苦しいときは良いこと

 本当に、今年に入って心安まる時間がありません。(眠っている時以外ですが)

 一難去って、また一難です。どうしちゃったんでしょうか???思い起こせば、ここ6~7年は私生活の面で、平穏無事とまではいきませんでしたが、大きな波風が立つことはありませんでした。まるで極楽とんぼです。

 それが、今年に入って、急に難題、課題、難問が次々と押し寄せて来るのです。しかも、こちらは素人の専門外のことばかりですので、すぐには解決できません。

 昨晩は、天下のGoogleさんからメールが来ました。

 「Gmail の保存容量を 50% 使用しています」というのです。「空き容量がなくなりますと、Gmail でのメールの送受信や、Google Driveと Google Photosへの新しいファイルや写真のアップロードが行えなくなります」と、かなり脅し文句に近い印象を受けました(失礼!)。こりゃ、困った!

 仕方がないので、今朝チェックしてみたら、私のGmailは10年前の2014年のメールも残っていました。友人からの懐かしい私信もありましたが、仕方ない。削除するしかありません。10年分のうち、5年分を削除しました。もうこれで、暫くは「警告」は来ないかもしれません。作業中は、何か「終活」をやっているような気分で、さらに落ち込んでしまいました。死んだら紙もデジタルも持って行けませんからね。

銀座「マトリキッチン」

 そんな折り、作家の真山仁さんが、本日1月30日付毎日新聞の朝刊で、「私人逮捕系」と呼ばれるユーチューバーたちについて、インタビューに応じていました。「私人逮捕系ユーチューバーは自分を正義の味方のように思っていたのかもしれません。…しかし、逮捕権を一般の人が自在に使うとリンチになる恐れもあるのです」などと発言しておりましたが、私が注目したのは、情報過多の対処の仕方についての質問に対して、「情報や雑音があまりにも多くなり過ぎたときに遮断することはあります。苦しいときは良いことだと思います。ただ、それはイレギュラーだと思ってほしい」と彼が発言したことでした。

 えっ!? 苦しいときは良いことなの? パッと目から鱗が落ちるような感覚になりました。「苦しいときは良いこと」とは、恐らく、真山氏は、情報遮断する際に、苦しかったらそうしなさい、という意味で使ったのでしょう。しかし、私は、そのまま、独立して「苦しい時は、良いことが起きる証拠」と曲解してしまったのです。そう曲解した瞬間、ほんの少し心が軽くなりました。

誤解とはいえ、この言葉には大いに救われました。

サイトがダウンしてつながらない。。。

 先週土曜日にブログを更新しようかと思いましたら、サイトのブラウザであるWordpressのダッシュボードに繋がりません。そのうち、メールで「サイトがダウンしています」とのお知らせが来ました。でも、ほぼ間もなく、「嬉しいお知らせです!サイトがオンラインに戻りました。」との通知が来たので、「やったーー」と言いながら、アクセスしてみますと、それでも繋がりません。すぐに、また「サイトがダウンしています」とのお知らせが来て、ほぼ間もなくして、「嬉しいお知らせです!サイトがオンラインに戻りました。」との通知が来ました。でも、アクセスしてみても、まだ繋がりません。まるでオオカミ少年のようなので、段々信用が出来なくなりました。この「ダウンしてます」「オンラインに戻った」のメールは結局、4回も続いたので、もうブログ更新は諦めました。

 「サイトのダウン」は先週土曜日が初めてではありません。新サーバーに引っ越ししてからまだ2週間ぐらいしか経ちませんが、もう4回目です。さすがに多いので、新しいサーバー会社に問い合わせてみましたが、梨の礫です。いつもなら直ぐ返事が来るのですが、今回は無視された格好です。「サイトがダウンしています」を間違えて「サーバーがダウンしています」と書いたせいかもしれません。別に責めたり、追及したりするつもりはありません。もしかしたら、アクセス数が一遍に多く押し寄せたので、サイトがダウンしたのかもしれませんし、ただ原因を知りたかっただけです。それと、対処の仕方も聞きたかっただけでした。

