予想が裏切られた時、深い情報処理が起こる=「英語独習法」

東京・西武池袋線東久留米駅西口に建つ手塚治虫の「ブラック・ジャック」と助手のピノコ像 手塚治虫は晩年の10年間、東久留米市に住んでいました

クレマチス Copyright par Keiryusai

 今井むつみ著「英語独習法」(岩波新書)の中で、楽しみながら英語を学習する方法の一つとして、映画の「熟見」を挙げております。

 今井氏の場合は、お気に入りのダニエル・クレイグ主演の007「スペクター」(2015年)を一つの見本として取り上げています。「セリフの一言一言にまったく無駄がなく、限りなく短く端的に言う。それが本当にカッコよい。特にボンド役のダニエル・クレイグの話す英語にしびれてしまった」とべた褒めです。(彼女はDVDを購入し、全編のセリフを覚えてしまったらしい!)

 この映画の主題歌も素敵ですが、今井教授は最初、何度も聴いても、歌詞の Could you 〇〇〇〇 my fall? の〇の部分が聴き取れません。日本語字幕では「落ちる僕を支えてくれるかい?」となっている。そこで、ネットで歌詞を確認したところ、〇の部分はbreak だったといいます。勿論、break は簡単な単語で、初級者でも熟知している単語なのですが、大体「壊す」とか「断ち切る」といった意味でインプットされています。今井教授は「支える」という字幕に引っ張られて、主に「断絶する」などを意味し、「支える」とは真逆を意味のbreak だったとは予想も付かなかったと告白しております。

 このようにして、映画で英語学習する場合、今井教授は、まず、日本語字幕で何度も熟見することを勧めています。聴き取れなかった単語やフレーズは、後で英語字幕で確認していきます。大抵は予想もしなかった単語が表れて、驚きます。今井教授は「この経験が語彙の増加につながる」と力説します。「予測が裏切られたとき、最も深い情報処理が起こり、記憶に深く刻印される」と心理学者らしい発言をしています。

 ですから、先ほどの予想もつかなかったbreakは「もう忘れることはないでしょう」と今井氏は語っています。

 このほか、いっぱい「予想を裏切られた」例が出てくるのですが、あと一つだけ。日本語字幕で「質問が…」というジェームズ・ボンドのセリフが、英語では「Humor me.」となっていた驚きです。詳細は、本書を読んでもらうことにして、humor ユーモアの名詞は知っていても、動詞として使うという驚きで、このフレーズも著者の記憶として刻印されたことが書かれています。

スズラン Copyright par Keiryusai

 さて、私も映画007シリーズは大好きで、大抵の作品は見ているので、真似して勉強しようかと思っていますが、気になっていたのは最新作です。新型コロナの影響で、何度か上映延期になっていたことは報道で知っていましたが、お蔭で、「撮り直し」をしていることまで知りませんでした。

 最新作「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」は、もともと2019年4月に公開される予定でしたが、監督が降板したことで製作が遅れ、2020年4月公開延期を決定。それが運の尽きで、新型コロナの世界的影響で映画館が封鎖となり、興行収益が見込めなくなったことから、公開予定日が2020年11月から2021年4月へ再々延期、さらに2021年10月と延期が続いています。

 そのせいで、作品内で使われているスマートフォンや高級腕時計や服などのブランド品の型が古くなってしまい、最新モードへの撮り直しを余儀なくされてしまったというのです。IT業界の世界は日進月歩ですからね。

 これには「へー」と思ってしまいました。これらのブランド品は、「広告費」として映画製作費の中に組み込まれていることは業界人の常識です。まさか、スポンサーも古い製品を売るわけにはいきませんからね。

 

集団主義と個人主義の日仏異文化論=東京外語仏友会にオンライン参加

イチハツ 一初 Copyright par Keiryusai

 昨日は、大学の同窓会「仏友会」にオンラインZOOMで参加しました。仏友会というのは、「仏教を愛する会」というのではなく、東京外国語大学でフランス語を専攻した卒業生の親睦会です。正式には東京外語仏友会なのですが、戦前の昭和初期に作られたようです。

 私の学生時代は外国語学部だけでしたが、現在は3学部制になっていて、言語文化学部と国際社会学部の中にフランス語専攻があるようです。私の学生時代のフランス語科は60人でしたが、現在でも仏語専攻は60人ぐらいのようです。(半数の30人は必ず留学するそうです)

 東京外大のHPによると、大学の起源は幕末の1857年に開校された「蕃書調所」(西洋の書籍を解読して海外事情を調査)にまで遡ることができます。(東京・九段下に「蕃書調所跡」=竹本図書頭拝領屋敷上地=の碑がありますので、ご興味のある方は是非訪れてみてください。)

 過去の仏語出身者の中には、無政府主義者の大杉栄(1905年中退)、仏文学者でアンドレ・ジッド「狭き門」などの翻訳で知られる山内義雄(1915年卒)、無頼派作家の石川淳(1920年卒)、無頼派詩人の中原中也(1933年選科卒)、詩人でポール・ヴァレリー翻訳家の菱山修三(1909~67年)らがいます。

