テレビはパラボラアンテナでは見ない、Wi-Fiで見る

昨晩20日は、月曜日だというのに、東京・虎ノ門の居酒屋「小虎」で懇親会でした。

もう1カ月も前から大野幹事長から「参加されたし」との通達がありました。実は、その通達があった3日前の夕方5時半に「今から来てください」との連絡があり、いくらなんでも、当日の土壇場の今からではこちらも予定があり、お断りしたのでした。

これに懲りた大野幹事長は、意趣返しか、何と今度は1カ月も前に通達してきたわけです(笑)。

久しぶりと、初めて会った面々は9人。「安否確認」ではなく、「生存確認」ということで、「渓流斎もやはりまだ生きていたのか」と余計なことを言う人もおりました。

例によって、懇親会での内容を書くと大野幹事長が「名誉毀損で訴えますよ」と高らかに宣言されておりましたから、残念ながら少しだけしか書けません(笑)。

◇◇◇

新聞業界が低迷の一途を辿っている最中に、感心にも、大野幹事長は、探訪記者らしく、自宅で9紙も購読しているというのです。天晴れ。記者の鑑ですね。しかも、毎朝4時半に起床して数時間かけて読破しているというのです。

年間購読料は50万円だとか。噂では、誰も注目しないような新聞の片隅に小さく載っている人事や事故やプロフィール情報を切り抜いてスクラップして、まるで興信所のようにいざという時に使うらしいのです。点情報を線情報にして、相関関係図まで作ってしまうというのですから大したものです。流石、探訪記者です(笑)。

◇◇◇

久しぶりにお会いした某テレビ局重役の川内さんには面白いことを教えてもらいました。

最近の若い人の「テレビ離れ」で、有料テレビの契約者が減少傾向にあるというのです。で、若い人は何を見ているかというと、ネットのユーチューブやネットフリックスなどです。受け身で垂れ流しの番組を見るのではなく、自分で検索して好きな番組を能動的に見るというのです。

そういう傾向が強くなっているのが、40代の団塊ジュニアの下の若い世代で、溝ができるくらいクッキリと差があるというのです。団塊ジュニアがもう旧世代になるとは!

賃貸マンションもかつては、BSやCSのパラボラアンテナが設備されたものが好まれたのが、今では、Wi-Fiが繋がっているマンションでなければ見向きもされないといいますから、時代は変わったものです。

…などと書くと、協会幹部や大野幹事長からは「だから渓流斎は上から目線で、偉そう」「誰もが知ってることを自慢げに書く」と叩かれるのです。

ま、普段は読者の皆さまの本音は、直接聞けませんから、昨晩は貴重なご意見として拝聴奉っておきました。

サンティアゴとは聖ヤコブのことだったとは!

来月、夏季休暇を取りまして、一人でスペインに行くことにしました。

欧州は、英国、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、デンマーク、ギリシャ…10カ国以上は行ってますが、スペインはまだでした。トラウマがあったからです。

学生時代に、生まれて初めて真剣に付き合った女性がスペイン語を専攻していて、彼女に振られてからは、どうもスペイン的なものを受け付けなくなってしまったのです(インカ帝国、アステカ帝国を滅ぼしたのもスペイン人でしたからね=苦笑)。

もう40年も昔の時効の切れた話ですから笑い話です。

それが、今春、ダン・ブラウンのベストセラー「オリジン」を読んでいるうちに、(それは、バルセロナのサグラダファミリア教会がメイン舞台になっていたのですが)、死ぬ前に一度、行って見てみたいと思ったのでした。

◇◇◇

彼女に振られてかなり落ち込んだ頃、クリスチャンでもないのに、聖書を読み込んで救いを求めました。そのもう一つの理由として、文学作品や宗教画や建築を鑑賞する際、どうしても聖書の知識がないとさっぱり分からなかったこともあります。

アンドレ・ジッドにせよ、ニーチェにせよ、アンチクリストにせよ、西洋史、西洋文化を理解するには、聖書の知識が欠かせません。

◇◇◇

ということで、自分自身は、ある程度は、聖書の知識はあると自負していたのですが、今回、スペインに行くに当たって色々と勉強していたら、キリストの十二使徒の一人、聖ヤコブがスペインではサンティアゴと呼ぶことを初めて知りました。クリスチャンの吟さんは知ってましたかねえ(笑)?

そういえば、スペインが植民地にしたチリの首都はサンティアゴだし、キューバにも、サンティアゴ・デ・クーパという都市があり、他にも沢山あります。

本家スペインでは、北西端のサンティアゴ・デ・コンポステーラが、エルサレム、ローマに次ぐキリスト教3大聖地の一つになっていました。9世紀初めにここで聖ヤコブの墓が発見され、世界各国から多くの巡礼者が訪れるようになったからです。(今回行かれないのが残念!)

