人生は偶然か、必然か?=ダーウィン「種の起源」余話

 ダーウィン「種の起源」の余話です。

 6月16日の渓流斎ブログで、「『種の起源』を読まずして人生を語ることができない。」という同書を翻訳した渡辺政隆氏の言葉を引用させて頂きました。極論しますと、人生とは、必然ではなく、偶然の産物で、運命もない。生存闘争と自然淘汰の末、何世代にも渡って変異が重なり、進化していくーというのがダーウィンの考え方になります。

 これに対する「反ダーウィン主義」となると、この正反対の考え方ということになるでしょう。つまり、人生とは偶然ではなく必然で、あらかじめ、宿命によって決められている。その線で行きますと、運勢や占いは信じられる、ということになります。

 一体、どちらかが正しいのでしょうか???

 私自身は、「種の起源」を読む前は、人生とは、遺伝が6割、運が2割、縁が2割だと思っていました。単なる当てずっぽうです(笑)。これまで人生経験からそう思わせるものがあった、というだけです。ですから、この比率は変わります。時には、遺伝が8割、運が1割、縁が1割だと思うことがあります。でも、運や縁の比率が遺伝のそれを上回ることはありません。人生の大半は遺伝によって左右されるという考え方です。蛙の子は蛙です。

 英語の格言に、nature or nurture  があります。人は遺伝によって決まるのか、それとも育った環境によって決まるのか、という意味です。日本語で言えば、「氏か育ちか」です。上述したことを真似しますと、氏が6割、育ちが4割という印象になりましょうか。これはケースバイケースで、例えば、最近「世襲制」だの「ファミリービジネス」などと大いに批判されている政界なら遺伝が9割、育ちが1割でしょう。首相公邸でおふざけパーティーなんか開いたりすると、育ちが審査され、世襲議員になれるかどうか危ぶまれます。

 芸能界、特に梨園の世界ともなると、氏が10割です。幹部になれるのは世襲のみです(養子になれば別ですが)。国立劇場の研修生では主役は張れません。

日比谷

 話を元に戻しますと、動物行動学者リチャード・ドーキンスが1976年に発表した「利己的な遺伝子」は衝撃的でした。私的には、ダーウィンの「種の起源」よりも衝撃的でした。特に、「生物は遺伝子DNAに利用される乗り物vehicle に過ぎない」という一言に還元される言葉です。こうなると、人生を左右するのは、100%遺伝子DNAです。生まれた時から全てプログラミングされて宿命だけ背負わされます。偶然なんかありません。闇バイトに手を出して強盗犯になったのも、偶然ではなく、遺伝子に組み込まれていたことになります。

 本当かなあ? もう一度、自問します。

 人生は偶然か、必然か? 

 人生は育ちか、生まれか?

 管見によれば、あれかこれかの二者択一でも二元論でもなく、やはり、折衷なのではないかと思っています。人生とは偶然であるが、因果応報の必然もある。人生は氏素性で左右されるが、人一倍の努力で運命を開くことが出来る。ーそう思わなかったら、やり切れないのではないでしょうか。人間は、単なるDNAの運搬人で、両親や祖父母や曽祖父母たちと全く同じことを繰り返すことだけが人生だとしたら、つまらなくて生き甲斐もなくなってしまうでしょう。(商家や職人さんなら違うかもしれませんが。)

 つまりは、考え方次第なのでしょう。

 例えば、経験者なら分かるでしょうが、それが「運命の出会い」と確信しなけりゃ、結婚なんかできないでしょう(何が起きても責任取れませんよ!=笑)。

 今、東京都美術館で、20年ぶりにアンリ・マチス(1869~1954年)の大回顧展が開催されています。このマチスは若い頃、野獣派の旗手として、色彩の魔術師として大活躍しますが、晩年になって病気を患い、身体が不自由になります。それでも最後の力を振り絞って、南仏の小さなヴァンス村のロザリオ礼拝堂の建築設計から内部のステンドグラス、壁画に至るまで完成させます。それは、入院した時に看病してくれた看護師が後年になって、修道女となり、マチスに会って、教会の再興を御願いしたことがきっかけでした。マチスは、看護師と修道女が同一人物だったことに驚き、「偶然」ながら、そこに「運命」を感じて仕事を引き受けたといいます。つまり、運命(を自覚すること)は、人に行動を起こさせる動機づけになることは確かです。

 これを機会に、皆さんも人生について、色々と考えてみては如何でしょうか? ただし、ダーウィンの「種の起源」を読んでからですよ(笑)。

 

「1930-40年代の宣伝写真」と「戦前期日本の戦争とポスター」=久しぶりの「見学ツアー」の第51回諜報研究会

 6月17日(土)に開催された 第51回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)の第1部は久しぶりの「見学ツアー」ということで喜び勇んで参加して来ました。ツアー参加は、個人的にはコロナ禍前の2018年5月に開催された東京都千代田区の近衛歩兵連隊跡(現:北の丸公園)等見学会以来5年ぶりでした。時間が経つのは早いものです。

 今回は、東京・半蔵門駅近くにある日本カメラ財団フォトサロンで開催中の「日本の断面 1938-1944 内閣情報部の宣伝写真」展(無料)の見学でした。

 1937年9月に日中戦争が起きると、内閣情報部が発足し、写真による国策の広報・宣撫活動として翌1938年2月に政府広報誌「写真週報」が創刊されました。フォトサロンでは、その「写真週報」の表紙で使われた写真や、本文に掲載された国内での勤労奉仕、学徒動員、スポーツ大会などの写真が展示されていました。(国策宣伝なので、ヤラセ写真が多かったようです)

