の話を聴きました。参加して本当によかったでした。(幹事の皆様、大変ご苦労さまでした)

京都に善光寺? 秋の新善光寺展が開催中

おはようございます。お久しぶりです。京洛先生です。

えっ?お久しぶり、じゃない? 昨日も登場した?

おかしいですねえ。

あ、分かりました。昨日の「永観堂と南禅寺」の原稿は、もう2週間も前に渓流斎さんのGメールに送ったのですが、どうやら届いておらず、その後、何度もGメールに送付したのですが、届いていなかったというのです。

おかしいですね。一体、何処の電脳空間に消えてしまったんでしょう?

やはり、ただのメールは駄目ですねえ。仕方がないので、渓流斎さんに他のメールアドレスを教えてもらって再々送したのでした。

以下の原稿も改めて送稿したものですが、是非ともお付き合いください。

さてさて、紅葉の時季になり、洛中は観光客が押しかけ有名寺社は正月三が日のような賑わいです。

ところで、皆さんは京都にも「善光寺」があるのはご存知でしょうか。「え!善光寺は信州、長野じゃないですか」と目をぱちくりされるでしょう´艸`)

 実は、あるのですよ、京都にも「善光寺」が。鎌倉時代、時の天皇が「遠い信州に行かなくて、近くでお参りできるように」と建てられたのです。ですから、お寺の名前は「新善光寺」です。

京都に住んでいても知る人ぞ知るお寺です。渓流斎さんが先日、鎌倉での個展に出向かれた加藤力之輔画伯の、京都でのアトリエのそばに「新善光寺」があるのです。

偶々、この「新善光寺」が大方丈の瓦の葺き替えが終わったのを記念して、「新善光寺展」(午前10時〜午後4時、入場料500円)が一昨日(11月17日)から来月1日まで開かれているのです。

 天下のNHKをはじめ、地元の新聞や各紙が地域版その紹介のニュースも流しています。

この新善光寺は772年前の、寛元元年(1243年)に、後嵯峨天皇の勅願で創立されました。

御本尊は信州の「善光寺」と同じ阿弥陀如来で、同仏同体に作られた鎌倉時代の仏像です。後嵯峨天皇は、京都から信州までは、すぐには行けないので、新たに、一条通り大宮に「新善光寺」を開山されたわけです。

その後、「応仁の乱」で、新善光寺も焼失となり、新たに文明5年(1473年)、土御門天皇の勅願で、皇室の御寺「泉涌寺」内の現在の地に移されました。

写真の通り、“皇室の御寺”と呼ばれる「泉涌寺」の境内ににあるだけに、周囲は静寂で、此処では、変な外国人の姿があまり見えませんね´艸`)

境内の周りも紅葉が目立ち、お寺の庭を見ながら、お薄をいただきましたが、気持ちがゆったりしました。

「新善光寺展」では、日ごろは非公開の本堂、庭園や、寺宝の狩野探幽の「鯉の図」、狩野周信の襖絵はじめ、皇室の遺品などが公開されていて、一昨日は、泉涌寺の歴史資料館の学芸員の方が、新善光寺の歴史由来をお話しされておりました。

加藤画伯はアトリエがすぐそばにあり、会期中は同展の受付でお手伝いされておられました。

玄関先での加藤画伯の写真もお送りしますが、これは「肖像権」の問題もあり、《渓流斎日乗》で使っちゃあいけませんよ(笑)。

おしまい。

※写真は全て「新善光寺」 Copyright by Kyoraque-sensei

【追記】

小生のGメールにメールされた方で、もしかして、届いていないものもあったかもしれません。小生、几帳面ですから、必ず返信しております。返信がないのは、こちらにメールが届いていない可能性があります。

Gメールのアルファベット社に代わってお詫び申し上げ奉ります。

京都は今、永観堂と南禅寺の紅葉が見ごろです

南禅寺

だいぶ寒くなってきましたね、渓流斎さん。京洛先生です。

毎日、北関東の集合住宅から「新橋演舞場」にご出仕、ご出勤ご苦労様です。貴方が演舞場の舞台裏で、黒子として大活躍されているのは知る人ぞ知るです(笑)。

永観堂

舞台表で、汗をかく人もいれば、裏舞台でそれをスムーズに進行させるため汗をかく人がいればこそです。「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人」と古来から言われておりますが、世の中、表もあれば裏もあるのです(笑)。

