今年も自家製味噌づくりのお手伝いをしました

 今年も恒例の味噌づくりのお手伝いを致しました。鬼より怖い我が家の総司令官の命令で、大豆の足踏みから始まります。

 材料は大豆と麹と塩だけです。至って簡単ですが、その工程はかなり大変です。大豆は北海道産の鶴の子大豆です。5キロで5100円。麹は栃木県那須の味噌麹専門店「日野屋」さん。5キロで5500円。麹は大豆より高いのです。何よりも、麹菌は育成するのが大変で、もし、納豆と一緒に麹を冷蔵庫に入れたりすると、たちまち麹菌は死んでしまうそうです。それだけ、麹菌は弱く、納豆菌は強いのです。そして、塩は赤穂浪士で有名な「赤穂の天塩」で、1キロ443円。

 大豆は20時間も水に浸し、その後、4時間も煮込みます。この茹で上がった大豆を(冷めてから)一枚100円もする厚手のビニール袋を二重にして詰め込んで、その上から足で踏んで、豆をつぶしていきます。私の出番はここからです(笑)。市販のお味噌の場合、大量生産ですから、こんな人が足で踏むような面倒臭いことはやってられません。機械で潰していきます。

 あらかた潰れて、ペースト状になった大豆に塩と麹を混ぜ合わせていきます。

 その過程で、まだ潰れていなかった大豆の豆粒も手でつぶしていきます。

 大方、それが出来たら、その塩と麹の入った大豆ペーストを大きな団子状にして、木樽の中に投げつけるようにして入れて行きます。

 この木樽は、福岡県八女市の桶店「松延工芸」から取り寄せたものです。

 木樽が満杯になったらもうお終い。蓋をして寝かせますが、定期的な天地返しや水取り、黴取りなどの大変な作業もあります。お味噌が食べ頃になるのは、やっと秋になってからです。

 自家製味噌づくりを始めたのは7~8年前だったでしょうか。最初は私は全く手伝わなかったので、はっきり覚えていません(苦笑)。

 でも、自家製味噌を食べるようになってから、申し訳ないのですが、市販の味噌が食べられなくなってしまいました。あまり書くと営業妨害になるので詳しくは書けませんが、要するに人工添加物も人工保存料も何も入っていませんから、本来の味噌の風味を味わうことができるのです。小さい頃から味噌汁は食べていましたが、やはり自家製味噌となると、数倍、数十倍、数百倍も美味いのです。何も高級会席料理店に行かなくても良いのです。

 手間暇かけることを惜しまなければ、何でも美味しく食べられるのです。ですから、手間暇がかからないコンビニなどで手軽に手に入るような、大量生産の人工調味料で作られた食べ物はとても私の口には合いません。

 贅沢ですね。

Midnight Scat Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

今からもう半世紀近い大昔、私がまだ20歳の時に作詞作曲した「Midnight Scat」という曲があります。

 亡友神林康君がギターのフレーズを手伝ってくれましたので、彼との最初で最後の共作でもあります。

 「Midnight Scat」ですから、真夜中にお一人で気が向いたときにお聴きくだされ。

 

Midnight Scat

1, Don’t make me haste.

Please don’t let me go.

Because I don’t like its taste.

2, Don’t make me sad.

Please do let me know.

Because I don’t wanna be mad.

※ Isn’t it in a hurry to decide?

I wish you’re here by my side.

Isn’t it worry to suicide?

I hope you’re there by inside.

”repetition”

「エントロピーが増大する」とはどういうことなのか?=ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を再読してやっと分かりました

 以前、予告しました通り、ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)を読了した後、今は再読しております。

 一回目は、著者特有の韜晦的な書き方によって、正直、よく分からない部分が多かったのですが、再読すると、意味がよく分かるようになりました。えっ?韜晦(とうかい)的の意味が分からない? 衒学的の正反対です。えっ? 衒学的も分からない? 韜晦的とは、自分の才能を包み隠すこと。衒学的とはその逆で、自分の知識を自慢したり見せびらかしたりすることです。