そこで、十二使徒の聖ヤコブを調べているうちに色々と面白いことを発見、いや学ぶことができました。

図解入りで分かりやすいサイトがあったので、引用させて頂きたいと思います。イエス十二使徒 ←こちら

何と言っても、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が有名ですよね。

十二使徒には2人のヤコブがいるので、このサイトでは「大ヤコブ」と表記されています。ここでは、大ヤコブ=サンティアゴとは全く書かれていませんが、「スペインで伝道」とだけ書かれています。この人は、イエスの弟子の中では「トップスリー」に入るほど、イエスに愛され、信頼されていた人だったのです。ナンバーワンは、ローマの初代教皇になるペトロ(バチカンの聖ピエトロ大聖堂)、ナンバースリーは、大ヤコブの弟ヨハネです。この人は天寿を全うし、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」「ヨハネの黙示録」を書いた人と言われていますが、否定する学説も多くあります。

皮肉にも、イエスの弟子で一番有名なのが、彼を裏切ったユダで、日本人は私も含めて他にほとんど知らないでしょうから、ここで、改めてイエスの弟子を整理してみます。

(1)ペトロ(シモン、アンデレの兄、弟説も。漁師)ローマで殉教

(2)アンデレ(ペテロの弟、兄?漁師)ローマで殉教

(3)大ヤコブ(ゼベダイの子、ヨハネの兄、漁師)エルサレムで殉教、スペインで埋葬

(4)ヨハネ(ゼベダイの子、大ヤコブの弟、最年少の十代、漁師)弟子の中で唯一人殉教せず天寿を全うした

(5)フィリポ(ピリポとも。バルトロマイの友人、漁師)小アジアで?殉教

(6)バルトロマイ(フィリポに導かれ弟子に)アルメニアで殉教

(7)トマス(イエスの双子の兄弟?漁師、または大工)南インドで殉教

(8)マタイ(アルファイの子、徴税人)「マタイ福音書」の記者説も。トルコで殉教?

(9)小ヤコブ(アルファイの子、マタイと兄弟)エルサレムで殉教

(10)タダイ(ユダとも。小ヤコブの子、または小ヤコブの兄弟とも。マリアの妹クロパの子?)アルメニア?で殉教

(11)熱心党のシモン(反ローマ帝国の過激派)ペルシャで殉教

(12)イスカリオテのユダ(銀貨30枚と引き換えにイエスを裏切る)自殺

私は、覚えていませんでしたが、サンティアゴこと大ヤコブとヨハネ兄弟の父はゼベダイですが、母はサロメで、彼女はイエスの母マリアの姉妹(ヨハネ福音書)なのだそうです。となると、このヤコブ・ヨハネ兄弟は、イエスの従兄弟となりますね。

上述しましたが、(7)トマスはイエスの双子の兄弟、(10)タダイはイエスの母マリアの妹クロパの子という説もあるらしく、となると、イエスの弟子には親戚兄弟が多くいたということになります。

何しろ、イエスにヨルダン川でバプテスマを授けた洗礼者ヨハネは、その母エリザベトとイエスの母マリアとは親戚だった(ルカによる福音書)と言われてますから、これまた狭い縁戚関係だったのです。ペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネの4人は、もともとは洗礼者ヨハネの弟子だったという説もあります。

イエスが最初から教団をつくろうとしたのか、しなかったのか、色んな説がありますが、少なくとも初期の原始教団は、狭い姻戚関係から生まれたことは確かでしょう。

ちなみに、ヨハネは英語でジョンだし、ペトロはピーター、ヤコブはジェームズ、殉教者パウロはポールということで、キリスト教は欧米人の生活の深部に関わっているわけです。ヤコブはフランス語でジャック(Jacques)で、コキーユ・サン・ジャック(coquille Saint-Jacques)で「帆立貝」を意味します。これには、諸説がありまして、聖ヤコブの亡骸をエルサレムからスペインに運んだ際に、小舟に帆立貝がくっついていたから、とか、聖ヤコブが布教中に帆立貝を持ち歩き、これで水をすくって飲んでいたから、など沢山あるようです。

老人力がつき始めました

有楽町「魚や旬」の魚づくしランチ980円=刺身(鯛、マグロ)、煮魚(鯖味噌)、焼き魚(鮭)、揚げ物(白身魚フライ)という豪華メニュー(焼き魚が写ってません)

