「NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」は隔靴搔痒でした

 「やっちまったなあ」ーGWの後半は、風邪で丸々3日間、寝込んでしまいました。熱は1日で下がり、味覚や臭覚や聴覚や第六感や嗅覚まであり、今はかなり回復に向かっていますから、例の、あの、そのお、世界中で知れ渡っている流行り病ではないと思います。が、罹った5月3日はフラフラで、朝起きて、軽くパンとサラダを食べた後、直ぐに就寝。なかなか起き上がられず、13時半になってやっと、ズルズルと布団から這いだし、ヤクルト1本飲んでまた就寝。夕方は17時過ぎに起きて、御素麺を頂いてから、もう18時にはおやすみなさいでした。こんなことは数年ぶりだと思います。

 考えられる原因は、GW前半に、自分が老人だということを忘れて、連日のように1万5000歩近く歩き回って疲れが溜まり、免疫抵抗力が落ちてしまったこと。それでもまだGW後半が残っていて、何かあっても誰にも気兼ねなく休めるので、身体が油断していたことが挙げられます。

 結局、本も1ページも読むことが出来ず、本当に何もできませんでしたが、良い休養が取れたと思い込めば、貴重な時間を有効に使えたことになります。モノは考えようです。この間、酒も煙草ものまず、髭も剃らず、博打もせず、誠に品行方正でした。

東京・新富町「448 リベルマン」ポークジンジャー1500円 「448」は「洋食屋」と読むらしい。それなら、渓流斎は「4871」と書いて、「心配ない」と呼んでもらいます。登録商標申請中(笑)。

 さて、寝込んでしまったお蔭で、先週の話になってしまいます。4月30日に放送された「NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」は大いに期待したのですが、どなたかの意向が反映したのか?、一番肝心なことが分からず、隔靴掻痒の感のままで終わってしまいました。

 私が口癖のように言っている「何が報道されたのかというよりも、何が報道されなかったのかの方が重要」ということの典型でした。

 昨年4月30日に80歳で亡くなったジャーナリストの立花隆さんは、死の間近になって、秘書を務めていた実妹菊入直代さんに対して、「墓も戒名もいらない。遺体はごみとして捨ててほしい。集めた膨大な書籍は一冊残らず古本屋で売ってほしい」と言い残していたそうです。

 この番組では、「立花隆番」として17年間、一緒に教養番組をつくって来たNHKの某ディレクターが、立花氏と出会ってから亡くなるまでを回想する形で進行します。「猫ビル」の愛称があった東京都文京区にある立花氏の書斎兼書庫には5万冊を超える膨大な書籍が棚に埋まっていたのに、最新映像となると、その棚には一冊の本もなく、棚だけが寂しそうにしていました。

 その映像を見てショックにならなかったのは、その2週間以上前に新聞で、立花氏が「自身の名前を冠した文庫や記念館などの設立は絶対にしてほしくない」「立花隆が持っていた本ということではなく、本の内容に興味を持った人の手に渡ってほしい」などと言い残していたという記事を読んでいたからです。さすが、ですね。母校に自分の名前を冠した記念文庫を設立した人気作家さんとは違うなあと思ってしまいました。

 ただ、古本屋さんが何処なのか、その記事には書かれていなかったので、NHKに期待したのですが、番組でも明かされませんでした。恐らく、「古本屋が特定されれば、殺到されて困る」と、誰かの意向が働いたのでしょう。私だって、正直、立花隆の蔵書なら欲しいぐらいですから(笑)。でも、多分、神保町の古本屋に違いないでしょう。彼は毎週のように通っていたといますから。…暇を見つけていつかまた「神保町巡り」をしたいと思ってます。

 もう一つ、この番組でフラストレーションになったのは、彼の墓所が明かされなかったことでした。結局、「樹木葬」となったようで、その場所も特定されて、映像として映し出されましたが、最後まで場所までは明かされませんでした。私は掃苔趣味があるので、場所が分かれば一度はお参りしたいと思っていたのに…。

 あと一つだけ。この番組のタイトルに使われている「見えた 何が 永遠が」は、私も何度かこのブログで取り上げたことがあるフランスの象徴派詩人アルチュール・ランボーの作のはずなのに、ランボーの「ラ」の字を出て来ないのはどうしてだったのかな?

 まあ、テレビという超マスメディアの影響力は大きいので、個人情報保護に細心の注意を払うことを最優先したのでしょう。

「448 リベルマン」から歩いて5,6分にある「新富座跡」の看板=現京橋税務署

 番組内では、色々な「立花隆語録」が出てきましたが、印象に残ったものだけ引用させて頂きます。(ただし、換骨奪胎です)

 ・霊魂はない。人間死んだら無に帰る。

 ・人間は死すべき動物である。どこかで死を受け入れるスイッチを切り替えるしかない。(以上は立花隆の死生観です。でも、死後、天国に行くか煉獄に行くか、西方の極楽浄土か東方の浄瑠璃世界に行くか、それとも地獄に行くのか、といったことを信じている人はその信仰を続けていいと私は思っています。)

 ・知的営みは地下で繋がっている。人間の知識の体系も繋がっている。しかし、知識が細分化し過ぎて、専門家は断片化した知識しか知らない。専門家は総合的なことを知らない。(メディアに頻繁に出演されるコメンテーターと呼ばれる専門家の皆さんにも当てはまるかもしれません。)

 ・記録された歴史などというのは、記録されなかった現実の総体と比べたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に吞み込まれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑み込まれてある。(「エーゲ 永遠回帰の海」)

・「すべてを進化の相の下に見よ」

六本木で葛飾北斎展を見て、神谷町で想い出に浸る

 連休の合間、5月2日は月曜日で、本来ならお仕事なのですが、有休を取得して東京・六本木のサントリー美術館まで足を運び、「大英博物館 北斎 ―国内の肉筆画の名品とともに―」展(1700円也)を観に行って来ました。

東京ミッドタウン(六本木)ガレリア

 平日だから空いているんだろう、という考えは甘かった。結構、暇人が多く、入るのだけでも長い行列で15分ぐらい待たされ、会場では展示物をそんなに間近に観たいのか、これまた、整然と一列になっての大行列です。私は公称180センチと背が高いし、後ろからでも十分観られるので、そんな律儀な日本人の列の後ろから、自分のペースで気に入ったものだけゆっくり眺めることにしたので、少しだけストレスが緩和されました。

東京ミッドタウン(六本木)

