西城秀樹と姐さん(文春砲の見出しそのまんま)

サラゴサ

もう20年近い昔ですが、これでも仕事で、(好むと好まざるとに関わらず)、芸能担当記者をやっていたことがあります。

芸能と一口に言っても守備範囲は幅広く、文楽能歌舞伎といった伝統芸能から、最先端の音楽、人気歌手、テレビや映画に出演する国内外の大物俳優インタビュー、放送行政などさまざまでした。

レコード大賞の審査員などもやったお蔭で、芸能界の実態についてはかなり詳しくなってしまいました。大手芸能事務所と裏社会との関係、タレントの出自、政財界や宗教界との関係、警察公安と芸能界との持ちつ持たれつの関係…等々です。

バルセロナ サン・パウ病院(ガウディの師ドメネクが設計)

小指のない芸能事務所の社長さんと懇談したこともありますが、茲でさらに詳細に書けば、生命の危険に及ぶので、残念ながら書けませんね(苦笑)。最近は、ネットで色んなことが、虚実ない交ぜで書かれていますから、ご興味のある方はそちらをご参照ください。半分近くは当たっているんじゃないでしょうか。(ということは、半分は嘘、デタラメ)

いずれにせよ、自分自身は、かなりの「芸能界」通だと思っておりました。でも、今日発売の「週刊文春」を思わず買ってしまったのですが、先日亡くなった人気歌手の西城秀樹の実姉と広域暴力団五代目山口組の宅見勝若頭(=当時、1997年8月に、中野会との内部抗争で暗殺、享年61)とは内縁関係だっため、大阪市の名刹四天王寺の墓地では、秀樹と宅見若頭の墓が隣同士にあることが写真入りで書かれておりました。(執筆はノンフィクション作家森功氏)

知りませんでしたねえ。

秀樹と9歳離れた実姉は、秀樹を芸能界にメジャーデビューさせるに当たってかなり尽力した人で、大阪で高級「クラブ西城」を経営し、当時は「宅見ママ」ということでかなり有名だったらしいのです。

グラナダ大聖堂

宅見若頭が神戸で暗殺された1997年は、私自身バリバリの芸能記者でしたから、そのニュースはかなり衝撃的でした。芸能関係には複雑に入り組んだ利権構造があり、宅見若頭は当時、頭がキレる「経済ヤクザ」として名を馳せ、芸能界にもかなり深くコミットしていたことを噂で聞いていたからです。

暗殺された宅見若頭は、当時は自分自身も若かったせいか、かなりの年配だと思っていたのですが、61歳と、思えば随分若かったんですね。

あれから21年ですか…。芸能担当記者から足を洗って(笑)かなり年月が経ってますから、最新情報には全く疎いのですが、芸能界の相関図は20年前とそう変わっていないと思っております。

(残念ながら、今はあまり興味がないので、タレントさんの名前と顔が一致しません。←それじゃ駄目じゃん!)

「本能寺の変」にスペインも絡んでいた!?

グラナダ

実は今、4冊ぐらい並行して本を読んでいるため、頭の中は、ごった煮のシチュー状態です(笑)。

病気をきかっけに、本はなるべく買わないようにしているのですが、やはり、本ぐらいしか人生の楽しみ(と同時に苦しみ)がないので、増えてしまいます。

今朝から読み始めたのは、安部龍太郎著「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変 」(幻冬舎新書、2018年7月30日初版)です。「世界史からの視点」というのが、新鮮というか、斬新的です。

プラド美術館 ベラスケス像

安部先生は、いつぞや、京都は、京洛先生の守備範囲である上京区にある老舗居酒屋「神馬(しんめ)」に出没され、ちょうど、京洛先生と小生がそこで一緒に呑んでいた時に、安部先生と取り巻き編集者が奥の超一等席にいらっしゃっていたという話を聞いたことがありました。つまり、同じ時間と空間を共有していたわけです(笑)。神馬は、東京からハイヤーを乗り付けて来店するツワモノがいるほどの人気店で、調子に乗った神馬の親父が、あまりにも居丈高だったので、その後我々は行かなくなりましたけど…。

さて、「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変 」です。私も加藤廣さんの「信長の棺」などを読んで、本能寺の変の「黒幕」は、五摂家筆頭の近衛前久(さきひさ)だったいう説に、私も納得しましたが、さらにその背後に、スペインやイエズス会もいたというので驚きですね。

コルドバ 大聖堂

安部氏は、以下のような持論を展開します。

…信長は南蛮貿易による利益と軍事技術の供与を受けるために、イエズス会を通じてポルトガルと友好関係を築いていたが、ポルトガルは1580年にスペインに併合された。

そこで、信長はスペインとの新たな外交関係を築く必要に迫られ、イエズス会東アジア巡察師のアレッシャンドロ・ヴァリニャーノと1581年2月から7月まで交渉したが、合意に至らなかった。

スペインが明国征服のための兵を出すよう信長に求めたからだと思われる。日本にそれを示す資料は残っていないが、ヴァリニャーノがマニラ在住のスペイン総督に宛てた手紙を読めば、そうとしか考えられない。

信長は、イエズス会とスペインを敵に回したため、信長政権はとたんに不安定化した。キリシタン大名や南蛮貿易で巨万の富を得ていた豪商たちが見限り始めたからである。

これをチャンスとみたのが、京都から備後の鞆の浦に追放された室町幕府15代将軍足利義昭。彼は朝廷や幕府ゆかりの大名に檄を飛ばし、これに応じたのが、義昭の従兄弟で義兄弟に当たる近衛前久だった。前久の工作で、明智光秀が本能寺の変を起こした…

というのです。

サラゴサ

なるほどねえ。スペインが絡んでいたとは、驚き、桃の木ですよ。

日本は偏向報道国家なのかなあ?