私はあまりテレビは見ませんが、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」は結構見てます。

これでも、大学の卒論は「印象派」でしたし、長じてからは美術担当記者も仕ったこともあり、芸術に関する見る眼と教養はかなりのものと勝手に自負しております(笑)。それでも、この番組の鑑定士は半端じゃない知識と経験の持ち主で、私の知らない作家が出たりして、大変勉強になります。

大体欠かさず見てはいるのですが、たまに、見逃すこともあり、再放送を見たりします。我ながら随分熱心ですねえ(笑)。再放送は、大体、5~6カ月前に既に放送されていたものです。ですから、一度見たかどうか、忘れてしまっているのです。部分部分で、「あ、確か前に見たな」と分かるのですが、まだらボケ状態で、他の部分は全く初めて見たような気がするのです。

これは実に悲しいものがありますね。あれだけ、夢中になって見て、半年経って忘れて、また初めて見るように見ているのですから、あの時の半年前の時間は何だったのか、今消費している時間は何なのか、と空しくなってしまいます。

また、フランス語も英語も、単語は覚えて半年も経つと全く雲散霧消して脳裏から消え去ってしまうのです。哀しい。

◇◇◇◇◇

そこで、思い出したのが、赤瀬川源平さん(1937~2014)の「老人力」です。ご説明するまでもないでしょうが、これは「物忘れが激しくなった」と否定的に考えずに、「老人力がついてきた」と前向きに考えようと逆転の発想を提唱したものです。「老人力」(1998年)はベストセラーになりました。あれから、もう20年も経つんですね。

提唱したのが1997年といいますから、ちょうど彼が還暦の60歳のときだったんですね。

個人的ながら、「老人力」がベストセラーになる前に、私も老人力がついて何の著作か忘れてしまいましたが(笑)、一度、彼にインタビューしたことがあります。かなり和気藹々とした会話が続き、彼の偉ぶらない飾らないところに感銘を受けたものです。その3カ月後ぐらいに、ある文壇パーティーで再会したので、「この間は、大変お世話になりました」とご挨拶すると、「…どちら様でしたっけ…」と怪訝そうな表情を浮かべるのです。その時、彼は50代でしたが、既に老人力がつき始めていたということなのでしょうか。

勿論、私以上に毎日のように色んな人と会っているので、一度だけ会っただけの三文記者などいちいち覚えていないでしょうが、当時はかなりショックでした。(当時の私は、取材で年間500人ぐらいの人と名刺交換してましたが)

優秀で才能がある人でさえそうなんですから、まして凡人をやですね。

縄文土器と土偶さまには圧倒されました

今日は斎藤君のお誕生日でしたが、猛暑の中、上野の東京国立博物館で開催中の「特別展 1万年の美の鼓動 縄文」を見に行って来ました。

暑かったので、戸外で並びたくなかったのですが、流石にこの暑さでは通常の週末にしては空いていました。

今は夏休みですから、子どもさんも多く訪れ、母親と小学校3年生ぐらいの男の子が仲良く見学していて、男の子は土偶を見ながら、「おちんちん付いているね」「おっぱいあるね」と感動してお母さんに大声で話しかけていました。将来が楽しみです(笑)。

大きくなってもこの感動を忘れないでほしいものです。私自身は、最近、日ごろの生きているだけでシンドイ、数々の、諸々の、生まれいずる悩みに振り回されていたことから、1万年前の日本人のご先祖さまたちが作った作品に癒しを求めにいったというのが正直なところでしょうか。

何しろ、5000年も1万年も前の大昔の人たちがつくった土器や土偶や飾りなどが目の前で見られるわけですから、たかだか、100年も生きられるか分からない人間の悩みなんて、ちっぽけに感じてしまうわけです。

フラッシュなしの撮影コーナーがありました

土器1点、土偶5点の「国宝コーナー」もありました。比較的新しい1992年ごろに指定されたようです。もっと早く認定されてもおかしくなかったことでしょう。今のところ、縄文作品の国宝は、この6点だけらしいのですが、それが、一堂に会して見られるのですからこんな贅沢な至福の時はありません。

国宝の「火焔型土器」(新潟県十日町市笹山遺跡出土)は意外と小さかったですね。でも、あの文様は誰が考案したんでしょうか。現代人やAIではとても作れませんね。果たして人間は進歩しているのかしら?