 当初は、出掛けるつもりは全くなかったのですが、テレビの歴史番組で葛飾北斎(1760~1849年)特集を見たら、急に、目下開催中の展覧会に行きたくなってしまったのです。

 番組では、勝川春朗をはじめ、北斎、宗理、為一(いいつ)、画狂老人、卍など30数回も画号を変え(弟子に売ったり、タダであげたりしたとか)、90年の生涯で何と93回も引っ越しした、といった逸話をやってました。引っ越しが多かったのは、掃除が嫌いで、今で言う「ゴミ屋敷」状態になってしまったので逃げるように引っ越ししたようです。

為朝図 葛飾北斎 一幅 江戸時代 文化8年(1811) 大英博物館 1881,1210,0.1747 © The Trustees of the British Museum(撮影:渓流斎)

 絵手本を3900点以上掲載した「北斎漫画」を出版したのは55歳の時。代表作の「冨嶽三十六景」のシリーズを書き始めたのが72歳というのですから驚きです。(数え年)

 晩年は、信州・小布施の豪商高井鴻山の招きで、江戸から240キロの道程を4度も通い、「男浪図」「女浪図」や「八方睨み鳳凰図」(岩松院蔵)などを完成しています。1849年、浅草の遍照院の仮住まいで、数えで90歳で亡くなりますが(墓所は元浅草の誓教寺)、直前に「あと5年長生き出来たら本物の画工になれただろう」と叫んだという、飽くことがない探求心は有名です。

 番組ではやっていませんでしたが、これだけの大天才なのに北斎の出自ははっきりしていません。江戸・本所割下水で川村某(職業不詳)の子として生まれたと言われ、幼名を時太郎、後年鉄蔵と改め。4、5歳の頃、一時、幕府御用鏡師中島伊勢の養子となったといわれます。詳細は不明ですが、本名は中島鉄蔵さんということでしょうか。天賦の才能があったとはいえ、かなりの稀に見る努力家だったのでしょう。

 実は、これでも、私自身は、「太田浮世絵美術館」や「すみだ北斎美術館」の常設展をはじめ、各地で開催された「北斎展」にはかなり足を運び、北斎の作品はかなり観ている方だと思っていました。今回のサントリー美術館での北斎展は大英博物館所蔵品ということでしたので、それほど期待していなかったのですが、開けてみたら吃驚ですよ。日本国内所蔵の作品より、量質とも遥かに充実していて、海外が日本を凌駕しているのです。これは、北斎作品の膨大なコレクターだった外科医ウィリアム・アンダーソン(William Anderson、1842~1900年)や小説家アーサー・モリソン(Arthur Morrison、1863~1945年)らとジャポニスムの流行のお蔭です。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 横大判錦絵 江戸時代 天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館 2008,3008.1.JA © The Trustees of the British Museum 肉眼で見えるはずがない5000分の1秒の速さでシャッターを切った時に見える画像だそうです。やはり、北斎は天才だ!(撮影:渓流斎)

 さすが、ゴッホやマネ、モネらフランスの印象派の画家たちに多大な影響を与えたジャポニスムを代表する「世界の北斎」だけあります。少し大袈裟かもしれませんが、北斎は、ダビンチやミケランジェロらと肩を並べるのではないでしょうか。

 この北斎展は、確かに一見の価値があります。特に、北斎は風景画で有名ですが、「花鳥」作品には目を見張るものがありました。何故なら、花と鳥に限って、北斎は、伊藤若冲のように「細密画」のように描いているからです。

 人物画となると、役者絵ではなくて風景画の中に登場する人物は、細密画ではなく、目と鼻と口だけで省略したようにあっさり描いています。「どうしてなのかなあ?」と思いながら私は観察していました。この花鳥画と人物画の違いー。人物はいい加減に描くのに、花鳥は綿密に描くのは何故か?ーもしかしたら、これは、北斎の研究家でさえ今まで気が付かなかった私の新説かもしれない、とニヤニヤしながら観ておりました(笑)。

東京・六本木 brassrie “Va-tout”  魚ランチ1200円

 さて、広い東京ミッドタウン内のサントリー美術館(そう言えば、初訪問かな?赤坂のサントリー美術館は何度も行きましたが)を出て、目指すはランチです。既に、六本木駅近くの「シシリア」に決めておりました。あの森まゆみ著「昭和・東京・食べある記」(朝日新書)に出ていた「四角いピザ」と「きゅうりのグリーンサラダ」を食べるためです。

 そしたら、アッジャパー、本日は青天なりではなく、本日は閉店なりでした。

 仕方がないので、当てもなく、東京タワーが前方に見える道(319号線)を真っすぐ10分近く歩いたら、ブラッスリーが見つかり、そこでランチすることにしました。仕方ない、なんて言っちゃ駄目でしたね。白身魚のソテーでしたが、写真の通り、銀座並みの価格で、量が少なくて参りました(苦笑)。店員さんは凄く感じ良かったですけど。

今最も日本で注目されている東京・狸穴の在日ロシア大使館

 店を出て、そのまま、真っ直ぐ、東京タワー方面を歩いて行ったら、警察官の数が多くなり、何事かと思ったら、今現在、日本では最も注目されている狸穴の在日ロシア大使館がありました。ここに出たんですね。

在日ロシア大使館前は、数人のデモと物々しい警戒

 ロシア大使館や、その向かいの外務省外交史料館には何度か取材で来たことがあるので、場所は知ってました。六本木駅からだと20分ぐらいでしょうか。私は、この辺りまでは、いつも神谷町駅から歩いてきたので、飯坂交差点を左折して神谷町に向かいました。

 そう、神谷町は私にとって、とても感慨深い場所なのです。もう半世紀近い昔、学生時代に付き合っていた彼女が住んでいたので、よく遊びに行き、お金がないので、この近くの東京タワーの芝公園でよくデートしたものでした。

 神谷町は、彼女の祖母の家で、千葉県に両親ら家族と住んでいた彼女は、都内の大学に通うため、おばあちゃんの家に下宿していたのでした。おばあちゃんの趣味は詩吟でよくうなっていました。

実に懐かしい東京・日比谷線「神谷町駅」

 もう時効の話なので、神谷町に来たついでに、その彼女のおばあちゃんの家を探してみました。この辺りはもう昔の面影はなく、すっかり変わってしまいました。再開発されて高層マンションやビルが立ち並ぶようになりました。駅から5、6分だったので忘れるわけないのですが、いくら探しても見当たりませんでした。恐らく、現在、高層ビルを建築中のあの辺りがそうだったかもしれません。

 半世紀近く年月が経てば仕方ないでしょう。淡い青春時代の思い出が蘇ってきました。でも、あまり後ろ向きだと駄目ですね。北斎先生を見習って、もう少し頑張りますか。何しろ、「富嶽三十六景」は、70歳代初めの傑作なんですから!