 対内外写真宣伝の官庁代行機関として1938年に設立された写真協会が遺したネガフィルムを再度焼き付けた写真が展示されていましたが、ピントが極めて精巧で、まるで昨日撮影されたような見事なプロの巧みな技術を感じさせる写真ばかりで驚くばかりでした。それもそのはず、撮影者は木村伊兵衛、土門拳といった現在でも名を残す超一流のカメラマンが採用されていたのです。しかも、1枚の表紙写真のために、何十カットも色んなアングルから撮影され、照明も色んな角度から当てたりしていました。(1942年12月2日号の表紙を飾った有名な東条英機の写真を撮影したのは、同盟通信カメラマンの内山林之助でした)

 このほか、展示写真の中で、同盟通信社(現:時事通信社、電通、共同通信)の社会部長、編集局次長を歴任し、戦後、東京タイムズを創立した岡村二一の肖像写真もあり、私も初めて見たので「へ~」と思ってしまいました。

 見学会の後、日本カメラ財団調査研究部長の白山眞理氏が解説してくれましたが、白山氏は午後の講演会でも再度登場しますので後述致します。

 この後、私はフォトサロンに隣接する日本カメラ博物館に足を運び、開催中の「一眼レフカメラ展」を観て来ました。(フォトサロンで100円割引券があり200円)

 見学ツアーには20人ぐらいの人が参加しておりましたが、どういうわけか、博物館にまで来た人は私ぐらいでした。もっとも、参加者の人とは面識がほとんどないので分かりませんが、その時間帯の見学者は私以外一人だけでした。

地下に入居している日本カメラ博物館のビルに出版社の「宝島社」ありました。ここにあったとは!

 ここは、カメラ好きの人ならたまらないと思います。明治時代の頃のアンティークから21世紀の現代まで、ないものがないといっていいくらいの一眼レフカメラが、ほぼ全て勢揃いしていました。私が目を見張ったのは、1937年製の超小型のミュゼットというカメラで、長さが5~6センチです。絶対にスパイ用だと思われます。1937年製なら、あのスパイ・ゾルゲも購入しそうです。でも、別に「スパイ用カメラ」のコーナーがあって、そこにはライターやタバコケースや拳銃型の中にカメラが仕込まれている007のようなカメラが30種類ぐらい展示されていました。

元英国大使館の敷地の一部が返還され、今は皇居外苑半蔵門園地に

 まだ時間があったので、カメラ博物館にほど近い所に「国民公園 皇居外苑半蔵門園地」なるものがあったので、覗いてみました。「国民公園」なんて、初めてです。

駐日英国大使館跡地

 公園内に看板があり、ここはもともと駐日英国大使館の敷地でしたが、一部返還されて公園になったようです。公園の隣は、今でも英国大使館がありますから、敷地があまりにも広大だったので、「2015年に敷地の5分の1が日本政府に返還された」と看板に書かれています。気温30度を超える炎天下だったので、早足で5分ぐらいで公園を1周しました。その程度の広さです。

半蔵門「朝霞」刀削麺と炒飯セット980円

 昼時になったので、どうしようか、と半蔵門駅周辺を散策したところ、意外にも中華料理店ばかり目に付きました。その中で、「刀削麺」なるものを売り物にしている「朝霞」という店に入りました。その刀削麺は、私自身、生まれて初めて食べましたが、何でしょうかね、この麺? ラーメンというより、武田信玄公で有名な甲府の「ほうとう」みたいな感じ(味)でした。豆腐とキャベツとキノコとサヤインゲンなどが入り、麺も太いうどんみたいです。「えっ?これ、中華なの?」と思ってしまいました。

早大 大隈重信像

 お腹を満たしたので、地下鉄半蔵門線と東西線を乗り継いで、早稲田大学に向かいました。ここで、第二部の講演会が開催されるからです。

早大 演劇博物餡

 またここでも、時間が余ったので、初めて早大演劇博物館を覗いてみました。室町時代の能、江戸時代の文楽、歌舞伎から現代演劇に至るまで関連資料が展示されていました。内容も充実していて、かつて私も演劇記者もやったことがありますから、「もっと、早くここに来ていればよかった」と思いました。

 午後2時から始まった第二部の講演会の最初の登壇者は、先程の日本カメラ財団調査研究部長の白山眞理氏で、演題は「1930ー40年代の宣伝写真 ―国策、写真家、ストックフォト―」でした。

 先程の「写真週報」や鉄道省などの写真ネガフィルムは戦後、紆余曲折の末、日本交通公社(JTB)に委託され、その後、国立公文書館で保管されましたが、ネガフィルムは可燃性があることから、2014年日本写真保存センターが設立されてそこで保管されるようになったといいます。しかし、9万点あるネガのほとんどがいまだ整理がついていないといった話をされていました。

 予算や人材の不足が理由と思われますが、貴重な文化遺産ですから、次世代に残すことが望ましいです。大企業や富裕層の皆さんにも関心を持ってもらいたいものです。

 続いて登壇されたのは、青梅市立美術館学芸員の田島奈都子氏で、演題は「戦前期日本の戦争とポスター」でした。

 戦前のプロパガンダだけでなくビールの広告など、明治から昭和にかけてのポスターの研究では、日本で第一人者と言われる田島氏だけあって、個人的には見るものが初めてのポスターばかりでした。スライドで紹介されたポスターの量と質には本当に圧倒されました。戦時中の宣伝ポスターですから、やはり、「志願兵募集」や「軍事記念祝日」などが多いのですが、田島氏によると、何と言っても一番多いのは戦時国債の募集や貯金などの呼びかけのポスターだといいます。

 ポスターの図案は公募されるものが多く、採用された1等賞は500円もの高額金だったそうです。ただし、支払いは国債だったので、やがて敗戦後はそれらは、ただの紙切れになってしまいますが。。。

 もう一つ、田島氏から教えられたことは、その一方で、高名な画家がポスターの原画を描いていたという事実です。私は、美術記者もやっておりましたから、藤田嗣治や宮本三郎はさすがに知っておりましたが、横山大観や竹内栖鳳、川端龍子や猪熊弦一郎(私も取材したことがありますが、戦後は三越百貨店の包装紙をデザインして有名になった人です。)まで描いていたとは知りませんでしたね。そうそう、漫画家の岡本一平や清水崑まで原画を描いていました。このように戦争に協力したりすると、小説家や詩人、歌人らは戦後になって「戦犯」として糾弾され、藤田嗣治も糾弾されて渡仏し、二度と日本に帰国しなかったこともありました。他の画家たちも糾弾されたのか気になりました。

