生きよ、生き延びよ=ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」を読了しました。

 ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)をやっと読了しました。素晴らしい名著でした。うーん、でも、どう解釈したらいいのでしょうか?

 人類も宇宙もいずれ消滅、死滅するので絶望的、虚無的になって残りの人生を生きていくしかないのか? それとも、宇宙の死は数十億年後のそのまた数十億年後という先の先の話だから、価値観を反転して、偶然の確率で生まれてきたこの世の生を謳歌して、学問、芸術の創作に励むべきなのか?

 結論を先に言えば、著者のグリーン氏は、後者を薦めていると言って良いでしょう。

 でも、著者はそのままズバリ、平易に語ってくれるわけではありません。「永遠というものはない」と比喩的な言葉を使ったりします。人類の死については、こんな書き方をします。

 恒星であれブラックホールであれ、惑星であれ人間であれ、原子であれ分子であれ、物体はすべて、いずれ必ず崩壊する。…人はみな死ぬということと、人類という種はいずれ絶滅するということ、そして少なくともこの宇宙においては、生命と心はほぼ確実に死に絶えるということは、長い目で見て、物理法則からごく自然に引き出される予測なのである。宇宙の歴史の中で唯一目新しいのは、我々がそれに気づいていることだ。

 うーん、そこまで言われてしまっては、何をしても無駄なことで、虚無的になるしかありませんよね。

 しかし、著者のグリーン氏は、最後の最後に微かながらも光を照らしてくれます。

 冷え切った不毛の宇宙に向かって突き進んでいけば、神の計画(大いなるデザイン)などというものはないのだと認めざるを得なくなる。粒子に目的が与えられているのではない。…ある特定の粒子集団が、考え、感じ、内省する力を獲得し、そうして作り出した主観的な世界の中で、目的を創造できることになったということなのだ。…我々が目を向けるべき唯一の方向は内面に向かう方向である。…それは創造的な表現の核心に向かう旅であり、心に響く物語のふるさとを訪ねる旅でもある。

 うーん、難しい言葉ですが、エントロピーが増大し、宇宙も立ち行かなくなって終焉することは、特定粒子集団が編み出した理論物理学が説くところで変えようもありません。それを知ってしまったということは、人類にとって悲劇なのか、喜劇なのか? まあ、とにかく、「生きろ」「生き延びよ」という励ましの言葉として私は受け止めることにします。

指揮者という才能の凄さ=小澤征爾さん逝去

 昨日は「ブログ廃業を考えています」と書いてしまいましたが、目下、「Googleアドセンス」の設定で大変お世話になっているMさんからの御支援と励ましもあり、もう少し頑張ろうという気になりました。それに、この渓流斎ブログがなくなれば、飛び上がって喜ぶ人間が、約5人この世に存在しておりますから、盗み見してる彼らがいる限り負けられません!(苦笑)。

 さて、世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなられました。行年88歳。夜の7時のニュースで速報が流れ、新聞各紙を全部読んだわけではありませんが、一面と社会面展開の超VIP扱いです。彼の音楽的業績は散々書かれていますから、私は、小澤征爾という人は「近現代史の申し子」だと思っていることを先に書きます。(個人的ながら、私は記者会見ですが、小澤征爾さんにお会いしたことが何度かあります。)

 よく知られていますように、彼の父は、満洲国協和会の設立者の一人、王仁澤こと小澤開策です。小澤開策は、満洲事変の際の関東軍高級参謀で、後に関東軍参謀長、参謀副長等を務めた板垣征四郎と石原莞爾から1字ずつ取って、奉天(現瀋陽)で生まれた子息に「征爾」と命名しました。(松岡將著「松岡二十世とその時代」)

 満洲国協和会というのは、多民族国家だった満洲国における五族協和の実現を目的とした官民一体の団体でした。官というのは主に関東軍のことで、小澤開策は民間人で歯科医でした。

 満洲事変が1931年(昭和6年)、五・一五事件が翌年の32年(昭和7年)、小澤征爾が生まれたのが35年(昭和10年)です(同年、満洲生まれに漫画家の赤塚不二夫らがいます)。二・二六事件が36年(昭和11年)、真珠湾攻撃が41年(昭和16年)、ソ連による満洲侵攻(シベリア抑留)と日本の敗戦が45年(昭和20年)という日本の歴史上最大の激動期でした。