亡き親友のお墓参りに行って参りました=1周忌

 ゴールデンウイークの真っ最中、特に遠出する予定はなかったのですが、高校時代の親友の神林康君のお墓参りだけは予定に入れておきました。

 亡くなったのは昨年の4月27日でしたから、丁度一周忌が過ぎて喪が開けた感じです。彼は一人っ子で独身だったことなど色々と事情があって、墓所が決まったのは今年1月でした。と、後からご遺族の親戚の方からお伺いしました。

北総鉄道・印西牧の原駅

 墓所は、千葉県印西市と、ちょっと都心から離れた真言宗豊山派大生寺境内にある霊園でした。

 最寄り駅は「印西牧の原」という駅で、私は生まれて初めて、北総鉄道という電車に乗りました。この電車は、南は京急鉄道と繋がっていて羽田空港まで行くことができ、北東は、京成電鉄の成田スカイアクセスと繋がって成田空港まで行けるようです。全線乗ったことがないので、あまりいい加減なことは書けませんけど、成田と羽田を結ぶ路線じゃないかと勝手に想像しています。

北総鉄道・印西牧の原駅前のビッグホップ

 ついでに、またまた勝手に想像すると、北総鉄道の中心は千葉ニュータウン中央駅ではないかと思っています。車窓から見ても、いかにもニューファミリー向けの新都市といった感じで、東京のようにゴミゴミしておらず、広大な土地を利用して、大型ショッピングセンターが何棟も連なっていました。東京まで1時間程というベッドタウンです。

 千葉ニュータウン中央の隣りにある印西牧の原も似たようなベッドタウンで、高層マンションの他に、100坪以上の敷地はありそうな高級住宅街や広い公園もありました。

 そんな話よりも、神林君の霊園のことでした。あらかじめ、地図をコピーして来ましたが、ダダ広くて、さっぱり分からず、駅員さんに方角だけは教えて頂きました。

真言宗豊山派 草深山 大生寺

 それでも、よく分からず、迷ったりグーグルマップで確かめたりして歩き、結局40分ぐらい掛かってしまいました。案内地図では、駅から徒歩約20分でしたから、相当遠回りしてしまったようでした。駅でタクシーも客待ちしておらず、道を聞こうにも、あまり人が歩いていませんでしたからね(苦笑)。

 お目当ての千葉ニュータウン霊園は、「真言宗豊山派 草深山 大生寺」の境内にあり、神林君の墓所はその中の永代供養塔にある、とお伺いしていたのですが、境内の何処にあるのか場所が分かりません。

真言宗豊山派 草深山 大生寺

 そこで、大生寺の寺務所のような所があったので、入って、住職らしき40代ぐらいの男性に、永代供養塔は何処にあるのか聞いてみました。すると、住職は、私の顔を見て嬉しそうにニコニコして「御案内します」とわざわざ立ち上がって出てきたのです。しかも、手にはパンフレットまで持って!

真言宗豊山派 草深山 大生寺 千葉ニュータウン霊園 永代供養塔

 永代供養塔は寺務所のすぐ近くの隣りにありました。何十人かのプレートの中には新しく神林君の名前もあったので、「あった、あった。友達のお参りに来たのです」と言うと、住職さんは、急に力が抜けたようなガッカリした表情になり、「そ、そうでしたか、ごゆっくり」と言って寺務所に戻って行きました。手にはパンフレットを持ったまんま。

 すっかり年老いた私の顔に「死相」でも出ていたんでしょうかねえ? とにかく、住職さんにしては、またとない「上客」が来たと思ったのにアテが外れてしまったということなのでしょうか。あまりにも気の毒だったので、私も一緒に寺務所に戻って、そこで「お線香」(百円也)を購入しました。 

 墓前では、親友に無沙汰をお詫びし、茲は真言宗の寺院なので「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」と唱え、そして真言密教の「ノウマク サンマンダ ボダナン バク」「ボウジ ソワカ」(※)と締めておきました。※サンスクリットで「釈迦牟尼仏に帰依します」「悟りよ、栄えあれ」(般若心経)といった意味。

 帰りは、駅までどうにか20分ぐらいで辿りつけたようです。途中で自転車に乗っていた小学校5、6年生らしき少年を捕まえて、駅までの道順を聞いたので、今度はもう大丈夫です。「有難き幸せ。大変、失礼仕りました」と少年に最敬礼したら、少年は目を白黒させて、「いえいえ、こちらこそで御座りまする」と、お互い武士のような会話をしました。

 ちょうど昼時でしたので、駅近くのビッグホップという大型ショッピングセンターに入りましたが、閉店している店舗も多く、敷地だけは広大なので、何となく、ゴーストタウンに見えてしまいました。でも、奥のフードコートは人がいっぱい並んでいてとても並ぶ気にはなれず、また、駅の方に戻って、居酒屋風の店に入り、半炒飯と餃子に昼間からビールで、亡き親友の霊を一人で追悼しました。

 千葉県印西市なんて生まれて初めて訪れました。これで、御縁が出来ましたので、今度はしっかり印西市の城跡や寺社仏閣等を調べて、再訪したいと思います。印旛沼も近いのかしら?勿論、親友の墓参りのついでにですが。

大発見!!長三洲 真筆の極秘文書か?=宮さんお手柄ー「なんでも鑑定団」出演のお薦め

 皆さん御存知の宮さんから私に無理難題を押し付けて来られました(笑)。御尊父の遺品である厚手の和紙に書かれた文書を読み解いてほしい、と仰るのです。

 「読めない字も多く、歴史に弱い私では何も分かりません。渓流斎さんならどんな内容が書かれているか読み解いてくれるのではないかと、勝手ながらお問い合わせすることにしました。取り敢えず、文字を読み解いて文書内容を教えていただければありがたいです。古文書鑑定家になったつもりでご対応してください。(他の人に相談も可)忙しいのに変なお願いでご迷惑かと思います、無視していただいても構いません。」