そういう渓流斎さんに比べ、当方は最近、めっきり汗をかく機会が減り、運動不足です。それを解消するため、一日「1万歩」を目標に洛中、洛外を歩き回ることにしています。日々、朝晩の出勤は、そういう意味で、気分転換とメリハリをつけて、健康管理にもなっていると思いますね。

永観堂

そんな京都はそろそろ、紅葉の季節を迎えました。洛外は既に「見ごろ」になっていますが、京都市内の洛中はこれからです。あと1週間くらいすると何処も「見ごろ」になることでしょう。

そんな中、比較的、早くも見ごろになってきた「永観堂」と、色づきはじめた「南禅寺」をまわってきました。

永観堂

永観堂は、古今和歌集でも「秋は紅葉の永観堂」と言われる古くからの紅葉の名所です。

東山の山腹の傾斜地にあり、紅葉の色づきに最適な土地なのでしょう。平安貴族で歌人の藤原関雄が別荘にした場所に、西暦853年(仁寿3年)に、弘法大師の弟子の真紹僧都が、真言密教の道場に永観堂を建立したということです。

その後、鎌倉時代初期に当時の静遍僧都という人が、法然に帰依したため、お寺は真言宗から浄土宗になったわけです。

永観堂

永観堂で、有名なのが「見返り阿弥陀」(重文)で、紅葉の時季には本堂を拝観する見どころになっています。

しかし、写真のように境内の紅葉は、いつ見ても色鮮やかで、観光客が押しかけて、「凄い!見て見て、綺麗ね!」、「超!綺麗」と感激するのはよーく分かります。

永観堂

次に、永観堂から10分ほど、ぶらぶら歩きして着いたのが「南禅寺」です。

南禅寺

こちらは、まだ「色づく」程度で、本堂の紅葉もこれから「見ごろ」を迎えると思いますが、週末でしたので、紅葉見物の観光客でごった返していました。

南禅寺

以上、ご報告まで。

南禅寺

あ、序に、もう一つ、南禅寺らしい景色をお楽しみください。

南禅寺

おしまい。

レーザー体温計には吃驚しました

スペイン・コルドバ

私が目下、勤めさせていただいている会社は、有難いことに毎春、定期健康診断を実施してくれます。

それ以外に、年に何回か、歯科検診だの眼圧測定なんかもやってくれます。毎年、この時期になるとインフルエンザの注射も実施してくれます。

私は、もう随分昔ですが、インフルエンザに罹ったことがあり、3日3晩熱にうかされ、1週間も会社を休んだことがあり、これにすっかり懲りて、毎年、予防注射を受けるることにしています。

それなのに、昨年は、申し込みをすることを忘れてしまいました。理由は、今では「検診のお知らせ」などは、紙で回覧されず、社内LANの電子掲示板だけに掲載され、それを見ないで締め切りが過ぎてしまうと、もう受け付けてくれなくなるのです。

昨年、申し込みを忘れてしまいましたが、「まあ、大丈夫だろう」と軽く考えて、受付に行ったところ、「ワクチンが足りないので、申し込みした人に限る」と断られてしまいました。その代わり、社外の病院や診療所で接種した場合、全額ではなく、一部だけ補助するという話になりました。

社内で接種すれば、健康保険でタダで済んだのに、昨年は、社外で受けたので、確か5000円の注射代で、補助が3000円下りて、結局、2000円は個人負担になってしまいました。

という事案が昨年あったので、今年は、春先からインフルエンザの申し込みがないかどうか、目を皿のようにして、「電子掲示板」をチェックし、今年はうまくいき、昨日、予防接種を社内で、委託医療機関によって受けることができたのでした。

スペイン・コルドバ

何で、今日、わざわざ、この話を書いたのかといいますと、吃驚したことがあったからです。

それは、体温測定です。

インフルエンザ予防接種する前、色々と医者の問診があったり、その日の体調が良くないといけないので、体温を測ることがほぼ義務付けられております。

一昨年までは、例の体温計を脇にはさんで測りましたが、体温が確定するまで、なかなか「ピー」と反応してくれず、いつもイライラしておりました。

それが、今年は例の体温計がなかったのです。その代わり、担当の方が、手の平サイズの器具を患者(笑)の額にピッとレーザー光線のようなものを当てるだけで、体温が測れてしまうのです。時間はほんの数秒でした!