 さて、ポスターは、用が済んだら、廃棄されるのが普通だったことでしょう。こうして、多くの歴史的価値がある貴重なポスターを収集された田島氏の努力には頭が下がるばかりでした。

生物に運命なし、全ては偶然の産物=ダーウイン「種の起源」を読了

 「わーお、やったーー」。通勤電車の中で一人、心の中で快哉を叫んでしまいました。ダーウインの「種の起源」(渡辺政隆訳、光文社古典新訳文庫)をついに、やっと読了出来たのです。ハアハアと3000メートル級の高山を登頂できた爽快感と疲労感が入り混じったあの感覚が押し寄せて来ました。

 「種の起源」は1859年11月24日に初版が発行され、ダーウインはそれ以降、13年間も地道に改訂作業を続け、1872年2月に「第六版」まで出版しました。訳者の渡辺氏によると、ダーウィンと言えば直ぐに連想できる「進化」evolution という言葉は、この最後の第六版になってやっと出て来た言葉だといいます。(それまでは「変異を重ねて来た」といったような表現。)また、ダーウィン主義のキーワードとなる「適者生存」も、1869年の第五版になって初めて登場したといいます。「進化」も「適者生存」も社会学者のハーバート・スペンサーが命名した造語でした。

日比谷公園

 いわゆるダーウィンの進化論は、今や定説になっていて疑問の余地はないと私は思っていましたが、今でも、キリスト教原理主義者だけではなく、科学者の中でも反ダーウィン主義者がいるとは驚きでした。訳者の渡辺氏も「あとがき」の中で、同氏が1970年代の前半、大学の生物学の最初の授業で、高名な教授から「ダーウィンの『種の起源』は読む必要もない。あそこに書かれているのは嘘ばかりだから」と聞かされたといいます。

 ダーウィンの進化論とは、一言で言えば、「全ての生物は共通の祖先から進化してきたという考え方」で「生物の進化は世代交代を経た枝分かれの歴史であって、一個人が進化することはありえない」ということになります。しかし、「種の起源」は決して読みやすい本ではなく難解のせいか、正しく読まれずに、ダーウィンの業績も正しく評価されないまま、学界で論争を生んだのではないか、と訳者の渡辺氏は書いております。

 なるほど、そういうことでしたか。「種の起源」の最後は「実に単純なものから極めて美しく素晴らしい生物種が際限なく発展し、なおも発展し続けているのだ。」という文章で終わっています。「種の起源」第六版を出版した時のダーウィンは63歳になっていました(その10年後の73歳没、ニュートンやヘンデルら著名人が眠るロンドンのウエストミンスター大寺院に埋葬)。

内幸町

 この難解の書物を私自身、どこまで理解できたのか心もとないのですが、読破できたことだけは自分自身を褒めてあげたいと思っております。「種の起源」を読まずに進化論を語る勿れですね。

 訳者の渡辺氏も「解説」の中でこう書いています。

 進化の起こり方は、常に偶然と必然に左右され、行方が定まらない。あらかじめ定められた運命など存在しないのだ。生存することの意味を問う中で虚無に走るのは容易い。しかし、偶然が無限に繰り返された結果として人生は存在するという考え方には荘厳なものがある。「種の起源」を読まずして人生を語ることができない。

 これ以上、付け足すことがないほどの名言です。

 

 

これが世間の実体、実相だ=マンション・ゴミ捨て騒動

 マンションの掃除のパートをしている知り合いの遠藤さん(仮名)から頭の痛い嫌な話を聞いてしまいました。

 50歳も過ぎると、なかなか再就職が難しいことは体験者なら分かるはずです。終身雇用を廃止して、転職を推奨する学者もマスコミも、何も分かっていません。儲かるのは、政商が会長を務めていた人材派遣会社や転職紹介会社だけなのです。

 遠藤さんも、社内のパワハラ上司とウマが合わず、思い切って退職しましたが、次の転職先がなかなか見つかりません。3カ月もの就職浪人の末、結局、マンション掃除人のパートがやっと決まりました。応募が殺到していて、3倍の難関を突破して採用されたといいます。募集元は、テレビでもよく宣伝する有名な不動産仲介管理会社です。

 散々苦労してやっと決まったので、彼はかなりのプライドを持って真面目に仕事に取り組んでいます。「掃除人だと人は皆、馬鹿にするけど、なくてはならない仕事ですよ。俺たちがいなくなったらどうなると思いますか? 俺たちは縁の下の力持ちというか、政治家さんよりも余程偉いと思っていますよ」と言うのが彼の口癖です。確かにその通りです。

 彼が担当しているのは某駅から数分の一等地に建つマンションですが、ワンルーム・マンションなので、全員独身者です。それなのに、ある日、小学校4年生ぐらいの女の子がマンションの住民用のゴミ置き場にゴミを捨てに来ました。そう言えば、ここ半年以上、「ゴミの日」ではないのに、ゴミが置いてあったり、キチンと分別しないで、そのまま乱雑に捨てられたゴミを目にするようになり、気になっていました。駅近の高級マンションなので家賃も高く、居住者は一流企業にお勤めの富裕層とみられ、ゴミのルールは守る人ばかりだったので、不審に思っていたところでした。仕事はパートの午前中だけなので、それまで怪しい人物と出食わすことがなかったのです。

 遠藤さんは、その女の子を捕まえて、「ここは、ここに住んでいる人だけだから、駄目だよ。ここに捨てろと言ったのは誰なの? えっ? お母さん? それなら、今日だけは許してあげるけど、今度から受け付けないからね。帰ったらお母さんに言っておいてね。ここは監視カメラが付いているから、隠れて捨てても駄目だからね」

