新型コロナのおかげで「情報貧困社会」に

WST National Galllery Copyright par Duc de Matsuoqua

昨日の昼休み(ということはしっかり都心に命懸けで出勤しておりまする)、ある店舗に入る際に制止させられ、まずアルコール液で消毒するよう言われ、続いて、額にレーザー光線のようなものを当てられました。

 「ハハハア、よくテレビで見る例の体温計かな」と、初体験だったので、ワクワクしてしまいました(笑)。それで、何か言ってくれるのかと思ったら、何も言ってくれないので、お姐さんに「何度でしたか?」と確かめると、「35.7でした」との答え。今の人は「35度7分」と言えんかいなあ、と思いつつ、「えっ!?35度?」と我ながら吃驚してしまいました。自分の平温は36度5分ぐらいだと思っていたからです。ま、機械もいい加減かもしれませんが、いずれにせよ、熱がなくてよかった、と一安心。この御時勢ですからね。

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 ということで、昨日は、目下、世界で最も注目されているサイト、ジョンズ・ホプキンス大学の「世界の新型コロナウイルス感染マップ」を久しぶりに眺めていたら、刻一刻と感染者が増加しているので、怖くなりました。怖いもの見たさで、見続けていたら、一昨日まで感染者が140万人台だった米国の感染者が目の前で、あっという間に、150万人台の大台を突破。ちなみに、今日20日午前(日本時間)の時点で、米国の感染者は153万人になろうとしてます。このままでは、米国の死者も10万人を超えることでしょう。

 ニュースでは、ブラジルのボルソナロ大統領による強権的な経済優先の放任主義で、感染が急拡大して世界第3位(27万人以上)になったとか、フランスでの新型コロナによる死者が最も多いのは、貧困層が特に多いパリ北部近郊のセーヌ・サン・ドニ県だとか暗い話ばかりです。

 メディアも大衆も暗いネガティブ情報ばかり目を向けがちです。もっと明るい話はないもんですかね?

 例えば、先ほどのジョンズ・ホプキンス大学のマップによると、本日の時点で、ベトナムとカンボジアとラオスでは、新型コロナウイルスによる死者はゼロなのです。感染者は、それぞれ、324人、122人、19人といるものの、一人の死者も出していないのです。何が原因なのでしょうか? 一党独裁政権による強権的な封鎖が奏功したのではないか、という識者の意見もありますが、それだけじゃなさそうです。何しろ、同じ東南アジア諸国(ASEAN)では、インドネシア1221人、フィリピン837人、マレーシア114人、タイ56人、そしてシンガポールは22人の死者を出しています。ASEANの中では開発国と言われているCLV(カンボジア、ラオス、ベトナム)の「成功事例」を知りたいものです。

 そう言えば、北朝鮮は、死者どころか、感染者さえいないことになっていますが、世界中の人が信じていないのが可哀そうです。北朝鮮の成功例も知りたいものです。

 まあ、この御時勢では、記者や特派員が街に出て、「生の声」を拾うのも難しいでしょう。日本のテレビでは、コメンテーターと称する人たちが、現場を全く知らないのに、家に閉じこもって、したり顔で自分の意見を主張してばかり。これじゃあ、井戸端会議か居酒屋談義と何ら変わりやせん!(だから見ません)

 新型コロナのおかげで、「情報貧困社会」になったということでしょう。

庶民の歴史は「歴史」にならない

昭和30年代、あるメーカーの「コロナ」という名前の車が人気で、街中でよく見かけました。今の御時世、この名前での販売はとても難しいでしょうが、当時はコロナにネガティブな意味は全くありませんでした。むしろ、高度経済成長の象徴的な良い響きがあり、「サニー」や「カローラ」といった大衆車よりちょっと上のレベルといった感じでした。

 それが、昭和40年代になると、「コロナ マークⅡ」という名称になりバージョンアップされて、スポーティーな中級車になりました。今では知っている人は少ないでしょうが、スマイリー小原という踊りながら楽団を指揮するタレントさんがCMに出ていたことを思い出します。平成近くになると、コロナの名前が取れて、単に「マークⅡ」だけとなり、グレードアップした高級車になり、今でも続いていると思います。

 私は、何か不思議な符丁の一致を感じました。今世界中を災禍に陥れている新型コロナは、夏場に一旦、収束すると言われますが、また今秋から冬にかけて「第2波」がやって来ると言われています。初期の「武漢ウイルス」から突然ではなく、当然変異して、より強力になって、殺傷力の強いウイルスに変身すると言う専門家もいます。疫病と自動車の話とは全く関係ないのですが、何で、コロナがマークⅡに変身したのか、まるで未来を予言したかのような奇妙な符牒の適合を、私自身、無理やり感じてしまったわけです(笑)。恐らくそんなことを発見した人は私一人だけだと思いますが(爆笑)。

