ブログ更新できなかった言い訳=コロナは陰性でした

 ブログ更新は7月15日(金)以来実に1週間ぶりです。

病気してました(苦笑)。今年5月の大型連休中には酷い風邪に罹り、3日間も寝込みましたが、今回はもっと酷くて、17日(日)昼前から21日(木)深夜にかけて、5日間もwatery diarrhea に悩まされました。多い時は、夜中に20回もトイレに駆け込みましたから、疲労困憊。薬をのんでもなかなか治らず、こんなの初めて。さすがに人間やめたくなりましたよ(苦笑)。

 一番辛かったのは、私の人生の愉しみの「最後の砦」(笑)だった食欲が全くなくなり、少し口に入れても受け付けなかったことでした。アルコールも駄目です。

 先週までは、入院した友人や、メールをしても返信が来ない年長の先輩たちの健康問題のことばかり気になり、心配ばかりしておりましたが、自分のことで精一杯になり、それどころではなくなりました。人生、美味しいものが食べられて、夜ゆっくり眠られることが最も幸せであることを身に染みて体験しましたよ。

◇コロナが身近に

 15日(金)を最後に会社に行っていなかったのですが、その間、不運にも会社の同僚が新型コロナに感染していたことが分かりました。彼は、かなりの潔癖症で、手洗い消毒は欠かさず、帰宅する際に自分の机の周りを一生懸命にアルコール消毒するほどでした。しかも、会社の近くに住んでいるので通勤電車に乗ることさえありません。不思議ですねえ。一番気を付けていて、一番罹りそうにもない人がコロナになるとは!

 私自身は熱も咳もありませんでしたが、一応受けておいた方が良いと考え、19日に自宅近くの内科クリニックで、「ついでに」PCR検査も受けることにしました。翌日、結果が分かるはずでしたが、ここ最近、コロナ患者が爆増したこともあり(7月21日は全国で18万6246人、東京でも3万人を超え、過去最多)、検査も殺到して、間に合わず、21日の朝8時にやっと、結果が分かりました。

 結果は「陰性」でした。ヤレヤレです。

銀座「ローマーヤー」イングリッシュマフィンのオープンサンド~ローストビーフとクロックマダム~1540円

 クリニックの先生はとても良い人なのですが、どういうわけか、「症状」が出た人は院内の冷房の効いた待合室に入れてもらえず、外の炎暑で待たされます。自家用車を持っている人はいいでしょうが、私にはないので、暑い中、外のベンチで、一時間ぐらい虫の息で待ち続けました。そして、色々と症状を聴かれ(問診)、いよいよ検査でもしてくれるのかな、と思ったら、看護師さんらしき人が出てきて、会計と処方箋の紙を持ってきただけです。多分、食当たりか、ウイルス性胃腸炎でしょうが、病名も何も分かったもんじゃありません。どちらにも効く薬を処方したようでしたから。

 こんな目に遭わないためには、人間、病気にならないことです。でも、細心の注意を払っている品行方正な真面目人間に限って、病魔が襲ってくるんですよね。どうにかなりませんかねえ?…。

銀座・昭和通り

 実は、症状が一番きつかった18日(月)=「海の日」祝日=は、私の誕生日でしたので、3人の友人知人と、親戚家族からお祝いのメッセージを頂きました。その中には、Facebookをやめたのに、わざわざ私のブログに直接アクセスしてくれたり、意外にも「隠れて読んでいる」人だったりしました。驚くとともに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 というようなことがあったもので、御心配をお掛けした皆様に対して、今回、ブログを更新できなかった言い訳をクドクド述べさせて頂いたわけです。

 人間、健康が一番。健康にさえなれれば、死んでも構わない。ちっぽけなブログを貶されようが、監視されようが、大したことではありません。

 なんくるないさー。

読者プレゼントに続けて当選してしまいました=人生は縁と運

 うひゃぁ~! 何たるちいあ(死語=笑)!

 応募した懸賞が続けて当選してしまいました。一つは、東京新聞の「6月16日 和菓子の日・読者プレゼント」(全国和菓子協会)です。応募したことさえも忘れていたので吃驚です。

 当選したのは、和菓子柄のエコバッグです。折り畳めばポケットに入る便利なバッグです。

 こりゃあいい。こいつは春から縁起がいい。(今は夏でした!)

 東京新聞と全国和菓子協会に感謝です。

もう一つは、「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」の入場券です。ここ数年、毎月購読している「歴史人」(ABCアーク)7月号の読者プレゼントで当選しました。

 実は同誌6月号で、あまりにも誤字脱字が多かったので、応募はがきにそれらをクドクドと指摘したので、恐れをなした編集部が気を遣って、私に当選させ、「口封じ」(笑)を狙ったものとみられますが、残念、こうして書かれてしまいました(爆笑)。

 「歴史人」読者プレゼントに当選したのは、これで4回目ぐらいです。凄い当選確率です(笑)。それだけ、私が、毎号、熟読して意見もどしどし述べているせいなのかもしれませんが、過去の当選者でも排除しない出版社の心意気には大変感謝したいと思っております。

 有難う御座いました。

 そして、「大河ドラマ館」も、2017年の井伊の「おんな城主 直虎」(浜松市)、2020年の明智光秀の「麒麟がくる」(岐阜市)、2021年の渋沢栄一の「青天を衝け」(東京都北区飛鳥山)と結構行っておりますので、今年の「鎌倉殿の13人」(鎌倉市)も「勉強のために、是非とも行って来い」ということになったのでしょうね。

新橋演舞場

 話は飛びますが、私のこれまで生きて来た苦難の人生の経験上、得た教訓は、「人生とは縁と運」でした。そして、それはてっきり自分だけが考えたものだと誤解していました。

 そしたら、先日、NHKラジオの「ビジネス英語」を聴いていたら、出演者のジェニー・シルバーさんが、こんな発言をしたのです。

 Life is about fate and luck, but fate will only come to you when you make the effort.