 彼としては、優しく、かんで含めて、説諭したつもりでしたが、それから5分も経たぬうちに、女の子の母親らしき女が血相を変えて、まくし立ててきたというのです。

 「あんた、ウチの子に何言ったのよ。泣きじゃくって、帰ってきたじゃない。怖いおじさんに怒られたって! ウチはね、前からここに捨てて良い、とC(例の有名な不動産仲介管理会社)から言われているのよ。娘を脅迫するつもり? こっちは間違ったことなんかしていないのに、あんた何様なのよ、一体。冗談じゃないわよ。たかが、掃除人のくせに。あんた、名前何て言うの? Cに言って、やめさせてもらうわよ」

日比谷

 「全く、取り付く島もない、とはこのこと」と遠藤さんは後から振り返って言いました。彼の説明によると、女の住む低層集合住宅の1~2階は保育園になっていて、3階に居住している住民は3軒だけ。集合住宅のゴミ捨て場は、保育園専用になっていて、居住している3軒は、自治会にも入っていないので、そこには捨てられない。そこで、不動産仲介管理会社は、そこから50メートルも離れた遠藤さんが掃除を担当しているマンションのゴミ捨て場にゴミを捨ててもいいよ、と居住している3軒の住人に許可していたというのです。保育園とマンションの土地(建物)のオーナーは、同一人物だったからです。

 しかし、不動産仲介管理会社は、遠藤さんに一言もその「事実」を知らせていませんでした。1年前からそういう状態になっているにも関わらずです。一言あれば、「ああ、また、あの3軒の住人の誰かがが来たのか。ゴミ分別もしないけど、仕方ないな」と彼も納得したといいます。

 心優しい遠藤さんは、散々、モンスターペアレントみたいな女にこっぴどくどやされて、落ち込んでしまい、その日は夜も眠れなかったといます。

 悪いのは、連絡怠慢の大手の不動産仲介管理会社ですが、謝罪もなく、孫請けの人材派遣会社の担当者から遠藤さんに電話で一言、「それは大変でしたねえ」と慰めの言葉があっただけだったそうです。

【追記】

 町内会や自治会に入会する義務はありませんが、デメリットとして、町内会や自治会が管理するゴミ捨て場にはゴミは出せないといいます。不動産仲介会社ならそれぐらいの法律は知っているはず。遠藤さんが担当するゴミ捨て場は、マンションの住人が自治会費を支払って設けられたものだからです。となると、遠藤さんは、自治会費を払っているマンションの住人のためにゴミ捨て場を掃除し、その見返りに給料をもらっているようなものです。テレビで宣伝する有名不動産仲介管理業者も酷い会社だなあ。違法スレスレじゃないのかなあ。。。その後、遠藤さんは例のモンスター女と会ったのかどうかは、聞いていません。

またまたお土産をいただいてしまいました

  カナダにお住まいの辻下さんが一時帰国され、久しぶりに銀座の何処かでお会いして食事を伴にしましょう、という話になりましたが、結局、日程の都合がつかず、食事会は中止になってしまいました。

 と思ったら、本日、銀座にある弊社にわざわざ訪ねてくださり、「お土産」ということで、世界に名だたる台湾コーヒーの高級ブランド「世界冠軍珈琲」を持って来てくださったのです。1階の受付で、数分間程度の立ち話で終わってしまいましたが、数年ぶりの再会でした。

台湾コーヒーの高級ブランド「世界冠軍珈琲」

 辻下さんは、おつな寿司セミナーの会員だった片岡みい子さんの御主人の正垣さんと成城学園時代の親友で、片岡さんが6年前の2017年に亡くなった時に、この渓流斎ブログにそのことを書いたところ、たまたま、カナダの自宅パソコンで御覧になった辻下さんが、小生に連絡してくださったのでした。調べてみたら、片岡さんが亡くなった翌2018年5月に一時帰国した辻下さんと、私もお会いして、銀座で食事をしましたから、それ以来5年ぶりの再会でした。

 前回は、ドイツ製のワイン「聖母」を「手土産」に頂き、今回は台湾の「世界冠軍珈琲」です。何か、戴いてばかりですねえ。私が好きな言葉が、綾小路きみまろと同じ「もらう」「いただく」「ただ」ということを御存知だったからでしょうか(苦笑)。

 今回、日程が合わなくなった理由の一つに、辻下さん御夫妻が一時帰国して、京都旅行された際、彼が某有名神社の急勾配の参道でつまずいて、足を捻挫してしまったことがありました。駅や空港で車椅子を借りるほど重傷だったようです。(1カ月近く経ち、やっと平地なら少しずつ歩けるようになったといいますが、移動はタクシーでしょう。)

 今回ゆっくりお話しする時間が取れず残念でしたが、不思議なことは、何でこれほどまで彼が私に御親切にしてくださるのか、ということです。

【証拠写真】築地「魚月」ランチ握り1500円 何か足りない? あっ!ガリがない! でも箸を付けて後で気が付いたから、「遅かりし由良之助」。店員さんは50メートルぐらい遠く離れてますし、そのまま、黙って食べましたよ。

 帰り際に、辻下さんは「いつも色々と情報を教えて頂き感謝してます」と仰ってくださったので、恐らく、いつも渓流斎ブログを御愛読して頂き、その御礼だったのではないか、と勝手に解釈してしまいました。間違ったらごめんなさい。

 こちらこそ、いつもお読み頂き、そして、お土産まで頂き、感謝申し上げます。有難う御座いました。

🎬小津作品を観たくなります=平山周吉著「小津安二郎」

 今、話題になっている平山周吉著「小津安二郎」(新潮社)を読んでいます。同時並行で他の本も沢山読んでいますので、乱読です。

 巨匠小津安二郎(1903~63年)に関しては、様々な多くの書籍がこれまで出版され、いわば出尽くされた感じでしたが、それでもなお、この本では今までとは違った視点で描かれている(山中貞雄監督との関係や、円覚寺の墓石にかかれた「無」の揮毫は本人の遺志ではなかったことなど)ということで、多くの書評でも取り上げられ、脚光を浴びています。また、今年はちょうど小津没後60年の節目の年ということもあります。

