遅ればせながらの「プライベートバンカー」

 斯界ではかなりの評判と話題に上った清武英利著「プライベートバンカー カネ守りと新富裕層」(講談社・2016年7月12日初版)を遅ればせながら、今さらになってやっと読了しました。初版が出た3年前は私的な事情がありまして、読書できる状態じゃなかったので、読む機会を逃しておりました、と言い訳しておきます(笑)。

 いやあ、実に面白かった。某経済評論家が「僕が今まで読んだ経済小説の中でベスト3に入る」というので、何となく読み始めたのですが、途中でやめられなくなり、一気に読んでしまいました。

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 最近はほとんどフィクションは読むことはないので、よほどのことがない限り、小説は読まないのですが、途中で分かったことは、この本の主人公であるプライベートバンカー杉山智一氏は実名で、今では東京の外資系金融機関で勤務し、富裕層向けの「マネー執事」に従事しているようです。昨年3月には「ペライベートバンカー 驚異の資産運用砲」(講談社現代新書)を出版しています。(いつか読んでみようかと思ってます)

 そして、バンコク在住の元病院長の日本人資産家の100万米ドルを横領して殺人未遂事件まで起こした元シンガポール銀行(BOS)ジャパンデスク(日本人富裕層向け運用担当)の梅田専太郎受刑者も実名だったとは・・・。さすがにBOS時代の杉山氏の上司で、きついノルマを課して、杉山氏の顧客や手柄を分捕って、悪の権化のような描き方をされている桜井剛という人は実名ではなく、仮名のようですが、あの村上ファンドの村上世彰氏まで実名で出てきます。

 それに、私はこの本を読んで初めて知った方々ですが、シンガポールで成功し、ほとんどの人にはよく知られている若き実業家佐藤俊介氏や投資・経営アドバイザーの木島洋嗣氏らも実名で登場し、このほか、「税金逃れ」のために約30億円の資産を持ってシンガポールにやって来た元パチンコ業者や元不動産業者らも多く登場します。

 この本に登場する日本人は、何十億も何百億円も稼いでしまって、所得税や相続税対策のために、シンガポールに渡って、ペーパー会社を作ったり、不動産投資をしたりして、またまた年間、何千万円もの利益を得ながら、退屈を持て余して、生き甲斐もなく不幸そうに見えます。でも、ご安心ください。プライベートバンカーは皆様のことは相手にしてませんから(笑)。彼らにとって、5億円、10億円でさえ大した資産に見えないでしょう。50億円か100億円以上なら「マネー執事・指南役」として忠実に仕えてくれることでしょう。

 ということで、私にも、皆さんにも全く関係がない話でしたね(笑)。

 著者の清武氏は、ナベツネさんとの確執からと言われて読売巨人軍代表の座を解任されて一躍時の人になったのが、2011年11月のことでした。もう7年半も前なんですね。敏腕社会部記者だったという噂は聞いたことがありましたが、その後多くの名ノンフィクション作品を発表し、その底知れぬ猛烈な取材力には恐れ入りましたね。恐らく、大変大変失礼ながら、国際金融に関しては素人だったはずで、相当な数の専門書を読破したことでしょう。清武氏は、「おつな会」の仲間である鈴木嘉一氏とは読売新聞の同期入社で、仲が良いと聞いたことがあるので、いつか機会があれば、またお話を聞いてみたいと思ってます。

中学同窓会に参加してよかった

  昨晩は、東京・池袋で開催された中学校の同窓会に参加して来ました。参加者は私を入れてたったの4人(笑)。同学年には200人以上いたのですが、ほとんど行方不明で、幹事が声掛けできたのは30人ぐらいだったようです。それでも、4人は少ないと思いつつ、出掛けたのですが、話が沢山できて面白かった。参加してよかったと思いました。

 中学校は東京都内ながら埼玉県境にある田舎の無名の公立学校でしたが、どういうわけか優秀な生徒が多く、名門高校に進学して、後に学者や弁護士や医者などになった者が多いのでした。

 某有名私立大学の教授になった平田さん(女性)なんか、とっても頭が良くて、東京都内全体の模擬試験で2番を取ったことがありました。記憶力抜群でした。

 何故なのか、中学時代は分からなかったのですが、生徒は国家公務員の官舎から通ってくる者が多く、父親が大蔵省とか外務省とかに通っていたエリートだったので、子どもに遺伝していたわけですね。

 さて、4人の同窓会は話が盛り上がりました。石油会社に勤めていた黒田さん、元警察官の岡本君、某国立大学准教授の須田君。黒田さんは、占いに凝って、ほとんどの占いをマスターしたそうなんですが、血液型占いするということで、皆の血液型を当てっこしようということになりました。私がO型、岡本君がA型、黒田さんがB型、須田君がAB型で、全部出そろったので、皆で大笑いしてしまいました。