御室社

 何か、今年はどういうわけか、トラブル続きです。自宅近くの神社の初詣では、「大吉」が出たというのに、これでは「お祓い」でもしなければなりませんなあ(苦笑)。

 問題、課題は一つ一つ、整理してクリアしなければなりません。本日は、某銀行の「ワンタイムパスワード」が「エラー」表示されてニッチもサッチもいかなくなったことから、朝早くから某銀行に何度も電話してやっと繋がりました。何てことはない、スマホのiPhoneの機種を昨年、変更したからだということが分かりました。原因は本当に単純でした。まず、ソフトトークンを一度解約してもらい、新たにもう一度、ソフトトークン利用を申し込んだら、新しいスマホでも、ワンタイムパスワードが簡単に使えるようになりました。お蔭で、少しすっきりしました。

 おっ!先ほどの「サイトダウン」に関して、5時間掛けて、今やっと、サーバー会社から返事が来ました。

 「サーバーの状況を確認しましたところ、直近24時間中にサーバーのメモリ使用量が上限に達しており、このためサイトがダウンした可能性が高いです。」

 再度メールがあり、

 「原因につきましては、その他の要因(プラグインの動作など)でメモリを使用していた可能性もございますので、断定ができかねます。」

 とのことでした。土曜日にアクセスしても繋がらなかった皆さまにもご迷惑をお掛けしましたが、もし、今度もまた《渓流斎日乗》にアクセスしても繋がらなかったら、かような要因だとご判断して頂ければ幸甚です。。。。

生物とは粒子の袋に過ぎない=ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」

 迂生は、昨年は「理科系転向」宣言を致しまして、古人類学、進化論、生物学、宇宙論、行動遺伝学、相対性理論、数学、物理学、量子学等に関する書籍を乱読したものでした。

 しかし、メンタルに不調をきたすと、本が読めなくなるもんですね(苦笑)。雑念が湧いて、同じ箇所を何度も繰り返して読んでも、頭に入って来ません。しかも、暫く間が空くと、それまで読んでいたことを忘れてしまい、また最初から読む始末です。

 今読んでいるブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)もそんな感じで同じ箇所を何度も読んだりしているので、昨年12月中旬から読み始めて、もう1ヶ月以上経つというのに、まだ半分も読んでいません。難解と言えば、難解ですが、一応、「基礎知識」だけは身に付けて臨んだので、読めないことはありません。含蓄のある文章なので、まるで「聖書」か「仏典」のように何度も同じ箇所を繰り返して読み進めています。

 前回、2023年12月21日付の渓流斎ブログ「死の恐怖から逃れようとする人類=B・グリーン著『時間の終わりまで』」でも取り上げましたが、まずは著者の読書量の多さには圧倒されました。学者だから当たり前だろう、と言われそうですが、著者のグリーン氏は、専門の量子力学だけではなく、哲学、歴史学、文学、心理学、神話、宗教学に至るまで幅広く「文化系」の書籍を読破しているのです。

 これだけの知識と教養があれば、新書で686ページに及ぶ大著も難なくものにすることが出来るのでしょう。さて、前回は、この本は科学書ではなく、哲学書みたいだ、といった印象を書きましたが、第3章の「宇宙のはじまりとエントロピー」辺りから、ぐっと著者専門の量子力学の学説が頻繁に登場してきます。最初は「人間とは何か」といった哲学的アポリアから問題提起を始め、いよいよ「生命とは何か」といった科学的真実のアプローチが始まります。

王子「明治堂」1889(明治22)年創業の老舗パン屋さん

 ざっくばらんに生命とは何か、他の本からの知識でご説明しますと、138億年前に時間と空間もない無の状態からインフレーションとビッグバンにより宇宙が誕生します。46億年前に太陽系と地球が生まれ、適度の温度と水に恵まれた「奇跡の惑星」である地球に40億年前に生命が誕生します。40億年前の生命とはまさに量子論の世界です。水素やヘリウムなどの原子が結合して、アミノ酸が出来たり、タンパク質が出来たりするわけです。この後は、生物学、進化論の世界になります。

