非生産的活動の象徴ピラミッドこそ後世に利益を齎したのでは?=スミス「国富論」とハラリ「サピエンス全史」

 読みかけのアダム・スミスの「国富論」を中断して、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」(河出書房新社)を読んでおりますが、下巻の134ページ辺りから、このアダム・スミスの「国富論」が出てきて、「おー」と思ってしまいました(笑)。

 何と言っても、解説が分かりやすい! 「国富論」は超難解で、どちらかと言えば、つまらない本だと思っていたのですが(失礼!)、それは我々現代人が、当たり前(アプリオリ)だと思っていることが、実は、スミスの時代では非常に画期的で革命的思想だということをハラリ氏が解説してくれて、目から鱗が落ちたのです。

 スミスが「国富論」の中で主張した最も画期的なものは、「自分の利益を増やしたいという人間の利己的衝動が(国家)全体の豊かさの基本になる」といったものです。これは、資本主義社会の思想にまみれた現代人にとっては至極当たり前の話です。しかし、スミスの時代の近世以前の古代の王も中世の貴族もそんな考え方をしたことがなかった、と言うのです。

 まず、中世まで「経済成長」という思想が信じられなかった。古代の王も中世の貴族も、明日も、将来も行方知らずで、全体のパイは限られているので、他国に攻め入って分捕ることしか考えられない。そして、戦利品や余剰収穫物で得た利益をどうするかというと、ピラミッドを建築したり、豪勢な晩餐会を開いたり、大聖堂や大邸宅を建てたり、馬上試合を行ったりして、「非生産的活動」ばかりに従事していた。つまり、領地の生産性を高めたり、小麦の収穫を高める品種を改良したり、新しい市場を開拓したりして、利益を再投資しようとする人はほとんどいなかったというのです。

 それが、大航海時代や植民地獲得時代を経たスミスの近世の時代になると、利益を再投資して、全体のパイを広げて裕福になろうという思想が生まれる。(そう、アダム・スミスによって!)しかも、借金をして将来に返還する「信用」(クレジット)という思想も広く伝播したおかげで、起業や事業拡大ができるようになり、中世では考えられないような「経済成長」が近世に起きた。

 現代のような資本主義が度を過ぎて発展した時代ともなると、現代の王侯貴族に相当する今の資本家たちは、絶えず、株価や原油の先物価格等に目を配って、利益を再投資することしか考えない。非生産的活動に費やす割合は極めて低い、というわけです。

 そうですね。確かに、現代のCEOは絶えず、株主の顔色を伺いながら、M&A(合併・買収)など常に再投資に勤しんでいかなければなりません。非生産的活動といえば、50億円支払って宇宙ロケットに乗って宇宙旅行することしか思いつかない…。(しかも、それは個人の愉しみで終わり、後世に何も残らない。)

 勿論、ハラリ氏はそこまで書いてはいませんが、確かにそうだなあ、と頷けることばかりです。「サピエンス全史」は、人類学書であり、歴史書であり、科学の本であり、経済学書としても読めます。しかも、分かりやすく書かれているので、大変良い本に巡り合ったことを感謝したくなります。

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 ただ、私自身はただでは転ばない(笑)ので、ハラリ氏の論考を全面的に盲信しながらこの本を読んでいるわけではありません。これは著者の意図ではないと思いますが、古代の王や中世の貴族らが非生産的活動しか従事してこなかったことについて、著者の書き方が少し批判的に感じたのです。

 しかし、彼らの非生産的活動の象徴であるエジプトのピラミッドやパリやミラノやケルンやバルセロナなどの大聖堂は、現代では「観光資源」となり、世界中の観光客(異教徒でも!)を呼び寄せて、後世の人に莫大な利益を齎しているではありませんか。

 とはいえ、もうアダム・スミスの「国富論」はつまらない、なんて言えません(苦笑)。それどころか、ニュートンの「プリンキピア」やダーウィンの「種の起源」も読まなくてはいけませんね。

チャイコフスキーはもともとチャイカさんだったとは

 東京都内のロシア料理店が、今回のプーチン大統領による蛮行で嫌がらせを受けている、というニュースに接しましたが、銀座の私がよく行く「マトリキッチン」の御主人は「大丈夫です。むしろ(お客さんが)増えたぐらいです」と仰っていました。

 でも、ニュースになるぐらいですから、何処かのロシア料理店が被害を受けているのでしょうね。私が東京都内で一番美味しいロシア料理店だと思っている高田馬場の「チャイカ」は、最近行っていないので、大丈夫かなあ、と心配しています。

 このお店は、恵雅堂出版創業(1950年)者の麻田平蔵氏が、満洲(現中国東北部)の哈爾濱学院第24期生ということで、学生時代にハルビンで食べたロシア料理が忘れられず、日本でもその味を再現しようと、1972年に開店したと聞いています。

 この渓流斎ブログで、恵雅堂出版から上梓された陶山幾朗編著「内村剛介ロングインタビュー―生き急ぎ、感じせくー私の二十世紀 」(2008年7月1日初版)の感想文を書いたことが御縁となり、同出版社のM氏と麻田社長と面識を得ることができまして、M氏らのお導きで何度か「チャイカ」で食事したことがあります。

 このことは何度もこのブログに書いたのですが、小生のミステイクで、2008年8月から2015年10月までの7年間のブログ記事が消滅してしまったので残っていません。同時に、もうあれから14年も経ってしまいましたから、ロシア文学者・評論家の内村剛介氏も、この本を編集された文芸評論家の陶山幾朗氏も、そして恵雅堂出版の麻田平蔵社長も鬼籍に入られてしまいました。

 「チャイカ」の話でした。何度もここで食事していたのに、つい最近まで、その意味を知りませんでした。駄目ですねえ(苦笑)。「かもめ」でした。アントン・チエーホフの名作「かもめ」から取ったのでしょうか。

 つい最近、知ったことは、チャイカというのはウクライナ人の苗字で多いそうです。あの有名な大作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーも、もともとチャイカさんというお名前でしたが、彼の祖父の代にロシア風にチャイコフスキーと改名したというのです。知らなかったなあ。

 チャイコフスキーの祖先はウクライナに領地を持つコサック出身のチャイカさんだったということですから、今の惨状を見たら、大いに嘆き、「悲愴」(交響曲第六番)を超えるような名曲を作曲するかもしれません。

 ちなみに、コサックとは、軍事共同体員のことですから、チャイコフスキーの家系は軍人が多く、父は軍の中佐で鉱山技師、祖父は軍医の助手、曽祖父は初代ロシア皇帝ピョートル大帝の下で活躍した軍人だったようです。

 それにしても、プーチンさん、貴方の好きなチャイコフスキーもきっと怒っていますよ!

