法然上人を悪しざまに言う日蓮

 ちょっと酷い言い方なんで聞いてくださいな。

 その人は、名前は出せませんけど、こんなことを言うのです。「歴史学者は、日本史は室町時代から学ぶべし、と述べております。史実として学ぶには、室町以前は資料が乏しい故です。渓流斎翁は、安直に相変わらず信仰の如く『歴史人』を紹介されておられますが、鎌倉時代は、古代同様に、イメージを膨らませて語るしか無いのですよ。」

 「室町時代から学べ」と言った歴史学者は誰なんでしょ? 自分の得意な専門分野だから言ってるだけでしょう。江戸時代を知るには戦国時代を知らなければならないし、戦国時代を知るには鎌倉時代を知らなければならないし、そもそも古代史を知らなければ、「この国のかたち」が分かるわけがありませんよ。安直な人間と決めつけられようとも。

築地・料亭「わのふ」刺身(イナダ)定食1000円 料亭にしては安い!

 ーーと前置きを書きましたが、鎌倉時代を勉強し直して本当に良かったと思っています。先日から読み始めた佐藤賢一著「日蓮」(新潮社)は、思っていた以上に難解で、仏教用語や思想の知識がなければ全く歯が立たず、同時に鎌倉時代の制度や歴代執権、連署らの名前や、弟子を含めた膨大な人物相関図が分からなければ、さっぱり理解できないからです。

 直木賞作家佐藤賢一氏(1968~)については、大変失礼ながら、著作をほとんど読んだことがないのですが、東北大学大学院で仏文学を専攻し、「小説フランス革命」や「ナポレオン」などフランス関係の小説を多く発表されていることぐらいは知っておりました。そんな人が、何で、日本人の、しかも、宗教者の日蓮を取り上げるのかー?専門外で大丈夫なのかしらー?といった興味本位で、この本を手に取ったわけです。

 そしたら、繰り返しになりますが、極めて難解で、当然のことながら、かなり仏教を勉強されている方だということがよく分かりました。「法華経」は勿論のこと、「金光明経」「大集経」「仁王経」「薬師経」、それに、法然の「選択本願念仏集」、日蓮の「立正安国論」…とかなりの経典や仏教書等を読み込んでおられると思われます。

 平安末から鎌倉時代にかけて、戦乱と天変地異と疫病が流行して、世の中が不安定だったせいか、不思議なくらい史上稀にみるほど多くの新興宗教が勃興します。法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、そして日蓮の日蓮宗などです。この中で、日蓮は「遅れて来た」教祖だったこともあり、既成宗派を激烈に批判します。それは「四箇格言(しかかくげん)」と呼ばれ、「念仏無間の業、禅天魔の所為、真言亡国の悪法、律宗国賊の妄説」の四つを指します。

 つまり、専修念仏の浄土宗などを信仰すると、無間地獄に堕ちる。臨済、曹洞宗などの禅宗は、天魔の所業である。真言宗は生国不明の架空の仏で無縁の主である大日如来を立てることから亡国の法である。律宗は、戒律を説いて清浄を装いながら、人を惑わし、国を亡ぼす国賊であるー。といった具合です。

 この本は、まだ前半しか読んでいませんが、特に日蓮の批判の対象になったのが、浄土宗でした。日蓮は、法然房源空が、源空が、と呼び捨てですからねえ。念仏なんかするから、天変地異が起きるのだ。浄土宗なんか、浄土三部経しか認めず、他の経を棄て、西方にいる阿弥陀如来だけを崇めて、東方におわす薬師如来だけでなく、釈迦や菩薩すら否定し、極楽浄土に行くことしか説かない。何で現世で、即身成仏しようとしないのか。それには法華経を信じて「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えるしかない、と一般衆生だけでなく、時の権力者たちに主張します。(最明寺殿こと五代執権北条時頼に「立正安国論」を提出)

銀座・魚金「マグロ寿司」ランチ1000円

 私は、日蓮(1222~1282年)については、亡父の影響で大変興味があり、惹かれますが、法然上人(1133~1212年)は、日本歴史上の人物の中で最も尊敬する人の一人なので、あまり悪しざまに扱われると抗弁したくなります。が、これは佐藤氏の創作ですから、実際に日蓮が発言した言葉とは違うと思われます。しかし、日蓮は、実際に鎌倉の松葉が谷の草庵を浄土宗僧侶や念仏者たちによって襲撃されて焼き討ちに遭ったりしているので、浄土宗を敵視したことは間違いありません。この本は、小説とはいえ、ほぼ史実に沿ったことが描かれていると思われます。

 ただ、小説だから軽い読み物だと思ったら大間違いです。恐らく、事前に大学院レベルの知識を詰め込んでおかないと、理解できないと思います。老婆心ながら。

スマホ中毒者の独り言=アンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」を読んで

 我ながら、自分自身がスマホ中毒だということは自覚しております。中毒というより、スマホ依存症かもしれません。

 まあ、どちらでも同じことですか…(笑)。

 さすがに、他人様に迷惑となる「歩きスマホ」は絶対しませんが、スクランブル交差点での長い信号待ちでは、イライラしてスマホを取り出して、メールをチェックしたり、酷い時にはこの渓流斎ブログを書いていたりしておりました。

 しかし、もうそれは過去のことにしよう、と思っています。

 今、大ベストセラーになっているアンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳「スマホ脳」(新潮新書)を読むと、「そんなことしてられない」と冷や水を浴びせられます。(我々は1日に2600回以上スマホを触り、平均して10分に1度スマホを手に取っているとか!)本来なら、ベストセラー本は、このブログではなるべく取り上げない方針でしたが、(だって、私が紹介しなくても、売れてるんだもん)この本は、意外に面白いというか、もっと言えば、世界的ベストセラーになるだけあって、とても素晴らしい本だということを発見し、書かずにはいられなくなったのです。

 この本は、技術書でも手引書でもなく、1974年、スウェーデン生まれの精神科医から見たヒトの志向、性癖、思考の分析本でした。脳科学、人類学、進化論の書と言ってもいいかもしれません。でも、専門書のような堅苦しさはなく、訳文が良いのか大変読みやすいのです。

銀座・ロシア料理「マトリ・キッチン」日替わりランチ、サラダ、デザート付 1100円

 デジタル・デバイスに関して、人類で最も精通していると思われるアップル共同創業者のスティーブ・ジョブズは、自分の10代の子どもに対しては、iPadの使用時間を制限し、マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツは、子供が14歳になるまでスマホを持たせなかったといいます。これらの機器が若年層に与える弊害を知り尽くしていたからなのでしょう。

 面白いのは、ジャスティン・ローゼンスタインという30歳代の米国人です。彼は自分のフェイスブックの利用時間を制限することを決め、スナップチャットはきっぱりやめたといいます。依存症の面ではヘロインに匹敵するという理由からです。このローゼンスタインさん、単なる米国の青年とはわけが違う。何と、フェイスブックの「いいね」機能を開発した人だというのです。彼は、後にインタビューで「思ってもみないような悪影響があることは、後になって分かった」と語っているぐらいですから、デジタル機器の恐ろしさを人一倍、身に染みて痛感したことでしょう。

 ヒトは、どうしてスマホ中毒になるのかー?