 著者のグリーン氏は、自分の知識を包み隠すような書き方で、はっきりした結論は書かないように一回目に読んだとき思ったのですが、二回目に読んだ時は、実は印象が少し変わりました。例えば、109ページに「ビッグバンから、10億分の1の10億分の1のさらに10億分の1秒後には、斥力的重力は空間の小領域を大きく引き伸ばし、…広がった。…それと同じくインフラトン場もまた、いずれ『破裂』し、場の粒子たちは霧になる。」と書いた後、「その粒子たちが正確に何だったのかは分かっていない」とはっきりと、分からないことは分からないと明言しておりました。

王子神社

 宇宙の生成から終焉において、熱力学第二法則の「エントロピーは増大する」というキーワードが最も重要で、本書の後半にかけても何度も出てきましたが、この意味を深く理解することがなかったので、1回目に読了したとき、どうも痒い所に手が届かなかった読後感がありました。が、再読してみたら、前半で、はっきりとエントロピーとは何かについてかなり詳述されていたことが分かりました。一回目は一体、自分自身何を読んでいたのかしら?

 「エントロピー」とはざっくばらんに「無秩序状態」と翻訳して良いと思いますが、本書の70ページでは、実に分かりやすく、エントロピーとは何なのか説明してくれています。一回目で読んだはずなのに、覚えていなかったとは本当に情けないですね。メンタルの不調のせいにしておきます(笑)。

 著者はこのように書いています。(少しだけ差し替えています)

 エントロピーは時間とともに増大する圧倒的な傾向がある。きれいにアイロンのかかったシャツが皺になるように「特別な配置は平凡な配置に近づく傾向がある」とか、整理されたガレージが、道具類や収納箱や遊び道具がごちゃ混ぜに詰め込まれた物置になるなど「秩序は無秩序になる傾向がある」といったことだ。

 なるほど。エントロピーが増大する、とはガレージが散らかったり、シャツが皺になったりすることでしたか。こりゃあ、分かりやすい。

王子神社

 また、著者のグリーン氏によると、宇宙が生成されるきっかけとなったビッグバンは、高度に秩序立った極めてエントロピーが低い出発点だったといいます。つまり、最初は極めて秩序が整った状態だったということです。それが、熱力学第二法則により、エントロピーが増大すると、宇宙に存在するもの全ては、衰え、劣化し、朽ちるという、抗いがたい傾向を持ってしまうのだといいます。ということは、これで、宇宙に終焉があるという結論が導き出されるわけです。

 その前に、地球の生命体の一つである人類の消滅が先にあります。人類だけが持つ「考える」という行為そのものも、(思考することによって)無益な環境エントロピーを増大させてしまうせいで自滅するともいいいます。あまり、自分勝手に苦しんだり悩んだりしたら、エントロピーが増大するということなのかもしれません。

 ところで、18世紀のニュートンの時代まで人類はモノが引き寄せられる「重力」しか分かっていませんでしたが、20世紀になって、その逆のモノが引き離される「斥力」が発見されました。同じようにエントロピーが増大する、とだけ考えられていたのに、エントロピーは減少することも分かってきました。エントロピーの減少とは、カメラを逆回しにしたようなSFのような世界ですから、専門外の私からはうまく説明できませんが、この本にはそういった話も多く出てきます。

 いずれにせよ、私自身は「エントロピーが増大する」とはどういう意味なのか? 再読してやっと分かったという、実に情けない恥さらしなお話を御紹介しました。

オートルマンって何のことですか?

 2月16日、北極圏にある刑務所で、プーチン政権によって殺害されたのではないかとされているロシアの反体制指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(行年47歳)。日本のマスコミでは、「ナワリヌイ」と表記されますが、英字紙では Alexei Navalny と表記されています。このまま日本語に置き換えればアレクセイ・ナヴァルニイとなります。ナワリヌイとは読めません。ロシア語では Алексе́й Анато́льевич Нава́льныйと表記され、アレクセイ・ナヴァリヌイと読むらしいので、これが一番正しいのかもしれませんが。

 国際語になっている英語は、あくまでも独自路線を貫いているということなのでしょう。地名にしても、オーストリアのウィーンは、「ヴィエナ」と言うし、イタリアのヴェネツィアは「ベニス」と発音したりしますからね。

新富町「躍金楼」(明治6年創業)天ぷら膳(五点盛)1320円 本文と全く関係ないやないけ!

