加藤廣さん逝く

残念なことに、歴史小説家の加藤廣さんが4月7日に都内の病院でお亡くなりになっていたことが分かりました。今朝(16日)早く、京都にお住まいの京洛先生がメールで知らせてくれました。

享年87ですが、加藤さんが、デビューしたのは2005年の75歳の時。「本能寺の変」を独自の解釈で描いた「信長の棺」(日経出版)が、時の小泉純一郎首相の「愛読書」として注目され、瞬く間に大ベストセラーに。その後、松本幸四郎(現白鸚)主演でテレビドラマ化されました。

このあと、「秀吉の枷」「明智左馬助の恋」を完成させ、「本能寺三部作」と呼ばれました。この他、代表作に、週刊新潮に連載されて単行本化された「謎手本忠臣蔵」などがありますが、厚労省が言うところの、後期高齢者になってからこれだけの量と質を伴った作品を書き続けた作家は、日本文学史上、初めてではないでしょうか。

加藤さんは、少年の頃からの作家志望でしたが、大学卒業後、銀行員(中小企業金融公庫)になります。しかし、「作家になる夢」を諦めきれず、経済関係の本を現役時代から出版しておりました。

その才能に目を付けたのが、新聞社に勤務していた頃の京洛先生でした。エッセイやインタビューや連載企画物の執筆をお願いし、彼が主宰する勉強会「おつな寿司セミナー」にもゲスト講師として参加してもらったりしました。

小生渓流斎も加藤さんと謦咳を接したのも、この渋谷のおつな寿司の席でした。もう四半世紀以上昔のことで、当時はまだ加藤さんは無名で、エリートではありましたが、幼少の時から大変苦労されてきたようで、筋の通った古武士の雰囲気を醸し出してました。

加藤さんとしても、おつな寿司セミナーは、自分のメジャー・デビュー作を発表することになる日経文藝記者の浦田さんと知り合う場でもあったし、京洛先生には作品のテレビドラマ化に当たってコーディネーターになってもらったりしたので、相当思い入れがあった会合だったようで、ほとんど毎回出席されてました。

そういう小生も、加藤さんにはインタビューなどで大変お世話になりました。特に、銀座の超高級おでん屋さん「やす幸」のご主人が加藤さんの御学友とかで、すっかりご馳走になったりしました。

「やす幸」のおでんを食してしまうと、もう他のおでんは絶対口にできないほどの絶品で、今まで食べてきたおでんは一体何だったのか、と思うほどかけ離れた美味しさでした。

もう消滅してしまった《渓流斎日乗》には、かなり加藤さんが登場していたと思います。

加藤さんが中小企業金融公庫の京都支店長時代、当時、ベンチャー企業で、海のものとも山のものともつかぬ変な会社がありました。他の銀行は相手にしなかった変わったその経営者の素質を加藤さんは見抜いて、積極的に融資し、今や誰もが知る世界的な企業に成長した会社があります。

それは、今では飛ぶ鳥を落とす勢いの日本電産です。一風変わった経営者とは、お正月の午前中以外、1年365日働きまくる、あの永守重信氏です。

【追記】

どういうわけか、加藤さんの訃報記事は16日付日経、毎日、産経、東京の朝刊に載ってますが、朝日と読売は、朝夕刊ともに載らないのです。不思議です。

 

「名作誕生」観賞記

世の中、平気で嘘をつく人たちが支配する殺伐とした雰囲気になりましたので、気分を洗いたくなり、東京・上野の国立博物館で開催し始めた「名作誕生」に足を運びました。

週末だというのに、始まったばかりなのか、それとも、民度が到達していないのか(笑)、意外と空いていてゆっくりと観賞できました。

ラッキーでした。

これでも渓流斎翁は、御幼少の砌から、東博には足を運んで、芸術作品を鑑賞したものです。

当時は、専ら「泰西名画」です。泰西名画といっても、今の若い人は分からないかもしれませんが、とにかく、泰西名画展のタイトルで盛んに展覧会が開催されていて、ルーベンスからゴッホ、モジリアニに至るまで、欧米から高い借り賃を払って運ばれた西洋の生の絵画を堪能してきたものです。