ラ・マンチャ地方

ほんの1週間ですが、スペイン旅行に行ってよかったと思っています。

「スマホ中毒」から少し解放されたからです。行く前は異常でした。電車に乗っても、バスに乗っても、歩いていても、気になって、すぐ液晶画面を見ていましたから。

実際、大した情報に接していたわけでもないことも分かりました。単に習慣になっていたんですね。悪習慣は断ち切ることです。

グラナダ・アルハンブラ宮殿

帰国して痛感したことは、新聞でもテレビでも、日本の海外ニュースは、アメリカと中国と韓国の話題ばっかりだということです。スペインやフランスなどで起きたことは、ほとんど報じてくれません。

BSの海外テレビ放送を見れば、十分事足れるでしょうが、地上波は、米中韓ばかりに集中して、まさに「偏向報道」と断定してもいいでしょう。

もちろん、基軸通貨ドルと世界最大の軍事力を持つ米国と、日本も大いに依存している世界第2位の経済大国である中国を中心に世界は回っていることは確かですが、それにしても、見たくもない為政者の顔ばかり見せ付けられたり、見たくも聴きたくもない芸能が世界基準(スタンダード)で最先端の潮流だとばかり押し付けられては、さすがに、うんざりしてしまいます。

まさに、日本の常識は、海外の非常識でもあるわけです。

コルドバ大聖堂

思うにスペイン旅行は、普段の喧騒から離れた歴史散歩だったかもしれません。

少年の頃、歴史学者を夢見たぐらいの歴史好きだったせいか、日本史と世界史の基礎知識はかなり時間をかけてみっちり頭に叩き込みましたから、今でも重大事件の起きた年号や背景ぐらいソラで言えます(笑)。「レコンキスタ」「スペイン継承戦争」「スペイン内戦」など起伏に富む複雑なイベリア半島の歴史は、ある意味で魅力的で、何と言っても800年間もイスラムに支配されていた風土と文化に直接肌を感じることができたのが今回の旅行の大いなる収穫でした。

特に、私は美術建築好きでもありますから、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤの三大巨匠とピカソの「ゲルニカ」といった傑作画やガウディのサグラダファミリア教会などを間近に見られたことは、何よりも得難い至福の時間だったと言えます。

逆に歴史にも芸術にも興味がない人が旅行しても、つまらないんじゃないかなあ、と思ってしまいました。

現在、見えないもの、見えていないものを見るために、想像力を働かせなければならないからです。それにはある程度の知識が必要なのは否めません。

いやはや、またまた、堅い話になってしまい、失礼仕りました(笑)。

バルセロナ サグラダファミリア教会

先日会った友人の田所君なんかは「俺、最近、プラスチックゴミが気になってしょうがないんだよなあ」という始末です。確か、10年ぐらい前、日本で割り箸が使い捨てされるという「事件」で話題になった際も、「割り箸のお蔭で、熱帯雨林が破壊されている」と、彼は叫んでいたものでした。

何はともあれ、このように、メディアの影響力は強いのですから、現役のマスコミ従事者にはもっと自覚してほしいものです。

独裁主義国家じゃあるまいし、偏向報道はやめてほしいなあ。。。

写真は撮らない~ヘミングウエイ~数字は人格

アルハンブラ宮殿

スペイン旅行(2018.9.11~18)では、プロカメラマンさながら、500枚近くもの写真を撮りまくってきました。

そんなに写してどうすんの、てな感じです。

そんな中、ツアーで一緒になった静岡県から参加された女性が、ただ一人だけ、一枚も写真を写していないことに気が付きました。デジカメすら持参していないようでした。

彼女は、あの秘境マチュピチュにまで行かれたことがあるらしく、大の旅行好きのようでした。それがどうしたことか。その理由について、恐る恐る聞いてみました。

アルハンブラ宮殿全景

「以前はよく撮っていたんですけどね。家に帰って、娘たちに見せても、自分が行ってないものだから、あまり興味なくて…。それより、あまりにも沢山、写真が増えてしまって、『お母さん、(写真を)どうにかしてよ』とまで言われてしまって…」

なるほど、そういうことでしたか。

確かに、身内の人とはいえ、勝手に好きに遊んできた(笑)写真を見せつけられては、はた迷惑かもしれませんね。

SNSの流行で、世間の人たちはやたらと自分たちの撮った写真をアップしてますが、確かに、興味や関心がない人の撮ったものなどどうでもいいのかもしれません。

親戚や親しい友人でも、年賀状に赤ちゃんの写真や家族の写真を送ってもらっても、待望の赤ちゃんにまだ恵まれていない夫婦や、独身の人間にとっては、あまり愉快なものではない、のと同じです。

アルハンブラ宮殿前庭

さて、スペイン=闘牛ということで、久しぶりに若い頃に熱中して読んだヘミングエイのことに思いを馳せました。

彼は晩年になって、悲劇的にも猟銃自殺しましたが、若い頃は、彼の晩年の白い髭をはやした老人姿の写真から、彼が70歳か、80歳に近い頃だったと思っておりました。

そしたら、ちょっと調べてみたら、まだ61歳(62歳になる直前)だったんですね。今のような「人生100年時代」ではとても若いです。

どうやら、ヘミングウェイ一族は自殺の多い家系のようでした。彼の父親クラレンス、妹アーシュラ、弟レスターもそうで、姉マーセリンも自殺が疑われているそうです。また、最近、といっても1996年のことですが、孫娘で女優のマーゴも自殺しています。原因は精神疾患の遺伝のせいではないかとも言われています。