 端的に言うと、脳内にドーパミンと呼ばれる報酬物質の量が増えて、やめられなくなってしまうからです。人類誕生以来、ヒトは過酷な環境の下で生き延びるために進化してきましたが、このドーパミンによる作用によることが大きいのです。生き延びるために食欲を満たすことによって、エンドルフィンと呼ばれる快楽物資が発散され、自分の子孫を残す生殖行為でもエンドルフィンが促されるといった具合です。

 生き延びるために、ライオンや虎などの捕食者に出会わないようにしたり、蛇や毒グモから避けたりしなければならず、そういった探索能力や、何処に行けば果実が成っているのか、何処に行けばマンモスがいるのかといった情報収集能力を発揮するには、このヒトに行動の動機付けを与えるドーパミンの助けが必要とされるといいます。

 ということは、スマホで情報を探索し、ニュースに接しているときに発出するドーパミンと、他人からの「いいね」といった承諾を得ることで出るエンドルフィンで、際限のない満足と欲求不満の連鎖で、中毒、もしくは依存症に陥ってしまうということなのかもしれません。

 そして、何と言っても、もしかしたら、スマホは、人類誕生以来の最も恐ろしい脳破壊兵器なのかもしれません。。。

 そんなカラクリが分かったとしても、ヒトはスマホを手放すことができるのでしょうか?ー多分、この「スマホ脳」は大ベストセラーなのに、読んでいないのか、通勤電車内では9割近くの人がスマホの画面に吸い込まれています。

 今から、貴方はフェイスブックやツイッターやLINEを辞められますか? もう禁断の果実を食べてしまったからには、無理かもしれませんね。

 私自身も利用時間を減らすことはできても、きっぱりとやめることはできないと思っています。(とは言いながら、広告宣伝媒体のフェイスブックなんかやめちゃうかも=笑)メールチェックもパソコンで1週間に1回ぐらいだった時代が懐かしい。スマホもパソコンもなかった時代に戻れるものなら戻りたいものです。

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の宮城県登米市から徳永直まで一気に連想される長い長い物語

釈悪道老師から、いきなりメールが来ました。

 「読み人おらず」の浅薄で不実な駄文を長々綴ることは、老い先が永くない渓流斎翁が為すことではありませぬ。近く、渓流斎翁を逆上させるお便りを差し上げましょう。お楽しみに!

 ナヌー!? です。

 読み人知らず、なら聞いたことありますが、読み人おらず、とは言い得て妙…などと感心している場合か! 何度読み返しても、ここまで他人を陥れて冒涜できる人は、世にも稀で、一種の天賦の才能です。間違いなく極楽浄土へは行けないでしょう。残念…。

銀座「築地のさかな屋」アジフライ定食1000円

 さて、渓流斎ブログのアクセス・カウントを見てみたら、49万アクセスを超え、記念になる50万アクセスまでもうすぐではありませんか!このブログを開始したのは2005年3月ですが、新しく独立して、このサイトを立ち上げたのは2017年9月です。ほぼ4年で、区切りの良い50万アクセスに到達することができるようです。これもこれも、釈悪道以外の読者の皆様のお蔭です。御礼申し上げます。

「おかえりモネ」

 また、さて、ですが、満洲研究家の松岡將氏から、意外な話と要望等がここ最近、次々と寄せられてきました。

 最初は、5月17日から始まったNHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」を時間があったらご覧ください、といった簡単なものでした。

 ドラマは、宮城県気仙沼市の離島で育った主人公百音(もね=清原果耶)が、高校卒業後、内陸部の登米市にある祖父の知人宅に下宿して、森林組合で働き始め、難関の気象予報士を目指すといった話です。

 何で?と思ったら、舞台になっている登米市が松岡氏の御縁のある故郷だというのです。

 松岡氏は、御母堂の実家の北海道で生まれ、幼少期は満洲(中国東北部)で過ごし苦労して引き揚げてきた方ですが、父親の祖先は、仙台伊達藩の支藩である登米藩士で、代々、祐筆(文書や記録を司る職)を務めていた家柄だったというのです。この御尊父を始め、旧登米伊達藩士松岡家の子弟5人は登米高等尋常小学校を卒業されたというのです。(ドラマを見ていては分かりませんが、登米市は今でもかなり教育熱心な城下町だそうです)

 当然ながら、松岡氏は、登米市の祖母や伯母たちが話していた「登米弁」を、ドラマで俳優たちが、どんな具合に話すか楽しみだという話でした。

 しかし、話はそれで終わらなかったのです!

 私自身、かつては登米市は行ったことも聞いたこともない未知の土地でした。上の写真のバッジは、市の観光課からマスコミに配られた宣伝拡販財用のバッジではありますが(現地で売っていると思われます)、このバッジがなければ、「とめし」とは読めませんでした(苦笑)。

 それが、いきなりですが、登米市は、「太陽のない街」などで知られるプロレタリア作家徳永直(1899〜1958年)と御縁があり、登米を舞台にした「妻よねむれ」「日本人サトウ」などの小説を書いているというのです。

 徳永直の「太陽のない街」は文学史の教科書に必ず載るほど有名で、日本人なら知らない人はいないはず。そんな大作家は熊本出身ですが、(最初の)妻がこの登米出身だったというのです。

◇「妻よねむれ」

 そこで、松岡氏から「二の矢」が放たれ、「是非、徳永直の『妻よねむれ』を古本で御購入されたし。私は涙なしには読めませんでした」といった要望が飛び込んできました。

 「妻よねむれ」は昭和22年の作品で、当時はベストセラーになったようです。ネットで探してみたら、アマゾンの古書で4万円以上もしました。こりゃ無理、ということで、地元の図書館で探したらすぐ見つかり、すぐ借りることができ、今、一生懸命、読んでいるところなのです。