(意訳)人生とは縁と運みたいなものです。でも、縁というのは、努力して初めて恵まれるものではないでしょうか。

 えーー!? 「運」なら、西洋的な思想に思えますが、「縁」とはまさに仏教思想というか東洋的だと思っていたので、欧米人でも、縁と運の両方を重視する人がいたとは意外に思ってしまったのです。

 ま、同じ、人類として西洋人も東洋人も何も変わらない、ということなのかもしれませんが。

デンマーク製の腕時計、買っちゃいました

 ムフフフ…やはり、買ってしまいました。

 私の愛用のグランドセイコー高級腕時計が、目下、オーバーホール中であることは以前、この渓流斎ブログに書きました。そして、そのオーバーホールに1カ月半も掛かるということも書きました。その間、どうしようかと思いを巡らし、3~4年ごとのオーバーホールで毎回5万円も掛かるようでしたら、3~4年で壊れてしまっても、メンテナンスの掛からない格安腕時計を買い換えればいいのかもしれない、ということも書きました。

 具体的には、会社の同僚が買ったばかりのデンマーク製の格安腕時計です。ちょっと見ただけでは、そんな格安時計には見えず、デザインが良いので高級腕時計に見えるほど見映えが良いーといったことも書きました。

Bering fabrique en Danemark

 じゃーん、それが、この腕時計ベーリングでした。

どうっすか? そんなに安物には見えないでしょ? でも、グランドセイコーのオーバーホール代でこの腕時計が2個ぐらい買えちゃいます(笑)。

 これで、何と3年間の保証書が付いているのです。不可抗力でガラスが破損した場合、5年以内なら格安割引修理もしてくれるそうです。

 本当は、色はブルーを狙っていたのですが、店頭にはこのブラックしかありませんでした。でも、ソーラー電池ですから、電池交換は一切なし。太陽や蛍光灯にさらしておくだけで充電してくれるのです。これ以上のメンテナンスの経費が掛からないところがいいですよね。

 ありがたや、ありがたや。

銀座「ひょうたん屋」うな丼2000円

 今日から、わざとらしくこの腕時計を周囲に見せびらかして、歩くことにします。

 何か言われたら、「うーん、この時計、デンマーク製なんだけど、ソーラーなんで充電しなきゃなんないんすよお」と弁解することが出来ます(笑)。

 私は、実に単純な人間なので、この腕時計をはめると、何か、自分がデンマーク人になった気分になれます(笑)。

銀座・ドイツ料理「ローマイヤー」ポークソテー1100円

【追記】2022年7月5日

 通勤電車の中で監察したところ、腕時計をはめている人は、7人中3人と半数以下でした。若い人だけでなく、60歳代とみられる紳士までもが腕時計を付けていませんでした。夏は半袖なのですぐ分かります。恐らく、スマートフォンを腕時計代わりに使っていると思われます。

 「クールビズ」でネクタイが絶滅危惧種となったように、スマホのお蔭で、腕時計も絶滅危惧種になったということかもしれません。

 うーん、何処も同じく大変ですね。

 

 

奇跡のような音楽セッション=ジョージさんのお導きで

 昨日は、またまた奇跡のようなことが起きました。この渓流斎ブログにかなりの頻度でコメントをお寄せ頂いている小澤譲二氏(以下ジョージさん)からお誘い頂き、初対面ながら彼の友人の自宅で行われた音楽セッションを見学して来ました。

 まずあり得ませんよね?(笑)。

 いくらブログにコメントをお寄せくださる方でも、書かれていることが真実かどうか確かめようがありません。ですから、いくら招待されたからと言っても、ノコノコとついて行くのも大胆不敵、というかマヌケです。

JR高輪ゲートウェイ駅

 でも、このジョージさんは、毎回、コメントでかなり御自分のプライベートなことを微に入り細に入りご報告くださり、そのせいか、全員が簡単に読むことが出来るブログの「コメント欄」にアップするのは憚れました。それでも、大変正直そうな方に見え、大変な音楽好きなセミプロで、一時期、一世を風靡したゴダイゴのタケカワユキヒデさんとも御関係があるというので、これも何かの御縁、ということで、出向くことにしたのです。

 人生、縁と運ですからね。

 ジョージさんの御祖父は、横浜の貿易商として来日した英国人でした。小学校から高校まで横浜のインターナショナル・スクールに通い、大学はICU(国際基督教大学)です。ICUと言えば、私の小中学校時代の友人の三由君の母校でもあり、授業は英語だったと聞いたことがあります。かなりレベルの高い大学です。

 ジョージさんの自己紹介によると、小学校から大学のICUまでクラスメートだったジョニー野村さんと大学でバンドを結成し、その際、ヴォーカルに同じ大学の奈良橋陽子さんを迎えたといいます。後にジョニーさんと奈良橋さんは結婚します。この二人は、業界では知る人ぞ知る有名人で、ジョニーさんは、音楽プロデューサー、奈良橋さんは、ハリウッド映画のキャスティング・プロデューサーなどとして活躍します。

 二人は、大学時代のESSで、後に俳優になる中村雅俊さん(慶応大学)やタケカワユキヒデさん(東京外国語大学)らと知り合います。そこで、ジョニーさんは、旧友でゴールデンカップスで活躍していたミッキー吉野さんをタケカワさんに紹介して、あのゴダイゴ結成に繋がったといいます。ゴダイゴは「銀河鉄道999」や「ガンダーラ」などヒット作を連発します。

 また、奈良橋さんの方は、トム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」(2003年)のActing Producerとして渡辺謙らを抜擢して大ヒットさせます。

 奈良橋さんは現在も演出家、劇作家、作詞家などとしてご活躍されていますが、ジョニー野村さんは、昨年(2021年)、惜しくもセブ島の自宅で亡くなりました。行年75歳。

 ゴダイゴのタケカワさんは、私の大学の先輩で、しかも、私も在籍した同じ音楽クラブの先輩だったという浅からぬ御縁がありました。もっとも、大学のキャンパスでは一度もお会いしたことがなく、見るのはテレビのブラウン管を通してでした。彼は、外語大に行かずに、ICUばかり通っていたことが分かりました(笑)。

