超人類プーチンとスマホ奴隷の私

きのうの続き)

  データ至上主義が進化し、電車の車掌も、医者も弁護士も新聞記者もいらなくなり、アルゴリズムやAIが取って代わっていくという事態は、SFの世界ではなく現実味を帯びてきたという話でした。

 例えば、精神科医。患者は生身の人間の医者に診断してもらうのではなく、人間味のない機械、つまり、アルゴリズムとAIを塔載したコンピューターに診断してもらった方を好む傾向が出てきたというのです。

 それはある程度理解できます。人間は時に間違います。それよりも、何十億人の患者のデータが保存され、それらの対処法や、いかなる薬物を投与したら良いかといった事例が網羅されていたら、人間より遥かに優秀です。しかも、患者としては、こっ恥ずかしい話を生身の人間に話さなくても済みます。(ただし、重症の場合は、人間のお医者さんを個人的にはお勧めします)

 昔だったら、告解を引き受けていた教会の神父や牧師が、精神科医の役目を果たしていました。その代わり、免罪符を発行してもらうための大金を納めなくてはなりませんでした(ルターは免罪符を糾弾しましたが)。

 ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス」(河出書房新社)では、シンギュラリティSingularity(人工知能AIが人類の知能を超える転換点)がいつ頃になるか、までは書いていませんでしたが、人類の仕事がAIに奪われ、一部の特権階級のみが生き残り、大半は「不要階級」(私の造語)として淘汰されるという夢物語の実現性はゼロではない、と思われます。

  また、神や仏や霊魂を信じている日本人は、寺社(寺院と神社)にお布施や初穂料等を納めますが、もし、宗教が、人類が思いついた妄想で、下等庶民を支配するツールかイデオロギーに過ぎないとしたら、寺社の存在意義すらなくなっていきます。

 生化学者に言わせれば、種としての人類の存在意義も生きる意味も目的もないということですから、これからの大半の人類は、何のために生きるべきなのでしょうか? 

銀座「とんかつ 不二」ミックス定食(13時以降、限定15食)

 ところで、2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻で、すっかり私の人生観、世界観が変わってしまったことはこのブログで何度も書いております。

 ウクライナ戦争というより、ウクライナ大虐殺が日々繰り返されている現状を見ると、とても、映画館や博物館に行く気になれません。人間の空想や妄想がつくったフィクションも駄目です。現実が虚構を超えてしまっているからです。

 ロシアのプーチン大統領が起こした蛮行は、19世紀的、20世紀的でアナクロニズムの極致かと思っていましたが、人間、いつになっても戦争をして殺戮と強姦と略奪を好む動物(けだもの)に過ぎず、もしかして、プーチンはその最先端の人類なのかもしれません。

 彼は、夜はゆっくり眠っていることでしょう。恐らく、良心の呵責も後悔も自責の念も全くないことでしょう。むしろ、正義の使者として自分の行為に正当性があり、アレキサンドロス大王やナポレオンと並ぶ英雄だと思っていることでしょう。80%のロシア国民の支持を得ていますから。

 それこそ、ハラリ氏が思い描くような「超人」の考え方があります。知性や記憶等の分野はアルゴリズムやAIに負けても、人間には、「最後の砦」として情念や意識や感情が残っています。しかし、変わった超人類ともなると、そんな情念や同情やら、惻隠の情やら、憐憫の情やら…難しい言葉を使いましたが、要するに他人に対して、気の毒だとか、可哀想だ、などと思う気持ちが欠けているというか、超越してしまっているのでしょう。

 プーチンは、強姦されたり、後ろ手に縛られて拷問されたりして虐殺されたウクライナ首都キーウ近郊のブチャの市民を気の毒だとか可哀想だとか思わないのでしょう。もし、そう思うのだとしたら、即座に戦争をやめるはずです。むしろ、虐殺したロシア軍兵士の勇気を讃えて勲章を授与し、夜は満足そうに寝入ることでしょう。プーチンとは、憐憫の情などの思考回路がなくなった21世紀最先端の人類だとみなせば、この訳の分からない戦争の本質を理解できます。(「虐殺はなかった。フェイクニュースだ」と嘘を付き続けるラブロフ外相やロシアのネベンジャ国連大使らも同罪で同様の思考回路なのでしょう。)

 独裁者としては、人間的感情などというものは無駄で邪魔なのでしょう。そう言えば、プーチンはスマホは持たない、という未確認情報があります。彼は、KGBで鍛えられて人間を信用せず、データも信じない、まさに最先端の超人ということになりますね。

 毎分毎秒、ニュースやメールをチェックしたり、アプリを更新したりして、「スマホ奴隷」(私の造語)になりさがった旧人類の私とはえらい違いです。

お前のブログは鼻につく=そして、落とし物の話

 ここ数日、ブログ更新が滞ったのは、旧い友人からのメールがきっかけでした。「貴兄のブログは見ないようにしている。なぜなら…」というものでした。

 本人の趣旨から少し外れるかもしれませんが、私なりに斟酌するところによれば、お前のブログの内容は衒学的(ペダンチック)過ぎて鼻につく。そして、自己顕示欲か人から称賛されたいという期待が記事投稿の動機と伺われるようになるとしたら、読者としては我儘な幼児の面倒を見ているような気分になるからーといったものでした。

 旧い友人からの指摘だけに、まあ、図星ですね。少し買い被りのところがありますが、抗弁すらできません。だから、いつぞや「ブログを書いて、世間に公表することについて、浅ましさを感じる」と正直に吐露したことがありました。