 確かに涙なしでは読めない大変な名作です。

 徳永直が大正13年(1924年)に結婚した最初の妻は、登米町出身の看護婦佐藤トシヲでした。彼女は「私生児」として生まれ、7歳で母親を亡くし、極貧の中で祖母に育てられます。小学校を3年で中退して9歳から奉公を始め、子守りをしたり、糸工場で働いたりして勉学どころではありません。それでも、東京で看護婦の仕事を斡旋してくる所を紹介してもらい、夜に看護婦学校に通って資格を取って、やっと一人前の生活ができる仕事にありつけます。しかし、関東大震災で罹災し、命からがら故郷登米に戻ったときに、「お見合い」で徳永直と結婚することになったのです。

 結婚しても、植字工の夫は労働争議による失業の繰り返しで貧乏は相変わらず。夫婦喧嘩も絶えませんでしたが、トシヲは昭和20年6月、夫と4人の子どもを残して病気で40歳の若さで亡くなってしまいます。「妻よねむれ」は、徳永直が21年に及ぶトシヲとの夫婦生活を愛惜を込めて追悼して描いた小説で、松岡氏もよく御存知の登米市の乾物問屋「菊文」(小説では「竹文」)や、知人や親戚も登場するというのです。トシヲは、かなりの美人さんだったらしく、三女の徳永街子(小説では町子、1935〜2004年)は女優になり、映画「ひめゆりの塔」などに出演しました。また、長男徳永光一(小説では幸一、1927〜2016年)は、岩手大学農学部農業土木工学教授を務めました。

 また、「妻よねむれ」では、徳永直の親しい友人だった作家の小林多喜二がK.T、中野重治がN.Sとイニシャルで登場します。

◇徳永直の妻

 話はそれで終わったと思ったら、松岡氏から「第三の矢」が放たれました。松岡氏は、徳永直の二番目の妻になった女性の身元を歴史探偵のように調べ始めたのです。 

 そしたら、複雑怪奇そのもの。徳永直は2回結婚したという説や3回、いや4回結婚したのではないかといった説など色々あり、本によって年譜に書かれている女性の名前がそれぞれ違っていたりして「何だか、よく分からない」。

 ある説では、徳永直が再婚した相手は、「二十四の瞳」などで知られる壷井栄の実妹で、わずか2カ月で破綻したといいます。となると、探索している女性は三番目の妻ということになるのかー?それとも人違いなのか? 他にも結婚した女性がいたのか?

 小説家というものは、凡人にはない業(ごう)を持って生まれた者ですから一筋縄ではいきません。

 まだ、途中経過なので、この話はどう展開するのか、まだ分かりません。

鎌倉時代は難しい…=何だぁ、京都との連立政権だったとは!

 日本史の中で、鎌倉時代とは何か、一番、解釈が難しいと思っています。貴族社会と武家社会の端境期で、三つ巴、四つ巴の争い。何だかよく分からないのです。私自身の知識が半世紀以上昔の高校生レベルぐらいしかない、というのも要因かもしれませんが、歴史学者の間でも、侃侃諤諤の論争が展開されているようです。(武士の定義も、「在地領主」と考える関東中心の図式と、京都で生まれた殺人を職能とする「軍事貴族」と考える関西発の図式があるそうです=倉本一宏氏)

 第一、源頼朝による鎌倉幕府の成立が、1192年だということは自明の理だ、と私なんか思っていて、語呂合わせて「イイクニ作ろう鎌倉幕府」と覚えていたら、

(1)治承4年(1180年)12月=鎌倉殿と御家人の主従関係が組織的に整えられた。

(2)寿永2年(1183年)10月=頼朝の軍事組織による東国の実効支配を朝廷が公認。

(3)文治元年(1185年)11月=守護・地頭の設置が朝廷に認可された。

(4)建久元年(1190年)11月=頼朝が右近衛大将(うこんのえたいしょう)に任官。

(5)建久3年(1192年)7月=頼朝が征夷大将軍に任官。

 と、成立年に関しては、こんなにも「諸説」があるのです。

 驚くべきことには、もう鎌倉時代という時代区分の言い方は実態に沿っていないと主張する学者も出てきて、2003年の吉川弘文館版「日本の時代史」では、「京・鎌倉の王権」と表記するほどです。つまり、鎌倉時代は、江戸時代のように京都の朝廷の権力が衰えていたわけではなく、京都と鎌倉で政権は並立していたという解釈です。

 源頼朝が、鎌倉に幕府を開く前後に、平家との戦いだけでなく、同じ身内の源氏の叔父やら実弟らとの間で権力闘争や粛清があったりしますが、京都や北陸では木曽(源)義仲(頼朝の従兄弟)が実効支配していたり、朝廷は後白河法皇が実権を手放さず、譲位後も34年間も院政を敷いたりしておりました。

◇「歴史人」7月号「源頼朝と鎌倉幕府の真実」特集

 といったことが、「歴史人」7月号「源頼朝と鎌倉幕府の真実」特集に皆書かれています(笑)。この雑誌一冊読むだけで、鎌倉史に関する考え方がまるっきり変わります。「今まで勉強してきた鎌倉史は一体、何だったのか?」といった感じです。

 登場する人間関係が色々と複層しているので、家系図や年表で確認したりすると、この雑誌を読み通すのに、恐らく1カ月掛かると思います。私もこの1冊だけを読んでいたわけではありませんが、1カ月経ってもまだ読み終わりません。仕事から帰宅した夜に1日4ページ読むのが精いっぱいだからです。この中で、一番、目から鱗が落ちるように理解できたのが、近藤成一東大名誉教授の書かれた「日本初の武家政権『鎌倉幕府』のすべて」(58~59ページ)です。

 それによると、1180年に頼朝が鎌倉に拠点を定めた時点では、頼朝は朝廷から見れば依然として反逆者であり、頼朝の勢力圏は東国に限られていました。西国は、安徳天皇を擁する平家(平宗盛)の勢力圏に属し、北陸道は木曽義仲、東北は藤原秀衡の勢力圏に属していました。(…)その後、このような群雄割拠している状況で、東国における荘園、国衙領の支配を立て直すのに、朝廷は頼朝の権力を必要としたというのです。「鎌倉時代」と呼ばれてきたこの時代を鎌倉の政権と京都の政権が共存し相互規定的関係にあった時代だと定義し直すと、この時代の始まりは、鎌倉幕府と朝廷との共存関係が成立した寿永2年(1183年)と考えるのが適当であろう。