 没後60年が何故、節目の年かと言いますと、小津監督自身、今ではとても若い60歳で亡くなっているからです。晩年の写真を見ると、80歳ぐらいに見えますが、まだ60歳だったとは驚きです。あれから60年経ったということで、今年は小津生誕120年ということにもなります。

 著者の平山周吉氏は、いつぞやこの渓流斎ブログで何度も取り上げたあの「満洲国グランドホテル」(芸術新聞社)の著者でもあります。文芸誌の編集長も務めた経歴の持ち主で、古今東西の古書を渉猟して調査研究する手法は、この本でも遺憾なく発揮されています。

 でも、正直言わせてもらいますと、異様にマニアックで、重箱の隅の隅まで突っついている感じがなきにしもあらずで、逆に言えば、マニアックだからこそ出版物として通用するといった感想を抱いてしまいました。

 とは言っても、私は小津安二郎が嫌いなわけではありません。彼がこよなく愛して通った東京・上野のとんかつ屋「蓬莱屋」には今でも通っているぐらいですからね(笑)。世界の映画人やファン投票で、代表作「東京物語」が何度も世界第1位に輝き、私も「東京物語」だけは、10回ぐらいはテレビやビデオで見ています。1953年公開ですから、劇場では見ていませんが。。。(遺作となった小津作品は「秋刀魚の味」ですら1962年公開ですから、小津作品を封切で映画館にまで足を運んで観たのは戦前生まれか、私の親の世代ぐらいではないでしょうか。)

 でも、この本を読んでみて、私自身は、小津作品をほとんど観ていないことが分かり、観ていないと何が書かれているのか分からないので、慌ててDVDを購入して観たりしています。

 早速、観たのは、1949年度のキネマ旬報の1位に輝いた「晩春」と、遺作になった62年の「秋刀魚の味」です。そしたら、あれ?です。何という既視感!

 男やもめの初老の父と年頃の娘がいて、老父は娘が行き遅れ(差別用語で、行かず後家)にならないか心配しています。娘はお父さん大好きで、いつまでも身の回りの世話をしてあげたい。老父は、痛し痒しで、それでは困る。結局、周囲からの縁談を進めて、最後は娘のいなくなった家で、老父は寂しく感慨深気な表情でラストシーンとなる。。。

 「晩春」「秋刀魚の味」ともに、この老父(とはいっても56~57歳)役が笠智衆。行き遅れになりそうな娘(とはいっても、まだ24歳)役は、「晩春」では原節子、「秋刀魚の味」では岩下志麻です。両作品とも、結婚相手は最後まで登場せず、名前だけ。自宅での花嫁衣裳姿は出てきますが、式や披露宴の場面はなし。うーん、同じようなストーリーといいますか、「晩春」から13年目にして、ワンパターンと言いますか、歌舞伎の様式美のような同じ物語が展開されます。それで、デジャヴュ(既視感)を味わってしまったわけです。

 特に老父役の笠智衆(もう40代から老人役を演じていた!)は、意識しているのか、あの独特のゆったりとした台詞の棒読み状態の中で、いぶし銀のような深い、深い味わいを醸し出しています。(「そおかあ、そうじゃったかなあ~」は夢にまで出てきます。)

 小津作品のほとんどがホームドラマと言えば、ホームドラマです。特別な悪人は登場せず(嫌な奴は登場します=笑)、露骨な煽情的な場面もなく、何処の家庭でも抱えそうな身近な問題をテーマにしています。どちらかと言えば、お涙頂戴劇か? 共同脚本を担当した野田高梧の台詞回しは、至って自然で、フィクションではなく、いかにも現実に有り得そうな錯覚に観る者を陥れますが、実生活では、最後まで独身を貫いて家庭を持たなかった小津が、何故ここまでホームドラマに拘ったのか不思議です。この本はまだ半分しか読んでいないので、最後の方に出てくるかもしれませんが、原節子との噂の真相も書いていることでしょう。

  ああ見えてファッション好きで、全く同じ色と柄の服を何着も揃えているとか、酒好きで知られ、行きつけの店は今でも「聖地」になっているとか。 ーこのように、小津安二郎という人が映画監督の枠を超えて、人間的に魅力があったからこそ、世界中の人から愛され、特にヴィム・ヴェンダース監督を始め、超一流のプロの映画人にも愛されたのではないかと私は思っています。日本的な、あまりにも日本人的な小津作品が、海外に通じるのも、人間の感情の機微に普遍性があるからでしょう。

 ところで、「秋刀魚の味」で、どこの場面でも秋刀魚が登場せず、少なくとも、何のキーポイントにもなっていないので、何でだろうと思って、この本の当該箇所を読んでみましたら、著者の平山氏は「『秋刀魚の味』は鱧(はも)と軍艦マーチの映画だ」なぞと書いておられました。恐らく、そう言われても、「秋刀魚の味」を御覧になっていない方は、よく分からないかもしれませんけど、確かにそうでした。そして、「秋刀魚の歌」で一躍有名になった詩人の佐藤春夫とその親友の谷崎潤一郎について触れ、文学少年だった小津安二郎は、二人の作品を全集などで読んでいるはずで、かなりの影響を受けていることも書いておりました。

 先ほど、この本について、「異様にマニアックだ」などと失礼なことを書いてしまいましたが、このように、ここまで各作品の細部について、解明してくれれば、確かに、「小津安二郎伝 完全版」と呼んでも相応しい本かもしれません。

 【追記】

 (1)著者の平山周吉の名前は、小津安二郎の代表作「東京物語」で笠智衆が演じた主役の平山周吉から取られたといいます。それだけでも、筆者は熱烈な小津ファンだということが分かります。

