仏教に救いはない? 一神教と多神教の違いは?

 何か、誰かから追い立てられているような感じがしますが、パスカルの「パンセ」(中公文庫)を読破し、橋爪大三郎+大澤真幸「ゆかいな仏教」(三笠書房)を読了し、今、同じ二人による対談「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)を読んでいるところです。

 乾いた土が勢いよく水を吸収するように、私の乾いた脳に知識のシャワーを浴びせられているような気分で、お蔭さまで平常心を取り戻しつつあります。

 それでは、これまで平常心ではなかったのか、と聞かれますと、その通りです。ここ数カ月、生きている畏れと不安と虚無感に襲われていて落ち着けませんでした。ただし、軽症で、夜も眠れないほど、といった重症ではありませんが、毎日、張り合いがないといいますか、砂を噛むような味気ないといった感傷と言えば当たらずとも遠からずです。

 仏教の基本思想である「因果応報」を持ち出して、原因について考えてみると何個か複数思い当たるフシがありました。その一つに、友人知人にメールを出しても返信が来ない、といった子供染みたものがありました。「何か悪いことでもしたのか?」「向こうは自分など何とも思わず、メール自体が迷惑だと思っているのかしら?」などと余計な勘繰りばかり先立ってしまい、心を不安定にさせていたのです。

 でも、時間が経てば少しずつ解決されていきます。例えば、昨日の渓流斎ブログで書きましたが、このブログのサイトの技術面で大変お世話になっていた松長哲聖氏に何度も連絡を取っても繋がらず、反応もなく、落ち込んでいたら、何と、彼は既に7月に亡くなっていたことを知ることになったわけです。語弊を恐れずに言えば、これで何か区切りが付いた気がしたのでした。

 悲しくも若くして亡くなった松長氏ですが、逆に、生き残った我々に勇気を与えてくれました。例えば、「メメン・トモリ(いつか死ぬことを忘れるな)」、そして、明石家さんまさんが口癖のように言う「生きているだけで丸儲け」…。「せっかく生命があるのだから、もっと一生懸命に生きてください」と叱咤激励されている感じがしたのです。

 不安と畏れに駆られていた時に手に取ったのが、先述したパスカルの「パンセ」と橋爪大三郎+大澤真幸の対談「ゆかいな仏教」と「ふしぎなキリスト教」でしたが、心の癒しになったことは確かです。こんな精神的なお薬はありませんでした。特に、後者の「ゆかいな仏教」と「ふしぎなキリスト教」の二冊から学び取ったことは、結局、「人生とは心の持ちよう次第」だということです。

ロンドンではなく東銀座

 「ゆかいな仏教」の中で、「仏教に『救い』という考え方がない」という橋爪氏の発言には本当に吃驚しました。そもそも、仏教という宗教は、釈迦が覚りを開いたということを(言葉で言い表せないが)信じ、衆生も努力次第で、本人がいつか仏陀になれる、ということを信じること。だから、仏陀になった釈迦も、他者を覚らせる(救済)ことは出来ない、と説明されれば、少し分かった気がします。(原始仏教では、出家者はビジネスをしてはいけない。お金を触ってもいけないので在家の布施によってしか生き延びるしかない。また、本来、仏教は葬式を営まなかった。仏教は、アンチ・カースト制から始まったというのは納得。)

 そもそも、人生とは自分の思い通りにはいかない⇒人生は苦である⇒しかし、人生はなるようにしかならないだけ⇒甘い期待や幻想を抱かずにあるがままに受け入れる⇒全てがプラスになる⇒苦は実体がないので、苦は苦だと思わなければよい、といった「思考法」=「心の持ちよう」が、たとえ「仏教に救いはない」と言われても、私自身には救いになりました。

◇◇◇

 「ふしぎなキリスト教」では、「ユダヤ教とキリスト教はほとんど同じで、イエス・キリストがいるかいないかの違い」とか「ユダヤ教には原罪という考え方はない」「罪とは『唯一神ヤハウェに背く』こと」「原罪とは、しょっちゅう罪を犯すしかない人間は、その存在そのもが間違っているという考え方⇒キリストによる贖罪」「サタンとは本来、『反対者』『妨害者』という意味で、中世キリスト教でおどろおどろしく描かれた悪魔ではない」といった私自身が認識不足だったことが、明解に説明されて、妙に心に残りました。

 また、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)と多神教の宗教の違いで、こうも考え方が違うのか、といった好例がありました。

 人生には理不尽なことが起きる。何故、自分の家族だけが重い病や障害や事故に襲われるのか?何故、自分の努力が報われないのだろうか? 世の中、悪がはびこり、裏切り、寝返り、詐欺、迫害が続く…。仏教や神道のような多神教だったら、それは運が悪かったとか、悪い神様のせいだと考えれば済むことがある。しかし、一神教の場合、そういうわけにはいかない。全ての出来事は神の意思によって起こるからだ。そこで、「祈り」という神との不断の対話が繰り返されることになる。

