祝! 50万アクセス突破!!=島崎藤町作「五輪前」ー既に綻びが

 おおー!いつの間にかページビューの総合アクセス数が50万を突破しておりました!おめでとう御座います!意外に早かったでしたね。今月末か来月には到達されるのではないかと予想しておりましたが、小生のほぼ誕生日の日に記念のアクセスが達成したとは二重の喜びです。

 これも、すべて皆様のお蔭で御座います。いつも繰り返し書いておりますが、この渓流斎ブログをgooブログで書き始めたのは2005年3月で、途中病気で入院したりして消滅したりしましたが、2017年9月から松長哲聖氏の全面的ご指導で、独立サイトを立ち上げ、今に至っております。何も宣伝も、宣撫活動もしていないのに、4年弱で50万アクセスです。この「4年で50万」という数字を、もしもという仮定で想像しますと、この渓流斎ブログが2005年に開始して今年で16年になりますから、16年が4年の4倍なら200万アクセスとなります。無名のブログにしては、これは驚異的な数字ではないでしょうか?

 50万アクセス記念の祝賀会でも開きたいのですが、さすがこのコロナ禍では諦めざるを得ません。仕方ないので、ヴァーチャルで今から盛大に開きましょう!

 ということで、私は、この日のために用意した、ナポレオンがこよなく愛していたと言われる「シャンベルタン」(2016年=仏ブルゴーニュワイン)を開けてしまいました(笑)。

 シャンベルタンにはピンからキリまでありまして、皇帝御用達のシャンベルタンは恐らく、3万円はくだらないと思いますが、小生が買い置いたジュヴレイ・シャンベルタンは5000円。年金生活者にとっては「清水の舞台から飛び降りる」ほどの決断ではありましたが、何と言う芳醇で、なめらかで美味しいワインだこと!!値段だけありました(笑)。昼間から酔っ払ってしまいました。これが、本当のワインだったんですね。今まで飲んでいたのは何だったのか?

 本日は、海の日の祝日と間違えて会社を休んだわけではありません。昨日の誕生日で高齢者の仲間入りとなったため、午前中は、年金給付のことで地元の年金事務所に行って来たのです。私は民間のサラリーマンではありますが、「老齢厚生年金」と「老齢基礎年金」の二階建てになっていて、受給を繰り下げ(先送り)すると、その分、割り増しになるのです。70歳からもらうと実に42%増、75歳だと84%も増額されるのです。しかし、その間、給付金はゼロですから、よほど貯金がなければなければ生活していけないし、70歳前に死んでしまっては元も子もありません。年金もらえず、はい、おしまい。

 で、私の場合、どうしたかと言いますと、老齢厚生年金は丸々貰い、老齢基礎年金だけを3年間先伸ばしにすることにしました。3年後に25.2%増になるといいます。年金事務所の窓口で説明を聞いて、シミュレーションの金額を聞いてから、即断即決したのですが、おウチに帰って、冷静になって書類を再読したところ、「総受給額逆転年月」が79歳11月。つまり、80歳以上生きないと元が取れないということが分かりました。私の父親は79歳で亡くなっているので、うーんギリギリかなあ、と思っています。年金で国家破綻するんじゃないかと言われてますから、日本国家になるべく迷惑を掛けずにおさらばしたいので、これがギリギリの貢献かな、と思っています。

 それに、あのスーパーボランティアの尾畠春夫さんは月5万5000円しか年金を貰っていないのに「やりたいことをやるのに足りるので十分です」とまで仰っているんですからね。頭が下がるばかりです。

 さて、東京オリンピック、IOC貴族による政略で、半ば強制でやっちまうようですが、開催前から綻びが出ています。東京五輪の電気技師スタッフとして来日していた米国と英国籍の男4人がコカイン所持で麻布署で逮捕されたり、ウズベキスタン国籍の大学生(30)が何と五輪の聖地国立競技場で、20代の女性に性的暴行を加えたとして、強制性交等容疑で警視庁組織犯罪対策2課に逮捕されたり、と唖然とする事件が続発しています。

 何と言っても頭に来るのは、コロナ感染拡大になっても決して責任は取らないIOC貴族の日当が10万円だという話です。ワイの月収やないけ!しかも、彼らは、どうせ、帝国ホテルかオークラ辺りの超高級ホテルに滞在して優雅な生活を送って、競技場まではお抱え運転手から送り迎えしてもらうだけでしょ? 五輪なんて、所詮、ぼったくり貴族による見世物だということを暴露してくれました。

 コロナ感染も「水際対策」のはずが、もう既に、選手村や地方滞在先で、18日現在、58人の大会関係者の感染者が出たと発表されています。が、五輪組織委も実体をつかめていない感染者もいるようで、実際はもっといるのではないかと言われています。

 取材のメディア関係者も怪しい(笑)。彼らは決して、品行方正、聖人君子じゃありませんからね。コロナとは関係ありませんが、私のマスコミの先輩なんか、飲み屋で、地元のヤクザと大喧嘩してボコボコにやられて、お岩さんのように顔がはれ上がった顔で、翌日のプロ野球キャンプを這って取材に行き、あの広岡監督から「あいつは大したタマだ」と褒め上げられた伝説の人でしたからね。美男美女が多い東京で羽目を外さない海外のメディア関係者がいたら賞状ものですよ(笑)。