プーチンの敗退を「予言」=「サピエンス全史」のハラリ氏ー英ガーディアン紙で

 相変わらず、ユヴァル・ノア・ハラリ Yuval Noah Harari 著「サピエンス全史」(河出書房新社)を読んでいます。今は、下巻の75ページ辺りです。

 彼の著作は、これ以外では、まだ「21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考」しか読んでいませんし、彼が主張することは全て正しい、とまでは思っていません。が、恐ろしいほどよく当たっています。未来への予知力があるのではないか、と思ってしまうほどです。

 彼は、人類歴史学者ですから、あらゆる万巻の関連書籍を読破していて、しかも、それら全てが頭の中にインプットされているようですから、人類が起こした過去の出来事や所作が分かっているだけではなく、これからの人類が仕出かす所業まで推測ができるようなのです。まるで、そこには(歴史的)法則があるかのように思えるので、「当たらずといいえども遠からず」と言った方が正しいかもしれませんが。

 彼は1976年生まれのイスラエル人ですが、頭脳明晰で大変優秀なユダヤ人の優越性を説くわけではなく、時にはユダヤ教を批判したり、イスラム教や仏教に対しても寛容な態度を示したりして(「21 Lessons」)、要するに学者としての中立性を担保しているところが私自身の彼に対する信頼度を高めています。

 となると、現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻について、彼がどんな見解を持っているのか気になりました。

ミモザ

 2月28日付と、ほんの少し古いですが、彼が英有力紙「ガーディアン」に寄稿した記事が見つかりました。ロシア軍が侵攻してまだ4日も経っていない時に書かれたものです。タイトルは「なぜ、既にプーチンはこの戦争に負けたのか」Why Vladimir Putin has already lost this war と、かなり過激です。戦争が始まって3日しか経っていないのに、プーチンの敗退を「予言」しているからです。

 ハラリ氏は言います。「プーチンのロシア軍は全ての戦場で勝利を収めるかもしれない。しかし、戦争で勝利を収めることはない。…他国を征服できたとしても、占領し続けることは難しいー。この教訓は、米国がイラクで、ソ連がアフガニスタンで学んだことだ。…ロシア軍の攻撃でウクライナ人の死者が出る度に、ウクライナ人の侵略者に対する憎しみが深まっていく。この憎悪は心の奥底に刻まれ、何世代にも渡る抵抗運動につながっていく」と。

 そして、「残念なことだが、この戦争は長期戦になるかもしれない。色んな形を取りながら、何年も続くかもしれない。…とはいえ、ウクライナの人々は、新たにロシア帝国の傘下で生きることは望んでいない。このメッセージがクレムリン宮殿の厚い壁を貫いて届くにはどれくらいの時間がかかるのだろうか」と結んでいます。(私訳、意訳も含む)

アヤメ?

 昨日は、ロシア国営の「第1チャンネル」午後9時の看板ニュース番組「ブレーミャ」で、キャスターの後ろで、命懸けで、手書きの「反戦」ポスターを掲げた女性職員がいたことが世界中のニュースになりました。「ロシア軍に対する虚偽のニュースを流した」として禁錮15年の刑になりかねない行為だっため、大変勇気ある行動だったと思います。今、平和な日本ですが、NHKの職員がここまで時の政権に対して反旗を翻す人はいないでしょう。

 でも、先ほどの記事(ロシアによるウクライナ侵攻4日目)の中で、ハラリ氏は「ロシア市民の中で、あえてこの無意味な戦争に反対を表明する人もあり得る」Russian citizens can dare to demonstrate their opposition to this senseless war.と予言している箇所を見つけ、「あ、やっぱり、彼は予知能力がある人だなあ」と驚いてしまったわけです。

 【参考】

 The Guadian : “Why Vladimir Putin has already lost this war”

在日ウクライナ大使館に寄付しました

 これは書くべきかどうか迷ったのですが、先日、戦禍のウクライナ国民のために寄付しました。毎日、ロシアによる卑劣な空爆と攻撃で生命を落とし、隣国へ逃避しなければならないウクライナの人々が気の毒でたまらなくなったからです。

 とはいえ、三木谷さんのように自分のポケットマネーから10億円も寄付するわけにはいきません。無名の庶民ですから、そんな甲斐性がありません(残念ながら)。ほんのわずかな金額です。でも、大海の一滴かもしれませんが、「気持ち」として、寄付することにしたのです。

 さて、何処に寄付したらいいのか?

 最初、名のある国際機関にしようかと思いました。しかし、こういう国際機関に限って、一部幹部連中が甘い汁を吸って、私なんか見たこともないような年俸を獲得しているといいますから、私のわずかな寄付金でも奴らの懐に入ったらたまりません。他に民間団体も寄付活動をしていますが、悪いですが、どこまで明瞭会計で真摯に取り組んで頂けるのか、信用に値する根拠がありません。

 ということで、結局、在日ウクライナ大使館にすることにしました。ここなら、確実に母国に送金してくれることでしょう。同大使館は銀行口座番号を公表しております。

 要するに「気持ち」の問題です。もし日本が他国から侵略されたら、ウクライナの人から支援があるかもしれない、なんて卑しい根性はさらさらありませんからね。

 でも、正直、日本人はこのような寄付行為が苦手です。一番の理由は、組織や団体が信じられないからだと思います。逆に、信じる方がおかしいでしょう?