 私が学生時代に講義を受けた哲学のM教授(東京大学卒)は「外大フランス語の出身者というのは大杉栄とか中原中也ぐらいしかいないだろう?反逆者ばかりで主流派はいねえなあ」と言い放ったことが印象に残っています。確かにそうかもしれませんけど、主流派なんて言っても単なる体制派のことでしょう?人間生まれてきたからには「反抗精神」がなきゃつまらないじゃありませんか(笑)。

エニシダ Copyright par Keiryusai

 ということで、仏友会は変わり者の集まりと見られては困りますし、そんなこと言ったら藤倉会長から怒られますが、一癖ある個性派集団で、今でも大変優秀な人材を社会に輩出しております。上から言われたことを唯々諾々と従うことを良としない人が多いと言えるかもしれません。それなのに、仏友会は(途中戦争等で中断したこともありますが、)100年近くも続いていることは奇跡です。何故なら、同じ大学でも、英米語やロシア語専攻の出身者には同窓会がない、と聞いたことがあるからです。仏語専攻は恵まれています。個人主義ながら、結構、結束が固いのです。

 昨日の仏友会の講演会のゲスト講師は、東京外国語大学のジェローム・ルボワ准教授で、演題は「日仏文化の差異を考える」でした。非常に面白い話でしたが、時間が足りなくて、尻切れトンボのような感じだったので、もっと聴きたかったでした。まさに、今書いてきた個人主義に関する話だったからです。

 話を単純化すると、地理的に、歴史的に、文化的に、日本人は集団主義(ルボワ氏は集団性と表現していましたが)、フランス人は個人主義(同じく個人性)という大きな違いがあるというお話でした。(道理で、フランス語を専攻する日本人は個人主義になってしまうのか、もしくは、集団主義に馴染めず個人主義的傾向が強い日本人だからフランス語を専攻したのか、ということがはっきりしましたよ=笑)

 異文化論として、日本とフランスを比較すると、日本の国土は約37万平方キロメートルで、仏は約57万平方キロメートル。つまり、仏は日本の1.5倍の国土を持つ。それなのに、日本の人口は1億2800万人で、フランス(6500万人)の2倍もある。しかも、日本の国土の3分の2は人が住みにくい山地なので、仏と比べて遥かに人口密度が高い。そして、農耕時代から灌漑や農作業などで集団で「和」重んじて協働しなければならないので、地理的、歴史的、文化的に日本人は集団主義にならざるを得なくなった。一方のフランスは、早いうちから自律を求められることから、個人主義が芽生えていく。そんな話をルボワ准教授は展開していきました。

タチアオイ Copyright par Keiryusai

 ルボワ准教授は、17世紀後半にルイ14世の財務総監だったコルベールによってフランス外交の威信を高めるための外国語学校として創立された超難関校・国立東洋言語学院(INALCO=Institut national des langues et civilisations orientales)で博士号(「古代日本における皇室の女性」)を取得したということで、日本語はペラペラで、自らホワイトボードにスラスラと漢字を書きながら説明しておりました。

 日本とフランスを比較して、どちらが良くてどちらが悪いという話ではないことをルボワ准教授は強調しておりました。何しろ、個人主義のフランスには、同窓会もなければ、運動会も校内クラブ活動も、〇〇式も存在しないし、七五三もなければ、お祭りもないといいます。(ニースのカーニヴァルなどがあるが、あれは神事ではないし、日本のようなお祭りではないとか)

 「仏友会がある皆さんはうらやましい」とルボワ准教授は、しみじみと言いました。

 大変面白かったのは、講演後の質疑応答で、「仏男性と日本人女性が結婚するカップルが多いのに、日本人男性と仏女性の結婚が少ないのは何故だと思いますか」という質問でした。ルボワ准教授は「謎です」と言って、それには直接答えることはできませんでしたが、仏女性が結婚相手に最も重視するの「信頼」、二位が「気遣い」、三位が「ユーモア」。仏男性が結婚相手に最も重視するのは「見た目」(ここで会場から爆笑)、二位が「信頼」、三位「賢さ」という内訳を明らかにしてくれました。

 さらに、フランス語の la famille と日本語の「家族」というのは、別物であることを図示してくれました。日本の場合、両親と子どもがいるのが普通の家族なのですが、フランスの場合、結婚適齢期の半分は未婚で、半分の既婚者のうちその半分は離婚しているといいます。その離婚した者同士が子連れで結婚して、また、離婚したりするケースも多いので日本ほど「家族」は単純ではない、というのです。その典型的な例として、S氏が登場していましたが、このS氏とは、恐らくサルコジ元大統領のことではないか、とZOOMのチャット上で話題になりました(笑)。

【追記】

思い出しました!大学1年生の時、フランス人のデルモン先生から「何故フランス語を専攻したのですか?」と質問され、「フランス人女性と結婚するためです」と答えたことを思い出しました。

勿論、実現しませんでしたけど(笑)。

 

菅政権の政策は後手後手に回っているのでは=3回目の緊急事態宣言を考える

 銀座・熊本館

 本日4月25日(日)から東京、大阪、京都、兵庫の4都府県で3回目の緊急事態宣言a state of emergency が発令されました。

 解せないのは5月11日までのわずか17日間だということです。昨日4月24日の時点で、大阪の感染者数は1097人、東京は876人。ちなみに…

第1回緊急事態宣言 2020年4月7日から5月25日までの49日間(発令日の東京の感染者数は87人だった!)