 生命とは、もともとは原子や粒子の結合ですから、著者のグリーン氏は実に面白い言い方をしています。何年か前、著者がテレビに出演して宇宙について話した際、グリーン氏は司会者に向かって「あなたは物理法則に支配されている粒子たちが詰め込まれた袋に過ぎない」と言ったというのです。この「あなた」とはグリーン氏自身でもあり、人類全員のことでもあります。いや、生物だけでなく、石などのモノでさえ、「粒子の袋」でもあるというのです。

 しかし、人間には意識や思考があっても、石は何も考えません。本書の中で、著者はさまざまな疑問を読者にぶつけてきます。もしかしたら、自問自答なのかもしれませんが…。

 心も思考も感情もない粒子たちの集まりが一体どうやって、色や音、気持ちの高まりや感嘆の念、混乱や驚きといった内なる感覚を生み出すのだろう?

 本書では、このようなアポリアが何度も登場し、著者は色んな学説を引用して説明しますが、明解な答えまでには行き着いていません。読者も一緒に考えてみようというスタンスなのかもしれません。

 それにしても、「粒子の袋」とは言い得て妙です。私も、歩道や駅構内で故意にぶつかってきたり、電車内で足を踏んだりしても謝らない人間に対しては、「物理的に制御された粒子の袋」だと思い込むことにしました。そうすると、不思議と腹も立ちませんからね(笑)。

年賀状じまい

 断捨離、終活、墓じまい…実に嫌な言葉です。

 けれど、たとえ子どもがいたとしても、他者であり、迷惑を掛けるわけにもいきません。浄土真宗の祖親鸞上人は「私が死んだら遺体は賀茂川に流して、魚の餌にしなさい」と遺言されたといいますが、今の時代、そんなことしたら、死体遺棄罪となってしまいます。最期の始末ぐらい自分でしたいと思っても、現実的にはそれさえ叶いません…。

 そんなことを考えていたら、今年の年賀状で、結構「これっきり」にされる方が増えたことを思い出しました。北海道にお住まいのAさんは、定年退職を機に、「来年は年賀状はやめることにしました。今後はメールでのお付き合いをお願いします」と添え書きにありました。

 一番明解だったのは、愛知県にお住まいの会社の元後輩のフリーライターのB君です。「郵便料金が値上がるので、来年から年賀状は取りやめにすることにしました」と、切実な理由が書かれていました。

 そして、一番印象的だったのが、神奈川県にお住まいのCさんです。松の内をとっくに過ぎた1月23日に普通葉書で返信がありました。「私は本年、卒寿の年となり人間を卒業いたします。不思議な御縁で御座いましたが、以後、御失念いただき、お気遣い下さいませんようお願い申し上げます。」

 何と、エスプリの効いた「年賀状じまい」でしょう。このCさんという人は、20世紀最大のスパイ事件と言われるゾルゲ事件に関与したのではないかと言われた人物の奥さんでした。その人は、上智大学でドイツ語を習得した日本人で、ゾルゲも働いていたドイツ通信社(DNB)の同僚として勤務していたという接点がありました。内務省警保局のリストには載っていませんでしたが、共産党員だったこともあり、GHQが執拗にマークした人物でもありました。

 10年以上昔、私は、国会図書館で見つけた新聞記事を手がかりに、その人物の奥さんに辿りつきました。彼女は2時間以上インタビューに応じてくれた上、当時の写真を多く貸してくださったりしたのでした。

 さて、年賀状じまいですが、私自身は、一気に断絶するのではなく、ディクレッシェンドという形で、毎年減らしていこうと思っております。年賀状のやり取りで、一番枚数が多かったのは、300枚ぐらいだったことを記憶しておりますが、それが、250枚になり、150枚になり、この20年は100枚ぐらいが続いておりました。でも、今年は90枚、来年は80枚、いずれ身の丈に合った50枚になると思っております。

