裕次郎、ひばり…随分若くして亡くなった有名人=光陰矢の如し

 この渓流斎ブログは、「安否確認」にもなっております。しばらく休載すれば、「渓流斎の野郎、とうとういったか」といった話になりかねないので、無理して毎日、更新するようにしています。それでもどうしても空くことがあります。「題材がない」「気力がない」「書くほどの価値がない」といった理由ですので、どうか一つ、その辺は斟酌、もしくは忖度して頂ければ幸甚で御座います(笑)。

 本日の主題は「光陰矢の如し」です。振り返れば、40歳ぐらいまでは時間がゆっくり流れていたと思っていましたが、40歳を過ぎると、あっという間です。いわゆる幾何学級数的速さで時間が飛んでいき、私も本当に、気がついてみたらあっという間にお爺さんになってしまいました。「浦島太郎」の話は実話だったんじゃないかと思うほどです。

 年を取ると、若い時に、随分年長で、お爺さん、お婆さんに思えた有名人の皆さんがかなり若かったことに気がつきます。それに、既に、とっくに彼らの年齢を越えてしまったりしています。

 昭和の大スターだった石原裕次郎は行年52歳、美空ひばりも同じ52歳です。それを言えば、エルヴィス・プレスリーは42歳、ジョン・レノンは暗殺されたとはいえ、40歳の「若さ」です。

 今の若い人は知らないでしょうが、私が中学生ぐらいの頃、往年の女優浪花千栄子は、晩年にオロナミン軟膏のコマーシャルに出ていたお婆ちゃんというイメージがありました。(「浪花千栄子で御座います」)それが亡くなったのは66歳だった、と今では簡単に調べられますから、「えっ~!?」と大袈裟に驚愕しました。今の女性の66歳は若いですからね。「お婆さん」なんて絶対に言わせないでしょう。

 ついでながら、浪花千栄子が、何でオロナイン軟膏のCMに採用されたのか? それは彼女の本名が、「南口(なんこう)キクノ」だったから、というまことしやかな都市伝説を聞いたことがあります(笑)。

大興善寺(佐賀県)

 作家でいえば、文豪の夏目漱石は49歳、自殺したとはいえ、芥川龍之介は35歳、太宰治は38歳、三島由紀夫は45歳。短命とはいえ、彼らは天才ですから、100年、1000年と読み続けられる作品を残しました。

 驚いたのは、私も面識がある、といいますか、取材でお会いしたことがある作曲家の武満徹さんです。当時は随分年配の方に見えましたが、調べ直してみたら亡くなったのが、まだ65歳だったとは!「随分、若くして亡くなられたんだ」と改めて驚きました。同じ作曲家の芥川也寸志も何と63歳、黛敏郎も68歳と古希も迎えずに亡くなっていました。

 私の母校の海城高校のお近くに住んでいたお笑い「てんぷくトリオ」の三波伸介はまだ52歳だったんですね。1982年に亡くなっているので、あれほど一世風靡した有名人でしたが、今の若い人は知らないかもしれません。

 そして、演歌歌手の藤圭子は、亡くなったのは、まだ62歳の若さでしたか。。。若い人は彼女を知らなくても、宇多田ヒカルの実母だと言えば、分かるかもしれません。藤圭子の両親は旅回りの浪曲師、本人は演歌で、娘のヒカルはJーPOPと、まさに絵に描いたような日本の歌謡芸能史の変遷です。「歌は世につれ 世は歌につれ」です。年を取ると、こうして二代、三代に渡って、芸能史を目の当たりにすることが出来、「俺は、音羽屋は先代の六代目から観ているだ」なんて自慢できたりするわけです。

 毎日、元気がない、気力もない日々が続きますが、「年を取るのも悪くない」と思えば、しめたものです。

行動遺伝学とは何か?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する」は読み応えあり 

 数日前から少しずつ橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書、2023年11月10日初版)なる本を読んでいます。有楽町の三省堂書店にNHKラジオのフランス語のテキストを買いに行って、ついでに書棚を覗いていたら、偶然この本が見つかったのです。まさに、セレンディピティ(思い掛けぬ幸運)かもしれません。

 この本は、三省堂有楽町店の新書部門で第1位を獲得していたので目立つ所にありました。中をパラパラめくっていたら、こんな文章に巡り合いました。(ちなみに、この本は、「言ってはいけない」などで知られるベストセラー作家の橘氏と、「能力はどのように遺伝するのか」を今年出版した行動遺伝学者の安藤慶大名誉教授との対談で構成されています。)

 病気になったり、近しい人が亡くなったり、強盗に遭うなど、一般的に運が悪かったとされる偶然の出来事と、離婚や解雇、お金の問題など、本人にも責任があると見なされる出来事を比較したところ、偶然の出来事の26%が遺伝で説明でき、本人に依存する出来事の遺伝率30%と統計的に有意な差はなかった。(14ページ)

 えっ?どういうこと???  次にこんなことが書かれています。

 よく考えてみると、病気には遺伝が関わっているし、…強盗に遭うのは確かに運が悪かったのでしょうが、危険な場所にいたり、目立つ行動をとったりしたのが原因だとすれば、そこにも遺伝の要素がある。知人が交通事故に遭ったら、「運が悪かったね」と同情するでしょう。でもそれが信号を無視して横断歩道を渡ろうとしたり、無理な追い越しをしようとして起きたら単なる偶然とは言えない。そう考えれば、私たちの人生の全てを遺伝の長い影が覆っていて、そこから逃れることができないのではないでしょうか。(15ページ)