 でも、一応、このブログは独立採算制で、広告収入で取材費を賄おうとしており、「個人事業主」として税務署に確定申告までしております。執筆に1日、5時間以上も掛かることがあります。とても生活費どころか取材費になるほどの収益は全くありませんが、それでも、この17年間、雨の日も風の日も、他人(とは言っても、当時近しかった人たち。本当の他人なら痛くも痒くもない)からの批判に耐えつつ書き続けて来たことだけには自負があります。

 人が時間と、ない知恵を絞って一生懸命にやっていることを全否定されてしまっては、立つ瀬がない、と旧友には応えておきたいのですが、彼はもうこのブログは見ない、ということですから、もう全く通じないことでしょうね。残念ですが。

 何となく、近しい故郷の親族や親友たちには受け入れられなかった歴史上の人物になったような気分です。

 たかが、ブログです。執筆している本人としては、単に「へー、そうだったのかあ」と一緒に喜んでもらえるだけで満足なのです。まあ、見たくない人は、無理して見なくて結構ですよ。

さて、昨日、駅の近くで、定期券付きのスイカカード(JR東日本)が落ちていたので、駅に届けに行って来ました。その定期券は既に期限が切れていましたが、もしかして、カードはチャージして使っているかもしれません。カタカナの姓名と年齢まで書いてありました。

 最初は交番に届けようかと思いましたが、色々名前を聞かれたり、紙に書かされたりするのが面倒だったので、駅にしました。案の定、こちらの名前も何も一切聞かれず、むしろ、届けるのが当たり前のような感じで若い駅員はスイカカードを受け取るだけでした。

 そう言えば、思い出したのですが、このカードはどうやって駅員は落とし主に届けるのかなあ、ということです。昔だったら、駅には必ず「黒板」があって、そこに「落とし物のお知らせ」欄があり、手袋だの、定期券だのが書いてありました。定期券だと、カタカナで姓名が書いていたことも覚えています。若い人は、何のことかさっぱり分からないでしょうけどね(笑)。

 でも、今の若い人たちは、どうやって、落とし物を探すんでしょうか?やはり、交番に行ったり、駅に問い合わせたりするんでしょうか。以前、業界のある先輩が、インターネットやSNSのことを「所詮、便所の落書きか、駅の黒板みたいなものだ」と指摘していたことがありますが、そう言えば、見事に今や便所の落書きも駅の黒板も見かけなくなりました。

 となると、ネットでも落とし物を確認できるようになって、無事に落とし主に届くことを願うばかりです。

【追記】

 今、検索してみたら、ネットで(例えば)JR東日本の「お忘れ物のご案内」のホームページがありました!やはり、携帯電話やカバンなどの忘れ物が多いようです。

 心当たりのある方は是非ともアクセスしてみてください。

失望しても絶望はしない!=86年ぶりに新関脇優勝した若隆景と毛利元就3兄弟

 3月末は毎年忙しいです。

 3月末といえば年度末です。そう、大量の人事異動の季節でもあります。となると、私は、これでも、まだ仕事をしているので、霞ヶ関の人事異動情報が殺到して、とても忙しくなり、ブログなんか書いている暇がありません(笑)。

 おまけにお花見の季節です。ウイル・スミスに平手打ちされても、桜見だけは欠かせません。

 とはいえ、このブログは私の「安否確認」サイトにもなっているので、暫く間が空くと皆様に御心配をお掛けすることになりますので、本日はお茶を濁すことに致します。

 何と言っても、2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻で、すっかり人生観、世界観が変わってしまいました。皆さんも同じでしょう。プーチンの戦争は、19世紀的、帝国主義的、領土拡大主義です。人間なんて、誇大妄想だらけで、これっぽちも進歩していません。

 並行してユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」の両書を読んでいましたから、余計にその思いを強くしました。自由も平等も人権も平和も神も宗教も、現生人類が考えた妄想か虚構、もしくは共同主観的ということになります。(ハラリ氏は「ホモ・デウス」の中で、「聖書」でさえ、「多くの虚構と神話と誤りに満ちた書物」=上巻215ページ=とまで言って糾弾しています。)

MInuma-tanbo 2022

 ところで、日曜日、大相撲の千秋楽で三つ巴になった優勝争いは、新関脇の若隆景が、大激戦を制して初優勝を遂げました。新関脇の優勝は、1場所11日制だった1936年5月場所のあの双葉山以来86年ぶりだということで、歴史的瞬間に立ち合ったような気分になりました。大袈裟ですけど、1936年といえば、「2.26事件」があった年ですからね。

 福島県出身の若隆景(27)は、祖父が元小結・若葉山。双葉山に弟子入り入門を許されて角界入りした力士でしたから何か縁を感じます。父が元幕下の若信夫。その息子たち、兄弟3人が、そろって角界入りを果たしました。長兄は幕下の若隆元(30)、次兄は前頭9枚目の若元春(28)、若隆景は三男になります。三世代かけて、そのDNAが受け継がれて、やっと幕内優勝を遂げたということになります。

 この3兄弟の四股名は、毛利元就の3兄弟から取ったといいます。つまり、あの「三本の矢」で有名な毛利隆元、吉川元春、小早川隆景です。戦国時代ファンとしてはたまらない、と言いますか、覚えやすいですね(笑)。

 ただ、小早川隆景の養子になった小早川秀秋(豊臣秀吉の正室ねねの甥)は、1600年の関ヶ原の戦いで、東軍の徳川家康方に寝返って、「裏切者」の汚名を歴史に残してしまいました。でも、大相撲とは全く関係ない話ですから、せめて若隆景はこれから大関、横綱と昇進して大活躍してもらいたいものです。