気温35度という炎天下のため、都心なのに、人影もまばら

 さて、ジョージさんとは2020年に出来たばかりで、私も生まれて初めて降りるJR高輪ゲートウェイ駅の改札で待ち合わせしました。初対面のジョージさんは意外と小柄な方だったので驚きました(とはいえ、170センチはあると思いますが)この時、ジョージさんのICUの同級生で、C&Wバンドのプロ(キーボード)になった西村さんと、横浜のインターナショナル・スクール出身でヴォーカルのメアリーさんを紹介されました。

 西村さんは以前、吉祥寺に住んでいた時、近くにゴダイゴのタケカワさんも住んでいて、あの名曲「ガンダーラ」を、ミッキー吉野さんらと一緒に作曲している途中経過の場面に遭遇していたエピソードを後で伺い、これまた吃驚しました。

 音楽セッションをやる会場は、ジョージさんの古くからの友人の営ちゃんの自宅マンションの一室でした。もう50年近く住んでいるということでしたが、地下鉄泉岳寺駅から数分ですから、かなりの高級マンションでした。営ちゃんは、立教大学出身で、学生時代にテレビの「エレキ合戦」に出演して決勝まで進んだとかいう伝説の持ち主でした。

JR高輪ゲートウェイ駅

 マンションには、もう一人、営ちゃんの立教大学の後輩で一緒にバンドをやっていたメンバーの一人で、サックス奏者の全ちゃんもいらっしゃいました。これで全員ですが、初対面の方ばかり一気に5人ですから、こんがらがってしまいました。普通の人だったら臆するところでしょうが、私は人と会うのが仕事でしたから、辛うじて大丈夫でした。

 皆さん、私より年長の70歳代でしたから、ジョージさんのギター、西村さんのキーボードのセッションでやる曲は、ポール・アンカとかフランク・シナトラとか、エディット・ピアフとか、ディーン・マーチンとか、かなり古いのです。私の青春時代の音楽は背伸びしても1960年代の洋楽ポップスですが、先輩方の青春音楽は1950年代でした(笑)。でも、名曲ばかりで、「若造」の私でよく知っている曲で、昼間からビールを飲みながら、一緒に口ずさむことができました。

 2時間ぐらいでお暇しましたが、やはり、奇跡のような出来事でした。

 ※肖像権がありますので、渓流斎ブログではあまり顔写真はありません。

高級腕時計は高級車並みに維持費が掛かる?

 ほんの少しですが、今日は動揺したことがありました。

 愛用する腕時計の電池が切れて、針が止まってしまったので、会社の昼休みに電池交換のために東京・銀座の和光に行きました。この腕時計は購入してから6年近く経ちますが、電池交換はこれで2回目です。前回、電池交換した際に、「次回は是非、オーバーホールをご用命ください。3〜4年に一度が目安ですから」と言われたので、その通りにしたところ、そのオーバーホールに掛かる金額が何と4万円以上もしたのです。修理ではなく、単なるメンテナンスでそんなに掛かるとは! そして、もし、バンドの留め金等の交換が必要になった場合、さらに1万円以上掛かるというのです。合計5万6100円。安い腕時計なら1〜2個買える値段ではありませんか!(笑)。

 しかも、オーバーホールには1カ月半も掛かるというのです。

東京・銀座の和光

  実は、私の腕時計はグランドセイコーで、国産時計の中では一、二位を争う高級腕時計と言われています。定年退職を記念して、誰も買ってくれないので自分で買ったのですが、確か、25万円ぐらい致しました。でも、高級時計ともなると、高級自動車並みに維持費がかかるとは、今回初めて知りました。

築地「鳥藤」親子丼950円 旨い

 銀座4丁目の和光とは服部時計店、つまりセイコーの本店ですが、私があまりにも裕福そうに見えたのか(笑)、お店の人から少し高く吹っ掛けられたのかなあ、と疑ってしまいました。が、会社に戻って、ネットで調べたところ、ロレックスだのパテック・フィリップだの世界の超高級腕時計クラスとなると、その基本メンテナンス代だけで、5万円とか、さらには12万円とかすることを初めて知りました。ということは、グランドセイコーのオーバーホール代も相場の値段だったということになります。

 やはり、高級腕時計って、金喰い虫だったんですねえ(笑)。

 そこで、会社の同僚が、最近買ったというちょっと見映えが良い腕時計について詳しく教えてもらうことにしました。その時計はデンマーク製でしたが、3万円程と驚くほど格安です。デザインが良いので、そんなに安い代物には全く見えません。30万円ぐらいの腕時計に見えます(笑)。しかも、ソーラー電池なので、電池交換は必要なし、とまで言うのです。

 随分、レベルの低い、せこい話ではありましたが、このデンマーク製の時計を買おうかどうか、迷ってしまいました(笑)。3年ごとに5万円のオーバーホール代が掛かる高級腕時計か、3万円の格安腕時計を3年故障なしでもたせるか、の違いのような気がしたわけさ〜(何で急に沖縄弁?)

我々は一瞬のDNAの運搬車に過ぎないのか?=ノンフィクション作家S氏と新宿・思い出横丁で歓談

 昨晩は、久しぶりにノンフィクション作家のS氏と、新宿・思い出横丁の「五十鈴」で歓談しました。

 コロナの影響で、S氏と直にお会いするのは半年ぶりぐらいでした。今回は、かなりS氏の私的な話を伺ってしまい、プライバシーの侵害になってはいけないので、「S氏」ということで留めておきます(笑)。

 S氏は今月6月で何と、満81歳を迎えました。何処も病気らしいものはなく、矍鑠して元気そのものです。今でも、週に何本か(の締め切り)原稿を抱えているというので、これまた驚くばかりです。「何でそんなにバイタリティーがあるんですか」と毎回お会いする度にお尋ねするのですが、いつも「好奇心ですよ。人間に興味があるんですよ」と答えます。