 この渓流斎ブログを長年お読み頂いている皆様はご承知かと存じますが、私は色んなことに好奇心を働かせております。そのうちの一つが、「人間は、遺伝で決まるのか、育った環境によって決まるのか」といった難題です。俗に言う「氏(うじ)か、育ちか」、「生まれつきか努力か」、Nature or Nurture? です。だから、これまで苦労して人類学や進化論に関する書籍を読んできたのです(苦笑)。

 でも、我思うに、もしこれが、AかBかの二者択一問題だとしたら、日本人は圧倒的に「氏」を尊重してきた民族だと言っても良いのではないでしょうか。天皇制にしろ、武家社会にしろ、現代政界にせよ、芸能の歌舞伎の世界にせよ、「世襲」を重んじてきたからです。

大興善寺(佐賀県)

 この本では、作家の橘氏が、行動遺伝学者である専門家の安藤氏に質問を投げかける形で対談が進んでおりますが、博覧強記のお二人ですから、私なんか全く知らなかった多くの文献を引用されています。例えば、行動遺伝学の大御所ロバート・プロミンは、著書「ブループリントーDNAはどのようにして、私たちが何者であるかをつくりあげるのか」を出版し、遺伝子レベルで行動遺伝学の知見が証明されたと「勝利宣言」したといいます。 

 また、行動遺伝学の大立者エリック・タークハイマーは「行動遺伝学の3原則」(原則1:人間の行動形質は全て遺伝の影響を受ける。 原則2:同じ家庭で育ったことの影響は、遺伝の影響よりも小さい。 原則3:人間の複雑な行動形質に見られる分散のうち、相当な部分が、遺伝でも家族環境でも説 明できない。)を提唱し、この3原則が今や、行動遺伝学の基本中の基本になっているようです。

 そんなことを急に言われても、何のことを言っているのか分からないと思いますので、そもそも行動遺伝学とは何かと言いますと、知能や性格を含めて、あらゆる行動や心の働きが遺伝の影響を受けるというのが原則だという学問です。おおよそですが、知能は60%ぐらい遺伝子の影響を受け、「協調性」や「外向性」や神経質」などの性格は、30~40%遺伝によるというものです。行動遺伝学は、主に、双生児(一卵性、二卵性)の方々を長年追跡して科学的知見を追究していきます。

 そこで、この本は、まさに「遺伝か環境か、どちらなのか」の議論が展開されています。1冊の本になるぐらいですから、色んな所見が出てきて面白い読み物になっていますが、なかなか結論は出てきません。色んな要素が複雑に絡み合っているからだというのです。結局、ヒトは、遺伝と環境の要素を50%ずつ受けているのが正解なのでしょうが、「30%の遺伝でも多いと言えばかなり多い」「偶然であっても、遺伝的に必然だったかもしれない」などと言われると、こちらも思わず頷いてしまいます(笑)。

大興善寺(佐賀県)

 さらに言えば、例えば、私は、電車やバスや職場などで嫌~な奴に遭遇することがあるのですが、彼ら本人だけが悪いのではなく、生まれつきの遺伝の産物なんだと思うと、あまり腹が立たなくなるんですよね(笑)。

 「病気になったのは遺伝のせい」「学力がなく、年収が低いのも全て遺伝のせい」ということにすれば、大変気が楽になりますが、この本をじっくり読めば、行動遺伝学はそこまで結論づけて断定的に言っていない、ということになっています。「じゃどっち何だ!」と思う方はこの本を読むしかないでしょう。そして、自分自身で納得する結論を引き出したらどうでしょうか。

そうだ、何歳になっても数学を勉強しよう=永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」

 渓流斎という人は勤勉で生真面目な人間なので、目下、数学を勉強しています。大学は文系でしたので、高校卒業以来約半世紀ぶりの学習です。社会人になっても、数学は全くと言ってもいいほどほとんど使いませんでした。せめて使うとしたら算数ぐらいでしたから、すっかり忘れてしまいました。

 国立の文科系大学を受験したので、数学はⅡBまで必須でした。あれだけ、微分積分の問題を苦しみながら解いたのに、悲しいかな、やれば思い出すでしょうが、忘れてしまいました。それどころか、二次方程式の解の公式すら忘れているのです。

{\displaystyle ax^{2}+bx+c=0\quad (a\neq 0)} の解の公式は

{\displaystyle x={\frac {-b\pm {\sqrt {b^{2}-4ac}}}{2a}}}

 となりますが、全く記憶にないほどです(苦笑)。この公式は中学3年で習うといいますから、中学生の時、よほどサボっていたことになります。思い起こせば、中学生の時、私はグレていたので確かにその通りです(笑)。

 今、世界ではロシアがウクライナに侵攻し、イスラエルがガザ地区に報復の大量殺戮を行い、戦争が絶えることがありません。それに対して、無力感に浸っているのは私だけではないと思います。国連を始めとした国際機関の働きも無力で、大国の米国は逆に戦争を容認するか、むしろ煽っている状況です。

 文学も音楽も美術も映画も演劇も戦争を止めることが出来ません。もう絶望するしかありません。そこで救いを求めたのが(宗教ではなく)数学でした。数学的思考形態を脳髄に刷り込ませよう、と思ったのです。