 嗚呼、そういうことだったんですか。…これで少し、違いが分かったような気になりました。

 そこで、究極的には、宗教の信者や信徒や門徒になるということは開祖の奇跡を信じることができるかどうかの違いだと思いました。キリスト教なら、イエスの復活や最後の審判などです。仏教なら、陰徳を積めば極楽に行けるといったような因果律を信じることができるかどうか、といった問題です。私の場合、いずれも懐疑的ですから、キリスト教徒にも仏教徒にもなれないでしょう(苦笑)。ですから、宗教に救いを求めようとしたこと自体が間違っていたのかもしれません。

 それでも、私は寺社仏閣や教会にはお参りします。人生とは心の持ちよう次第です。私自身、「メメント・モリ」「生きているだけで丸儲け」だけでも信じられるからです。

サイトのIT技術者松長哲聖氏が急逝=渓流斎ブログは今後どうなるのか?…

  ちょっとショックなことがあり、口もきけないような状態です。

 この《渓流斎日乗》ブログのサイトの立ち上げから技術トラブル処理に至るまで、何から何までお世話になっていたIT企業社長の松長哲聖氏に、何度メールや電話で連絡しても通じなかったことから、入院でもしているのかと思い、昨晩、湯島にある酒房に直接行って主人の坂元氏に事情を聞いたところ、7月に亡くなっていたことを聞かされたのです。

 何と言っても、松長さんは、私の高校の後輩で、私より一回りも若い。亡くなったのも53歳という若さでした。前日、夜遅くまで呑んでいて、翌日、自宅近くで散歩途中で倒れて、帰らぬ人となったといいます。普段からお酒の飲み過ぎで、私もよく注意したものでした。そして、彼には「俺より先に死ぬなよ。12歳も違うから死ぬわけないか。でも、お酒は控えた方が良い」と約束していたので、悔しくて涙も出ないほどです。本人も自分自身がこんなに早く身まかるとは思ってもいなかったと思います。

 彼とは、2016年頃、海城高校の同窓会で知り合いました。名刺交換して、IT企業「プラニクス」という会社を自分で創設した社長さんだということは分かりましたが、具体的にどんなことをしているのかは知りませんでした。でも、プラニクスは、立派なホームページがあるので、事業内容が「ホームページ作成」や「インターネット広告・広告代理」などであることは、今では分かりますが。

 それが、ひょんなことで、彼と親密になるきっかけがありました。皆様御案内の通り、私はお城や寺社仏閣巡りが趣味です。ある日、家の近くを散歩中に、見知らぬお寺があったので、スマホを片手にそのお寺を検索してみました。すると、「猫の足あと」という首都圏を中心にした寺社情報のサイトがあり、それに概要から由緒に至るまで非常に詳しく掲載されていたのです。しかも、「新編武蔵風土記」などの文献も引用し、学術的価値もあって信頼できそうです。

 でも、「猫の足あと」? どっかで聞いたことあるなあ、と思い、彼からもらった名刺を再度見てみたら、吃驚。業務の一つとして、しっかり、「猫の足あと」も記載されていたのです。何だ、彼がやっていたサイトだったのか!です。(サイトに掲載されている寺社の写真は、全て、松長さんが足を運んで参拝して自ら撮影したものでした。どれだけ時間とお金を掛けたサイトだったことでしょう。彼は、首都圏だけでも全ての寺社は回り切れないと話していました。)

 それから、彼と連絡を取り、神保町にあった彼の会社というか事務所にも何度もお邪魔し、近くの居酒屋や、高校のラグビー部の後輩が経営する湯島の純酒肴「吟」や、彼の親戚筋の経営する池袋の焼鳥屋さん「雲吉」で飲むようになりました。それで、2017年9月から私のブログのサイトも独自に製作してもらうことになったのです。

 ブログに広告を付けて広告料が入るようになったのも彼のおかげです。そのため、そのブログの広告収入は個人事業主を申請して確定申告するようになったのでした。もっとも、その収入も微々たるものですから、一晩の呑み代で消えてしまいますが(苦笑)。

 彼とは、このブログに書けないような色んな話をしました。彼は、名門都立日比谷高校を蹴って、海城に入り、某国立大学に合格しながらそれも蹴って、「高卒」で起業した人でした。かなり苦労した話も聞きました。それでも、大変な勉強家で、ほぼ独学でITをマスターしたようなのでした。

 頭の良い彼は、酔うと自信満々になるところがありましたが、普段は気立てが良いというか、気前が良いヤツでした。こうして書きながらも、あの若い彼がこの世から去ってしまったとは今でも信じられません。

 彼の急死で、この渓流斎ブログがこの先どうなってしまうのか分かりません。でも、やっと、奥さんと連絡を取ることが出来まして、今後、会社の継承者を模索中だということまでお伺いしました。