 さて、ここ1カ月間は、立花隆著「天皇と東大」(文春文庫・全4巻)のことばかり書いて来ました。このブログを愛読して頂いている横浜にお住まいのMさんから「圧倒的分量で流石でした。私も読んでみるつもりです」との感想をメールで頂きました。私自身は、このブログを暗中模索で書いていますから、このような反応があると本当に嬉しく感じます。

 あまりよく知らなかったのですが、Mさんの御尊父の父親(つまり彼にとっての祖父)は、終戦近くに予備役ながら召集され、小笠原の母島で戦死されたといいます。そのため、御尊父は母子家庭となり、大変な貧困の中で育つことになりますが、その母親も17歳の時に亡くし、本人は自殺すら考えましたが、周囲に助けられ、借金をしてようやく高校を卒業したといいます。当時は同じような境遇の家庭が多かったことでしょう。私の両親の父親、つまり私にとっての祖父は、2人とも戦死ではなく40歳そこそこで病死したため、両親2人とも10代で母子家庭になり、相当苦労して戦後の混乱期を切り抜けて、貧しいながら家庭をつくり我々子どもたちを大学に行かせるなど一生懸命に育ててくれました。

 「天皇と東大」は、エスタブリッシュメント階級の歴史が書かれ、読み応えがありましたが、我々のような庶民はいくら苦労しても「歴史」にもなりません。学校で教える歴史は、いつも特権階級や勝者から見た歴史だからです。

 話は変わって、先日から山岸良二監修「戦況図鑑 古代争乱」(サンエイ新書)を読んでいますが、古代は、本当に驚くほど多くの争乱があったことが分かります。その争乱の大半は「皇位継承」にからむクーデタ(未遂も)と内乱です。九州筑紫の豪族が新羅と結託して大和朝廷転覆を図った古代史最大の反乱である527年の「磐井の乱」、蘇我氏が物部氏を排斥して政権を掌握した587年の「丁未の変」(物部氏は、娘を大王に嫁がせて外戚を誇った例は見られないそうで意外でした)、中大兄皇子と中臣鎌足らによる蘇我氏を打倒したクーデタ、645年の「乙巳の変」(1970年代までに学校教育を受けた世代は、「大化の改新」としか習わず、私自身はこの名称は10年ぐらい前に初めて知りました!)、天智天皇の後継を巡る叔父と甥による骨肉争いである「壬申の乱」、奈良時代になると「長屋王の変」「藤原広嗣の乱」「橘奈良麻呂の変」「藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱」、平安時代になると「伊予親王謀反事件」「平城太上天皇の変」(従来は「薬子の変」と習いましたが、最近は名称が変わったそうです。歴史は刷新して学んでいかないと駄目ですね)「承和の変」「応天門の変」(応天門とは平安京の朝堂院に入る門だったんですね。図解で初めて確認しました=笑)…と本当にキリがないのでこの辺でやめておきます。

 古代史関係の本を読んでいて、心地良いというか、面白いというか、興味深いのは、古代人の名前です。現代人のキラキラ・ネームも吃驚です。有名な蘇我馬子とか入鹿なども随分変わった珍しい名前ですが、人口に膾炙し過ぎています。663年の有名な「白村江の戦い」(中国や韓国の史料では「白村江」ではなく「白江」なので、そのうち「白江の戦い」に変更されるかもしれません。何で日本で白村江と言い続けてきたのか理由があるのでしょうから、不思議)に出陣した将軍の名前が残っています。

 第1陣の前将軍大花下(だいけげ)・阿曇比羅夫(あずみのひらふ)、小花下・河辺百枝(かわべのももえ)、大山下(だいさんげ)・狭井檳榔(さいのあじまさ)。第2陣の前将軍・上毛野稚子(かみつけののわかこ)、間人大蓋(はしひとのおおふた)、中将軍・巨勢神前訳語(こせのかむさきのおさ)、三輪根麻呂(みわのねまろ)、後将軍・阿倍比羅夫、大宅鎌柄(おおやけのかまつら)…。「あじまさ」とか「かまつら」とか、戦国武将にも劣らない強そうな名前じゃありませんか(笑)。

 この本を読むと、丁未の変(587年)で物部氏が没落し、乙巳の変(645年)で蘇我氏が没落し、伊予親王謀反事件(807年)で藤原南家が没落し、承和の変(842年)で藤原北家(良房)の政権が台頭し、応天門の変(866年)で大伴氏と紀氏といった古代豪族が没落して、藤原北家が独占状態となり、阿衡の紛議(887~8年)で橘氏、昌泰の変(901年)菅原氏が排斥される、といった具合で、なるほど、「権力闘争」というものは、こういう流れがあったのかということが整理されていて分かりました。