 小澤征爾さんは、敗戦時10歳で、敗戦で何もなくなった日本の復興期に、日本を飛び出して世界に飛躍し、1959年にブザンソン国際指揮者コンクールに第1位に輝いて、世界的指揮者の地位を築き挙げた人でした。当初、「日本人に西洋音楽が分かるわけがない」と観客から冷ややかな目で見られていましたが、次第にその実力が評価され、ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場などの音楽監督を歴任しました。

 私のお気に入りは、写真に掲げましたが、ボストン響によるマーラーの「交響曲第4番」と、サイトウ・キネン・オーケストラによるブラームスの「交響曲第1番」です。

◇指揮者の凄さ

 若い頃の私は、指揮者というのが何が凄いのかさっぱり分かっていませんでした。自分で何も楽器を演奏せず、ただ棒を振っていて、指図しているだけで、何がそんなに偉いのか(笑)、分かりませんでした。でも、色んな指揮者による演奏を聴いて、同じ音楽なのに、全く違うことが分かるようになりました。下世話な書き方しか書けませんけど、カール・ベームはゆっくりと大らかな演奏なので、通好み。カラヤンは驚くほど疾走した演奏で、クラシックファン以外にも魅了できる大衆好み、といった感じです。

 指揮者の何が凄いかと言いますと、これは私の管見に過ぎませんが、ソシュールの言語学に、通時的(ディアクロニック)と共時的(サンクロニック)という専門用語が出て来ます。これはどういう意味なのか、御自分で勉強して頂きまして(笑)、ここでは、乱暴に、通時的=横の流れ、共時的=縦の関係としておきます。例えば、クラッシック音楽の楽譜のスコアを思い浮かべてみてください。そこには、上から第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ…コントラバス、…フルートなど縦に楽器ごとに音符が並んでいます。それぞれの演奏者はその音符を横の流れ(通時的)で演奏することによって、音が奏でられていきます。しかし、指揮者は、通時的だけではいけません。各パートの演奏が縦の関係(共時的)に合っているかどうか、瞬時に確認しなければ、作曲家の音楽を再現できないということになります。

 ティンパニーが0.1秒でも遅れては駄目なのです。指揮者という化け物のような(比喩が悪くて済みません)音感の才能を持った一人の人間が、通時的、共時的に一瞬、一瞬の音の整合性を判断しながら、「時間芸術」を組み立てていくという作業を行うということですから、並大抵のことではありません。

 私が指揮者が凄いと初めて思い知ったのは、このような自分自身で勝手に作り上げた観念によるものでした。

 

映像は古びてしまうが、音楽は古びない

 えっ!? 昨日のこの渓流斎ブログのアクセス(閲覧)数が、わずか「167」だったとは驚きました。一時期、一日当たり2000近いアクセスがあったというのにどうしたことでしょうか?

 皆さま、お気づきのこととは存知ますが、この渓流斎ブログの広告がなくなっております。実は、これは一時的なお話で、今、悪戦苦闘しています「Googleアドセンス」の設定問題が解決すれば、そのうちまた広告がくっついてくると思います。というのも、このブログは一応、プロとして記事を配信しておりますので、どうしても広告収入に頼らざるを得ないからです。もし、有料会員制にしたとしても、こんなアクセス数が167ぽっちでは、存続できないことでしょう(苦笑)。

 ビジネスとして成り立たなければ、ブログ廃業するしかないかなあ、とも考えております。

銀座「Hooters」フーターズ・バーガー1200円

 さて、昨日は凄いことを発見しました(笑)。

 1968年にフランソワーズ・アルディの唄で世界的にヒットした「さよならを教えて」”Comment te dire adieu”(歌詞はセルジュ・ゲンズブール)という曲があります。私はこの曲が大好きなので、この曲がタイトルにもなっているCDアルバムをたまに聴きます。

 でも、今の時代は、何でもYouTubeを始めとした「動画」の時代です。先日、この曲を検索して見てみました。白黒のせいかもしれませんが、かなり古色蒼然としてしまっていました。ファッションも1960年~70年代に大流行したラッパのパンタロンですから、尚更です。仕方ないですよね。今から半世紀以上昔なのですから。古びてしまったと感じても本当に仕方ないことでしょう。

 しかしです。昨晩、久しぶりに、このフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」をCDで聴いてみたのです。そしたら、吃驚です。実に新鮮な音楽に聞こえてきたのです。さすが、ラップ全盛の現代ポップスの流行歌には入りませんけど、少なくとも、「古びた」とは全然感じられないのです。斬新に感じたのです。