 何でこんな話をするのかと言いますと、先日、久しぶりに婿殿に会った時、驚く体験をしたからです。婿殿は米国人です。その彼が急に「オートルマンは知ってますよね」と言うではありませんか。えっ? オートルマン? 聞いたことないなあ~ 「知らないなあ」と応えると、彼は「えっ?日本人なら誰でも知ってますよ。そりゃあ、おかしい」と言いながら、スマホを取り出して、そのオートルマンというものの画像を私に見せたのです。

 なあ~んだ。ウルトラマンじゃないか! 「オートルマンじゃないよ。ウルトラマン。オートルマンじゃ、日本人に通じないよ」と諭しましたが、彼はあくまでも、「いや、違う。絶対にオートルマンだ」と譲らないのです。仕舞いには、「ゴジラ」ではなく、「ガジ~ラ」が正しい、とまで言い出しました。

 これで、私は1970年代に流行ったテレビCMを思い出しました。パナソニックのカラーテレビ「クイントリックス」のCMです。1930年代から「あきれたぼういず」で活躍していた坊屋三郎(1910~2002年)が、相手の外国人タレント、トニー・ダイヤが「クイントリックス」と連呼するのに対して、坊屋が日本語風に発音して、「英語でやってごらんよ。なまってるよ。外人だろ、あんた。発音だめだねえ」と切り返して笑いを誘っていました。坊屋さんは随分お爺さんに見えましたけど、当時まだ61歳だったんですね。

 英語は現地語の発音を超越して自分たちの発音を押し通すように、日本語も同じことをやっています。

 この渓流斎ブログで、以前にも取り上げましたが、第2次世界大戦下の米国の大統領を日本のマスコミは「ルーズベルト」と表記しますが、本来は、つまり、米国では「ローズベルト」Rooseveltと発音します。米下院議長を務めたナンシー・ペロシはペロシではなく、「プロウシイ」Pelosi と発音するので、ペロシと言っても誰のことなのか分かりません。

 もっとも日本では和製英語が氾濫しています。今や事故だけでなく、事件や災害の際に大いに活躍しているドライビング・レコーダーがあります。これはdriving recorder で欧米でも通じるかと思っていましたら、米国では、略してdashcam、もしくは dashboard cameraというんですってね。ドライビング・レコーダーでは通じないのです。

 何か、本日は「ゲーテとは、俺のことかとギョーテ言い」みたいな話になってしまいましたね(笑)。

SNSは環境毒物? それとも諸刃の剣?

 私はどうも正直な性分なもんですから、何でも正直に書いてしまいます(苦笑)。ここ最近、ずーと、「メンタルが不調」だったことも書いてしまっております。その原因は、ブログの設定の問題だったことは既に御承知だと思いますが、もう一つは日々接するニュースにありました。

 今年1月1日の能登半島地震に始まり、もう2年も続いているロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルによるガザ市民の虐殺、それに、自民党国会議員の裏金問題や東京・浅草での自分の4歳次女や姉の不可解な殺害事件など、見るにつけ、聞くにつけ、心が押しつぶされて耳を塞ぎたくなるほど落ち込んでしまうニュースが続いているからです。まともな神経な持ち主でしたら、とても耐えられません。

 ですから、ブログぐらい、明るい前向きなことを書きたいと思ってはいても、なかなかそうもいきません。

 このブログは、暗闇の中で孤軍奮闘、暗中模索で書いておりますから、皆さまからコメントを頂きますと本当に嬉しいです。また、自分が恐る恐る書いたことでも、大新聞やテレビ・ラジオなど大手メディアが同じような意見を採り上げてくれたりすると非常に安心したりします。

白梅

 先日も、「SNSは疎外感を増大する」(2月14日付)という記事を恐る恐る書いたのですが、本日(2月20日)付の毎日新聞朝刊のコラム(大治朋子氏の「火論」)で、「SNSは大気汚染やニコチンと同様に『環境毒物』だ」という米ニューヨーク市が14日に発表した提言を取り上げていたのです。同市はSNSが特に若者の健康を損なうとして同日にYouTubeとTikTokなど五つのSNSを運営する企業に対策と損害賠償を求めて訴訟を起こしたといいます。