 私なんか、最近色々あって、人間なんて大嫌いになっていたところでしたので、お話は大いに刺激を受けました。

新宿・思い出横丁「五十鈴」

 新宿は久しぶりでした。紀伊國屋書店などがある東口なら、1~2年前に新宿三丁目の呑み屋さんから歩いて来てフラフラしましたが、西口ともなると5~6年、いや7~8年ぶりぐらいです。いやあ、実に変わりました。特に地下街が変わり、どこから地上に出ていったらいいのかさっぱり分からず、迷子、いや迷い人になりそうでした。S氏が指定された彼の行きつけの焼鳥店「五十鈴」がある「思い出横丁」も、昔は「しょんべん横丁」と即物的に言ったものでした。戦後間もない闇市の面影が残っていて、昔はバラック建ての簡素な店が多かったでしたが、今は、少しあか抜けしておりました。

 思い出横丁には、630坪という狭い土地に、屋台のような間口の狭い呑み屋が60軒も連なっているので、行き慣れていないと訳が分かりません。「五十鈴」は、看板が目立たず、ギブアップしてしまいました。S氏に電話をかけ、迎えに来てもらい、(とは言ってもほんの数メートルの距離)やっと辿り着くことができました。S氏は開口一番、「この店はもう60年ぐらい通い詰めてますよ。主人は三代目かな」。へー、そんな長く!とは言っても、給仕をしてくれたのは中国人の若い女性でしたが。

 さて、乾杯して呑み始めたところ、S氏のスマホに電話がかかってきました。ノンフィクション作家の沖藤典子氏からだ、と後から教えてもらいました。さすが、顔が広いS氏でした。(沖藤氏もこんなところで名前を出されて御迷惑でしょうが)

 以前、S氏にお会いした時、主にS氏の御先祖さまのことを伺いました。大正生まれの御尊父は、陸軍大学卒のエリート軍人で南京駐在武官、明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒の海軍大佐、江戸幕末生まれの曽祖父は、六百石扶持の馬廻役の直参旗本という血筋の良さでした。

 今回は御子息のことを伺いました。長女の方は、米国の名門スタンフォード大学に留学し、そのまま米国に住んでいるようですが、「(職業は)今何をしているのか知らない」としらばっくれておりました。長男さんの方は、東工大を出て、今は、結婚した奥さんの実家である薩摩の島津系の建設会社の社長さんを任されているとか。

 御先祖さまが優秀なら、子孫も優秀だということです。リチャード・ドーキンスが言うように、我々は、生物の連環の中で、ほんの一瞬のDNAの運搬車に過ぎないのかもしれません。

 これ以外で、本当は、二人でもっと重大な密談をしたのですが、密談なので茲には書けません。悪しからず(笑)。

43年ぶりに憧れのマドンナと再会できました

 人は半世紀近い年月を隔てても、再会して話が通じ合うようなことができるのかーといった哲学的命題を解明したいがばっかりに、大学を卒業して一度も会ったことがなかった女性と43年ぶりぐらいに東京・恵比寿のイタリア料理店で、感動の再会を果たしました。私の大嫌いで、もうあまりやっていないFacebookで御縁が繋がり、私がブログに神谷町のことを書いたことがきっかけで、再会することになりました。1時間半ばかし、積もるよもやま話をして参りました。

 御本人から、最初、「ブログには書かないで」と言われましたが、「いや、ブログは私の正業なので、遠回しに書かさせて頂きます」と無理やり、宣言してしまいました(笑)。ので、お名前は匿名で楸さんということにしておきましょう。楸さん?まず読めないでしょう?(笑) 「ひさぎ」さんと読みます。

 何しろ、この奇跡的な再会については、名古屋に住む旧友のK君や静岡県在住の山上君らに吹聴してしまい、彼らもその後どうなったのか、気になることでしょうから、彼らのためにも、御報告する義務がありました(笑)。

 結果は、good,better,best ? まあ、the bestでした。私一人だけが、昼間っからワインやハイボールを呑んで酔っ払って、言いたい放題、聴きたい放題でしたが、楸さんも、水で酔ったふりをして我慢して付き合ってくれました。何しろ、22歳だった若者が、浦島太郎さんのように、アッと言う間に、白髪のお爺さんですからねえ。後輩の楸さんも私とそれほど年齢は変わりませんが、半世紀近く会っていなかったので、お互いに、人生の「激動期」の情報が抜けています。結婚や出産(私はしてませんが)や、仕事や転勤、子どもや孫の話、病気の話、それに二人が共通に知っている友人知人の結婚、離婚、再婚、近況の話などを問わず語りしているうちに、これまたあっという間に時間が経ってしまいました。

 楸さんには、「遠回しに書く」と約束してしまったので、具体的な内容は茲では書けませんが、私が大学時代にお付き合いしていた椿さん(これも仮名)の近況ーとはいっても、楸さんが椿さんと直接会ったのは、10年近く前らしいのですが、ーを初めて教えてもらい、少し安心しました。「へー、そうだったのかあー」といった感慨です。これまた、楸さんとのお約束で具体的なことはブログに書けませんが…(笑)。

 楸さんは、頭が良く、性格も良く、しかも美人さんと三拍子揃っていましたから、男どものアイドル的存在で、友人のK君も狙っていました。私は当時、椿さんと熱烈な恋愛関係にあったため、楸さんにはアタックせず(笑)、遠くから見ていた感じでしたが、まさか、半世紀近く経って再会するとは夢にも思いませんでした。(だから、記憶違いばかりでした。)

 年も年ですから、お互いに同じことを聞いて、「あれっ?それ、さっき応えたのでは?」となり、古民家の縁側の日向ぼっこで、お爺さんとお婆さんが、昆布茶を飲みながら、会話しているような長閑な雰囲気になり、顔を見合わせて大笑いしてしまいました。

 何でもない会話でしたが、お互いに、紆余曲折の末、挫折やら苦悩やら病気やら人生の荒波を乗り越えて、生き延びて奇跡的な再会を果たすことができました。

 少し陳腐な表現ではありますが、やはり、「人生は捨てたもんじゃない。素晴らしい」と思いましたよ。

Facebookは怖い、国際ロマンス事件はもっと怖い

 昨日の私のFacebookに見知らぬ外国籍の若い女性から「いいね!」を頂きましたが、常軌を逸している感じで、無暗やたらに10連発の「いいね!」です。写真を見ると、スタイル抜群で大変魅力的な女性です。でも、どうも私のブログを読んでいるとは思えず、一体、何が目的なんでしょうかねえ、と思ってしまい、半ば、ゾッとして来ました。Facebookは怖い!もうFacebookはこれを最後にしたい。

 というのも、新聞で、「国際ロマンス事件」の話を読んだばかりだったからでした。噂では聞いたことがありますが、実際に引っかかる人がいるとは信じられませんでした。被害者は著名な(とはいえ私は知りませんでしたが)女流漫画家で、犯人は、ハリウッド俳優を名乗るマーク某。女流漫画家は彼に何と7500万円も送金してしまい、後で詐欺だったと分かっても後悔先に立たず。最初、750万円かと思ったら、7500万円もですよ!山口県阿武町で起きた4630万円の誤送金事件より遥かに大きい。(んな、話か?!!)