 その数学の前にイーロン・マスクさんを見習って、感情をシャットダウン出来ないものか模索しました。私は大変涙もろいので、ウクライナのブチャでの虐殺や、本来なら病人やケガ人を治療するガザ地区のシファ病院が空爆されたり地上戦で子どもたちに死者が出たりする映像を見ただけでも、涙が止まらなくなってしまいます。なるべく、感情的にならないようにしましたが、修行が足りないせいか、やはり、心を痛めてしまいます。

銀座1丁目「舞桜」 舞桜御膳1000円

 数学的思考とは何か? ーたまたま、目にした本に明晰に書かれていました。その本は「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」(NHK出版新書、2022年4月10日初版)という本です。著者の永野裕之氏は言います。

 社会に根ざした学問の場合、非常に似通ったケースであっても、一方は正しく、他方は正しくないということがあり得ます。グレーゾーンのような領域が多々あり、判断が難しいのです。その点、数学にはそういった玉虫色の結論がありません。いつでも白黒がはっきりするので明瞭です。

 私はこの節を読んで目から鱗が落ちる思いでした。勿論、現実世界はそう単純ではありませんから、神さまがいて白黒をはっきりさせて悪者を退治してくれるようにはなっていません。ただ、著者の永野氏は、数学を学ぶことによって「論理的思考力」、言い換えれば「問題解決能力」を養うことが出来ると力説しています。

 なるほど、その通りですね。先日、フランスの格言に「明晰でないものはフランス語ではない」というものがあることをこのブログでご紹介しましたが、この伝でいきますと、「明瞭でないものは数学ではない」ということになります。

 数学は確かに数式を多用して問題を証明する学問ですが、論理的に証明する学問でもあります。例えば、「集合」論では、「ある命題の真偽と、その対偶の真偽は一致する」という定理があります。命題とは、真偽を客観的に判断できる事柄のことで、対偶とは、その命題の「逆」の「裏」から作られたものとなります。つまり、「pならばqである」という命題の対偶は、「qでないならばpではない」となります。

 例えば、「天才でなければピカソではない」という命題があったとしたら、その対偶は「ピカソであれば天才である」となります。天才という定義は難しいですが、ピカソは天才なので、「命題と対偶の真偽は一致する」ことになるわけです。

 このほか、本書では「背理法」による証明も出てきますが、対偶と同じように数の計算式は出てきません。まさに論理的思考力を養う学問と言えます。

 この本は、まだ半分しか読んでいませんが、108ページ辺りからデカルト(1596~1650年)が登場してきます。私は学生時代、デカルトを卒論のテーマにしようとして、「我思う故に我あり」で有名な「方法序説」だけは原書で読み、「省察」や「情念論」なども読みましたが、難解過ぎて理解できず、とうとう途中で挫折してしまいました。そのせいか、デカルトが哲学者であるのと同時に優れた数学者だったことを忘れるところでした。この本では、座標軸を発明したのはデカルトだとはっきり書かれております。

 デカルトは、意味が抽象的になる短所を持つ代数学に、意味が具体的になる長所を持つ幾何学を導入して座標軸を発明したといいます。例えば、二次関数の代数を、幾何学でグラフ化(図形的に関数が変化する様子を表す)することによって意味を分かりやすくしたというのです。(私はこのブログにグラフを書くことが出来ないので、分かりづらいかもしれませんが、堪忍してください。)

 なるほど、デカルトは偉い。哲学と数学は矛盾するわけではないことを証明したような人だったとも言えます。

フランス語は18世紀でも人口の20%しか話されていなかった!

 いい年こいて、いまだに身に付かないフランス語を勉強しています。専らNHKのラジオ講座「まいにちフランス語」ですが。

 今放送されている応用編「フランコフォニーとは何か」(講師は西山教行、ジャンフランソワ・グラヅィアニ両氏)は、知らなかったことばかりで大変勉強になります。

 フランス語を勉強した人なら誰でも知っている格言があります。

 Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.(明晰ではないものはフランス語ではない。)

 18世紀のフランスの啓蒙主義作家アントワーヌ・ドゥ・リヴァロールの言葉ですが、確かにフランス語は文法がしっかりしていて、英語のような、どっちにでも意味が取れそうな曖昧さは微塵もありません。大袈裟な!

 そのせいか、フランス語は今より遙かに国際語として通用していました。フランス語を日常的に使っていた有名な外国人は、プロイセン(ドイツ)のフリードリッヒ2世、ロシアのエカテリーナ二世女王、米国の政治家・外交官ベンジャミン・フランクリン(仏語ではバンジャマン・フランクランと読みます)、女性遍歴で有名なイタリア・ベネツィアの作家カサノヴァらです。欧州全体でフランス語が使われていたのです。

 いや、これはさほど驚くべきことではありません。私が何よりも驚いたのは、18世紀のフランス本土で日常的にフランス語を使っていたのは、全人口のわずか20%しかいなかったという史実です。フランス語を使用していたのは、フランス王権のあるパリ近辺のイル・ド・フランス地方や北部のピカルディ地方などです。当時、83県のうち、15県しかなかったといいます。残りの80%はそれぞれの地域の言語ー例えば、バスク語やブルトン語やコルシカ語などを使っていたのです。