私は、ヘミングウエイ好きが高じてキューバにまで行ったぐらいですが、彼のマッチョ的イメージとは違う内面の繊細さは意外でした。

ただ、若い頃のヘミングウエイはかなりの自信家で、同時代人で彼を知る人たちの中には、彼がかなり度を越した傲岸不遜で、付き合い切れなかったと証言する人もいたようです。彼は、生涯で4度も結婚しました。

アルハンブラ宮殿

話が飛んでしまいましたが、旅行中に暇つぶしに持って行った本の一つに、小山昇著「数字は人格」(ダイヤモンド社、2017・12・13初版)がありました。

数学関係の本と思いきや、中小企業経営者のための指南書でした。法律で作成が義務付けられている「損益計算書(P/L)」よりも「貸借対照表(B/S)=バランスシート」を優先して経営者を読め、と薦めております。

そのバランスシートの中でも、一番最初の「流動資産」の中の「現金預金」を重視するべきだと何度も強調しております。

何故なら、いくら黒字経営でもキャッシュ(現金預金)がなければ、倒産してしまうからです。2008年のリーマン・ショックでは、約2分の1が「黒字倒産」だったそうです。

だから、著者は、銀行から借金してでも、イザというとき、いつでも手元にキャッシュが用意できるようにしろ、と力説するのです。銀行からの借金には金利が付きますが、それは「時間」を買っているようなものだ、というのです。

私自身は、最初から最後までサラリーマンの「使用人」として終わり、経営には全く縁がなかったので、損益計算書もバランスシートも関わることがありませんでしたから、この本は、自分にとってはかなり新鮮でした。

アルハンブラ宮殿内部

この本の内容については、目次からピックアップすれば大方のことが予想できます。

その前に、バランスシートの中の「売掛金」とか「買掛金」とかいう項目の意味を知らなかったですが(笑)、「掛け」とは「ツケ」のことで、売掛金とは、既に商品は売っているものの、代金が後払いで、まだ回収していないお金のことでした。買掛金とはその逆で、すでに商品は仕入れているのに、まだその代金を支払っていないお金のことです。

世の中には、売掛金がゼロの商売もたくさんあり、その一つが飲食業で、飲食店は現金かクレジットカードがメインで、お客さんがその場で払ってくれるからです。

ただ、飲食業は安泰かといえばそうでもなく、全く知りませんでしたが、飲食店の80%が開業して5年以内に倒産するというから驚きです。食材などを仕入れて、後払いする「買掛金」があるのに、無謀な経営をするのが理由の一つだそうです。メニューを変えたり、インテリアを変えたりして、「事前投資」しなければ、お客さんにすぐ飽きられてしまいますからね。道理で、街中ではちょくちょく商店が変わるはずでした。

そう考えると、何百年も続く老舗飲食店は凄いんですね。

以下、目次を拾ってみますとー。

・現金があれば、会社は倒産しないカラクリ

・在庫は「資産」ではなく「死産」

・売上を増やすには「客単価」をアップするより、「客数」を増やす

・人件費を減らすには無駄な仕事を減らすのが一番

・社員にいつでも自由に会社の数字を見られる環境を整える(役員報酬1億円まで公開)

以上、これから起業しようとする皆さんなら大いに参考になるでしょうが、残念ながら、私自身は遅すぎて、「へー」と世の中の仕組みが分かり、勉強になりました。

お財布携帯アプリは見ず知らずの他人に財布を預けるようなもの

アルハンブラ宮殿

清里の油小路先生です。

何か、渓流斎さんは、スペインにご旅行され、無事帰国されたようで何よりです。最近の欧州は、テロが多く物騒ですからね。

ブログに長々と旅行記を書いていらっしゃいましたが、あれは、長過ぎますね。追河探訪記者は「流し読み」したらしいですが、あんな長ければ誰も読みません(笑)。最後まで読んでくださった方には感謝しなければなりませんよ。

フィンランド航空には大変お世話になりました(行きは7時間もヘルシンキ空港で待機させてもらいました)

あ、さて、先週木曜日でしたか、久しぶりに上京した折、歌舞伎見物にでも行こうかと、ついでに、渓流斎さんの銀座のオフィスに立ち寄ったところ、貴方は随分、吃驚した表情でしたね。「えっ!? 清里におられていたんじゃなかったんですか」と。

まあ、何も事前に連絡なく、突然訪問したこちらも悪かったかもしれませんが、何か、貴方は当日、先約があったらしく、久しぶりに再会して一献を傾けようとした機会を逃してしまいました。残念でしたね。

ヘルシンキ空港のトイレは日本語の説明。多くの日本人が来訪するということでしょうね

久しぶりの東京でしたが、ネクタイを締めている男性がめっきり減りましたね。例の女性議員による「クールビズ」とかいう洗脳で、紳士たるもの、その本分を忘れて、皆、だらしなく胸元を開けて、労務者風情に貶められておりました。

エリート官僚さん、青年実業家といっても、あんなだらしない恰好では、まるで、雲助が登城しているようなものですよ。

あ、少々、差別的感情を煽るような表現でしたら、御寛恕願いたいものです。

きょうび、人権意識の高まりを受けて、表現に関して、世間では大変神経質になっておりますからね。

グラナダのレストラン

しかしながら、ある程度、辛辣な表現を使わないと、真意が伝わらないのです。

東京の電車や地下鉄に乗ると、誰もがみんな、スマホの画面に熱中している人ばかりです。ニュースを読んでいるのか、ゲームをしているのか…。でも、あんな受け身のことばかりしていては、人間の魂は何処に行ってしまったんですかねえ?