 確かに私は歴史好きではありますが、残念ながら漢籍の素養はありません。「古文書鑑定家になったつもり」と言われても、荷が重過ぎますよお(苦笑)。

 でも、見てみると、上の写真の通り、大変達筆で、読みやすい。意味も全く分からないことでもない。最初の「明治十年之役」とは、西南戦争のことでしょう。続いて警視兵の中から選抜して「抜刀隊」と称する百人の部隊を編成して、西郷隆盛軍と戦ったのか? 一段落目の最後と末尾に出てくる「靖国祠」とは「靖国神社」のことでしょう。恐らく、抜刀隊の戦死者を靖国神社にお祀りした、という内容ではないか?(秀才の友人に目下、解読を依頼しております)

 それにしても、明治末か大正生まれの宮さんの御尊父が明治10年の西南戦争で戦っていたことはあり得ず、少なくともご祖父か、曽祖父が書かれた文書なのでしょう。それで、プライバシーながら、宮さんの御尊父のことやこの文書の入手経路などを伺ってみました。

 そしたら、この文書は、大分県出身のご祖父が生前、大分の古物商で手に入れたものを息子である宮さんの御尊父ら兄弟に形見分けされていたものの一対だった、ということが分かりました。

 となると、この作者は一体誰なのでしょう?

 よく見ると、最後に「三洲長炗」と署名が書かれています。えっ!?もしかして、もしかして、長三洲(1833~1895)のこと? 長三洲といえば、高野長英大村益次郎と並ぶ広瀬淡窓(1782~1856年)の愛弟子です。

 そこで調べて見たら吃驚。長三洲の本名は長炗(ちょう・ひかる)、三洲と号していたのです。天保4年(1833年)、豊後国(大分県)日田郡馬原村の儒家、長梅外の第三子として生まれたということですから、彼の書が大分県内の古物商に流れ、宮さんのご祖父が購入したということは辻褄が合います。

 これは本物ではないか??

 長三洲は幕末、尊王攘夷の志士となり、戊辰戦争では参謀として戦い、長州の桂小五郎の知遇を得て、維新後、木戸孝允となった桂小五郎の引きで、新政府に出仕しています。

 広瀬淡窓の門下ですから漢詩人としての名声は高く、明治になって、「漢学の長三洲、洋学の福沢諭吉」と言われたのです。

 しかも、長三洲の門下生には伊藤博文、山縣有朋ら元勲をはじめ、信じられないくらい多くの逸才を輩出しているのです。

 これは凄いお宝じゃ、あーりませんか!「無理難題を押し付られた」なんて言ってすみませんでした。大変なお宝が宮さんのお蔵に眠っていたのですね。

作者不明 どなたか分かりますか?

 もう一つ、宮さんの御尊父の遺品の中に、別にご祖父から受け継がれた作者不明の水墨画もありました。うーん、この作者は誰なんでしょう?

 そこで、「テレビの『なんでも鑑定団』に出演されたら如何ですか?長三洲なら高額が出るかもしれませんし、恥をかくことはありませんよ」と薦めてみました。すると、御返事は「そ、そ、そ、そこまでやるつもりはありません。」とのこと。

 いやいや、駄目ですよ、宮さん。しっかり,、真贋を鑑定してもらい、内容も解読してもらい、その価値を確かめる手段はそれしかありませんよ!

和紙裏面文字

 もしかして、テレビ東京か、制作プロダクションのネクサスの関係者がこの記事をお読みくださって、宮さんにアプローチするかもしれません。

  「漢学の長三洲、洋学の福沢諭吉」なんて、まさにテレビ向きのキャッチフレーズで、「絵」になるじゃありませんか(笑)。

 宮さん、勇気を出して! 私も大いに期待しております。

【追記】

 ネット情報ですが、長三洲は、「明治書家の第一人者で、水墨画や篆刻の腕前も一流」だったとありました。もしかしたら、例の作者不明の水墨画も長三洲作の可能性がありますね。

「仏友会」で講師を務めました=役得もいっぱいありました

 24日(日)は、東京・大手町のサンケイプラザで開催された大学の同窓会「仏友会」総会での講師に呼ばれまして、90分間ほど講演をしてきました。

 仏友会とは、仏教を愛する同好会ではなく、東京外国語大学でフランス語を専攻した卒業生・中退生の親睦団体で、昭和初期からある伝統のある団体です。同じ外語大でも他の言語にはないようですが、フランス語は結束が固く、立派なHPもあります。かつての出身者に無政府主義者の大杉栄、作家の石川淳、詩人の中原中也、菱山修三らがおります。

 フランス語以外では、外語大出身者には、作家の二葉亭四迷(露語)や永井荷風(清語)、童話作家の新実南吉(英語)らもおりますが、おっと忘れるところでした、島田雅彦先生(ロシア語)もいらっしゃいますが、学生時代に、東京大学出身の某教授が「外語出身者にはロクな奴がいない。皆、二流ばっかじゃないか」と暴言を吐いておりました。余計なお世話ですよねえ(笑)。大杉栄、永井荷風、中原中也といえば、皆、反骨精神の持ち主で、超一流の歴史に残る人物です。体制べったりで、のうのうと暮らす輩とは違いますよ。

香川・愛媛郷土料理・新橋「かおりひめ」の「あられ丼とミニうどん」ランチ1100円⇒月曜日は1000円

 てなことで、そんな反骨精神が買われたのか、今回、私が講師に選ばれてしまいました。最初、「大変優秀な先輩諸氏がいらしゃるというのに、何であたしが?」と思いましたが、振り返ってみれば、マスコミの記者として、普通の人ではとても会えない有名人に数多お会いして、インタビューしております。松本清張、司馬遼太郎、東山魁夷といった大御所を始め、吉永小百合や三田佳子ら大女優にもお会いしています。それに、レコード大賞の審査員を経験したお蔭で、芸能界と裏社会との濃密な関係など大衆の夢を壊してしまうような話を沢山、見聞してきました。そこで、「仕方なく始まった僕のジャーナリスト生活=通信社記者42年」という演題で、講演を引き受けることにしたのです。

 依頼があったのは昨年末か今年初めで、講演のレジュメ(要旨)をつくっていったら、次々と色んなことを思い出し、最初、A4判で1枚だったレジュメが10回ぐらい書き直したり捕捉したりして、7枚に膨れ上がってしまいました。

 当然ながら、90分という時間制限の中、全部話し切れず、半分ぐらいで尻切れトンボになってしまったのは、返す返すも残念でした。

厚労省医政局経済課の厳選なる抽選で、アベノマスク(100枚)が当選しました。税金無駄遣い防止に貢献致しました

 講演内容の詳細はここでは書けません。何しろ、レジュメの頭記に「※取扱注意! 無断転載禁、門外不出でお願いします」」と書いたぐらいですから、世界中に愛読者がいて衆人監視されている有名な?渓流斎ブログに書けるわけがありません(爆笑)。