第2回緊急事態宣言 2021年1月8日から3月21日までの73日間(1月7日の東京の感染者数は2447人!)

 過去2回の緊急事態宣言と比べて、異様に短いことが分かります。変異ウイルスが大量に増えてきたというのに、です。

 今回、わずか17日間というのは、5月17日に国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が来日するので、それまで何としてでも解除しておきたいという政治的忖度が働いたためではないかと噂されていますが、市民の生活よりも、経済との両立よりも、新型コロナ撲滅よりも、「オリンピックを優先させたい」という菅政権の思惑がチラつきます。

銀座・熊本館 1階は物産店ですが、2階には簡単な食堂がありました

 今回の緊急事態宣言でチグハグなことは、東京のよみうりランドや大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンは閉鎖させるというのに、東京ディスニーランド・シーの営業はオッケーよ、という政治的配慮です。ディスニーランド・シーは、普段は頭に「東京」を付けて観光客を煙に巻いておきながら、実際は千葉県浦安市にあることから、「緊急事態宣言地域じゃないもんね」ということで、御注進でもあったのかしら?今、総務省や厚生労働省などではタダ酒接待が流行っていますからね(笑)。遊園地関係の監督官庁は国土交通省なのかしら?(報道では、千葉県からの要請らしいですが)

銀座・熊本館 「天草 海鮮丼」(真鯛漬け丼)1000円

 もう一つは、対象地域の居酒屋では、時短営業どころか、酒類提供を禁止させることです。「お酒のない居酒屋なんて」とコマーシャルに使えそうです。それでいて、コンビニ等では酒類販売はオッケーということで、戸外の公園や路上だけでなく、夜の通勤電車の中で、堂々とビールや酎ハイなどを飲んでいる乗客が多いと聞きます。

 まさに政治家による恣意的、感情的、意図的政策があからさまに見え隠れします。

 個人的には、都内の映画館や劇場や美術館などが休館させられてしまい、ゴールデンウイークなのに行く所がなくなった難民化して、「あんりまあ、どうしてくれるんだよお」てな感じで嘆いているぐらいです。

2020年4月 第1回緊急事態宣言下の東京・銀座

 しかも、連休には、久しぶりに遠出して、鎌倉の寺社仏閣散策を再開して、今回は、建長寺、円覚寺などの禅宗寺巡りでもしようかなと思っていたら、神奈川県の黒岩知事は「神奈川県には遊びに来ないでください!」と、東京都の小池知事の「東京には来ないでください」の真似するぐらいですからね。

 せっかく、神奈川県のために、神奈川県の地で、大量のお金を散財しようかと思ったのに、残念なことでした。

 SNSで写真が投稿されていましたが、緊急事態宣言が発令されていない比較的感染者が少ない県のレストランの中には「他県からのお客様はお断り」の張り紙まで出す始末。「自分の県さえよければそれで良い」という実に分かりやすい日本人的行動ではあ~りませんか。

◇ワクチンの副作用で何人亡くなったのか?

 メディアでは、盛んにワクチン、ワクチンと騒いでいますが、「副反応」と分かりにくい用語を使って目くらませして、副作用で何人の死者が出たかについては積極的に報道してくれません。その前に、国民全員にPCR検査をして感染者を隔離する方が先、の話なのに、今の菅政権の政策は後手後手に回っています。

 まあ、今年のゴールデンウイークも読書三昧で、こうして「嘆き節」を唄ってお終いになりそうです。

 

「仙台藩士幕末世界一周」とhontoのこと

亀戸天神 藤棚 Copyright par Priest Syakushodou

本日は、人様のふんどしをお借りして相撲を取る所存。つまり、写真も文章も勝手ながら、大変優秀な皆様方から引用させていただくことに致します(笑)。

 写真は、最近、悪の道から離れて改心された釈正道老師。大変お忙しい中、上野山の東照宮の牡丹祭と亀戸天神の藤棚の写真を撮影して「寄進」してくださいました。

 文章は、最近、「ドライビング・ヒストリック・アメリカ」(同時代社)を上梓された松岡將氏。以下は、同氏から小生宛の私信メールで、個人情報もありますが、なるべく「素材」を生かして進めていきたいと存じます。(新聞協会の用語集に準拠して漢字に改めた箇所などあります)

上野・東照宮 牡丹祭 Copyright par Priest Syakushodou

 渓流斎様

(前・中略)