 そこで発見しました。目から情報が入ってくる映像や舞台芸術やファッションやお化粧や髪型などは、古びてしまいますが、耳から入ってくる音声や音楽は古びないのではないか、ということです。

 何かの本に、「人間が最後に残る記憶は、耳に残った音だ」と書いてあったことを覚えています。その著者もタイトルも忘れてしまいましたが、確かに、私もそう思います。

 私が若かった頃は、インターネットも動画もありませんでしたから、音楽はほとんどラジオか、レコードでした。レコードのジャケット写真などを見てアーティストの名前と担当楽器を知って、唄って演奏する姿は想像するしかありませんでした。

 でも、それだけ音楽にはパワー(力強さ)がありました。今の若い世代は、音楽は動画で楽しむのが当たり前なのでしょうが、旧い世代の私は、「音」だけでも十分です。余計なものがそぎ落とされていますから、音に集中することも出来ます。だからこそ、映像がない「さよならを教えて」を久しぶりにCDで聴いた時、新鮮さを感じたのではないかと思っています。

時間の終わりに考える

 ゲイリー・オールドマン主演(第90回アカデミー賞受賞)の映画「ウィンストン・チャーチル」(2017年公開)をDVDで観ました。あのふてぶてしいチャーチルが普通の人のように癇癪を起こしたり、泣いたり、喚いたり、何よりも、迷いに迷って、くよくよと悩んだりしている姿が描かれていたので大変驚きました。ま、映画ですから、事実とは違うかもしれませんが。

 この映画の最後にチャーチルの言葉が流れていました。その中で、ハッとして目を見開いて読んだ言葉があります。

 「成功も失敗も終わりではない。肝心なことは続ける勇気だ」

 最近、このブログで散々書かさせて頂いておりますが、目下、ブログにGoogleアドセンスを設定するのに、大変な苦労を重ねております。何度も諦めかけましたが、フォーラム(公開投稿)の場に、大変奇特な方がいらっしゃいまして、ボランティアで貴重な助言をくださるのです。もう70通近くやり取りをしているというのに、問題はいまだに解決しません。そりゃあ、途中で諦めたくなります。そんな時に、このチャーチルの言葉が飛び込んできたのです。

 「成功も失敗も終わりではない。肝心なことは続ける勇気だ」

 うーん、もう少し、続けて頑張ってみます。

ラフレシア(国立科学博物館)

 さて、相変わらず、ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」(ブルーバックス)を読んでいます。もう少ししたら、読了しますが、恐らく、また元に戻って再読すると思います。1回読んだだけではとても頭に入って来ません。お経や聖書のように何度も読むようにつくられ、書かれている本だと思います。

 引用したいことは沢山あります。例えば、人間は、映画やドラマ、小説やファンタジーに至るまで、ありもしない虚構の世界の物語に夢中になってしまうものです。それについて、著者のグリーン氏は、古代から人類は神話を含めて、さまざまな物語をつくってきましたが、それは「我々の心が現実世界のリハーサルをするために使っている特殊な方法なのかもしれない」と述べています。

 この本は、理論物理学者が著した宇宙論ではありますが、専門の量子論や物理学、生物学、進化論、脳生理学だけでなく、哲学、文学、心理学、言語学、文化人類学、それに、音楽、美術、芸術論に至るまで、まるで百科事典のような知識が織り込まれています。

 著者の博覧強記ぶりにはただただ圧倒されます。科学者なのに(なのに、なんて言ってはいけませんね!)、ゴッホやオキーフを観ているし、グレン・グールドも知っている。バッハの「ミサ曲ロ短調」もベートーヴェンの「交響曲第9番」も何度も登場します。科学書だけでなく、デカルトやバートランド・ラッセルなどの哲学、ジョージ・バーナード・ショー、それにヒンズー教の聖典「ヴェーダ」まで熟読しています。

 何故、人類はこのように学問や芸術作品を残そうとするのか? 著者のグリーン氏は、米国の文化人類学者アーネスト・ベッカーの著作「死の拒絶」(今防人訳、平凡社)を引用して、「文化が進化したのは、人の気持ちを挫きかねない死の意識を緩和させるためだ」などと主張したりしています。