14歳にして心朽ち、心だけは永遠の14歳

ヤブカンゾウ

 ひょっえーーー、です。

 7月18日は迂生の誕生日です。とうとう、高齢者の仲間入りになってしまいました。我ながら信じられない! 還暦になったと思ったら、あっという間です。この分ですと、残りの人生もあっという間に過ぎてしまうかもしれません。

 フェイスブックという嫌なSNSをやってしまったせいで、信じられないくらい多くの方からお祝いのメッセージが届きました。すみません、と言うしかありません。

 メールからもお祝い頂きました。御礼申し上げます。

 高齢者になったとはいえ、実は精神年齢は14歳です。14歳の時の方がもっと精神的に老けていました。東京郊外の田舎の中学2年生でしたが、このまま最難関の都立高校に入って、東大を目指して、国家公務員になるといったエスカレーターの人生を歩もうとする自分自身がどういうわけか許せなくなってしまったのです。何をしても虚しい。自分の将来がどうなってしまうのか、さっぱり未来像は描けませんでしたが、反骨精神が頭をもたげ、勉学を全て放棄してしまいました(単に遊び惚けてしまった、というべきか=笑)。

 よく、悪友の中下君と一緒にビリヤードをやったり、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」を聴いたり、煙草を吸っておまりさんに補導されたりしました。

 それは、虚無感に近い老成観でしたが、あの14歳があったからこそ今の自分があり、職業も反骨精神が生かせる記者になることができました。生まれ変わっても記者になりたい!(笑)

 ちょっと古い話ですが、「週刊現代」の3月13日号が「65歳になったら、ぜんぶ『やめる』『捨てる』『手放す』」の大特集をしていました。曰くー。

・いい年になったら、ネットやスマホから離れる

・病院通いも人間ドックもやめる

・サプリや健康食品を絶つから幸せになれる

・しがらみと他人の目がなくなったら、どこまでも自由になれる

・子供や孫には、もう期待しない。おカネも渡さない

・家は売らない、老人ホームなんて入らない

・冠婚葬祭はもういいよ

・株や投資信託で、最後に失敗する人たちの悲劇

うーーん、このうち、いくつできて、いくつリスクから回避できるでしょうか?

 今年は4月に高校時代からの大親友が急に亡くなってしまい、しかも、亡くなって10日間も彼の死を知らず、大変落ち込んでしまいましたが、「救世主」も現れました。その話は、語れば3日間も掛かるのでやめておきますが(笑)、お蔭様で、これからは、明るく前向きに生きていこうと心に誓うことができました。

 この渓流斎ブログも、キリの良い「50万アクセス」まで、あともう少しです。ということで、もうしばらく、皆様にはお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。

「天地間無用の人」の幕臣時代=成島柳北

 「われ歴世鴻恩を受けし主君に、骸骨を乞ひ、病懶(びょうらん)の極、真に天地間無用の人となれり。故に世間有用の事を為すを好まず」

 成島柳北(なるしま・りゅうほく=1837~1884年)の「濹上隠士伝」の有名な一節です。「天地間無用の人」とはあまりにも激烈な言葉です。幕末、第十三代将軍徳川家茂、十四代家茂に直に四書五経等を講じる「侍講」という重職に就く幕臣だった成島柳北は、維新後、和泉橋通りの屋敷からも逐われ、隠居の身となります。まだ朝野新聞社長として活躍する前の話です。(ちなみに朝野新聞社は、東京・銀座4丁目、今、服部時計店「和光」が建っているところにありました。)

 明治の反骨ジャーナリスト成島柳北について、今では知る人も少ないでしょう。彼の次兄(大目付森泰次郎)の孫が俳優の森繁久弥だということぐらいなら御存知かもしれません。私は、彼の幕臣時代の活動について、全く知らなかったのですが、古書店で手に入れた前田愛著「成島柳北」(朝日新聞社、1976年6月15日初版)でその概要を知ることができました。この本、漢文をそのまんま引用だけしている箇所があまりにも多いので、意味を解釈するのが困難で、難しいったらありゃしない(笑)。私も1970年代の大学生ではありましたが、当時、そんな漢籍の素養があった学生は多くはいなかったと記憶しています。訳文がないので、この本はスラスラ読めません。

中津藩中屋敷跡に建つ立教学院発祥地の碑

 でも読み進めていくうちに漢文の文語体は何とも言えない快楽になり、まさに江戸時代の日本人と会話している気分にさせてくれます。意味が分からなければ、漢和辞典で調べればいいだけの話でした。

 「天地間無用の人」は成島柳北が発明した言葉だと思っていたのですが、どうやら先人の寺門静軒(1796~1868年)が「江戸繁盛記」の冒頭で書いて自称した「無用之人」を踏襲したようです。寺門静軒は水戸藩士の庶子として生まれたため、結局、水戸藩に仕官できず、自らを「無用之人」と称して、儒学者として生涯を過ごした人です。代表作「江戸繁盛記」は評判を呼びますが、天保の改革で悪名高い鳥居耀蔵によって「風紀を乱す」との理由で、絶版にさせられ、寺門静軒自身も江戸市中から追放処分を受けます。