はっきり言って、現代人は魂がない、生きているようで死んでいる人間ばかりです。

魂がない、というのは、騙されやすい、どうか、私を騙してください、と言っているようなものなのです。

例えば、ネット広告です。パソコンなどで検索すると、化粧品にしろ、時計にしろ、いつまでたっても、他のサイトを開いても、同じ広告が追っかけてくることでしょう。ネット広告は、地の果てまで追いかけてきます。

あまりにものしつこさに根負けして、ついつい、また、同じ化粧品を買ってしまう。そんな繰り返しです。

ネット広告は「ポン引き」だ、とはっきり言ってやらないと分からないのです(笑)。ポン引きは、客が入店するまでいつまでも追いかけて、地の果てまで付いてきます。

客も魂がないから、ポン引きなのに、親切心でやってもらっていると誤解して、騙されるのです。

アルハンブラ宮殿にようこそ(個人名が記載された入場ペーパーにQRコードが添付され、3カ所もゲートがありました)

「ネットは危ないもの」という認識を念頭に置かなければならないのです。

特に、今、盛んに日経新聞などが取り上げている「お財布携帯アプリ」なんか、最たるものです。記事では利便性のメリットばかり取り上げておりますが、いざ、盗難にあったり、サイバー攻撃で盗み取られたりしたりするデメリットなんか一行も書いたりしません。

そもそも、お財布携帯アプリなんて、見ず知らずの他人に財布を渡すようなものですよ。現代人は魂がなくなっているから、そんなことも分からないので、迂生も、はっきり言ってやらなければならないのです。

進化や進歩は言葉の綾です。現代人は便利さばかりを追求するあまり、確実に退化しています。

スマホを捨てろ、とまでは言いませんが、せめて、ホドホドに、ですよ。

電脳空間は富士山の「樹海」です。入口も、出口も分からず、深入りすればするほど出口が分からず、白骨になって御終いです(笑)。

今回、突然の訪問のため、貴方と懇親できませんでしたので、書簡で失礼申し上げました。

新生《渓流斎日乗》1周年記念祭

湯島 純酒肴「吟」

おめでとう!1周年

《渓流斎日乗》が、今の新しいサイト移設されて、9月15日で1周年となりました。(実際、もう少し前に開通しておりましたが)その記念として、技術面でこのサイトを立ち上げて頂いたIT実業家の松長社長と2人で、昨晩20日、祝賀会を開催しました。

場所は、あの東京・湯島の純酒肴「吟」です。

松長社長には、スペイン旅行の土産話を聞いてもらいました。

闘牛場を改修したミハスのレストラン

皆様にも嬉しい御報せがあります。皆さんが新サイトの広告バナーをクリックして頂いたおかげで、何と黒字になりました!

2018年1月1日から9月20日までの総計ですが、ページビューが1万0153、表示回数が2万7184、クリック数が51、アクティブビュー視認可能率が44.76%で、見積もり収益額が1733円になりました。これに、ドメイン使用料を差し引くと、135円の黒字が出たのです。サーバーは、松長社長が契約しているものを使わさせて頂いているので、使用料は大目に見てもらいました。

135円でも、私にとっては、大手gooブログから独立して自分で稼ぐことができた貴重な金額です。

これでも、「世界最小の双方向性メディア」と銘打って「プロ」としてやっているので(笑)、本当に嬉しい限りです。当初は、ドメインとサーバーの使用料で、どれくらい負担するのか、頭を抱えておりましたが、嬉しい誤算でした。

これを励みに一層精進していく所存です。(堅いなあ…笑)

ガスパッチョ(冷製野菜スープ)

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。

スペイン堪能記

ついにガウディのサグラダファミリア教会と御対面

グラナダ・アルハンブラ宮殿(高校時代の世界史の教科書で見たことがある景色を撮ってみました)宮殿は、イスラム教徒がイベリア半島から追われ、標高700メートルの高台につくりました。▽名門グラナダ大学は学生6万人、教職員700人。

2018年9月11日(火)から18日(火)まで、初めてスペインに旅行に行って参りました。

機内泊を含めて7泊8日の旅でしたが、移動日が2日で実質6日間の旅でした。特に、行きは、経由先のヘルシンキ空港で7時間もトランジットで待たされ、結局、成田空港からスペインのマラガ空港まで21時間も掛かり、ヘトヘト。時差ボケと睡眠不足で前半は絶不調で、4日目からやっと馴化して旅行を楽しむことができました。

ミハス(ホテルの部屋からの眺め)

回った都市は、ピカソの生誕地である南部マラガから北上して宿泊先の白い建物で有名なミハス(アンダルシア)、イスラム統治最後のアルハンブラ宮殿があるグラナダ(柘榴という意味=アンダルシア)、イスラム支配最盛期のコルドバ(アンダルシア)、風車のあるラ・マンチャ地方のコンスエグラ、エル・グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」が残るサント・トメ教会のある中世からの都市トレド(カスティーリャ・ラ・マンチャ)、首都マドリード、近郊にゴヤの出身地があるサラゴサ(旧アラゴン王国の首都)、そしてスペイン第2の都市バルセロナ(カタルーニャ)の9都市でした。