MInuma-tanbo 2022

 以上のことは相撲ファンにとっては常識の話でしたが、敢えて書くことにしました。知らない人は知らないでしょうから(笑)。

MInuma-tanbo2022

◇ブログを書くという恥ずべき行為

 実は、私は、ここ数日、ブログを書いて、世間の皆様に公にするような行為が浅ましいと、思うようになっておりました。

 しかし、侵略主義というパンドラの箱を開けてしまったプーチンの蛮行のおかげで、北の若大将がミサイルを狂ったように撃ち始め、大陸の皇帝は、数年以内に南の小さな島を侵略しようと目論んでいるようです。いずれも、「ロシアがやったんだから、我々がやってもいいじゃないか」といった論理で。

 そんな「プーチン後の世界」となり、刹那的でも人生を謳歌するしかない、と思い直しするようになりました。いつ何時、何が起きるか、これから先、分かったためしがありません。相撲でも観戦して、沢山の本を読んで、ブログでも書いて、ピアノでも弾いて、大いに人生を楽しむしかないじゃありませんか。

 人間に対して失望しても、絶望してはいけないというのが私のスタンスです。たとえ、人間は妄想の中で生きている動物だとしても、生きている限り、希望はあるはずですから。

在日ウクライナ大使館に寄付しました

 これは書くべきかどうか迷ったのですが、先日、戦禍のウクライナ国民のために寄付しました。毎日、ロシアによる卑劣な空爆と攻撃で生命を落とし、隣国へ逃避しなければならないウクライナの人々が気の毒でたまらなくなったからです。

 とはいえ、三木谷さんのように自分のポケットマネーから10億円も寄付するわけにはいきません。無名の庶民ですから、そんな甲斐性がありません(残念ながら)。ほんのわずかな金額です。でも、大海の一滴かもしれませんが、「気持ち」として、寄付することにしたのです。

 さて、何処に寄付したらいいのか?

 最初、名のある国際機関にしようかと思いました。しかし、こういう国際機関に限って、一部幹部連中が甘い汁を吸って、私なんか見たこともないような年俸を獲得しているといいますから、私のわずかな寄付金でも奴らの懐に入ったらたまりません。他に民間団体も寄付活動をしていますが、悪いですが、どこまで明瞭会計で真摯に取り組んで頂けるのか、信用に値する根拠がありません。

 ということで、結局、在日ウクライナ大使館にすることにしました。ここなら、確実に母国に送金してくれることでしょう。同大使館は銀行口座番号を公表しております。

 要するに「気持ち」の問題です。もし日本が他国から侵略されたら、ウクライナの人から支援があるかもしれない、なんて卑しい根性はさらさらありませんからね。

 でも、正直、日本人はこのような寄付行為が苦手です。一番の理由は、組織や団体が信じられないからだと思います。逆に、信じる方がおかしいでしょう?

 ただ、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」によると、現生人類は、7万年前から3万年前にかけて、「虚構」「社会的構成概念」「想像上の現実」を共有することによって「認知革命」が起き、生物界の頂点に君臨することができるようになったといいます。ハラリ氏はこう言います。

 百万長者の大半はお金や有限責任会社の存在を信じ、人権擁護運動家の大多数が人権の存在を本当に信じている。…人権も、すべて私たちの豊かな想像力の産物に過ぎないのだが。

 これは皮肉でも何でもなく、真実ですね。

 人類は、独裁政権を信じているから、独裁者を産んで、勝手し放題させているとも言えます。

 「プーチン大統領、貴方は間違っている。これ以上の殺戮行為はやめなさい」と、もしこの世に神が存在するなら、説諭してもらいたい。嗚呼、しかし、神も人類の豊かな想像力の産物に過ぎないとしたら…。身も蓋もない話になってしまいましたが、生きている限り、希望を棄てるわけにはいきません。

ウクライナの国旗かと思ったら…。駐車場のマークでした Higashi-Kurume City

【追記】2022年3月15日(火)

 希望的観測ですが、遅かれ早かれ、いずれプーチン政権は崩壊することでしょう。

 そんな政治的問題以上に、一番懸念されるのは、ロシアによる非人道的爆撃で、ウクライナ人の生命だけだなく、文化財まで喪失してしまうことです。黒海北部に当たるこの地は、紀元前8世紀から前3世紀にかけてスキタイ文化が花開いた所で、多くの遺跡物が博物館等で収蔵されています。

 これらは、ウクライナだけでなく、まさに世界の人類の遺産です。これらが損傷してしまっては取り返しがつきません。

 ロシア人が、アフガニスタンのタリバンが石仏を破壊したような同じ行為を断行とするとしたら、人類としてとても許せません。

生き延びるための楽観主義のすすめ=北条早雲、藤堂高虎にみる

 ロシアによるウクライナ軍事進攻は2週間以上経ってもいまだに続いています。平気で民間のアパートや病院、保育園などにもミサイルを撃ち込み、子どもや女性ら多くの社会的弱者が犠牲になっています。チェルノブイリ原発などまで占拠しています。狂気の沙汰です。

 まさに、民間人への殺戮であり、戦争犯罪です。それなのに、たった一人の誇大妄想の犯罪者を誰も止められません。 2022年2月24日を期して世界は一変しました。無力感に苛まれ、悲観的になってしまう人も多いと思います。