 時は幕末。浅薄な尊王攘夷思想にかぶれた勤王の志士たちが血生臭い闘争に明け暮れていたイメージが強かったでのすが、成島柳北ら文人墨客グループは、隅田川に舟を泛べて漢詩を詠い、楼閣に登って芸妓と戯れます(「柳橋新誌」)。そんなヤワなことをしているから、佐幕派は薩長の田舎侍に敗れたのだ、とだけは言われたくないですねえ(笑)。漢籍と芸事は武士の嗜みであり、江戸文化の華でもありました。そんな文人成島柳北も、小栗上野介(1827~68年)や栗本鋤雲(1822~97年)を中心に幕府が導入したフランス式軍隊の騎兵頭に指名されたりします。

東京・築地

 その前に、成島柳北が属した文人墨客サロンの中心人物は、代々将軍の侍医を務める桂川甫周でした。桂川甫周といえば、前野良沢、杉田玄白による「解体新書」の翻訳作業に従事した蘭方医として有名ですが、あれは18世紀後半の明和の時代ですから合わない…。こちらは四代目(1751~1809年)でした。成島柳北の友人の同姓同名の方は、七代目(1826~1881年)でした。七代目甫周も蘭学者でもあったので、江戸時代最大のオランダ語辞書「和蘭字彙」を完成させます。ちなみに、安政年間になると蘭学に代わって英学が台頭し、洋書調所から「英和対訳袖珍辞書」が文久2年に出版されますが、この辞典の訳語の60%が「和蘭字彙」からの借用だったといいます。

 漢詩人大沼枕山(1818~91年)を通して、漢学者大槻磐渓(1801~78年)、書家中沢雪城(1810~66年)、儒者春田九皐(はるた・きゅうこう、1812~62年、浜松藩士)、儒学者鷲津毅堂(1825~82年、永井荷風の外祖父)らと交遊を持っていた成島柳北は、11歳年長の桂川甫周のサロンで、語学の天才柳河春三(やながわ・しゅんさん、1832~70年、尾張藩出身の洋学者)や神田孝平(1830~98年、洋学者、長野県令)、宇都宮三郎(1834~1902年、尾張藩士、洋学者、化学者)らと知り合うことになります。もう一人、忘れてはならないのは福沢諭吉で、彼が咸臨丸の遣米使節に参加できたのは、桂川甫周の推薦だったといいます。

 もっとも、福沢諭吉の方は、舟遊びや芸妓に傾倒する成島柳北らとは一線を画していたようで、桂川甫周の次女、今泉みねは明治になって80歳を過ぎて、「福沢さんは、どうも遊び仲間とはちがふように私の頭に残っています。始終ふところは本でいっぱいにふくらんでいました」と回想しています。(「名ごりの夢」)

 さすが福沢諭吉、緒方洪庵の大坂適塾の塾頭を務めたぐらいですから、かなりの勉強家だったのですね。その福沢諭吉が幕末に大坂から江戸に出て、最初に行ったのが、中津藩上屋敷。何と今の銀座にあったのですね。汐留に近い今の銀座8丁目14~21辺りで、鰻の竹葉亭本店や近く取り壊されると言われる中銀カプセルタワービルなどがあります。何か碑でもあるかと私も歩き回って探しましたが、見つけられませんでした。

中津藩江戸中屋敷

 でも、上屋敷に着いた福沢諭吉は「中屋敷に行くように」と指示されます。中津藩の中屋敷は今の築地の聖路加国際病院がすっぽり入ってしまう広大な屋敷で、福沢諭吉はここで、最初は蘭学の塾を開きます。それが、横浜に行って異人と会話してもオランダ語がさっぱり通じないことから、英語の勉学に変えていくのです。勿論、ここが慶応義塾の発祥地となります。ここから桂川甫周の屋敷と近かったため、福沢諭吉は、本を借りるためなどで桂川邸を行き来していたわけです。

中津藩中屋敷跡に建つ立教女学院発祥地の碑

 明治から昭和にかけて活躍した作家の永井荷風(1879~1959年)は、外祖父鷲津毅堂も交際していた成島柳北(の死後)に私淑し、「柳北先史の柳橋新誌につきて」などの作品を発表し、柳北若き頃の日記「硯北日録」などを注釈復刻しようとしたりしました。荷風ほど江戸の戯作文学に憧憬の念を持った人はいないぐらいですから、江戸文学の血脈は、寺門静軒~成島柳北~永井荷風と受け継がれている気がしました。

🎬仏映画「デリート・ヒストリー」は★★★★★=フランスらしい辛辣な風刺

 本日7月14日はパリ祭。フランス革命から232年という中途半端な年ではありますが、フランスでは盛り上がっていることでしょう。

 昨晩は、久しぶりに面白いフランス映画を観ることができました。「デリート・ヒストリー」というタイトルだけでは、全く内容が想像つかず、全く期待していなかったのですが、実に面白かった。現代のスマホ社会を痛烈に、辛辣に風刺した、ハリウッドではとても作れない力作、佳作、会心作でした。