東京渡辺銀行のルーツはお江戸日本橋の鮮魚商「明石屋」だったとは

 本日は1週間ぶりに都心の会社に出勤。例の「ギックリ脚」で、歩くと右太ももと右膝の後ろ辺りが痛く、ヤバイと思いましたが、何とか会社に辿り着きました。

 脚をいたわりつつ、軽く足を引きずって歩いていると、どんどん追い越されます。小さな子どもより遅いかもしれません。気が付きませんでしたが、世の中には杖をついてゆっくり歩いている人がこんなにいたとは! 彼らのスピードで歩いてみて、初めて存在が分かりました。駄目ですね、ヒトは。

 先週は外出禁止令で自宅に引きこもっていたら、パソコンのやり過ぎで、相当ギガを食ってしまいました。私の場合は、N社のモバイルWi-Fiを契約しているのですが、毎月3GB程度(何と月額968円)で済んでいたのですが、1週間で既に5GBも使用してしまいました。仕方ないので、1GBを追加(550円)し、来月は、10GBに変更(月額2508円)しました。容量は毎月変更することができ、使わなかったGBはそのまま翌月に持ち越されますので、まあまあの値段かな、と思っています。

明治元年(1868年)創業。152年の歴史を本日20日で閉じた東京・東銀座の歌舞伎座前にある弁当・仕出し屋「木挽町 弁松」。雨の中、マスコミが押しかけてました

 ところで、このブログの「コメント」欄まで御覧になっている方はいらっしゃらないと思いますが、最近、大論争になっています(笑)。いや、大袈裟でした。この《渓流斎日乗》は、相当、悔しいけど、私より遥かに頭脳明晰な方々が読者でいらしゃるので、コメントも非常に丁寧で、ハイブローなのです。

 当該ブログ記事は、小生が2017年5月31日に書いた「東京渡辺銀行が破綻しました」です。タイトルは、記事を引用しますと「東京渡辺銀行は、昭和金融恐慌の引き金となったそれこそ由緒ある銀行でした。実際は優良経営だったのに、何を血迷ったのか、片岡直温大蔵大臣が、昭和2年(1927年)3月14日の衆院予算委員会で、『渡辺銀行がとうとう破綻を致しました。誠に遺憾です』などと発言し、預金者の取り付け騒ぎが起きて、本当に破綻してしまったのです。」から取ったものでした。

 そして、この渡辺財閥の御曹司が著名な歌舞伎評論家の渡辺保氏で、「歌舞伎は庶民の物見遊山ではなく、財閥の御曹司でなければ観られないような高価な芸術だったわけです。」と私は結論づけていたのです。

 これに対して、本人が書いたことも忘れてしまっている3年も経った今年4月16日に旗森さんという恐らく小生とは面識がないと思われる方から「歌舞伎見物が財閥御曹司でなければ見られなかった、というのは過大評価です。渡辺氏自身、自分が歌舞伎を見始めたころは家も小市民生活だったと書いていますし、事実、私事にわたって恐縮ですが同年の私もサラリーマン家庭で育った芝居好きです。歌舞伎座でも下町の人々は旦那から若者まで幅広く、『今でも』見ることができます。かぶきは市民が育てた舞台芸術です。玉稿は楽しませていただいていますが折角のことですので投稿しました」とのコメントが御座いました。いやあ、こんなに熟読して頂き、誠に有難いことです。

 これに対して、私は「江戸時代の歌舞伎も決して庶民の娯楽ではなく、最上席は、今の金額に換算しても2~3万円で、今とほとんど変わらなかったいいます。大奥が忍びで繰り出した江島生島事件があったように、これでお取りつぶしなる山村座を含む江戸四座は、かなり敷居が高かったと思います。つまり、お上が許した櫓座の大歌舞伎以外に小芝居があっちこっちにあり、庶民はそちらに行ったことでしょう。」などと反論しています。生意気ですね。

 これを書いた時点では出典を明記しませんでしたが、本箱を探したら片隅にありました!山本博文監修「江戸の銭勘定」(洋泉社、2017年)という本でした。それによると、歌舞伎の一枡席は銀12匁5分(3万7500円)から35匁(10万5000円)。庶民の大衆席は100文(3000円)。「大向こう」と呼ばれる2階の立見席なら10文(300円)程度で見られたそうです。むふふふ、小生も旗森氏も正しかったわけで、「痛み分け」といった感じでしょうか。小生も、学生時代歌舞伎座の3階の「一幕見席」で2000円ぐらいで見た記憶がありますが、もう少し安かったかもしれません。(現在の歌舞伎座の1等席は1万8000円)