 そんな時こそ、逆に、あまり落ち込まない方がいいですね。

築地・寿司「きたろう」おまかせランチ握り1580円

 今の時代より遥かに生きるのが厳しく苛酷だった戦国時代に思いを馳せると、意外にも楽観主義者の方が長生きしています。その代表が北条早雲(1432~1519年)と藤堂高虎(1556~1630年)です。早雲は数えで88歳、高虎は75歳まで生きました。「人生50年」と言われた時代です。しかも、戦闘有事の乱世の時代です。当時としては、相当長生きだったことでしょう。

 小田原城主北条早雲は、後北条氏五代100年の礎を築いた人です。戦国時代で最初に下剋上で這いあがった武将とも言われます。謎の多い人物で、88歳ではなく、60代で亡くなったという説もあります。本人は生前、北条早雲と名乗ったことがなく、伊勢宗瑞、もしくは伊勢新九郎の署名が残っています。

 伊勢氏は室町幕府の足利将軍の申次衆(仲介役)を務める家柄で、早雲(と、します)も1483年、52歳で第九代将軍足利義尚(よしひさ)の申次衆を務めます。それが、守護の今川氏の後継者争いが起きたことから、急遽、遠江に下り、姉の北川殿(夫は八代今川義忠)が産んだ龍王丸(後の九代今川氏親、桶狭間の戦いで敗れた今川義元の父)を擁立し、暫定的に守護職に就いていた小鹿範満(のりみつ=今川義忠の従兄弟)を討ち取ります。小鹿範満の背後にいた扇ガ谷上杉家の家宰太田道灌が暗殺されていなくなった隙をついたといわれます。そっかあー、北条早雲と太田道灌は同時代人だったんですね。

 この功績で早雲は1487年、56歳にして興国寺城(静岡県沼津市)の城主となります。これから権謀術数を弄して、まずは93年(62歳)に堀越公方を追放して伊豆を支配し、95年には64歳にして、ついに小田原城主となります。そして、仕上げは1516年、85歳にして相模を平定して、平安末期から続く有力大名である三浦氏を追放するのです。

 早雲はまさに大器晩成だったんですね。長寿の秘訣は、修善寺温泉などでの温泉療法と朝4時に起き、夜8時には寝る規則正しい生活。そして粗食(梅干しを好んだ)のようです。歴史家の加来耕三氏は、早雲の来歴を見て、「何事も気楽に考え、ストレスを溜めない。健康に留意し、重々しく考えず、切羽詰まらない生き方が良かったのではないか」と評しておりました。

築地・天ぷら「つきじ天里」大海老天丼1280円

 もう一人の藤堂高虎も実に楽観主義者です。「築城の名人」として、宇和島城、今治城、伊賀上野城、津城(32万石)など20の城を手掛けたと言われるので、城好きの私としては、大ファンです。(是非とも行ってみたい!)

 しかし、高虎は、「世渡り上手」だの「薄情者」だのといった悪評に付きまとわされていました。主君を何度も何度も代えたからでした。でも、よく見ると、それは致し方なかった面があります。最初の主君浅井長政は織田信長に滅ぼされますし、300石の家臣として召し抱えてくれた羽柴秀長(秀吉の弟で、天下統一の立役者)は病死してしまいます。秀吉の家臣になりますが、関ヶ原の戦いでは東軍につきます。これは裏切り行為かもしまれませんが、徳川家康に懸けたということなのでしょう。(ただし、幕末の藤堂家は、恩顧ある徳川家を見限って、薩長主体の官軍に寝返り、「さすが高虎の子孫」と揶揄されたそうな)

 この功績で、藤堂高虎が家康から江戸に与えられた最初の屋敷の地名は、伊賀上野にちなんで上野と付けられたという説が有力です。つまり、東京・上野の本家本元は三重県の伊賀上野市ということになります。

 藤堂高虎は、近江の小土豪の次男として生まれましたから、家督は相続できず、自分の力で這いあがっていかなければなりません。嫌な仕事でも腐らず、最初は無給でも手柄を立てながらのし上がっていかなければなりません。高虎が築城の名人になれたのも、底辺から城づくりの基礎を学んでいったからだといいます。信長の安土城の築城にも参加し、この時、石垣づくりでは定評の石工集団「穴太衆」(あのうしゅう)との交流を深め、今後の城づくりには欠かせなくなりました。これも、嫌な仕事でも前向きに受け入れていったお蔭だったようです。

 これまた、歴史家の加来耕三氏は「藤堂高虎は、190センチ、113キロという体格に恵まれ、明るい性格でした。良い方へ良い方へと楽天的に考える。そうすることによって、物事が良い方向に向かう。高虎は、苦手なことをこなせば、自分の『伸びしろ』になると考えていたのではないか」と想像していました。

 北条早雲と藤堂高虎という歴史に残る人物の共通点は、やはり、楽観主義にあったようです。

※BS11「偉人・素顔の履歴書」の「第19回  主君を7度も変えて出世した戦国武将・藤堂高虎 編」と「第20回  戦国大名の先駆け・北条早雲 編」を参照しました。

※諸説ありますが、藤堂高虎の主君は、7人ではなく、「「浅井長政⇒阿閉貞征(あつじ・さだひろ=長政重臣)⇒磯野員昌(かずまさ=長政重臣)⇒織田信澄(信長の甥)⇒羽柴秀長(秀吉の弟)⇒秀保(秀長婿養子)⇒豊臣秀吉⇒秀頼⇒徳川家康⇒秀忠⇒家光」の11人が有力です。

ピアノ買っちゃいました=気晴らしのためですが、何か?