 そう言えば、日本だって、19世紀の江戸時代までは地域語が日常語であり、恐らく津軽藩と薩摩藩との間では言葉が通じなかったと思われます(笑)。

タコス・パーティー

 フランスではフランソワ1世(1494~1547年)が1539年、ヴィレル・コトレの勅令を発布し、行政、司法、教会等の文書をこれまでのラテン語からフランス語にするよう取り決めました。この勅令は、現代フランスでも有効といわれる最古の法とも言われますが、実質的な効力ではなく、象徴的な面が強いといいます。実際、2014年、当時のエロー首相は、閣僚が英語を多用しないようにこの勅令を参照したそうです。

 このように、16世紀にフランス語は公用語になったとはいえ、18世紀末になってもフランス語を話せるのは国民のわずか20%しかいなかったというのは、驚くほかありません。「まいにちフランス語」講師のグラヅィアニ講師によると、フランス語が仏全土に行き届くのは、19世紀の第三共和政(1875~1940年)になってからで、初等教育が義務化され、農村人口が都市に流れ込み、ラジオやテレビが普及してからだそうです。ただし、フランスとスペインに居住するバスク人の間でバスク語を使う人は300万人おり、フランスでバスク語しか出来ない人は現在でも2万人いるそうです。

 私はバスク人には大変興味があります。日本人なら誰でも知っている日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはバスク人ですし、仏作曲家のモーリス・ラヴェルも、キューバ革命のチェ・ゲバラ(アルゼンチン人)もバスク人だと言われています。

 何と言っても、スペインのバスク地方の街サン・セバスチャンは映画祭で有名ですが、何と言っても、三つ星のミシュラン・レストランが世界的にも多いグルメの街として知られていますからね。嗚呼、一度、行ってみたい!!

芸能事務所とマスコミと財界のゴールデントライアングル=「週刊ダイヤモンド」の「ジャニーズ帝国 最強ビジネスの真実」特集

 毎週月曜日発売の「週刊ダイヤモンド」11月18日号(880円)が「ジャニーズ帝国 最強ビジネスの真実」特集を展開していたので、思わず購入してしまいました。これでも、私は、かつて芸能担当記者を務めたことがあり、仕事としてその筋とは大いに関わっていたからです。

 ジャニーズ事件に関しては、薄々噂で知っていながら、ジャニーズ所属タレントを多く起用したマスコミも批判対象になりましたが、その具体例も書かれていました。その前に財界人を代表するサントリーの新浪剛史社長(経済同友会代表幹事)が痛烈に酷評して、自社CMからジャニーズ・タレントの起用から撤退しましたが、何となく自家撞着のような気がしています。それに、財界が全く批判の対象にならないこと自体がおかしいのです。

 つまり、テレビなどのマスコミでジャニーズ・タレントの出演が多くなればなるほど、露出度が増し、それが人気となり、テレビは視聴率を稼げる。お陰で広告主(スポンサー)からの収入も増える。スポンサーはスポンサーで、視聴率が高い番組に自社製品の宣伝を繰り返して売上増の恩恵を受ける。つまりは、財界は、マスコミとジャニーズを大いに利用していることになるからです。

 今回の事件は、芸能事務所とマスコミと財界とそれに、監督官庁である政官界を含んだエスタブリッシュメントが、排他的な鉄壁の独占禁止法に触れかねないカルテルを、阿吽の呼吸と同調圧力とその場の空気で「何となく」契約書なしに結ばれていたという「不都合な真実」があったということになります。

 さて、その旧ジャニーズ事務所とマスコミとのズブズブの関係が同誌の49ページに具体的に書かれています。大河ドラマ「風林火山」や朝の連続テレビ小説「ほんまもん」などを手掛けたNHKの元理事若泉久朗氏はジャニーズ事務所に「役員待遇で迎え入れられた」。フジテレビの中野由美子プロデューサーは、看板ドラマ「月9」で、嵐の松本潤を主演に起用した「ラッキーセブン」などを手掛け、2018年に出向し、その後、事務所本体と子会社の取締役を務め、関係が深いレコード会社のソニー・ミュージックエンタテインメントの役員を務めた小俣雅充氏も本体を含めて子会社3社の取締役を務めているといいます。

 これらは、まさに大企業が、霞ヶ関の官僚を天下り先として受け入れる態勢と瓜二つです。全く同じと言っても良いでしょう。お互い、ウインウインの関係なのです。

 そうそう忘れるところでしたが、タレントのカレンダー売り上げも馬鹿にならず、大手出版社9社との利権構造も明らかにされています。第1位は、マガジンハウスでKIng&Princeのカレンダーで9億5454万円、第2位は講談社(Snow Man)で9億0133万円、第3位は小学館(なにわ男子)で5億0789万円になっています。ジャニーズ帝国批判キャンペーンを行っていた「週刊文春」の版元文藝春秋は、カレンダー利権に預かっていませんでした。その一方、あまりジャニーズ批判をしない「週刊新潮」の版元新潮社は、SixTONESのカレンダーの利権で3億5497万円の売り上げがあり、第4位に食い込んでいました。道理で、週刊新潮はジャニーズ批判の舌鋒が鈍いはず。これで理由が分かるということです。