しかし、歳をとると、DNAのせいか、脂ぎった洋画はどうも胃にもたれるようになってしまいました。

たまには、お新香とお茶漬けを食べたいという感じです。

ということで、最近は専ら、日本美術の観賞に勤しんでおります。

本展でも、雪舟から、琳派、若冲、狩野派、等伯まで、しっかり神髄を抑えており、確かな手応えと見応えを感じました。

今まで、雪舟という名前だけしか掲示されませんでしたが、最新の研究成果からか、最近は「雪舟等楊」と掲示されるようになりましたね。

「名作誕生」ですから、影響を受けた中国の宋や明などの画壇の長老を模写した日本人絵師の作品が展示されてましたが、伊藤若冲ともなると、完璧にオリジナルを超えてました。

国際主義者と言われるかもしれませんが、若冲は、技量の面で、西洋絵画も超えてます。

それなのに、明治革命政権は廃仏毀釈をしたり、「平治物語絵巻」など国宝級作品の海外流出を黙認したりしていることから、若冲の偉大さに気づいていなかったのでしょうね。

米国人収集家によって、再発見、再評価されるのですから、何をか言わんですよ。

東博

本展で、最も感動した作品を一点挙げよと言われれば、迷うことなく長谷川等伯の「松林図屏風」です。

霧の中に浮かぶ松林が、黒白の墨絵で描かれ、近くで見ると分かりませんが、遠くで見ると見事に焦点が結ぶという、これ以上単純化できない、全ての装飾を剥ぎ取った究極の美を感じます。

東博所蔵で、もちろん「国宝」です。

何度目かの「再会」ですが、この作品を見られるだけでも足を運んだ甲斐がありました。

デジタルネイティブからトークンネイティブの時代へパラダイムシフト

佐藤航陽著「お金2.0     新しい経済のルールと生き方」(幻冬社、2017年11月30日初版)を読了しました。

うーん。難しい。最初スーと読めはしましたが、もう一度読み返して、朧げな輪郭を掴んだ程度です。

もちろん、本書に出てくるハイエクの経済理論だのシェアリングエコノミーなどといったことは頭では理解できますよ。しかし、身体がついていけないといった感じなのです。

それもそのはず。著者は、1986年の福島県生まれで、まだ30歳代前半。物心ついた頃から周囲にデジタル機器があり、小学校での授業もパソコンで受けた世代。所謂、デジタル・ネイティブ世代。

片や私は、御幼少の砌は、冷蔵庫も電気洗濯機もテレビもなかったアナログ世代。生まれて初めてワープロを買ったのが29歳。パソコンは39歳という「遅咲き」ですからね。

著者の佐藤氏は、学生時代から起業し、今や年商100億円以上の決済サービスアプリ等のIT企業を経営するいわゆる青年実業家です。

ただ、子どもの頃はお金に相当苦労したようです。兄弟3人と片親の4人世帯の年収が100万円も届かなかったこともあったようです。

その話は、ともかく、彼はデジタルネイティブ世代ですから、我々のような旧世代とは根本的に発想が違います。

スバリ言いますと、パラダイム(認識の枠組み)が全く違うのです。

本書のキーワードを三つ挙げるとしたら、「仮想通貨」「ブロックチェーン」「トークンエコノミー」でしょうか。

まず、仮想通貨というのは、中央銀行など中央に管理者がいなくても成り立って発行される仮想の通貨のことで、ビットコインなどがその代表例として挙げられます。旧世代は、胡散臭い目でみてますが。

ビットコインなどは、ブロックチェーンという技術が活用されています。これは、一定期間のデータを一つのブロック(塊)として記録し、それをチェーン(鎖)のように繋げていくことで、ネットワーク全体に取引の履歴を保存し、第三者が容易に改ざんできないようになってます。

…と、言われても、旧世代は理解不能ですね(笑)。

そして、最後のトークンとは、仮想通貨の根っこで使われているブロックチェーン上で流通する文字列のことを指す場合が多く、トークンエコノミーとは、このような仮想通貨やブロックチェーン上で機能する独自の経済圏のことを指し、正確な定義があるわけではないといいます。

… あら、そう来ましたか。

とにかく、仮想通貨は自分でやって、つまりは、買って大損するか、大富豪になってみなければ、それを支えている「塊鎖」とやら、「文字列」とやらも、その実態は分からないことでしょうね。