 それもそのはず。昨年のベルリン国際映画祭での銀熊賞(審査員特別賞)受賞作でした。昨年の東京国際映画祭の上映作品でもあり、ネット公開されましたが、コロナ禍でいまだ劇場公開はされていないそうです。私自身は、日仏会館を通じて、ネット配信で観ました。ネタばらしは反則ですが、ネット等で公開されている粗筋ぐらいなら良いでしょう。 

 ベルギー国境近いフランス北東の低所得者向け地域に暮らす男女3人が主人公。ネット社会に踊らされ、いずれもお金の問題で悪戦苦闘。我慢の限界に達した彼らは、無謀な報復作戦を決行するが…。便利なはずのネット情報機器が格差社会に及ぼす弊害を描く社会派コメディー。

仏映画「デリート・ヒストリー」左からコリンヌ・マジエロ、ドゥニ・ポダリデス、ブランシュ・ギャルダン

 まあ、そんな内容です。ブノワ・ドゥレピーヌBenoit Delepineとギュスタヴ・ケルヴェンGustave Kervernによる監督、脚本。私は初めて聞くお名前ですが、お二人のシナリオが実に自然体で、現実にあり得ないことなのに、観客にあり得るように信じさせる力があって素晴らしい。

 主役は、離婚したばかりで、自らのハチャメチャな行動で騒動を巻き起こすマリー役のブランシュ・ギャルダンBlanche Gardinと、娘が学校でネットいじめを受けて悩みながら、コールセンターの女性に一方的に好意を抱くベルトラン役のドゥニ・ポダリデスDenis Podalydes、そして、乗客の評判を気にするネット配信タクシーの運転手、クリスティーヌ役のコリンヌ・マジエロCorinne Masieroの3人。大変失礼ながら、いずれも初老に近い中年後期の俳優で、魅力がある美男美女とは言えません。かつてのフランス映画と言えば、アラン・ドロン、カトリーヌ・ドヌーヴに代表されるように美男美女があれこれした、というイメージが強かったので、演技派俳優たちの熱演には感動しました。彼らはフランス本国では超有名人なんでしょうけど、私は知らなかったなあ。なかなか味がある名優でした。

 とにかく、いかにもフランスの伝統らしい風刺が盛り沢山です。現代の時事ニュースをふんだんに取り入れた内容で、AI(人工知能)やネット投稿拡散の脅迫、「黄色いベスト運動」(ジレ・ジョーンヌ Gilets jaunes)や社会福祉詐欺なども出てきます。これらはフランス国内だけが抱える問題ではないので、日本人が観ても納得します。特に、主人公たちが「くそったれ、GAFA!」と叫ぶ辺りは、結局、ドン・キホーテのような無謀な結果に終わりそうですが、「なあんだ、何処の国でも、ネットやスマホによる弊害に苦しんでいるんだなあ。ハリウッド映画が言えないことをよくぞ言ってくれた」と拍手喝采したくなります。

 でも、社会風刺コメディーなので、あれこれ考えず、観て笑い飛ばせばいいと思います。

 フランスでは、作られる映画の7~8割は、パリが舞台になっているそうで、このように地方を舞台にした映画は珍しいといいます。でも、21世紀になり、案外、何処の国でも世界の名作、傑作映画は地方都市が舞台になるかもしれません。

騙すのが悪いのか、騙されるのが悪いのか

 昨日のブログで「私も、かつて多くのプロ野球選手を取材したことがありますが、超一流選手になればなるほど、記者泣かせの傲岸不遜の人が多かったものです。」書いたところ、友人のA君から個人メールで「その選手って誰ですか?是非知りたい」と言って来ました。

 ブログでは「口が裂けても選手名は言えない」と書いておきましたが、個人メールなら、そっと教えてあげました。そしたら、A君は「知らなかった。情報有難う」と直ぐ御礼の返信がありました。

 この時、思ったのは「あれっ?世間の人は実態を知らないんだ。テレビやマスコミを通した虚像しか知ることができないんだろうなあ」と再認識したことでした。

 例えば、超一流のX選手なんかは、ロッカールームで某通信社のK記者しか取材に応じないため、他社は、平身低頭、K記者を通してX選手の談話をもらって原稿を書かざるを得ませんでした。ですから、いくら後世に残る大記録を樹立しても、ほとんど全員の担当記者がX選手のことを嫌悪していたという話は、スポーツ記者ならほぼ全員が知っている常識でした。

 でも、マスコミの常識は世間の非常識ですから、普通の人が知らないのは当然なのかもしれません。

ヤブカンゾウ

 私も、マスコミの末席で録を食んできた人間なので、世間の普通の人が知らないことを沢山知ることができました。具体的な名前やスキャンダル(ほとんどお金か異性がらみ)は、ブログに書けませんし、書きたくもありませんが、若年層が、夢にまで見るほど、盲目的に憧れる芸能界やスポーツ界に対してはすっかり冷めて、「知らなければよかった」と思ったほどでした。と、正直に書いておきます。

 テレビやラジオに出演して偉そうに解説したりコメントしている人の中で、個人的に知っている人がいれば、いわゆる「お里が知れている」わけですから、当人が如何に傍若無人な傲慢な人間で、金銭に汚く、目立ちたがり屋の野心の塊であることまで知っているので、すぐさまチャンネルを変えることにしています。