 あらあら、結局、「嫌な言葉」のお話になってしまいました。

蒔絵、書、作陶にも才能を発揮した目利き職人=東博特別展「本阿弥光悦の大宇宙」

 先週の土曜日、東京・上野の国立科学博物館で開催中の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(2100円)に行って参りました。通好みの展覧会なので、土曜日だというのに割りと空いておりました。

 私が本阿弥光悦のことを初めて知ったのは今から30年以上昔、美術記者をしていた頃でした。連載企画として「琳派」を取り上げることにしたのです。琳派と言えば、いずれも国宝に指定されている「風神雷神図屏風」の俵屋宗達と「燕子花(かきつばた)図」の尾形光琳は、あまりにも有名ですが、それ以外(尾形乾山、酒井抱一を除き)はあまり知られていません。自分の勉強も兼ねて、どなたか連載を書いてくださる専門家はいないものか、探したところ、大阪出身の先輩の持田さんから「奈良の大和文華館に琳派の専門家いるから、そこがええんちゃう?」と仰るのです。電話で交渉し、学芸員の中部義隆さんという方を紹介されました。彼は、たまたま東京に出張があるというので、仕事の合間をぬって直接お会いすることにしたのです。

 お会いすると、縁なし眼鏡をかけ、ガリガリに痩せていて、髪の毛もボサボサ。私より4歳若い新進気鋭の学芸員でしたが、大変失礼ながら、風采も上がらず、「この人で大丈夫かな」と心配したものでした。彼には、12回の連載記事であること、行数は13字×100行、写真の手配もお願いします。原稿料は1回分○○円といった具合で交渉が成立しました。そして、最初の心配は杞憂に終わり、結果的に、読者の評判も良く、この人を選んで良かったでした。

 この連載の第1回に取り上げられていたのが、本阿弥光悦で、写真は彼の代表作で国宝に指定されている「舟橋蒔絵硯箱」でした。私はこの時、本阿弥光悦のことをよく知らなかったのですが、「本阿弥光悦こそが琳派の祖である」という出だしだったので、大変驚いたことを鮮明に覚えています。ですから、大和文華館の中部義隆さんのお名前も、その後、忘れることはありませんでした。

 その中部さん、今頃、何をなさっているのか、検索してみたら、吃驚しました。2016年4月5日に56歳の若さでお亡くなりになっていたのです。大和文華館には28年間勤務し、12年には学芸部長にまで昇り詰めておりました。

 正直な話、中部義隆さんと出会わなかったら、本阿弥光悦の存在を知らず、今回の展覧会に足を運ぶことはなかったと思います。不思議な御縁だったので、ショックを受けました。

 30年前は、本阿弥光悦(1558~1637年)についての詳細はそれほど分かっていませんでしたが、その後、新たに発掘された史料や書簡などで今ではかなり詳しく分かってきました。本阿弥家は、代々、刀剣の真贋を鑑定する「目利き」の職でした。それが、光悦に限って、本職以外に蒔絵や漆芸、書、作陶などに並外れた才能を発揮した「万能の天才」で、また、茶碗の楽家ら多くの職人同士を結びつけて合作させるような総合プロデューサーでもあったのです。(光悦は、茶の湯は、織田有楽斎と古田織部から伝授されたといいます。)

 彼が生きた時代は激動期です。織田信長が明智光秀の謀反で討たれた本能寺の変(1582年)が起きた時、25歳。豊臣秀吉が小田原征伐(1590年)で天下統一を果たした時は33歳。徳川家康が征夷大将軍に任じられた時(1603年)は46歳です。戦国時代の末期ですから、刀の鑑定は重職です。光悦は、この時、加賀の前田家の禄を食んだと言われていますが、大坂の陣が終わった1615年に、徳川家康から京都洛北の鷹峯(たかがみね)の地を拝領しています。

 話は少し脱線しますが、東博のミュージアムショップで玉蟲敏子ら著「もっと知りたい本阿弥光悦 生涯と作品」(東京美術)が販売されていたので、購入することにしました。この本によると、この鷹峯の地を下賜するに当たり、家康の命を受けて立ち会ったのが京都所司代の板倉勝重だったというのです。