 (2)「秋刀魚の味」では、やたらとサッポロビールとサントリーのトリスバーが出てきます。「提携(タイアップ)商品広告」と断定してもいいでしょう。「ローアングル撮影」など小津安二郎を神格化するファンが多いですが、私は神格化まではしたくありませんね。ただ、小津作品は、歴史的遺産になることは確かです。映画を観ていて、パソコンやスマホどころかテレビもなかった時代。冷蔵庫も電話も普通の家庭にはなかった時代を思い出させます。文化人類学的価値もありますよ。

「絶滅種は復活しない」と「アルゼンチンの由来」

 相変わらず、といいますか、いまだに、まだダーウィンの「種の起源」(下、渡辺政隆訳、光文社古典新訳文庫)を読んでいます。

 この中で、「いったん絶滅した種は二度と出現しない」とか「一つのグループが、いったん完全に消滅すると、二度と復活しない。世代の連鎖が途切れてしまうからである」(174~175ページ)といった記述にぶつかり、ハッとしてしまいました。

 そっかあー。当たり前のことですけど、映画「ジュラシック・パーク」などでは、絶滅したはずの恐竜が「復活」したりしましたが、あれはあくまでもフィクションの世界だったんですね。ダーウイン先生に言わせれば、絶滅した恐竜は二度と出現しないし、同じように我々、ホモ・サピエンスの人類に最も近いデニソワ人もネアンデルタール人も絶滅したので、もう二度と出現しない、ということなのでしょう。

 そうなると生物に課せられた「生き延びること」と「生き残ること」は、最大最高の使命であり、最大の目的であり意味であることが再認識されます。(この後、ダーウインは、何百キロも離れた大陸や群島で、ある同じ植物が群生するのは、鳥や魚や動物たちが食べた果実や種子が嗉嚢(そのう)などに残り、遠距離で運ばれ、動物が死骸になっても、中に入っていた種子が長らく発芽能力を維持していることを実験で証明したりしております。)

◇絶滅危惧種を救え

 環境庁が発表している「レッドデータブック」をチラッと拝見しますと、既に「絶滅」した種としてニホンオオカミやニホンカワウソなどがあり、ラッコやジュゴンは「絶滅危惧」で、房総半島のホンドザルや紀伊山地のカモシカなどは「絶滅のおそれ」に分類されています。

 絶滅したニホンオオカミなどは二度と復活しないということになり、人魚姫のモデルになったとも言われるジュゴンなどの危惧種も絶滅したら、二度とその姿を見ることができなくなります。それらは人間の責任と言うべきか、それとも、生存闘争の末の「自然淘汰」と言うべきなのか? 少なくとも絶滅の恐れがある動物や植物たちは「人口問題なんかより、同じ地球に住んでいるんだから、俺たちの生存権をもっと大事にしてくれよ」と主張することでしょう。

 そんなことを考えながら、「種の起源」を読み進めています。

 話はガラリと変わって、先日、化学の元素記号を眺めていたら、ヘリウムheliumはHe、マグネシウムmagnesiumはMgなどと分かりやすいのに、何で金はgold なのにAu、銀はsilver なのにAgなんだろう、と思ったら、ラテン語だったんですね(実は知ってましたが=笑)。

 金は、ラテン語でaurum、銀はargentum。ですから、金の元素記号はAu、銀はAgとなるわけです。この銀のargentum(フランス語の銀は、argent でした!)は、どうも南米のアルゼンチンと関係があるのかな、と思って調べたら、やはり、アルゼンチンという国は、このラテン語の銀から取ったんですね。侵略したスペイン人が銀の鉱山を発掘したからでしょう。ついでながら、アルゼンチンとウルグアイを流れる有名なラプラタ川がありますが、スペイン語で、ラは冠詞、プラタは銀という意味なんですね。

 この年にして何ーも知らなかった、と恥じた次第です。

 アメリカの地名の由来は、イタリアの探検家アメリゴ・ベスプッチから取られたことは知っておりましたが、それ以外の北米、中南米の国々の地名の由来はほとんど知りませんでした。そこで、調べたところー。

カナダ=先住民の「村」「村落」を意味する「カナカ」が元になったという。

メキシコ=アステカ族の守護神メヒクトリ(「神に選ばれし者」の意味)にちなんで呼んだメヒコに由来する。

キューバ=先住民の「クーバ」(中心地の意味)の英語読み。

エクアドル=スペイン語で「赤道」の意味。

ブラジル=貴重な赤い染料が取れる「パウ・ブラジル」の木から。

ボリビア=ボリビア独立の功労者シモン・ボリバルに因む。

 まだまだ沢山ありますが、取り敢えず、この辺で(笑)。

1%の富裕層のための新自由主義=ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」を「100分de名著」が取り上げています

 目下、NHKのEテレで放送中の「100分de名著」の第130回「『ショック・ドクトリン』ナオミ・クライン」は頗る面白いので、皆さんと共有したいと思いました。6月12日(月)に第2回が放送されますが、同日に第1回の再放送もあり、見逃した方は、最初から見ることが出来ます。

 実は、私自身はこの名著を読んだことがなかったので、全く期待していなかったのですが、何となく見始めたら、すっかりハマってしまったのです。

 「ショック・ドクトリン」はユダヤ系カナダ人のジャーナリスト、ナオミ・クラインが2007年9月に発表したノンフィクションです。一言でいえば、シカゴ大学の教授でユダヤ系経済学者のミルトン・フリードマンが提唱した「新自由主義」に対するアンチテーゼで、彼女はフリードマンの経済政策を「惨事便乗型資本主義」と批判しているのです。

 番組の解説者として出演しているジャーナリストの堤未果氏によると、ショック・ドクトリンのショックとは、戦争やパンデミック、自然災害、テロといったことを指し、大衆がこのようなショックで正常な判断を失っている間隙を縫って、新自由主義者たちが次々と表向きは都合の良いように見せかけながら、自分たちだけが利益になるような政策を誘導していくことだといいます。一言でいえば、「火事場泥棒」ということで、実に分かりやすい表現だと思いました。