 いずれにせよ、畏れていた最悪の事態が起きてしまった感じで、茫然自失です。

伊藤野枝、辻潤、大杉栄…ドラマ「風よあらしよ」

 国際労働機関(ILO)などが5年ごとに調査して公表している報告書「現代奴隷制の世界推計」というものがありますが、先日(9月12日)、マスコミ向けに発表され、2021年の時点で世界で5000万人が「現代奴隷」として生活していることが分かりました。

 この5000万人の内訳は、2800万人が強制労働を課せられ、2200万人が強制結婚の状態にあるといいます。前回2017年9月に発表された世界推計(2016年時点)と比べ、今回、現代奴隷の状態にある人が1000万人以上も増えたといいます。

 現代日本も例外ではなく、研修生、実習生の名目で途上国から来日した外国人を狭い部屋に押し込んで、奴隷のように長時間働かせている企業主がいて問題になっていることが度々、ニュースになっています。これも現代奴隷でしょう。

 古代日本では、奴隷は「奴婢」とか「生口」とか呼ばれ、大陸に献上されたりしましたが、現代21世紀になってもあまり変わらないということです。ロシアによるウクライナ侵攻のように、21世紀になっても戦争がなくならないのと一緒です。

 我々は一体、何が出来るでしょうか?

北海道 青い池 Copyright par Tamano Y

 さて、話はがらりと変わりますが、9月18日に最終回(第3回)を迎えるドラマ「風よあらしよ」(NHKBS)を面白く拝見しております。伊藤野枝が主人公で、村山由佳の同名小説を原作にしています。何しろ、日本史上でも桁違いな人物ばかり登場します。

 主役の伊藤野枝を演じるのは吉高由里子ですが、彼女の最初の夫がダダイストの辻潤(稲垣吾郎)、二人の間の子、辻まこと(後の詩人、画家)が赤ちゃんで登場します。伊藤野枝に影響を与えたのが「青鞜社」の平塚らいてう(松下奈緒)。そして、伊藤野枝が辻潤を棄てて出奔する相手が無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)。ここで、大杉栄の妻堀保子(山田真歩)と東京日日新聞記者の神近市子(美波)との間で「四角関係」が生じ、有名な葉山の「日蔭茶屋事件」が起きます。

 第3回では、大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥橘宗一少年の殺害現場に立ち合った甘粕正彦(音尾琢真)も登場するようで、まさに役者が揃った感じです。

 個人的には大杉栄と甘粕正彦との関係はさることながら、辻潤、辻まことに大変興味があります。辻潤はダダイストを自称したらしいのですが、まさに風来坊で、尺八を教えて生計をたてたりした奇人です。48歳ころから「俺は天狗だぞ」と言って、二階から飛び降りたりして、精神科病院に入院。放浪生活を繰り返し、最後は1944年、上落合のアパートで餓死していることが発見されます。行年60歳。

 辻潤の周囲の人たちは振り回され、迷惑を掛けられたことでしょう。私自身も辻潤に似た親友がいますから、気持ちはよく分かります。でも、歴史上、辻潤ほど自由、気ままに生きた男はいないことでしょう。後世の人間として、勇気をもらえた感じです。

 息子の辻まことは詩人、画家で知られ、私の学生時代にみすず書房から出た「辻まことの世界」がベストセラーになったことを覚えています。華麗な女性遍歴でも有名ですが、不勉強で、1975年に自死されていたことまでは知りませんでした。行年62歳。何しろ、辻潤と伊藤野枝の二人の血を引き、有り余るほとの才能があった人ですから惜しまれます。

渓流斎ブログ、70万アクセス到達に感謝感激

 あれっ? いつの間にか、渓流斎ブログのアクセス数が70万を超えていました! これもこれも、皆様のお蔭です。有難う御座います。

 御案内の通り、《渓流斎日乗》は2005年3月に開始しました。最初は「gooブログ」でしたが、紆余曲折を経て、松長哲聖氏のお力添えで独立したのが、2017年9月15日のこと。それから5年ほどで70万アクセス到達ですから、我ながら大したもんです。こんな毒にはなっても薬にもならないブログを熱心にお読み頂いている皆さんには感謝に堪えません。

 今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

手前がランチ寿司5万円~の「とも樹」、向こうがカケ蕎麦500円前後の「歌舞伎そば」(東銀座)

 さて、自分でも感じているのですが、最近の渓流斎ブログは元気ありませんね。天下国家を論じるわけでもなく、政治家とカルト教団との結びつきや、社会問題、経済格差を声高に糾弾するわけでもなく、ミニマリズムと言いますか、極めて、個人的な話題に終始しているように見受けられます。

 でも、ドメスティックなテーマが国際的になるように、個人的な話題でも、全人類に共通する話題になったりするものです。例えば、こんな話ー。

 我が家は2人暮らしなのですが、先日、電気料金の通知の案内がメールで来て、吃驚しました。先月、つまり、2022年8月の電気料金が1万3000円を超えていたのです。普段は5000円前後ですから2倍以上、どうしたものやら?