 色んな取材で多くの有名人と会ってきた私の話も面白かったと思いますけど、何と言っても面白かったのは、警視庁に勤務していた岡本君の話でした。警視庁だけで、4万9000人もいるそうですね。警察庁の超エリートで「キャリア」と言われる国家公務員上級試験に受かった人はわずか30人しかいないそうです。そう言えば、同級生の宮下君は、そのうちの30人の1人でした。もちろん、彼は東大に進学しました。

 岡本君は、ノンキャリアでしたが、配属された主な部署が公安で、いわゆる一つのそっち方面のエキスパートですから、推理小説が一冊書けそうな話のオンパレードでした。彼は、既に警察官を引退しており、中学の同級生のよしみでペラペラと喋っていましたが、茲ではとても書けないことばかりでした。マスコミ出身の私を誰だと思っているんでしょうかねえ。今や10万アクセスを誇るブロガーですよ(笑)。

 まあ、書けるとしたら、彼は生命を落とすほど危険な体験をしていたということぐらいです。地元の人をオルグする際の経費は、自前だという話も驚きました。数カ月経って、その相手に、実は…と自分の身分を明かした時の相手の顔!本当に推理小説を地で行くような話でした。

 仕事ではありませんが、岡本君は、人一倍「霊感」が強いそうで、何度もお化けを見たという話もいくつかしていました。

 他の同級生の話となり、ポール・マッカートニーにそっくりの顔をした田築君が亡くなったという話を聞きました。私の知る限り、名古屋君、丸山君、峯岸君、松浦君に続いて5人目でした。他に知らない同級生の話になったので、家に帰って、卒業アルバムを見てみたら、顔を見ても名前が分からない、一度も話もしたことがない同級生が半分以上もいました。岡本君とは一緒のクラスになったことはありませんが、剣道部で一緒だったことがありました。でも、すっかり顔かたちが変わっていて、街ですれ違っても分からないでしょう。

 中学時代の私は、今でも思い出したくないほど愚か者で、頭の中にクモの巣が張ったような感じで集中力がなく、タバコを吸ったり、ビリヤードに出入りしたり、悪さばかりして、ボーと生きていました。中学入学時、トップだった成績も坂道を転げ落ちるようにして下落して、第1志望の高校受験も失敗。大したことはないと思っていた級友たちが、次々と自分を追い抜いて良い高校に入っているのを見て、大いなる挫折感と失望とやっかみに駆られたものでした。

 でも、半世紀も経てば、心の痛みも薄れ、今では、ただただ浅はかで愚かだった自分を笑うしかありません。ただし、あのような中学生時代があったからこそ、今の自分があるような気がしています。

京都御所で梅を愛でる

京洛先生です。新生「渓流斎ブログ」が、早くも10万アクセスを突破されたようで、おめでとう御座います。御同慶の至りです。

 何やら、迂生の名前まで出して謝辞を述べられておられましたが、迂生は黒子ですからいいですよ。多羅尾伴内のように、ある時は弁護士、ある時は美術鑑定士、そしてある時は…の職業不詳、住所不定の神出鬼没ですから、影武者です(笑)。

 人は、70歳になっても、80歳になってもテレビに出たり、舞台に上がったりして、とにかく目立とう、目立とうとしますが、迂生は御簾に隠れて、三味線を弾いたり、笛を吹いたり、時には大きな銅鑼を鳴らして、けしかけたりする方が性にあっているんですよ(笑)。

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 さて、帝都の本日(2月9日(土))は、大雪だそうですね。まだまだ、厳しい寒さが続きますが、渓流斎先生もご高齢ですから、身体はくれぐれも労わってください。過日、写真をお送りしました折にお伝えしましたように、「北野天満宮」では、8日(金)から境内の「梅苑」公開がスタートしました。週末ですから、9日(土)と10日(日曜)は、梅を愛でる観光客で、かなり混雑することでしょう。


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 迂生はへそ曲がりですから、北野天満宮は避けて、観光客があまり来ない洛中の穴場の「京都御所」の梅を見に出かけました。京都御苑にはおよそ4万の樹木が植わっているそうで、春夏秋冬、何かしらの樹木の花が咲いており、これほど優雅な時間を過ごせるところはあまりないでしょうね。


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 しかも、大宮御所、仙洞御所を囲むように、明治の遷都まで、天皇に身近で奉仕していた近衛、閑院宮、一条、九条、桂宮、賀陽宮、中山、有栖川宮などなど貴族の邸宅跡やこれらに関連する「学習院」など関連施設の旧祉・旧跡もあり、碑や「立て札」で、所在の場所が分かるので歴史の勉強になります。