 ただ、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」によると、現生人類は、7万年前から3万年前にかけて、「虚構」「社会的構成概念」「想像上の現実」を共有することによって「認知革命」が起き、生物界の頂点に君臨することができるようになったといいます。ハラリ氏はこう言います。

 百万長者の大半はお金や有限責任会社の存在を信じ、人権擁護運動家の大多数が人権の存在を本当に信じている。…人権も、すべて私たちの豊かな想像力の産物に過ぎないのだが。

 これは皮肉でも何でもなく、真実ですね。

 人類は、独裁政権を信じているから、独裁者を産んで、勝手し放題させているとも言えます。

 「プーチン大統領、貴方は間違っている。これ以上の殺戮行為はやめなさい」と、もしこの世に神が存在するなら、説諭してもらいたい。嗚呼、しかし、神も人類の豊かな想像力の産物に過ぎないとしたら…。身も蓋もない話になってしまいましたが、生きている限り、希望を棄てるわけにはいきません。

ウクライナの国旗かと思ったら…。駐車場のマークでした Higashi-Kurume City

【追記】2022年3月15日(火)

 希望的観測ですが、遅かれ早かれ、いずれプーチン政権は崩壊することでしょう。

 そんな政治的問題以上に、一番懸念されるのは、ロシアによる非人道的爆撃で、ウクライナ人の生命だけだなく、文化財まで喪失してしまうことです。黒海北部に当たるこの地は、紀元前8世紀から前3世紀にかけてスキタイ文化が花開いた所で、多くの遺跡物が博物館等で収蔵されています。

 これらは、ウクライナだけでなく、まさに世界の人類の遺産です。これらが損傷してしまっては取り返しがつきません。

 ロシア人が、アフガニスタンのタリバンが石仏を破壊したような同じ行為を断行とするとしたら、人類としてとても許せません。

生き延びるための楽観主義のすすめ=北条早雲、藤堂高虎にみる

 ロシアによるウクライナ軍事進攻は2週間以上経ってもいまだに続いています。平気で民間のアパートや病院、保育園などにもミサイルを撃ち込み、子どもや女性ら多くの社会的弱者が犠牲になっています。チェルノブイリ原発などまで占拠しています。狂気の沙汰です。

 まさに、民間人への殺戮であり、戦争犯罪です。それなのに、たった一人の誇大妄想の犯罪者を誰も止められません。 2022年2月24日を期して世界は一変しました。無力感に苛まれ、悲観的になってしまう人も多いと思います。

 そんな時こそ、逆に、あまり落ち込まない方がいいですね。

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 今の時代より遥かに生きるのが厳しく苛酷だった戦国時代に思いを馳せると、意外にも楽観主義者の方が長生きしています。その代表が北条早雲(1432~1519年)と藤堂高虎(1556~1630年)です。早雲は数えで88歳、高虎は75歳まで生きました。「人生50年」と言われた時代です。しかも、戦闘有事の乱世の時代です。当時としては、相当長生きだったことでしょう。

 小田原城主北条早雲は、後北条氏五代100年の礎を築いた人です。戦国時代で最初に下剋上で這いあがった武将とも言われます。謎の多い人物で、88歳ではなく、60代で亡くなったという説もあります。本人は生前、北条早雲と名乗ったことがなく、伊勢宗瑞、もしくは伊勢新九郎の署名が残っています。

 伊勢氏は室町幕府の足利将軍の申次衆(仲介役)を務める家柄で、早雲(と、します)も1483年、52歳で第九代将軍足利義尚(よしひさ)の申次衆を務めます。それが、守護の今川氏の後継者争いが起きたことから、急遽、遠江に下り、姉の北川殿(夫は八代今川義忠)が産んだ龍王丸(後の九代今川氏親、桶狭間の戦いで敗れた今川義元の父)を擁立し、暫定的に守護職に就いていた小鹿範満(のりみつ=今川義忠の従兄弟)を討ち取ります。小鹿範満の背後にいた扇ガ谷上杉家の家宰太田道灌が暗殺されていなくなった隙をついたといわれます。そっかあー、北条早雲と太田道灌は同時代人だったんですね。

 この功績で早雲は1487年、56歳にして興国寺城(静岡県沼津市)の城主となります。これから権謀術数を弄して、まずは93年(62歳)に堀越公方を追放して伊豆を支配し、95年には64歳にして、ついに小田原城主となります。そして、仕上げは1516年、85歳にして相模を平定して、平安末期から続く有力大名である三浦氏を追放するのです。

 早雲はまさに大器晩成だったんですね。長寿の秘訣は、修善寺温泉などでの温泉療法と朝4時に起き、夜8時には寝る規則正しい生活。そして粗食(梅干しを好んだ)のようです。歴史家の加来耕三氏は、早雲の来歴を見て、「何事も気楽に考え、ストレスを溜めない。健康に留意し、重々しく考えず、切羽詰まらない生き方が良かったのではないか」と評しておりました。

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 もう一人の藤堂高虎も実に楽観主義者です。「築城の名人」として、宇和島城、今治城、伊賀上野城、津城(32万石)など20の城を手掛けたと言われるので、城好きの私としては、大ファンです。(是非とも行ってみたい!)