 話はこれで終わりではなく、京洛先生の門下生を自称するAsウーノさんという方から、実に濃厚な情報が寄せられました。「歌舞伎と東京渡邊銀行・破綻では、『ぼつちやんと紙手巾』という拙稿短編(未完^_^)を書く際、暖簾分け横浜渡邊銀行の末裔渡邊俊郎氏より、初代頭取富太郎の長男和太郎についてご教示あり。和太郎は不遇とされるロンドン時代の夏目金之助に可愛がられた若者で、下宿を世話し酒を呑み雑煮を喰らい、帰国後も和太郎が早世するまで漱石と愉快な親交を結んだ由。
 東京渡邊銀行ルーツはお江戸日本橋の鮮魚商明石屋にあり、吉原花魁の如く永らく歌舞伎座は高嶺の花、大衆化した今とは大分赴きを異にしてたようですね。」などと大変ディープな情報を御教授して頂きました。

 いやはや、東京渡辺銀行のルーツが日本橋の鮮魚商だったとか、暖簾分けに横浜渡辺銀行があったことなど知りませんでした。勉強になりますね。(既に、コメントをお読みの方はダブってます。これでは木戸銭返せ!と怒鳴られそうですね=苦笑)

コデマリ、モッコウバラ、ツルニチニチソウ=新型コロナより花の名前を覚えたい

コデマリ

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されて、テレワークや自宅待機などで家での閉じこもりを余儀なくされている人が多くなったせいなのか、この《渓流斎日乗》ブログのアクセスも増えているようです。しかも、少しご無沙汰してしまった友人とか、多分、面識のない方からもコメントが届くようになり、望外の喜びを感じます。

 本当に有難う御座います。

モッコウバラ

 このブログをお読み続けてくださっている方にはご案内の通り、小生も、この1週間は自宅待機の状態になっています。そして、もう一つ、皆さまご案内の通り、先週の8日(水)にギックリ腰といいますか、ギックリ脚をやってしまい、歩行困難になってしまったので、休養を取る良い機会になりました。

 ギックリ脚といっても、やはり、腰骨と股関節が摩耗してしまったらしく、膝から太ももにかけて痛みが走り、びっこになります。しかも、今の新型コロナウイルスのように、治ったと思ってバカにすると第2派が襲ってきます。

 スマホの万歩計によると、先週の9日(木)と10日(金)は都心まで通勤しましたから、9000歩近く歩いています。その無理がたたったのか、11日(土)は少し歩いただけで急に脚が痛くなり、1219歩。それから12日(日)から14日(火)までいずれも2000歩も歩けず。今日の15日(水)は、恐る恐る歩いてやっと6224歩を記録しました。

ツルニチニチソウ

 その間、腰痛運動をやったり、腰に効く光線を浴びたり、リハビリに専念しました。

 ギックリ脚も馬鹿にできませんね。本当に「健康なれたら、死んでも構わない」と思いましたよ(笑)。

 さて、今日アップした写真は、散歩がてらに目を楽しませてくれた花々です。キャプションにも書きましたが、表紙写真は「コデマリ」。白い小さな小さな可憐な花を咲かせてくれます。本文最初の黄色い花は「モッコウバラ」。よく豪邸の庭先に見かけていたのですが、名前は、今回初めて知りました(苦笑)。

 そして、二番目の紫の花が「ツルニチニチソウ」。ちょっと写真の写し方が、我ながら下手ですね。まあ、他人様の庭先に咲いているのを、散歩の途中に盗み撮りしたので、プロ写真家のように照明をかけたり、アングルを工夫したりする暇はありませんでした。

 植物たちは、新型コロナウイルスに感染しないからいいですね(笑)。何よりも、孤独の散策者の目を和ませてくれます。

 毎日、ニュースを見ていると、感染者や死者の数や、休業補償や失業保険や政治家の悪口や医療崩壊の話ばかりやっているので、暗い気持ちになります。

 「現実逃避」かもしれませんが、いいじゃないですか。この際、せめて身近に咲いている花の名前を覚えたいと思っています。

1970年の「レット・イット・ビー」から半世紀も経つとは…

 YouTubeで「うちで踊ろう」を公開したミュージシャン星野源のサイトに、日本の最高指導者の安倍晋三首相がコラボ投稿して、自宅自粛要請を呼び掛けたことに対して、喧々諤々の論争になっています。

 安倍首相は自宅の居間で、愛犬とじゃれたり、珈琲を飲んだりしてくつろいでいるブルジョワ生活をあからさまにしてしまったせいか、派遣切りに遭った人とか、店舗休業を余儀なくされたりした人たちから、「何を呑気なことやってるんだ。そんな暇があったら、休業補償の問題を即刻解決してもらいたい」といった切実な投稿のほか、「国会議員ら特権階級は減給されることなく満額振り込まれるから羨ましい」といった皮肉な意見が殺到したようです。

 安倍さんに期待し過ぎるからいけないんですね。モリカケ問題をあやふやにし、財務省の現場職員が自殺してもまるで他人事。公金の私的流用の疑いが濃厚な「桜を見る会」を結局、なかったことにした安倍さんですからね。最初から、そういう人だと肝に銘じていれば、「裏切られた」なんて思わないはずです。