これには驚きましたね。どうやら、昨年から導入したらしいのですが、昨年は、ご説明した通り、社内で接種しなかったので、変更されたことを知らなかったのでした。

よく、国際空港に導入されている、重篤な熱病を持っていないかどうかを測るサーモグラフィーを利用したものと考えたらいいのでしょうか。

とにかく、便利になったものです。一昨日の11月14日に書いた「文明衰退論」と、少し矛盾しますが、「必要は発明の母」ではなくて、「便利は発明の母」ということなんでしょうかねえ。

ゴールデン・ステイト・キラー逮捕から色々と考えが及びました

スペイン・コルドバ

3年前に大病してからは、めっきり怖いものが苦手になりました。

ホラー映画なんかとんでもない。遊園地のお化け屋敷やジェットコースターなんて、何でお金を出して、長い列を並んで乗らなければならないのか、神経が知れたもんじゃない、と思うようになりました。殺人事件を扱ったミステリーも絶対読みません。

昔は、結構、好き好んで、見てたり、乗ったりしたもんですから、人間、変わるものです。

テレビもまずは、怖いものは見ませんが、一昨日、たまたま、つけていた民放テレビで米国で40年前に起きた未解決の連続殺人事件の犯人が、今年4月になって、40年ぶりに逮捕されたという番組をやっていて、思わず、長い長いCMの合間をぬって最後まで見てしまいました。

これは、私は全く知りませんでしたが、「ゴールデン・ステイト・キラー」事件と呼ばれ(ゴールデン・ステイトとは、1849年に金鉱が発見されてゴールドラッシュとなった米カリフォルニア州の別名)、1974年から86年にかけて、そのカリフォルニア州で起きた連続暴行強盗殺人事件のことです。13人が殺害され、50人が強姦され、120件の強盗が遭ったと言われながら、犯人は捕まらず、迷宮入りしておりました。

犯人は、他に色んな名称で呼ばれていて、ロサンゼルス出身のH君は「あ、East Area Rapist(東部の強姦魔)なら知っている。彼は捕まったんですかぁ」と驚いてました。

番組では、この事件に興味を持った一人の捜査官が定年間際になるまで執念で20年以上も追いかけ、最後は、実に革命的な捜査方法で、犯人を逮捕するという一部始終を再現ドラマ仕立てでやっておりました。

スペイン・コルドバ

犯人は、Joseph James DeAngelo ジョゼフ・ジェームス・デアンジェロ、72歳。何と、捜査当時は身内の警察官で、事件後もカリフォルニア州に住み続けておりました。それなのに、彼は、警察官の特権を利用して、無実の人間を犯人として偽装したり、自分自身はうまく立ち回ったりしたので、一度も容疑者として浮上していなかったのです。

革命的捜査方法とは、DNA鑑定です。まず、最初に「GEDマッチ」という、自分のDNAがどんな人と一致するのかが分かる米国では有名になったウエッブサイトに、犯人が現場に残したDNAを匿名で投稿します。すると、東海岸に住むある女性が見つかりました。

その女性を手掛かりにして、「家系図」の専門家を動員して、1800年も遡って(本当かなあ?)、何万、何十万という人間の家系図を作り、一人一人に犯人のDNAを一致させます。そんな気の遠くなるような作業を経て、やっと、たった一人、一致する者が見つかったのです。

それがデアンジェロでした。彼は、逮捕前は魚釣りに出かけるほど元気に歩き回っていたのに、裁判になると、急に車椅子に乗って、老年性の認知症を装って罪から逃れようとしておりました。(まだ、判決前なので、確かに、彼はまだ容疑者の段階ですが)。