 人間は死すべきことを知ってしまったから、その死の恐怖から逃れるために、小説や彫刻や音楽や建築物や書籍等を残そうとするという考えは、納得してしまいますね。

 しかし、そんな文化や文明はいつか消滅してしまいます。残念ながら、人類が絶滅することは科学的真実で、人類どころか、地球も、太陽系も、そして宇宙まで真っ暗闇のブラックホールに飲み込まれてしまう、というのが最先端科学が打ち立てた理論です。それは10の102乗年後といいますから、もう悩むに値しませんね。中国の「列士」に「杞憂」(取り越し苦労)の話が出てきますが、杞憂は実は取り越し苦労でも何でもなく、科学的真実になってしまいます。

 この話で終わってしまっては、身もふたもない絶望的になってしまいますので、少し追加します。著者はこんなことを書いています。

 脳は、絶えずエネルギーを必要とするので、そのエネルギーを、飲んだり、食べたり、息をしたりして脳に供給している。脳はさまざまな物理化学的プロセスによって、粒子配置を変化させて環境に熱を排出する。脳が環境に排出する熱は、脳の内部のメカニズムによって生み出したり吸収されたりしたエントロピーを外の世界に運び去る。その後、機能を果たせば着実に増えていくエントロピーを排出できなくなった脳は、いずれ機能を停止する。停止した脳は、もはや思考しない脳だ。

うーん、思考しない脳とはどういうことなんでしょう? 生物ではあっても、思考しないということであれば、人類が滅亡する前に、思考しない脳が出現するということなのでしょうか?

まあ、いずれ、いつか、そんな疑問の思考さえもなくなるということなのでしょう。それは十分に予測できます。結局、救済論にはなりませんでしたが。

渡る世間に鬼はなし パートⅡ

 相変わらず、このブログに添付するGoogleアドセンスの設定がうまく行かず、難儀をしております。

 唯一、「神頼み」とさせて頂いているのが、Googleのフォーラム(公開投稿)です。ここで小生の悩みと難題に回答を下さっている方がいらっしゃるのです。ハンドルネームらしきお名前はあるようですが、御本名は知りません。それなのに、イチから、手取り足取り、ご教授してくださります。勿論、お会いしたこともありませんので、義理も恩義もないはずです。それなのに、「ボランティア」として、毎回毎回、小生の愚問に対する「解決策」を、大変お忙しいというのに、考えてくださります。

 私が初めて「公開投稿」欄に投稿したのは、もう1週間前の1月30日でした。その後、60通以上、投稿のやり取りをさせて頂きましたが、いまだに問題は解決しておりません。その途中で、「先生」は、私のブログサイトのWordpressのダッシュボードなどの「スクリーンショットの画像を貼り付けてください」との要請がありました。が、私はスクリーンショットの画像の撮り方など分かるわけがありません。そこから、話が始まったりしましたから、優に60通以上は投稿が増えてしまったわけです。

 そのスクリーンショットの画像は、公開投稿欄にうまく貼り付けることが出来ない関係で、ときたま、「テスト」として、この渓流斎ブログに掲載して、先生に診てもらうことにしました。それで、読者の皆さまは魂消てしまうでしょうが、時々、意味不明の「テスト」が掲載されているのです。(嗚呼、ご説明出来てよかった!)

上野「蓮玉庵」

 そんな精神的にカリカリする状態が、もう1カ月近く続いていますから、さすがにメンタルの調子は最悪です。それに輪をかけて、今読んでいるブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」(ブルーバックス)が、地球の終わり、生命の絶滅、宇宙の終わりの話ですから、さすがに落ち込みの度合いに拍車が掛かります。ま、言ってみればニヒリズムです。

 ただし、この本「時間の終わりまで」は、私が生涯読んだ本の中でもベスト50以内に入る名著だと思っています。科学的真実が書かれていますから、それだけ読む価値があります。

 あれっ?何の話でしたっけ?(笑)

 あまりにも私がカリカリしているので、この渓流斎ブログのご愛読者であるYさんから、メールを頂きました。「noteにされたら如何ですか?」と仰るのです。えっ? note? 何ですか?てな感じです。そこで、早速、調べてみましたら、一言でいえば、会員制の有料ブログらしいのです。月100円とか1000円とか自分自身で料金は設定できるらしいのです。