 世間の人は何も知らないわけですから、テレビに出るから立派な人なんだと思っているだろうなあ、と考察しています。

 最近では、テレビ番組で、実はタレントの親族が経営している飲食店なのに、たまたま通りかかったかのように見せかけて、その店を宣伝する「ステルスマーケティング」(ステマ広告)が流行っているようです。

ヤブカンゾウ

 そして、驚くべきことに、「暗号通貨投資」だの「絶対損しないAI投資株」だのと甘い言葉に騙されて、今になっても詐欺商法に引っかかるインテリの皆様が後を絶ちません。豊田商事事件(2000億円)、安愚楽牧場事件(4200億円)などといった大型詐欺事件があって世間は大騒ぎしたというのに、人はすぐ忘れてしまうんですね。

 世間の人は、騙されても懲りないというか、騙されることが大好きなんだなあと思わざるを得ません。

 とは言いながらも、私は世間の皆様に訓示を垂れるような立派な人間ではありません。私が騙されたら大いに笑ってください。

 

大谷選手に触発されて=何事も明るく前向きに

 大谷さんの活躍から目が離せません。

 大谷さんとは、勿論、米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手(27)のことです。7月12日現在、投げては4勝1敗、打っては両リーグトップの33本塁打と、投打の二刀流で大活躍です。ちょうど100年前に投打で活躍したベーブ・ルースの再来、とも言われ、いや、人気、実力ともにベーブ・ルースを超えるのではないかと言われるほどです。

 最初は、現代という時代で、二刀流なんかできるわけがない、と懐疑の目を向けていた米国市民も本気で大谷の活躍に目を見張っています。100年前と言えば、スペイン風邪が世界的に大流行した頃です。パンデミックという災害の裏で、100年に一度出るか出ないかの大ヒーローが出現するとは、奇妙な一致に驚くばかりです。

 大谷選手の素晴らしいところは、野球だけでなく、その謙虚な人柄です。私も、かつて多くのプロ野球選手を取材したことがありますが、超一流選手になればなるほど、(誰とは口が裂けても言えませんが)質問に答えてくれなかったり、特定の記者だけにしか取材に応じなかったり、記者泣かせの傲岸不遜の人が多かったものです。それが、大谷選手は、記者だけでなく、ファンに対しても人当たりが良いようで、悪い評判は聞かれません。何と言っても、他球団のライバルからも一目置かれて、サインを求められると言われてますからね。

ただ、逆に、まだ免疫ができていませんから、変な美人局に騙されないか心配です(苦笑)。

ヤブカンゾウ

 どうして、こんな聖人君子のような選手が現れたのでしょうか?よっぽど、親や監督、教師の教育が良かったからなのでしょうか? まず、193センチ、95キロという恵まれたアスリートの体型と運動神経は、親譲りのようです。身長182センチある父親は元社会人野球選手で、少年野球チームの監督、身長170センチの母親は元バドミントン選手ですからね。

 でも、人間、注目されればすぐ慢心しますから、内面的な謙虚な人間性はなかなか作れないものです。それが、テレビでチラッとやっていたのですが、大谷選手は小さな頃から、「目標ノート」みたいなものを作って、それに向かって地道に努力してきたようなのです。ノートというよりメモに近いのですが、例えば「球速160キロを投げる」とか「8球団からドラフト1位指名」などといった「目標」を自分に課して、それを実現するためには何をしたらいいのか、自分で考えるといった具合です。

 肝心の「人間性」に関しては、例えば「ゴミ拾い」などのメモがあり、大リーグの試合でも実際にグラウンドにゴミが落ちたりしていると、そっと拾ってポケットに入れたりしているのです。あと、「怒ったら負け」と自分自身に言い聞かせているようです。審判も人間ですから間違えます。しかし、そんな誤審でも覆ることはありません。ボークを取られて抗議したりした試合後のインタビューでも、「不満を言っちゃいけませんね」と自ら反省したりしていましたから、余程、ハードなメンタルトレーニングを課して、精神力が強い人だとお見受けしました。

 つまり、「心・技・体」揃った100年に一度出るかでないかの逸才ですから、そんじょそこらの煩悩凡夫とは違う、ということです。

 そんな私も勿論、単なる煩悩凡夫ですから、毎日、思い悩みながら生きています。

 しかし、そんな哀れな姿を見かねたある人から素晴らしい助言を贈ってもらいました。

 貴方は自分で自分の心を痛めてしまう人なので、何事も明るく前向きにとらえるようにしてください。大丈夫ですよ。あまり心配し過ぎないように。

 確かに、自分の性格は悲観的で暗いことは十分に自覚しています。このブログをお読みになってくださる皆さんにもバレております。例えば、「東京五輪開催後の翌年は、必ず大不況が来る」とか、「もうすぐ首都圏に100年ぶりの大地震が襲い、壊滅的な被害が齎される」といったことをすぐ考えてしまうのです。

 これは長年の職業病といいますか、考え方のクセが身に着いてしまい、なかなか治せない、ということなのでしょう。

 でも、今回、ある方から私の性格を図星されたことですし、少しは、楽観的な思想を志向するように少しずつ、大谷選手のように「目標ノート」でも作って実践してみようかと思ってます。