世界遺産 コルドバ

メニューが盛りだくさんでした。1492年にカトリック教国スペインとして独立(レコンキスタ=再征服)するまで800年間もイスラム教国の統治下にあったため、アラブの文化遺産が色濃く残り、まず、一口では語られません。

写真も400枚以上撮影してきましたが、さすがに、一度に全部掲載できませんね(笑)。でも、アルハンブラ宮殿にしろ、サグラダファミリア教会にしろ、プラダ美術館のベラスケスにしろ、今まで歴史や美術の教科書や写真集などでしか見たことがなかったものを直接、間近に見ることができ、とても至福な時間を過ごすことができました。現地に行かなくては見られませんからね。(3万点以上収蔵するプラダ美術館にあるベラスケスの傑作「ラス・メニーナス」は、この1点だけは門外不出のため、ここに来なければ本物に会えません!)思い切って、無理して(笑)行ってよかったと思いました。

日頃の心掛けがいいのか(笑)、全日、好天に恵まれ、治安の悪い大都市でも盗難の被害に遭わず、何と言っても添乗員Nさんと現地ガイド(多くが日本人女性)さんがとても優秀で、こちらも多くの知識と情報を得ることができました。それに、「人様とのつながり」のお蔭で、マドリードでは、京洛先生の京都の友人の加藤画伯の御令室と初めてお会いすることができ、わずか3時間でしたが、色んなお話を伺うことができました。加藤御令室には、ツアーのコースに入っていなかったピカソの名作「ゲルニカ」のあるソフア王妃芸術センターにまで連れて行ってもらった上、マドリードの御自宅マンションで、サラダとイカスミ・ライスまで御馳走になってしまい、本当に「人様とのつながり」の有難みを感じました。

コルドバ・メスキータ(大聖堂)▽古代はフェニキアやローマ帝国の神殿があった後に、6世紀ごろから西ゴート時代のキリスト教教会が建てられ、8世紀からイスラム支配の下、モスクに。聖堂内で2万人、戸外を入れると4万人以上が礼拝したとか。1236年からカトリック教会となりましたので、複層した色んな宗教が混在した不思議な空間でした。

実は、正直のところ、今回旅行するまで、スペインは、あまり好きではありませんでした。むしろ、嫌いでした。なぜなら、スペインは大航海時代の16世紀、インカ帝国やアステカ帝国を滅ぼして、中南米を植民地にした国だからです。(おかげで、スペイン語は世界22カ国、4億人が使っているそうです)

しかし、現地スペインに行って、少し考え方が変わりました。

スペインは年間750万トンもオリーブを生産し、世界最大のオリーブ油の輸出国だったんですね。ですから、バスで通過する道路わきの畑は、オリーブばかり植えられていました。ところが、南部アンダルシア地方からラ・マンチャ地方、そしてマドリード辺りまでの一部というか、ほとんどの地域で、植物が生えない、荒れ地というか、赤土の荒野が広がっていて人家も緑も一切なく、「大丈夫なのかなあ」と心配してしまいました。

何で、こんな荒野になってしまったのかというと、イスラム教徒がキリスト教徒に追われて逃げる際に、人家や畑を焼き払ってしまったからという説があります。でも、それは一部にせよ、あまりにも広大なので、ありえないでしょう。

もう一つの説は、イベリア半島は大森林で覆われていましたが、木材を燃料や船舶などの用途で多くの樹木を伐採したからというものです。(特に、レパント沖の海戦で、フェリペ2世が軍艦を建造する際に大量の森林を伐採した)これも、再植林すれば森林は復活するでしょうが、一度伐採してしまったら、もう緑は復活しないということなんでしょうか。これもよく分かりません。

先程、スペイン人は中南米を征服したので、個人的にスペインは嫌いだったと書きましたが、1521年に今のメキシコを征服したコルテスも、1533年に今のペルー辺りを征服したピサロも、二人とも、そんな作物がならない荒れ地が多い、ポルトガル国境に近いイクストレマドゥーラ地方出身だったというのです。

ここで、誤解を恐れずに言えば、私なんか「コルテスもピサロもまるで満蒙開拓団みたいだったんだなあ」と思ってしまったわけです。これも語弊があるかもしれませんが、戦時中に、大陸の満洲などに植民した人たちは日本国内に自分の土地を持たない小作人か、作物があまり実らない貧しい農民でした。どこの国でも、裕福な農民、つまり肥沃な(スペイン語でベガ。ラスベカスは肥沃な土地という意味)大地を持つ地主は国外に出る必要がありませんからね。

ということは、原住民を虐殺して征服したコルテスもピサロに同情の余地はありませんが、生まれ故郷が荒れ地だったことが、子どもの時から海外に出たいと思うようになったきっかけになったのではないか、と想像しました。

しかも、自分たちが生まれる前に、自分たちの領土が800年間も異教徒によって支配、征服されていたという歴史的事実を代々、親たちから聞かされて育てば、現代人が非難するような「征服」や「弱肉強食」の世界に、彼らは矛盾を感じなかったのかもしれません。

そう思うと、スペイン人も同じ人間で、何となく、共感はできなくても、偉そうにも(笑)、「分からないわけではない」という考え方に変わったわけです。

ラ・マンチャ コンスエグラ(ドン・キホーテの恰好をしたバイトさんもいました)

となると、旅行に行く前に避けていたスペイン文化を再認識しなければなりません。

私はジレッタントですから、今まで読んでいなかったセルバンテスの古典的名作「ドン・キホーテ」を読まなければなりませんね。「ドン・キホーテ」は、読んでいない私ですら荒すじを知っているぐらいの世界的な大ベストセラーなのですが、セルバンテス自身は、牢獄につながれたり、家族を亡くしたり、おまけに本が売れても著作権登録していなかったため、一銭も印税が入らず、極貧で亡くなった、という波乱万丈の生涯を送ったそうですから。