 ところで、「ドライビング・ヒストリック・アメリカ」(同時代社)の謹呈先の一人に、生粋の仙台っ子で、小生の東北学院中・高在学時の6年間一緒で、いつも仲良くトップを争そっていた三浦信なる人物(東北大工学部電気通信科から郵政省入りし、ジュネーブ在の国際電波割当委員会=当時=の事務局長などを歴任)がいるのですが、その彼から連絡があって、彼の五代前の祖先、仙台藩士玉蟲左大夫誼茂が、(「ドライビング・ヒストリック・アメリカ」第Ⅵ話にでてくる)ポーハタン号に乗艦してアメリカに行ったということを思い出して電話で教えてくれたのでした(不覚にも小生は寡聞にしてそれまで不存知)。

  早速、調べて見ると、玉蟲左大夫というのは仙台伊達藩の家臣で、その筆力を買われて仙台伊達藩の随員としてポーハタン号に乗って世界一周し、鋭い観察眼による「航米日録」なる長大な日誌を残していました。その後、戊辰戦役の際、奥羽越列藩同盟にあって、主要な役割を果たしたため、明治2年、戊辰戦役敗戦後捕縛され、仙台藩牢中で切腹した人物でした。明治維新後も勝海舟や榎本武揚の如くに存命であったなら、さぞかし“男を上げていたろうに”と思うと、まことに残念であるとともに、仙台藩の戊辰戦役敗戦処理が、明治大正昭和期に至るまで東北地方にもたらしたマイナスに、改めて想いを馳せつつ、ネット上で「うつつなく太守のブログ」玉虫左大夫のこと〜「仙台藩の坂本龍馬」と呼ばれた男の惜しむべき最期」という記事を発見して、彼の墓の所在を突き止め、そのネット上でのお墓参りもやったのでした。

 その後の旧友三浦君との電話連絡や小生の更なる調査で、岩波書店に「航米日録」が所収出版されていることのほか、玉蟲左大夫の残された三人の孫娘が、それぞれ山本、三浦、玉蟲姓を名乗り(明治22年の憲法発布時に玉蟲家のお家再興が許され、その際未婚だった三番目が婿取りをした――その孫が、有名な玉蟲文一)、その山本家の(小生と同じ年代の)玄孫、山本三郎氏が、2010年に、在仙台の「荒蝦夷」社から、「仙台藩士幕末世界一周」なる、玉蟲左大夫の「航米日録」のいわば現代語訳を出版していることを知りました。

 そんなこんなで、三浦君が早速、手持ちの「仙台藩士幕末世界一周」を送ってくれ、現在、手許でパラ見していますが、500ページにも及ぶ立派な本であり、玉蟲左大夫の玄孫である著者の山本三郎氏の心意気を、改めて感じています。なお、数年前に亡くなられた彼は、小生の二期下の東北大法学部卒で東北放送の出身。どうやら、最晩年をもっぱら仙台で、「仙台藩士幕末世界一周」の執筆、出版、普及に充てたようです。

 小生にあっては、たまたま、ポカホンタスとの関連から、ポーハタン号に言及していたのだが、それが、今回のような“出逢い”となって、三浦信君ともども「お互い長生きした結果だ」と喜び合っています。

 そんな次第であるので、もし貴兄が、山本三郎著「仙台藩士幕末世界一周」(2010年、荒蝦夷)を未読であれば、(2300円+税という安価でもあり)騙されたと思って是非ご購入の上、あちこちチラ見して、「たった一世紀半前の日本とアメリカ」とに、想いを馳せて下さい。

敬具

亀戸天神 藤棚 Copyright par Priest Syakushodou

 如何ですか?このようなメールを頂けば、「仙台藩士幕末世界一周」を購入したくなりますよね。もう10年以上昔の本ですから、本屋さんにあるかどうか…。手始めに、いつも私が利用している楽天の通販で検索してみました。

 残念ながらヒットしませんでした。

 仕方がないので、アマゾンで検索してみました。(仕方ない、というのは、別にベゾスさんとお友達でもないし、会ったこともないからです)すると、3389円+送料257円でした。あれっ?松岡氏の話では、2300円+税という話じゃなかったでしたっけ?

 よく見たら、中古本でした。それが一番安く、一番高いものは1万円以上もしました。新品も一番安くて6640円です。あれ?話が違う。。。稀覯本になってしまったのか?ちょっと、手が出ませんね。

 諦めかけていたところ、hontoという本専門の通販サイトが見つかりました(後で分かったのは、これは大日本印刷が運営するオンライン書店でした!)ここでは「仙台藩士幕末世界一周」は税込み2310円(他に送料等440円)で売っておりました。

 これなら話が合うので、早速、会員登録して購入することにしました。このhontoというサイトはなかなか優れもので、色々検索すると、欲しい本の在庫がある全国の書店まで紹介してくれます。hontoから宣伝費を貰っているわけではありませんが(笑)、もし、御存知でなかった方にはお勧めです。