 しかし、高虎は、「世渡り上手」だの「薄情者」だのといった悪評に付きまとわされていました。主君を何度も何度も代えたからでした。でも、よく見ると、それは致し方なかった面があります。最初の主君浅井長政は織田信長に滅ぼされますし、300石の家臣として召し抱えてくれた羽柴秀長(秀吉の弟で、天下統一の立役者)は病死してしまいます。秀吉の家臣になりますが、関ヶ原の戦いでは東軍につきます。これは裏切り行為かもしまれませんが、徳川家康に懸けたということなのでしょう。(ただし、幕末の藤堂家は、恩顧ある徳川家を見限って、薩長主体の官軍に寝返り、「さすが高虎の子孫」と揶揄されたそうな)

 この功績で、藤堂高虎が家康から江戸に与えられた最初の屋敷の地名は、伊賀上野にちなんで上野と付けられたという説が有力です。つまり、東京・上野の本家本元は三重県の伊賀上野市ということになります。

 藤堂高虎は、近江の小土豪の次男として生まれましたから、家督は相続できず、自分の力で這いあがっていかなければなりません。嫌な仕事でも腐らず、最初は無給でも手柄を立てながらのし上がっていかなければなりません。高虎が築城の名人になれたのも、底辺から城づくりの基礎を学んでいったからだといいます。信長の安土城の築城にも参加し、この時、石垣づくりでは定評の石工集団「穴太衆」(あのうしゅう)との交流を深め、今後の城づくりには欠かせなくなりました。これも、嫌な仕事でも前向きに受け入れていったお蔭だったようです。

 これまた、歴史家の加来耕三氏は「藤堂高虎は、190センチ、113キロという体格に恵まれ、明るい性格でした。良い方へ良い方へと楽天的に考える。そうすることによって、物事が良い方向に向かう。高虎は、苦手なことをこなせば、自分の『伸びしろ』になると考えていたのではないか」と想像していました。

 北条早雲と藤堂高虎という歴史に残る人物の共通点は、やはり、楽観主義にあったようです。

※BS11「偉人・素顔の履歴書」の「第19回  主君を7度も変えて出世した戦国武将・藤堂高虎 編」と「第20回  戦国大名の先駆け・北条早雲 編」を参照しました。

※諸説ありますが、藤堂高虎の主君は、7人ではなく、「「浅井長政⇒阿閉貞征(あつじ・さだひろ=長政重臣)⇒磯野員昌(かずまさ=長政重臣)⇒織田信澄(信長の甥)⇒羽柴秀長(秀吉の弟)⇒秀保(秀長婿養子)⇒豊臣秀吉⇒秀頼⇒徳川家康⇒秀忠⇒家光」の11人が有力です。

政商の正体を知りたくなって=武田晴人著「財閥の時代」を読んでます

 一昨日の渓流斎ブログでは、「今、10冊以上の本を並行して読んでいます。」と、偉そうにぶちかましてみました。一番古いのが、もう数カ月かけてチビチビと読み進めているアダム・スミスの「国富論」上下巻(高哲男訳、講談社学術文庫)です。そして、一番新しいのが一昨日取り上げたユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」上下巻(河出書房新社)です。その間に途中で摘まみ読みしている本が8冊ほどあるのですが、若くもないのに、よくもそんなことが出来るものかと思われることでしょう。

 その通りです。

 聖徳太子じゃありませんからね(苦笑)。途中で何のことが書かれていたか忘れ、目もシバシバでぼやけて、腰も肩も痛い。まさに、「少年老い易く学成り難し」です。でも、何を読んでも、辛い人生経験のお蔭で若い頃に分からなかったことが理解できるようになりました。

築地・海鮮料理「千里浜」

 特に40歳を過ぎた中年の頃から、会社員の私自身は、不遇の部署ばかりに塩漬けにされ、冷や飯ばかり食べさせられてきたので、虐げられた人々の苦悩がよく分かります(苦笑)。当時は悲憤慷慨して、ルサンチマンの塊になってしまいましたが、過ぎてしまえば、塩漬けも冷や飯も、なかなか「おつな味」だったと振り返ることができます。途中で何度もおさらばしたくなりましたが、「命あっての物種」です。何よりも、私を陥れた最低な人間たちは、気の毒にも、ことごとく早く亡くなりました。

 私の若い頃は、それはそれは純真でしたから、「転向」だの「裏切り」だのがとても許せませんでした。それだけでなく、「心変わり」も「日和見主義」も「勝馬に乗る」行為も許せませんでした。でも、沢山の本を読み、歴史上の人物を具に見ていけば、誰もが明日の行方を知ることができず、右往左往しながら、人を裏切ったり、出し抜いたり、洞ヶ峠を決め込んだりして生き残っていきます。

 もうこうなれば、「心変わり」も「日和見主義」も「優柔不断」も、現生人類(ホモ・サピエンス)の性(さが)だとしか言いようがありませんね。

 今はたった一人の戦争好きの暴君が世界中を引っ掻き回している時代です。

 若い頃から、人間とはそういうものなんだということを達観していれば、入院することもなく、あんなに苦悩まみれにならなかったものを、と今では後悔しています。

 本日は、武田晴人著「財閥の時代」(角川ソフィア文庫、2020年3月25日初版)を取り上げます。摘まみ読みしている本群の中の一冊です。この本は、国際経済ジャーナリストの友人から勧められましたが、長年疑問に思っていたことが少し氷解しました。

 長年の疑問とは、昭和初期に「5・15事件」や「2・26事件」などを起こした青年将校たちが、何故、あれほどまで財閥を敵視していたのか、ということでした。血盟団事件では、三井合名会社理事長の団琢磨(元福岡藩士、米MIT卒。日本工業倶楽部初代理事長、作曲家団伊玖磨の祖父)が暗殺されています。昭和初期は立憲政友会と立憲民政党の二大政党制で、政友会は三井と民政党は三菱と密接に結びついていたことはよく知られています。

 昭和4年(1929年)からの世界大恐慌の余波と東北地方での飢饉、政治家の腐敗という時代背景があり、一連の事件をきっかけに政党政治の終焉を迎え、軍事独裁国家に邁進する起因にもなりました。