 Yさんが、毎月400円支払って、愛読しているnoteは、有名文芸評論家のご令嬢で、山本周五郎賞などを受賞している人気小説家、Yさんのブログです。Yさんの小説は、世界各国で翻訳されており、彼女はベストセラー作家でもありますから、恐らく彼女のnoteの読者も10万人ぐらい登録されているのではないかと想像されます。

 もし仮に、10万人だとすると、年間4800円×10万=4億8000万円! えっ?ほんまかいな? 勿論、管理会社からこのうち手数料等で十何%か引かれますけど、それにしても桁違いです。

 ただし、こういう方は稀なケースです。名もない一般人がnoteをやっても、まず有料会員など集まらないし、何と言っても、ブログの過去記事も引き継ぐことが出来ません。この先、何か運営会社に粗相があったりして立ち行かなくなったりした場合(ま、そんなことはないでしょうが)、noteの記事は消滅する、というおまけ付きです。

 ということで、ここ1カ月も、メンタルの不調で、こんなことしかブログに書けません。こんなんでは、「有料会員」なんて夢のまた夢ですね(苦笑)。

東京・上野の博物館巡り=ランチは「蓮玉庵」で

 先週の土曜日は、駆け足で上野の二つの博物館を「はしご」しました。

 最初に訪れたのは東京国立博物館です。 

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 特別展「中尊寺金色堂」を是非とも観たかったからです。藤原清衡(1056~1128年)によって建立された中尊寺は、東北地方現存最古の建造物で、今年で建立から900年の節目を迎えました。

 土曜日でしたので、少し列が出来ていて、入場するまで15分ほど待たされました。

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 現地の平泉(岩手県)にある中尊寺金色堂には、私もこれまで3度ほど訪れたことがありますが、特別展では、ご本尊の阿弥陀如来座像と脇侍としての勢至菩薩立像と観音菩薩立像、それに地蔵菩薩立像、増長天立像、持国天立像といずれも「国宝」を間近に、しかも360度の角度から御尊顔を拝することが出来ました。

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 平泉では、仏像は、確か、ガラスケースの奥に納められ、遠くからしか拝することが出来ませんから、足を運んだ甲斐がありました。

 ただ、本館の狭い特別5室での数少ない展示でしたので、観覧料一般1600円は少し高い気がしましたけど。

上野・東京国立科学博物館

 次は上野駅に少し戻って、国立科学博物館に行って参りました。

 実は、昨年、同博物館が収蔵品の収集・保存などで資金が足りなくなって、クラウドファンディングを募集していました。私も「博物館がなくなっては困る」という危機感からわずかながら寄付をしましたら、「入場招待券」が1枚送られてきたのです。有効期限が3月31日までとなっていたので、慌てて出かけたのです。(しかし、よく見たら、来年2025年3月31日が有効期限でした=笑)

上野・東京国立科学博物館

 入場入り口で、その招待券をお見せすると、係の人(恐らく70代ぐらいの男性)が、「じゃあ、(半券を)切りますね」と言って、切ろうとしながらも、「でも、オタクさんは65歳過ぎていますね。65歳以上は無料ですから、この券は他の人にお譲りになったらどうですか?」と仰るのです。

 えっ? なに~~~~

 この私が、見かけだけで、65歳以上に見えるのかえ!!!

上野・東京国立科学博物館「偉大な科学者たち」

うーーん、バレたらしょうがねえ~(「与話情浮名横櫛」)

 しかし、落ち込むほど、相当なショックです。自分自身はまだ若いつもりなのですが、世間様はそれを許してくれない。嗚呼~

上野・東京国立科学博物館

 しかし、国立科学博物館が資金難に陥った理由がこれで分かりましたよ。常設展は、65歳以上と18歳未満は、入館料が無料(一般・大学生は630円)なのです。無料だと赤字になるに決まっています。せめて、子どもも65歳以上も300円ぐらい取ってもいいじゃないですかねえ。日本人だけではなく、全人類の「宝」が展示されているわけですから。

 ということで、ここは丸々、一日、いても飽きない博物館です。大人も子どもも楽しめます。地下3階まで展示室があり、細かく全てを観ていったら、一日では無理でしょう。

 また、何度でも足を運びたいと思いました。

 もう午後1時を過ぎていましたので、ランチをどうしようかと探しました。最初は、以前Gさんと一緒に行った「藪そば」にしようかと思いましたが、場所がウロ覚えです。確か、アメ横辺りにあったと思いますが、アメ横はいつでも週末は地獄のような人だかりですから、出来たら避けたいのです。