 それより、この星野源のサイトを、先週8日に逸早く教えてくれたのが、高校時代のバンド仲間の神林君でした。そんな政治的な話ではなく、全く音楽的な話で、曲のコードが普通のメジャー、マイナーではないので、「あの変なコードをコピーできるかい?」と投げかけてきたのでした。我々が、バンドをやっていた初期の頃、ロックの楽譜などほとんど発売されていなかったので、レコードが擦り切れるほど何回も何百回も聴いて、音を取ったものでした。その点、彼には「絶対音階」があるので、仲間が驚愕するほど簡単にコピーしてしまうのでした。

 ということで、早速聴いてみたら、その「うちで踊ろう」は、ボサノヴァ風と言えばボサノヴァ風で、バリバリにブルーノートとかマイナーペンタトニックのようなジャズコードをふんだんに使っていました。記号で書けば、例えば、CとかCmとかではなく、C7(♭9,13)といった複雑なコードです(笑)。

 ギター片手にそんなことをしていたら、久しぶりに自分の音楽遍歴を思い出してしまいました。全く個人的などうしようもない話ですから、ご興味のない方は、ここで左様なら(笑)。

◇◇◇

 ざっくり言いますと、子どもの頃は歌謡曲や演歌なども聴いてましたが、10代の多感な時代に入ると俄然、ロックです。それが20代まで続きます。ビートルズ(解散後のソロも含めて)、ローリングストーンズ、レッド・ツェッペリン、クイーン、エリック・クラプトンなどはほぼ全てのアルバムを買い揃えました。

 30代に入ると、一変してクラシック音楽オンリーです。特に、モーツァルトのCD全集を40万円ぐらいかけて買い揃えたほか、グレン・グールドにはまってからバッハ、ベートーベン、ブラームス(交響曲第1番は10種類近く)を中心に聴き、ショパンもルビンシュタインによる全集、ポリーニ、ホロヴィッツ、ポゴレリッチ、キーシン、ブーニンらの演奏に耳を傾けました。ドビュッシーは卒論のテーマだったので、改めて、偏屈なミケランジェリのピアノに惚れ、歌劇「ペリアスとメリザンド」まで買い、そして何と言っても、のめり込んだのが20代の時に最も感激したワグナーです。フルトベングラーよりもクレンペラーが好きでしたね。当時ブームだったマーラーもチャイコフスキーもスメタナも堪能し、バルトーク、ストランビンスキー、シェーンベルク辺りまではカバーしました。現代音楽はグバイドーリア、アルボ・ペルトらも聴きましたが、苦手でしたね。武満徹は例外ですが。

 40代になると、今度はジャズです。若い頃は「爺の音楽」として敬遠していましたが、もしかしたら、今は、ロックやクラシックよりも一番リラックスできて好きかもしれません。グレン・ミラーやベニー・グッドマンなんかは既に聴いてましたが、ジャズにはまったきっかけは、ビル・エヴァンスでした。彼のアルバムをほとんど買い占めて、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ウィントン・ケリー、トミー・フラナガン、オスカー・ピーターソン、ジョージ・シアリングなどピアノばかし聴いてました。ラッパは、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、アート・ペッパーら王道ばかりでしたが、オーネット・コールマンと晩年のマイルスあたりの前衛的になるとついていけなくなりました。

 ウエス・モンゴメリーにはまってからは、ジャズは好んでギターばかりです。ハーブ・エリス、バーニー・ケッセル、ケニー・バレル、タル・ファローらがお気に入りで今でも聴いてます。ヴォーカルは、ヘレン・メリルを端緒に、やはり、ビリー・ホリデイ、ナット・キング・コール、エラ・フィッツジェラルドの正統派でしょうが、以前にブログで書いた通り、ジュリー・ロンドンはしびれますね(笑)。

 50代になると、主にボサノヴァが中心で、シャンソンやカンツォーネもよく聴くようになりました。ボサノヴァのアントニオ・カルロス・ジョビンはレノン・マッカートニーに引けを取らない20世紀が生んだ世界最高の作曲家だと思ってます。シャンソンは、何と言ってもセルジュ・ゲンズブールです。エディット・ピアフもシャルル・トロネもいいですが、フランソワーズ・アルディ、シルビー・バルタン、イブ・モンタンというミーハー志向。カンツォーネはジリオラ・チンクエッティと極めてオーソドックスなポップスですが好んで聴きました。