  暗い個人的な話ではありますが、昨年は、長年親しかった友人に先立たれてしまったり、理由も分からず没交渉になった友人もいたりして、心に穴が開いてしまいました。正直、何か悪いことしたのかなあ、と自分自身を責めてばかり。心が不安定でずっと落ち込んでおりました。

 少年だったら非行に走れることでしょうが、気の弱い小市民としては、ひたすら、この難局を耐えるか、馬鹿なことをするしかありません(笑)。

 馬鹿なことというのは、今はコロナで旅行もできないし、友人たちと酒盛りも出来ないので、たった一人で、上野の洋食「黒船亭」とか銀座の仏料理「ポール・ボキューズ」とか、目の玉が飛び出そうな高級料理店に行って散財する程度の話ではありますが。

 でも、このまま、ずっと、暗く沈んだ生活を送っていくわけにはいきません。

 そこで、思い切って、電子ピアノ(ヤマハ Pー45)を買ってしまいました。

 ネット通販を見ていたら、急に欲しくなってしまったのです。しかも、天下のヤマハの88鍵なのに3万9700円と実に安い!私が使っている「TUMI」のバックパックが4万円もしましたから、「えっ?バッグよりピアノの方が安いの!?」と思わず、クリックしてしまいました。

 そのピアノは、写真で見ただけなので、大きさも重さも分かりませんでした。安いので、膝にも載せても弾けるおもちゃのようなシンセサイザーかと思っていました。

 そしたら、送られてきて吃驚。幅132.6センチ、高さ15.4センチ、奥行き29.5センチ、重さ11.5キロ。私の書斎の机は結構大きいので、楽勝かと思ったら、とても収まり切れません。箱の大きさだけでも部屋に置けば寝ていられません。

 仕方がないので、専用スタンド(Lー85)も買いました。これが8770円。ついでに、夜間に心置きなく弾けるように、ヤマハの専用ヘッドホン(HPHー50B)も買いました。これが2980円。付属のペダルがとてもチャチで使いにくいので、ハーフペダル機能に対応した専用ペダル(FC3A)も奮発しました。これが3645円。

 これらを合算すると、結局、5万5095円。…あれっ? ネット通販を事細かく見ると、これらのセット料金で5万円以下のものもありました。なーんだ。最初からセットで買えば、安くついたんだあ、とガッカリです。

ジョンとヨーコ(1979年8月、上野・洋食「黒船亭」) ※お店から特別の許可を得て撮影しております

 自宅にピアノがあるのは、20年ぶりぐらいです。最初は、学生の頃、実家に住んでいた時、私はお坊ちゃまですから、両親にお願いして買ってもらいました。ヤマハの「電気ピアノ」でしたが、確か、30万円ぐらいでした。今の価格なら50万円以上の感覚です。学生の身分ではとても買えません。

 ピアノは、幼児ではなく、学生時代から始めた上、独学でしたから全く上達しません。35歳を過ぎてから、先生について習いました。それまで主にビートルズの曲でしたが、今度はクラシックです。ソナチネから始め、モーツァルトの「トルコ行進曲」とかバッハの「インヴェンション第1番」など弾けるようになりましたが、ショパンやリストやドビュッシーともなると、#と♭があまりにも多くて(笑)、全くお手上げ。先生のところには2~3年通ったでしょうか、途中で挫折してしまいました。先生も家庭内の愚痴が多く、あまり情熱がなかったので、少し醒めてしまいました。

 となると、私の家には鬼が棲んでいますから、いつの間にか、ピアノはなくなり、何冊もあった楽譜も消えてなくなってしまいました。

 あれから20年。ついに念願のピアノを再び手に入れたのです!

 しかし、年を取ったせいか、指が動かん!! 

 それでも、今は、楽譜がないので、ジョン・レノンの「イマジン」とか、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」とか、バッハの「インヴェンション」とかを一生懸命に思い出しながら弾いて遊んでおります(笑)。

 3万9700円の電子ピアノですが、デモ曲が入っていたり、「グランドピアノ」だけでなく、「ハープシコード」や「ビブラフォン」「オルガン」など音色も変えられたり、どういうわけかスマホのiPhoneに接続して、何か出来たりするようなのです。

 年を重ねると、もうロックはキツイので、これからは、何かジャズ風の曲を勝手に作って、遊ぼうかと思ってます。

 これで少しは気が晴れるのではないかと思っています。

【追記】2022.3.5

「明日に架ける橋」はもう少しで思い出せそうです(笑)。このピアノは、ポール・サイモンが弾いているかと思っていたら、ラリー・ネクテルという天才ミュージシャンだったことが分かったことを2016年11月25日付渓流斎ブログ「レッキング・クルーのいい仕事」に書いております。併せてお読みください。

 会ったことがない私の祖父髙田正喜は昭和19年9月に40歳の若さで病死しましたが、音楽教師でした。朝から晩までベートーヴェンのソナタなど毎日のように弾きまくっていて、祖母が「ご飯ですよ」と呼び掛けても、「うるさい」と言って聞かなかったそうです。

 ピアノは私ではなく、祖父が弾いているような気がします。

もう一つの赤穂浪士の物語=日暮高則著「板谷峠の死闘」

 皆様御存知の日暮高則氏の新著「板谷峠の死闘」(コスミック・時代文庫、2022年2月25日初版)を読了しました。本日は2・26事件の26日ですから早いでしょう?(笑)

 著者にとって、これが「時代小説デビュー作」ということらしいです。御本人からご連絡があったのは2月19日のこと。早速、ネット通販で注文したら21日に届き、翌日から読み始めましたから、3~4日掛かったことになります。「あとがき」も入れて327ページ。かなり長編の小説でした。