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 上の写真の「西園寺邸」跡には、今は時季が過ぎた山茶花が少し残っておりました。もともと、西園寺家は「雅楽(琵琶)」の家元で、邸宅跡に「白雲神社」があり、音楽家やミュージシャンらが技芸の上達に祈願に来ております。フォーク歌手の長谷川きよしが寄せた祈願もありました。


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 西園寺は「立命館」の建学にも関わりましたが、”立命館・発祥の地”という謂われの碑文も残され、記されていました。

 この西園寺家跡の前に「梅林」があり、これから3月末まで、紅白の梅が咲き誇ります。


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 桓武天皇が、延暦13年(794年)に長岡京から平安遷都した時には、今の京都御所よりも西の千本通りを中心に、平安宮や内裏などいわゆる「御所」がありました。それが、たびたびの火災で、天皇は宮内裏(仮御所)を転々としました。今の京都御所のある所は、もともと、摂関政治の基礎をつくった藤原良房や、その後の藤原道長らが住んで居た所なのです。


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 正元元年(1259年)になり、当時の里内裏がやはり焼失してしまい、「土御門東洞院殿」を此処に移して改築したそうです。そして、元弘元年(1331年)に光厳天皇が「即位」をして、それが明治2年(1869年)まで続くわけです。今の京都御所は安政2年(1855年)にできたもので、実はまだ歴史的には新しい建物なのです。

以上 

フランス地図旅行 Fin

 「地球の歩き方』フランス版(ダイヤモンド社)は、本当に勉強になりました。私自身、知っていたこともあり、全く知らなかったことも沢山ありました。せっかく知識として得たのですから、備忘録として書いておきます。

【生誕地】

●アンリ4世(ブルボン王朝創始)=ポーPau(大西洋岸Côte d’Atlantique地方)

●ブレーズ・パスカル(哲学者)=クレルモン・フェラン Clermont-Ferrand(中南部オーヴェルニュ Auvergne地方、ノートルダム・ド・ラソンプシオン大聖堂 Cathedrale Notre-Dame l’Assomption、ノートルダム・デュ・バジリカ聖堂 Basilique Notre-Dame du Port、ミシュラン発祥地)

●スタンダール(作家)=グルノーブルGrenoble(中南東ローヌ・アルプ Rhône-Alpes地方)

●ヴィクトル・ユゴー(作家)=ブザンソンBesançon(中東部フランシュ・コンテFranche-Comté地方、指揮者コンクールで小澤征爾、沼尻竜典ら多くの日本人が優勝 )

●リュミエール兄弟(映画発明者)=ブザンソン Besançon 生まれ、映画の誕生地はリヨン Lyon (中南東ローヌ・アルプ Rhône-Alpes地方)

●ノストラダムス(星占学者)=サン・レミ・ド・プロヴァンス(南部プロヴァンス Provence 地方アヴィニョン近郊、画家ゴッホが同地の精神病院に入院)

●ルイ14世(国王)=サンジェルマン・アン・レーSt-Germain-en-Laye(パリ近郊イル・ド・フランス Ile de France地方)

●クロード・ドビュッシー(作曲家)=サンジェルマン・アン・レーSt-Germain-en-Laye (生家が記念館に)

●ジャン・フランソワ・シャンポリオン(ロゼッタストーン解読)=フィジャックFigeac(南西部Sud-Ouest地方 )

●トゥールーズ・ロートレック(画家)=アルビ Albi(南西部Sud-Ouest地方、少年時代は祖父の家ボスク城で過ごす )

●ギュスターヴ・フロベール(作家)=ルーアンRouen(北東ノルマンディーNormandie地方、父は外科医師。ジャンヌ・ダルクはこの地で火刑)

【物語の舞台・執筆地】

●シャルル・ペロー作の童話「眠れる森の美女」の舞台=ユッセ城 Château d’Ussé(中西部ロワール Loire地方アゼー・ル・リドーAzay-le-Rideau郊外)

●バルザック「谷間の百合」「ゴリオ爺さん」執筆=サシェ城 Château de Saché (中西部ロワール Loire地方アゼー・ル・リドーAzay-le-Rideau郊外)

●アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯」の舞台=イフ城 Château d’If(南部プロヴァンス Provence地方マルセイユ Marseille、主人公ダンテスがイフ島のイフ城に監禁される)

●マルキ・ド・サド侯爵が領主を務めた村=ラコストLacoste(南部プロヴァンス Provence リュベロン地方、この近くのルールマランLourmarinはアルベール・カミュが晩年に過ごした村で、墓もある)

●アルフォンス・ドーデ「風車小屋だより」=フォンヴィエイユFontvieille (南部プロヴァンス Provence地方 アルル Arles郊外)の風車小屋で執筆。ドーデの生誕地は南西部Sud-Ouest地方ニームNîmes=仏最古のローマ都市。

10万アクセス突破、おめでとうございます!