◇「14歳の法則」を発見

 今は、昔のCDを引っ張り出して色んなジャンルの曲を聴いています。正直、今流行のラップにはついていけません。分かったことは、人間は、14歳の時に聴いた音楽がその後の人生を決定づけることでした。大袈裟な言い方ですが、人生で最も多感な14歳前後に聴いた音楽が、その人の「懐メロ」になるということです。14歳と言えば中学生ですから、お小遣いも少なく、そんなにレコードなんて買えません。私の場合は、「ミュージック・ライフ」などの音楽雑誌を買って、レコードのジャケット写真を何度も何度も穴があくほど眺めて「欲しいなあ、お金があったらなあ」と思っていました。それが、長じて金銭的に余裕ができると、その反動で、昔買えなかったCDレコードを次々と買い集めることになってしまったのです。

 個人的ながら、私の場合は、写真でアップした通り、S&G「明日に架ける橋」、サンタナ「天の守護神」、CSN&N「デジャ・ヴ」、CCR「コスモズ・ファクトリー」、EL&P「展覧会の絵」、フェイセズ「馬の耳に念仏」、ジャニス・ジョプリン「パール」などです。いずれも1970年か71年に発売されたものだったことが後になって分かり、この「14歳の法則」を新発見したのです(大袈裟ですが、商標登録申請中=冗談です)。記憶していた耳が自然と当時流行った音楽を求めたのでしょう。嗚呼、当時聴いていたシカゴ、BS&T、チェイス、クリスティー、カーリー・サイモン、ジェームズ・テーラー、カーペンターズなんかも本当に懐かしい。

 1970年は、4月にビートルズか解散し、最後のLP「レット・イット・ビー」が発売され、映画も公開された年でした。私は、朝早くから夜遅くまで、3本も4本も、この同じ映画「レット・イット・ビー」を新宿の武蔵野館で何回も見続けたものでした。当時は、入れ替え制ではありませんでしたからね。よく飽きなかったものです(笑)。

 あれから半世紀もの年月が過ぎてしまったとは、とても信じられません。振り返ると、邦楽はほとんど聴かず、洋楽ばかり聴いていたことになります。

 この私が発見した「14歳の法則」、きっと貴方にも当てはまると思いますよ!

緊張事態宣言の効果に疑問

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 昨日は、ついに日本の国家の最高責任者である安倍首相が「緊急事態宣言」を発令しました。午後7時からの記者会見は、天下のNHKも民放もどこもかしこも同時生中継でした。私も長く生きていますが、こんな宣言は生まれて初めてです。我々は凄い時代に生きていますね。

 どれくらい凄い宣言なのか、私も固唾を飲んで聞いていましたが、以前と変わらない自粛要請のみで、都市封鎖もなし。厳しい外出禁止令を施行している欧米なんかは、違反すれば10万円とか30万円とか高額な罰金を取り、フィリピンの大統領は、違反者は射殺するとまで言ってるというのに、そんな制裁も何もなし。拍子抜けしてしまいました。緊急事態宣言は、5月6日までの期限付きで、7都府県で実施。感染者の多い愛知県が含まれなかったのは、トヨタがあるせいでしょうか。勘ぐりたくなります。

 事前にマスコミ辞令では閉鎖が発表されていた理髪店に行ってもいいし、安倍首相は「散歩やジョギングをしても構わない」とまで言う始末。果たしてこの宣言がどこまで効果があるのか疑問を持ちました。

 安倍首相といえば、ゴリゴリの強権主義者で、大胆無敵なイメージがありましたが、意外にも、結構ナイーブで、慎重、控えめな人だったんですね。英字紙では、緊急事態宣言を「State of emergency」としてましたが、同じ言葉でも、諸外国に当てはめて訳すと、「非常事態宣言」になります。「緊急」と「非常」の違いなんでしょうか?

 でも、日本の場合は、あくまでも単なるお願いですからね。緊急事態が宣言される前の3月下旬ですが、慶応大学病院の若い研修医たち40人もが、小池都知事の自粛要請を無視して、というか、小馬鹿にして、「3密」で楽し気な懇親会を深夜遅く3次会まで開き、18人以上が新型コロナウイルスに感染していたことが判明しました。医療従事者がこの体たらくですからね。罰金刑にしたいぐらいです。

 何でこんなこと言うのかといいますと、緊急経済対策など椀飯振舞いした後の財源が心配だからです。甚大な影響を受けた中小企業や個人事業主らに対しては納税も1年間猶予する方針らしいですから、赤字国債を発行するのか、いずれにせよ、国民の税金に跳ね返ってくることは素人でも分かります。

東京・銀座

 一方、お上が「店を閉めろ」と言ってるだけで、休業補償なしでは生活が成り立たないという商店主や夜の接待業者らの訴えもよく理解できます。

 減収世帯の賃金補償も、厳しい複雑な基準があって、月収20万円の世帯が11万円になっても補償なしなんですよね。半額以下の10万円ならいいようですが、何じゃらほいです。

 そんなこんなで怒りに駆られながら、先程、椅子から立ち上がろうとしたら、右脚がギクッとして、力が入らず、暫く歩けなくなりました。ギックリ腰はやったことがありますが、ギックリ脚は生まれて初めてです(苦笑)。