 米国では2020年までの10年間で、継続的な悲しみや絶望感を訴える未成年は40%増加し、自殺しようとする未成年も36%増え、SNS依存との因果関係が指摘されているといいます。

 やはり、そうでしたか!! ニューヨーク市が「SNSは環境毒物だ」と発表した日と私がブログで「SNSは疎外感を増大する」と書いた日は同じ2月14日だったとは、奇遇を感じてしまいますねえ(笑)。

 勿論、SNSの中には、この《渓流斎日乗》のように役に立つものもあり(爆笑)、一長一短です。使う人によっては利器になったり凶器になったりします。つまり、諸刃の剣です。ですから、未成年の段階ではとてもセーブが効かず、自殺まで考えてしまうことは残念ながら頷けてしまいます。

 でも、SNSはお酒と同じように、これから先、この世からなくなったりしないことでしょう。

 私の提言は、せめて、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでもらって、いかにSNSは「時間どろぼう」であるか、ということに気づいてもらい、自分自身の実りある人生を取り戻してほしいと願うばかりです。野蛮な口をきけば、「他にやることあるだろう?」てなことですよ。

北条早雲の興国寺城跡=ついに「洗脳」されたO氏

  会社の後輩で、還暦過ぎて静岡県の某支局長に転身したO氏からメールが来ました。な、何と、戦国時代の火ぶたを切ったと言われる伊勢新九郎盛時(北条早雲=1456?~1519年)の最初の居城として知られる興国寺城跡(静岡県沼津市)に週末の休日を利用して行って来たというのです。しかも、「高低差20メートルもある空堀を作らせて東西に睨みをきかせた北条早雲の野望を感じました」と大いに感動した様子だったのです。

興国寺城跡(静岡県沼津市)Copyright par K.O

 O氏は昨年10月末まで、小生と同じ部署で、席が隣でしたので、仕事の合間によく無駄話をしたものでした。主に小生が、歴史や文化などについて、偉そうに蘊蓄を傾けることが多かったのですが、特に力を入れたのは、全国のお城巡りや神社仏閣、仏像の話でした。

 しかし、O氏は全くといっていいぐらい関心がなく、特にお城の魅力をこちらがいくら口酸っぱく唱えても、うわの空でしか聞いてくれませんでした。

興国寺城跡(静岡県沼津市) Copyright par K.O

 そんな彼が、この期に及んでお城の魅力を語るとは! やっと、小生の「洗脳」が実を結んだ、と感激したわけなのです(笑)。

興国寺城跡(静岡県沼津市) Copyright par K.O

 全国にお城は、2万5000とも3万ともあると言われ、中世の山城跡も含めば5万以上はあると言われています。恐らく、一人で一生懸けても全てを回れないかもしれません。

 でも、城廻りをすると、健康にも良いちょっとした運動になり、山城も多いので、良い空気が吸えます(笑)。何よりも、色々と調べるとその時代のことや城主の家系も知りたくなり、日本史に詳しくなります。お城は合戦の場なので、それ以外の、というか、それに付随する城主の菩提寺や合戦必勝に願を懸ける神社にも興味を持つようになり、城と併せてお参りしたくなります。

興国寺城跡(静岡県沼津市) 穂見神社 Copyright par K.O

 特に城跡は建物も何も残っていないので、当時の櫓や大手門などを想像する楽しみがあります。O氏が感動した興国寺城跡は遺跡ではありますが、実際に行ってみれば、歴史上の人物だった北条早雲が実在したという実感をつかむことが出来たと思います。(小生は行ったことがないので、いつか行ってみたいと思っています。)

 現存12天守や大坂城、名古屋城などは入場料が必要ですが、山城のほとんどは無料で入ることが出来て、誰にでも開放されているところが魅力です。

 別にお城は歴史学者さんらの独占物でも何でもありませんから、庶民でも大いに知的に楽しめばいいのです。と書きながら、私は読者の皆さんにもお城廻りを趣味にするよう「洗脳」しております(笑)。

 