 副題に「赤穂浪士異聞」とある通り、もう一つの赤穂浪士の物語です。でも、「忠臣蔵」の大石内蔵助らは脇役で、この物語の主人公は大野九郎兵衛という播州赤穂藩の末席家老(禄高650石)です。本名大野知房という実在の人物で、忠臣蔵ファンにはお馴染みの「不忠臣」の代表格ですが、生没年不詳で、その生涯はそれほどはっきりせず、伝承だけは多く残している人物です。

築地「蜂の子」Bランチ 950円

 私自身はよく知らない人物だったので、途中で、「筆者後記」を先に読んだら、おぼろげながら大野九郎兵衛の人物像が分かり、筆者が何故、この人物を主人公に物語を書きたかったのか初めて分かりました。

 内容については、史実を基にしたミステリーのような推理小説のような、話がどう展開するのか分からない話で、ここで書いてしまってはタネ明かしになってしまうので触れません。ただ、タイトルの板谷(いたや)峠のことだけは説明しておきましょう。これは、福島と出羽の国境にある峠のことで、ここには大野九郎兵衛の供養碑が建てられているようです。筆者は、伝承を基に想像をたくましくして、この峠で、討ち入りに紛れて隧道から逃げ切った吉良上野介一行が、吉良の子息の上杉綱憲が藩主を務める米沢藩に逃れる途中で、後詰めの別動隊として任された大野九郎兵衛らと死闘を展開するという話を創作しました。あれっ?結構、内容を書いてしまいましたが、話はそれだけではありませんからね(苦笑)。

 他に登場する有名な堀部安兵衛はともかく、田中貞四郎、灰方藤兵衛、小野寺十内といった人物も、実在人物のようです。筆者は「忠臣蔵ファン」を自称するだけあって、多くの関連書を渉猟し、本当によく調べ尽くしております。病気療養中ながら、これだけの長編を仕立て上げた著者の筆力には感服いたしました。

埼玉県越生市 太田道真退隠地

 ただ、気になったのは「筆者後記」に掲載された板谷峠の現場写真がいずれもピンボケで、どうしちゃったのかな?と心配になりました。また、真面目な著者は、あまり宇野鴻一郎や川上宗薫さんらを読んだことがないせいなのか、その筋の描写がうまくないので、醒めて、むしろ恥ずかしくなってしまいます(笑)。無理して、エンタメにするつもりもなかった気がしました。

 もう一つ、「能楽」と出てきますが、能楽は明治以降の言葉で、江戸時代は、能とか猿楽とか言っていたようです。能楽ではなく、「謡曲」でもよかった気がしました。

 いずれにせよ、この小説が、多くの人の目に触れて、何かの文学賞を獲得して頂ければ、御同慶の至りで御座います。御意。

 激震の1990年代の放送界を振り返る=隈元信一著「探訪 ローカル番組の作り手たち」を読みながら

 隈元信一著「探訪 ローカル番組の作り手たち」(はる書房、2022年2月11日初版)を読んでおります。

 全国放送のキー局ではなく、地域に密着した地方のラジオ、テレビの番組を制作するプロデューサーやディレクター、アナウンサーらを訪ね歩いてインタビューしたルポで、日本民間放送連盟が発行する隔月刊誌「民放」に連載していたのを加筆修正したものです。

 書店向け?のパンフレットを見ると、著者は、北海道から沖縄まで全国津々浦々の53の放送局などを訪ねて、まさに足で稼いで書いた労作と言えます。原稿料は高額とは思えず、取材費は相当本人が「持ち出し」たことでしょう(笑)。

 著者の隈元さんは、元朝日新聞論説委員で、長年、放送行政や番組等の取材に携わってきた方です。新聞社在職中から退職後も母校の東大や青学大などの大学で講師として教壇に立ち、後進を指導してきました。

 その隈元さんとはもう30年以上昔の1990年、東京・渋谷のNHKの11階にあった放送記者クラブ「ラジオ・テレビ記者会」で私も御一緒し、裏社会のように(笑)しのぎを削ったものでした。というより、私の方が何も知らない新参者だったので一方的にイロハを教えてもらったものでした。

 当時のNHKは、「シマゲジ」と呼ばれた政治部宏池会担当だった島桂次さん(故人)が会長で、民放が反発するほど商業化路線を進め、そのいわゆる独裁的采配が色々と週刊誌ネタになるほどで、私も本当に孤軍奮闘で「夜討ち朝駆け」で取材したものでした。

 NHKという大所帯の公共放送は、予算が国会で承認されなければならないので、人事権まで有力国会議員に握られています。NHKの許認可省庁は当時郵政省でしたから、いわゆる「郵政族」と呼ばれる国会議員が幅を利かしていました。島会長は、放送衛星打ち上げにまつわり、国会での虚偽答弁問題が起こり、会長の地位が危ぶまれた時に、当時「郵政のドン」と言われた野中広務氏(故人=後の官房長官、自民党幹事長)を議員宿舎まで私も夜討ちしたものでした。

 忍者のような奇妙な動きをするよく太った日経記者の裏を掻い潜って、担当記者が少ない零細企業同士である(失礼!)毎日新聞の浜田記者とタッグを組んで野中氏を急襲したのですが、意外にもあっさりと部屋の中に入れてくれて、色々と話をしてくれたものでした。

 それでも、隈元さんら、人数が潤沢な朝日チームは一歩も二歩も他社をリードし、次期会長候補までつかんでおりました。何と言っても、島会長の国会虚偽発言疑惑は、朝日新聞のスクープでしたから。