 手始めは、このブログからですが、明るい話題が見つかるかなあ?ーあ、この時点で悲観的じゃ駄目ですね(苦笑)。

 とにかく、大谷選手と同時代に生まれて彼の活躍を見られて幸せだ、と書いておこう。

談志が愛した銀座の中華料理店

 落語家の立川談志(1936~2011年)が亡くなって、今年でもう10年になるんですね(行年75歳。命日は11月21日)。時間の流れの速さには卒倒しそうです。

 その談志師匠が贔屓にしていた中華料理店が銀座にあるというので、ランチに行って参りました。北京料理「東生園」という店です。場所は、泰明小学校の近くで、ちょくちょく行っていた蕎麦屋「泰明庵」の斜め向かいといったところにありました。

 灯台下暗し、です。

 やっぱり、グルメは脳で食べるものなんですね。旨い、不味いは関係ない(笑)。誰それ有名人が贔屓にした店とか、ミシュランで三ッ星を取ったから、といった「情報」でヒトは、食欲を満たす動物なんですよ。

 私もそんな動物の一人ですから、秘密に仕入れた情報だけを頼りに行ってみました。

東京・銀座・北京料理「東生園」五目チャーハン・ランチ900円

 注文したのは、五目チャーハン。談志師匠がこよなく愛した五目チャーハンは1300円ですが、私が注文した五目チャーハンは、ランチでしたので900円でした。

 うわっ! うまっ!

 北京料理の看板を掲げていますが、とても上品な味でした。今まで食べた五目チャーハンの中でもベスト3には入ります。加えて、給仕してくれるお店の女性も感じが良い。900円ランチは、酢豚から中華風カレーライスまで9種類ありましたから、これから全部制覇しようかしら(笑)。

 談志師匠のグルメぶりには見直しました。

東京・銀座・北京料理「東生園」

 立川談志と言えば、一時閉園の危機から一気に全国的な人気動物園に再建した北海道の旭川動物園の元園長小菅正夫さんのことを思い出します。今から15年以上昔に帯広に赴任していた時に、講演会の講師にお招きしたことがあるのですが、小菅さんは談志の大ファンで、控室で初対面でお会いした時、最初から最後まで談志の凄さを熱っぽく語っていました。北海道で落語会があれば必ず行くと話していました。

 そう言えば、私自身は、彼のこと、テレビやラジオで接しても、寄席で生で一度も見たことありませんでしたね。亡くなった時に、翌日の某スポーツ紙が「談志がシンダ」と回文のような上手い見出しを付けていたのが今でも忘れませんが、「嗚呼、一度くらい見ておけばよかった」と後悔したものです。

◇一期一会の立川談志

 でも、立川談志師匠には一度だけ取材したことがあります。1998年頃だったか、東京・赤坂にある有名な前田病院に検査か入院かで行くという報せがあって、各社の芸能記者が取材に走ったのです。その前年にがんの手術をしたりして、一時「談志死亡説」まで流れていたからでした(その後治癒)。

 報道陣に囲まれた談志師匠は当時62歳。少しやつれて痩せた感じでしたが、口調ははっきりしていて、「皆さん、こんなに集まってくださって、どうもすいませんねえ」とあまりにも低姿勢だったので吃驚。談志と言えば、べらんめえ調で、人をどやしつけるタイプだと思っていたので拍子抜けしてしまったことを覚えています。勿論、その時は、高座に上がった立川談志ではなく、本名の松岡克由という素顔を晒していただけなのかもしれません。

東京五輪、本当に開催ですか?=緊急事態宣言下で

 日本国政府は、7月12日(月)から8月22日(日)まで東京都に緊急事態宣言を発令するというのに、東京五輪は開催ですか…。子どもたちの運動会や修学旅行、それに祇園祭(山鉾巡行)、花火大会、ロックフェスティバルまで中止に追い込まれているというのに、オリンピックならいいんですか?矛盾していますね。一番喜んでいるのは、来日中のIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長でしょうね。

 68歳。ドイツ人ですが、大作曲家バッハとは関係なさそうな「ぼったくり男爵」(”Baron von Ripper-off” by The Washington Post)。1976年のモントリオール五輪フェンシング・フルーレ団体で、西ドイツ(当時)代表として金メダルを獲得した輝かしい経歴があります。文武両道で、本職は弁護士ということなので、弁が立つのは当たり前だったんすね。

 結局、「無観客」で開催されるようですが、IOCにとっては、テレビ放送さえしてくれれば、莫大な放送権料が入ってくるので、痛くも痒くもないんですよね。放送する米NBCだって、スポンサー収入さえ入ればいいわけですから、「過去最高の売り上げ」(ジェフ・シェル最高経営責任者)と万々歳です。それに、「無観客」とは言いながら、スポンサー様に対しては「どうぞ、どうぞ」です。特等席にご招待です。スポンサーだって、「金を払ってるんだから当然の権利」とコロナ禍なんて何処に吹く風?