小説の中のドン・キホーテは、最後は気が触れたように、風車に向かって立ち向かっていくという話で終わりますが、この風車は、オランダの象徴として捉え、当時、スペイン支配下にあったオランダが近いうちに独立することを示唆したものだ、という説があるそうです。

トレド(世界遺産)1972年に奈良と姉妹都市を締結

とにかく、スペインは世界遺産だらけです。昨年は世界から約8000万人の観光客が訪れ、スペインは、フランスに次ぎ世界第2位の観光立国です。

当然、観光が主要産業になっていますが、現在のスペインが抱える最大の問題は、失業問題だと言われます。

2008年、リーマン・ショックを引き金に、不動産と株バブルがはじけて、多くの失業者を産み、2017年になっても失業率は18.1%と欧州2位。ただし、25歳以下の若者に限定すると40%にも上るそうです。そのため、優秀な人材は、ドイツやフランスなど国外にどんどん「頭脳流出」してしまうとか。

ガイドさんの説明では、職が見つからないため、30歳未満の8割もが両親と同居しているそうです。

当然、結婚もできない。そして、驚くべきことに、スペイン人の離婚率は50%だというのです。これは、正式に婚姻届を提出したカップルの数字で、それ以外を含めるとかなりの数字になるそうですから、異様です。

確か、カトリックの国はそう易々と離婚できなかったはずですけど…。

マドリード スペイン広場 ドン・キホーテ像

一方、マドリードに1971年以来半世紀近く在住している加藤画伯の御令室によると、この1~2年は、スペインは景気が良くなったのか、不動産は2倍近くも上昇したというのです。ただし、富裕層が投資のために購入しているようですが。

今回の旅行で、荒れ地ばかり見てきたのですが、南部の地中海沿いのムルシア地方は一大農業地帯で、諸外国に輸出するほどオレンジやトマトなど野菜を多く栽培しているそうです。アンダルシア地方にはまだ貴族がいて、大地主でもあるそうです。独裁政権を敷いてきたフランコ死去後、スペインは王政復古しましたからね。

加藤画伯の御令室も「スペインは、日本より裕福じゃないでしょうか」と独り言のように呟きました。

ただ、政治面では6月に、汚職が蔓延する右派政権が倒れて、左派連合のサンチェス氏が首相に任命されましたが、連立政権のため、独立機運が高まっているカタルーニャやバスク選出の議員の要求も聞き入れなくてはならず、また、彼らに大臣ポストも用意しなければならなかったので、サンチェス政権も多難な船出なんだそうです。

スペインには、大きく四つの言語と「民族」(顔つきや背格好が少し違う)があるそうで、特に、カタルーニャ地方のバルセロナは、日本のニュースでもよく登場しますが、独立運動デモが頻繁に行われているようです。勿論、首都マドリードの住民は、彼らの勝手な行動には眉をひそめているわけです。

こういった話は現地に行かなければ分かりませんね。

マドリード プラド美術館前にあるゴヤ像(この像の前で、加藤画伯の御令室と待ち合わせをしました)

ちょっと、堅い話になったので、少し外れて、閑話休題。

スペイン到着して始めの頃に訪問したミハスを散策していたら、「Taberna」と書かれたお店を何軒か見かけました。何?食べるな???

実は「タベルナ」は、「バル」と呼ばれる大衆居酒屋と、ほんの少し高級な「レストラン」の中間に当たる食堂で、アンティークな調度品でバルより少し高級感があるそうです。あ、そうか、英語のtavern(居酒屋)なんですね。フランスはでは、ビストロに当たることでしょう。

ちなみに「バカ」はスペイン語で「牛」のこと。「アホ」は「ニンニク」のことなんだそうです。

となると、「バカ・タベルナ」は「牛肉食堂」、「アホ・タベルナ」は「ニンニク食堂」のことですか…(笑)。

あと、面白かったのは、鶏の鳴き声。日本では「コケコッコー」ですが、スペインでは「キッキリキー」ですって。笑っちゃいました。

サラゴサ(近郊のフエンデトドスがゴヤの出身地)

ここで、スペイン人の一般的な生活をー。

スペインは日本の国土の1.3倍ありますが、人口はその3分の1程度の4600万人で、首都マドリードにはその10分の1の460万人が居住しています。

緯度は青森県ぐらいで、日の出が午前7時半ぐらいと遅いのでいつまでも薄暗く、日没は午後8時半ごろなので、夜はいつまでも明るい。当然、食事の時間が日本とはズレて、ランチは14時から16時まで、夜食は20時から22時が普通だとか。

熱心なカトリック国なので、日曜日は安息日で、商店のほとんどが休業。とはいえ、インド系や華僑の店舗は開店し、以前はケーキ屋さんだけが安息日の開店を許可されていましたが、ケーキ屋さんでもパンが売られていたことから、パン協同組合からの抗議もあり、パン屋さんも午前中だけなら、ここ3年ぐらい前から、安息日でも営業できるようになったそうです。

バルセロナ ガウディ作 サグラダファミリア教会 1882年に着工し、130年以上経過しても、まだ未完成(教会はいつ完成するか正式発表せず)。福岡市出身の彫刻家外尾悦郎氏の作品が、上記写真の下部に見えます。