 へー、そういうことだったのですか。…となりますと、鎌倉時代は今風に言えば、

1183年、鎌倉・京都連立政権成立

 といった感じでしょうか。

紫陽花

 来年のNHKの大河ドラマは「鎌倉殿の13人」(三谷幸喜脚本)が放送される予定ですが、この本は、この番組を見る前の「予習」になります。

 鎌倉殿13人とは、源頼朝の死後、二代将軍頼家ではなく、頼朝の御家人ら13人が合議制で支配した機関のメンバーのことですが、凄まじい内部での権力闘争で、最後は執権になった北条氏が他のライバルを粛清して権力を独占していったことは皆さま、御案内の通りです。

 13人のメンバーの中で、まず、北条時政(初代執権)と北条義時(二代執権、頼朝の妻政子の弟でドラマの主人公、鎌倉に覚園寺を創建)は実の親子。元朝廷の官人だった中原親能大江広元(政所初代別当、長州毛利氏の始祖とも言われていますが、この本では全く触れず)は兄弟で、侍所の別当和田義盛三浦義澄の甥。また、安達盛長の甥が、公文所寄人足立遠元といった感じで、13人は結構、縁戚関係が濃厚だったことを遅ればせながら、勉強させて頂きました。

 また、鎌倉殿13人の一人で、頼朝の乳母だった比企尼(びくに)の養子となった比企能員(ひき・よしかず)は、二代将軍源頼家の岳父(比企の娘若狭局が頼家に嫁ぐ)となったお蔭で、権勢を振るうことになりますが、北条時政の謀略で滅ぼされます。比企一族の広大な邸宅の敷地跡は、私も昨年訪れたことがあり、「今では日蓮宗の妙法寺になっている」と昨年2020年9月22日付の渓流斎ブログ「鎌倉日蓮宗寺院巡り=本覚寺、妙本寺、常栄寺、妙法寺、安国論寺、長勝寺、龍口寺」に書いたことがありました。比企一族の権力がどれほど膨大だったのか、その敷地の広さだけで大いに想像することができました。

【追記】

 三重県津市に「伊勢平氏発祥の地」の碑があるそうです。ここは、平清盛の父忠盛が生まれた場所だということです。刀根先生は行かれたことがあるんでしょうか?

黒人差別が激しかった1960年代の米最南部が舞台の青春物語=山本悦夫著「ホーニドハウス」

 山本悦夫著「ホーニドハウス」(インターナショナルセイア社、2021年5月31日初版、1980円)を読了しました。

 この本は、今年4月21日付のこの渓流斎ブログで取り上げましたので、少し重複するかもしれませんが、読後感は、なかなか良かったでした。(何しろ、著者の山本氏は、この小説について、5万部の売り上げを目指していますからね。)

 事件が起きるようで起きないようで、やはり何かが起き、恋の成就がうまくいくようで、いかないようで…。要するに先が読めないというか、これから先どうなってしまうのか、いわゆる一つのサスペンスのような推理小説として読んでもいいような作品でした。

 いやはや、どっち付かずな書き方で大変失礼致しましたが、80歳代後半の方が書かれたとはとても思えない、瑞々しい青春物語になっています。作品は、1965年、米最南部フロリダ州の大学町が舞台になっています。この年に米軍によるベトナム北爆が始まり、米国内では依然として黒人への人種差別が激しく、黒人が入れる店と白人が入れる店とは別々で、黒人暴動や公民権運動が広がった時代でした。

 著者の山本氏をそのまま反映した主人公の太郎は、そんな時代の最中に米フロリダ大学経済学部大学院に留学し、そこで知り合った韓国やタイやインドネシアからの国費留学生や現地の白人や黒人らとの交流が描かれます。著者の記憶力には脱帽です。

 主人公太郎が下宿したホーニドハウスとは、haunted house(お化け屋敷)のことですから、「ホーンテッドハウス」の間違いかと思ったら、ディープサウス(米最南部)では、ホーニドハウスと発音するらしいですね。私も一度、フロリダ州オーランド経由で大型客船に乗って、バハマなど周遊(クルージング)する取材旅行に行ったことがありますが(何という贅沢!)、オーランドのホテルの受付の女性の南部なまりの発音が独特で、さっぱり聞き取ることができなかったことを思い出しました。

 第一、オーランドは、「オーランド」とは発音せず、「オラーーンド」と発音していましたからね。通じないはずです(笑)。

 さて、物語には一癖も二癖もありそうな人が登場します。ホーニドハウスの隣人だったジョンは印刷会社に勤めながら、自宅ではダンテの地獄図のような絵を描くアーチストで、室内を真っ赤に装飾する変わった人物で、性的マイノリティー。結局、彼には振り回される日々を送ることになります。

 ホーニドハウスは、黒人居住区と白人居住区の境目辺りにあり、近くにある黒人専用の酒場に思い切って入った太郎は、そこで黒人女性のジンと知り合います。その前に白人のマーサーと一度だけデートをしますが、マーサーは大学のホームカミングのクイーンに推薦されるほどの金髪美人で、太郎は、とても自分に釣り合うわけがないと自ら引いてしまいます。

 同じ大学に通う白人のフレッドは、日本人の太郎に親近感を持って自宅のパーティーに招待してくれ、美大生である従妹のリリーを紹介してくれますが、彼女は足が悪く杖がなければ歩けません。リリーは性格も良く素晴らしい女性ですが、太郎は、日本に恋人がいるし、このままだとフロリダの田舎で一生住み続けることになり、それは本意ではありません。それでも、フレッドは、何かと機会をつくって、しきりにリリーを太郎とくっつけようとします。

 まあ、主人公の本職は勉学ですが、その合間に出掛けた酒場で、黒人から「ビールをおごれ」とナイフで脅されたり、逆にマックという親切な男にバーベキューパーティーに招待され、黒人たちから歓待されたりします。

 最後はどうなるのか、ここでは触れられませんが、読み終わった後、この作品を映画化したら面白いじゃないかなあ、と思いました。フィクションとはいえ、ほぼ実際に体験したことが書かれ、貴重な同時代人の証言になっていますから。

今や北欧は時計のメッカ?