有名な土偶「仮面のビーナス」(長野県茅野市棚畑遺跡出土)や「縄文の女神」(山形県舟形町西ノ前遺跡出土)などは、まるで、宇宙人がつくったような造形でした。私が気に入った国宝は「合掌土偶」(青森県八戸市風張1遺跡出土)で、30センチもない本当に小さな土偶で、若い男性が這いつくばるようにして、蹲って手を前で合掌している姿をしていました。一度目にしただけで、ぐっと胸に迫ってくる感動がありました。

細かい技巧には圧倒されます。赤ちゃんを産んでいる母親の壺まであるんですよ。土偶などは祭祀に使われたのでしょう。縄文時代は、まだまだ未解明なところが多く、さらに研究が進んでほしい分野です。日本列島、南は九州から、北は函館まで、あちらこちらに縄文時代の遺跡が分散していたことには驚かされました。

せっかく、上野まで来ましたので、上野山の激戦地に建てられた彰義隊の墓をお参りして、国営放送の大河ドラマの主人公「西郷どん」の銅像にも会いに行ってきました。

やはり暑くて、とてもじっとしていられませんでした。

昼時を過ぎていたので、明治の文豪森鴎外もよく通っていたという「上野 蓮玉庵」に久しぶりに入り、かき揚げそば1000円とビール中700円を注文し、一人で縄文土器の感動に再び浸っておりました。

ご案内の通り、稲作の伝わった弥生時代の土器は、機能重視で、芸術性に欠けることは確かです。

縄文土器は、柳宗悦、河井寛次郎(文化勲章、人間国宝などは辞退)、濱田庄司といった民藝派をはじめ、「芸術は爆発だ」の岡本太郎らがこよなく愛し、多大な芸術的影響を受けたと言われています。

確かに見ているだけで、生きる勇気が湧いてきて、会場では思わず手を合わせて感謝してしまいました。

うまいめん食い村通信 ごちそうさまでした            2拍手

鉄道系カード会社からの「脅迫」にお応えします

鉄道系のクレジットカード会社から「あなたの個人情報は相当古くなっているので、更新してください」との通告が来ました。

住所、職業、世帯の家族構成から年収まで、「どうせお前はもう碌な稼ぎはないだろうから、正直に申告しろ」と、暗に言うわけです。年収によって、1カ月に使えるクレジットの金額の上限が決まるようです。

「もし申告しなければ、上限枠を下げる可能性があります」という脅し文句もありました。

実は、私はこのクレジット会社には不信感を持っています。このブログで何度も書きましたが、私は、以前使っていたApple ID が、中国語で乗っ取られてしまいました。このIDに登録していたクレジットカードの会社がここだったので、電話で、「もし不審な多額の金額が使われたときに、事前に知らせてもらえないだろうか」とお願いしたことがあります。

そしたら、電話口に出てきた男は、ケンモホロロで、はっきりとこちらの要望に応じてくれなかったのです。(結果的に、登録していたクレジットカードの期限が切れていたので被害に遭わずにすみましたが)

ということで、この会社のカードは使うのはやめようと思ったのです。鉄道系なので、高額になる(笑)通勤定期などをこのカードで支払うとポイントが溜まるので、使うとしたらそれぐらいです。あ、プリペイドカードとしても使っています。生意気にも年会費が取られますが、ポイントでその分は賄える感じだからです。

◇◇◇◇◇

一方、他に私が持っている通販のクレジットカードは、その会社は人間的に大嫌いなのですが(笑)、登録費も年会費も無料。しかも、自分は忘れていたのに、何か、通販や店舗で使うたびに、しつこいくらい丁寧に「貴方は今回○○○○円使いました」と「使用報告」をメールで通知してくれます。他人がカードを拾って使ったり、サイバー攻撃でカード情報を盗んで使われたりした場合、「身に覚えがない」金額が請求されるわけですから、これならすぐ分かります。

ですから、クレジットを使う場合、専ら、こちらの通販系のカードを利用しています。

しかし、それにしても、鉄道系のクレジット会社の「情報更新」通告は、強制ではないとはいえ、「法令に基づき」とか偉そうなことを言って、上限枠を下げる魂胆が丸見えです。

どうせ、もう頻繁にクレジットは使いませんし、悪いですが、あんたんとこの会社、信用してませんから。

還暦留学のすすめ

ここ両日、少し涼しくなりました。

とは言っても都心の気温30度ですから、ここ10日間近く続いた35度、36度、37度の猛暑があまりにも暑かったということでしょう。気象庁も「生命に関わるほど危険」と警戒警報を出すほどで、今月だけで全国で100人以上の人が熱中症で亡くなっております。

築地蜂の子 A定食 880円

貧乏暇なしで、昨晩は、S君の送別会を同僚のY君と一緒に銀座の焼き鳥屋さんNで挙行しました。(イニシャルばかりで暗号みたいですね=笑)