 そうだ、久しぶりに「蓮玉庵」にするか。ということで行ってみました。

 そしたら、随分古びた建物になってしまい、営業しているかどうかも分からないほどです。勇気を出して暖簾をくぐりました。

上野「蓮玉庵」特別ランチ(午後2時まで)のかき揚げ蕎麦1000円とお酒800円

 入ると、ほぼ満員で、手前の席だけ空いていて、お店の人は、そこに案内してくれました。

 何しろ、安政6年(1859年)創業の老舗の中の老舗です。森鴎外先生も足繁く通っていたといいます。

 ちょっと高いというイメージでしたが、何と、土曜日なのに特別ランチメニューをやってくれていたので、その1000円のかき揚げ蕎麦と熱燗1本(800円)を頼みました。特別ランチは、午後2時まででしたので、ギリギリセーフでした(笑)。

Ça ne fait rien Parole et musique de Kin-no-suke Takada 「大したことではありません」 作詞作曲:高田謹之佑

ここ数週間、Googleアドセンスの件で、ドタバタしております。でも、「公開投稿」の場をお借りして、救世主の方から援助を受けて、一つ、一つ、問題を乗り越えております。

皆さまにはご迷惑をお掛け致しておりますが、そんな苦悩の中、1曲仕上げましたので、お時間のある時に、お聴きください。

下の Ça ne fait rien をクリックするか、ダウンロードをクリックすれば、何とか聴くことが出来ると思います。

 

渡る世間に鬼はなし

 かつて人気のTBSドラマ橋田壽賀子ドラマの影響で、「渡る世間は鬼ばかり」と間違って覚えていらっしゃる方が多いかもしれません。

  本来は「渡る世間に鬼はなし」です。世の中、殺伐としていて、無慈悲な人間ばかりだと思われがちだが、実際は、鬼のような無情な人間ばかりではなく、情け深い優しい人もたくさんいる、といった意味です。

 でも、オレオレ詐欺やら、ロマンス詐欺やら、空き巣、火事場泥棒などのニュースに接したりすると、とても人を信用できなくなってしまいます。やはり、「渡る世間は鬼ばかり」と確信してしまいます。

それなのに、嗚呼それなのに。

私は目下、ブログに広告を貼り付けるGoogleアドセンスで、大変、大変、大変、苦労しています。引っ越しした新しいサーバー会社には「お問い合わせ」コーナーが充実していますが、Googleアドセンスに関してだけは、「分かりかねます」とつれない返事です。それでも、新サーバー会社さんは、Googleアドセンスの公開質問場のアドレスを紹介してくださいました。

 「公開」なので、不特定多数の多くの人に見られ、大きな恥を晒すようですが、背に腹は代えられません。そしたら、本当に、奇特な方が現れたのです。敢えて、名前は伏せますけど、数日前から始まり、もう20通ぐらい「公開投稿」のやり取りをさせて頂いています。その半面、20通以上やり取りしていても、Googleアドセンス問題は、まだ解決していないということです。

 今止まっている作業は、wordpressのスクリーンショットを撮って、投稿してください、ということでした。やっとスクリーンショットで画像は「ペイント」に保存でき、投稿に際して、ご指示通り「貼り付け」(Ctrl +V)して画面上に写真が付いていることを確認して「投稿」しましたが、何度試しても、画像が反映されないで投稿されてしまうのです。

 「何故なんだ?」先程、ランチに行った際、このことをずっと考えておりまして、「そうだ!ブログに貼り付ければ良いんだ」と思いつきました。ということで、掲載写真は、Site Kitに「ダッシュボード」しかなく、「設定」が現れていないという証拠写真です。(その後、本文に付けた写真の通り、「設定」が出現しました!)

 私の救世主さまが、この画像を見てくださることを大いに期待しております。

私も多額納税者の仲間入り?