 恐らく、この夏は殺人的な暑さでしたから、冷房代が嵩んだということなのでしょう。普段(春・秋)は月の使用料は150kwh前後なのですが、夏は300Kwhを超えるので、その理由が分かりました。でも、昨年8月の電気料金を見たら、ほぼ同じくらいの使用料で8700円程度。1万円を超えていません。

 今年になって、電気代が高騰したことがこれで分かります。考えられるのは、今年2月からのウクライナ戦争の影響でしょう。天然ガスが不足し、高騰していると盛んにニュースでやっていました。国際問題が、小さな極東の庶民の家庭にまで影響を及ぼすという典型的な例ということです。

 それにしても、今秋は電気、ガス、ガソリンといったエネルギーだけでなく、食品、飲料、衣料に至るまで生活用品の値上げラッシュです。それでいて給料が上がらない。

 岸田首相を越えて、独裁者プーチン大統領を恨みたくなりますよ。

鉄道博物館で鉄ちゃん気分

  日曜日は、鉄ちゃん、鉄子の聖地「鉄道博物館」(埼玉県大宮)に3歳のgrandchild を連れて初めて行って来ました。

 grandchildは6月に新幹線に乗って、初めて京都に行き、それ以来、口癖にように、「シンカンセン、シンカンセン」と言っていたので、喜ぶと思ったからでした。

鉄道博物館

 大宮駅って凄いですね。新幹線が東北新幹線、上越新幹線、北陸新幹線など6線、JRの在来線が宇都宮線、高崎線、京浜東北線、埼京線など5線、このほかに、東武野田線(東武アーバンパークライン)と埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)の私鉄2線、合計13路線もあり、乗り入れ路線数は東京駅に次いで全国2位なんだそうです。

 最近、「住みたい街ランキング2022」(リクルート・スーモ)の首都圏で、大宮がベスト3位になって驚きましたが、これだけ便利が良いとそのはずです。納得しました。

 個人的には北陸新幹線などを除き、大体、乗ったことがあるのですが、鉄道博物館駅を走るニューシャトルは生まれて初めて乗りました。

鉄道博物館

 今のコロナの御時世ですから、行く前にネットで調べたら、チケットは窓口で発売せず、事前にコンビニの「据え置き機」で購入しなければならないというのです。(最寄り駅近くのファミリーマートに行ったら販売していなくて、セブンイレブンとローソンとミニストップだけでした)時間制になっていて、満員になっていたら、入場できません。しかも、せこい話ですが、大人1330円はいいとして、3歳から入場料(310円)を取るというのです。3歳で覚えているのかなあ?(笑)せめて5歳でしょ?

鉄道博物館

 恐らく、かつて実際に使われた本物の車輛が展示されていましたから、鉄ちゃん、鉄子にはたまらないでしょう。

 車中に入れる車輛もあり、軽く座って休むこともできました。

鉄道博物館

 個人的に感動したのは寝台車特急でした。確か、高校の修学旅行の時、北海道に行きましたが、青森まで東京から寝台車で行ったと思います(この後、青函連絡船で函館に上陸。)寝台車の中には入れませんでしたが、とても狭そうで、直立不動の姿勢でなければ、寝られないようなスペースでした。

鉄道博物館 「日本食堂」牛オムライス1680円

 残念だったのは、確か、国鉄の食堂車の食事を仕切っていた日本食堂が博物館の2階に出店しておりましたが、値段のわりには、あまり美味しくなかったことでした。

 冷凍食品をチンしたような感じで、grandchild はキッズプレートを注文しましたが、ほとんど残してしまいました。

 お店を出ると、外では大行列ができていましたが。

 帰りがけ、お土産店に寄り、grandchild が欲しがった新幹線のジグソーパズルを買ってあげました。grandpa は、grandchild には甘い(笑)。

人間とはいったい何という怪物だろう=パスカル「パンセ」を読む

 ブレーズ・パスカル(1623~62年)の「パンセ」を再読しています。とは言っても、学生時代以来ですから、何十年かぶりです。

 哲学書ですから、難解です。年を取ったので、学生時代と比べ、読解力は上達したのではないかという妄想は誤解でした。今でも理解しづらい文章に多々、突き当たります。もっとも、パスカルは、ジャンセニウス(オランダの神学者ヤンセン)の教えを奉じる厳格なポール・ロワイヤル派の擁護に熱心だったキリスト教徒でした。そのポール・ロワイヤル派を弾圧し、教権と王権を笠に着ていたイエズス会(ジェズイット)に対する反駁の意味を込めて書き留めたのが「パンセ」でした。ということは、「パンセ」は哲学書というより、キリスト教弁証論であり、神学論争の最たるものです。極東に住む異教徒にとっては、道理で難解でした。