会社の定年は60歳ですが、65歳まで定年延長で居残れます。しかし、現役時代の4割程度という労基違反もんの給金ではやってられない、ということで、彼は60歳でスパッと辞めることにしたというのです。

でも、ロシア人と違って、日本人の平均寿命は伸び、あと20年、30年は生きている可能性が高いです。年金だけでは生活は苦しいです。そこで、これからどうすんの?とS君を参考人招致したところ、「訴追される恐れがありますので」と口を閉ざすばかり。仕方ないので、証人喚問、留置所喚問、尋問、反問、御下問…ありとあらゆる手段を使って口を割らせたところ、どうやら英国のエセックス州にある大学院に留学するというのです。

専攻は、International Developmentとかいう分野で、ズバリ植民地政策なんだそうです。この分野は、米国などより、植民地支配の長い歴史のある英国が世界で一番進んでいるらしいのです。

彼は、修士号か何か取得できたら、何処かの国際機関か、NGOかNPOかに就職できればというのです。還暦過ぎた第二の人生はかなり充実したものになりそうで、正直、私も羨ましくなりました。

◇◇◇◇◇

最近の日本の若者は保守的で、内に篭って外国に留学したがらないという記事をよく目にします。

私は無理に外国語を勉強する必要もないし、わざわざ留学する必要もないと思っており、地方で慎ましく生きている若者は立派だなあと思ってますから、マスコミの論調には違和感を覚えます。

誰しもが国際人になる必要もなく、むしろ、歌舞伎や伝統芸能の方が国際的に脚光を浴びるものです。つまり、ドメスティックであればあるほと、国際的に通用するということです。

中年でも熟年でも、やる気のある人が、大きな夢と目標を掲げて、S君のように留学するのが一番相応しいと改めて思いました。

【追記】

「学歴ロンダリング」なるものがあるそうで、最近になって初めて知りました。「留学」で箔を付けて帰国しても、コミュティカレッジ程度では、日本の専門学校と大して変わらないので、いい就職口がなし。頑張って、州立大学にでも進学しようとしても、途中で挫折して日本人同士でつるんで、挙句の果てには同棲したりして日本語しか使わず、英語能力の進歩なし。帰国しても多額の借金だけが残るという惨憺たる状況なんだそうです。

「留学に逃げた人」より ←クリックするとリンク先に飛びます

オランダ人家族に久しぶりの観光ガイドをしてきました

昨日は、実に数年ぶりに海外からの観光客向けガイドを、病気で中断しておりましたが復活し、仕事として行いました。一応、こんな私でも通訳案内士の国家資格を持っています。(でも、安倍政権は、資格がなくても誰でも、報酬を得てガイドできるよう法律を改悪しました)

クライアントさんは、オランダの画家レンブラントで有名なライデン近郊の小さな町からやってきた4人家族で、お父さんは、何と旅行会社の創業者兼社長さんでした。15歳の娘さんと13歳の男の子がおります。2カ月近く前にお母さんからオランダから直接、日本にいる私の携帯に「7月20日に東京でガイドをしてほしい。あなたに任せます」と依頼があったのです。(私の名前と携帯番号などは観光庁のネットにも登録しているもので)

「お任せ」っていうの、一番困るんですよね(苦笑)。相手が興味もない所に案内するわけにはいきませんから、ある程度の趣味や興味を聞かなければなりません。でも、子どもと大人の興味はまるで違いますし、時間は限られ、最大公約数を選ばなければなりません。

まあ、正直、下準備が大変でした。オランダ語も少し勉強し、事前に行く場所、ランチする店なども確かめに行きました。結局、それやこれやで事前の準備通りには行かず、観光ガイドの仕事って、そうワリに合う仕事じゃありませんね(笑)。

大変失礼ながら、オランダ人にはマイペースといいますか、少し気まぐれなところがありまして、こちらが質問のメールをしても、返事が遅く、あまり正確に答えてくれることが少ないのです。しかも、最近、ヨーロッパでは個人情報保護が急に厳しくなりましたから、どこまでプライバシーに触れていいのか分からなくなってしまったのです。例のGDPR(General Data Protection Regulation 一般データ保護規則)とか呼ばれるやつです。

銀座

で、結局、準備不足のまんま、本番に臨みました。

結果は「50点」ぐらいの自己採点ですかね。赤点です。何しろ、言葉が出てこないのです(苦笑)。何気ない会話なんですが、「花火」が出てこないので、浅草近くの隅田川花火の話題に進めることができず、富士山の「裾野」という言葉が出てこずに、うまく説明できませんでした。ダメですねえ、全く。