新生《渓流斎日乗》、タイガーマスクさんのお蔭で復活しました

 本日、ここ1カ月間もの長い、長い間、個人的に苦しめられていましたGoogle アドセンスの申請がやっと出来ました。

 これもこれも、覆面レスラーのタイガーマスクのような篤志家のお蔭です。本当に信じられませんが、最初から最後までボランティアでやって頂きました。覆面レスラーなので、お名前も、どういう方なのかも、このブログでは詳しく書けませんが、仮にお名前はMさんと呼ばせて頂きます。勿論、コンピュータ専門技師で、マイクロソフトなど大手IT企業の大幹部とも顔馴染みのITコンサルタントです。

 私は運が良いのか、天のお導きで、Googleアドセンスのフォーラムで知り合うことが出来ました。大変失礼ながら、ほんの少しだけ変わった方で(本当にごめんなさい)、「私はお助けマンでもレスキュー隊でもありません」と仰ったり、「Googleアドセンスを単なる宣伝目的のお金儲けのためだけの人でしたら、助言するつもりは全くありません」と厳しく仰ったりしました。それでも、私とはこの1カ月近く、フォーラムで90回以上もメールのやり取りをしてくださったのです。

 90通以上もやり取りをした、というのは、細かい専門的な話ですが、プラグインの無効化とか、SiteKitでの申請に際しての、必要なチェックの入れ方とか、レンタルサーバーのセキュリティの問題とか、何度も何度も試行錯誤で試してきたということです。お蔭様で、スクリーンショットの画像の撮影はベテランの域に達しましたが(笑)、それでも、設定がうまくいかなかったということです。

 私もその度に、喜んだり、意気消沈したりし、もうこんな苦しいんだったら、もうブログなんかやめてしまおうと何度思ったか分かりません。

東銀座「ふらいぱん」ハンバーグ定食(珈琲付)1100円

 そしたら、Mさんが、「最後の手段」として、Google MeetというZoomのようなリモートを使って、私のサイトの画面共有して、同時進行で作業を進めて行きましょう、と提案してくださったのです。(Mさんは、Google Meet の方が、Zoomより遥かにセキュリティがしっかりしていると強調されていました!)

 Mさんの御提案に、私は天にも昇る気持ちになりましたが、さすがに、ここまで来たら、ボランティアでやって頂くわけには行きません。そこで、私がそれとなく手数料をお支払いしたい旨を提案したところ、「私のクライアントさんは大企業のビジネスクラスの方が多く、正直申し上げて、コンサルティング料はかなり高額です。個人の方にはその旨をお伝えして、事前に契約書に記入して頂くことになります。」と仰るのです。私は血が凍りつきました。どうやら、このMさんは世界でも5本の指に入る超一流のIT技術者で、世界の大企業から引っ張り凧の有名な方だったようです。当然ながら、超多忙です。

 となると、私のような無名の庶民ではとても払いきれませんので、諦めかけました。ところが、頂いたメールの先をよく読んでみると、「乗り掛かった舟ですから、私の性分で、このまま舟を乗り捨てるわけに行きませんから、続行致します」と仰るではありませんか! 実は、Mさんは私との90回以上のフォーラムとメールでのやり取りの中で、私の個人的事情(私のブログのフォーマットを作成してくれた高校の後輩でIT会社社長の松長哲聖氏が急逝したため、サーバーの引っ越しを余儀なくされ、全く素人の私がイチから、ITの設定に追い込まれているといった事情)を汲んでくださったからだと思われます。

 何よりも、これは自分の勝手な思い込みですが、Mさんがこの《渓流斎日乗》をお読み頂き、もう20年近くも続いているブログがこのまま廃業してしまうのは惜しいと思ってくださったのではないかと想像しております。あくまでも、想像ですが、そうでなければ、ここまで会ったこともない見ず知らずの人間に手を差し伸べたりすること自体があり得ないからです。

 勿論、私は個人的に、Mさんの御厚情と恩義に感謝し、お返ししたいと思っているのですが、Mさんは「それはお気持ちだけ受け取っておきます。」としか述べないのです。こんな奇特な方がこの世に存在し、私のような人間と巡り会うとは奇跡に他ありません。他の人ではこんな幸運に巡り会うことはないと思います。大袈裟な書き方ですが、そうとしか言いようがありません。