 結局、オリンピックなんて、スポンサーの、スポンサーによる、スポンサーのためのものだということが、はっきり暴露されました。これでは、古代ローマのコロッセオでの剣闘士の闘い見物と変わらないじゃありませんか。

 そして一番馬鹿を見たのが、開催都市東京であり、政府であり、行きつくところは、日本国民です。無観客なら入場料収入900億円がそっくり入ってこなくなったからです。元々、入場料収入は、IOCにではなく、開催都市の懐に入るはずだったのですが、これがないとなると完璧に赤字です。大きな借金をしてIOC貴族のために立派な五輪用の競技施設を作ってあげて、開催してあげるなんて日本人も大したもんです。そのツケは全て国民の血税として回ってくることでしょう。

 それに、海外から9万人前後の選手団がやってくるわけですから、アルファ型か、デルタ型か知りませんが、感染拡大は必至でしょう。欧米人も「遠く離れた日本開催ならいいかぁ」てな感じです。五輪会場は、人体実験場じゃないんですよ!(福島など4県は有観客だとか)

 所詮、東京五輪なんぞ「捕らぬ狸の皮算用」だったわけです。緊急事態宣言でお酒の提供ができないので、都内の居酒屋の中には五輪期間中でも休業するという店舗もあるようです。勿論、100年に1度のパンデミック襲来を誰にも予想できなかったことですから、保険にも入っていなかったことでしょう。「骨折り損のくたびれ儲け」で終わりそうです。

築地・料亭「わのふ」

 それにしても、日本政府の右往左往ぶりには呆れます。菅首相による緊急事態宣言の記者会見も、以前なら、NHKの7時のニュースに合わせて、金曜日の夜7時に発表していたのに、「それだったら、『チコちゃんに叱られる!』が飛んで、いつも放送が見られなくなる」との国民の声に菅首相は耳を傾けたのか、前回から木曜日の夜7時から発表するようになった、というのは勘繰り過ぎでしょうか?

 「チコちゃんに叱られたくないから、記者会見の日を変えた首相」なんて言われたら格好つかないし、笑われますからね。

 世界に誇る東京・銀座の街並みを歩いても、オリンピック開催という興奮と祝祭ムードが全くありません。大借金を背負うことになった庶民は、カラクリを知っても、啻々、泣き寝入りするしかないんでしょうか?

 でも、スポンサー様も、五輪開催後に確実に襲ってくる大不況(1964年東京五輪の翌年は証券不況が勃発)によって消費が減ったり、控えたりされるので、大きなしっぺ返しを喰うことになるでしょう。

 いずれも他人事じゃないってことです。

 

 

「我は法華経の広宣流布を委ねられた上行菩薩なり」=佐藤賢一著「日蓮」

鎌倉・長勝寺 日蓮聖人像

 佐藤賢一著「日蓮」(新潮社、2021年2月16日初版、1980円)を読了しました。非常に勉強になりました。小説というより、評伝でしたね。ただ、佐渡島流刑から鎌倉に帰宅後、波木井(南部)実長からの申し出により身延山に庵を結ぶことになり、そこで、(第一次)蒙古襲来の報せを受けるというところで終わってしまったので、続編があると思います。

 この本については、既に一昨日(7月6日付)のブログ「法然上人を悪しざまに言う日蓮」で前半(第一部 天変地異)を取り上げていますので、本日は後半(第二部 蒙古襲来)のことを中心に書くつもりです。

 最初に「小説というより、評伝でした」と書いておきながら、やはり、学術論文とは違う作家が創造した小説ですから、善と悪を故意に際立たせた(言って良ければ)作り物の物語になっています。鎌倉の得宗被官筆頭で最高権力者の平左衛門尉頼綱(鎌倉の龍ノ口で日蓮を処刑しようとして果たせず、佐渡島に流刑した)と日蓮との手に汗を握る対決である会話を佐藤氏が傍で聞いていたわけではありませんから、「講釈師、見てきたような…」のあれです。

 しかしながら、大変苦心して書かれた評伝だったので、この本を読んでやっと日蓮があれほど激烈に他宗派を排撃した理由が分かりました。一昨日書いたことと少し重複しますが、「念仏無間」というのは、浄土宗の専修念仏は、ひたすら浄土門に邁進せよと言い、聖道門の法華経は、捨て、閉じ、閣(さしお)き、抛(なげう)て命じるからだといいます。(法然の言うところの捨閉閣抛=しゃへいかくほう=)「真言亡国」は、護摩祈祷で戦勝を祈願した平家も後鳥羽院も敗れたではないか、「禅天魔の所為」とは、禅宗は「教外別伝」(きょうげべつでん)「不立文字」(ふりゅうもんじ)を掲げ、釈迦の説かれた一切経を抛擲し、久遠の仏の教えを聞かないからだというのです。(「律宗国賊」に関しては問答が省略されてました)

鎌倉・妙本寺

 何故、数多あるお経の中で、法華経だけを日蓮が尊重するのかというと、釈迦が「法華経以前に説かれた諸法は方便の経で、真実を明かしていない仮の教えだ」と申しているからだというのです。