しかし、オランダ人家族はとても寛大でした。とても満足そうな表情で帰っていただいたので、私自身は救われましたね。

15歳の娘さんは、とても可愛らしく、恥ずかしがり屋さんでした。名前は、日本語で「月」という意味でした。思春期特有のヒネたりしてません。純粋で、とてもまっすぐな感じでした。オランダと日本との交流で、私は事前にiPodで資料をつくって彼らにお見せして、長崎の出島の写真を見せたら、「あっ!これ教科書で見たことある」と彼女は言ってくれたので、嬉しくなりました。オランダでも、蘭日交流史を少しは教えているんですね。

13歳の坊やは、自分のスマホのゲームばかりやってました。名前は、日本語で「熊さん」という意味でした。13歳は日本で言えば、中学1,2年生ですが、何か小学校5,6年生に見えました。自分もこんな幼かったのかなあ、と思ってしまいました。でも、愛嬌があり、可愛いので連れて行こうかと思ったぐらいです。冗談ですよ。

お父さんは、あのシーボルトのことまで知っていて、ライデンのシーボルト博物館に行った話をしてくれました。なかなかのインテリです。

秋葉原に行ったら、お母さんが急に「猫カフェに連れて行ってくれい」と言い出すのです。こちらも「そんなの聞いてない。もっと早く言ってくれい。事前に場所を調べたのに!」と心の中で思いつつ、スマホで一生懸命に検索して、手頃な店を見つけました。しかし、電話で場所を教えてもらったら、とても下手くそで、埒が明かず、少し時間を取らせてしまったことが失敗でした。

そこは、なかなか厳しい店で、「猫は触るだけで抱っこしちゃいけない」とか、「荷物はロッカーにいれろ」とか「入室する前に消毒しろ」とか規則規則のオンパレードでした。猫カフェは、生まれて初めて行きましたが、日本でブームになるのが分かりましたね。スコティッシュとかアメリカンショートヘアとか、あまり見たことがない高級猫を見ることができました。ちなみに、1時間近くいたら、一人1550円でした。

東京は、36度の猛暑で、マスコミで「熱中症に気をつけろ」と連呼するので、どこも日本人の姿が少なく、外国人観光客だらけでした。日本の着物姿も外国人でした。浅草の地下鉄の中を見回したら、ほとんど中国人と韓国人と台湾人とタイ人とインドネシア人ばかりで、日本人は私自身しか見当たらなかったので、お母さんに、その旨を伝えたら、「向こうに座っている女性2人は日本人じゃないかしら」と言うので、よく見たら日本人でした。

「どうして分かるんですか」と尋ねたら、お母さんは「やはり、服装や髪型が違うし、顔つきも少し違う」というのです。

私はオランダ人とドイツ人とフランス人の区別はつきませんけどねえ。恐れ入りました。

欧州個人情報保護法で、彼らの写真をここに掲載できないのが残念です。とても素晴らしい家族でした。

真夏の東京五輪開催はおかしい

最近、個人的なファミリーイベントが続いていました。

あまりにもプライベートなことなので、ブログで世界に公表することも何(ナン)なので控えておりましたが(笑)、小生は本日7月18日、無事○○回目の誕生日を迎えることができました。(あまりにも個人的な!)

嫌いなフェイスブックもやっているため、多くの友人がお祝いのメッセージを送ってくださいました。涙が出るほど嬉しかったです。有難う御座いました。

年齢を語呂合わせすると、耄碌爺さんになるので嫌になってしまいますよ。しかし、お蔭様で、日本の法律により、あのアルチュール・ランボーが天才少年時代から憧れて果たせなかったrentier生活に入ることができ、昨日、やっと事務所に申請に行って参りました。

勿論、日本は少子高齢化の財政不足ですから、rentier だけではとても生活できないので、今の会社にもう少しだけしがみついていく予定です。

とにかく、3年前は病気で死にかけていたので、どうにか、この世に戻ることができてよかったと思っています。

山梨・西沢渓谷 Copyright par Osamu Takada

さて、暑い日々が続いています。

東京都心でも36~38度の猛暑が続き、全国で熱中症(heatstroke)で亡くなる人もおられます。それが、体力の落ちた高齢者ならまだ分かりますが、小学生から20歳代の若者までいるので驚かされます。

昔は熱中症なんて聞いたことがなかったなあ、と思いましたが、私は30年前にそれらしきものに罹ったことがありました。親戚の指導の下、夏休みに静岡県の浜名湖で釣りをしていたのですが、炎天下で、確か、帽子を被っていたはずですが、帰宅すると、熱にうなされながらも意識が朦朧として、しばらく寝込んでしまいました。食欲もなく、しんどかったことを思い出します。あやうく命を落とすところでした(苦笑)。