 今、何気なく、サイトを見たところ、ブログ「渓流斎日乗」のトータル・ページ・ビューが10万0066で、な、な、何と、10万ページを突破しておりました!

 2017年9月に新しくブログを立ち上げて、わずか1年5カ月ですよ!これも、熱心な読者諸兄姉の皆々様方のお蔭です。有難う御座います。

京都・北野天満宮 Copyright par KYoraque-sensei

 まず、最初に感謝しなければならない人は、このブログの引越しから、過去記事取り込み、再度立ち上げに至るまで、技術的なことを全て担当して頂いたIT企業社長の松長哲聖氏です。以前は、「青年実業家」と書いておりましたが、今年になってついに「大台」となり、いつの間にか、青年の域を超えたので、そう書けませんが(笑)、彼には長生きしてもらわなければ困ります。このブログが消えてなくなってしまうからです。

 彼は名門(笑)海城高校の後輩なので、安心し切っているのですが、かなりの呑兵衛ですから、身体を痛めないか心配です。少なくとも、小生より長生きするべし。これは先輩からの命令です(笑)。

 もう一人、感謝すべき人は、京洛先生ですかね。写真から文章に至るまで、時には「渓流斎ブログも乗っ取られたか?」と心配する向きもいらっしゃいますが、大丈夫です。しっかり、渓流斎の赤筆(校正の意味)が入っております(笑)。

 満洲問題研究家の松岡先生にも、日ごろから色々とアドバイスを受けて、行き詰った小生を激励してくださいます。

 フェイスブックでは、衣川先生と小島先生が、いつも的確なコメントをお寄せ頂き、宮さんやYさんらも「いいね」をしてくださり、書き続ける上で、本当に励みになり、参考になります。コメントは「物の見方」の違いを痛感します。

 どなたか分からないことになっておりますが(笑)、「yamori」さん、「ぺんぎん」さんらが、ちょくちょくコメントをお寄せ頂き、誠に有難う御座います。

 もちろん、コメントはしなくても毎日欠かさずアクセスして頂いている皆様にも、本当に感謝しております。このブログを通じて、お知り合いになり、友好を温めてくださる皆様にも御礼申し上げます。

何か、アカデミー賞受賞のスピーチみたくなってしまいました(笑)。

 明日8日から、人類初めて月に着陸したアポロ11号のアームストロング船長を主人公にした映画「ファースト・マン」が公開され、アームストロング船長の人となりが明らかになります。

 彼は、自分に与えられた任務を淡々と遂行しただけで、まして、英雄とか人気者になりたくなかったようですね。そのために色々と誤解されたようで、月着陸成功から2年後にNASAを辞め、離婚まで経験しています。とにかく、彼はあまり目立つことはしたくなかったようです。

 そう考えると、この渓流斎ブログもあまり目立ってはいけませんね。アクセス数なんか気にしてはいけません。アームストロング船長のように、与えられた任務を淡々とこなすことが、理想的なのかもしれません。

 以上、御託を並べてしまいました。

西田天香の一燈園

昨晩は、福岡にお住まいの星野先生から電話が掛かってきまして、あれやこれやの貴重な御意見を賜りました。

 渓流斎さんですか? ああたは、同窓会のメンバー招集に齷齪されているようですが、寝た子を起こすようなことをしてはいけませんね。人、それぞれですから、中には「過去を消したい人」もいるのです。ああたは、「行方不明者」を一生懸命に興信所のように探しまくっておられますが、本人たちは「勘弁してくれい」「ほっといてくれい」というのが本音かもしれませんよ。

 そもそも、同窓会にしろ、趣味の結社にしろ、人が集まると、何かの「魂胆」が発生するもんですよ。「あなただけに特別に」とか「今のチャンスを逃したらもうありませんよ」とか何とか言って、マルチ商法かなんかの詐欺が横行するわけです。

 相手は、幼少、少年、青年時代に時空を供にした知れた仲ですから、信用するのは当たり前です。しかし、卒業後の30年間、40年間の空白期間に何があったか知れたもんじゃありませんよ。有名俳優のように暴行罪で捕まったことがあるかもしれませんし、粉飾決算で臭い飯を食ったかもしれません。分かったもんじゃないですよ。

バルセロナのパエリア

 半ば知っている相手ですから、「裏切られた」とか後で文句を言ったって、本当に後の祭りですよ。つい、昨日だって、「外債建て保険」を銀行員から「絶対に元本が保証されて、将来必ず儲かりますから」と勧誘された老人が、結局、いつの間にか1000万円以上の損失があったことが発覚して、銀行に電話したら、「担当者は転勤しました」なぞとケンモホロロの応対で、「あたし、どーしたらいいんでしょうか」と訪れた民生委員に泣きついた話が新聞に載ってましたね。

 そんなもんですよ。世の中に「儲かる話」ない、と肝に銘じなさい。投資に「絶対」なんかないんです。世間には楽をして、濡れ手に粟のように儲かる話なんて、あるわけないんですよ!