 しばらく、行っていなかった東京・銀座の並木通りに久しぶり行ったら、すっかり様変わりしていて驚いてしまいました。高級腕時計店街になっていたのです。

 明治に大阪朝日新聞が東京に進出して初めて銀座・並木通りに社屋を建て、今や東京朝日ビルになっているところの1階にはスイスの高級腕時計「ロレックス」が店を構えていますが、これに影響されたのか、どんどん、この近辺に高級腕時計店が進出していたのです。「オメガ」「ゼニス」「タグ・ホイヤー」、それに「IWCシャフハウゼン」(ここは以前、風月堂の喫茶店だったのに…)…等々です。

 意外と知られていませんが、銀座は「時計の街」でもあります。

銀座・並木通り

 何と言っても、銀座4丁目のセイコー「服部時計店」ビルは、銀座というか、東京の象徴になっています。

  高級腕時計に関して、名前を知っているだけで、私はそれほど、詳しくないのですが、「オーデマ・ピゲ」「ブレゲ」「ブライトリング」「ピアジェ」「ロンジン」、それに「ウブロ」(以前は並木通りにありましたが、銀座通りに栄転)…何でもあります。犬も歩けば棒に当たるほどあります(笑)。恐らく、世界の高級腕時計ブランドで銀座に進出していないものはないと思われます。

 この中で、最高峰は「パテック・フィリップ」でしょう。銀座には専門店がないようですが、5丁目の「アワーグラス」や7丁目の「日新堂」で販売されています。私にはウインドーショッピングしかできませんが、安くても400万円ぐらい。2000万円、3000万円の時計は当たり前といった感じです。時計1個で、マンションが買えるんでなえかえ!?(と、思わず北海道弁)

 パテック・フィリップといえば、あの文豪トルストイがこよなく愛した時計だったらしいですね。19世紀末当時も、換算すれば、2000万円ぐらいしたんでしょう、きっと。

◇腕時計、忘れた!

 何で本日、腕時計の話をしたのかといいますと、今朝、腕時計をはめて会社に行くのを忘れてしまったからでした。途中で気が付きましたが、最近、認知症が入って来たのかなあ…?

 腕時計を忘れた話を会社の同僚のO君に話すと、彼は凄いデザインが良い、薄くて格好良い腕時計を嵌めているではありませんか。

 「デンマーク製のベーリングって言うんですよ。去年、駅ビルの時計店で見て、あまりにも格好良いんで、衝動買いしちゃいました」

 ブルーを基調としたシンプルなデザインで、チタン製とかで結構軽量。しかもソーラー時計ということで、電池いらずだというのです。

 「えっ?凄いねえ。それ幾らしたの?」

 「3万いくらでしたね…」(調べたら3万6300円でした)

 「えっー?そんな安いのお?僕のは、高級腕時計グランドセイコーだから25万円ぐらいしたんだよ」と私。(単なる自慢話です=笑)

銀座・並木通り

 「それがですね、今、結構、北欧時計が静かなブームらしいんですよ。何と言ってもデザインが斬新。そりゃあ、スイスの高級腕時計と比べれば性能は落ちるでしょうけど、何と言っても値段が手頃なんですよ。3万円前後で買えるんですから。僕なんかこれで十分」

 ということで、調べてみたら、「ノードグリーン」(デンマーク)が2万円前後、「ヴェアホイ」(デンマーク)が2万~3万円、「ダニエルウエリントン」(スウェーデン)が2万円前後、「アルネヤコブセン」(デンマーク)が3万~4万円、「クヌート・ガット」(スウェーデン)が2万~3万円と、舶来品なのに恐ろしいほど廉価な時計があるのです。参照:「北欧おすすめ腕時計」

 北欧には、このほか「ライネ」(フィンランド)、「ヴァンドーレン」(ノルウェー)=5万円ぐらいから=などもあるようですが、北欧、特にデンマークにこんなに沢山の時計メーカーが勃興していたとは全く知りませんでした。恐らく、誰か、時計産業奨励の「仕掛け人」がいたんでしょうね。

 北欧といえば、家具が有名で、その斬新なデザインは日本でも通の人に好まれています。ということは、案外、北欧時計も日本でヒットするかもしれません。

 あ、勿論、この記事は広告ではありませんから、宣伝費はもらっていませんよ(笑)。どうせ、今の若い人たちは、スマホを時計代わりにしているから、今の御時世、腕時計はそれほど売れないことでしょう。

 私自身、これまで見たことも聞いたこともなかった北欧腕時計、頑張れ!

 

日本国を動かしている闇の世界が熟知できますよ=寺尾文孝著「闇の盾」

 「ワクチン優等生」のはずだったイスラエルで、コロナ感染が再拡大していると報じられています。5月下旬に1日4人だったのが、6月21日には約2カ月ぶりに100人を超えて増加傾向なんだそうです。市民の約55%が既に2回のワクチン接種済みだというのに、です。変異種のインド型デルタ株が要因のようです。

 変異種が蔓延ってしまうと、今のワクチン打っても駄目なんでしょうかねえ? と聞いても誰も答えられないでしょうね(苦笑)。

◇裏社会のことを知ってこそ

 さて、今、私の自宅書斎の机の上は、読みたい本やら、読まなければいけない本やらで、積読状態で、それらの本の高さが1メートルぐらいあります(少し大袈裟)。先日亡くなった評論家の立花隆さんじゃありませんが、まだまだ知りたいことがいっぱいあるので、仕方ありません。

 長年、この渓流斎ブログを御愛読して頂いている皆様なら既に御承知でしょうが、私の好奇心の原点には、世の中の仕組みや、誰が動かしているか、とか、背後にどんな力があったのかといったことを知りたいということがあります。となると、表で報道されていることだけでは、事件や事案の真相は全く分かりません。歴史も、正史よりも稗史が面白いのと同じように、皮相的な新聞やテレビの報道よりも雑誌報道の方が真実をついていることが多いのと同じです。となると、世間では毛嫌いされている裏社会のことも熟知しなければなりません。

 前置きが長くなりましたが、新聞広告で寺尾文孝著「闇の盾」(講談社、2021年6月15日第2刷、1980円)という本の存在を知り、すぐさま購入し、他に読む本がいっぱいあるのに、この本だけは一気に読んでしまいました。凄い本でした。まあ、とてつもない。