昔は、気温が30度になるなんて!、と思ってましたが、今や40度時代に入りかけています。信じられません。

それなのに、2年後に、真夏の東京でオリンピックを開催するんですからね!狂気の沙汰です。

そんな中、本間龍さんという元博報堂社員のノンフィクション作家が、「ブラックボランティア 」(角川新書)を出版して異議を申し立ててます。要するに、来る東京五輪・パラリンピックでは、酷暑の中、10万人以上のボランティアがタダで使役され、国際オリンピック委員会の大して働かない貴族の特権階級連中だけがボロ儲けするという構図を理解しようではないかと呼びかけているのです。

オリンピックという美名の下で、多くの無知な人間が搾取されているというわけですね。痛快です。

小生、未読で、書評を読んだだけですが、面白そうです。

 

【追記】「ブラックボランティア 」の目次は以下の通りです。

2020年7月、酷暑の東京。肥えるオリンピック貴族、搾取される学生たち

(目次)
はじめに 酷暑下で展開される未曾有の「やりがい搾取」

第1章 10万人以上のボランティアをタダで使役
無償ボランティアの根拠は何か
なりふり構わぬ学徒動員計画
驚愕の「中高生枠」
薬剤師も無償で調達で大騒ぎに
高齢者は募集対象外?
半世紀以上前に否定されていた夏季開催
19年ラグビーWCまでも無償ボランティアで
長野五輪のボランティア

第2章 史上空前の商業イベント
商業化は84年のロサンゼルス五輪から
IOCと五輪貴族を支えるスポンサーシステム
一業種1社の原則を捨てた東京五輪
組織委の不明朗な体質
パブリックビューイングを開けない「スポンサーファースト」

第3章 ボランティアの定義と相容れない東京五輪
そもそも「タダ」という意味ではない
五輪運営費の内訳に対する疑念
巨額のスポンサー料をなぜ開示しないのか

第4章 東京五輪、搾取の構造
無償ボランティアがオリンピック貴族に貢ぐ構図
「やりがいPR」で再び炎上
無償ボランティアになるためにカネを払う?
さまざまな有償ボランティア

第5章 なぜやりがい搾取が報道されないのか
「全国紙全紙が五輪スポンサー」の異常
組織委の「核心的利益」を追及しないメディア
メディアの東京五輪報道は原発プロパガンダと同根である
電通を批判できないメディア

第6章 問題を伝え続けること
5万人がリツイートした無償ボランティア批判
大学で講義をしてみると

終章 21世紀の「インパール作戦」
東京五輪とインパール作戦の相似性
外国人観光客の熱中症で病院はパニックに
組織委はボランティア全員を有償とせよ

おわりに

実姉のシンデレラ物語?

「渓流斎日乗」は、個人のブログではありますが、あまり身内のことは恥ずかしいので書きたくないというのが正直なところです。

でも、題材に事欠きますとそんなことを言ってられなくなります(笑)。

昨日、私の実姉が突然、長文をラインで送ってきました。内容は、学生時代に付き合っていた人が急に気になって、ネットで検索したところ、某製薬会社の常務か何か偉くなっているらしく、もし、フェイスブックやツイッターなどに載っていたら、情報を教えてほしい。自分は一切、ソーシャルネット(SNS)はやっていないものでよろしく、といった依頼でした。

どうやら、その方とは、当時はいいところまで行っていたらしく、21歳の誕生日は、東京・西麻布の高級レストラン「P」を貸し切って、友人を集めて誕生会を開いてくれたというのです。

まあ、別に知りたくもない情報でしたが(笑)、姉の要望でもあるので、その人をSNSで調べてみました。私自身、気持ち的には(笑)SNSはほとんど利用していませんが、この「渓流斎日乗」を拡散するためだけに、IT実業家の松長社長の至上命令で、仕方なく嫌いなフェイスブックとツイッターをやっております。主に送信として(笑)。

で、調べてみましたら、その方は、フェイスブックもツイッターもやっていないことが分かりました。でも、会社広報の報道資料が出てきて、それによると、当人は、常務どころか、社長どころか、今年4月には会長にまで出世されていたのです。名前を聞けば、日本人なら誰でも知っている有名な製薬会社のです。

浅草・雷門

姉は別の人と結婚しておりますし、その方とは「別に会うつもりはない」というので安心しましたが、「世が世なら、今頃、会長夫人だったんだあぁぁ…」と変な喜びようです。

そう言えば、思い出すと、姉は子どもの時から妙な幸運に恵まれた人でした。クジ運が良いといいますか、雑誌やラジオ(テレビじゃないでーす)番組などの懸賞に出すと、必ずと言っていいくらいよく当たるのです。