 本の内容から少し外れてしまいましたが、NHK記者クラブでの御縁でその後も、隈元さんを始め、当時の記者たちとの付き合いは40年近く経っても続いています。この本の巻末で、「あとがきにかえて」と題して、「隈元出版基金呼びかけ人」でTBSディレクターだった石井彰氏が「放送記者三羽ガラス」として隈元さんのほかに、読売新聞の鈴木嘉一氏、毎日新聞の荻野祥三氏の名前を挙げておられますが、肝心な御一人を忘れていますねえ。その人は「扇の要」のような仕掛け人でしたが、実は放送事業者として情報収集する裏の顔を持ち、表に出たがらない黒幕記者だったので敢えて名前は秘すことにします(笑)。

 とにかく、当時のNHK記者クラブは梁山泊のような溜まり場でした。もう鬼籍に入られましたが、日経から立命館大教授に転身した松田浩さんや、ザッキーことサンケイスポーツの尾崎さん、東京新聞の村上さん、産経の岩切さんと安藤さん、報知の稲垣さんら「雲の上の存在」だった大御所と、スポニチの島倉記者、日刊の新村記者、東タイの安河内記者ら奇跡的にも本当に優秀でユニークな記者揃いでした。

 私は会社の人事上の一方的都合で、放送記者会にはわずか1年半しかいませんでしたが、先程の恐ろしい黒幕さんが、情報交換会とも言うべきセミナー会合を毎月1回は、東京・渋谷のおつな寿司で開催してくれたので、彼らとの交流はその後も続いたわけです。

◇361人からの募金

 さて、この本の「まえがき」や「あとがき」にも触れられているように、著者の隈元さんは、昨年夏に病気が見つかり、今もそのリハビリの真っ最中です。高額の治療費が掛かっていることから、あとがきを書かれた石井氏らが「隈元出版基金呼びかけ人」となり、SNSなどを通して出版のための募金を呼び掛けたところ、何と、昨年末の時点で361人もの人からの応募があったといいます。信じられないくらい凄い数です。こんなに多くの人から愛されているのは、隈元さんの人徳でしょう。

 私が放送担当記者だった30数年前、BSだけでなく、CSなどマルチ放送が始まり、「ニューメディア」と呼ばれていました。私も黒幕さんのお導きで取材先を紹介してもらい、(その中には東急電鉄現社長の渡辺功氏までおります)連載企画記事を書いたことがありますが、激動の時代でした。そんな中、地方局は、キー局からの番組配信を受けるだけで制作すら出来ない「炭焼き小屋」になってしまうという理論が流行しました。

 しかし、おっとどっこい。この本に登場する人たちのように地元に立脚した地方でしか出来ない質の高い番組を制作する人たちがいて、炭焼き小屋になるどころか、地元の視聴者からの熱烈な支援も得ているのです。特に、日本は「災害王国」ですから、災害放送する臨時ラジオ放送局がどれだけ役立ったことか。

 一方、NHKの凋落は惨憺たるものです。失礼ながら、NHKのニュースは、見るに値しないほどつまらない。全国一斉中継なのに「東京23区大雪警報」(結果的に外れた)を長々とやったり、汚職と疑惑だらけの五輪放送を垂れ流したりして倫理観すら疑われます。

 その点、30年前の島桂次会長には先見の明がありました。英BBC、米CNNに追いつけ追い越せとばかりに、グローバル・ニューズ・ネットワーク(GNN)構想を打ち出しましたが、途中で失脚してしまいました。結果的に急進的過ぎたことが難点でした。が、島会長の右腕と言われた、NHKの広報室長だった小野善邦氏(故人)が書いた「本気で巨大メディアを変えようとした男―異色NHK会長『シマゲジ」」(現代書館、2009年5月)を読んで、初めて島会長の目指した真意が分かり、結果的に「島降ろし」のお先棒を担いだことになった我々も反省したものでした。

 隈元さんは、驚異的なリハビリの末、回復に向かっていると聞きます。次の著作は是非、あの大手商社も絡んだ1990年代の放送界の激動史を書いてもらいたいものです。

【追記】当日

本文中に「忍者のような奇妙な動きをするよく太った日経記者の裏を掻い潜って」と書いたところ、早速、熱心な愛読者の方からメールが来ました。

 「その太った日経記者は、クイズ王の西村氏でしょうか?」

 クイズ王の西村? クイズ番組は見ないので知らなかったのですが、検索してみたら、元日経記者のクイズ王として西村顕治氏が出てきました。そして画像が出てきたので見てみたら、どうも彼らしい。彼は1965年生まれということで、1990年は25歳。当時、20代の若手に見えたので可能性は十分。確か政治部記者らしかったので、直接の接点はあまりありませんでしたが、体格が良くても忍者のように足が速く、敏捷性がありました。我々が議員宿舎前に着くと、サッと柱の陰に身を隠しておりましたが、如何せん、体格が良いので、柱からはみ出て丸見えでした。

 そんな懐かしいことを30年以上ぶりに思い出しました。

人間、14歳が勝負の分かれ目?=イタリア映画讃

  本日、ランチで行った東銀座のイタリアンレストランで、稀に見る飛びっきりの美人さんとほぼほぼ同席となり、何か得した気分になり、食後のコーヒーまで改めて注文してしまいました(笑)。

 誤解しないでくださいね。ただ、たまに、チラッと見ていただけーですからね(笑)。

 その美人さんはお仲間さんと3人で食事をしていたので、よく素敵な笑顔がこぼれておりました。まだ20代半ばか後半といった感じでしょうか。いやはや、これ以上書くと炎上するので、やめておきます(笑)。