 不勉強ながら、この著者の寺尾文孝氏については全く知りませんでした。本の副題は「政界・警察・芸能界の守り神と呼ばれた男」で、新聞広告では元首相の細川護熙氏や野球解説者の江本孟紀氏までもが推薦文を寄せていました。どうやら、著者は裏社会の人間ではなく、表社会の警察官出身のようでした。肩書は、日本リスクコントロール社長。同社は、究極のトラブルを解決する会社で、仕事の依頼は全て口コミで、宣伝はせず、電話番号も公表していないというのに、政財界人、宗教団体、芸能人らからの揉め事の相談などが押し寄せられるというのです。しかも、最終処理まで面倒を見る「A会員」の会費が年間2000万円、助言までしか行わない「B会員」が500万円という超高額だというのに、です。

 で、読んでみて納得しました。それだけ高額の料金を払っても十分通用する凄腕の「仕事師」だということが分かりました。長くなるので端折りますが、著者の寺尾氏は1941年、長野県佐久市に生まれ、高校卒業後、警視庁に入庁。第1機動隊勤務の1965年に起きた渋谷ライフル銃事件で犯人を最初に取り押さえる殊勲で警視総監賞(賞詞二級)を受賞するも、警察組織内での出世競争に疑問を持つなどして5年半で退職。しかし、その後も警察官時代の人脈を大切にしているうちに、元警視総監で参院議員だった秦野章氏と出会うことができ、私設秘書に抜擢されます。秦野氏も渋谷ライフル銃事件の立役者の名前を憶えていたお蔭でもありました。

 寺尾氏は、秦野氏との出会いで運命が開けていきます。以前から興味があった不動産経営を始めようと、東京・三田に2棟も高級マンションを建設しますが、その資金を融資してくれたのが、秦野氏から紹介された、あの平和相銀の小宮山英蔵会長でした(小宮山は、元731石井細菌部隊の二木秀雄とも昵懇)。マンションは全日空が社宅として買い上げてくれたりしたので、1棟目の融資金16億円は3年で完済し、毎月入って来る数百万円の家賃収入で、毎晩のように銀座や赤坂の料亭やクラブで豪遊して、政財界人や有名人らとの人脈を広げていきます。(豊富な財力で、逆転して秦野氏のキャッシュディスペンサーになります)

 ◇墓場まで持って行く秘密の話

 この本には、「こんなこと書いてしまっていいのかなあ」ということまで沢山書かれています。元警視総監だった秦野氏が山口組三代目田岡組長の葬儀に参列した話だとか、秦野事務所の私設秘書時代に、頼まれて交通事故違反の刑を軽くしてもらったりといった話です。(秦野事務所の公設秘書の豊嶋典雄氏は、時事通信政治部出身だったとは!驚いてしまいました)

 とにかく、著者寺尾氏の人脈の広さには恐れ入ります。「ドリーム観光攻防戦」での、コスモポリタン代表の池田保次氏(元山口組系岸本組配下、その後失踪)との対決については長く紙数を費やしていますが、「バブル紳士」と言われた伊藤寿永光、許永中、高橋治則や「兜町の風雲児」中江慈樹、街金アイチの森下安道といった歴史に名を残す錚々たる人物がほとんど登場しますから圧倒されます。

 何と言っても、プロローグから山口組系後藤組の後藤忠政組長による有名芸能人を招待した大パーティーに寺尾氏が参列する模様が活写され、度肝を抜かされます。「芸能界のドン」バーニングの周防郁雄社長も、2000年に事務所に数発銃弾を撃ち込まれた事件があり、彼から相談を持ち掛けられた話も暴露しています。もう20年以上昔ですが、当時、私は芸能担当記者だったので、「ああ、そういう経緯だったのか」と納得しました。私が得た情報では犯人らしい関係者のことは聞いてましたが、さすがに、この本には書かれていませんでしたが(笑)。

◇「八芳園」は「つきじ治作」だったとは

結局、長くなってしまいましたが、まだまだ書き足りません。

 この本では、私が知らなかったことが沢山書かれているからです。例えば、マイルドな話だけに絞れば、東京・白金の八芳園は、日立創業者の久原房之助の所有地だったことは知っていましたが、その前は、今の大河ドラマの「青天を衝け」でも登場する渋沢栄一の従弟の渋沢喜作の邸宅だったんですね。江戸時代は大久保彦左衛門の屋敷だったとか。この八芳園を昭和25年に、姉妹店として開業したのが、料亭「つきじ治作」の経営者の長谷敏司だったことも知りませんでした。

◇悪いことをすれば必ず地獄に堕ちる

 いやはや、この本では、カナダにお住まいの杉下氏も熟知されている夜の世界の高級キャバレーやクラブや料亭の話も満載されていますが、日本国を動かしている警察や検察の組織にいる生々しい人間関係や天下り先などが明快に分かり、読んでスッキリしました(笑)。当然のことながら、寺尾氏はかなりの勉強家で、読書家のようで、情報収集力は超人的です。

 これを言っては身も蓋もないですが、スキャンダルの要因は、結局、「女とカネ」に尽きるというのがこの本を読了した私の感想です。欲望が肥大化した人間の成れの果てです。何であれ、「もう知り尽くしてしまった」という感じです(苦笑)。

 そして何よりも、

 人を裏切るなど、悪いことをした人間は、いつか必ず天罰を受けて、地獄に堕ちる

ことをこの本を読んで確信しました。これは、確信というより、真理ですね。

ついに、1回目ワクチン接種してきました

 昨日は、ついにコロナワクチン1回目を地元で打ってきました。まあ、「案ずるより産むが易し」てなところでしたね。

 モデルナ製ワクチンでしたが、既に1回目を打った会社の同僚から「打った翌日は痛くて肩があがらないほど」と聞いていたので覚悟しておりました。その通り、今日は打った左上腕部が痛いですね。でも、痛みは2~3日で治ると聞いています。

 ファイザー製では発熱した人がいたと聞いてますので、個人差によりますが、ファイザー製は熱が出るかもしれません。

銀座・ロシア料理「マトリ・キッチン」お勧めランチ1100円

 接種会場は、軍隊のように規律がとれていて、日本人らしい厳格なスケジュールが守られ、粛々と行われました。ポイントごとに案内してくださる方がいて、全部で10人以上いました。この他に、打つ医者、問診する先生、2回目の予約を受け付ける人などいましたから、相当なスタッフの数でした。残念ながら、「撮影禁止」だったので、ブログに写真を掲載できません。

 ワクチンを打つのは15秒ぐらいだったでしょうか。あっという間でした。その前に、問診で「何かありますか?」と聞かれたので、「副反応が心配です」と伝えたら、若い先生は頷いただけで、何んとも応えず、書類を戻されてしまいました。「ああ、そうですか」てな感じでした。はっきり言って、「心配したければお好きにどうぞ」といった冷たい感じでした。いちいち、取り合っていたら時間がない、といった感じでした。ここまで来て、アンタ、何を今さら?てな感じでした。

 今さら怖気づいても、野暮だということなんでしょう。さすがの私も、言わなければよかったと思いました。でも、「大丈夫ですよ」ぐらい言えないんでしょうかねえ。

 2回目はちょうど1カ月後の7月24日(土)で、変更がきかないようです。もう野暮なことは言いませんよ(笑)。

銀座「マトリ・キッチン」デザート ここで3回食事すると、150円割引してくれます!