 そして、法華経を広める地涌(じゆ)の菩薩を率いる菩薩として、安立行菩薩(衆生を無辺なれども済度する)と浄行菩薩(煩悩は無数なれど断ち尽くす)と無辺行菩薩(法門は無尽なれども知り尽くす)と上行菩薩(仏道は無上なれども成し遂げる)の四菩薩(四弘誓願)がいますが、日蓮本人は、龍ノ口での法難の際に、自分自身は、法華経の広宣流布を委ねられた菩薩の導師の一人、上行菩薩であることを自覚したといいます。

 なるほど、そういうことでしたか。私自身は、どこそこの教団に属す信徒ではありませんが、また、もう少し、法華経に挑戦したくなりました。

 この本を読んでよかったのは、昨年9月に鎌倉の日蓮宗の寺院巡りをしたお蔭で、活字だけで、鎌倉の情景を目に浮かべることができたことです。(2020年9月22日付渓流斎日乗「鎌倉日蓮宗寺院巡り=本覚寺、妙本寺、常栄寺、妙法寺、安国論寺、長勝寺、龍口寺」をご参照ください)

鎌倉・龍口寺

 この本を読んで、まだ行ったことがない、佐渡や身延山に、日蓮聖人の足跡を訪ねて、いつか行ってみたいと思いました。(その前に、日蓮聖人が入滅された東京・大田区の池上本門寺を再訪したいと思います)

 また、この本で、日蓮の師である清澄寺の別当道善房や、日昭(成弁、比叡山同学の日蓮より一歳年長ながら最初の弟子)、日朗(日昭の甥)、日興(実相寺修行僧伯耆房)、日向(にこう=安房出身)、日頂(下総富木常忍の養子)、日持(最初は日興に師事)の六老僧や日行日法(熊王)といった日蓮の直弟子や、四条頼基(金吾殿)、池上宗仲・宗長宿屋光則大学三郎富木常忍といった檀越(だんおつ)のことも勉強させて頂きました。

 日蓮という後世に莫大な影響を与えた偉大な日本人が生きた時代背景には、地震などの天変地異と飢餓と疫病の流行に加え、政争と戦乱と蒙古襲来(他国侵逼=しんぴつ)という日本史上稀に見る「国難」があったということがよく分かりました。安倍前首相が口癖のように使っていた国難とは、あれは何だったのか首をかしげたくなるほどです。

【追記】

 ここまで書くのに5時間も掛かりました。あにやってんでしょうか(笑)。ついでながら、佐藤賢一氏の「日蓮」は、仏法論争の話が中心で、日蓮が一体どんなものを食べていたのか、どんな服装をしていたのか、どんな仏具(真言ではないので金剛杵なんか持っていなかったでしょうが)を備えていたのか、といったことが殆ど書かれていなかったので、気になりました。

 小説ならもう少し俗人的なことを書いてもいいと思ったのですが、宗教家は神聖なのでそこまで書いては駄目なんでしょうか?

 

人の心は移ろいやすい=50万PVまであと僅か

 昨日の閲覧数は、どういうわけか、2074ページビュー(PV)アクセスもありました。普段は、300とか500とか、そんなもんなんですが、どうしちゃったんでしょうか?ー昨日のテーマは、万人受けしそうなものではなかったのですから、どなたかが、このサイトで遊んでネットサーフィンでもしてくださったのでしょうか?

 この分ですと、今月か来月には区切りの良い50万PVアクセスに到達しそうです。御礼申し上げます、としか言いようがありません。

銀座「イタリアン グロッタ」ホエー豚肩ロースのグリルステーキ ランチ1100円

 と、感謝しておきながら、人の心は移ろいやすいものです、と、私はこの頃、しみじみ感じております。男でも女でも、関係なく、人間は心変わりするものです。それが、何か?

 心変わりをされた方が問題なのです。自分は何か悪いことをしたのではないか、と自分自身を責め続けます。これまで親しくしていれば尚更です。しかし、幾ら考えても自分の非を見つけることができません。となると、人の心は移ろいやすい、という結論に達するしかありません。人は幾ら、罵詈讒謗で強権を発動されても、心まで支配することはできません。せめて、面従腹背で、相手は嫌々付き合っているだけです。それでは面白くないでしょう?

 となると、人の心は移ろいやすい、と諦念して新たな一歩に踏み出すべきではないでしょうか。。。

築地「イタリア食堂のら」パンチェッタとズッキーニ、モッツアレラチーズのトマトスパゲティ フォカッチャ、サラダ付きランチ990円

 本日、皆さまにお伝えしたいことは、これだけなのですが、今読んでいる佐藤賢一著「日蓮」(新潮社)によると、日蓮聖人は誰に頼まれたわけでもなく、艱難辛苦と法難を何度も何度も受けながら、まさに国難とも言うべき蒙古襲来の他国侵逼(しんぴつ)を「予言」するなど、毎日毎日、天下国家と民衆の安寧のことばかり考えていたようです。

 それに比べて、渓流斎ごとき煩悩凡夫は実に小さい、小さい。何? 人の心は移ろいやすいだと?ー何を、いつも、ブログで御託と世迷言を並べているのか…我ながら、不憫に思います。

 しかし、真面目に誠実に生きたい。残された人生で、自分が出来ることは何か、この世に生まれてきて、一体、自分の使命は何なのか、を考える毎日です。