あと、バルセロナの優秀なガイドTさんから聞いた話によると、信号を無視して歩行者が横断歩道を渡ったりして、警察に見つかると、事情を知らない外国人でも、即、100ユーロ(1万3000円)ぐらいの罰金を取られるそうです。

警察を至近距離から撮影したりしても、罰金。ほかに、可愛いからといって、子どもや赤ちゃんを親の許可なく撮影すると、裁判沙汰か、罰金になるそうです。これは、今のネット社会で、親が知らないうちに、自分の子どもの写真が掲載される危険を防ぐためなんだそうです。

そう言えば、スペイン人といえば、ラテン系なので、時間にルーズで、結構いい加減だという悪いイメージがあったのですが、かなり厳格でした。

全行程バス移動だったため、鉄道に乗ったわけではないのですが、アルハンブラ宮殿もプラダ美術館もサグラダファミリア教会なども、事前予約の時間制限があり、例えば、「午後2時入場」でしたら、その時間が来るまで、決して、ゲートを開けてくれないのです。

アルハンブラ宮殿の事前予約「入場券」なんか、QRコード付きのペーパーで、何と私の名前まで明記されておりました。

また、宣伝広告も厳しい規制があり、高速道路沿線は広告掲示板が禁止されていました。どこもかしこもコマーシャルだらけの日本とは大違いです。

バルセロナでフラメンコ鑑賞(本場は全く違いましたね。迫力満点。後ろに義太夫のような歌い手二人と、ギター二人、打楽器1人とバイオリン一人で、ダンサーが躍る。人形浄瑠璃ではなく、人間浄瑠璃のようでしたねえ)

随分、長く書きましたが、これでも、全体にあったことの10分の1も書いてません(笑)。

これまで書き忘れたことで、どうしても、書き残したい話は、またまたバルセロナのガイドのTさんから聞いた話です。何と、スペインでは、医療費(歯医者は除く)は無料なんだそうです。ただし、待ち時間が長く、インフルエンザで、待合室で亡くなった人もいたそうです。

病室は2人部屋が一般的ですが、盲腸など簡単な手術は、入院は1泊で追い出され、白内障の手術を受けるのに3年も待たされるとか。

もちろん、緊急の救急患者は優先されますが、どうしても早めに治療、手術したい場合は、個人的に保険に入る必要があるそうです。

レストランでは、水(Agua=アグア)が、ビール(cerveza=セルベッサ)と同じ値段(2.50~3.00ユーロ)か、少し高かった時は驚きでした。

スペイン料理は、パエリア(Paella=パエージャ)ぐらいしか知りませんでしたが、冷製野菜スープのガスパッチョ、小さく切ったパンの上に色んな食材を載せたタパスやピチョンも美味しかったです。

プラド美術館ではゴヤの作品にはかなり感動しましたので、これから時間を見つけて、未読の名作、堀田善衛著「ゴヤ」全4巻と、スペイン内戦を描いたジョージ・オーウエルの「カタロニア賛歌」にいつか挑戦してみようかと思っています。

ここまで読んで頂き、グラシアス

もう印刷新聞は終わってしまうのか?

奈良・興福寺

あれっ!?

はい、10日(月)は、渓流斎、一応まだ日本におります(笑)。

◇◇◇

会社の先輩も執筆陣の一人として加わった早稲田大学メディア研究所編「『ニュース』は生き残るか」(一藝社・2018年6月初版)を読了しましたので、旅行に出発する前に取り上げておきます。ジャーナリストらが執筆しながら、学術書のせいなのか非常に文章も堅くて読み易くないのですが、最後まで読み通しました。これでも、40年間近く、新聞通信業界ではお世話になってきましたから。

タイトルの「ニュースは生き残るか」というのは少し変で、どんな時代になろうが、ほぼ未来永劫、ニュースはなくなることはないでしょう。しかし、これが、新聞となると、暗澹たる気持ちで、「今の形態ならほぼ難しい」という答えしかありませんね。確実に主流の花形産業からどん底に落ちつつあることは誰でも否定できないでしょう。

新聞協会の調べによると、2017年の新聞購読数は、4212万部で、10年間で1000万部も大幅に減少したといいます。先細りというより、ジェットコースーターで真っ逆さまに落ちるような感じです。

同書では、5年おきに実施されるNHKの国民生活時間調査が引用されております。その最新調査の2015年の新聞読者について、10代後半は5%、20代6%、30代は11%、40代が22%しか新聞を読んでいないというのです。50代になると39%、60代になってやっと半数以上の55%、70歳以上が59%という数字です。
今、働き盛りで幹部クラスの50代の人が10年前の40代だった時は45%、20年前の30代の際は53%読んでいたといいますから、急転直下のような減少率です。

これは、もう3年前の調査ですから、今はもっと酷いことでしょう。こんな数字を見せつけられれば、希望を持てるわけがありませんね。

そもそも、新聞社が、ヤフーやグーグルなどのネットのプラットフォームに割安でニュースを提供したため、「ニュースはただ」という印象を、特に若い読者に植え付けてしまったのが失敗でした。プラットフォームの会社はニュースを取材編集するわけではなく、格安で新聞社からニュースを提供してもらって、それを看板に、「客」を呼び込んで商売に結び付けているため、「ただ乗り」論すら出てきましたが、プラットフォーム側は「そんなの冗談じゃない」と水掛け論になってますから、この溝は永久に埋まらないことでしょう。

今、北海道地震で、厚真町の情報だけが集中して、他に被災した町村の情報が入ってこないのは、そんな「一次情報」を取材する新聞社・通信社の人員と経費が足りないからなのです。こういった新聞社の人的、資源的「劣化」はますます進み、将来、官製発表のみで、だんだん真の情報が伝わってこない状況になることでしょう。