 後で、誰に似ているかなあ、と思ったら、先日(2月2日)亡くなったイタリアの女優モニカ・ヴィッティさんでした。ちょっときつめのアイラインで、少しワイルドな感じでしたが、知的そうで、なかなか、滅多にお目にかかることはできない美人さんでした。

 とにかく、モニカ・ヴィッティさんにそっくりだったので、(90歳で)亡くなった彼女が再来して降臨してきたのではないかとさえ思いました。でも、今では彼女のことを知る人はもう少ないかもしれません。私は、彼女がアラン・ドロンと共演した「太陽はひとりぼっち」(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)で強烈な印象に残っています。1962年公開作品(カンヌ映画祭審査員特別賞受章)ですから、映画館ではなく、何年か経ってテレビか、池袋の文芸座(洋画二本立て100円)で見たと思います。ニーナの主題曲もヒットしたと思います。

 1962年はビートルズがデビューした年ですから、少なくともこの年まで世界的な流行音楽は(映画音楽も)ジャズだったのではないかと思います。私は最近、1950年代から60年代にかけて流行したジャズ・ギターにハマってしまい、昨年から今年かけてもう10枚以上ものCDを買ってしまいました。タル・ファロー、ハーブ・エリス、バーニー・ケッセル、ケニー・バレルといった面々です。彼らの超人的早弾き演奏には圧倒されます。これまで、エリック・クラプトンかジミ・ヘンドリックス、もしくは、ジミー・ペイジかジェフ・ベックかリッチー・ブラックモア辺りが人類最高のギタリストだと思っていたのですが、ちょっと、考え方が変わってきました。ジャズ・ギタリストの早弾きは、ロック以上で、とても真似できませんね。

東銀座・イタリア料理店「エッセンス」ランチB(カサレッチェ)1100円+珈琲100円=1200円

 1960年~70年代はハリウッド映画一本やりではなく、映画館(私がよく行ったのは池袋「文芸座」のほか、大塚駅前の「大塚映画」?、高田馬場「パール座」「松竹座」、飯田橋「佳作座」などの廉価な弐番館です)では、結構、欧州映画が掛かっていました。アロン・ドロンやジャンポール・ベルモンド主演のフランス映画が多かったですが、イタリア映画も負けてはいません。先のアントニオーニ監督の他、何と言っても巨匠ルキノ・ヴィスコンティ(「地獄に堕ちた勇者ども」「山猫」「ルートヴィヒ」など)、それにフェデリコ・フェリーニ(「道」「甘い生活」など)は若輩には難解でしたが、何日も頭の中でグルグルと場面が浮かぶほど印象深かったでした。ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「デカメロン」や「カンターベリー物語」には衝撃を受けましたが、その前に、ヤコペッティ監督の「世界残酷物語」(1962年)は日本でもヒットしました。DVDがあればもう一度見てみたいですが、所有したくないので、レンタルであればの話ですけど(笑)。

 ああ、そう言えば、「ロミオとジュリエット」「ブラザーサン・シスタームーン」のフランコ・ゼフィレッリも大好きな監督です。それに何と言っても、ビットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」(マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン主演)は名作中の名作です。

 懐古趣味的な話になってしまいましたが、人間、多感な若い時(恐らく14歳)に聴いた音楽や観た映画が、一生を左右する、ということを言いたかったのです。今の若者たちに流行のラップやヒップホップは、私自身、個人的には、もう手遅れでついていけないので勘弁してほしいですし、映画も勧善懲悪がはっきりした単純なハリウッド映画よりも、難解なヨーロッパ映画の方が趣味的には合ってしまうのです。

 何か、問題ありますかねえ?

新型コロナ狂詩曲=濃厚接触者?と会食

 先週の金曜日、ということは1月28日のことですが、結果的に、濃厚接触者の疑いが強い人とランチしてしまいました。昨晩、本人のA君から連絡がありました。

 えーーーーーー!!!と一時、肝をつぶしました。

 でも、色んな運が重なって、大丈夫そうです。そんな予感がしています(笑)。

 昨晩、「陽性」が分かったのは、A君の同居する家族でした。当然ながら、A君は濃厚接触者となります。彼が住む保健所の調査によると、彼のその同居する家族が発症したのは1月31日で、その2日前を起算した1月29日に接触した人が感染する確率が高いといいます。私がA君と会食(接触)したのは、28日だったので、定義上は「影響」しないというのです。何だかよく分かりませんが(笑)。

 保健所が定義する濃厚接触者とは、29日以降に陽性者と15分以上、マスクなしで接触した人ということになり、勿論、A君を始め、その他の家族の人は濃厚接触者となります。ということは、28日にA君と接触した私は、濃厚接触者にはならないということになるのでしょうね、きっと。

遠くにスカイツリー、見えんかあ…

 彼が住む某市は、PCR検査については現在、発熱者と自覚症状のある人が中心で、A君らのように自覚症状のない人たちは、なかなか検査を受けることが難しいといいます。

 PCR検査が受けられない人が多いので、食品の買い出しはOKですが、「自宅で2月6日まで自粛生活をしてください」と彼は保健所から言われたそうです。もっとも、彼はリモートワークなので、仕事には全く影響ありませんが。

 私は、幸い、と言いますか、運が良いことに、1月31日(月)に銀座で、無料でPCR検査を受けることができ、その翌日に、結果は「陰性」と出ておりました。

 今朝も通勤途中で、その銀座の「無料PCR検査センター」の前を通りましたが、ガラガラでしたけどね。

 とにかく、今はどん底から這い上がって来たような気分です(笑)。