ヒトはどうやって言語を獲得していくのか?=今井むつみ著「英語独習法」を読む

 今年2月から内紛が続いていた私も所属する通訳団体の騒動に一応、一区切りが付きました。内紛は、会長、副会長を中心にした執行部と、それに対して、「現執行部は自分たちのお仲間だけを優遇している」と異議を唱える3人の理事らとの間で、会員ネットメール上で、激しい応酬で始まりました。言わば、ネポチズムで恩恵を受けている者たちが現執行部を擁護し、仕事のおこぼれに与らなかった者たちが反発しているという構図です。最後は、現執行部が3理事らを会員ネットから削除し、挙句の果てには、3理事解任を含めた臨時総会まで開催しようとしました。

 確かに、3理事や急進派の連中の言動は、過激で読むに堪えないほどウザイものもありましたが、ネット遮断は、明らかに言論封鎖というか言論弾圧であり、このコロナ禍にわざわざ臨時総会まで開いて、3理事らの除名を決議することなど、スターリンの「血の粛清」に近い行為です。私も黙っていられなくなり、会員ネットに実名で「どちらか一方に加担するつもりはないが、臨時総会を開催するのは狂気の沙汰だ」といった趣旨で批判しました。

 その結果、4月22日開催予定だった臨時総会は、会員(807)の出欠返信数が過半数(404)に達することができず、流会(不成立)となりました。至極真っ当な結果だと思います。私も臨時総会を流会させるために、返事を出しませんでした。総会開催が成立し、3理事追放が決定したら、間違いなく退会するつもりでした。

 事務局から送られてきたメールによると、K理事の解任に賛成を投じた数は114だということが分かりました。114人全員ではないでしょうが、これで、現執行部から恩恵を受けている人たちの数が大体、想像することができました。

 いずれにせよ、流会させることにした会員が多数を占めた事実により、この団体も捨てたもんじゃないと見直しました(笑)。

 実は、こんな「コップの中の嵐」を書くよりも、もっと建設的な面白いことをブログに書きたいものです。ということで、今日は、今読んでいる面白くてたまらない本をご紹介します。

 今井むつみ著「英語独習法」(岩波新書)という本です。(現在11万部のベストセラーだとか)著者は慶応大学の教授ですが、英語や言語学のエキスパートではありません。専門は、認知科学などで、いわば心理学者です。心理学者が書く外国語の学習法ですから、幼児期からの言語獲得の過程から始めて、英語母語者と日本語母語者が使う脳の領域やその活用(著者は「スキーマ」という用語を使っています)の違い、つまり著者専門の認知科学を使って違いを分析し、その違いを認識して初めて外国語はネイティブ並みに習得できることをこの本は教えてくれるのです。

 本当に「目から鱗が落ちる」ことが色々書かれています。私も既に、英語は半世紀以上勉強していますが、一向に上達しません(苦笑)。でも、この本にもっと早く知り合っていたら、遥かに向上していたことだろうと思います。

◇様態動詞+前置詞で「動き」を表現

 例えば、ビンがぷかぷかと浮かんでいて洞窟の穴の中に入っていくイラストを見せられると、大抵の日本語話者は、

 A bottle entered the cave, slowly floating.

といった表現をする、と著者は言います。しかし、英語話者なら、まずそんな表現はしない。多くは以下のように表現するというのです。

  A bottle floated into the cave.

 動きの様子を表す様態動詞(ここではfloat)に方向を表す前置詞(同into)を合わせて、様態動詞を「~しながら」という意味に転化する構文を多用するというのです。

 話を単純化すると、日本語は助詞や副詞などを多用して動きを表現するのに対して、英語では、動詞に前置詞を付けるだけで、「動き」まで表現できるということです。となると、日本語のスキーマを棄てるか、何処か頭の片隅に置いておかなければ、英語らしい表現ができないということになります。これも目から鱗が落ちる話です。認知科学ですね。

  以前、私は、このブログで、「英語は簡単過ぎるから難しい」といったことを書いたことがあります。例えば、日本語なら自分のことを、「私」「僕」「俺」「吾」「吾人」「小生」「迂生」「妾」「わし」「おいどん」…と何通りもあるというのに、英語には「I」しかない。貴方の「you」も同様です。

 でも、英語にも、それなりに微妙な言い回しがあり、この本に出てきましたが、例えば、日本語では「許す」で一言で済んでしまうのに、英語では、「罪・過失を許す」ならforgive,excuse 「黙許する」ならtolerate 「見過ごす」ならoverlook 「放免する」ならrelease,acquit などと、それぞれの語義に対応した英単語が与えられているのです。著者も「日本語を母語としない人たちが、このような多様な意味を脈絡もなく一つの動詞のもとにまとめてしまう日本語ってなんなの、という気持ちになるのも無理ないと思う」とまで書いています。

 これも全く気が付かなった、目から鱗が落ちる話でした。

 キリがないので、今日は取り敢えずこの程度に収めておきますが、「スキーマ」という考え方は根本的な問題をはらんでいるので、非常に明解で分かりやすいのです。

 そう言えば、日本の英字紙Japan Times は、日本人記者が英語で書いているのか、日本人が読んでも分かりやすいのに、New York Times  ともなると、何処か気取っていて、日本人だったら絶対表現しないあり得ないような書き方をしています。これも、日本語脳に染まった人間だからこそそう感じてしまうんですね。

◇バイリンガルはどうやって言葉を覚える?