この本で感心することは、著者は究極的には、お金とは、単なる「道具」であると割り切っていることです。大賛成ですね。そして、デジタルネイティブ第一世代と呼んでもいい彼らは、旧世代を馬鹿にしているわけではなく、単なる歴史の流れで、自分たちはスマホが当たり前の世代で、次の第二世代は、仮想通貨が当たり前のトークンネイティブ世代で、自分たち第一世代はその架け橋になっているに過ぎないことを自覚しているのです。

恐らく、単に私自身が読み違えているのかもしれませんが、いずれにせよ、2020年代も間近に迫り、パラダイムも完璧にシフトしている現実が、この本から読み取ることができます。

「ダブル福田物語」劇場が開演、さてこの先は?

Copyright par Kyoraque-sensei

いやはや、霞ヶ関劇場、もう出尽くした感がありましたが、まだまだ陸続と続き、話題てんこ盛りの大サービスですね。

財務省の福田淳一事務次官の女性記者へのセクハラ疑惑は、「週刊新潮」のスクープですが、上品を売り物にしている(笑)《渓流斎日乗》には、とても、とても書けない内容です。

えっ?こんな人が官僚の中の官僚と言われる財務省のトップなの?うそでしょ!といった感じです。

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そもそも、このエリートの福田さん。東大法からの温室育ちのようで、苦労知らずのお坊ちゃん。世間知がない、というか、全く、大人としての社会常識を知らずに還暦近くまで生きてきたってことなんでしょう。

こういう人間を世間では「破廉恥」と呼びます。一方、「無知」と言ってもいいかもしれません。相手は、女性記者と油断しても、その内実は、諜報機関の「くのいち」みたいなもんですからね。そりゃあ、ICレコーダーの一つや二つ、胸に忍ばせておきますよ。

こんな男を、麻生財務相はかばっていたのですが、今日になってやっと、閣議後の記者会見で、「事実とするならばセクハラとしてはアウトだ」と渋々認めたようです。これまでは、自分の所に火の粉が降ってこないように、福田次官を援護してましたが、そろそろ、かばいきれなくなったということでしょうか。

◇辻元委員長、怒る

もう一人は、厚生労働省の福田祐典健康局長。部下の女性職員に対し、食事に誘うメールを複数回送るなどセクハラが疑われる行為をしたとして、口頭注意されたとか。一体、何て注意されたのでしょうかね?「僕ちゃん、もうそんなオイタしたらいけないわよ」てな調子でしょうか。

これらについて、立憲民主党の辻元清美国対委員長は、財務省の福田次官については「自殺者も出ている役所のトップでしょ?女をなめている」と一刀両断。厚労省の福田局長についても、「ダブル福田だ!普通なら更迭でしょ!?」と、国会内で、大声で吼えまくったとかいう噂ですね。

さあ、そのダブル福田劇場は今、開演したばかりです。さてさて、この先物語はどう展開されていくのでしょうか?

なお、この《渓流斎日乗》では続編はありません(笑)。

【追記】

あっちゃー、週刊新潮が、たった今、財務省の福田事務次官のセクハラ「音声データ」動画をネット公開してしまいましたね。

https://www.dailyshincho.jp/article/2018/04131400/?all=1&page=2

柳瀬さんから佐伯さんへ

佐伯耕三さん

どこかで聞いたことがあるようなお名前ですが、今は時めく首相秘書官なんだそうで、昨日の国会では、希望の党の玉木代表が質問をしている最中に、盛んに野次を飛ばして注意された、という記事が新聞の片隅に出てました。

さぞかし、安倍晋三首相の覚えめでたかったことでしょう。何しろ、暴虐な野党如きの分際が質問の矢を放っているとき、果敢にも素手で立ち向かったのですからねえ。

この話を読んで、世界のソニーが、ウォークマンの大成功で飛ぶ鳥を落とす勢いがあった過去の栄光の頃を思い出しました。

当時は、大賀社長。東京芸大音楽科出身で、趣味で楽団を指揮するとのこと。早速、その事実を掴んだ取巻き連中と、野心のある課長、部長さんクラス。サントリーホールの最前列の特等席を早々と自前で予約購入して、演奏会では曲が終わるごとに、立ち上がって、「ブラボー!!」の大喝采。

声援する勇姿を大賀社長に見てもらいたいものですから、中には飛び上がったり、万歳したりしたとか、しなかったとか。

(まるで、北朝鮮の喜び組)

銀座「竹の庵」定食1100円

佐伯耕三という方は、経済産業省から首相秘書官として出向しているらしく、加計学園問題で「首相のご意向」と言ったとか、言わなかったとかいうあの有名な柳瀬唯夫さんの後輩に当たるそうな。

身銭を切ってでも、矢面になってでも、殿を守りたい心情は、論功行賞欲しさからなんでしょうかねえ?