 パスカルは、39歳の若さで亡くなっているので、「パンセ」は、生前に出版されたわけではなく、バラバラの遺稿集でした。パスカルの死後、何種類もの版が発行されましたが、現在は、ユダヤ系フランス人哲学者のレオン・ブランシュヴィック(1869~1944年)がテーマごとに14章に編集した断章924から成る「ブランシュヴィック版」が最も読まれているというので、その翻訳書(前田陽一、由木康訳、中公文庫)を東京・神保町の東京堂で購入して来ました。

 1623年生まれのパスカルは、来年でちょうど生誕400年です。デカルトやガリレオらと同時代人で、日本で言えば江戸初期の人に当たります。同年に、後に老中になる小田原藩主の稲葉正則らが生まれています。また、この年に戦国武将の上杉景勝(米沢藩主)と黒田長政(福岡藩主)が亡くなっています。こう書くと、パスカルさんも身近な人に思えなくもないのですが、仏中部クレルモン(現クレルモン=フェラン市)の租税院副院長だった父エティエンヌらから直接英才教育を受けて、学校にも行かずに、「円錐曲線論」や「確率論」などの数学理論や、流体や圧力に関する物理学の「パスカルの原理」などを発表し、その超天才ぶりは、凡人からかけ離れた雲の上の人です。

 とはいえ、「パンセ」の中には凡人の胸にも突き刺さるような鋭い警句が散りばめられています。

 人間とはいったい何という怪物だろう。何という新奇なもの、何という妖怪、何という混沌、何という矛盾の主体、何という驚異であろう。あらゆるものの審判者であり、愚かなみみず。真理の保管者であり、不確実と誤謬との掃きだめ。宇宙の栄光であり、屑。誰がこのもつれを解いてくれるのだろう。(断章434)

 まさに、最近、私は個人的に、このような怪物のような常軌を逸した人間に会い、大変不愉快な思いをさせられたので、この警句は、私の経験を代弁してくれるような感覚になりました。嬉しい限りです。

 人間は、もし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである。(断章414)

 パスカルの鋭い洞察力は、人間をここまで見極めてしまっています。

 400年も昔の人間でもこのような感慨に耽ってしまうんですね。

新富島「ウオゼン」日替わり定食950円

 「パンセ」と言えば、「人間は考える葦である」や「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界の歴史は変わっていただろう」といった文言があまりにも有名ですが、私が再読して、最も度肝を抜かれたのは以下の警句でした。

 好奇心は、虚栄に過ぎない。大抵の場合、人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない。(断章152)

 かつてこの渓流斎ブログについて、友人から「衒学的だ」と批判されたことがあります。私自身は無知蒙昧を自覚し、単に知らなったことをブログに書き続けてきたつもりでしたが、パスカル氏からは「知的好奇心というものは虚栄心に過ぎず、他人に話したいだけなのだ」と喝破されてしまったようです。ブログなんかやらなければ良いということです。

 もう一つ、感服した警句は次の文章です。

 時は、苦しみや争いを癒す。何故なら人は変わるからである。もはや同じ人間ではない。侮辱した人も、侮辱された人も、もはや彼ら自身ではないのである。(断章122)

 これも個人的体験ですが、最近、長年親しくしていた友人から侮辱され、袂を分かたざるを得なくなってしまいました。パスカル先生に言わせれば、「彼は昔の彼ならず」ですか…。太宰治に同名タイトルの小説がありましたね。「人は変わり、もはや同じ人間ではない」という数学のような定理を発見した400年前の偉人は本当に凄いですね。まるで預言者です!

 いずれにせよ、「パンセ」には、「この世で生きる時間は一瞬に過ぎず、死の状態は永遠である(断章195)」、「我々の惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである(断章171)」という思想が通奏低音のように鳴り響き、私も学生時代から随分影響を受けてきました。

本当に懐かしいサン=サーンスと「アルルの女」

 本日の読売新聞を読んでいたら、空木慈園著「サン=サーンスをもう一度」という本の広告が目に入って来ました。大変失礼ながら、この本に興味を持ったわけではなく、「サン=サーンス」の名前です。本当に懐かしい。

 今でこそ、ほとんど聴かなくなりましたが、もう半世紀以上も昔の私が小学生時代、毎日のように聴いたものです。東京郊外の小学6年生。当時、私は、代表児童委員会委員長兼放送部の部長で、お昼に2、3人と一緒にレコードを掛ける「係り」を仰せつかっていました。この時、曲を紹介するDJ役もです。放送室に給食を運んで、曲の合間に食事しますが、当時は「特権」のような感じで嬉々として楽しんだものでした。

 曲は、演歌や流行歌やジャズやロックは御法度でした(笑)。やはり、子どもの情操教育に相応しいクラシックです。その中でも、ベートーヴェンやマーラーやシュトックハウゼンのようなちょっと肩肘を張って聴くような曲ではなく、レストランのBGMのような小品です。その代表が、サン=サーンスだったのです。

 「初めにお聞かせするレコードは、サン=サーンスの『白鳥』です」

 サン=サーンスと言えば、「白鳥」。この曲を何度掛けたことでしょうか。

 他に、覚えているのは、レハールのワルツ「金と銀」、そしてエルガーの「愛のあいさつ」(チェロ演奏)、ヨハン・シュトラウス「美しき青きドナウ」、グリーク「ペールギュント」組曲「朝」…。これらも毎日のように掛けていました。今では、YouTubeで検索すれば、簡単に聴くことができますね。今の小学生諸君は、どうしているのでしょうか? やはり、ダウンロードした曲をそのまま流したりしているのかなあ?