もう半世紀ぐらいの昔の話ですが、何かのラジオ番組で、1万円が当たったことがあります。今の1万円は、銀座に行かなくても、一晩飲んだらすぐなくなってしまうような金額ですが、半世紀前の1万円は、今の10万円近い価値がありました。

今、50年前、1968年の大学卒の初任給を調べたら、3万0600円でした。2018年、大卒一部上場企業の初任給の平均が21万1039円ですから、50年前の1万円は、現在の7~8万円てとこでしょうか。

その当選金の1万円で、家族5人で新宿にあった「中国飯店」(今はないと思います。グルメ王の辻下さんなら御存知かもしれませんが)でお腹いっぱい食事してまだ余り、残りで真冬用の毛布を買ったことを覚えております。

姉は、1万円以外にも、数千円ぐらいの商品もボンボン当たっていました。

あ、付け加えておきますと、彼女の人生最高の「当選」は、今の旦那さんじゃないでしょうか。職業は秘密ですが、都内一等地に一戸建てを持ち、毎年、海外旅行するなど庶民の私から見ると実に羨ましい暮らしを送っていますからね(笑)。

世界最小の双方向性メディア「渓流斎日乗」がお役に立つことができた日

この「渓流斎日乗」は2005年3月15日から13年間、ほぼ毎日書き続けてきたブログですが、(ただし、2008年8月から2015年10月までの7年間の記事は消滅してしまいました)、自分勝手に「世界最小の双方向性メディア」を自称しております。えっ?知らなかったんすか?(笑)

もうこの年になりますと、自分のことより、社会のため、地域のため、周囲のため、皆さんのため、何かお役に立つことをしてから、この世を身まかりたいという気持ちが強くなってくるものです。

もちろん、ブログですから、自分の好奇心が赴くまま、新聞や本を読んだり、歴史散歩したり、名所旧跡を歩いたり、好き勝手なことを書いているだけなのですが、たまに、「同好の士」がいるもので、私が書いたことに共感してくださったりするので、大変嬉しくなります。

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さて、前置きが長くなりましたが、恐らく、皆さんはあまり、このサイトの右端下の「comment」欄はお読みにならないと思いますが、2017年10月1日に書いた「関東軍情報本部ハルビン陸軍特務機関」の記事について、今年1月4日付で、三浦宣秀さんという方から「私の叔母は軍属として、ハルビン特務機関情報部教育隊に所属していたようです。ハルビン特務機関長は、土居明夫特務機関長(秋草特務機関長の前任)でした。叔母は、恐らく情報部教育隊(471部隊)に所属し、21歳でハルビンで殉職しましたが、もし御存知なら叔母の消息を知りたい」といった趣旨のコメントをお寄せくださいました。

三浦さんは東北地方にお住まいですが、わざわざ上京され、公文書館や国会図書館などで資料漁り、過日、山本武利・一橋・早大名誉教授が理事長を務めるインテリジェンス研究所主催の諜報ツアーなどで直接面識を得ることができました。

その後、山本和英さんという方から、このブログに、今年6月23日付で、「私の父も471部隊に所属していました。93歳ですが、終戦時のこと、鮮明に記憶しています、三浦様、何らかの情報があるかもしれません」とのコメントをお寄せくださったのです。

このことを私が、三浦氏にお伝えして、山本和英氏にコンタクトを取るようお勧めしたら、このほど、うまくメールで繋がり、三浦氏は、その93歳の山本氏のご尊父と来月、彼がお住まいの中部東海地方でお会いすることになったというのです。そんな嬉しいメールが昨晩、飛び込んできました。

こんな嬉しいことはありませんよね?

まさに、世界最小の双方向性メディア、つまり、仲介役を務めることができたのですから。本当に我が事のように嬉しくなりました。

あとは、三浦氏の叔母さんの消息が少しでも確かめることができたら万々歳です。

最近はネット上でのサイバー攻撃やら、おためごかしや詐欺師の横行でろくなことありませんよね?

ですから、自画自賛かもしれませんが、こんなちっぽけなブログでも、今まで知らなかった皆さんでも、少しでもお役に立てたのではないかと思うと嬉しいのです。いや、こんな嬉しいことはありません。

だから、早速、ブログに書き留めておくつもりです(笑)。

【追記】

先日参加したインテリジェンス研究所主催のツアーのブログが、「NPO法人 インテリジェンス研究所」のホームページに転載されました!(クリックしましたら、HPに飛びます)あら!古い記事まで転載されてます。サイトの下の方です(笑)。