(実際、柳瀬さんは、首相秘書官から経産省ナンバー2の審議官に出世しましたからね)

となると、優秀な官僚人事を一手に握る内閣人事局の弊害が、もっと叫ばれてもいいですよね。

野心のある官僚は、もう国民のためにではなく、「一強多弱」の内閣の人事権を握る首相に向かって、そのご意向に沿って仕事をするようになるからです。

もう、国民の税金がどう使われようが、どうでもいいのです。

しかし、そこには落とし穴があります。自分たちは知らん、存ぜぬ。官僚が勝手に忖度してやったこと…と、本丸の政治家に逃げる口実を与えてしまったことです。

「佐川が、佐川が」と言っていた政治家が、今度は、「柳瀬が、柳瀬が」、はたまた「佐伯が、佐伯が」と言い始めれば、もうデジャビュ(既視感)以外何物でもないということです。

NHKは時の政権に阿り過ぎてるのでは?

事務所問題でゴタゴタしている巨匠北野武監督は、しのぎを削るために、盛んにテレビに出ております。

先日は、ジャーナリストの巨匠と対談している番組の中で、来年の新元号について、北野監督は「加計がいいんじゃないか。来年は加計元年!」と宣言してました。

勿論、冗談なんでしょうけど、世間がすつかり加計問題を忘れていた昨日、朝日新聞と東京新聞(10日付首都圏最終版)が、「本件は、首相案件」などという愛知県職員のメモをスッパ抜きました。

これを受けて、昨日の夕方、愛媛県の中村知事が緊急記者会見して、その文書が県職員が書いたものだと認めました。「自治体がやらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」などと書かれていたことも暴露しました。

凄い話ですね。

これは、文書では柳瀬唯夫首相秘書官(当時)の発言とされてましたが、当然、想定されたように、柳瀬氏は即座に、発言どころか、愛知県職員らとの面会そのものまで改めて否定しました。

超エリート官僚の柳瀬氏は現在、経済産業省のトップの事務次官を「あと一歩」と目前に迫った経産省審議官なんだそうで、そりゃあ、石に噛り付いてでも、否定するわな。

もう一人、加計学園の舞台になった愛媛県今治市長も、困惑顔だとか。獣医学部は、もうこの4月に開校しちゃいましたからね。今さら、森友学園のようにぶっ壊すわけにはいかないでしょう。

これらは国民の血税が絡んだ話なので、野党や市民運動家らだけでなく、与党までも「如何なものか」と騒いでるのに、天下のNHKはほとんど、申し訳程度にしか取り上げないんですよね。

加計問題のニュースをすっ飛ばしてでも、同じ今治市の刑務所を脱獄した受刑者の逃亡譚を微に入り細に入り、長々と、延々とテレビでもラジオでも放送しているのです。

受刑者が逃亡している島には800戸の空き家があるという話は、加計学園問題より重要なんでしょうかね?

NHKは、国民から受信料を徴収して「皆さまのNHK」を謳い文句にしながら、実体は、国から免許を借りる電波事業者なので、時の政権に取り入った報道をする使命があるのでしょう。

それにしても、かなり露骨です。

日仏友好160周年、パリで「ジャポニスム2018」開催へ

渓流斎がフランスに派遣しているクーリエ(農林水産通信員)「ブローニュの森の美女」さんから、最新ニュースが入ってきました。

今年は日仏友好160周年の記念の年です。(明治維新150年より10年も古いじゃんか!)