 新自由主義たちが為政者たちに「市場原理こそ全てだ」と言いくるめて、まずは①「規制緩和」に誘導させ、続いて、公共事業を次々と②「民営化」させる。最終的には③「社会福祉の制限」が目的となります。当然、貧富の格差は拡大しますね。堤氏によると、民間企業なら利潤があげられなければ、簡単に逃げられるが、公共団体は、綻びが出たからといって撤退できないといいます。つまり、例えば、2007年に財政破綻した北海道の夕張市は、撤退することが出来ず、国の管理下で借金を返済し、結果的に若者が離散して超高齢化と人口減少という現実があります。そうかと言えば、ハゲタカのようなファンドが、企業を乗っ取り、甘い蜜を吸いつくしてから、高額な金額で転売して逃げ去る構図と似ています。

 私は昔から、誰が世の中を動かしていて、誰が額に汗水たらさずに儲けて楽をしているのか、といった「世の中のからくり」について興味があり、ずっと知りたかったので、この本には目を見開かせられます。

 「ショック・ドクトリン」では、1973年、米CIAの工作員の力を借りてアジェンデ社会主義政権をクーデターで倒したチリのピノチェト将軍による独裁を振り返っています。ピノチェトは、1万3500人の市民を拘束し、数千人に拷問をかけて「ショック」を与え、1950代にシカゴ大学に留学してフリードマンから薫陶を受けた「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれた経済学者らに経済政策の指揮を執らせ、国営企業を次々と民営化して外国企業=つまりは米国=を参入させます。その結果、1974年のチリのインフレ率は375%に上り、パンの価格が高騰し、安い輸入品のお蔭で国内の企業が低迷し、失業率も増大します。

 その一方で、富裕層の収入は、アジェンデ政権時と比べて83%も増大したというのです。

 このほか、「英国病」と呼ばれて景気低迷していた1980年代の英国。サッチャー政権も支持率が25%と低迷していましたが、サッチャー首相は、フォークランド紛争という「ショック」を利用して、事業を民営化して景気回復を図り、支持率を59%に伸ばしたといいます。その一方、富裕層に対しては優遇政策を取ったといいますから、フリードマン流の新自由主義です。

 番組では、堤氏は「日本にもシカゴ・ボーイズ(フリードマンの影響を受けた経済学者や政治家)はいます」とキッパリ言ってましたが、具体的にどなたなのかは口を噤んで、言いませんでした。ズルいですねえ。まあ、誰かは想像はつきますが(笑)。

 でも、穿った言い方をすれば、政治の世界は「善か悪」とか「正しいか、間違っているのか」の世界ではなく、結局は、「強いか、弱いか」の世界です。民主主義なら、数が多いか、少ないかの世界です。権力を握った者=恐らく富裕層=が好き勝手な政策をできるわけです。

 だって、フリードマンの新自由主義は、1%の富裕層にとっては、救世主のような正しい善の政策になるわけですからね。

 思えば、日本人は、自分が貧困層だという自覚が全くないから、多くの人が富裕層を優遇する政党に投票しているわけで、勉強が足りないといいますか、自業自得になっているわけですよ。

暴露好きの弱い人間の部分につけこむ野心的商売=ガーシー元議員について

 昨晩は、出版社を経営する旧友と久し振りに再会し、東十条の「たぬき」で一献を傾けました。

 コロナの影響で、彼と会うのは1年ぶり、いや数年ぶりかもしれません。記録を取っていないので覚えていませんけど(笑)。当然ながら、「出版不況」の話となり、彼が若い頃に入社したマキノ出版が先月、事実上倒産してしまった話が中心となりました。「壮快」「安心」などの健康雑誌がかなり売れて、自社ビルを建てた話を聞いていたので、驚きました(経営権は、違う会社に譲渡し、雑誌発行は続ける見込みのようですが)。

 彼は長らく、雑誌「特選街」の編集者として活躍し、会社が絶頂期の時に退社して独立しましたが、残っていた人は、恐らく、ほとんどが解雇されるようで、これからが大変です。

 マキノ出版を創業した牧野武朗氏は10年程前に他界されましたが、講談社の「少年マガジン」や「週刊現代」の編集長を務めていた方だと彼から聞いて、初めて知りました。出版業界はやはり、ワンマン社長が亡くなると、途端に競争の荒波に揉まれる厳しい業界で、マキノ出版もその御多分に漏れなかったということになります。

 ただ、出版業界が低迷した原因は、やはり、インターネットの影響だということは間違いないでしょう。新聞業界も放送業界も同じことが言えます。つまり、新聞、出版、放送業界の屋台骨を支えている米櫃である「ドル箱」の広告がほとんどネットに移行してしまったことが敗因なのです。ネット広告の売り上げは、ラジオ広告を追い抜き、新聞広告を抜き、出版を追い抜き、ついに2019年にはテレビを追い抜き、「王者」として君臨するようになりました。

 しかし、悲しいことにネット情報は、発信者がズブの素人だったりして信頼性に欠けます。それなのに、時間や場所に拘束されずに、テレビ以上に無尽蔵の情報を垂れ流しすることができます。スマホがあれば、いつでも何処でもアクセス出来ますが、その人が興味を持ちそうな広告がアルゴリズムによって割り出されて、個人に直撃してきます。こんなピンポイント攻撃はないでしょう。広告費の後ろ盾となるテレビの視聴率などという曖昧な数字は、もう田舎芝居みたいなもんです。

 ◇ガーシーとは何者か?