 そもそも、「儲かる話」は、誰も他人に教えたりしません!

バルセロナでフラメンコ鑑賞

 ああたは、先日も、金(きん)投資すれば、儲かるような話をブログに書いてましたが、駄目ですねえ。そんな世間に誤解を与えるようなことを書いてはいけませんよ。

 渓流斎ブログを書いた翌日には、もう既に自分の書いた内容を忘れているああたですから、「一燈園」創始者の西田天香(1872~1968)さんのことは、もうお忘れでしょう。

 リンクを貼りましたけれど、天香さんは、北海道開拓事業の出資者として、現地の耕作者と板ばさみとなって苦悩し、開拓事業を他人に委ね、人間として争いのない生き方を求めて求道の日々を重ねた人でした。そして、行き着いたのは「本来無一物」を原点とした奉仕と托鉢生活でした。

  一燈園は、1904(明治37)年に天香さんが創設したもので、自然にかなった生活をすれば、人は何物をも所有しないでも、また働きを金に換えないでも、許されて生かされるという信条のもとに、つねに懺悔の心をもって、無所有奉仕の生活を行っている所なのです。現在も京都山科区にあり、トイレ掃除など奉仕活動を行っています。

 やっぱり、忘れていましたか?(笑)

バルセロナでフラメンコ

 「『嵐』活動休止に伴う経済波及効果で3300億円!」などと、何でもカネ、カネに換算するような日経史観とは、全く正反対の活動ですよ。

 渓流斎さんも一度、天香さんの爪の垢を煎じて飲んで、精神を叩き直してください。

 えっ?何?天風さん?中村天風じゃありませんよ、天香さん、西田天香さんです。しっかりしてください!ああたも、一度、渓流斎ブログに書いたことがある人ですよ!

フランス「地図」旅行を楽しみ、雑学王に(続編)

 今年1月9日付の渓流斎ブログ「フランス地図上旅行 マドレーヌとは?」でも書きましたが、「地球の歩き方」フランス版(ダイヤモンド社)を通勤電車の行き帰りに少しずつ読み、至福の時間を過ごしております。

同時に、かなりの「フランス通」と言いますか、雑学の泰斗にさえなりました(笑)。例えば、アルミニウムの原料となる鉱石ボーキサイト bauxite。これは、中世に南フランスのアルル郊外を支配したボー家 Les Bauxから名付けられたんですってね。御存知でしたか? ボー家は、全盛期には80の町を支配していましたが、15世紀にボー家の血筋が絶え、1631年にはルイ13世の宰相リシュリューによって町はことごとく破壊されます。現在、アルル北東のレ・ボー・ド・プロバンス村 Les Baux-de-Provence(人口470人)に廃墟の城が残っていますが、この辺りでも鉱物ボーキサイトが採取されていたようです。

バルセロナ・カタールニャ広場

 フランスには日本人の名前が付いた「通り」もありました。

パリに近いイル・ド・フランスIle-de-France地方グレ・シュル・ロワン村 Grez-sur-Loing (フォンテーヌブローの森の南外れ)にある「黒田清輝通り」です。日本の近代洋画を切り開いた黒田は、1890年から約2年半、この村に滞在しました。ここは他に浅井忠ら多くの日本人画家が滞在して写生作品も残しています。

フランスで最も有名な日本人は、エコール・ド・パリの藤田嗣治でしょう。(戦後、フランスに帰化)彼が、シャンパンで有名なマム社 G.H.Mummの資金援助を受けて手掛けたフジタ礼拝堂 Chapelle-Foujitaが 北東部シャンパーニュChampagne地方のランス Reinsにあります。ランスは、ノートルダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame (藤田はここで洗礼を受けます)があることで有名です。13世紀着工のゴシック様式。20世紀初頭の大修復の際にシャガールがステンドグラスを寄進します。フジタ礼拝堂には藤田と君代夫人が眠っているそうです。

もう一人、フランスで有名な日本人は高島北海(1850~1931)です。何?知らない? 日本画家ですが、絵は独学。もともとは明治新政府の技術官僚で、北東部ロレーヌLorraine地方のナンシーNancyにある森林高等学校に留学します。この街で、後にアール・ヌーヴォーの代表的な芸術家となるエミール・ガレらと知り合い、ガレは高島から日本の美意識を学び、そのジャポニスムの影響が強い工芸品を次々と生み出します(ナンシー派とも)。