 この本では、財閥の成り立ちについて、幕末(江戸時代)から筆を起こしてくれています。「政商」といえば、今ではTさんやMさんらのように、政官にべったりくっついていち早く情報をつかんで抜け駆けして甘い汁を吸う、狡猾で薄汚いイメージが強いのですが、もともとはそんな悪いイメージはありませんでした。むしろ、明治新政府は、欧米列強の植民地にならないように、「富国強兵」「殖産興業」政策を進め、そのためにも政商が必要で、逆に育成しようとさえしたというのです。

 明治の初め、人口の7~8割は農村に住み、農業に従事していました。鉱山開発や鉄道など工業がほとんどなく、基本的には、政府が農民から年貢・地租を取り、この税金を原資に近代化のための施策を行うことによって民間にお金が流れていくという、著者が造語した「年貢経済」システムでした。(P31)

 当時はほとんど年貢で苦しんでいる人ばかりなので、預金する余力はなく、都市にいる職人たちは「宵越しの金は持たない」気風なので、銀行に用がありません。結局、税金(地租)は商人たちが無利子で預かることができる土壌があったわけです。

 これがまさに「殖産興業」につながるわけですね。

築地・海鮮料理「千里浜」鯖塩焼き定食850円

 政商には、三井、鴻池、住友、小野組、島田組といった江戸時代以来の豪商と三菱(土佐の岩崎弥太郎)、古河(近江の古河市兵衛=小野組の丁稚奉公からの叩き上げ)、安田(富山の善次郎)、大倉(新発田の喜八郎)、浅野(総一郎)といった明治に入って勃興する新興財閥があります。現在残っている財閥もあれば、途中で淘汰された財閥もあります。

 淘汰された財閥の典型は、討幕派に援助してのし上がった小野組と島田組ですが、明治7年(1874年)、政府が清国との開戦に備えた軍事費調達で、官公預金の抵当を全額に増額したために破産に追い込まれます。その一方で、三井は三野村利左衛門が大蔵卿の大隈重信と掛け合って難局を切り抜けます。三井だけ助かった理由については諸説あるようです。

 元薩摩藩士で後に大阪商法会議所会頭まで務めた五代友厚は、染料業の失敗(この時、政府から借り受けた準備金約69万円の返納率はわずか8%!)と北海道開拓使払い下げ事件などで事業が頓挫し、五代家の事業は現在ほとんど残っていないといいます。 

勝鬨橋 隅田川

 この他にも、住友を救った番頭の広瀬宰平や、毛利家から莫大な借金をし続けた藤田組の話など、色んな話が出てきますが、話を簡略するために、私が一番驚いたことを書きます。この渓流斎ブログでは何度も取り上げておりますが、1881年に「明治14年の政変」が起きて、大隈重信が失脚します。(三菱財閥と縁が深かった大隈はその後、東京専門学校=早稲田大学を作ったり、立憲改進党を作ったりします。改進党は、憲政会となり、昭和初期の民政党の源流ですから、民政党と三菱との縁が続いたということなのでしょう。一方の三井は、伊藤博文らがつくった政友会とくっつくようになりますが、初期はどこの財閥も維新政府とべったりの関係です。)

 大隈失脚後の中枢政権を担ったのが、伊藤博文と井上馨です。その下で大蔵卿を務めた松方正義は日本銀行を設立し、この日本銀行だけを紙幣発行銀行とするのです。これは、西南戦争などで過剰に発行された政府紙幣や国立銀行券を回収し、紙幣価値を安定させようという目論見があったからでした。

 国立銀行の「国立」とは名ばかりで、全国に153行つくられましたが、例えば第一国立銀行は、三井と、小野組が出資して設立し、渋沢栄一が頭取を務めたように、れっきとした民間銀行です。それまで銀行券を発行する特権があったのに、その特権が剥奪されては倒産する国立銀行が多かったわけです。

 歴史は、政治上の人間の動きだけを見ていては何も分からないことを実感しました。経済的基盤や資金源、お金の流れといったことも重要です。ということで、私が今並行して読んでいる本群は、必然的に経済や社会科学関係の本も多くなったわけです。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の答え=ハラリ著「サピエンス全史」

 高齢者になったというのに、浅学菲才なため、今でも勉強に追われています。

 私は、学者でもないのに、今、並行して10冊以上も本を読んでいるのです。こんなに勉強している凡夫は、世間広しと言えども、他にいないのではないかと思うほどです(笑)。別に自慢したいから、とか、認めてもらいたいから、こんなことを書くのではありません。電車に乗ると、スマホでゲームをしている人が多く、何か勿体なあと思うだけです。

 動機は単純です。「もっと知りたい」という欲求です。一番知りたいことは、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という命題です。そうです、まさにフランスの後期印象派の画家ゴーギャンがこの命題をテーマにした作品を描きました。

 私もこの命題を知りたいがために、宗教書を読んだり、歴史や哲学書等を読んだりしているのです。

 そしたら、あっさりと答えが見つかってしまったのです。ちょっと古い本ですが、1976年生まれのユヴァル・ノア・ハラリ氏の世界的ベストセラー「サピエンス全史」上下巻(河出書房新社、計4180円)です。「えっ?まだ読んでいなかったの?」と詰問されそうですが、初版が6年前の2016年9月30日です。当時、私は病院から退院して療養生活を送っていた頃で、読書しても頭に入らない時期でした。それ以降に読んでも良かったのですが、何やらかんやら他に優先的に読む本が次々に現れて(今でも)なかなか触手が伸びませんでした。

  今回、天から「Yさんもお読みになったことだし、『サピエンス全史』は必読書ですよ」との声が聞こえてきたのです(笑)。私は本によく書き込みをするので、購入することにしたのですが、今でも書店に売っていて、奥付を見たら、2021年12月30日発行で、何と93刷でした!この本は「全世界で1600万部の売り上げ突破」と帯の宣伝文句にありましたが、この数字を信じれば、ハラリ氏は超が付く大金持ちになったわけですね。どうでも良い話ですが、俗人にとっては受ける話です(笑)。