 逆に週刊文春がジャニーズを批判できたのは、カレンダー利権に預からなかったから、とも言えます。

 実は、私は芸能記者から離れて大分経ち、「Kis-My-Ft2」が読めないどころか、メンバーも誰一人知らず、顔と名前が一致しないことを告白しなければなりませんが、同誌の「巨大帝国のビジネスモデルとカネ」を読むと、その巨額さには圧倒されるばかりでした。こんな感じです。

・2022年のコンサートの興行収入は498億円(第1位は、KIng&Princeの60億3000万円)

・ファンクラブの年会費通算200億円超(各グループに付き入会金1000円、年会費4000円)

・隠れ資産「ジャニーズ不動産」=都心13物件で530億円(東京・港区赤坂の本社ビル、渋谷区神南のParkway Square、新宿区百人町の東京グローブ座など)。賃貸収入は年間15億円超。

(数字はいずれも推定評価額)

 さすが経済誌だけあって、よく調べております。

 ジャニーズ事務所の消滅後の今後の日本の芸能界はどうなるのか? 同誌52~53ページには「芸能事務所の相関図」が描かれています。これは芸能記者にとって必須のマル秘情報です。でも、恐らく、関係者に止められていると思われますが、相関図には芸能事務所の代表者名やその大本のことまで書かれていません。私はかつてレコード大賞の審査員をやったことがあるため、裏社会との繋がりまで熟知してしまいましたが、衆人監視のこのブログなんかに書けるわけがありませんよ(苦笑)。

 ジャニーズ事件はいわゆる氷山の一角であり、芸能界はもっともっと奥が深いのです。

広告というものは商品が売れないから宣伝する=東武バス「ラブリーパス」

  ムフフフフ…全く個人的でローカルな話ではありますが、シニア向けながら、格安のバス定期券を買っちゃいました。東武バスの「ラブリーパス」というものです。昨年12月から発売開始されたようですが、ほとんど宣伝をしていないので全く知りませんでした。早く言ってよお~です。

 何しろ、私が利用している東武バスは、220円区間の6カ月の一般通勤定期が5万3460円なのですが、このラブリーパス(半年で2万5000円、1年で4万5000円)を使えば、東京都と埼玉県を走る東武バス(東武スカイツリーライン、東武東上線などの駅周辺が多い)が何処でも乗り放題なのです。東武バス日光は遠距離なので、運賃の半額で利用できるようです。

 私は、このラブリーパスのチラシを、たまたまバス車内で見つけましたが、その存在すら知りませんでした。本当に、早く言ってよお~です。広告というものは商品が売れないから宣伝するのです。このような「お得情報」は絶対に派手に宣伝したりしませんからね(苦笑)。

 でも、東武バスさんは、民間企業なのに、凄い大盤振る舞いだと思います。例えば、京都市なんかは、行政が率先して、市バス等の利用に関して、市民にフリーの「老人パス」いや「敬老乗車証」を発行すると聞いたことがあります。老人になると家に引きこもりがちになり、病気になって医療費が嵩むことから、出来る限り、老人の皆さんには外出してもらって健康維持を図ってもらいたいという目論見です。つまり福祉政策です(交付開始年齢は70歳から75歳まで生年月日によります。また、負担金は0円から4万5000円まであり、所得によります)

 京都にお住まいの元気の良いAさんなんか、以前、このフリーパスを購入し、「年間15万円分ぐらいバスに乗ったから十分採算は取れた」と話していたことを思い出します。

 私も週末は、このラブリーパスを使って、隣駅まで買い物に行ったり、自宅近辺を散歩する際、少し遠くにまで出掛け、疲れたら気楽にバスに乗って帰ろうかとも思ってます(笑)。

「尾崎秀実が育った台湾の話」「ヴーケリッチの取り調べに当たった特高外事課主任警部の話」「ゾルゲのオペラの話」=第4回尾崎=ゾルゲ研究会

  11月9日(木)は会社を休んで、東京・霞ヶ関の愛知大学東京オフィスで開かれた「第4回尾崎=ゾルゲ研究会」に参加して来ました。

 ゾルゲ事件の中心人物である尾崎秀実が育った台湾の話、ヴーケリッチの取り調べに当たった当時の特高外事課主任警部の話、そしてゾルゲのオペラの話とメニューがかなり盛沢山で、正直、頭の整理が追い付かず、後で、配布して頂いた資料を読み返して何となく分かるといった感じでした(苦笑)。

第4回尾崎=ゾルゲ研究会

 最初に登壇されたのは、尾崎=ゾルゲ研究会事務局長の鈴木規夫愛知大学教授で、演題は「尾崎秀実における台湾」でした。事前に発表されたレジュメでは、「尾崎秀実は誰であったのか、その生育環境となった台湾というロケーションを巡って考える」ということで大いに期待したのですが、途中でオンラインの人からの雑音や、オンライン参加者の巨大な顔のアップや、「早口で、画面の文字が小さいのでよく読めませーん」などといった抗議がオンラインから何度も入ったりして、集中できず、内容を理解することが出来ませんでした。後から資料も読み返しましたが、同じで、やはりあまり理解できませんでした。

 講演の「むすびに」では、「尾崎たちの、この地上の『愛国』を超えた異なる次元の故郷を見出す魂は、聖ヴィクトリ・フーゴーの『故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。…』という精神的超越性と寛容を象徴するアフォリズムを想起させずにおかない。その出所は恐らくはさらに遡り、イブン・フィーナーの『空中人間』へも至るのであろうが、偏狭なナショナリズムからも逃れ、ディストピアへ迷い込まないためにも、尾崎たち『複雑な』コミュニストのユートピアへの道を再び探るべきなのではないか。」などと結論付けられていましたが、こちらの頭が悪いせいで、残念ながら理解できませんでした。もっと勉強して出直します。