 個人的な話で恐縮ですが、たまたま今、二カ月ほど、2歳になる孫を預かって一緒に生活しているので、幼児が言語を獲得する様を具に観察することができます。孫は米国人と日本人とのハーフなので、どうやって二か国語を同時に習得していくのか興味津々なのですが、もうすぐ自宅に戻ってしまうので、残念ながらそこまで見届けることができません。

 でも、少なくとも、言語習得、獲得は幼児でも簡単ではなく、何度も何度も周囲から訂正されて覚えていくことが分かりました。今井氏の「英語独習法」では、「英語脳」と「日本語脳」と別々に個別的なことしか書いていないようですが、英語話者と日本語話者の両親から生まれた子どもがどうやって双方の言語を獲得していくのか、個人的に大変興味があります。

山本悦夫氏が小説「ホーニドハウス」を出版へ

モッコウバラ 木香薔薇 Copyright par Keiryusai

 皆さま御存知の山本悦夫氏が自ら立ち上げた出版社「(株)インターナショナルセイア」から、5月中旬に「ホーニドハウス」という小説を出される予定で、日販、東販、栗田書店などの取次を介して全国書店に配布し、5万部の販売計画を立てている、というニュースが飛び込んできました。

 第一感想は「凄いなあ」の一言です。山本氏には既に「インドに行こう」(インターナショナルセイア)や「蛇とニーチェ」(創英社)などの著書があり、個人情報ながら(ネット上でも公開されておりますので)敢て触れますが、1934年生まれで今年87歳です。その無尽蔵のヴァイタリティには感服するしかありません。

 山本氏とは「おつな寿司セミナー」を通じて30年程前に面識を得て、東京都内の一等地の御自宅に何度かお邪魔したことがありますが、民芸輸入商社の社長さんということぐらいしか知りませんでした。20年程前に、1995年から8年7カ月、内閣官房副長官を務めた(歴代最長)古川貞二郎氏とは九州大学時代の無二の親友だということを初めて知り、長崎の御出身だと思っていたら、10年程前に、生まれも育ちも台湾の台北(戦前の日本領時代)だったということを初めて知りました。

 今回初めて知ったのは、山本氏が九州大学を卒業して上京して就職したのが、学陽書房という行政、法律、実用書関係が中心の出版社だったということでした。今でこそ有名ですが、当時、同社は、東京・雑司ヶ谷の菊池寛邸にあった小さな出版社で、山本氏は、その出版社の顧問をしていた藤沢閑二さんから我が子のように親身になって可愛がられたそうです。その藤沢氏は、菊池寛の遠縁に当たり、ご夫人の瑠美子さんは菊池寛の長女だったという関係で、戦前は、文芸春秋の専務として創業者の義父菊池寛を助けた人でした。

 山本氏が出版社に就職したのも、少年時代からの夢だった小説家になることがあったからだったようです。

 山本氏がこれまで上梓された本は主に研究書、ノンフィクションでしたので、今回の小説は、70数年目にして少年時代の夢を実現したことになります。

 小説「ホーニドハウス」の「前書き」に「この物語は、一九六五年のアメリカのディープサウス(深南部)が舞台である。この年、アメリカによるベトナムの北爆が始まり、夏には米国北部の大都市を中心とする『長く暑い夏』と呼ばれる黒人の暴動が荒れ狂った。 主人公、太郎は、ジョージアの境界に近い北部フロリダの小さな町の大学に通っていた。」とあります。山本氏自身も米フロリダ大学経済学部大学院に留学した経験があるので、主人公の太郎は山本氏自身がモデルになっているのかもしれません。

 「文学しているなあ」というのが第二の感想です。何と言っても途中で諦めないところが凄いです。長年、文芸同人誌「四人」(105号刊行予定)を発行し続けて来たことだけでも、その凄さを証明できます。

 先日亡くなった気象予報士の富沢勝氏も、この同人誌「四人」の同人だったことから、山本氏が最初に富沢氏の訃報を知り、関係者に連絡して頂いたという話も聞きました。

 結局、文学も人生も、人との繋がりが肝要だということになります。

【追記】記事表紙の写真の花の名前は、いつもながら碩学Y氏による御教授の賜物です。有難う御座いました。

渋沢栄一 守屋淳訳「現代語訳 論語と算盤」を読む

 雪の大谷 Copyright par Syakuseidou

 悪の道に走りかけた釈正道老師が心を入れ替えたらしく、彼から急に写真が送られてきました。キャプションは

天気には恵まれました。雪の大谷、今年は積雪量は14メートルとかで。多くは無いのかな。山の写真は剣岳などです。

 これだけです。

 またもや暗号です。場所は何処なのか?このコロナ禍で、緊急事態宣言が出掛かっているこの非常時に、まさか旅行にでも行かれたわけではないはず…。私が調べたところ、「雪の大谷」とは富山県の有名な観光スポットらしい。ということは、わざわざこの時期に東京からベンツにでも御乗車されて旅行ですかあ!?