ただ、一方で、その革命的DNA鑑定捜査については、「プライバシーの侵害」ということで大反対する市民もおりました。

この革命的DNA鑑定捜査で、他に迷宮入りしていた連続殺人事件の犯人が次々と逮捕されていったので、画期的手法だと感心したのですが、何でも、物事には二面性がありますね。確かに、このままでは、プライバシーはなくなってしまいます。

現に、日本では、今ではあらゆる所で、監視カメラが設置されていて、犯人逮捕に大活躍してますが、当然ながら、無辜の民でも、いつでも、当局から監視されているということになりますよね?

国民総背番号(ナンバー)制度の導入によって、個人資産も全て当局に筒抜けになってしまいました。

もう、後戻りできないでしょうね。皆さんも、この事態についてどう思われますか?

世につれ歌につれ、流行語大賞はすぐ消えていく運命?

スペイン・コルドバ メスキータ

毎年恒例の「流行語大賞」の候補作30件が先日発表されました。

小生は、「ニュースを追う」てゆーか、「ニュースに追われる」最先端のメディアの仕事に従事しておきながら、知らない言葉があったことを、茲で正直に告白しておきます。(悔しい)

特に、「Tik Tok」なんて知りませんでしたね。トーシローさんの投稿動画アプリらしいいですけど、あたしゃ、意地でも見ませんね(笑)。

どうせ忘れられることでしょう。(失礼)

確かに「流行語」ですから、最近、その耐久年数は年々、幾何学級数的に減ってきました。

こないだテレビを見てましたら、1990年の流行語大賞だった「ファジイ」について、若い女子アナが「知らないですぅ」と答えたことには驚きましたね。まあ、そんなもんかもしれませんが…。

これでは、「モボ」「モガ」「ミルクホール」を知らないのは当然のことながら、ナウいヤングのアベックが行く「ゴーゴー喫茶」も「歌声喫茶」も全く何のことかさっぱり分からないでしょうね。

スペイン・コルドバ メスキータ

新聞を読んでいると、1964年の東京オリンピックも、1970年の大阪万国博覧会も「生まれる前のことなので知らない」という世代が増え、今さらながら、自分は随分と歳を取っちまったんだなあ、と暗澹たる思いをしてしまったわけです。

ですから、今日はこれでお終い(笑)。

奈良国博の「正倉院展」と興福寺は大賑わい

お久しぶりです、大和先生です。

先月10月27日から始まった奈良国立博物館の第70回「正倉院展」は、例年通り大変な賑わいです。

会期は今月12日までですが、おそらく今週末は、紅葉見物も重なりえらい混雑をすると思い、今日(7日)午後、会場を覗いてきましたが、10分程度並んでスイスイ入場できました。

それでもやはり館内はえらい混雑でしたね。

いつもながら、館内の写真撮影は出来ませんので、肝心の展示物は、NHKテレビの美術番組や「読売新聞」(特別協力)紙上でご覧になるとよいでしょう。いつもながら、陳列品で人気のあるのは色艶やかな宝物です。色のついた宝物の前は人だかりで、案内人が「後の方もご覧になるので、スムースに前に進んでください!」といくら言っても、じっと動かず、どうにもなりませんね。

逆に、地味な、文書類の展示品の前は人だかりは少なく、空いていて割とゆっくり見られました。大衆は「色物」に弱いことがよく分かります(笑)。

いくつか、注目されている宝物の中で、緑色に白い斑点、黄色の十字の文様の陶製の「磁鼓(じこ)」の前は、やはり人だかりが多かったですね。奈良時代に奈良で作られた「奈良三彩」と呼ばれる「鼓(つつみ)」です。当時、両側に革を張って使っていたと言われていますが、どんな音なのか聞きたくなりました。

また、朝鮮半島の民族楽器「新羅琴(しらぎこと)」も出ていました。こちらは、伽耶の国で作られた琴ですが、弦は12本、これまた、当時の貴族で、歌舞音曲の腕達者が優雅に奏でていたのだと思います。