 板倉勝重については、この渓流斎ブログで書いたことがあります。(2023年4月30日付「通好みの家康の家臣板倉重昌の江戸屋敷は現在、宝殊稲荷神社に」)勝重は家康の信頼が厚い三河武士で江戸町奉行などを歴任し、嫡男の重昌は、島原の乱の総大将になりましたが、戦死し、江戸屋敷があった木挽町(現東銀座のマガジンハウス社向かい)に今では宝殊稲荷神社が建ち、重昌がまつられているという話を書きました。

 さて、展覧会ですが、国宝「船橋蒔絵硯箱」と俵屋宗達下絵、光悦筆の13メートル以上に及ぶ重要文化財「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」、それに、光悦は熱心な日蓮法華宗の信徒だったことから「法華題目抄」(重文)などが見ものです。このほか、近代三大茶人の一人、益田鈍翁がかつて所持していたといわれる光悦作の「赤楽茶碗」もありました。鈍翁とは益田孝のことで、幕臣から維新後、今の三井物産や日本経済新聞をつくった人です。さすが、お目が高い。

 私は刀剣も茶碗も、全く目利きが効かず、贋作をつかまされるタイプでしょう。普通の人より、かなり多くの「本物」を見てきたつもりですが、真贋鑑定だけは諦めています(苦笑)。

 先程の「もっと知りたい本阿弥光悦 生涯と作品」によると、俵屋宗達は生没年不詳ですが、本阿弥光悦の義兄弟(宗達は、光悦の従兄で本阿弥家九代の光徳の姉妹と結婚)と言われ、尾形光琳・乾山兄弟は、光悦の甥宗柏の孫に当たります。また、光悦の曾孫光山から始まる家系(親善系)に生まれた本阿弥光恕(1767~1845)は、芍薬亭長根(しゃくやくてい・ながね)の名前で戯作者として活躍し、葛飾北斎(画)と組んだ「国字鵼(おんなもじぬえ)物語」などを出版しています。また、光恕は、酒井抱一、大田南畝らとも交際していました。

不安や怖れを感じても恥ではない=アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」

 アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」(新潮新書、2024年1月20日初版)を読了しました。先週から大きな不安を抱えていた私としては、大変時宜のかなった「読むクスリ」でした。もっと言えば「救済の書」でした。

 最も励まされたことは、メンタルの不調は、誰にでもあることで、不安や怖れを感じても何ら恥じることはないということでした。そのメカニズムというのは、脳が「生き延びるため」に警告しているに過ぎないということでした。その強度は人によって千差万別(一晩寝たらケロッと治ってしまう人から、自裁まで考えてしまうほど深刻になる人まで)ですが、その苦しみは一生続くことは稀で、人生のごく一部分に過ぎないということでした。

 なぜなら、苦しみや悲しみが一生続かないのと同じように、幸福感も一生続かないからです。美味しいご馳走を食べて満腹感を得ても、翌日になったらもう忘れてしまいます。志望校や目指す会社や官公庁に就職できても、幸福感はすぐ減少してしまいます。好きな人と結婚できても…、以下省略。

Tsukiji

 また、行動遺伝学でも問題になっていたように、人は生まれと育ちのどちらの影響が強いのかという設問がありました。遺伝か?環境か?どちらが人生を左右するのかというアレです。著者のハンセン氏の見解は「自分のゲノムを選んで生まれて来られないのと同じように、メンタルの不調に見舞われるかどうかも自分では決められない」というものです。しかし、決められるとしたら自分の意志によるもので、こうして、不安や怖れの原因(脳による防御メカニズム)を学んだりすることも一つの手です。ハンセン氏は、唯脳主義者ではないようですから、身体機能も重視し、とにかく「運動」(1日15分のジョギングか1時間の散歩程度)することでリスクを下げることは可能だと力説しています。

 このように、ハンセン氏は、メンタルの不調から自分を守る3要素として、この「運動」のほかに、「質の良い睡眠」と「友人」を挙げていました。

 それと、さらに付け加えますと、先程、ハンセン氏は、幸福感は長続きしないと説いておりましたが、だからこそ、幸せは追い求めるのはやめた方が良いと助言しています。幸福は、追え追うほど逃げていく、とまで言います。