東京・一ツ橋

  そう言えば、思い出しました。下校時刻になると、放送部員は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」のラルゴ(家路)を掛けるのも仕事でした。

 「下校時刻になりました。用のない生徒は早く家に帰りましょう」

 それでも、帰らない生徒に対しては、

 「運動場の鉄棒近くでおしゃべりしている生徒、早く家に帰りましょう」

 などと、偉そうに注意したものです。

 私の通った小学校は廃校となり、今では影も形もありません。こうして、思い出だけが残っています。

東京・一ツ橋

【追記】

 あんりまー。下校時に掛けた音楽を「ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』のラルゴ(家路)」と書きましたが、大間違いでした。これは、中学校の時の下校音楽でした!

 では、小学校の時の下校音楽は何だったのか?思い出したら、メロディーが浮かんで来ました。でも、曲名が分かりません。そこで、小学校時代の同級生Gさんに聞いてみました。私が下手なピアノでメロディーを演奏して聴いてもらいました。しかしながら、彼女も思い出せません。

 最後の手段。スマホで「クラシック、フルート、名曲」で検索してみました。その通り、フルートの名曲だったからです。そしたら、何曲か候補が出てきましたが、そのリストの中で直ぐピンと来て、やっと思い出しました。

 ビゼーの「アルルの女」組曲の「メヌエット」でした。

 サン=サーンスよりもこっちの方が胸に沁み渡り、涙が出るほど懐かしくなりました。

 音楽は童心にかえらせてくれます。

先週末は悪夢でした=触らぬ神に祟りなし

先週末は、ロクなことがなかった、と書けば、そうなってしまいますが、「永遠の相の下」で見れば、貴重な体験をしたということになるのかもしれません。

 週末は疲れて、結構、昼寝をしてしまいます。それも、30分とか1時間といった「うたた寝」ではなく、2時間とか3時間とかしっかり熟睡します。それでいて夜は、また9時間ぐらい眠られますから、まるで眠狂四郎です(笑)。

 そして、最近はよく夢を見ます。大抵は、起きた時、内容は忘れてしまうのですが、時には、酷い悪夢の場合は、内容までしっかり覚えています。

五島列島 Copyright par Tamano Y  ※写真と本文は関係ありません

 先週末の悪夢は最悪でした。理路整然としているようで、夢ですから、現実離れした飛んでもないことが起こるのです。それでも有りそうなことです。内容はざっとこんな感じです。

 ある75歳の老人が、私のブログの愛読者だということで、メールでアプローチして来ました。どうやら、ある有名作家の秘書の評伝をゴーストライターとして書いてほしいらしいのです。有名作家は、秘書にデータ集めから、関係者の調査まで任せていますが、実は、執筆しているのも秘書だったというのです。老人は、その秘書に会って、取材してほしいので、今度、芦屋の豪邸に来てくれ、というのです。

 その老人は、幕末に、尾張藩、会津藩、桑名藩などの藩主を生んだ「高須四兄弟」で有名な高須藩の末裔を称し、祖父が神戸の貿易商で巨万の富を得て、六甲や八ヶ岳にも別荘があるというのです。まず、秘書に会わせる前に「品定め」したいので、神戸のコーヒーチェーン店に来てほしいというのです。お会いすると、その老人は3時間も一方的にしゃべくりまくり、しかも、お金に不自由したことはなく、悪い人間に巡り合ったこともなく、このチェーン店の創業者はマブダチなどと自慢話ばかりです。三浦和義さん御愛用のハンティングワールドをチラつかせ、流石に辟易しましたが、表情で表すことも出来ず、トイレに行くことを口実にやっと解放してもらいました。

 老人はその場で、「では、今週末に芦屋の自宅に来てください」と口約束してくれましたので、品定めは合格したのかと思っていたら、翌日になって、急に「貴方の視野が狭いことが分かりました。私は高須藩の末裔です。私の自宅には選ばれた人間しか入れることはできません」と丁重な「お断り」のメールが届いて、そこで目が覚めたのでした。

五島列島 Copyright par Tamano Y ※写真と本文は関係ありません

 嫌な悪夢を見てしまったので、「お口直し」に久しぶりに映画を見に行くことにしました。そしたら、これが最悪だったのです。かなり手厳しく批判するので、この映画の名誉のためにタイトルは秘匿しますが、ハリウッド映画で、主演は往年の美男俳優で今年59歳になりながら、若さを保って頑張っています。しかも、日本人の作家が原作ということで、「これは応援しなければ」ということで、本当に久しぶりに映画館に足を運んだのでした。