ということで、今年7月から来年2月まで、「ジャポニスム2018」と称して、パリを中心に大々的なイベントが開催されます。

まさに、今年のフランスは「日本一色」になります。

知らなかったでしょう?(笑)

主催者である外務省の天下り先、いや二次団体である国際交流基金のサイトには以下のようなことが書かれてます。

【展覧会は、日本文化の原点とも言うべき縄文、伊藤若冲、琳派から、最新のメディア・アートやアニメ・マンガ・ゲームまで、舞台公演は、歌舞伎、能・狂言、雅楽から、現代演劇、初音ミクまで、さらには食、祭り、禅、武道、茶道、華道ほか、日本人の日常生活に根ざしたいろいろな文化の側面に焦点を当てた交流事業も含め、幅広い範囲の事業を次々に行います。】

なるほど、縄文から急に江戸時代の伊藤若冲に飛んでしまうとは…上司の命令で嫌々書かされた匂いがしますね(笑)。

◇自転車レースの女王

さて、「ブローニュの森の美女」さんからのコレスポンダンス(通信)でした。

…ジャポニスム情報をありがとうございます。しかし、今、フランス国鉄(SNCF)の恐るべきストライキが始まっていて、気軽にパリに行けずに恐々としています。
毎週2日間ほどのストライキ。そんなに改革に反対するべきなのでしょうか。
日本文化会館のイベント、1月にL’aube du Japonismeという展覧会があって、小さいですがとってもよい展覧会だったんですよ。…

そう、「ブローニュの森の美女」さんは、ジャポニスムにとても関心がある方です。

…日曜日はとってもお天気で、自転車レースの女王と呼ばれる「パリ~ルべ」レースがありました。
「パリ」となっているのに、フランス北部のコンピエーニュが出発地点なんです(笑)。
 レースの名物となっている地獄の石畳満載のコースを257キロ、コンピエーニュからルベまで北上します。
朝11時頃、出発を見に行って、その後はずっとテレビで追いながらちょっとした高揚感を味わいました。
 今年の優勝者はスロベニアのピーター・サガンという人でした。
よし、自分もゴールに向かって頑張るぞ!とまた新しい一週間に気合を入れているところです。…
「ブローニュの森の美女」さん、どうも有難う御座いました。
( なお、写真の著作権は彼女に帰属しますので、無断転載はお断りします。)

久しぶりの満洲懇話会

Copyright par Duc de Matsouoqua

先日十数年ぶりに再会した畏友隈元さんが、学生時代の卒論が満洲問題で、ライフワークもそうだというので、それなら、「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)などの著作がある満洲育ちの松岡氏をご紹介したら、面白いんじゃないかと思って、面談する機会を作ったのですが、この人、学生講義指導でハワイに行ったり、韓国に行ったり、「金持ち暇なし」生活でなかなか捕まらない。メールしてもなかなか返事もくれない(苦笑)。

昨日はやっと実現して、都内にある松岡氏の邸宅にお邪魔して、有意義な時を過ごすことができました。

私も2年ほど前に一度拝見したことがある「満洲の昔と今 四都物語」を写真と地図等で辿ったスライドショー大会がメーンイベントでした。(2年前と比べ数段進歩してました)

 

この会にはもう一人、私は初対面でしたが、隈元さんは以前、取材でお世話になったことがあるという古海氏も参加されました。古海氏は、「満洲国の副総理」と称された古海忠之総務庁次長の御子息で、敗戦時12歳。学年は松岡氏の1級上の満洲育ちでした。エリート一家というか一族で、米寿を近くしても頭脳明晰で、記憶力も抜群で、驚くほど全く気力が衰えておられませんでした。

1945年8月9日、ソ連軍が当時の日ソ中立条約を、ヤルタ会談密約により一方的に破棄して、満洲に進軍して占領し、60万人とも70万人ともいわれる日本人をシベリアに抑留し、鉄道敷設など重労働を科しました。その1割の6~7万人が異国の凍土で死亡しました。残留孤児という悲劇も産み、今でも詳細については歴史的に解明されておりません。

ソ連侵攻の噂を知っていち早く逃げ帰ったのが、関東軍幹部や満鉄など幹部家族ら情報が入りやすい特権階級でした。

古海「副総理」も、事前に日本敗戦濃厚の情報はキャッチしていたことでしょうが、国都新京(現長春)に居残り、当然、シベリアに抑留され、長くてもあの有名な大本営作戦参謀の瀬島龍三らほとんどが昭和31年に帰国することができましたが、古海「副総理」ら40人ほどは、ソ連から解放された後から、今度は中国共産党から拘束され、結局、懲役18年の満期を終えて日本に帰国できたのは昭和38年、1963年だったというのです。既に63歳になっていました。