東京・両国「大江戸博物館」内カフェ「パニーニ・セット」800円

 いつもながら、前置きが長くなりましたが、「我々はどこから来たのか 我々は何者か」でした。答えは、我々はホモ(ヒト)属サピエンス(賢い)という生物で、現代まで唯一生き延びたヒト=人類種だということです。今から135億年前にビッグバンにより宇宙が生成し、45億年前に地球が形成されます。=物理学。38億年前に有機体が出現し、生物が生まれます。=生物学。600万年前までは、ヒトとチンパンジーは同じ祖先で、ここから初めて分化します。

 アフリカでホモ(ヒト)属が進化したのは250万年前。中東と欧州でネアンデルタール人が進化したのが50万年前。我々の祖先であるホモ・サピエンスが東アフリカで進化したのが20万年前で、他のホモ属が滅亡してサピエンスだけが唯一残ったのが、1万3000年前(それまで、共存していたか、襲撃して絶滅に追い込んだかのどちらか)でした。1万2000年前に農業革命が起き、5000年前にエジプトで最初の王国が生まれ、ここから歴史学が始まるわけです。

 ハラリ氏は、はっきりとは書いてはいませんが、これらの事実から読み解くと、我々とは猿から進化したものに過ぎず、しかも、我々の直接の祖先が誕生したのは、地球45億歳から見れば、20万年前というつい最近です。しかも、文明らしい農業が生まれたのが1万2000年前で、人類の歴史なんぞたったの5000年しか過ぎない。

 それなのに、ハラリ氏は「ホモ・サピエンスがこれから1000年後に生き残っているかどうか怪しい」と記述しているのです。これが「我々はどこへ行くのか」の回答になるでしょう。人類も1000年以内に地球上の他の生物(恐竜やニホンオオカミなど)と同様に絶滅する可能性があるというわけです。

 ロシアによるウクライナ侵略と、核兵器使用の威嚇という現在の状況から見ても、「1000年以内に絶滅」というのも、全く絵空事の数字ではないことが分かります。何しろ、ハラリ氏は「私たちは子供を、戦争を好むようにも平和を愛するようにも育てられる」(23ページ)と書いているのです。この本が出版された6年後に起きる「プーチンの戦争」を予言しているかのように読んでしまいました。

東京・銀座のロシア料理「マトリキッチン」 おすすめランチ1100円 店主曰く「嫌がらせはなく、むしろ同情してお客さんが増えた」とか。

 仏教思想に弥勒菩薩信仰があります。釈迦入滅後、56億7000万年後に、弥勒菩薩が兜率天(とそつてん)から下界に降りてきて如来となり、衆生を救済するという思想です。(その間は、地蔵菩薩が衆生を救済、地獄に堕ちた人までも救う)

 逆に、56億7000万年前ともなると、まだ地球さえ誕生していません。地球が出来たのは45億年前、生物が誕生したのでさえ38億年前ですから。となると、この56億7000万年後という仏教思想は実に壮大で深遠ではありませんか。

 ただし、これはあくまでもホモ・サピエンスが考え出した思想です。フィクションかもしれません。人類滅亡を少しでも先延ばしするためにも、まずは手始めに、今、最も身近なロシアによる戦争を止めなければなりません。

ピアノ買っちゃいました=気晴らしのためですが、何か?

  暗い個人的な話ではありますが、昨年は、長年親しかった友人に先立たれてしまったり、理由も分からず没交渉になった友人もいたりして、心に穴が開いてしまいました。正直、何か悪いことしたのかなあ、と自分自身を責めてばかり。心が不安定でずっと落ち込んでおりました。

 少年だったら非行に走れることでしょうが、気の弱い小市民としては、ひたすら、この難局を耐えるか、馬鹿なことをするしかありません(笑)。

 馬鹿なことというのは、今はコロナで旅行もできないし、友人たちと酒盛りも出来ないので、たった一人で、上野の洋食「黒船亭」とか銀座の仏料理「ポール・ボキューズ」とか、目の玉が飛び出そうな高級料理店に行って散財する程度の話ではありますが。

 でも、このまま、ずっと、暗く沈んだ生活を送っていくわけにはいきません。

 そこで、思い切って、電子ピアノ(ヤマハ Pー45)を買ってしまいました。

 ネット通販を見ていたら、急に欲しくなってしまったのです。しかも、天下のヤマハの88鍵なのに3万9700円と実に安い!私が使っている「TUMI」のバックパックが4万円もしましたから、「えっ?バッグよりピアノの方が安いの!?」と思わず、クリックしてしまいました。

 そのピアノは、写真で見ただけなので、大きさも重さも分かりませんでした。安いので、膝にも載せても弾けるおもちゃのようなシンセサイザーかと思っていました。

 そしたら、送られてきて吃驚。幅132.6センチ、高さ15.4センチ、奥行き29.5センチ、重さ11.5キロ。私の書斎の机は結構大きいので、楽勝かと思ったら、とても収まり切れません。箱の大きさだけでも部屋に置けば寝ていられません。

 仕方がないので、専用スタンド(Lー85)も買いました。これが8770円。ついでに、夜間に心置きなく弾けるように、ヤマハの専用ヘッドホン(HPHー50B)も買いました。これが2980円。付属のペダルがとてもチャチで使いにくいので、ハーフペダル機能に対応した専用ペダル(FC3A)も奮発しました。これが3645円。

 これらを合算すると、結局、5万5095円。…あれっ? ネット通販を事細かく見ると、これらのセット料金で5万円以下のものもありました。なーんだ。最初からセットで買えば、安くついたんだあ、とガッカリです。

ジョンとヨーコ(1979年8月、上野・洋食「黒船亭」) ※お店から特別の許可を得て撮影しております

 自宅にピアノがあるのは、20年ぶりぐらいです。最初は、学生の頃、実家に住んでいた時、私はお坊ちゃまですから、両親にお願いして買ってもらいました。ヤマハの「電気ピアノ」でしたが、確か、30万円ぐらいでした。今の価格なら50万円以上の感覚です。学生の身分ではとても買えません。