 その女流漫画家は古希を過ぎておられますが、結婚した相手から大変なDV被害を受けた上、浮気されて他に子供まで作られ、漫画で稼いだお金はほとんど使われ、やっと離婚はできましたが、散々な目に遭った経験があったようです。(今年1月に「週刊女性」誌で初めて公表)

 女流漫画家さんは、人生の酸いも甘いも知り、分別もあるはずなのですが、人の弱みや良心に付け込まれるとコロッと騙されてしまうんですね。いやあ、国際的に活動する詐欺師の手口は、凄まじい。マインドコントロールしてしまうのですから。

 私も最近、詐欺師からではありませんが、信頼していた人から間接的に金銭を要求されたことがありました。(銀行口座振り込みや現金書留ではなく、茶封筒にそのまま現金を入れるように具体的な指示まで)考えてしまいますよね? 相談の当事者は私自身ではなく、病を患っている私の友人だったので、その友人にこの話をしたところ、金銭は支払わず、相談は断念することに決めました。

 このことを、その信頼していた人に折り返し伝えると、それまで毎日のようにLINEやメールで連絡があったというのに、こちからメールしても、一切、無視か黙殺されるようになりました。何かあったのでしょうか?不思議ですねえ。

東京・銀座「ムンバイ」ダブルカレー1100円

 英語で詐欺師のことを、con man とか con artist とか言ったりします。 conとは、 confidence(信用)の略です。つまり、人の信用や信頼を利用して騙す「信用ビジネス」ということなのでしょう。そう言えば、ホームレスなどに生活保護を受けさせて搾取する「生活保護ビジネス」もあれば、人の不幸に付け込んで、高額な壺やお守りを買わさせたりする「不幸ビジネス」もあります。

 人の悩みは尽きません。国際ロマンス事件で騙された女流漫画家も孤独や不安に付け込まれたということなのでしょうか。

 しかし、孤独や不安でもいいじゃないですか。孤独や不安解消のために、アルゴリズムやAIや占い師や霊媒師や透視家や預言者や宗教家や国際ロマンサーに付け込まれて、莫大な金銭を詐取されるよりマシです。

 信頼する人から「君は程度が低い!とても付き合えないと言って、次々と貴兄の傍から去っていくのがよく分かります。」と蔑まされようが、大いに七転八倒して、孤独や不安は耐えるしかないのです。

 一番良いのは、努力して、悟りを開いて悩まないことです。苦しまないことです。心配しないことです。「サピエンス全史」のハラリ氏に言わせれば、人生には目的も意義も生き甲斐すらありませんが、そんな世迷言は捨てて、「人生とは幸せになることだ」という目標を心に決めて、せっかくこの世に生を受けたからには、自分の人生を大いに楽しむことです。

 それしかない。

 人間、悩んで迷うのは当たり前。それを他人やAIに丸投げしてしまっては、自分の人生ではなくなってしまいます。

 

熱田神宮と「自宅高級料亭化」計画=名古屋珍道中(下)

(昨日のつづき)

 5月15日(日)~16日(月)の名古屋珍道中の続きです。二日目、16日のお話です。ホテルでは一応よく眠れたのですが、疲れが全く取れていません。それにまだ風邪が治りきっていないので、元気もありません。チェックアウトの11時まで、そのまま寝ていようかなあ、と思ったぐらいです。

 でも意を決して出掛けました。朝のバイキング、ちょっと欲に駆られて食べ過ぎて、少し腹ごなししなければいかんかなあ、と思ったからでした。目指すは、熱田神宮です。昨晩は、旧友のK君から、乗るべき名鉄線の在り処などを丁寧に教わっていたのですが、それでも、名古屋は複雑で、右往左往状態でした。駅員さんに聞いたのですが、「4番線や」というだけで、何行きに乗ったらいいのか、さっぱり分かりません。それに、特急やら準急やらあって、止まるかどうか分からないので、各駅の普通列車が来るまで暫く待ちました。

名鉄・神宮前駅 「チカンやめますか」「仕事やめますか」…そんなにいるのかなあ

 スマホで「名古屋~熱田神宮」と検索したら、何と東京から熱田神宮へのルートが出てきました。何で? しかも、降りる駅名は「神宮前」です。熱田神宮の「あ」の字も出てきません。もう破れかぶれになって、電車に乗り込み、その「神宮前」で降り、案内看板に「熱田神宮」と初めて「熱田」を見つけたので、その方向に降りて、ようやく辿り着きました。

 案外広い神宮でした。「日本の三大神宮」かと思ったら、日本書記によると、三大神宮とは「伊勢神宮」「出雲大神宮」「石上神宮」(奈良県天理市)を指すようですね。三種の神器の一つ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を所蔵するこの熱田神宮は三大神宮の中に入っていません。延喜式神名帳には記された日本三大神宮でも、「伊勢神宮」「鹿島神宮」「香取神宮」となり、熱田神宮は入っていません。ただ、「伊勢神宮」「熱田神宮」「明治神宮」を日本三大神宮とする説もあるようです。

熱田神宮 本宮

 とにかく、本宮にお参りし、本宮横の売店、なんて言っちゃ怒られますね。調べたら、「本宮授与所」というらしいのですが、そこで「お守り」を購入致しました。これでも私は、強欲な人間ですから、買うものは決まってます。お金も地位も名誉も、そんなもんは吹けば飛ぶような将棋の駒みたいなもんです。何と言っても、この世で一番欲しいものは…?そう、私は「健康長寿」のお守りを迷わず購入しました(笑)。一千円也。