剱岳 Copyright par Syakuseidou

 しかも、肝心の剱岳と思われる写真は、この通りピンボケです。(バランスも悪い。)こんな芸術作品を撮影できるのは、ロバート・キャパと釈正道老師以外考えられませんね(笑)。

 さて、今年(2021年)、NHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送されていることから、主人公渋沢栄一が、この1年間、あらゆる媒体で引っ張りだこです。他の民放テレビで特集番組が放送されたり、雑誌で特集記事が組まれたりしています。嗚呼、NHK畏るべしです。

 私も本屋さんに行ったら、この渋沢の代表作「論語と算盤」(ちくま新書)が山積みになっていたので、思わず買ってしまいました。現代語訳ということで、類書の中で最も売れているらしく(新書売り上げナンバーワン)、私が先月買った時は42万部でしたが、4月17日の時点で既に60万部を超えているようでした。年内に100万部いくかもしれません。

 それだけ、読み易い本でした(いつぞや、このブログに書いた通り、他に読む本があって、しばらく「つん読」状態でしたが)。同書はもともと講演会の速記録を文字で起こしたもので、大正5年(1916年)に東亜堂書房から発行されました。ちょっと、ふと思ったのですが、「現代語訳」ということですから、速記録は文語文ということなのでしょう。でも、渋沢翁は、講演会でも文語調で講演していたということなんでしょうか?まあ、どちらでもいい話ですが。

雪の大谷 Copyright par Syakuseidou

 「論語と算盤」は、乱暴に一言で要約してしまうと、一見、人としての倫理観を説く「論語」と、金儲けの「算盤」とは矛盾するようだが、そんなことはない。商売するにしても、自分さえ良ければ良い、とか自分だけが儲かればそれで良いという考えでは商業資本主義は発達しないし、結局、損することになる。論語が説く倫理観が絶対に必要だ、といったところでしょうか。

 青年期に幕末、維新の激動時代を生き抜き、フランスへ徳川昭武の随行員に選ばれて、最先端の資本主義を見聞して、帰国後に500近い企業を起こした渋沢栄一だけに、確かに説得力があります。渋沢は1840年生まれですから、この本が出版された時は76歳ぐらいですか。功成り名を遂げた名士として、社会福祉活動にも力を入れていた時期です。渋沢栄一の思想哲学が凝縮され、「こういう考え方の人だったからこそ、大きな仕事を成し遂げることができ、偉人とも巨人とも言われたんだなあ」とよーく分かります。

 でも、はっきり言って、「成功物語」なので、誰もが渋沢栄一になれるわけではないので、この本を読めば出世できる、とか金持ちになれるなどと誤解しない方が良いです(笑)。

 渋沢もこう言ってます。

 世間には、冷酷無情で全く誠意がなく、行動も奇をてらって不真面目な人が、かえって世間から信用され、成功の栄冠に輝くことがある。これとは反対にくそ真面目で誠意にあつく、良心的で思いやりに溢れた人が、かえって世間からのけ者にされ、落ちこぼれとなる場合も少なくない。(75ページ)

 この一節を読んだだけでも、渋沢栄一という人は、人間観察に鋭敏な人だったことがよく分かります。

 落ちこぼれで、失敗と挫折ばかりしてきた私自身も、渋沢の説くこの後者だったので、よーく分かり過ぎるくらい分かるのです。

 【追記】「歴史人」によると、日本史上「子だくさん」の第1位は、本願寺の中興の祖、蓮如で男子13人、女子14人の計27人でしたが、渋沢栄一の場合、二人の正妻以外に妾や愛人もたくさんいて、同書によると、庶子を含めて30人の子どもをなしたといいます(50~100人の説も)。となると、蓮如さまどころではなく、明らかに渋沢栄一こそが、日本一の艶福家となりますね。(そう言えば、十一代将軍徳川家斉は、大奥制度もあり、53人の子をなしたといいます)

 東京・王子飛鳥山にある「渋沢栄一記念館」に行くと、展示パネルに、今も活躍する企業や子孫の系図も出てきて、どこまで行っても「渋沢栄一」の名前があらゆるところに出てくるので眩暈を覚えたことがありました。

戦国武将 最強は誰か?=意外にも信長公は第6位

 「歴史人」4月号の特集「発表! 戦国武将 最強ランキング」はなかなか読み応えがありました。全合戦の勝率から導き出された最強の武将は誰なのか決定したもので、意外にも第1位は毛利元就。49勝9敗2分で勝率8割1分7厘という戦績でした。

 第2位は、四国の王者・長宗我部元親で47勝12敗2分けの勝率7割7分。第3位は豊臣秀吉で106勝22敗15分の勝率7割4分1厘でした。これまた、意外にも、織田信長は59勝15敗8分(勝率7割2分)で6位にしか入っていないんですね。徳川家康も52勝10敗12分(同7割3厘)の8位ですが。