バルセロナ・カタールニャ広場

美術の話になったので、その線で話を進めますと、フランスは「芸術大国」と言われますが、しっかりと、過去の芸術家の所縁の地を観光資源として残してます。美術館を建てたり、画家が写生した現場に看板を立てたりしています。計算高い国ですねえ、行きたくなるじゃありませんか(笑)。クロード・モネ(「睡蓮」連作で知られる北西ノルマンディーNormandie地方ジヴェルニーGiverny、「印象:日の出」を描いた同地方ル・アーヴル Le Havre)、ポール・セザンヌ(生まれ故郷の南仏プロヴァンスProvence地方エクス・アン・プロヴァンスAix-en-Provenceとサント・ヴィクトワール山)ら自国民は当然のことながら、オランダのフィンセント・ファン・ゴッホ(終焉の地であるパリ郊外イル・ド・フランスIle de France地方オヴェール・シュル・オワーズAuvers-sur-Oise、南仏プロヴァンスProvence地方アルルArles)、スペインのパブロ・ピカソ(65歳で陶芸を始めた南仏コートダジュールCôte d’Azur地方ヴァロリスVallauris、絵画製作のため滞在した同地方アンティーブAntibesのグリマルディ城Chateaux Grimaldi=現ピカソ美術館など)らは、各地に足跡を残しています。

 そう言えば、ルネサンスの巨匠レオナルド・ダヴィンチなんかイタリア出身ながら、フランソワ1世に招かれて豪邸(北中西部ロワールLoire地方アンボワーズAmboiseのクロ・リュセ城Châteaux du Clos Lucé )を与えられ、同地のフランスで生涯を終えてましたね(同地の聖ユベール礼拝堂Chapelle de St. Hubertにお墓があります)

バルセロナ

嗚呼、ワインやグルメの話、古城の話、ロマネスク様式、ゴシック様式建築、 歴史的に重要な宗教都市(法王庁があったアビニョンAvignon、アンリ4世によって勅令が発せられたナントNantesなど)と伝説都市(ルルドLourdesなど)聖堂、修道院、物語(「眠れる森の美女」「岩窟王」「星の王子さま」など)の聖地などについても、色々と書き残しておきたいのですが、長くなるので、これからまた分割して書いていきます。

【追記】

 地名や聖堂には聖人の名前が多く使われています。サンテティエンヌ(聖エティエンヌ)の語源が気になって調べたら、エティエンヌとは新約聖書の「使徒行伝」に出てくるステパノ(またはステファノ=ギリシャ語で冠の意味)のことで、キリスト教徒最初の殉教者でした。ステパノは英語でStephen、スティーヴン(女性名はstephanie、ステファニー)。スティーヴン・スピルバーグ(映画監督)、スティーヴン・ホーキング(物理学者)、スティーヴン・キング(作家)、フランス象徴派詩人ステファヌ・マラルメら多くいますね。

高校同窓会、参加率は25%か?

あんりま、金価格が随分上がってきましたねえ。

今年1月7日、「T貴金属」の1グラム当たりの価格が前日比51円も値下がって、4882円になって、「あ、こりゃ駄目だ。買わなくてよかった」と安堵の胸をおろして、最近、全くチェックしていませんでした。

 そしたら、2月4日付の価格が前日比10円高の5037円にもなっていたのです。ということは、5037円-4882円=155円!あの時の底値で買っていたら、1カ月弱でかなり儲かっていたんですね。

まあ、えげつない車会社の守銭奴のような話でした。失礼しました。私は、回し者ではないので、お勧めしませんからね(笑)。今から買っても遅い?これからまた暴落する可能性も、なきにしもあらずです。

バルセロナ・カタルーニャ広場

さて、個人的な話ながら、来月3月に開催する高校の同窓会の幹事をやらされております。3年時のクラス会の同窓会です。生徒数は48人。全員参加は、まずあり得ないとしても、その半数(50%)の24人は参加してほしいと思い、頑張ってきましたが、今のところ、その半分(25%)の12人参加してくれれば、御の字という感じです。

 これは、個人的なとってもつまらない話とはいえ、いわば「社会の縮図」ですから、もう少し続けます(笑)。卒業生48人のうち、メールアドレスが分かっている、これまで何回か参加したことがある人は20人(42%)。メルアドは分からないが住所(実家かもしれないにしても)が分かっている人が12人(25%)。残りの16人は、メルアドも住所も分からない「行方不明者」です。全体の33%です。つまり、これまで10回近く同窓会を開催してきましたが、一度も参加したことがない人は、全体の58%と半数以上だということが分かります。そんなもんですかねえ?