 日本の新幹線の列車内を舞台に、主役の「運び屋」と、ヤクザに雇われた殺し屋との壮絶な抗争で、やたらと殺し合いが続き、日本国内なのにマシンガンがぶっ飛ばされ、あり得ない展開です。日本語の看板がやたらと出て来ますが、駅構内に「自動柵」もないし、これらは明らかに日本で撮影されたわけではなく、莫大な製作費を掛けて、大掛かりなセットを作って米国内か何処かで撮影されたものであることがすぐ分かりました。

 笑えないし、怒れない。こんな映画を見て喜ぶ人間がいるんだと思うと呆れてしまいました。全く、お金と時間を無駄にしてしまいました。59歳の初老俳優と日本人作家を応援したいがために見た行為が仇でした。

 いやはや、これからもう少し生き続けるには、嫌なことは忘れてしまうことが肝心です。そして、何よりも、触らぬ神に祟りなし。

世界は笑いを求めている=ベルクソン著「笑い」を読んで

  1970年代のフランス人の大学生François Hautchamp になったつもりで、当時の学生の必読書だった(と思われる)本を少しずつ読み始めています。

 実は、それら必読書とは、私自身が学生時代に読むべきだった本で、当時、遊興に耽って不勉強だったお蔭で読み損ねていた本を、悔悛して読んでみよう、という目論見なのです(苦笑)。

 それに、正直、現代21世紀のフランス人の大学生の必読書とは何か、見当も尽きません。学問の世界でも、流行り廃りがありますからね。

 1970年代ならまだその時代の潮流が分かります。サルトルは健在で現役でしたから、まだ実存主義哲学は廃れていませんでした。当時のフランス語を専攻する学生の気になる著作者は、サルトル、カミュは別格で、レヴィ=ストロース、ミシェル・フーコー、メルロー・ポンティー、バシュラール、ランボー、ヴェルレーヌ、ボードレール、マラルメ、ヴァレリー、古典ならデカルト、パスカル、モンテーニュ、ルソー、ヴォルテール、小説ならバルザック、フロベール、モーパッサン、ゾラ辺りか…。(バルト、ドゥールーズ、ガタリら構造主義は個人的に食わず嫌いでした)

そんなこんなで、第1弾は、アンリ・ベルクソンの「笑い」(1900~24年)にしました。副題に「おかしさの意義についての試論」とあります。新訳も結構出ておりますが、私は、原章二・早大教授訳の平凡社ライブラリー(2016年)を読み進めています。(何だ!原語じゃないんかえ!?)この本には、ベルクソンの「笑い」の他に、ジークムント・フロイトの「不気味なもの」とジャンリュック・ジリボンの「不気味な笑い」の2編も収録されています。ベルクソンとジリボンはフランスの哲学者、フロイトはオーストリアの精神科医ですから、原教授は仏語と独語に堪能だということが分かります。

五島列島 Copyright par Tamano Y

 先ほど、やっとベルクソンの「笑い」を読了できました。笑いに関する哲学的考察ですから、大変難解です。自分自身、全て理解できたとは思えません。その第一の理由は、著者はモリエールを頻繁に引用しているというのに、私自身、「病は気から」も「人間嫌い」も「守銭奴」も「タルチュフ」も「スカパンの悪だくみ」も1冊も読んだことがないからです。「いつか読もう」と作品名だけはしっかり記憶していましたが(笑)。でも、モリエールを読んでいないとなると、著者が盛んに引用するラシーヌやラビッシュは尚更です。

 いずれも戯曲ですが、フランス人ならリセ(高校)の生徒でも、一度は作品や舞台に触れたことがあると思われます。

 結局、日本人である私が、ベルクソン先生が定義する「笑い」から読み解くことが出来たのは、以下の結論部分でした。

 …笑いは絶対的に正しいものではありえない。…笑いの役目は屈辱を与えて脅かすことである。もし、自然が、この目的のために、人間の中の最良の人にさえ、ほんの少しの意地悪さを、あるいは他人をからかいたくなる気持ちを残しておかなかったなら、笑いはその役目を果たすことができないであろう。…

 鋭い指摘であり、慧眼です。現代のように、ポリティカルコレクトが最優先され、格差や差別が糾弾される社会では、耳が痛い話です。が、人間が本来持つ意地の悪さや他人を嘲笑して優越感を味わいたいというズル賢さがなければ、笑いは生じないということなのでしょうね。それは、チャップリンの喜劇にせよ、日本の落語や漫才にせよ、「男はつらいよ」の寅さんにせよ、共通して言えることだからです。

 でも、私のようなへそ曲がりから言わせてもらえば、このように笑いを哲学的にしかつめらしく考察したら、笑えるものも笑えなくなってしまうのではないかと危惧してしまいます。