平成最後の「正倉院展」ですが、今年は南倉(東大寺の儀式関係品)、中倉(役所の書類、武器など)、北倉(聖武天皇、光明皇后皇后の遺品)の三倉から、宝物56件が出展されています。

同じ奈良公園のそばの「興福寺」は10月7日から11日まで「中金堂落慶法要」が終わったところですが、こちらも特別公開されていて、平日ながら、拝観者で賑わっています。

藤原不比等が710年(和銅3年)に建立、その後7回も焼失、再建を繰り返してきましたが、江戸時代の文政2年(1819年)からは仮堂でしのいできて、今年10月、301年ぶりに再建されたわけです。

以上 大和先生でした。

トリテキって何?

スペイン・コルドバ メスキータ

全くお恥ずかしい話ではありますが、もう40年も新聞・通信社のマスコミ業界に身を置いておきながら、いわゆる一つの業界専門用語の中で、つい最近まで知らない用語がありました。

トリテキという言葉です。「鳥の照り焼き」ではありません(笑)。どういう意味なのかは、出し惜しみして(笑)、後からお話することにして、もう時効になっている40年ぐらい昔のマスコミ体験談からご披露することにしましょう。

私がマスコミ業界に入ったのは1980年ですが、最初に配属されたところは、運動部でした。私が高校生の頃まで「王・長嶋」の全盛期でしたし、オリンピックぐらいは見ていたのですが、むしろ熱烈な音楽少年だったため、スポーツにあまり関心がありませんでした。配属先が運動部と聞かされて、会社を辞めようかと思いましたが、「何でも見てやろう」の精神で3年は我慢する覚悟を決めました。それが40年も続くのですから人生分からないものです。

最初の1年近くは、「電話取り」といって先輩記者が現場から電話で送ってくる原稿を、会社のデスクで筆記する仕事でした。今のネット社会では想像もつかない苦行でした。何しろアナログ時代です。FAXでさえ行き届いていない時代でした。

記事の中に漢字があると、「字解」といって、説明します。例えば、選手に吉田という人がいれば、「ワンマン吉田」(吉田茂首相から連想)、田中なら「デンチュウ田中」と「字解」するのです。それが、新人記者には最初はさっぱり分からないのです。「何?殿中? 忠臣蔵?殿中でござる?」と余計な頭が回転して、マゴマゴしてしまうと、先輩は「お前、誰だ?他の奴に変われ!」と大声で怒鳴られてしまうのです。

短い原稿ならいいのですが、長い原稿になると、受話器を付けた耳が痛くなってしまいます。

昔は、牧歌的な時代で、そんな汚い字で取った原稿を出稿部デスクが青ペンといって筆入れ(校正)して、それを整理部デスクが赤入れといって再校正して、手書きで加盟社に配信して、それを受け取った新聞社がまた、色々、長い記事を短くしたりして校正して、活字の職工さんがいちいち鉛の活字を拾って並べて印刷していたんですからね。今では考えられません。

さっきの字解の話に戻りますと、例えば「肇」という字を電話では「ハナ肇の肇」と字解しますと、当時の人なら、クレージーキャッツのハナ肇だということですぐ分かりました。しかし、今の若い人には通用しないでしょうね。これだけ流行や時流の変化が激変する毎日ですから、かつての常識は非常識になってしまうという典型例です。

トリテキについてはもう少しお待ちを(笑)。

スペイン・コルドバ メスキータ

昔のことを思い出したので、少しそのお話をー。私が最初に配属された記者クラブは、東京・原宿にある岸記念体育会館内にあった体協記者クラブでした。体協とは日本体育協会の略称で、当時の日本のアマチュアスポーツ団体の総本山で、その傘下に日本オリンピック委員会(JOC)や陸上や水泳など各競技団体の連盟や協会の事務所がありました。そこの2階に記者クラブがあり、一般紙からスポーツ紙、海外を含む通信社などの担当記者が詰めていたのです。