◇◇◇

この本で興味深かったことは、「ウォール・ストリート・ジャーナル」などほんの一部経済専門紙だけが、ネットの有料化に成功しましたが、他は日本を含めて惨憺たるものだということです。そんな中で、カナダのある地方新聞が、「ニュース報道に課金は難しい」と有料化をスッパリ諦めて、無料で記事を提供して大成功した例を挙げておりました。

それは、「グルメ王」の辻下氏がお住まいになっているカナダの中でも、フランス語が公用語になっているケベック州モントリオール最大の「ラ・プレス」という地方紙です。2013年に、社運を懸けて、リサーチや製作などに3年間の歳月と4000万カナダドル(約35億円!)を掛けて、ダブレット用のアプリを開発したのでした。

ホームページに、速報機能は付いていますが、印刷媒体のように、毎朝5時半に1日1回のみ更新するだけです。深く取材した長い読み物と高画質の写真と動画を見てもらうというコンセプトで、16年には27万3000人のユーザーを獲得し、広告収入にも目途がついたことから、17年末で新聞印刷を終了して、完全デジタル化したというのです。

1日分を自動ダウンロードすれば、その後通信費が発生せず、いくらでも読めるので、1日の平均読書時間が平日では40分、土曜日は52分にも上ったというのです。

◇◇◇

一方、今の日本の新聞社の50歳代~60歳代の経営幹部では、打開策を講じるのは難しいのではないでしょうか。本業以外の不動産業等で逃げようとしているからです。今の若者が中高年になった時点で、100人に5人しか新聞を読んでいなければ採算なんか取れるわけがありません。

思い切って、結託して(笑)、ネットのプラットフォームにニュース提供を止めるとか、カナダの地方紙のように、30億円も50億円もかけて、アプリを開発する大英断をするかしかないのかもしれません。

せめて、座して何とかを待つようなことはしてほしくないです。

◇◇◇

ちなみに、人口が日本の約半分の6690万人のフランスは、新聞購読数は全土でわずか600万部。フランスを代表する有力紙ル・モンドやル・フィガロでさえ30万部前後ですから、そう悲観することはないという識者もおります。でも、フランスは日本以上の超エリート主義の格差社会ですからね。

となると、新聞が生き残れるとしたら、地方紙でしょうか。特に、ネット上に掲載されないような地元の人事情報はキラーコンテンツです。冠婚葬祭情報も必須です。叙位叙勲や、司法試験、医師、歯科医国家試験合格者情報も必要です。ついでに、日展や院展の入賞者や地元しか開催しない小さな催し情報など微に入り細に入り紹介することでしょうかね。

これは、日本は「お付き合い」のムラ社会だから、というのが前提です。しかし、地方でも隣同士の交流・交際が減ってきたといいますから、結局のところ、あまり効果がなくなっていくかもしれません。

何とも、大変なアポリアです。

いざ、西班牙へ=単なる個人的なお知らせ

単なる個人的なお知らせですが、明後日11日(火)から18日(火)まで、西班牙に旅行に行って参ります。その間、向こうのWi-Fi事情にもよりますが、恐らく、この《渓流斎日乗》も休載させて頂くかもしれません。

宜しくお願い奉ります。日頃、「スマホ中毒」でしたから、これを機会に少しは中毒症状が治まるのではないかと期待しております。

西班牙は、スリや強盗が多い(友人知人に被害に遭った人を多く聞きます)ので、「おひとりさま」で団体ツアーに申し込みました。日本の地元みたいにチンピラに絡まれないよう、なるべく目立たないよう、大人しく、カメレオンのようにその土地の風景に溶け込むつもりです(笑)。

以前にもこのブログに、チラっと書きましたが、そもそも西班牙旅行を思い立ったのは、今春読んだダン・ブラウンの小説「オリジン」を読み、舞台になったバルセロナのガウディ作サグラダファミリア教会を、死ぬ前に一度見てみたいと思ったからでした。1882年に建設を開始し、130年経った現在でもまだ未完成だというんですからね。卒倒しそうです。今回、中にも少し入れそうなので大いに期待しております。

美術・芸術鑑賞も玄人はだし(笑)の趣味ですから、マドリードのプラダ美術館も楽しみです。ベラスケスの「ラス・メニーナス」、ゴヤの「着衣のマハ」ともう一つ(笑)などスペイン黄金時代の秀作や、プラダ美術館近くにある国立ソフィア王妃芸術センター内にあるピカソの歴史的意欲作「ゲルニカ」などの「ほんまもん」を間近に見ることを特に楽しみにしております。

西班牙は1492年のレコンキスタ完成まで、800年間もイスラム教国だったため、アルハンブラ宮殿なども大いに見る価値があることでしょう。

大航海時代、スペインは中南米のインカ帝国やアステカ帝国を滅亡させるなど権勢をふるっていたのですが、1588年の無敵艦隊アルマダが新興国英国に敗れて制海権を失い、急速に国力も衰退します。

近現代に入って、バスク地方やカタルーニャ地方の独立運動や、現在ではトルコリラ急落に伴い、トルコに貸し付けていたスペインの銀行不安など諸問題が山積しているようです。

単なる美術・建築鑑賞の旅行者には、何もスペイン国内の複雑な諸問題に触れる機会はないでしょうが、同時代人として同じ空気を吸ってきたいと思っております。

以上、北海道での震度7の大地震や台風21号などによる天災被害などがありながら、個人的なことを長々と書いてしまった不届き者の独り言でした。