古海は、軍人ではなく文官です。大蔵省出身で、後の東京裁判でA級戦犯となる「ニキサンスケ」の一人、大蔵官僚の先輩星野直樹の引きがあって、満洲に渡りました。恐らく、満洲国官僚のトップだった彼は、「見せしめ」として軍人より重い罪を与えられたのでしょう。

Copyright par Duc de Matsouoqua

子息の古海さんは、元銀行マンで、経営者の顔を持ちますが、全く偉ぶらない人格者でした。そして、「あの(満映理事長だった)甘粕さんは、歴史上では大杉栄らを惨殺した悪者になってますが、直接、甘粕さんを知っている人で、悪く言う人は一人もいなかったそうですよ。本人は『自分はやってない』と、ごく親しい人だけに極秘に打ち明けていたそうです」と自信を持って話してました。

私も一時期、甘粕正彦と大杉栄については、異様なほど熱中して、かなり関連書籍を読み漁り、この《渓流斎日乗》でも数回に分けて書いたことがありましたが、それらのWeb記事は残念ながら消滅してしまいました。

そのせいか、甘粕が服毒自殺した現場に居合わせた人物として、映画監督の内田吐夢まではかろうじて思い出せましたが、あとはすっかり記憶喪失(苦笑)。後で、調べたら、長谷川4兄弟(長兄海太郎は、林不忘の筆名で「丹下左膳」を発表し、流行作家に)の一人で、作家、翻訳家、ロシア文学者、戦後、ボリショイサーカスのプロモーターになった長谷川濬、作家赤川次郎の実父赤川孝一らがおりました。

もう一人、昨日はどうしても思い出すことができなかった、甘粕と親しかった重要人物に和田日出吉がおりました。昭和11年、中外商業新報(現日経)記者時代に「2.26事件」をスクープしたジャーナリストで、満洲に渡って、満洲新京日報社の社長を務めたりします。

この方、往年の大女優木暮実千代の旦那さんでした。この話は、黒川鐘信著「木暮実千代 知られざるその素顔」(日本放送出版協会、2007年5月初版、もう11年も昔か!)に詳細に描かれ、この本もブログに取り上げましたが、記事は、やはり消滅しています。また、残念ながら、個人的な入退院のどさくさの中で、この本を含め数百冊の個人蔵書は売ってしまったか、紛失したかで、今は手元にありません。

あ、忘れるところでしたが、昨晩は、松岡氏には大人気の銘酒で、今ではとても手に入らない「獺祭(だっさい)」などを遠慮も気兼ねもなく、バカスカとご馳走になってしまいました。さぞかしご迷惑だったことでしょう。お詫びするとともに、御礼申し上げます。

華族の家族の物語

恐らく、現在、華族の研究家としては第一人者の浅見雅男氏が、軽いエッセイ風の読み物「歴史の余白」(文春新書2018年3月20日初版)を出版し、今、私も面白く拝読しております。

例によって、この本は、博多にお住いの吉田先生からのお勧めですが、浅見氏とは、一度だけ渋谷のおつな寿司でお会いしたことがあります。もう20年ぐらい昔でしょうけど、当時、浅見氏はまだ、文藝春秋の編集者をされておりました。

著者は、学者以上にあらゆる文献に目を通しておられますので、説得力があります。例えば、天皇の生前退位についても「神話時代や古代はともかく、中世以降は天皇が生前に皇位を退くことは珍しくなかった。江戸時代に限っても。107代の後陽成から121代の孝明まで15人の天皇のうち9人が生前に譲位している。その理由はさまざまだが、天皇は即位した以上、終身、皇位にとどまるという定めや慣行はなかったのだ」とはっきり書いております。