 ピアノは、幼児ではなく、学生時代から始めた上、独学でしたから全く上達しません。35歳を過ぎてから、先生について習いました。それまで主にビートルズの曲でしたが、今度はクラシックです。ソナチネから始め、モーツァルトの「トルコ行進曲」とかバッハの「インヴェンション第1番」など弾けるようになりましたが、ショパンやリストやドビュッシーともなると、#と♭があまりにも多くて(笑)、全くお手上げ。先生のところには2~3年通ったでしょうか、途中で挫折してしまいました。先生も家庭内の愚痴が多く、あまり情熱がなかったので、少し醒めてしまいました。

 となると、私の家には鬼が棲んでいますから、いつの間にか、ピアノはなくなり、何冊もあった楽譜も消えてなくなってしまいました。

 あれから20年。ついに念願のピアノを再び手に入れたのです!

 しかし、年を取ったせいか、指が動かん!! 

 それでも、今は、楽譜がないので、ジョン・レノンの「イマジン」とか、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」とか、バッハの「インヴェンション」とかを一生懸命に思い出しながら弾いて遊んでおります(笑)。

 3万9700円の電子ピアノですが、デモ曲が入っていたり、「グランドピアノ」だけでなく、「ハープシコード」や「ビブラフォン」「オルガン」など音色も変えられたり、どういうわけかスマホのiPhoneに接続して、何か出来たりするようなのです。

 年を重ねると、もうロックはキツイので、これからは、何かジャズ風の曲を勝手に作って、遊ぼうかと思ってます。

 これで少しは気が晴れるのではないかと思っています。

【追記】2022.3.5

「明日に架ける橋」はもう少しで思い出せそうです(笑)。このピアノは、ポール・サイモンが弾いているかと思っていたら、ラリー・ネクテルという天才ミュージシャンだったことが分かったことを2016年11月25日付渓流斎ブログ「レッキング・クルーのいい仕事」に書いております。併せてお読みください。

 会ったことがない私の祖父髙田正喜は昭和19年9月に40歳の若さで病死しましたが、音楽教師でした。朝から晩までベートーヴェンのソナタなど毎日のように弾きまくっていて、祖母が「ご飯ですよ」と呼び掛けても、「うるさい」と言って聞かなかったそうです。

 ピアノは私ではなく、祖父が弾いているような気がします。

ウクライナ Ukraine  意外な人物

 ロシアによるウクライナ侵略で、目下、2000人以上のウクライナ市民が犠牲になっている、とウクライナ当局が3月2日に発表しています。国際社会は、国際法違反のこの蛮行を黙って見過ごすわけにはいきません。単なる殺戮です。

 日本にとって、ウクライナは遠い異国の地ですが、意外と馴染み深い人がいらっしゃったりします。

 まず、昭和のスポーツ史に名を残す大相撲の横綱大鵬は、白系ロシア人の血を引く、と聞いたことがありましたが、大鵬の父親はウクライナ第2の都市ハリコフの出身だといいます。(ハリコフ市の州の政庁舎など中心部が爆撃され、多数の死傷者を出しているという情報も)

 個人的には、ウクライナといえば、ビートルズの「バック・イン・ザ USSR」という曲です。1968年に発表された「ホワイトアルバム」の最初に収録されたノリが良いロックで、この中で、「ウクライナの女の子には、マジ、悩殺されるよ。the Ukraine girls really knock me out.」とポールは唄っています。特に、ウクライナは美男美女が多いので、英国人でも一目置いていたのでしょう(笑)。

銀座・ベトナム料理「ニャーヴェトナム・プルミエ銀座 」バインミーランチ(バインミーサンドウィッチと海鮮フォー)1150円

 歴史的には、9世紀後半から栄えたキエフ公国がルーツになります。10世紀にウラジーミル大公がギリシャ正教を国教にしたことから、いわゆるロシア正教の総本山となりますが、13世紀から始まるモンゴル族の侵攻で壊滅します。その代わりに、辺境の小国に過ぎなかったモスクワ公国が台頭し、ウクライナに代わりロシア正教の総本山となり、宗教的国家的盟主となるわけです。

 もともと兄弟みたいな国でしたが、ソ連時代は、モスクワのクレムリン政権は、ウクライナを「豊かな穀倉地帯」として搾取しました。特にスターリンは、ウクライナ人を強制移住させて、後に「ホロドモール」と呼ばれる人工的に発生させた飢饉によって1932~33年、400万人以上を死亡させたと言われます。

 この「ウクライナ大飢饉」を映像化したのが、「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(ポーランドのアグニェシカ・ホランド監督作品)という映画で、私も一昨年の夏に観て、渓流斎ブログ2020年8月15日付「『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』は★★★★★」で感想を書いております。

 「兄弟国」と言いながら、ロシア人はウクラナ人を見下しているのでしょうか? そうでなければ、今回の侵略もそうですが、こんな酷いことを出来ないはずです。

有名人に多いウクライナ系ユダヤ人

 また、19世紀から20世紀にかけて、「ポグロム」(破壊させる、という意味)と呼ばれた虐殺により、ウクライナに住む何万人とも言われるユダヤ人が殺害されました。

 となると、多くのユダヤ人がディアスポラ(移民)を余儀なくされます。米国では、100万人近いウクライナ系ユダヤ人が住んでいると言われます。作曲家・指揮者のレナード・バースンスタイン、映画監督のスティーブン・スピルバーグ、俳優のダスティン・ホフマン、カーク・ダグラス、マイケル・ダグラス親子、それに、意外にもシルベスター・スタローン(母の旧姓はラビノヴィッチ)や「ウエストサイド物語」「理由なき反抗」のナタリー・ウッド(本名ナタリア・ザカレンコ)もウクライナ系ユダヤ人だといいます。知らなかった。

 「へー」と思って、調べてみると色々出てきます(笑)。ウクライナ系ユダヤ人の中には、ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ、ピアニストのレオ・シロタとウラジーミル・ホロヴィッツ、作曲家のセルゲイ・プロコフィエフとクラシック音楽界の巨匠を輩出したほか、何と、メキシコで暗殺された革命家レフ・トロツキーもウクライナ系ユダヤ人だったというんですからね。ユダヤ人だったことは知っていましたが、ウクライナ系だったとは!