 とはいえ、日本でも新訳が出るくらですから、この本はいまだに世界中で読まれていることでしょう。世界は、戦争ではなく、笑いを必要としているからだと思います。そう言えば、私自身は、最近、映画もコメディーなければ、わざわざ映画館に足を運んで見る気がしなくなってきました。

松岡將氏と山本悦夫氏が神保町の書店に出店

 満洲研究家兼美術評論家の松岡將氏からメールを頂きました。な、な、な、何と、神田は神保町に「書店」を出店されたというのです。

  仏文学者の鹿島茂氏をプロデューサーに迎え、「本を愛する方でしたら、どなたでも出店可能」ということで、世間的に有名無名関係なく、入会金と月額使用料を支払えば、「パサージュ」と呼ばれる書店の本棚の販売スペースを借りられるというのです。(パリの屋根付き回廊商店街=パサージュをイメージしています)

 そして、何ともまたまた驚くべきことに、松岡將氏の上の本棚が、皆様御存知のガルーダ研究家の山本悦夫氏のスペースになっているというのです。これは大変だ!是非とも現地に行って確かめて見なければ・・・。ということで、本当に久しぶりに神保町に出掛けてきました。

神保町・中華「漢陽楼」

 年を取ると足腰が弱くなり、出掛けるのも億劫になってくるものです(苦笑)。しかし、思い立ったら吉日。今回、神保町を目指したのは、もう一つ理由が御座いまして、牧久氏の最新著書「転生 満洲国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」(小学館)を読んで、周恩来の偉業に感激して、また是非とも、周恩来が日本留学時代によく通ったという神保町の中華料理店「漢陽楼」に行ってみたくなったかったからでした。

 個人的ながら、私は東京都内で一番好きな所を挙げろと言われれば、まず、お茶の水~神保町界隈を挙げます。大好きな街です。世界最大の「本の街」だからです。早速、御茶ノ水駅から歩いて、「漢陽楼」を目指しました。5~6年、いや7~8年ぶりぐらいでしたが、迷わず行けました。しかし、残念。定休日でした。毎週末と月曜日が休みのようです。

 仕方がないので、古書店街に入り、何処に行こうか思案しました。30年前は文藝記者でしたから、毎週1回は書店巡りをして、10冊近く書評用の本を買い込み、昼に、洋食屋の「南海」とか、「さぼうる」とか色々行ったものでした。でも、神保町と言えば、カレーか餃子というイメージが強いです。

 結局、入ったのが、昔からよく通っていた「ラドリオ」という喫茶店。喫茶店といっても、ビールや水割りぐらい呑める「休憩所」です。

「ラドリオ」チキンカレーとアイスコーヒー1000円

 私が入った直後に、「満員御礼」となり、後から来た人は行列をつくっていました。

 私はそこで、チキンカレー(サラダ付)とアイスコーヒーという遅い昼食を取りました。銀座と比べればやはり安いです(笑)。

神保町「パサージュ」

 食事が終わって直ぐ、「現場」に直行しました。「すずらん通り」ということで、ここは、地下鉄神保町駅から三省堂書店に行く道ということで、本当によく利用した通りですから迷子になるわけありません。でも、老舗餃子店が閉店したり、店が結構変わり、雰囲気も変わりました。30年前にすずらん通りを歩いていた人の中には亡くなった方もいらしゃるでしょうから(失礼!)。

 パサージュは、中国専門の有名な「内山書店」の隣りの隣りにありました。

松岡將氏出店の「本棚」

 そして、店内に入り、ざっと見たところ、100か200ぐらいの本棚がありました。(島田雅彦や米原万理、井上ひさしらの本棚もあるようです。)しかし、どういうわけか、自分でも信じられませんが、店員さんに聞く前に、一瞬で、松岡將氏の出店「本棚」を発見してしまったのです。しかも、目立たない一番下の本棚だったというのに…。何か見えないものに引き寄せられる感じでした。(写真撮影は自由でした)

上の棚が山本悦夫氏、下の棚が松岡將氏

 確かに、松岡將氏の本棚の上が山本悦夫氏の本棚になっていました。

山本悦夫氏の出店本棚(1)

 山本氏は、もう一つ、左横にスペースを確保されていました。これは、現場に行かなければ分かりませんでしたね。

山本悦夫氏の出店本棚(2)。渓流斎ブログでもご紹介した「ホーニドハウス」も並んでいます

 それにしても、凄い偶然です。

 でも、あれっ? 松岡將氏と山本悦夫氏と接点があったのでしょうか? 恐らく、以前、10年ぐらい昔、「おつな寿司セミナー」(解散)に松岡氏を無料講師として講演して頂いた際に、山本氏も聴衆として参加されていて、会場でお互いに名刺交換でもされたのではないか、と推測しています。

 それにしても、繰り返すようですが、凄い偶然ですよ。皆さんも、機会があれば、神保町に出掛けて、確かめてみてください。その際、是非、ご購入を(笑)。