 私自身は、自分の幸せは追求してもおかしくはない。もっと言えば、人生の目的とは幸福の追求だと思っていますので、ハンセン氏の見解とは異にしますけど、とにかく、この本に巡り会って良かったと思っています。

不安や恐怖は「生き延びるため」の警告=感情は五臓に宿ると考える漢方医学

 今年は正月から個人的に精神的ストレスが掛かる事案が立て続けに起きてしまい、神経をすり減らしておりました。幸い、以前のパニック障害のようなメンタル症状が再発するまでには至りませんでしたが、いまだに、心がどうも、不安定です。ブログ更新の気力さえ減退しました。

 何か処方箋がないか、と探していたところ、直ぐに見つかりました。アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」(新潮新書、2024年1月20日初版)です。新聞の広告を見て、即、書店に走って買い求めましたが、この本の前書きの「日本の読者の皆さんへ」を読んだら、何と、10代のジュニア向けに書かれた本だったのです。「まずったかな?」と思いましたが、いやいや、大の大人が読んでも、シニア層が読んでも大丈夫です。結構歯ごたえがある難しいことも書いているからです。

 これまで、このスウェーデンの若き精神科医(とは言っても今年50歳ですか…)が書いた「スマホ脳」「運動脳」「ストレス脳」などを私は愛読してきたので、彼の説は信用しています。この本は旧著と重なることも書かれていますが、今の精神状態の私にとっては「読むクスリ」になっています。

 人間は、何故、不安や恐怖を感じるのか? 一言で言いますと、脳が我々を「生き延びさせる」ために仕組んでいることだ、というのです。我々の脳は、いまだに弱肉強食のサバンナに生きていた時代の脳を頑固に引き継いでおり、捕食者が逃れるために、「闘争か逃走か」を一瞬で判断しなければなりません。ですから、不安や怖れなどは、脳が「何かがおかしい」と警告する手段であり、信号でもあるというのです。

 それゆえ、過剰判断だったり、古い脳の勘違いだったりすることもあるといいます。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」みたいなものです。

 でも、脳に悪気はありません。とにかく、我々を生き延びさせることだけを考えているからです。

 この本について、いずれまた書くことにしまして、またまた、NHKラジオで聴いた薬膳料理家阪口珠未さんのお話を引用させて頂きます(記憶で書いておりますので、間違いは訂正しますから、御堪忍願います)。阪口さんは北京に留学して、漢方(中医学)を学んだ方です。ですから、ハンセン氏の西洋医学とは考え方が全く違うので、非常に興味深いのです。西洋医学では、人間の感情や思考は全て、脳の機能という考え方ですが、中国医学は違うのです。いわゆる五臓六腑が感情を司り、脳はその補助的に機能するといったような考え方です。以下のような感じです。

・肝臓→怒り

・心臓→喜び、興奮

・脾臓→憂い

・肺臓→悲しみ

・腎臓→怖れ

 人間は強度の精神的ストレスに晒されると、下痢になったり、不眠になったりします。となると、脳だけでなく、五臓六腑が感情を司るという漢方の考え方は捨てがたいですね。日本人ならこちらの方が分かりやすいです。阪口さんは薬膳料理家なので、これらの五臓をコントロールする食材の話もされていました。

 肝臓の「怒り」を抑えるには、菊の花やセロリや香の物が良いそうです。心臓の「喜び」は良いのですが、興奮し過ぎたり、人に気を遣い過ぎてエネルギーを消耗します。自己嫌悪になったりして不眠にもなります。それには、食材として、レバーやアサリ、ヒジキや海苔などが効くそうです。特に赤い食材が良いのでナツメも良いそうです。

 「憂い」の脾臓は、思い込んだり、悩み過ぎたりすると消化機能、特に胃腸が不調になります。取り返しがつかない過去を反芻したり、将来悪いことが起きたらどうしようなどと妄想したりするといっぺんに脾臓が悪くなります。腸を整えるには、雑穀や高麗人参、発酵食品などが良いようです。