熱田神宮 樹齢1000年以上の大楠(空海上人、御手植えと伝わる御神木(直径7.7メートル、高さ20メートル)

 帰りの途中に、「剣の宝庫 草薙館」と「宝物館」(共通券800円)にも立ち寄りました。でも、そこの入口の受付の女性とはちょっとした言い合いになりました。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、壇ノ浦の戦いで、「三種の神器」は安徳天皇とともに海中に沈んでしまった、とやっていたので、「こちらの草薙神剣は本物ですか? 本物は壇ノ浦に沈んでしまったのではないですか?」と受付の人に聞いたら、「いえ、あちらは形代(複製?)でしたから、本物の神剣は非公開ですけど、ちゃんとこちらで所蔵しております。何なら、神職を呼びますかあぁぁーー!?」と反駁されてしまいました。

 別に口論しに来たわけではないので、「じゃあ、NHKは間違ってたんですね。別に神職さんをお呼びしなくて結構ですよ」と言ってそそくさと退散しました。女性は、実に怖い形相でしたからあー。

名古屋「御器所亭」 八海酒造のライディーンビール「ピルスナー」と串焼き・名古屋コーチンのキモとハツ

  ちょっとお参りしただけで、もう(少し)フラフラでしたので、そのまま旧友K君が住む1Kの「大豪邸」に行くことにしました。学生時代は、ちょくちょく酔っ払ったまま、彼の下宿(上板橋、千石、田園調布、雪が谷大塚)に泊まらせてもらったものでしたが、今回の彼の塒(ねぐら)では、狭くてとてもお爺さん二人で泊まれないということで、ホテルを取ったわけです。

 彼の「豪邸」は、名古屋から市営地下鉄桜通線の「御器所」駅から歩いたところにありました。「御器所」と書いて、「ごきそ」と読みます。まず、読めませんね(他にこの路線には高岳=たかおか=とか徳重=とくしげ=とか難読駅があります)。でも、ここは熱田神宮に奉納する器をつくっていた工房があった所だったことから付けられた由緒ある地名でした。今回、熱田神宮とは御縁がありました。

名古屋「御器所亭」 伊賀の銘酒「瀧自慢」 こりゃうめえ

 K君からは、「遅くても13時まで来てください」という話でしたが、もうクタクタで、織田信秀が北野天満宮から菅原道真像か何かを勧進した「桜天神社」にお参りすることも薦められましたが、気力がないので、早めに着いてしまいました。時計を見ると午前11時前でした。何しろ初めて行く所です。今は、Googleマップという便利なものがあるので、住所とスマホを頼りにやっと、彼のアジトを発見することができました。が、表札がない! しかも、彼はスマホを紛失しているので、連絡の取りようがない! 恐る恐るピンポンすると、反応がない! どないなっとるんねん???

名古屋「御器所亭」 愛知県設楽町の関谷醸造「一念不動」 これは格別、こんな旨い酒が世の中にあったとは!

 彼の自宅に押し掛けたのは、彼はちょっとしたセミプロの板前さんで、「自宅高級料亭化」計画を実施してくれたからです。何しろ懐石料理なんて大得意。そんじょそこらの料亭が吃驚するぐらいの料理を出してくれるのです。もしかして、今頃、食材の買い出しに出掛けたんだろうなあ、と予測が付きました。そこで、近くに喫茶店でもあれば時間を潰せるので、探したのですが、見つかりません。再び、彼のアジトに戻って、敷石の上に座って休んでいたら、15分ほどで、やはり、大きな荷物を下げて彼は戻って来てくれました。

 最初は「何か、手伝ってくれ」という話でしたが、すぐに「邪魔だからあっちに行ってくれ」ということになり、私も目の前に用意してくれたお酒を手酌で昼間からグイグイいくことにしました。

名古屋「御器所亭」 関谷醸造「一念不動」と活き車海老刺身 その前に伊勢湾産の栄螺壺焼き 実に合う!

 そのお酒は、何日も前から事前に用意していてくれたらしく、「八海山」で有名な八海酒造のライディーンビール「ピルスナー」、伊賀の銘酒「瀧自慢」、そして、愛知県設楽町の関谷醸造「一念不動」と生まれて初めて呑む酒ばかりでした。東京の田舎なんかじゃとても呑めない最高級のお酒ばかりでした。癖がなく「浄水」のようにグイグイ呑めてしまうのです。

名古屋「御器所亭」 伊賀の銘酒「瀧自慢」と、本場中の本場、その手は桑名のハマグリのしゃぶしゃぶ

 料理も、最高級、名古屋コーチンのキモとハツの串焼き、まだピョンピョン生きていた車海老の刺身、その手は桑名のハマグリのしゃぶしゃぶ、鰹とカンパチの刺身とその握り寿司、そして、締めは蚕豆、車海老入り卵雑炊と至れり尽くせり。ただ、病身の彼もついに力尽きて、予定していた自家製イチゴ添えアイスクリームと天麩羅はお預けとなりました。

 K君とは14年ぶりの再会で、積もる話がたくさんあったはずでした。でも、いったん、顔を合わせると、心で語ることが多く、また「美味い、旨い」と、呑んだり食べたりすることが忙しくなり、そんな煩わしい話をするのも馬鹿らしくなりました。

名古屋「御器所亭」 鰹とカンパチ刺身 キュウリの塩麹浅漬け。鰹とカンパチは後で握り寿司の御提供

 昔、名探偵ホームズの英語の副読本の中で、ホームズと友人のワトソンが顔を合せた時、お互いほとんどしゃべることがなく、確か、Old friends do not talk.(旧友というものは、お互いあまり喋らないものだ。)といった言葉が出てきたと思います。まあ、それに近いです。