住所が分かっている12人には、葉書を出しましたが、返事があったのは1人。住所が変わったのか、葉書が戻って来た人が1人。残りの10人は、「無視」です。幹事なんてボランティアでやっているのに腹が立ちますねえ(笑)。

バルセロナ・カタルーニャ広場

 しかし、同窓会に参加する人は、心身ともに健康な人か、卒業後、まあまあうまく社会の荒波を乗り越えて生き抜いた人に限ることでしょう。我々の高校は男子校でしたので、野郎ばかりの昔の級友にわざわざ会いたい気持ちになれるかどうかは、その人個人の人生観によることでしょう。

まあ、腹を立てたり、達観したり、同情したり、色んなこと考えてしまいましたよ。

丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」を読む

 丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(幻冬舎新書・2017・7・30初版)を読みました。著者は、大手商社伊藤忠の社長、会長を務め、民間ながら中国大使まで務めた有名財界人ですが、意地の悪い私は、実際にお会いしたことがないので、何故彼がこれほど人望が厚い方なのか分かりませんでした。

 でも、この本を読んで少しだけ分かったような気がしました。「文は人となり」かもしれません。まずは、財界人とはいえ、文章がうまい。読ませる力を持っています。文章家と言ってもいいでしょう。それは、実家が本屋さんだったため、子どもの頃から、身近に本があったため、学校の図書館の本をあらかた読んでしまうほどの読書家だったことで裏付けられているかもしれません。

バルセロナ

 仕事で必要な経済書だけでなく、直接仕事に役立たない日本や世界の文学全集まで読破しているのですから、教養だけでなく、人間観察の面で役立ったのではないかと思われます。

 彼が何故これほどまで人望があるのかという一つに、いつまでも庶民目線で、社長になっても黒塗りハイヤーを断って、電車通勤を続けていたことなどが周囲で共感されたのではないでしょうか。

 著者は別に読書を強制しているわけではありません。最初に「何で本なんか読まなくて問題視されなければいけないのか」という大学生による新聞の投書に対して、「別に読まなくても構いません。でも、こんな人生の楽しみをみすみす逃すのはもったいない」と謙虚に意見を述べています。

 この本で、失礼ながら一番面白かった箇所は、丹羽氏の米国駐在時代の失敗談でした。大豆を担当していた若き丹羽氏は、穀物相場の読みを外して、500万ドル(当時のレートで約15億円)の大損失を出してしまったという話です。大失敗の原因は、ニューヨークタイムズの一面に載っていた「今年は深刻な干ばつになる」という予測記事を鵜呑みにしてしまったからでした。干ばつなら大豆の収穫が減り、相場は高騰する。それなら、今のうちにどんどん買えということで、買い付けていたら、日照り続きだったのが、慈雨に恵まれ、今度は一転して農務省が「今年は大豊作になるでしょう」と発表。おかげで、大豆相場は暴落して、大損害を蒙ってしまったというのです。

 この大失敗で、丹羽氏は教訓を得ます。どんなに権威のある新聞でもその情報が正しいとは限らない。何よりも新聞を通した二次情報ではなく、できる限り一次情報を得るべきだということでした。そこで、民間の天気予報会社と契約したり、自分でレンタカーを借りて穀物地帯を視察したりしたそうです。おかげで、翌年、またNYタイムズが「小麦地帯が干ばつなる」という予測記事が出たときに、「今度は騙されないぞ」と意気込んで、カンザス州に向かい、干ばつになる気配がないことをつかんで、買わずに損失を免れたというのです。著者は「情報のクオリティを見抜け」と言います。

バルセロナ

 私はこのブログで何度も告白している通り、これまで社会科学の勉強を疎かにして、古典的名著と言われる有名な経済書などはほとんど読んでいませんでした。この本を読んで、今さらながら、アダム・スミス「国富論」、マックス・ウェーバー「 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 、マルクス「資本論」、高橋亀吉「昭和金融恐慌史」などは必読書だという認識を新たにしました。

 いい刺激になり、この本を読んでよかったと思いました。

市川裕著「ユダヤ人とユダヤ教」を読んで

 長年、「ユダヤ問題」については関心を持っていましたが、不勉強でなかなかその核心については、よく分かっておりませんでした。

 ユダヤ民族は、ローマ帝国や新バビロニア王国による支配と捕囚によって、世界中に離散してからは差別と迫害と虐殺(19世紀末のロシアにおけるポグロム=破壊とナチスによるホロコーストなど)の歴史が続き、第2次大戦後になって今度はシオニズムによってパレスチナに国家を建設して、核兵器を装備していることが公然の秘密の軍事大国となり、かつてそこに居た人々が難民になるという歴史的事実もあります。

バルセロナ・グエル邸

それにしても、ユダヤ人は神に選ばれた「選民」として、作家、思想家、哲学者、物理学者、音楽家、演奏家、俳優、金融資本家…と何と多くの優秀な「人類」を輩出しているのかという疑問が長年あり、ますます関心が深まっていました。いわゆる「ユダヤの陰謀」めいた本も読みましたが、眉唾ものもあり、どこか本質をついていないと感じておりました。