この記者クラブで多くの先輩猛者記者と遭遇しました。嫌な奴も多かったのですが、わざわざダーティーヒーローを取り上げる必要もないので、特に印象的だった人を挙げるとすると日刊スポーツの中出水勲さんという記者でした。

記者クラブには別室にマージャン台やソファがあり、時間をつぶしたり、記者同士が団欒する場所があったのですが、中出水さんは大抵、二日酔いの様子でいつもソファに寝そべってました。クラブ内には、選手や監督、事務局の人が記者会見するテーブルと椅子のスペースもあり、ちょくちょく会見があったのに、中出水さんが会見に参加する姿を見たことがありませんでした。

それなのに、翌日の日刊スポーツを読むと、ちゃんと彼の署名入りで、記事が出ているのです。しかも、他のライバル紙より格調高い文章で簡潔です。これには手品を見ているようで、吃驚してしまいました。

中出水さんは明大山岳部出身で、あの冒険家植村直巳さんと同期で一緒に下宿していた仲だったことは後で知りました。植村さんが行方不明となり結局捜索も打ち切られたときは、さすがの中出水さんもうっすらと男泣きされておりました。

スペイン・コルドバ メスキータ

もう一人忘れられない人は、毎日新聞の森記者でした。この人、抜群の記憶力の持ち主で、試合後のインタビューで一切メモも取らないのです。これには魂消ました。しかも、例の電話による原稿送りも「勧進帳」といって原稿を書かずに頭の中で組み立てたものを、そらんじて送稿していたのです。

翌日の紙面を見ると、立派な記事でライバル紙よりもむしろ良い出来なので、新人記者だった私は、もう腰が抜けるほど驚いたものです。

このほか、力道山が暴力団組員に刺されたときに現場の赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテン・クオーター」で、力道山と同席していたスポーツニッポン新聞の寺田記者らもおりましたが、これ以上続けると、キリがないので、最初のトリテキに戻ります。やっと!

スペイン・コルドバ メスキータ

トリテキとは、どうやら「テキストを取る」から来た新聞業界の隠語でした。今、テレビで記者会見の様子を見ると記者たちの前にはパソコンがあって、記者たちは発言者の顔を見ずに、一斉に、一言ももらさないように発言の一言一句をキーボードに叩いている姿を見かけることがあるでしょう。

これがトリテキです。昔は、全て手でメモ書きしておりました。トリテキはどうやら、新聞社の中でも主に政治部で使われた用語のようです。何故なら、政治家の発言は政策やら外交やら株式・為替市場やらなどに多大な影響力を持つので、後から「言った」「言わない」と揉め事が起きないように、発言を正確にメモしなければならないからです。

そして、政治部記事の場合は、一人の記者が書くことが少なく、出先の記者から様々なニュースソースを集めて、社内にいるデスクらがリライトすることが多いこともあります。

これがスポーツ選手なんかの場合、口が重い選手もいたりするわけですから、後で記者が忖度して談話としてまとめてしまうケースが往々にして見られたのでした(笑)。

私はその後、政治部の経験がなかったから、トリテキを知らなかったのでした。

話題を全く変えます(笑)。

《渓流斎日乗》11月4日付「加藤画伯と鎌倉でスペイン談義」で書いた通り、江ノ電の「鎌倉高校前駅」に行ったのですが、見たこともない多くの中国系と見られる若者が駅周辺と踏み切り付近でカメラを構えて騒然としておりました。

「何があったのか?」と不思議でしたが、言葉が分からないので、話が通じません。お決まりの観光客で、江ノ電と湘南海岸がブームになっているのか、と勝手に自分で忖度しておりました。

それが、さっき理由が分かったのです。ここは、人気漫画「スラムダンク」の「聖地」で、この漫画は台湾でも大人気で、多くの熱狂的な台湾人が巡礼に訪れているというのです。私は、この漫画はバスケットを扱ったものという程度しか知らず、読んだこともないのですが、どうやら、踏み切りが特に聖地になっているというのです。