愛知大東京霞ヶ関オフィス

 次の登壇者は、北海道新聞の大澤祥子記者で、演題は「曾祖父鈴木富来のゾルゲ事件捜査記録をみつけて」でした。道新の夏の企画に「記者がたどる戦争」があり、大澤記者は今春、埼玉県の祖父の自宅で、曾祖父の私家版の遺稿集(非売品)を見つけ、その中に「ゾルゲ事件捜査記録」が出てきて吃驚。曾祖父鈴木富来(1900~85年、85歳で死去)は戦時中、特高に在籍しゾルゲ事件に関係していることまで伝え聞いていなかったからでした。

 そこで、大澤記者は、このゾルゲ=尾崎研究会の代表でもある加藤哲郎一橋大学名誉教授に遺稿集の「鑑定」を依頼したところ、とてつもない歴史的価値がある資料だということが分かり、北海道新聞の今年8月11日から3回に渡って連載記事を出稿したのでした。

 「鈴木富来 遺稿集」は富来が亡くなった後の1986年に、富来の長男が編纂したものでした。鈴木富来は戦後、公安調査庁などで勤務していましたが、戦前は警視庁特高警察部外事課に勤務し、ゾルゲ事件では、同課欧米係の捜査主任警部として、中心人物の一人であるブランコ・ブーケリッチの捜査に当たった人でした。クロアチア出身のブーケリッチはパリ大学を卒業し、7カ国語に堪能で、ユーゴスラビアのポリティカ紙特派員として1933年に来日し、仏アヴァス通信の東京駐在記者も勤めながら諜報活動をし、41年に逮捕され、45年に網走刑務所に服役中に40歳で病死した人でした。その間、東京・水道橋の能楽堂で知り合った山崎淑子さんと再婚し、子息洋さんを授かっています。(最初の妻エディットとの間の長男ポールさんは今年10月に91歳で豪州で亡くなりました。)

 鈴木富来の曾孫に当たる大澤記者ら遺族にとって、一番気掛かりだったことは、悪名高い特高ゆえ、曾祖父がヴーケリッチを取り調べた際に拷問したのではないか、という疑惑でした。しかし、そのようなことはなかったという結論に達したことは、遺稿集を鑑定した加藤氏も断言しておりました。特高の中でも外事課は外国人被疑者を扱うため、日本人より極めて優遇し、遺稿集の20ページには「(当時の日本人留置者は1食30銭だったのに)食事は1日3食で5円の洋食。取調室にはストーブを焚かせた。上司の命令もあって自白の強要とか拷問とか行われた事実は全くなかった」という記述もあるほどです。(ただし、ブーケリッチの子息である山崎ブーケリッチ洋氏は現在、セルビアにお住まいで、大澤記者とのメールのやり取りの中で、極寒の網走で正座させられたりしたことは拷問と同じ、等と反論されたようです。)

 何よりも、遺稿集では「ゾルゲ諜報団事件発覚の端緒となったのは北林トモの検挙が事実である」とし、元日本共産党政治局員だった伊藤律が端緒になったという説は誤りで、「伊藤律は満鉄調査部で尾崎と同じ職場で働いていたことは事実だが、尾崎をスパイだと知っていた証拠はない」とまで書いています。「伊藤律ユダ説」は戦後長い間、尾崎秀実の実弟で評論家の尾崎秀樹や松本清張らによって主張されていましたが、近年になって「偽りの烙印―伊藤律・スパイ説の崩壊」(1993年)の著書がある渡部富哉氏や伊藤律の子息である伊藤淳氏らの粘り強い調査で「冤罪」であることが証明されましたが、この1986年の非売品である遺稿集が、同年に世間に公表されていたら、伊藤律(1913~89年)が存命中に名誉回復されていたかもしれません。

新橋駅前 古本市

 最後に登壇されたのは、ベルリン在住の国際的ピアニスト、原田英代さんで、演題は「オペラゾルゲをめぐって」でした。私は不勉強で、ゾルゲのオペラがあることは知りませんでしたが、この作品は原田さんの義父に当たるオスカー・ゲイルフス(1933~81年)が8年かけて作曲し(台本はカザフスタンの詩人オルシャス・スレイメノフ)、1975年に初上演されたものでした。(資料では、ゲイルフスがハイルフォスになったり、ハイルフェスになったりしてますが、一応、ゲイルフスを採用します。)

 ゲイルフスは大変複雑な生涯を送った人で、いわゆるロシア・ドイツ人と呼ばれる民族の末裔としてソ連のオデッサ近郊で生まれ、1941年の独ソ戦を機に一家は西へ逃避しますが、途中でソ連兵に捕まり、シベリアに送られます。その後、一家はカザフスタンに亡命し、オスカー少年はアルマアタ音楽院で作曲を学ぶことが出来ます。その後、三つの交響曲、二つのピアノ協奏曲などを作曲しますが、1980年に東独に移住したことで、ソ連国内での彼の作品の上演、演奏は禁止されます。81年に西独に移住しましたが、そこでどうも不可解な交通事故で亡くなりました。KGBによる暗殺ではないかという噂が絶えないそうです。

 ゲイルフスの息子であるオスカーさん(原田英代さんの夫)は、幼少の頃、父親が「戦争反対のためにこのオペラを書いた」という言葉を鮮明に覚えているといいます。

イーロン・マスクの壮絶な人生

 杉田敏先生の2023年秋号「現代ビジネス英語」第10課にこんなフレーズが出て来ます。

 Spending a lot of time sitting during the day is bad for our health.… And too much sitting on our posterior can lead to depression and anxiety.