 でも、ワクチンに関しては、政治家の発言がコロコロ変わります。予約の空席が有り余っているからといって枠組を拡大したり、職域接種を推進したりしたら、今度は、「ワクチンが足りなくなった」との理由で職域接種申請予約をストップ。政策が猫の目のように日替わりで替わります。やはり、「東京五輪開催ありき」で動いているからなのでしょう。

 7月23日の東京五輪の開会式までもう1カ月切りました。国際オリンピック委員会(IOC)と日本政府と東京都と、五輪放送権を持つ米NBCは何が何でも開催を強行するようです。

 特に、合計7000時間余の番組を計画しているNBCユニバーサルのジェフ・シェルCEOは6月14日、クレディ・スイス主催の会議で、「視聴率次第では、当社の歴史の中で最も収益の高い五輪になるだろう」と豪語したそうな。NBCは2016年のリオデジャネイロ五輪で、五輪としては同社史上最高となる2億5000万ドル(約275億円)の利益を上げましたが、延期前の昨年の時点で、東京五輪向け広告枠販売が過去最大の12億5000万ドル(約1400億円)余りに上ったと発表しております。

 私がワクチン接種を決めた理由について、東京五輪開催による10万人近い世界各国の選手団と報道陣とIOC貴族とスポンサーらの来日があることをこのブログで書きました。6月11~13日に先進7カ国首脳会議(G7サミット)が開かれた英コーンウォールでは、「2450%増の感染爆発した」なんてニュースが飛び込み、来日したウガンダの選手団で「2人目のが陽性者が出た」と今朝の新聞にも載っています。

 IOC貴族の利権と、NBCという米国の一企業のために、五輪開催を強行し、日本国民がコロナ感染の犠牲を払うのはどうもおかしいのではないでしょうか。菅首相は「国民の命と安全を守るのが私の責務、守れなくなったらやらないのは当然」とも発言しています。

 信用してもいいんですよね?

 

鳥追、揚弓店とは何か?=明治東京の下層生活

 昨日は、東京・銀座の高級フランス料理店「ポール・ボキューズ」のランチに行きながら、「明治東京下層生活誌」(岩波文庫)を読んでおりました。例の明治時代の東京で、貧困層が集まって生活していた区画のルポルタージュです。

 この中で、社会主義運動家の斎藤兼次郎が「下谷区万年町 貧民屈の状態」というタイトルで、「貧民窟の食事といえば、皆々残飯…この残飯は実に監獄の囚人の食ひ余した南京米と麦との混合飯で犬も食わないような食物なのだ」などと書いていました。

 こんな文章を読んでおきながら、高級フランス料理とは、矛盾しているというか、我ながら忸怩たる思いを致しました。

 でも、この本を読むと、今の時代は平和だし、現代人は、明治の下層民と比べれば随分ましな暮らしができているのではないかと、通勤電車内で見かける市民を見ながら思いました。彼らは何をされているのか皆目見当も尽きませんが、何処かの会社か官庁か商店かに勤務する真面目な勤め人だと思われます。仕事があるので、身綺麗な服装やブランド物のバッグを持てるようです。

 一方、明治の貧民窟に住む人たちには、大した仕事がない。あっても低賃金の車夫や土方や左官や雪駄直し、屑拾いや物乞い、果ては泥棒、かっぱらいの類です。他にも色々仕事があるようですが、今では死語になっていて、意味が分からないものもあります。例えば、角兵衛獅子なら分かりますが、鳥追は知りませんでしたね。他に揚弓店(矢場)、六十六部、願人坊主などがあります。答えを書いてしまっては、皆さんもすぐ忘れてしまうことでしょうから、ご興味のある方は御自分で調べてみてください。この本では注釈がなかったので、自分自身でも調べてみました(笑)。

 そうそう、今でも「ドヤ街」とか使われてますが、ドヤとは宿を逆にした言葉だったんですね。この本に収録されている幸徳秋水(後の大逆事件で刑死したジャーナリスト)の「東京の木賃宿」で教えられました。もう一つ、「連れ込み」宿なんか今でも使われますが、この明治中頃の新語だったようです。ただ、同じ「連れ込み」の意味の「レコ附き」は全く死語になりました。(レコとは、「これ」を逆にした語で主に金銭や情人のことを言うらしい)

銀座の紫陽花

 さて、昨日、このブログで、「皮肉屋の釈正道老師は御隠れになったのか、最近、全く音沙汰がない」といった趣旨のことを書いたところ、早速、コメントがありました。なあんだ、読んでるんじゃん(笑)。

 コロナ退散を願い、六十余州のみならず、蝦夷、琉球まで東奔西走、南船北馬しておりました、と言いたいところながら、首都圏で不要不急の外出を繰り返す悟りの境地とは無縁の日々を過ごしておりました。貴兄は、自称ジャーナリストを標榜するのでしたら、センスが無いことを自覚するべきです。ブログ唯一のウリになっている銀座から築地のランチ巡りは、浪費癖丸出しの成金趣味ですなあ…。六道なら畜生か餓鬼のレベルですよ。東北から新潟にかけての即身成仏された僧に赦しを乞いましょう。合掌

 何か意味不明のところがありますが、何となく言いたいことは分かります。老師におかれましては、既に鬼さんの戸籍を取得されたのではないかと心配していたので、無病息災でよかったです。

【追記】

 「知の巨人」立花隆氏が4月30日に急性冠症候群のため亡くなっていたことが本日明らかになりました。行年80歳。一度インタビューしたかったのですが叶わず残念でしたが、著書を通して大変お世話になりました。「田中角栄研究」「宇宙からの帰還」「サル学の現在」「日本共産党の研究」など夢中になって読みましたが、やはり、「天皇と東大」が衝撃的に一番面白かったです。