興味のない部外者にとっては、何の変哲も魅力もない(笑)ただの踏み切りでしたので、ただただ驚くばかりでした。

パリ・ジャポニスム2018で、伊藤若冲展、明治展、風呂敷アート…

《渓流斎日乗》がフランスに特別派遣している農林水産IT通信員から、今、パリで開催中の「ジャポニスム Japonismes2018」の写真とリポートを送ってくださいました。
 「そんなもん、やってたの?」という日本人が多いでしょうが(笑)、今、日本文化はパリっ子の度肝を抜いておりますぜよ。
◇◇◇
 こちらパリです。
  日仏修好通商条約調印160周年を記念した「Japonismes2018」は、確かに盛り上がっています。
 私も日本人なので、寿司講師なんてものに借り出されました。
 あちこちで行われる様々なイベントを全て見ることができませんが、せっかくの機会ですから見逃すわけにはいきません。
 「伊藤若冲展」は、何と3時間もの行列に耐え、「動植綵絵30幅」を間近で見ることができました。
 鶏のリアルな赤い鶏冠が迫力でした。
 今年は明治150年。ギメ東洋美術館の創設者であるエミール・ギメの没後100周年を記念して、明治時代をテーマとした「明治展」は、講演会を聴きに行きましたが、ここでも大変な行列がありました。
また、公式企画として、パレ・デ・コングレ・デ・パリ大劇場で、「美少女戦士セーラームーン」のパフォーマンスショーもあります(11月3、4日)
   先日、パリ市庁舎の前を通ったら、風呂敷プロジェクトなるものの準備中でした。

 そうです。ちょうど今、11月1日から6日まで、パリ市庁舎前で開催している【特別企画】パリ東京文化タンデム2018 FUROSHIKI PARISの準備だったのです。

 これは、「東京からパリへの贈り物」と題して、建築家田根剛氏によって、風呂敷包みをイメージしたパビリオンをパリ市庁舎前に設置したものです。

パビリオンの内部では、前衛芸術家の草間彌生さんや映画監督の北野武さんら日仏のアーティスト、デザイナーらの協力による「風呂敷のアート」作品が展示されているほか、風呂敷の様々な使い方を映したビデオなどが公開されています。

また、風呂敷は「世界初のエコバッグ」とされており、パリ日本文化会館で、11月2日、10日、17日、24日に風呂敷を使ったワークショップが開かれます。

◇◇◇

有難う御座いました。

知らぬは日本人なりけり、ですかね?

銀座の500円ランチにライバル「ウマズイいめんく食い村通信」も吃驚

「最近の《渓流斎日乗》は堅くて難しいですねえ」とお嘆きの読者諸兄姉の皆々様方には朗報です。皆様の御要望にお応えしまして、久しぶりにグルメ譚です。

最近、「500円ランチ」にはまっています。皆様のご自宅のお近くにあるかもしれませんが、な、な、な、何と、場所は銀座ですからね(笑)。

この通りです。「橙(だいだい)」というビルの地下にあるお店です。

夜の居酒屋がメインなのでしょうが、最近、この半年ぐらい前から、こんな看板を目にするようになり、入ったことがなかったのですが、同僚に誘われて、3週間ぐらい前から入り浸るようになりました(笑)。

週に2回は行ってます。

「安かろう、不味かろう」では困りますが、これだけの料理なら750円、いや800円以上は取られても十分に通用します。それが500円ですからね。ウマズイめんくい村の赤羽村長も大した魂消た、吃驚ころりんです。

お店の人に直接聞いたわけではありませんが、夜の居酒屋に来てほしいために、ランチは半ば「宣伝」かサービスでやっているのではという噂がのさばっています。

納豆やヒジキなど小鉢2個は、自分で好きなものを選べるようになっています。これがまたいい。日替わり定食で、毎日メニューが変わるところもいいです。(営業は、火曜日~金曜日)

それにしても、われわれ貧民層にとって、500円ランチは本当に有難い。

ただし、当然のことながら混みますから、結構並びます。ずらっと行列ができていて、まあ、15分ぐらいは並びます。でも、いつまで「500円ランチ」をやっているか分かりませんので、もし、皆さんが私のような階級に属しているとしたら、お勧めですよ。