 そこで、出版されたばかりの市川裕著「ユダヤ人とユダヤ教」(岩波新書・2019年1月22日初版)を購入して読んでみました。

新書なので、入門書かと思っていたら、著者は東京大学の定年をあと2年後に控えた「ユダヤ学」のオーソリティーでした。最初の歴史的アプローチこそ、ついて行けたのですが、中盤からのユダヤの信仰や思想・哲学になると、初めて聞く専門用語ばかりで、読み進むのに難渋してしまいました。

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まず最初に、一番驚いたのは、「ユダヤ教は『宗教』ではない。人々の精神と生活、そして人生を根本から支える神の教えに従った生き方だ」といった著者の記述です。えっ? ユダヤ教は宗教じゃなかったの?という素朴な疑問です。読み進めていくと、私がユダヤ教の司祭か牧師に当たるものと誤解していた「ラビ」とは、聖職者ではなく、神の教えに関して専門知識を持つ律法学者だというのです。

つまり、ユダヤ教とは、厳密な意味で宗教ではなく、戒律を重んじ、それを厳格に実践する精神と生活様式だったのです。6日目の安息日は、必ず休み、普段はシナゴーグでの礼拝や律法の朗読とタルムード(聖典)の学習など毎日決まりきった行動を厳格に実行しなければならないのです。とても骨の折れる信仰実践です。

 戒律といえば、私自身は、「モーセの十戒」ぐらいしか知りませんでしたが、とにかく、色んな種類の独自の律法があるのです。その代表的なものが、「モーセの五書」(旧約聖書の「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)とも呼ばれる文字によって伝えられた「成文トーラー」と、西暦200年頃に編纂された口伝律法集「ミシュナ」(ヘブライ語で「繰り返し語られた法規範」全6巻63篇)と呼ばれる「口伝トーラー」です。

口伝トーラーは、 ヘブライ語で「道」「歩み」を意味するユダヤ啓示法の法規範である「ハラハー」と、法規範以外の神学や倫理、人物伝や聖書註解を扱う「アガダー」に分類されます。ラビたちは、ヘブライ語を民族の言葉として選び、神の言葉の学習を中心に据えます。ラビ・ユダヤ教に従うユダヤ人は、主なる神である唯一神を信じ、神の教えに従った行動をすることが求められます。具体的に何をすべきかに関しては、ラビたちの教えに従うことが義務付けられます。従って、ナザレのイエスをメシアと信じて従うのは異端だといいます(65ページ)。

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 このほか、神秘主義のカバラー思想などもありますが、難しい話はこの辺にして、この本で、勉強になったことは、イスラム教が支配する中世になって、ユダヤ人の9割が、当時欧州などより先進国だったイスラム世界に住み、法学をはじめ、哲学、科学、医学、言語学、数学、天文学などを吸収し、旺盛な商業活動も行っていたということです。それが、1492年のいわゆるレコンキスタで、イスラム世界が欧州から駆逐されると、ユダヤ人も追放、放浪が始まったということです。中世ヘブライ語で、スペインを「スファラド」、その出身者を「スファラディ」と呼び、スペインで長くイスラム文化の影響を受けたスファラディ系ユダヤ人の社会では、哲学的合理主義と中庸の徳が推奨され、生き延びることを優先して、キリスト教への改宗も行われたといいます。(スペインからオランダに移住したスピノザ一族など)

 もう一つ、ライン地方を中心とする中欧を「アシュケナズ」、その出身者を「アシュケナジ」と呼び、アシュケナジ系ユダヤ人社会では、敬虔さを重視する宗教思想が尊ばれ、迫害に対して、果敢に殉教する道が選ばれたといいます。

 ユダヤ人というのは、ハラハーに基づき、「ユダヤ人の母親から生まれた子、もしくはユダヤ教への改宗者」と定義されていますが、内実は、複雑で、エチオピア系ユダヤ人などいろんな民族が含まれ、色んな考えの人がいて、イスラエルを国家と認めないユダヤ人や、厳格な原理主義のユダヤ教に反対するユダヤ人さえもいるというので、聊か驚きました。


 ヴィルナ(現在のヴィリニュス)が「リトアニアのエルサレム」と呼ばれた街で、18世紀には正統派ユダヤ教の拠点だったことも初めて知りました。 とにかく、ユダヤ民族は教育と学習に熱心で「書物の民」と呼ばれ、成人の結婚が奨励されることから、歴史に残る多くの優秀な人材を輩出してきたことが分かりました。

 この本の不満を言えば、ユダヤ教の思想・哲学を伝えた偉人は出てきましたが、一般の人でもよく知るユダヤ人として出てくるのは、スピノザとマルクスとハイネ、それに、フロイトとアインシュタインぐらいだったので、もっと多く登場してもよかったのではないかと思いました。そして、何故、あそこまでユダヤ人だけが差別され、迫害されてきたのか、ご存知だと思われるので、もう少し詳しく説明されてもよかったのではないかと思いました。でも、大変勉強になりました。