 そして、本日、Googleアドセンスの設定をSiteKit ではなく、他の方法で設定して頂いたのですが、何と、わずか数分で終わってしまいました。本当に5分も掛かりませんでした。唖然、呆然ですよ! 今まで苦労したこの1カ月間は一体何だったのか? 僕の青春を返してくれ!といった心境になりました。

 もっとも、私はもう高齢者ですから、青春も何もないのですが、これで、残された人生、ブログを出来る限り、書き続けて行こうという気持ちになりました。これからも、皆様の応援、御支援の程、宜しくお願い申し上げます。

(注=M氏のお言葉は意訳で、本人のお言葉そのものではありません)

斜陽日本は、GDPで世界下位に転落?=いや大したことではありません

銀座「マトリキッチン」日替わり定食1100円

 新聞各紙の昨日(2月15日)の夕刊と本日(16日)の朝刊のトップ記事は「日本GDP 4位に転落」です。内閣府の発表によると、2023年の名目国内生産(GDP)が591兆4820億円で、1967年以来56年ぶりにドイツを下回ったというのです。(私はビートルズ・フリークなので、1967年というと「サージェント・ペッパーズ」の年だと思ってしまいます。)

 私は、クジ運も、商才も、博打運も全くなく(笑)、経済にも疎いのですが、専門家の皆さんは、個人消費の減少が要因で、ドイツも景気低迷しているので円安の影響があるなどと述べていました。でも、識者コメントの中では、16日付毎日新聞朝刊に載っていた小野善康・阪大特任教授の話が素人には、異色で一番分かりやすかったでした。

 小野特任教授によると、いまだに日本は世界でもトップクラスの大金持ちで、GDPが増えなかったのは、日本全体として新しいモノやサービスを必要としておらず、「お金をためておきたい」と考えているからだというのです。ハハ~ン、お金持ちはケチですからねえ(笑)。それに、今やGDPは豊かさを示す指標ではなく、他国と順位を競うことに何ら意味がない。国際順位に一喜一憂するより、国民一人ひとりの生活の質を引き上げることの方が重要だというのです。

 なるほど、実に分かりやすく、ご尤もです。あの「21世紀の資本」の著者トマ・ピケティさんも「GDPはもはや実態にあった経済指標ではない」といった趣旨のことを書いていましたからね。

 2025年にはインドにも抜かれて日本は世界5位に転落するとも言われていますが、小野特任教授が主張する通り、一喜一憂することはないということです。

 そして何よりも、「国民一人ひとりの生活の質を引き上げる」というのは政治家の仕事です。しかし、その今の政治家たちは、裏金づくりに勤しんでいるだけで、国民の生活のことなど一切考えていません。

 そういう政治家を選んだのは国民であり、国民の政治に対する無関心が今の体たらくを生んだといっても過言ではありません。

 今、そのしっぺ返しを喰らっているというのに国会前でデモ運動する市民もなく、哀しいものがあります。

残念!「ブラタモリ」終了

 NHKの人気番組「ブラタモリ」が3月末で終わってしまうんですね。とても、残念です。「目から鱗が落ちる」ような話がふんだんに用意されていて、とてもタメになったからです。

 それでも、番組当初はその存在すら知りませんでした。タモリと女子アナとの掛け合いも見どころですが、初代アシスタントの久保田祐佳さんも2代目の首藤奈知子さんも見たことがありませんでした。番組を見始めたのは、3代目の桑子真帆さんからでした。彼女は頭の回転が速く、最初はとまどっていたのに、どんどん知識を吸収して成長していく様が見ものでした。3~4年間担当していたと思っていましたが、2015年4月からわずか1年しか担当していなかったんですね。ブラタモリといえば、桑子ちゃんというイメージが強かったので意外でした。今では、「クローズアップ現代」を担当するなど看板アナです。

 4代目の近江友里恵さんは16年4月から2年間担当しましたが、一番好感が持てる人でした。天然ボケに見せかけて、裏ではかなり勉強していることが分かりました。でも、そういう人に限ってNHKを退局してしまうんですね。18年4月から担当した5代目の林田理沙さんは東京芸大ピアノ科卒という異色のアナウンサーで博士号まで取得しているところが凄い。門外漢の地学や地球物理学には苦手意識丸出しでしたが、彼女も努力家で凄い成長して惜しまれて降板した感じでした。20年から2年間担当した6代目の浅野里香さんは近江アナより天然ボケで肩肘を張らない物おじしない所が良かった。そして22年から担当している現在の7代目の野口葵衣さんは、場違いな感じがしましたが、気が付かないうちに溶け込んでいったところ凄い。