 生まれて初めて、尽くしです。

志村けんさん逝く

 コメディアンの志村けんさんが29日深夜に新型コロナウイルス肺炎で亡くなりました。今朝のニュースで聞いて、「えっ!」と衝撃を受けました。でも、一番驚いているのは本人自身かもしれません。まだ、70歳ですから、これからまだやりたいこともあり、やるつもりだったことでしょう。

 何か、中途で終わったような気がしましたが、ここ数年の、彼のテレビ出演を見ていると、「ファミリーヒストリー」で過去のルーツを探ったり、民放のバラエティーで、一度は結婚を決意した女性アイドル歌手との仲を初めて告白したり、どこか、自分の過去を総括するような番組が多かった気がします。

 厳格な学校教師の息子ですから、根は真面目でかなりの勉強家だったようです。

 私自身は、ドリフターズ時代から何十年も見てきて、大いに笑わせてもらいましたので、本当に惜しい人を亡くしました。とても悲しいですが、 選ばれたような時代を象徴する病気で亡くなり、志村けんらしい劇的な最期でした。語り継がれることでしょう。

 昼休みに銀座を歩いていたら、志村さん死去のニュースが影響したのか、街を歩く人の10人中9人はマスクをしていました。慣れたとはいえ異様な光景でした。

土浦城

 さて、3月5日から3週間ほど、このブログがフェイスブックやツイッターなどのSNSと同期していなかったのですが、別にブランクなどなく、普通にほぼ毎日ブログは更新してきました。

 それが長年愛読して頂いているM氏から、「ブログ再開おめでとうございます。しばらく更新がなかったので心配してました」とのメールが今朝届きました。「えっ!?」です。失礼ながら、M氏は、フェイスブックやツイッターを通してこのブログを閲覧されるような方ではないと思っていたからです。

 私自身、正直、このままSNSと同期しなければ、あまり好きでないフェイスブックをやめるつもりでした。これまで、フェイスブックのことを「他人のプライバシーを切り売りする吸血鬼」とか「メディアにかこつけた宣撫諜報部隊」なぞと散々悪口ばかり書いてきましたからね。

 そしたら、本当に最近になって急に、卒業以来一度も会っていない大学時代の旧友と40年ぶりにフェイスブックを通して繋がったのです。学生時代に参加していた音楽倶楽部の人たちでした。

どうせ全ての情報は抜き取られているんでしょうが、やるじゃん、フェイスブック!と感心しました。

新型コロナ騒動が収束して落ち着いてから、いつか皆で再会しましょう、という話にまでなりました。楽しみですね。

以上、あくまでも個人的な感想でした。

【単なるお知らせ】SNSと同期できました!

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 今年3月4日以来、この《渓流斎日乗》ブログと、SNSのフェイスブックとツイッターとの同期が、テクニカルな問題のため、途切れていましたが、本日から再開することができるようになりました。

 ここ3週間以上、途切れていましたので、「もしかして、新型コロナウイルスに感染しているのではないか」と思われた方は、一人もいませんでしたが、たったお一人、SNSのブラウザを通して愛読して頂いている西日本にお住まいのAさんから「最近、更新されていませんが、どうかなさいましたか?」と、途切れて1週間ぐらい経ってから心配メールを頂きました。有難いことです。

 それでも、フェイスブックなどでは途切れたとはいえ、普通のサイトでは、ほぼ毎日更新しておりました。今さら、過去の記事を遡ってお読み頂くような殊勝な方はいらっしゃいませんでしょうが、お伝えだけはさせて頂きます(笑)。

 また、フェイスブックもツイッターもなさらない皆さまは、何の話かさっぱり分からないことでしょうから、この話はどうか御放念賜りたく存じます。

 SNSとの同期が途切れたのはテクニカルな問題が生じたためでしたが、その復旧作業のために日々、獅子奮迅して頂いた情報通信技術の松長技師長様には御礼申し上げます。

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 おかげさまで、この《渓流斎日乗》ブログも、先週の3月15日で、丁度、満15周年の節目を迎えることができました。2005年に、当時住んでいた北海道の帯広で始めたのですが、山あり谷ありの出来事があり、一番脂がのっていた頃の2008年8月から2015年10月までの7年間の記事は消滅してしまいました。

 そんなことに怯むことなく、今後も、ほぼ毎日のペースでブログを更新して参りますので、宜しくお願い申し上げます。

「仙人秘水」の釜石鉱山からの贈り物

いやはや、最近は新型コロナウイルス一色で、このブログも感染して、新型コロナウイルスに染まってしまいました。

 あまりネガティブな情報ばかり挙げても精神衛生に良くないので、本日は、個人的ながら良い知らせをご報告させて頂きます。皆さまご案内の通り、小生は、親譲りの無鉄砲で、子どもの時分から損ばかりしてきたので、まず大きな抽選や博打に当たったためしがありません。