 「悲しみ」の肺臓というのは、人は、喪失感などから悲しむと呼吸が浅くなります。その対策には呼吸器を強くしなければなりませんが、白い食材が効果あるといいます。カブやダイコン、白キクラゲなどです。

 腎臓は、低下すると、恐れや不安感が増します。残念ながら、「腎力」は加齢とともに失われていくといいます。だから、高齢者は、若者のように無茶しなくなるということなのでしょう、例外の方もいますが(笑)。確かに外出する際、火の元や戸締まりが気になってしょうがなくなります。「腎力」を強めるには、黒い食材が良いようです。黒豆、黒ゴマ、ヒジキ、海苔、昆布、ウナギなどです。他に、安神(精神安定)作用があるナツメ、クルミ、アーモンドなどのナッツ、ヤマイモ、レンコン、里芋、キノコ、シジミ汁なども効果あるようです。

 私も、読むだけでなく、実際に試してみようかと思っています。

新《渓流斎日乗》再開のお知らせ

 皆さまにはほんの少し御心配をお掛け致しましたが、サーバー移行が完了し、新しいサーバーで、このブログ《渓流斎日乗》を再開することが出来ました。

 とは言っても、素人ではどう変わったのか、見た目では、さっぱり分かりません。Wordpressというブラウザを使っておりますが、ドメインをそのまま継承しましたから、中身も全く変わっておりません。要するに、「見えない」サーバーだけが変わったということになります。

 このブログのテンプレートと言いますか、体裁や形式を2017年9月に整えてつくってくださったのは、松長哲聖さんでした。そして、2005年3月からgooブログで連載していた12年間分の古いブログの記事を全てサーバーに移行してくれたのも彼でした。しかも、高校の同窓という誼(よしみ)で、これらは無償でやってくださったのです。

 そんな彼が一昨年に53歳の若さで亡くなってしまったこともあり、今回の「引っ越し」ということになりました。

 でも、私は素人ですから基本的な手続きやら新サーバーの発掘など、分からないことだらけです。当初は、もう継続は諦めて、廃業を覚悟したほどでした。

 遺伝的に、私はかなりメンタルが虚弱に出来ていて、いわゆるHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という部類に属しています。ですから、夜も眠られず、神経をすり減らしておりましたが、その間、面識のないAさんからコメントを頂きました。「『渓流斎日乗 このまま継続!』とのお知らせを読みました。更新を楽しみにしております一人として感謝です。有難う御座います。」。まさに「えっ~~!!!」です。世界人口は80億人おりますが、世界の80億人に1人の割合でこんな奇特な方が世の中にいらっしゃるとは! 嘘偽りなく涙が出て来ました。このAさんは面識のない方だったからです。

 もう一人、パスカルの「パンセ」に出てくる言葉には大いに励まされました。

 人間にとって苦悩に負けることは恥ではない。快楽に負けることこそ恥である。

 この言葉は私の心の奥底に突き刺さり、救済の言葉となりました。

 結局、旧サーバーの管理者さんの御協力等もあり、新サーバーに移行できました。あと、WordpressのSSLの設定とか、広告収入に繋げるGoogleのアドセンスの設定とか、よく分からないことだらけで、このままではどうなることやら? また挫折してしまいそうですが、船は港を出ましたから、何とか荒波は乗り越えて頑張ろうと思っております。

 以上、つまらないご報告迄。

読者の皆さま=《渓流斎日乗》継続できそうです

 色々とありましたが、旧サーバーの管理者Hさんのご厚意と援助がありまして、新サーバーに移行することになりました。

 私は全く素人なので、よく分かりませんが、読者の皆さまは、このままkeiryusai.com のドメインでサイトがご覧になれるという話でした。ので、そのまま継続してお読みになれるようです。