 そして、また、残念なことに、人間というものは、信頼性に欠けるトンデモナイ情報に飛びつきがちです。その典型が、先日、UAEから護送されたガーシー元議員(本名東谷義和)容疑者(51)でしょう。私自身は、彼が開設した暴露系のYouTubeチャンネルを一度も見たことがないので、今回の事件について、新聞を読んでも、何が問題なのか、さっぱり分かりませんでした。

 そしたら、元朝日新聞のドバイ支局長の伊藤喜之さんという方が、「悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味」(講談社+α新書)という本を出版され、ガーシー元議員について、詳細に論じていることを知りました。

 ガーシーとは何者か? その本では、ガーシーの生い立ちから、彼の黒幕、それに、警察に追われた動画制作創業者、王族をつなぐ元赤軍派、元バンドマンの議員秘書ら日本に何らかの遺恨を持つ相棒たちまで登場し、大変面白そうな本なので購入しようかと思いました。何しろ、著者の伊藤氏は、朝日新聞の「事なかれ主義」に嫌気がさして、天下の朝日を退社してしまった人ですからね。新聞は「建て前主義」で「本音」はなかなか書けないので、伊藤氏は上司と衝突したようです。

 確かに、新聞やテレビの報道を見ていても、私自身は、この事件の真相がさっぱり分からないのです。だって、警察に被害届を提出している有名俳優や実業家は、もう既に広く知られてしまったというのに、新聞報道は頑固にも固有名詞の名前を出さないんですからねえ。この事件は、ガーシー元議員がたった一人でやった行為ではなく、裏で多くの人間が関わっていることが何となく分かっておりましたが、この本を読めばはっきりするはずです。

 そこでネットでこの本を購入しようと思い、検索したら、普段はまずめったに読んだりしないのですが、購入者のレビューやコメントが目に入って来たのです。その中で、どなたか分かりませんが、こんなコメントをされているのです。

 「著者の文章も、ガーシー以下取材対象者たちも全く魅力を感じず、なんでこんな奴らが話題になるのか全く理解に苦しむ。終始無視して話題にすべきでない。勿論全く読む価値ないし、焚書が適当。。」

 かなりの暴言ではありますが、私はこの方の主張がスッと胸に降りて来てしまったのです。この本のタイトルはまさしく「悪党」です。複数の悪党の素性が明かされて、事件の真相が分かったような気になる自分自身が恥ずかしくなってきました。相手の罠にハマるようなものです。とにかく、暴露してページビュー(PV)を稼ぐのが奴らの戦略だからです。著者も正義感に駆られて朝日を退社したようですが、逆に、向こうに取り込まれて、「ミイラ取りがミイラになった」様相に見えなくもありません。

 やはり、「無視するのが一番」ということで、この本の購入はやめにすることにしました。何度も書きますが、YouTubeのPVとやらで、短期間で1億円以上もの大金が稼げるシステム自体がおかしいのです。となると、話題にすること自体もおかしい、ということになります。話題に乗ることは、罪に加担するようなものです。そう認識しました。

藤井七冠が歴史的快挙達成、しかし…

 将棋の藤井聡太さん(20)が先日、渡辺明名人から名人を奪取し、竜王、王位、叡王、棋王、王将、棋聖と合わせて七冠を手にしました。1996年に羽生善治九段(52)が達成して以来、史上2人目の快挙です。同時に最も歴史のあるタイトルである名人位を20歳10カ月という最年少記録で獲得したことになり、谷川浩司十七世名人(61)の21歳2カ月を40年ぶりに塗り替えました。

 我々は同時代人として歴史的快挙を目撃する幸運に恵まれたわけです。あと残りの「王座」を獲得すれば、全タイトルの八冠となり、その偉業は年内に達成されそうですが、こういう天才はまず50年に一人か100年に1度現れるかどうかです。まさに、我々は歴史的瞬間に立ち合うことができたのです。

 …なぞと大袈裟に書きましたけど、将棋に詳しい会社の同僚から、「彼は六冠も獲ったというのに、昨年の年収は1億円ちょっとだったんですよ。あまりにも少ないと思いませんか?」と耳元で囁かれたのです。えっ? 本当? あれだけ苦労して獲得したのに、たったそれだけ? 報道の推定によれば、藤井六冠の昨年の年収は1億1000万円程度だったようです。今年の年収は七冠となり、広告出演も増えて収入も倍増することから、2億2000万円程度が予測されますが、それにしても少ない。

 1億円は確かに庶民にとっては「高嶺の花」ではありますが、先日、暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)容疑などでUAEから護送されたガーシーこと東谷義和容疑者(51)は、2022年4~8月のわずか5カ月間で、YouTubeなどの広告収入で、1億数千万円も荒稼ぎしたと報じられました。たった5カ月で1億数千万円も稼げるなんて、おかしいですね。そのシステムというか、スキャンダルに群がる大衆というか、そういう土壌をつくっている社会というか、やはり、おかしい。狂ってますよ。

 その点、藤井七冠は自分の努力で、衆人環視の下でプロとして、しかも、かなり超人的なハードスケジュールで堂々と仕事をしているわけですから、その見返りの報酬は、やはり、少ないと誰もが思うことでしょう。

 勿論、理由は色々と考えられます。将棋や囲碁などのタイトル戦は、主に新聞社が近年、部数拡販のために主催して始めたわけですが、最近の新聞販売の部数低迷で、どうしても賞金は少なく抑えざるを得ません。収益として観客を呼ぶとしても、多くても数百人程度でしょう。野球やサッカーのように、一度の試合で5万人も呼べるわけがありません。

 2023年の途中経過で、プロスポーツ選手で一番稼いでいるのは、やはりサッカー選手で、アルゼンチン代表のリオネル・メッシ選手。広告収入を含めて155億円と言われていますから、桁違いです。気になる「二刀流」の大谷翔平選手は、年俸39億円、広告収入は30億円以上が予想され、70億円以上になるのではないかと言われています(あくまでも推定)。

 他人様の懐具合をこれ以上探っても、何の足しにも教訓にもなりませんから、この辺でやめておきます。年収〇万円の私は仏教的諦念と六波羅蜜の忍辱で耐えるしかありませんよ。