 それが当たったのです。

 NHKの「ブラタモリ」は、日本全国の地質や列島の成り立ちが分かり、いつも興味深く拝見しているのですが、先月は三陸海岸地方を取り上げていました。その中で、製鉄の街として知られる釜石市を特集していましたが、今は、鉱山は廃坑となり、その代わり、その鉱山で自然に湧き出る水を製品として販売したら爆発的に売れるようになったという逸話をやってました。

 「仙人秘水」というのですが、あれ?どこかで聞いたことがあるなあ、と手元の本を調べてみたら、私も何冊か著書を愛読している免疫学者の藤田紘一郎先生が、全国の天然水の中で、身体に良いものの一つとして、この「仙人秘水」を取り上げていたのでした。

 私は、そうやたらと宣伝には動かない人間なのですが(笑)、モノは試しということで、500ミリリットル24本入りのケースをネット販売で買ってみることにしました。送料等込みで3600円でしたから、1本150円という計算。庶民としてはちょっと高めでしたが、ま、いっか、ということで買い求めました。

  その際、実はほとんど覚えていないのですが、(駄目じゃん!)サイトで、何か、応募抽選をクリックしたらしく、昨日になって、上の写真のような「岩手三陸の特産品詰合わせ」が当選したということで送ってきたのです。

 吃驚ですよ!

 ホタテの干し貝柱なんて、高そう(笑)。何か、お水代の元が取れてしまったようで、申し訳ない気分になってしまいました。

 ということで、3月11日は、東日本大震災から今年で9年。新型コロナウイルス騒動で、十分な追悼式が行われなかったこともあり、もう一度、東北三陸を応援したくなりました。

 釜石鉱山株式会社さま、どうも有難う御座いました。御礼申し上げます。

 

特措法改正の緊急事態宣言は危ないのではないか?

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 まだ3月で、気が早いですが、今年2020年の流行語大賞は、「東京オリンピック」ではなくて、「新型コロナウイルス」で決まりですね。京都・清水寺の漢字一文字も、感染の「染」辺りじゃないでしょうか(苦笑)。

ということで、最近のニュースは、どこもかしこも、閉口するほと「新型コロナウイルス」の話ばかりです。「濃厚接触」だの「クラスター」だの耳慣れない「新語」もすっかり慣れてしまいました。この言葉は、20年後の未来の人が、意味が分からなかったり、違う意味に取ったりしてくれることを願いたいものです。

 個人的ながら、楽しみにしていた来週の高校の同窓会も結局、延期になってしまいました。「同調圧力」に屈したくなく、ギリギリまで開催を模索していたのですが、周囲の状況が許さなくなってしまいました。一番気になっていたのは、わざわざ遠方から参加してくれる友人たちです。1週間前という直前だったので、キャンセル料が発生するからです。幸い、その中の一人のK君の場合は、新型コロナウイルスによる中止延期の場合、新幹線料金のキャンセル料は免除してくれたそうです。まあ、「自粛要請」は国家的規模ですから、一企業としても配慮せざるを得なかったのでしょう。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 政府は、海外からの渡航者のうち、中国と韓国からは、入国後、二週間は、日本人なら自宅で、外国人ならホテルなどの施設で謹慎してもらう検疫上の措置を取ることになりました。二週間のホテル滞在費は、「自前」ということにしたそうなので、これでは来日、訪日する中国人、韓国人は激減するはずです。まるで「鎖国」ですね(苦笑)。我々今、歴史的な変革期に生きている感じがします。

 この緊急措置に対して、早速、中国政府は「概ね妥当」だとしましたが、韓国外務省は猛烈な抗議をして同じような対抗措置を取ることを発表しました。でも、これは致し方ないんじゃないでしょうか。自然の猛威というか、ウイルスの猛威ですから、人智の及ばない所があるからです。

 それどころか、安倍政権は、日本国民に対しては、来週14日にも、「緊急事態宣言」を施行する構えです。多くの人は甘く考えているようですが、こんな宣言が出されたら、外出禁止令だの集会禁止令だの大幅な私権が制限されることが予想され、国民を不安に陥れます。安倍首相は、新型コロナウイルスにかこつけて、「閣議決定」だけで何でもやりかねませんからね。

 今のメディアは御用新聞化してチェック機能が疎かになっているので、気が付いた時は「いつか来た道」を歩いているかもしれません。

【後記】

 一部のメディアしか報道していませんが、2012年成立の新型インフルエンザ対策特別措置法が改正されて、緊急事態宣言が施行されると、市民の外出や集会を制限できるほか、所有者の同意を得ずに土地・建物の収用なども可能になるといいます。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020030401247&g=pol ☜ 時事通信

大丈夫かなあ?