 (意訳)日中に長いこと座り続けていると健康に良くありません。… それに、あまり長く座り続ければウツや不安の症状になりかねません。

 いやあ、この言葉は痛感出来ますね。私も仕事で、パソコンの前で長い時間座っています。毎日、昼休みの1時間を除くと、およそ7時間です。その間、運動もしません。

 そうすると、つまり、長い期間、そういう習慣を続けていると、どうも、毎日、気分が優れないのです。どん底の憂鬱とか、どうしようもない不安神経症とまではいかなくても、明治の夏目漱石の小説に良く出てくるような「アンニュイ」状態が続いています。

 座り過ぎが原因だったのかあ・・・?!

 なるべく立って、歩いたりして、気分転換した方が健康に良いのですね。そう言えば、文豪ヘミングウェイは、書斎で立ってタイプライターで小説を執筆していたことで有名です。それでも、彼は自ら命を断ってしまいましたから、ウツ状態から抜けきれなかったのかもしれませんが。

 anxiety は不安ですが、辞書を引くと、「(未来の)不安」とわざわざ断り書きしていました。そっかー、不安とは、これから予測がつかない「未来」に対して抱くのであって、既に終わった過去に対して、普通、不安になったりしませんよね? 「過去」については、不安ではなく、後悔とか自責の念とか、良心の呵責とかになるのでしょう。気分が冴えない不愉快さや抑うつ状態は「現在」感じる感覚ということになりますか。

 こういう感情というものは、持って生まれた性格なのか、後天的に育まれたものなのか? 

 私の場合は、過去の後悔も現在のアンニュイも将来の不安も全て持ち合わせ、恐らく、普通の人より敏感に感じていると思っています。これは、生まれつきの性格、つまり遺伝だと諦めています。でも、何とか好転できないものか思案することもあります。

銀座

 今、ウォルター・アイザックソン著の評伝「イーロン・マスク」上下(文藝春秋)が世界中でベストセラーになっているようです。主人公は、宇宙開発スペースXや電気自動車テスラ、最近ではツイッターを買収したCEO、起業家として世界的に知られ、恐らく、現在最も注目されている一人です。著者のアイザックソンは、アップルを創業したスティーブ・ジョブズの評伝も書いておりますが、彼はイーロン・マスクの方が、起業家としてはジョブズより上だと言っているようです。

 素人の私から見ればジョブズもマスクも破天荒な人で、とても側にいたくない忌避すべき人物です。性格も私とは正反対に見えます。例えば、彼らは、野心の塊で大胆不敵、目的を達成するまでは手段を選ばず、カネに糸目をつけず、平気で大博打を打つ。協調性に欠け、人を人とは思わず、リストラという名の首切りも厭わない。まあ、大変失礼ながら、義理も人情もなく冷徹で冷淡な合理主義者といったところでしょうか。恐らく、自責の念も良心の呵責も、後悔もアンニュイも不安も、ないとまで言いませんが、それほど感じないタイプなのでしょう。少なくとも耐性力だけは強靭なはずです。

 いや別に悪い意味で言っているわけではなく、そういう性癖な人間だからこそ、起業家として歴史に残るような偉業を成し遂げられたことをむしろ強調したいほどです。

高いイーロン・マスクの評伝は買って読む気がしませんけど、ネット上の版元のポッドキャストで、担当編集者が内容を紹介していたので大体のことは分かりました。

マスク氏の大胆不敵と協調性のなさはどうやら幼少期に育まれたようです。父親は強権的で威圧的、生まれ育った南アフリカでは、暴力が支配し、頭に刃物が刺さった死体を何度見たことか。自身もいじめられっ子で、顔が変形するほど殴られて入院する重傷を負ったりします。

そんな境遇に育った彼は、生き延びるために自分の感情をシャットダウンする術を覚えたといいます。それらが、大人になっての協調性の欠如や大胆不敵の行動に繋がるわけです。

壮絶な過去の体験によって、気弱な性格が大胆になった典型みたいなものなのかもしれません。

 

何で「タイプC」のUSBになると保存画像・動画がウインドウズで全て再現できないのでしょうか?

  最近、携帯電話のiPhoneの機種を最新のiPhone15PROに買い替えた話は以前書きました。

 旧機種(iPhoneXS)からのデータ(住所録や画像など)の移行もスムーズに出来て、「万事めでたし、めでたし」で終わるかと思いましたら、外部記憶装置であるUSBへの保存と再現がどうもうまくいかず、ここ1週間は悩み抜きました。

 結局、ITに詳しい友人の手助けで、「解決」は出来ませんでしたが、カラクリだけは知ることが出来て大いに納得することが出来ました。が、それでもどこか腑に落ちないところがあります。

銀座「和もと」 鳥雑炊 1200円

 iPhoneは、最新機種のiPhone15PROなると、これまでのアップル独自の接続端子「ライトニング」から「タイプC」になりました。パソコンなどで一般的に使われるUSBは「タイプA」と呼ばれ、「タイプC」は「タイプA」より少し小型の端子になります。そのため、iPhone15ではタイプCのUSBを買わなければなりませんが、量販店ですぐ見つかりました。写真と動画を取り込み、まあ、うまくいった、ということで、自宅のパソコン(DELLのウインドウズ10)で読み取りをしようかと思ったら、取り込んだ画像等50枚のうち、半分の25枚ぐらいしか反映しないのです。

 えっ? どういうこと?