 しかし、「情報」というものについてはいつもいつも考えさせられます。ナチス・ドイツの宣伝相だった・ゲッベルスの有名な「嘘も百回言えば真実となる」という言葉がありますが、(ゲッベルスではなく、ヒトラー説など諸説有り)、フェイクニュースも真実になってしまうのが、今のウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領やラブロフ外相らの言説に、まさに現れています。言論統制、マスコミ統制が功を制して、あれだけウクライナ市民を大虐殺したというのに、プーチン大統領の支持率が83%という信じらない数字が出ています。

 今の日本がロシアを批判するのは簡単ですが、日本も戦時中は、ロシアと同じように言論統制して、撃墜してもいない戦闘機や軍艦を撃墜したと主張する大本営発表を国民(当時は臣民)に信じ込ませていたではありませんか。

チューリップ

 今の資本主義が蔓延る日本の場合は、広告主の天下です。歌手や俳優やお笑いのタレントをとにかくマスコミで露出させて、その露出によって有名にし、その有名タレントを使ってCMに出演させ、「人気こそが信頼だ」と大衆をだまくらかして、欲しくもない商品を売りまくって経済を回しているという構図をもっと喋りたかったのですが、時間切れでそこまで話せませんでした。

 それより、講師をやったお蔭で、講演会が終わった懇親会で、色んな情報が入って来たことは役得でした。

 例えば、同盟通信社の初代社長の岩永裕吉の父親が大村藩出身の衛生医師長与専斎で、岩永の次兄の長与又郎は、夏目漱石の解剖に従事し、東京帝大の総長まで務めた人、実弟の長与善郎は白樺派の作家…といった話をしたところ、懇親会で「実は、私、長与善郎の縁戚に当たる者です」と仰る方が現れたので驚いてしまいました。

 悪口を言わなくてよかった…(笑)。講演会では「皆、良い人です」と言っておけば間違いありませんね。

 もう一人おりました。講演で、朝日新聞の芸能担当記者が、あまりにも生意気だったので業界から総スカンを食らい、あの美空ひばり(1937~89年、行年52歳)の訃報を特オチした(各紙が一面で報道しているというのに、朝日新聞だけがニュースを知らされず落としてしまった)伝説の事件の話をしたところ、懇親会で、田中先輩が近寄って来て、「あの特オチ記者、篠崎だろ?俺の高校の同級生だよ」と仰るので魂げてしまいました。

 「高校は県立千葉高校だけど、あいつはなあ、高校の時から、将来、東大に行って、朝日新聞に入る、と宣言していたんだよ」というのでこれまた吃驚です。講師をやらなければ、分からなかった情報でした。

 「特オチ記者」の汚名を背負った篠崎弘氏とは、私自身面識はありませんが、「伝説の記者」として業界では超有名人でした。その後、朝日新聞を退社せざるを得なくなり、現在は音楽評論家をされています。

 ただ、篠崎氏の肩を持つとしたら、恐らく、彼は「業界の掟」を破ったのではないかと思われます。業界の掟とは「ギブアンドテイク」の世界です。業界が売り出したい無名のタレントを取り上げて書いてもらう、その代わりに、大物俳優が結婚、離婚したり、亡くなったりしたら、その情報をいち早くお伝えします、という「暗黙の了解」事項です。(今はネット社会なので、過去の話ですが)

 恐らく、篠崎氏は、つまらないタレントや興味のないアーチストらのインタビューを断り続けていたのでしょう。それが、「あいつは生意気だ」ということになり、業界が結束して干したというのが真相ではないかと思われます。勿論、彼も天下の朝日新聞という大看板で踏ん反りかえっていたかもしれませんが。

吉田林檎氏の句集「スカラ座」(ふらんす堂)

 コロナ禍にも関わらず、今年米寿を迎えた最高齢の渡辺先輩をはじめ、会場にまでわざわざ足を運んでくださる奇特な方が沢山いらして、本当に有難い、と感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 最後の写真ですが、仏友会の幹事を務める吉田さんが出版された句集「スカラ座」で、献本として頂いてしまいました。これも、今回講師を務めたからこそです。御一人お一人の名前は書けませんが、事前準備から当日、会場での椅子の移動まで手掛けて頂いた幹事の皆様方には御礼申し上げます。

Facebookからの素敵な贈り物

 Facebookをやっていると色んなことがあります。

 昨日も2018年8月14日に書いた古い記事に、Raja Kumarさんという方から以下の投稿がありました。

 こんにちは 私はあなたのプロフィールと個性に非常に感銘を受けました。そしてあなたに出会うこともユーモアでした。私はスボサーカー氏です。私はここエミレーツバンクオブドバイNBDの銀行役員です。 私はあなたと共有したい重要で緊急のビジネスディスカッションをしています。それはあなたの名前に関連していて、あなたはそれから利益を得るつもりだからです。私はあなたに友達リクエストを送りたいのですが、私はしません。それが適切だとは思わないので、友達リクエストを送るか、プライベートメッセージを送ってください。あなたからの連絡を楽しみにしています。

 なるほど、なるほど。どこか異国のお金持ちの銀行の役員さんが、こんな極東の無名のアカウントを見つけてくださり、しかも4年も昔に書いた記事にまで目を留めて頂いたのですね。有難い限りです。

 少し日本語がぎこちないですが、恐らくGoogle翻訳機を使ったのでしょう。何しろ、Google翻訳機は「生娘(きむすめ」を 「raw daughter (生の娘)」と翻訳するぐらいですから。

 この記事にはどういうわけか2週間前にもMia Michael さんという方から以下のメッセージが来てました。

 こんにちは友人 ここにあなたにメッセージを送ってすみません。 連絡を試みましたが、連絡が取れなかったため、こちらから連絡することにしました。 友達リクエストを送ってください。よろしければ、私たちは仲良しになることができます。ここに友達リクエストを送ってください、 Facebookで

 2018年8月14日に書いた記事のタイトルは「縄文土器と土偶さまには圧倒されました」です。見知らぬ外国人が、日本の縄文時代まで興味を持ってくださるとは、嬉しいやら有難いやら。

 このお二人の文面から察すると、よほど、Facebookに「友達リクエスト」を送ることが重要なようです。何故なんでしょうか?