つまり、生前退位を否定する考え方は、明治薩長政権が皇室典範で決めた比較的新しいものに過ぎないと歴史的に証明しているのです。

この本を読んで、初めて教えられたことは多くありますが、明治維新をやり遂げた公家代表の一人で、御札の肖像画にもなった岩倉具視がおります。彼は公家の中でも低い身分で碌高も少なかっただけに、維新後の出世には周囲からの妬みややっかみが多かったそうです。それはともかく、その曽孫に当たる靖子が日本女子大附属高校時代に共産党のシンパとなり、あの有名な昭和8年の一斉検挙で逮捕され、市ヶ谷刑務所に収監。治安維持法違反の裁判が始まる前に保釈された渋谷の自宅で自裁してしまうんですね。

実に波乱万丈なのは、靖子だけではなく、その父親の具張(ともはる)です。岩倉具視の直系の孫に当たり公爵岩倉家を継ぎますが、新橋の芸者に大金を注ぎ込んで破産してしまうのです。具張の父具定(ともさだ=岩倉具視の子息で岩倉家を継ぎ、宮内大臣などを歴任)、明治34年8月22日付「時事新報」で、全国で50万円以上資産を持つ411人の一人として掲載されるほどの大富豪でしたが、具張はこれらを全て散財しただけでなく、100万円以上の借財を抱えてしまったといいます。

同じ元公家として、東坊城家があります。江戸時代の禄高は、岩倉家の倍の301石もあり、明治になって子爵となりますが、家督を継いだ徳長(よしなが)が、赤坂あたりの芸者に大枚を注ぎ込んで没落し、大正時代は「貧乏公家」との定評が立ってしまいます。この徳長の三女英子が、後の大女優入江たか子だと知り、吃驚してしまいました。

英子は、 最近、閉校するということで話題になった文化学院(与謝野晶子らも教壇に立った)を卒業して、新劇の舞台に代役で出演したのがきっかけで、スターの切符を手にし、家族の生活を支えたという話です。

入江たか子については、2016年12月27日付の《渓流斎日乗》で、成瀬巳喜男の「まごころ」の中でも取り上げましたが、驚くほど美しい戦前の無声映画の大スターだったとはいえ、本物の華族の娘だったとは。。。

最後におまけ。

「平民宰相」と呼ばれた原敬首相。歴代首相を務める人は、これまで全員、公侯伯子男の爵位を受けるのに、この人は断り続けて、爵位なしで宰相になったからなんだそうですね。

原敬の家系は、南部藩の重臣で、明治薩長からみると逆賊です。原敬には「薩長の田舎侍から爵位をもらってたまるか」という反骨精神があったんでしょうね。

京都・仁和寺では「御室桜」が今、満開です。

皆様ご存知の京洛先生です。いつもお世話になります。
今日は天気予報では、関東は気温が20度という事ですが、大気が不安定で、午後から寒冷前線が進み、冷えこむようですね。
風邪にご用心、ご自愛ください。
 恐らく、そちら帝都でも、満開の桜も散っているでしょうが、先月上旬まで、上野の東京国立博物館で開催され、貴人もご覧になってきた「仁和寺展」の、京都・仁和寺では「御室桜」が今、満開です。
 昨日、ぶらっと様子を見に写真を撮ってきました。
 「御室桜」は、2、3メートルの低木の遅咲きの桜です。仁和寺の境内でしか見られません。樹高が低いのは、同寺の土が粘土層で養分が少なく、根が広く張れないのが理由、原因だという事です。
 気温の関係で、桜の満開が全国的に早まっていますが、「御室桜」も、いつもは、4月15日前後が満開時季ですが、今年は既に、お寺の御門には「満開」の看板表示が立っていました。
 平日に関わらず、やはり、境内は、外国人を中心に観光客が大勢来ていました。拝観料500円を払って、本堂に向かう、中門の左手に「桜苑」がありますが、ここには、200本以上の「御室桜」が咲いています。
「桜苑」のトンネルをくぐって歩くのは気持ちの良いものですが、昨日は、桜苑に入るのに長蛇の列、100メートルくらい並ぶので驚きました。
それとともに、この時季、やはり、「中門」傍に、紫色の「ミツバツツジ」が咲きます。
迂生は、「御室桜」より、色鮮やかなミツバツツジにいつも目が行きます。
綺麗でしょう。
 また、此処から、右手(東側)に高さ約30メートルの五重塔が見えます。
  江戸・寛永年間に建てられましたが、この五重塔を背景に、「御室桜」を写すのが、カメラアングルとして最適のようです。
如何でしょうか?
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