東銀座

「なあんだ、お前は女子アナしか注目しなかったのか」と言われそうなので、弁解しますが、非常に勉強になりました。岩石のチャートなんて、この番組で初めて知りました。タモリは岩石マニアなので何でも知っていて、講師の案内役を驚かせていましたが、事前にかなり情報を仕入れて彼は台本通りに喋っていたと、性格が悪い私は推測してます(笑)。

それに、道を歩いていて、変に蛇行していたり窪んだりしていると、「ははあん、ここは元々は川が流れていて今は暗渠になってるんだなあ」と推理を働かせるようになりました。

番組は事前の下調べから始まって案内役の選定に至るまで、かなりお金をかけていたことがそのスタッフの多さで分かります。あんな番組、一人しか取材に行かない新聞記者では無理だし、民放でも作れません。スタッフが有り余っている天下のNHKだからこそ作れるのです。

 前回放送された「鎌倉」は、もう、種が尽きたかと思ったら、知らないことばかり。特に、極楽寺は、元寇の頃から作られ、西日本がもし元に占領された時を見込んで、興福寺や那智大社や東大寺の大仏まで模して鎌倉に作っていたとは驚きでした。

また、金沢文庫には、国宝が2万点、世界に一つしかない蔵書も何点もあるということで、歴史を後世に伝えた金沢北条氏と称名寺の影に隠れた貢献には感動しました。

もっと北条氏を再評価していいですよね。

SNSは疎外感を増大する

 ちょっと前にこの渓流斎ブログに書きましたけど、私はFacebookをやめました。Facebookがヒトの個人情報をただで収集して、小賢しく再利用する「広告メディア」だという正体を見破ったことと、性的羞恥心をくすぐるような動画投稿が増えてきたことと、友達の友達のそのまた友達らしき女性からメッセージが送られたりして気持ち悪く感じたりしたのがその主な理由です。

 そう、何よりも「SNSは疎外感を増大する」と確信したからでした。友達が増えて「いいね!」してくれるから万々歳どころの話ではありません。本人は全く意識もなくその気も何もないのですが、高級装飾品を身に付けた写真をアップしたり、京都の豪華・会席料理の写真だったり、高級外国のスポーツ車の写真をアップしたりしていて、そういう写真や動画を見たりすると自分の惨めさが倍増してしまうのです。

 別に、高級車に乗りたいとは思いませんが、大変失礼ながら、今挙げた写真は、「友達」とはいっても特別に緊急に必要とする情報でもありません。私はミヒャエル・エンデの「モモ」が大好きなのですが、SNSとは「時間どろぼう」だと確信したのです。

 今の子どもたちは不幸です。SNSで中傷されて自殺するような子どもたちが世界中に多くいると聞きます。先日(1月31日)FacebookのザッカーバーグCEOも米議会上院の公聴会に呼びつけられて、「SNS上の有害なコンテンツから子どもを守る対策が不十分だ」として謝罪に追い込まれました。

 老人の繰り言に聞こえるかもしれませんけど、「昔は良かった。SNSがなかったからねえ」と低い声でつぶやきたくなります。

 今の世の中で、生きづらさを感じるのはSNSのせいではないでしょうか?

 そしたら、先日、高校時代からの友人のH君(同い年)からメールがあり、「僕はガラケーだし、LINEも旧ツイッターもインスタグラムもフェイスブックもティックトックもやらない。SNSには縁がない。気楽な人生で幸せ者です」と時宜を得たような返信があったのです。別に用件は、SNSの話では全くなかったのに、いつの間にかSNS不要論の話になっていました。

 彼は、今どき、スマホを持たず、ガラケーだとは、アンモナイトの化石のような人生ですけど、彼一流の美学というか、人生観なのでしょう。

 「SNSに縁がないと気楽で幸せ」ーというH君の言葉は、この渓流斎ブログの愛読者の皆さまには是非ともお伝えしたいと思いました。