 先日(4月18日付のブログ)、「Facebookやめますか?人間やめますか?」に書いた通り、私はFacebookのカラクリについてはよく分かっていません。が、Facebookをやる人に悪い人も詐欺師もいるわけがないでしょう? ザッカーバーグさんは、意図的にアルゴリズムを変更せず、過激な投稿が拡散されないようにした、といわれていますからね。

 これからは、世界中の大富豪からおいしい投資の話やら、グラマラスな若い女性から交際のお誘いやら、困った人たちからの援助や寄付金の御願いやら、毎日のように、こっちが忙しくても、投稿がドカスカ来ることでしょう。(あ、そうそう、宇宙旅行をされたあの有名な日本人の大富豪さんらしき方からも「貴方に100万円当たりました」との投稿が二度もありました!)

 本当に楽しみです。

 私はそれら投稿を「Facebookからの素敵な贈り物」と呼んでいます。

 (「素」を取れば、真逆の意味になりますが、まあ、紙一重でしょう。)

「生娘をシャブ漬け戦略」は翻訳不可能?

 昨日は、牛丼チェーン「吉野家」の常務取締役が、東京・早稲田大学・日本橋キャンパスで行われた社会人向け講座での「生娘をシャブ漬け戦略」なる不適切発言が大きな話題を呼びました。問題発言した常務の伊東正明氏(49)は取締役を即刻解任され、吉野家の株も下がりました。河村泰貴社長の役員報酬も今後3カ月間、削減されるといいます。

 「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢、生娘なうちに牛丼中毒にする。男に高い飯をおごってもらえるようになれば絶対に食べない」といった趣旨の発言があったとされますから、あまりにもアナクロニズム、という以上に、傍若無人で女性と貧困層に対する蔑視発言であることは言うまでもありません。

 私の会社の同僚の娘さんは、英国人と結婚していますが、このニュースを聞いて、旦那さんから「どういう意味なの?」と(英語で)聞かれたそうです。生娘?シャブ漬け? 同僚の娘さんは、英語で何というのか思いつきません。そこで、Google翻訳で、「生娘」を検索したところ、出てきた英語が「Raw daughter」。まさに、生の娘です。英国人の旦那さんは目を白黒させました。

 今度は「シャブ漬け」です。こちらは「Pickled in shabu」。はあ~? シャブシャブの漬物かいな!? こりゃ、駄目だあ~。

銀座・中華「東生園」 肉野菜炒めランチ 900円

 問題になった「デジタル時代のマーケティング総合講座」は、全29回で受講料38万5000円だったとか。初日16日の発言だったそうで、問題が発覚したため、講座をキャンセルする人も出たようです。(その場合、主催者の早大は受講料は返金する用意があるという)取締役を解任された伊東氏は、米系生活用品大手のP&G出身で、辣腕のマーケッティング力が買われ、2018年に吉野家に転身しました。華麗なる経歴です。今回は、顧客を小馬鹿にする本音の戦略が、ポロリと漏れてしまったということなのでしょう。

 彼の発言を聞いていると、彼は自社製品(吉野家の牛丼)は貧乏臭くて食べられない、自分は食べないからね、と言っているようなものですからね。

 ちなみに、吉野家の牛丼、私は好きで食べていましたよ。

東京・銀座 ドイツ料理「ローマイヤー」日替わりランチ1100円

 でも、世界的な某清涼飲料水の会社の社長は自社製品は飲まないと聞いたことがあるし、世界的ファストフード店の会長も食べないと聞いたことがあります。直接、本人から聞いたわけではないので、信憑性は不確かですが、むべなるかな。

 ということは、カリスマ講師伊東氏は、単に会社戦略を正直に吐露しただけで、本人は嘘がつけない大変正直な人なのかもしれません。

 だって、人間ですからね。

 

Facebookやめますか?人間やめますか?

 私は、この《渓流斎日乗》ブログを独立したサイトとして立ち上げた際(2017年9月)、M氏の薦めで、初めてFacebookを始めました。それまでは、何となく胡散臭い感じがしてやらなかったのですが、「Facebookをやればアクセス数が増えますよ」とのM氏の御託宣で始めたわけです。

 でも、いまだにFacebookのカラクリについてはよく分かっていません。昨今、世界各国でプライバシー保護や独占禁止法などでFacebookに関する批判記事がかなり増え、それらを一生懸命に読んでも、実は何が悪いのかさっぱり分かっていませんでした。

 それは、Facebookはどんな会社なのか、その実体が分かっていなかったからです。

 もう10年以上昔になりますが、Facebookの創設者マーク・ザッカーバーグの半生をデビッド・フィンチャー監督が映画化した「ソーシャル・ネットワーク」(2011年)も観ましたが、やたらと、のべつまくなく喋りまくる名門ハーバード大学の学生(ザッカーバーグ)が、ネットで友人たちとの交流サイトを立ち上げる話だけは分かりましたが、肝心のビジネスモデルに関しては全く触れていないので、やはり、カラクリがサッパリ分かりませんでした。

 カラクリとは、ビジネスモデルのことであり、何を商品にして売って取引をして莫大な利益を上げているか、ということです。

 勿論、それらは「企業秘密」なので、社外の人間には全く明らかにされていません。先日、Facebookの元従業員で内部告発者のフランシス・ホーゲン氏が朝日新聞の独占インタビューに答えていました(4月16日付朝刊)。同氏は、Facebookが画面に表示する投稿の順番を決めるアルゴリズム(計算手順)を2018年に変更したため、過激な投稿が拡散されやすくなったこと。また、Facebookが利益を1、2%程度減らすだけで、75%の偽情報を減らすことができることなど、元社員でなければ分からない有益なことを明らかにしてくれました。が、平たく言えば、Facebookは何で稼いでいるのか、記事には一行も書いてくれていませんでした。つまり、利益を減らす、と言われても、どうやって減らすのか、インタビューアーはそこまで突っ込んで質問していないか、わざとなのかボカしています。

 Facebookは、大統領選挙にまで影響を与える巨大IT企業です。世界で29億人以上が利用しているといいます。我々の日常生活にも関わる大問題だとしたら、是非とも調べなければなりません。しかし、先程言ったように「企業機密」ですから、実態は分かりません。そこで、勝手に推理することにしました。

 まず、Facebookは、無料で仕入れた「個人情報」を顧客に売却していることは間違いないでしょう。「買う人」がいるから「売る人」がいるのです。個人情報を買う顧客とは、恐らく、大企業、調査会社や探偵社、宗教や政党などの団体組織あたりか。