 一難去ってまた一難です。もう笑うしかありません。

 本日は午前、自宅近くの税務署に行って来ました。この渓流斎ブログも「個人事業主」として青色申告してますので、一足先に確定申告に行って来たのです。

 今は、2年前から会場で、パソコンではなく、スマホで一人で操作(確定申告)するようになってます。国税庁は、自宅で一人で自分のパソコンかスマホを使ってe-TAX をやれ、と盛んに喧伝しますけど、まず一人じゃ無理ですね。自分でやっていても、細かい所で何度も何度も分からない点が出てきます。会場に行けば、側で巡回している税務署員に声を掛ければ、すぐにではなく、何度も何度も呼んでやっと、しかも、嫌そ~うな顔して、やっと対応してくれます。失礼ながら、誰もいないよりマシです。

 私も、係の人を6~7回呼び止めて教えてもらい、1時間ぐらいで終わりました。しかし、納税額が8万6000円と巨額です。えっ? どういうこと? 昨年は、逆に約2万円の還付金があったのです。しかも、ブログの広告収入が昨年は2万5000円ぐらいありましたが、今年はわずか約3000円しかありません。大赤字です。そんなんで何で納税? あり得ない!

 ということで、調べたら、個人事業主としての「収入」は記入しましたが、雑費や消耗費などの「経費」は記入していなかったことが判明しました(苦笑)。若い税務署員(もしくはバイトさん)は笑いをかみ殺しながら、「もう一度、最初からやり直すしかありませんね」と言った後、私の側から二度と姿を現すことはありませんでした!

 え~~~~~~~~~~~~~~~

 ですよ。仕方がないので急いで最初からやり直ししたら、40分ほどで数字の記入が終わりました。それでも、納税額が6万5200円もありました。もう終わってしまったから仕方がないのですが、他の給与や年金などの「収入」分野はキチンと記入出来ても、いわゆる掛かった経費の「支出」を申告していなかった分野があったことが後で分かりました。

 でも、もう手遅れです。納税は国民の義務です。私はこれで、お天道様の下を堂々と歩けるということを声を大にして言いたい。裏金まみれの自民党派閥議員にも面と向かって言いたい。「お前たちも、日本人なら、しっかり、国民として納税義務を果たせよ」。

汚名を晒して本名で死ぬということ

 1970年代の連続企業爆破事件で指名手配されていた桐島聡容疑者(70)が、鎌倉市内の病院に入院して、「最期は本名で死にたい」といった趣旨で本名を名乗って亡くなったという「事件」は、どんな優れた作家も脚本家も書けないでしょうね。何しろ、50年近くも逃亡生活を続けていたのですから。 

 ユゴーが創作した「レ・ミゼラブル」のジャンバルジャンでさえ、投獄されたのは19年間ですから、50年間は目も眩むような長さです。私も交番を通る度に桐島容疑者の白黒の手配写真を見ていたので、「よく捕まらなかったなあ」と感嘆しました。

 桐島容疑者が使っていた偽名は「内田洋」と言われています。1月30日付の東京新聞朝刊一面のコラム「筆洗」がこのことで実に面白いことを書いていました。企業の「内田洋行」か、当時ヒット曲を出していた「内山田洋とクールファイブ」からあやかって取ったのではないか?といった推理には脱帽しました。恐らく、筆者は60代かなと想像しました。少なくとも50代後半でしょう。そうでなければ、内田洋行も内山田洋もすぐ思い浮かばないはずです。

 「筆洗」記者は最後に、「広島県の出身と聞く。カタカナで『ウチヤマダヒロシ』と書いてみる。本当は帰りたかった『ヒロシマのウチ』と読めてしかたがない。」と締めくくっています。実に名文コラムでした。思わず、「座布団3枚!」と言いたくなりました。

 桐島容疑者が事件を起こしたときは、明治学院大学4年生の21歳の頃だったと言われます。すぐ捕まっていたら、恐らく、7~8年で娑婆世界に戻れていたはずなのに、50年も逃亡生活を続けたのは彼の意地だったのか? それにしても、稀に見る精神力です。私にはとても真似できません。

 詳しい事情聴取が行われる前に彼は亡くなったので、彼の逃亡生活は不明ですが、数十年間、藤沢市の建設会社で住み込みで働き、銀行口座がないので、現金で給料をもらい、運転免許証もなく、当然ながら、携帯電話も持っていなかったようです。

 語弊を恐れずに言えば、思い込みの激しい若いときに起こした事件で、罪を償えば済んだ話でした。病を得て自分の人生を振り返ったとき、「俺の人生は一体何だったのか」と後悔し、「最期は本名で死にたい」ということになったのでしょう。しかし、過去の汚名を世間に晒すことになりました。

 もし、彼が内田洋のまま亡くなっていたら、桐島聡は、永遠に歴史の闇に葬り去れていたことでしょう。やはり、「人は死して名を残す」という人間の性(さが)だったと思わざるを得ません。