 それは、色々理由があるようですが、どうやら考えられることは、写真の保存形式が「jpg」ではなく、アップル独自の「HEIC」(High Efficiency Image File)に、動画は「HEVC」(High Efficiency Video Coding)になっている可能性があるというのです。他にも理由が考えられますが、アップルのiPhoneで撮った写真や動画は、アップルのパソコンなら何ら問題もなく再現できますが、マイクロソフトのウインドウズ搭載のパソコンだったら、すんなり再現できないというわけです。

 ただ、旧機種の「ライトニング」端子が使えるUSBを使って保存した画像や動画は、マイクロソフトのウインドウズ10パソコンでも何ら問題なく反映できたので、何で、タイプCのUSBになったら反映できないのかよく分からなかったのです。

銀座は「問題なし」

 何か他に理由があるんでしょうけど、タイプCのUSB自体は問題なく、他のタイプCのUSBに買い替えても同じだとITに詳しい友人は言います。

 まあ、それは正しいことでしょう。ただ、くどいようですけど、ライトニング端子が使えるUSBは問題なくウインドウズ10パソコンで再現できたのに、タイプCのUSBになったら一部しか再現できなくなったのは何故なのでしょうか? もし、詳しい方がいらっしゃてコメントして頂ければ幸甚です。

 

中国はもう終わりの始まりか?=NHKスペシャル「調査報道・新世紀 File1 中国“経済失速”の真実」

 先日放送されたNHKスペシャル「調査報道・新世紀 File1 中国“経済失速”の真実」はちょっと衝撃的な番組でした。(また再放送もあるようです)

 結論から先に言いますと、世界経済に莫大な影響を与える中国経済が目下、「失速」しつつあり、このままでは財政破綻もしかねないという恐怖のシナリオです。最悪の場合、日本も多大な影響を受けることでしょう。

 そもそも、中国の中央政府が公式発表しているGDPの伸び率がかつては5%だの10%だのと景気よく公表していましたが、実は多めに発表していて実態経済と合わないと一部専門家の間で指摘されているのです。これは、今はITのグローバル時代ですから、世界各国の「夜間照明」を検証して、実態経済と比較する手法が用いられたりしています。例えば、韓国は赤々と夜間照明が照らされているのに、北朝鮮は真っ暗です。それだけ、北朝鮮は、電力エネルギーが不足し、実態経済は低迷している証明になります。中国の夜間照明も実態とそぐわない。。。照明が証明になるとは!

銀座

 番組は、調査報道ですから、取材班がネット上で公開されているオープンソースから複数の情報を組み合わせたり、ジグソーパズルを解くように繋ぎ合わせたりして真実をあぶりだしていきます。いわゆるオシントです。中国本土では目下、「賃金未払い」から全国でデモが頻発し、SNSでその模様の動画がアップされていますが、中国当局はこれらを有害として瞬く間に削除しています。取材班は、それらが削除される前に出来るだけ迅速に情報収集しなければなりません。そんな苦労の末に収集したデータによると、今年1~9月の間に、中国全国で1148件のデモがあり、そのうちの86%が賃金未払いデモであったことが分かりました。デモ隊の掲げるプラカードなどで、内容が分かるのでしょう。それにしても凄い話です。

 そして、不動産大手「恒大グループ」が今年8月に約48兆円もの負債を抱えて、破産申請したように、中国全土では、マンションやら高速道路やらが建設途中でほったらかしにされて、野ざらしになっている有様も映し出されていました。

 これらマンションや高速道路建設を公共事業として発注していたのが「地方融資平台」と呼ばれる地方自治体(貴州省、陝西省といった省)の別働部隊です。約1万社あるといいます。それが、取材班が調査したところ、この地方融資平台全体で1100兆円もの隠れ債務があったというのです。中国は目下、中央政府には500兆円の債務、地方政府には700兆円の債務を抱えているといいますが、この隠れ債務を含めると、財政健全ラインの60%を大幅に超えて100%を上回るといいます。

 こんなんでは賃金の未払いが発生し、工事も中断するはずです。専門家は「インフラへの過剰投資のツケが回ってきた」と分析していましたが、中国の家計債務も約1400兆円もあるそうです。なお悪いことに、中国では61年ぶりに人口減少が始まり、今年はインドに人口世界一の座を奪われたといいます。中国も日本と同じように少子高齢化が進めば、必然的に経済成長に歯止めがかかり、停滞するはずです。

 これでは、表では余裕の表情を浮かべている習近平国家主席を始め7人の政治局常務委員も眠れない夜を過ごしているかもしれません。台所は火の車ですから。

 中国人の「爆買い」を期待して、日本人客を邪険するようになった日本の商業界もオチオチしていられませんよお。