 話は少し飛びますが、「贈収賄事件」というものは立件がかなり難しいそうですね。収賄した政治家がはっきり分かったとしても、大企業なり贈賄した側が口を割らない限り立件しづらい。それに証拠も出にくい。過日も、某マンモス私大の理事長が逮捕されましたが、贈収賄罪では難しいので、約5200万円を脱税したとする所得税法違反罪で起訴されました。

 同じように、Facebookの個人情報を「買う側」を調べ上げることは困難なことでしょう。でも、「買う側」とは、その個人情報を使って商品を販売したい企業か、世論を故意に操作して自分たちに有利に働かそうとする団体かもしくは国家であることは間違いないでしょう。個人情報を「売る側」と「買う側」はウィンウィン関係なので秘密のヴェールに包まれるわけです。

 Facebookは、世界29億人も利用しているといいますから、影響力は絶大です。いわゆるネットのプラットフォームになっていて、Facebookを通して、ニュースを見たり、個人的に商品を売買したり、人の噂やブログを見たりする国の人々が多いのです(意外にもヴェトナムなんかそうです)。それでいて、現地に相応の税金を支払っていないということで、各国は問題視しています。

 何しろ、個人情報は、馬鹿な大衆(失礼!)が、住所氏名年齢職業性別、独身、家族構成まで、せっせと貢いでくれているわけです。ハゲタカにとって、こんな無防備で御し易い獲物はいません。無駄が一切なく、ピンポイントで襲うことができるからです。となると、タダで仕入れた商品を高額で売りつける悪徳商法と変わりないということになります。例えてみれば、ゼロ金利で仕入れた原資を使って、高金利で貸し出すサラ金みたいなものでしょう。もしくは、河原で拾って来たタダの石を高値を付けて売っている商人みたいなものでしょう(つげ義春さんの漫画にもありましたね。こちらは売れずに悲惨な状態でしたけど)

 扨て、もう一度、前述した内部告発者のフランシス・ホーゲン氏の話に戻ります。「Facebookが画面に表示する投稿の順番を決めるアルゴリズムを変更したら過激な投稿が拡散されやすくなった」とはどういう意味なのでしょうか?これまた、詳細に理由を書いてくれないので、想像するしかありませんが、馬鹿な大衆は(これまた失礼!)過激な投稿を好み、「いいね」が多く付いた投稿を読みたがるので、それが相乗効果になるということが推理できます。過激な投稿とはデマでもフェイクでもお構いなしです。アルゴリズムを変更したというのは、そんなデマやフェイクを排除するフィルターを弱めた、ということなのでしょう。

 ということは、ホーゲン氏が暴露したもう一点、「Facebookが利益を1、2%程度減らすだけで、75%の偽情報を減らすことができる」というのは、Facebookはアクセス数を増やすために、偽情報を黙認している、という指摘になります。

 Facebookに注目が集まれば集まるほど、存在価値が高まり、ただで仕入れた個人情報の売却益も雪だるま式に増えるということを意味します。

 そんな悪徳商法に反感を持つようならFacebookを止めれば良いのです。しかし、大企業からブログで広告収入を得ている個人に至るまで、止めることは、痛し痒しの話です。

 ヒトは、他人から利用されているのに、自分が利用している、と思いたがる動物です。「馬鹿な大衆」とは自分ではないと思っているのです。自分は絶対に騙されないと確信している人間に限って、オレオレ詐欺などに騙されるというのに。

 以上、私の推理に過ぎませんが、まさに「Facebookやめますか?人間やめますか?」という話でした。

名古屋といえば尾上菊五郎丈を思い出す

 お断りするまでもなく、《渓流斎日乗》は、「双方向性メディア」を謳っておりますが、個人的な身辺雑記です。最近は「読書感想文」が多いのですが、日々感じた由無し事(よしなしごと)を気儘に書き連ねています。

 ということは、その時「知り得た情報」と「時代背景」での感想ですので、その後、「転向」して考え方も変わっていることもあります。むしろ、そういう場合が多いでしょう。いずれにせよ、本日、このブログの総閲覧数が、2017年9月15日に独立(2005年開始から2017年までは、gooブログでお世話になっておりました)して以来、61万アクセスを超えましたので、読者の皆様には感謝申し上げます。本当に有難い限りです。

奉供養庚申之塔・宝永□□□九月吉祥日 宝永年間(1704~11年)綱吉、家宣の時代、300年以上昔の碑か?

 扨て、また、個人的な話ですが、来月、名古屋に行くことにしました。旧い友人に会うためですが、半ば冗談で「大先生(私のこと=笑)がお出ましになるので、粗相のないように」とメールしたら、彼は、3日も寝ずに考えたような旅程表を作ってくれました。

 私自身は、旨い酒の肴を出す飲み屋さんと、名所旧跡は秀吉、清正所縁の地を希望していたのですが、彼は熱田神宮を旅程に組み込んでくれました。熱田神宮といえば、名古屋から離れたずっと遠い所かと錯覚していたのですが、結構近いんですね。名古屋市内でした(笑)。私は40年近い昔、名古屋にはプロ野球の取材等で何十回訪れたのか分からないほどですが、ほとんどホテルと球場と飲み屋さんの往復ぐらいで、名古屋城さえ行ったことはありませんでした。駄目ですね(苦笑)。

 そう言えば、思い出したのですが、これまた30年ぐらい昔の話ですが、歌舞伎の尾上菊五郎丈主演の舞台が名古屋の御園座で行われるということで、演劇記者の招待会がありました。どういう経緯(いきさつ)だったのか忘れましたが、記者会見と懇親会が終わった後、どういうわけか、私一人だけが音羽屋さんに気に入られてしまい、二次会に誘われました。

 音羽屋さんとは、勿論、当代七代目菊五郎丈のことです。そこで私は生涯忘れない数奇な経験をするのです(笑)。

 音羽屋さんは「芸人の鑑」みたいな方で、名古屋一の繫華街「栄」に馴染みの店がたくさんあるようでした。しかも、行く所は、東京・銀座の高級クラブのような、綺麗どころさんを何人も揃えて「座ってナンボ」みたいな店です。恐らく、座っただけでも3万円ぐらい取られそうな超高級クラブばかりです。