 そのため、二人の共通の友人で、昨年亡くなったY君の思い出話とか、それに纏わる酷い不条理な話とか、野暮な話はやめることにしました。

 その代わり、萬古焼とか川喜田半泥子とか北大路魯山人の話をしました。萬古焼は、今の三重県四日市市と菰野町に窯元があるそうです。半泥子は、百五銀行の頭取も務めた実業家ながら、50歳過ぎて陶芸を始め、「東の魯山人、西の半泥子」と呼ばれた人です。半泥子は、今の三重県立津高校出身で、K君の同郷の先輩に当たりますが、「魯山人となんか比べものにならん」と一刀両断でした。

 確かに、魯山人は陶芸家、料理家、書家、美食家として超一流というか、怪物でしたからね。人間的にお付き合いはしたくないですが、一度、彼の作った陶器(約百万円)で酒を呑んだり、食事したりしたいもんです。

名古屋「御器所亭」 ハマグリの出し汁に北海道産高級米と車海老と蚕豆と卵入り雑炊 

 実は、K君は4月に倒れて救急車で運ばれ、1週間入院し、5月も救急車を呼ぶなど健康問題を抱えていました。「俺はいつも人と会うとき、これが最期ですね、と言って会ってる」というので、私も「変なこと言うんじゃないよ。俺はまだ、オヌシの天麩羅とアイスクリームを喰ってないんだからな。次は絶対、天麩羅とアイスクリームを喰わせてくれよ。大枚払うから。もうここの場所も覚えたから大丈夫」と檄を飛ばしておきました。

 これは勿論、冗談ではなく、本心でした。

【追記】2022年5月19日

 K君のスマホ、やはり、中村公園で見つかったそうです。よかった、よかった。届けてくださった名古屋市民の皆様、有難う御座いました。

 

旧友を訪ねて 43年ぶり再会も=名古屋珍道中(上)

 5月15日(日)~16日(月)、一泊二日で、名古屋に住む大学時代の旧友K君のお見舞いも兼ねて、小旅行を敢行しました。1日目だけは、大学時代の後輩で、今や有名私立大学の教授にあらせらる山上君もお住まいの浜松から飛び入り参加してくださり、実に充実した日々を過ごすことができました。

 とはいえ、最初からかなりのトラブル続きで、まるで我々の人生を象徴しているかのようでした(苦笑)。何しろ、山上君とは大学卒業以来一度も会ったことがなく、42年か43年ぶりの再会。K君とも、彼は記憶力抜群で、最後に二人で会ったのが、東京・銀座で、2008年12月31日以来だといいいますから、14年ぶりぐらいです。

 三人の共通点は、同じ大学の音楽倶楽部仲間ということです。それでも、43年ぶりともなると、昔の面影も何もなく、浦島太郎さんが玉手箱を開けて、「あっと言う間に、お爺さん~」ですから、果たしてうまく再会できるのやら…。

 待ち合わせ場所は、新幹線出口(太閤通口)を降りた「銀の時計」前ということでしたが、「いない!」。K君に電話しても出ない。それじゃあということで、山上君に電話しても出ない!どないなっとるんねん???もしかして、反対側の出口(桜通口)かな?と思って、右往左往して銀の時計に戻ったら、いたいた。「あれっ?電話したのに」と二人を責めると、「あれ?え?」と悪びれた様子もない。お爺さんは耳が遠いので電話が鳴っても気が付かないことが判明しました。これがトラブルの第一弾、先が思いやられます。

名古屋・豊国神社

 この後、私の宿泊するホテルに荷物を預けて、タクシーで向かったところは中村公園です。ここは天下の豊臣秀吉の生誕地であり、豊国神社が建立されていました。

名古屋・豊臣秀吉生誕地

 豊臣秀吉は、名古屋生まれだったのです。看板にある通り、「秀吉は1536年、木下弥右衛門の子として生まれた」とあります。この木下弥右衛門がどんな人物だったのか、諸説ありますが、単なるドン百姓(差別用語)ではなく、中村の長(おさ)だったという説があります。つまり、村長さん、恐らく大地主か庄屋クラスでしょう。秀吉は、最底辺のどん底から這いあがって立身出世した歴史上最大の人物とされますが、もともとある程度裕福な特権階級だったんじゃないかと思います。哀しいかな、無産階級では教育も受けられませんし、ゼロだと何も生まれませんから。

太閤秀吉功路 最終地点の碑除幕式(名古屋・中村公園)

 たまたま、公園内で、「太閤秀吉功路 最終地点の碑」の除幕式を地元の名士を集めてやっておりました。

 何の碑かと思ったら、秀吉の馬印「せんなり瓢箪」でした。

名古屋・秀吉清正公園

 中村公園内に他に何かあるか探してみました。

名古屋・中村公園内「初代中村勘三郎(1598~1658年)生誕地記念碑」

 ありました、ありました。「初代中村勘三郎(1598~1658年)生誕地記念碑」です。えっ?歌舞伎役者で、中村座の座頭だった勘三郎はここで生まれたんですか。

 看板などの情報によると、中村勘三郎は、豊臣秀吉の三大老中の一人、中村一氏の末弟・中村右近の孫だと言われてます。兄の狂言師・中村勘次郎らと大蔵流狂言を学び、舞踊「猿若」を創作したといいます。 元和8年(1622年)江戸に行き、寛永元年(1624年)、猿若勘三郎を名乗り、同年江戸の中橋南地(現東京・京橋)に「猿若座」(のちの「中村座」)を建てて、その座元(支配人)となった人です。

 秀吉と勘三郎が同郷人だったとは。

 公園内には「秀吉清正記念館」もあったのでちょっと覗いてきました(無料)。清正とは、後に肥後52万石の大大名になる加藤清正のことで、清正もここ中村生まれです(1562年)。父親は、刀鍛冶・加藤清忠だったようです。

 尾張出身の戦国武将は、ほかに、織田信長、森蘭丸、前田利家、柴田勝家、池田輝政、福島正則、蜂須賀小六、山内一豊…と錚々たる武将を輩出してます。

 名古屋の人は、今回の小旅行で、あまり親切な人がいませんでしたが、著名な戦国武将が生まれるくらい生存競争が激しい土地柄なのかしら?