HigashiGinza

 IT音痴の私ですから、技術的に何も出来ず、結局、新サーバーさんに、有料で「代行移行」してもらうことにしました。

 移行期間中は、ブログの更新は出来ないということで、《渓流斎日乗》はしばらくお休みさせて頂きます。

 どうぞ宜しくお願い申し上げます。

「気滞」と「瘀血」を防いで朗らかに生きたい

(※渓流斎ブログは新サーバーに移行する予定ですが、主宰者=私のこと=の技術的無能力によって消滅する可能性もあります。)

 正月早々、ノロウイルスに感染して寝込んだり、集合住宅の役員として難題を突きつけられたり、一難去って一難の状況が続き、ついに、この渓流斎ブログの存続問題にまで発展してしまいました。

 そのせいか、毎日、憂鬱と不安で、肩痛、腰痛、関節痛などが少しも収まりません。何処かのマッサージにでも行けば、一時的には治るでしょうが、また再発しそうです。

 そんな折、大変為になる面白い話を聴きました。またまた、NHKラジオの聴き逃しサービスで、「日曜カルチャー」漢方薬膳研究家の阪口珠未氏による「元気に美しく年を重ねる食養生」の話です。

 以下は「如是我聞」で、阪口先生の話をそのまま要約したわけではないことを最初にお断りしておきます。

HigashiKurume この樹木は、中学生の頃、私の膝下しかありませんでしたが、半世紀以上過ぎて3メール以上の高さに成長していました

 漢方の考え方に、人間の身体には「気」と「血」と「水」の三つの構成要素が通っており、これらが停滞したり、鬱血したりすると、病気になったり、不調になったりするといわれています。

 「気」はエネルギーであり、これが滞ると「気滞」と呼ばれます。ストレスや心配や不安で気滞になるようです。イライラしたり、うつ状態になります。病は気から、とよく言いますから、私も慢性になっている肩痛、腰痛も、気滞の影響の一つだと思っています。

 阪口先生は、気の流れを良くするには、香りの良い食材を摂ることを勧めていました。香りの良い食材とは、レモン、ゆず(の皮)、カボス、シークワーサー、グレープフルーツなどの柑橘類なんだそうです。他に、ふきのとうや赤紫蘇なんかも良いといいます。そして、ジャスミン茶やバジルやミントなどのハーブも気の流れに良い、というので、私はこの話を聞いて、早速、遠くの専門店に行ってジャスミン茶を買ってきましたよ。すっかりお酒も弱くなってしまったので、これからジャスミン茶でも飲みますか。。。

 「血」はここには栄養が流れており、これが滞ると「瘀血」(おけつ)と呼ぶそうです。私は初めて聞きました。瘀血になると、冷え症や倦怠感など身体のあらゆる器官や部所で不調や不振が起きます。私の肩痛、腰痛もそうかもしれません。瘀血にならないようにするには、阪口先生は、下半身を使う運動を勧めていました。ウオーキングなんか良いのでしょう。血液の流れを良くするには、ショウガやニンニクを摂ると良いようです。また、阪口先生は個人的に瘀血対策として、ハイビスカスとバラとサンザシ(林檎に似た果物)などを混合したお茶を飲んでいるそうです。

 この他、気滞や瘀血にならないために、サバ缶はお勧めですが、油が酸化したスナック菓子や乾物などを摂りすぎると良くないそうです。

 「水」は、人間の身体の50~75%を占めていますから、ご説明するまでもないでしょう。人間は水で出来ているといっても過言ではないので、水がなければ確実に死に至ります。水は肌などのうるおいにも関係しますので、老人になれば、うるおいもなくなり、身体に占める水量も減ります。

 いくら、気滞や瘀血や水量に気をつけていても、人間は「加齢」からは逃れられません。平均的に女性は閉経となる49歳、男性は56歳から加齢が始まるといいます。(まあ、その前から始まるヒトも多いことでしょう。)

 私のように、毎日、抑鬱や不安にさらされていては、老化は進行することでしょう。阪口先生は、何よりも我慢せず、ストレスを溜めないことをお勧めしていました。そう言われてもねえ。。。

 私は日本人の典型ですから、どうしても我慢してしまうんですよね。これからは、ジャスミン茶でも飲んで、なるべくリラックスしますかぁ。。。