 

ついに夢のポール・ボキューズ亭の門をくぐったお話=銀座ランチ

  週刊ポストによると、今年2月17日から6月4日までにワクチンを接種した約1412万人のうち、196人が死亡したそうですね。厚生労働省は「因果関係がはっきりしない」と火消しに必死ですが、ある程度、都市伝説化して、陰謀論さえ囁かれております。

 でも、こんな報道を目にすれば、誰でも構えてしまいますよね? まして、私は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、明後日にワクチン接種を決断した身です。もしも、のことを考え、思い切って、本日の銀座ランチは、高級フランス料理に決めました。

 なあんだ、肝っ玉がちっちゃいですね(笑)。

「ポール・ボーキューズ」 前菜の前のアミューズブーシュ テリーヌみたいな感じでしたが、抜群の美味さ

 向かったのは、ブラッスリー「ポール・ボキューズ」銀座店です。伝説の料理人(1926~2018年)。ミシュランの三ツ星レストラン。1950年代後半からのヌーヴェル・キュイジーヌ運動の先駆的開拓者…。彼に対する賛辞は耳にたこができるくらい聞かされます。

 しかし、私は、これまで、その「門」には一度もくぐったことがなかったのです。学生時代にフランス語を専攻しながら、ポール・ボキューズ(の味)を知らないとは…。ワクチンで、もしものことがあったら、死んでも死にきれない…。嗚呼、やはり大袈裟でした(笑)。

何と美味しいフランスパン

 「ポール・ボキューズ」店は、ホームページがしっかりしていますから、店に行く前にメニューを調べて最初から注文する品目を決めて出掛けました。ランチコース2750円です。何しろ、昼休みは1時間しかありませんから、ゆっくり時間を掛けて選んでいる暇もありません。

 入店した第一印象は、やはり、正直、お高く留まっている高級店でした(銀座店は、レストランひらまつとのジョイント)。でも、後で、シェフがわざわざテーブル一件、一件を回って、「お味は如何でしたか?」と御挨拶に来るなど、随分と低姿勢でした(笑)。

 本来、「ブラッスリー」を名乗っているのなら、ランチ1200円ぐらいの庶民的なビストロより格上ながら、超高級レストランより格下の居酒屋風のはずです。

 銀座の超高級フレンチといえば、やはり、資生堂にある「ロオジエ」でしょう。ランチでも1万1000円から2万5000円ぐらいのコースが御用意されています。作曲家の三枝成彰氏ご贔屓の馴染みのお店らしいですが、さすがに私クラスではお呼びじゃありませんね(苦笑)。

 ブラッスリーが背伸びして行けるギリギリの料理店です。

【前菜】 サラダ・ニソワーズ ブラッスリーポール・ボキューズ銀座スタイル (パプリカのグレック、ウフミモザ、トマト、ツナ、アンチョビ、オリーブ、いんげん豆)

 前菜は、単なる前菜ながら、「サラダ・ニソワーズ ブラッスリーポール・ボキューズ銀座スタイル (パプリカのグレック、ウフミモザ、トマト、ツナ、アンチョビ、オリーブ、いんげん豆)」という長ったらしい名前が付いておりました。

 簡単に言えば、ニース風サラダでしょうね(笑)。「何だ、これは!?」という旨さです。隠し味が二重三重四重に効いています。旨さがトグロを巻いているようです。これまで食したサラダの中でベスト3に確実に入ります。

プロバンスの香る夏鱈のロティ バジル風味のソースブールブラン アーティチョークのバリグール風

 メインディッシュは、魚にしました。

 「プロバンスの香る夏鱈のロティ バジル風味のソースブールブラン アーティチョークのバリグール風」と、これまた長ったらしいお名前です。フランス語のロティは、英語のローストですから、「タラの炙り」といったところでしょうか。

 今まで食べたことがない上品なバジル風味のスープで、病みつきになりそうな味です。昔日、イタリアンが巷で流行っていた頃、有名になったイタリア料理店のシェフOさんは「イタリアンは毎日食べても飽きないから」と発言されておりましたが、ポール・ボキューズなら毎日食べても飽きない!(笑)

 いや、ここで食べてしまっては、もう他では食べられない!

デザートは、ムッシュ ポール・ボキューズ”のクレーム・ブリュレ

 私は探訪記者ですから、お店の客の会話も聞き逃しません。100人か200人は入れそうな食堂でしたが、皆さん、一様にフォーマルなスーツ姿が多く、さすがにジーパンにTシャツにゲタ履き姿の人は見かけませんでした。

 お隣りは30代の若き青年実業家といった風情の恰幅が良いネクタイ姿の男性と、如何にも「やり手」らしい初老の女性。二人の関係は分かりませんが、青年実業家の両親は会社を経営しているらしく、自社株を59%も保有しているとか、ロンドンの高級住宅街セント・ジョンズ・ウッドに何か物件を持っているらしく、「ここはビートルズのアビイ・ロード・スタジオがあり、レコードのジャケットにもなった有名な横断歩道もあるんですよ」と自慢げに話していました。

 嗚呼、ビートルズ・フリークのおじさんも、アビイ・ロードには行ったことがあるので、「そうだよね、そうだよね」と心の中で相槌を打っておりました(笑)。

 やり手の女性は、今日の株が上がっているとか、投資がどうのこうのとか話していたので、コンサルタント関係の人かもしれません。まさか、一人で暇そうな渓流斎が、隣りで話を盗み聞きしているとは思わなかったことでしょう(笑)。

銀座「ポール・ボキューズ」 ホットコーヒー

 まあ、こういう高級店には、こういったお金だけはふんだんに持っているスノッブな連中が来るんだな、ということだけは分かりました。

 でも、ランチコース2750円はそれなりの価格で、年に何回かのハレの日の食事会なら安いぐらいだと思いました。私のような分際でも、「また行ってやろう」と心に誓い、会計の際に会員カードまで作ってしまいました(笑)。

 ところで、最近、御隠れになってしまったのか、例の釈正道老師から全く連絡が来なくなりました。皮肉屋の老師ですから、こんなことを書くと、また「どうせ、接待かタカリで行くんだろ!」と上から目線で断言することでしょう。

 「いえいえ、ちゃんと自腹で行っておりますよ」と再度強調させて頂くことに致します(笑)。