 1軒目は、水割りを1、2杯呑み、「俳名(はいみょう)」など真面目な話をして、「髙田さん、次、行きましょうか」と仰るのです。30分も座っていなかったと思います。2軒目は、ちょっとお化粧がケバイ、ちょっと董(とう)が立ったマダムで、「あらあ、ヒーさん。ちょっと、何処で浮気してたのよー」と、映画か漫画でしか見たことがないようなセリフをしゃべり、菊五郎丈も「俺も忙しいんだよ」とか何とか言いつつ、高級ブランデーを舐めて、この店も20分ほどで切り上げ、「河岸(かし)を変えましょう」と3軒目へ。ここは、かなり若いキャピキャピの女の子がいっぱい。ワイワイ、キャアキャア言いながらも、客が、あの天下の七代目菊五郎だということがまるで分っていない様子。

 ここも20分ほどで切り上げて4軒目へ。今度は照明を落とした薄暗いバーで、菊五郎丈は、ママに「よっ!」と声を掛けて、水割りをほんの少し口に含んで、次の店へ。もう、その頃は、私も酔いが回り、右も左も分からず、ただ「はい、はい」とついていくばかりです。5軒目は、またキャバレー風の明るい店で、熟練の女性が3人付き、菊五郎丈は「俺を誰だか知ってるかあ?暴れん坊将軍とは俺のことだあー」とすっかり興に乗ってしまい、「おーい、次、行くぞー、髙田~」と豹変。あれ?最初は「さん」付けしてくれたのになあ?と思いつつ、御主人様に只管付いていくのみです。6軒目、7軒目ぐらいまでは覚えているのですが、あとは記憶が消えました。ただ覚えているのは、本当に「座っただけ」で何も頼まず、「次~」の掛け声で新たな店に移っていたことでした。

 こんな体験したのは、世間広しといえども、歴史上、私ぐらいでしょう(笑)。勿論、お店は「顔パス」で、払いはツケでしたから、後で高額の請求書は勧進元の松竹に回って来ました。松竹の広報の人からは「髙田さん、派手に引き回してくださいましたねえ」と嫌味を言われてしまいました。勿論、「えっ!?逆でしょう!!」と言い返しました。もう音羽屋さんは覚えていないかもしれませんが(笑)、私は一生忘れない想い出です。

 あ、そうそう熱田神宮の話でした。ここは三種の神器の一つ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を御霊代(みたましろ)とした格式の高い神社として有名ですが、この剣は、源平合戦の壇ノ浦の戦いで、三種の神器を携えた安徳天皇とともに海に沈んだはずです。と思ったら、私の手元にある「一生に一度は行きたい日本の神社100選」(宝島社)には、関門海峡に沈んだとされる草薙神剣は形代(かたしろ=本物になぞらえたもの)で、本物は今でも熱田神宮にまつられている、と書いてありました。

 勿論、草薙神剣は非公開でしょうが、熱田神宮のお参りが楽しみになりました。

【追記】2022.4.18

 今思い出しても、音羽屋さんとの名古屋での「はしご酒」は奇跡のような体験でした。考えてみれば、当時の菊五郎丈は50歳代で今の私より若い!ズバリ、竹を割ったような裏のないさっぱりとした性格で、男気のある方でした。

 私の世代は、音羽屋さんが菊之助時代に出演したNHK大河ドラマ「源義経」(1966年、音楽は武満徹!)の印象が強いので、その話をしたら、「俺はもうテレビ(のドラマ)には出ねえよ。歌舞伎役者だから舞台に懸けているだ」と話してくださったことがとても印象的でした。

 「源義経」で静御前役だった藤純子さんと後に結婚されたので、ドラマの共演がきっかけだったと思いましたが、その話ははぐらかされました。とても真面目な人でした。

誰かウクライナ戦争を止める人はいないのか?

 私が子どもの頃、「サイゴン」だの「ダナン」だの「トンキン湾」だの、そして「ソンミ」といった、見たことも行ったことも聞いたこともない異国の地名を耳から自然と覚えてしまったものでした。

 ラジオやテレビで盛んにヴェトナム戦争を報道していたからでした。特に1968年3月16日、米軍兵により虐殺事件があったソンミ村は脳の奥深くに刻まれました。

 同じように、今の子どもたちは、「マリウポリ」や「ブチャ」「ボロジャンカ」というウクライナの地名が脳裏に刻まれることでしょう。

 そこでは民間人への非人道的な鬼畜が犯す大量殺戮と虐殺がロシア軍によって意図的に行われました。プーチン大統領は「下品でシニカルな挑発行為だ」などと頬かむりしていますが、生存者の証言や米国の衛星放送の写真などから、明らかに残虐行為が行われたことは事実です。

築地「肉と酒 はじめ」ハンバーグ定食980円

 テレビでは、無残にも殺害されたウクライナの一般市民の遺体が、分からないように「加工」されて放送されていますが、1960年代、70年代のヴェトナム戦争では、かなり衝撃的な残酷な写真や映像が子どもでも見られたものでした。当時はプレスコードが甘かったからかもしれません。

 南ヴェトナム政府軍の男が、若い男性を「スパイ」と決めつけて、群衆の前でピストルで「処刑」したり、地雷を踏んだと思われる「ベトコン」のバラバラになった遺体を米軍兵が持ち上げて見せたり、殺害したベトコン兵士を脚に紐を付けて戦車で引きずっていたり、とても正視に耐えないものばかりでしたが、それによって戦争のおぞましさと悲惨さが伝わってきました。

築地「和み」ランチ寿司1300円

 勿論、ウクライナの残虐写真を公開するべきだなどと言うつもりは全くありません。今はネット社会ですから、その気になれば見ることができます。下半身だけが裸にされた不自然な女性の遺体もありました。ロシア兵による、そのあまりにも残虐な行為が想像できます。殺害された彼女たちは、さぞかし、辛く、酷く屈辱的な地獄の苦しみを強いられたことでしょう。

 何よりも、悲しみより憎悪が沸き起こってきます。しかし、憎悪の連鎖は避けなければなりませんが。

 平和な国々では、高価な寿司やステーキをたらふく食べ、ビールを飲みながら、プロ野球やサッカー、ゴルフなどを観戦して楽しんでいるというのに、ウクライナの惨状と悲劇はあまりにも不公正で不条理です。

 たった一匹の誇大妄想の霊長類のせいなのに、国際社会は何故止められないのでしょうか?

 戦争犯罪が認められれば、独裁者は裁判で絞首刑か毒殺刑が待っています。となると、自分だけは安全地帯に隠れて、自己保存意識だけは肥大した独裁者は「勝つ」まで戦争を続けることでしょう。「長期戦になるのではないか」という実に嫌な観測さえ流れています。

 もう、これ以上の犠牲者はこりごりです。