 何よりも、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ユダヤ系ウクライナ人だといいます。

 日本では、ウクライナ系の有名人として、現在、モデル・タレントとしてテレビで活躍中の滝沢カレンの父親がウクライナ人(生まれる前に既に離婚)だという情報もあります。

 日本に住むウクライナ人は2020年12月現在、1876人(うち女性1404人)で、北方領土に住む全人口の4割程度がウクライナ人だと言われています。ソ連時代、ロシア人によって、ウクライナ人が強制移民させられたのではないか、と勘繰ってしまいますが、単なる個人的妄想で、公式データではありません。

銀座・蕎麦「笑笑庵」新ワカメ蕎麦980円

 本日、久しぶりに文春砲を購入しましたが、この中のトップ記事「プーチン『殺戮の履歴書』」を読みたかったからでした。1953年生まれのプーチンが、KGBに入ったのも、リヒャルト・ゾルゲに憧れていたからだったとは!…。彼の公式自叙伝では、父親は工場労働者で、20平方メートルのトイレもバスも共有だったネズミが出る狭いアパートで苦労して育った「立身出世」の人に描かれています。しかし、プーチンさん自身は認めていない非公式評伝では、父親は工場技師で、副業として秘密警察の工作員をやっていたので、普通の家庭には普及していなかったテレビを持つなどかなり裕福で、郊外に別荘まで持っていたといいます。

 自分の履歴書を嘘でかためて塗り替える有名人は古今東西、数多おりますが、プーチンさんもその一人ではないか、と疑わざるを得ません。

 ※ウクライナの歴史は、3月1日付読売新聞国際面の三浦清美早大教授の記事、「加藤哲郎ネチズンカレッジ」などを、ウクライナ系ユダヤ人に関しては、週刊文春に掲載された町山智浩氏の「言霊USA」などを参照しました。

【追記】2022.3.4

 反戦歌「風に吹かれて」を唄ったボブ・ディランもウクライナ系ユダヤ人でした。

A four of fish に新たな解釈!=ビートルズ「ペニー・レイン」の歌詞

 時間が経つのがあまりにも速すぎます。60歳の1年は、20歳の頃の1年の3倍速く幾何学級数的に過ぎ去っていくと聞いてはいましたが、3倍どころか、30倍速く経過する気がします。

 昨日は2月26日。「キング・カズ」の誕生日かもしれませんが、やはり「2・26事件」の日でしょう。昭和11年(1936年)の事件ですから、もうあれから86年も経ったのです。先日、過去に放送された「NHK特集」の「2・26事件」を再放送していましたが、これが、何と1979年に放送されたものでした。今から43年前に放送されたものです。1979年の43年前は1936年ですから、ちょうど中間点になるのです。

 私からすれば、1979年は結構最近ですが、1936年は生まれていないので遠い歴史の彼方の出来事だと思っていましたが、なあんだ、つい最近と言えば最近だったのです。その通り、1979年の時点では、事件当時の生き残りの方が多くいらして証言されていました。反乱青年将校を説得した上官の奥さんとかでしたが、一番驚いたのは、東京裁判でA級戦犯となった鈴木貞一(陸軍中将・企画院総裁、1888~1989年)が当時健在で、山下奉文らと一緒に反乱軍鎮圧のための策を練ったり、説得したりしたことを証言していました。彼は100歳の長寿を全うしたので、当時91歳。千葉県成田市に隠遁していましたが、とても矍鑠していて肉声まで聴けたことで大いに感動してしまいました。

銀座・ドイツ料理店「ローマイヤー」本日のランチ(鱈のムニエル)珈琲付1100円

 さて、渓流斎ブログ2022年2月25日付「『ペニー・レイン』のA four of fishの意味が分かった!=ポール・マッカートニー『The Lyrics : 1956 to the Present』」で書いた通り、一件落着かと思っていたら、「英語博士」の刀根先生から、新たな解釈のご提案がありました。

 「ペニー・レイン」の a four of は、4人のグループのことでしょう。fish は『新入り』とか『その場に不馴れな者』『餌食』。そういう女の子たちが頻繁にやって来る。『4人』は無論ビートルズの面々に対応しての4人。fishがfish and chips を表しているというより、chipsの代わりにpies を置いている言葉遊び。言うまでもなくジョン・レノンのひらめきでしょう。in summer はどうなんでしょう。開放的で放埒だった女の子(4人が一組の)や自分等4人のその頃の姿、振る舞い…そこに力点があるような…自分はそんなふうに受けとめています。

 fish and chips がどこまでも安直な食べ物であったように、その頃の自分たち4人と女の子たち(の交渉)=fish and finger pies が一種安直であったように思えます。

 ひょっええー、全く想像もしなかった解釈でした。finger pies がリヴァプールのスラングで、「女の子とのペッティング」を意味するとしたら、十分にあり得ます。

 ただ一つ、難点があるのは、この曲がポールの子ども時代の回想だったとすると、まだ4人のグループは出来ていなかったことです。ジョンとジョージは幼馴染ですが、リンゴとはセミプロになった1960年ぐらいからの知り合いですから。

 恐らく、fish and finger pies は食べ物であることは確かでしょうが、歌詞ですから、二重の意味が込められていることでしょう。となると、four が「4人」なのか、それとも「4ペンス分」なのか解釈が別れます。前回書きましたが、4ペンス=17円ではあまりにも安過ぎるので、「4人分」と解釈する可能性も否定できません。

 ポールさん、どっちが本当か教えてください。