 ただし、地元の人の話では、中村公園がある中村区は土地が低く、名古屋駅の西側は、亀島や津島といった地名があるように古代中世は陸続きではなかったようです。

 逆に名古屋駅の東側の東山などは、地名の通り、「山の手」で現代も高級住宅街が多いということでした。

名古屋城

 次に向かったのが、名古屋城です。中村公園から「メ―グル」と呼ばれる「なごや観光ルートバス」に乗りました。

名古屋城

 メ―グルは1乗車210円ですが、一日乗車券(500円)を買うととても便利です。名古屋城に入城するには普通は一般500円ですが、メ―グルカードを見せると、割引で400円。この後、入った徳川美術館と庭園徳川園も通常は一般1550円ですが、やはり、メ―グルを提示すると1350円で済みました。メ―グルは2回(420円分)しか乗りませんでしたが、入場券で300円分割引を受けたので、十分に元が取れたのです(笑)。

 タクシーの運転手さんは「名古屋には観光するところがない」とぼやいてましたが、名古屋観光するなら、メ―グルはお勧めです。ただし、本数が少ないのでご注意。

名古屋城 石垣ファンにはたまらない
名古屋城 石垣フェチにはたまらない

 名古屋城の天守は現在、工事中で中に入れないことは知っていたので、お目当ては「本丸御殿」でした。3期にわたる工事で、2018年から全面的に公開されるようになりました。

名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿

  期待通り、見応え十分でした。バチカンのシスティーナ礼拝堂に匹敵するぐらいです。日本美術の粋が集まっています。

 本当に圧倒されました。

名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿・上洛殿(三代将軍家光をお迎えするために増築)
名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿

 残念ながら、「本物」は、昭和20年の米軍による空襲で焼失してしまいました。名古屋城は、昭和11年に指定された「国宝第1号」ですからね。米軍は、それを知って、爆撃したに違いありません。米国人は野蛮な文化破壊者ですよ。ロシア人を批判する資格があるのかしら?と、つい興奮してしまいます。

 本丸御殿は、復元ですが、世界に誇れます。感嘆感服致しました。今回、これを見るだけで名古屋に来た甲斐がありました。

元祖てんむす千寿と愛知の地酒「関谷酒造」の「蓬莱泉」ワンカップ こりゃうめえ

 あ、その前にランチは、K君が3人分用意してくれました。天むすの元祖「千寿」と愛知の地酒「関谷酒造」の「蓬莱泉」ワンカップです。これが旨いの何の…。これまた、名古屋に足を運んだ甲斐がありました(笑)。

名古屋・徳川美術館と庭園「徳川園」

 次に向かったのが徳川美術館と庭園「徳川園」です。大変、大変失礼ながら、口から泡を吹いて驚くような見たことがないようなお宝は展示されていませんでした。(尾張)徳川家代々の本当の秘宝は、蔵にあるんでしょうね(笑)。

名古屋・庭園「徳川園」大曽根の瀧

  徳川美術館では、どういうわけか、春季特別展が開催されていて、安藤広重の「東海道五十三次」と「木曽海道六拾九次」の全作品が展示されていました。山上君は静岡県出身で、「東海道五十三次」で描かれた蒲原(本当は雪は降らない)や三島や見附や舞浜などは馴染みの深い地元の名所なので、食い入るように見つめておりました。

名古屋のシンボル・テレビ塔

 次に向かったのが、現代の一番、名古屋らしい所ということで、久屋大通り公園にあるテレビ塔です。

 久屋大通り公園は、何となく、札幌の大通公園に似たイメージがありましたが、すっかり変わってしまい、公園の両脇は、超高級ブティックやレストランが並び、随分、敷居が高くなりました。

名古屋「御園座」懐かしい!

 そうそう大変なことが起きました。今回起きたトラブルの究極の極致です。K君が、スマホを無くしたことに気が付いたのです。恐らく、午前中に出掛けた秀吉生誕地の中村公園内で置き忘れたのではないか、ということで、公園事務所や近くの交番に電話しましたが、まだ届け出はありませんでした(いまだ探索中)。

 普通だったら、パニックになるのに、K君は肚が座っているというか、あまり動揺しません。仏教的諦念に近いんです。でも、早く見つかることを願っています。

 今回一緒に合流してくれた山上君は、夕方の新幹線で帰るというので、地下鉄の「栄」駅で別れました。一緒にお酒でも飲もうと思っていたのに本当に残念でした。

名古屋の居酒屋「大甚本店」閉まってたあ

 今回の小旅行は「トラブル続き」だった、と書いた通り、最悪だったのは、本日のハイライトだった「夜のお楽しみ」が日曜日だったせいなのか、予定していたお店が全て閉まっていたことでした。まず、K君が学生時代から通っていた、名古屋一の老舗居酒屋「大甚本店」(創業明治40年、伏見)が閉まっていました。そして、御園座近くの「大甚中店」も閉まっていました。

名古屋・伏見 バー「バーンズ」

 しかも、K君が1カ月も前から考え抜いてくれていた「二次会」用の老舗著名バー「バーンズ」までこの日は「貸し切り」で中に入れませんでした。

 どないなっとるんねん??? 

名古屋・串カツ屋

 仕方がないので、伏見駅の近くにあった串カツ屋さん「串かつでんがな」に飛び込みで入り、この後、名古屋駅にタクシーで向かいました。

名古屋ミッドランドスクエア42階「スカイプロムナード」800円のはずが

 K君が「どうしても見てもらいたい」ということで、駅前に聳え立つ超高層ビル「ミッドランドスクエア」の42階「スカイプロムナード」に連れて行ってくれました。(名古屋には超高層ビルは、駅前にある3棟ぐらいしかありません)

名古屋ミッドランドスクエア「スカイプロムナード」360度の視界で、名古屋城も見えます

  ここは入場料が800円ですが、K君の「身体障害者手帳」を提示すると、その付き添いまでロハで入場できたのです。

 周囲は若いカップルばかりで、お爺さんの二人連れは、何となく異様な雰囲気でした。

 でも、今回、山上君と再会したのは43年ぶりのこと。ということは、43年前は彼ら若いカップルはまだこの世に生まれてもいなかったに違いありません。感慨深いものがあります。

 2日目の16日(月)の話は次回に続きます。