 ところで、関東の雄・北条氏康は34勝8敗8分、勝率6割8分で第9位に食い込んでいて、全50合戦の勝敗表が掲載されていますが、読んでいて矛盾した箇所が出てきます。1556年3月10日の鎌倉合戦で里見義堯(さとみ・よしたか)に勝利を収めたことになっていますが(32ページ)、15勝9敗5分(勝率5割1分7厘)で第20位に入った里見義堯は「安房の小大名ながら北条氏康に勝利した戦術家」として紹介されています(37ページ)。

 それによると、里見義堯は天文24年には北条氏康軍に大勝し、武名を挙げたことになっています。天文24年は西暦1554年で、この年は、武田信玄と今川義元と北条氏康が「三国同盟」を結んだ年です。その後、第1次久留里城=千葉県君津市=の戦いがあり、里見氏が北条氏の攻撃を退けています。北条氏康の項で、里見義堯に勝ったとされる1556年を調べると、この年の「三浦三崎の戦い」で里見水軍が相模に進軍して北条水軍に辛勝したとあります。となると、いずれにせよ、北条氏康は敗れたことになり、34勝8敗8分ではなく、33勝9敗8分にならなければおかしいし、里見義堯の項で、北条氏康軍に「大勝した」のではなく、「辛勝した」にしなければおかしい。こう考えると、他にも間違いがあるのかもしれません。

 例によって、自分が知らなかったことなど特に銘記しておきたいことをメモ書きします。

・戦国大名(武将)が勝利を重ねるのに最も重要な存在は、軍師。天下を取った豊臣秀吉には実弟の豊臣秀長黒田官兵衛(如水)、竹中半兵衛らがいたことが大きい。他に、今川義元の太原雪斎(たいげん・せっさい=今川氏親の重臣庵原左衛門尉の子)、大友宗麟の立花道雪角隈石宗(つのくま・せきそう)、龍造寺隆信の鍋島直茂、伊達政宗の片倉小十郎景綱、武田信玄の真田幸隆山本勘助ら、毛利輝元の安国寺恵瓊(えけい=安芸守護大名武田信重の子)、徳川家康の本多正信、石田三成の島左近(筒井順慶、蒲生氏郷らに仕えた後、関ケ原の戦いの前に主君三成の半分の俸禄で迎えれた)らがいる。

・子だくさんの第1位は、本願寺の中興の祖、蓮如で男子13人、女子14人。84歳で亡くなった時、5番目の妻で34歳の蓮能尼は生後2カ月の息子を抱いていた。2位は織田信秀で男女ともに12人、その子息の織田信長も男子10~12人、女子10人を側室に産ませた(異説あり)。

・応仁の乱の後、「剣術三大源流」の流派が始まる。愛洲移香斎(あいすい・こうさい)による「陰流」、中条長秀の「中条流」、飯篠長威斎(いいざさ・ちょういさい)の「神道流」の三派だ。陰流の愛洲移は常陸国の鹿島の人、神道流の飯篠は香取神宮の神意を受けて創始。飯篠の弟子で「鹿島神流」を創始した松本備前守尚勝は鹿島神宮の神職。同じく飯篠の神道流の門派から出て「新当流」を創始した塚原卜伝は鹿島神宮の神官の次男と、どうも剣客には鹿島神宮と香取神宮に関係している。

・剣豪ランキングで、第1位の宮本武蔵に次ぎ第2位を獲得したのが、上泉信綱(かみいずみ・のぶつな)。上野国大胡(群馬県前橋市)の上泉城主の子で、青年時代に鎌倉で念阿弥慈恩を流祖とする「念流」を学び、下総国香取で松本備前守尚勝の「鹿島神流」や塚原卜伝の「新当流」を習得し、常陸国鹿島で「陰流」の愛洲移香斎に師事して「新陰流」を創始。上泉信綱の弟子として、「柳生新陰流」を創始した柳生石舟斎宗厳(せきしゅうさい・むねよし)、「疋田陰流」の疋田文五郎、「タイ捨流」の丸目蔵人佐(まるめ・くらんどのすけ)ら多くの剣豪を輩出した。

我がオーディオ遍歴記

 随分、大層なタイトルを付けてしまいましたが、私の世代ほど、オーディオ機器の変遷に翻弄された世代はないと思われます。

 まず、1960年代初頭、私が幼稚園の頃、家にあったレコードはSP盤でした。とても、堅いながら、落とすとパリンとすぐ割れてしまう代物でした。多分、父親のコレクションで、クラシックやジャズもあったかもしれませんが、私が覚えているのは何枚かの童謡でした。それほど聴いたわけではなく、何しろ、どんなSPプレーヤーだったか覚えていません。

 私が小学生の2年生ぐらいの頃になると、いわゆるLP、EP、シングル盤が聴けるポータブルのプレーヤーが家に入って来ました。兄が中学生だったので、主に兄が使っていたのかもしれません。

 覚えているのは、この上の写真のEPです。シングル盤は45回転で、A面、B面の2曲しか入っていませんが、EP盤はLPと同じ33回転で4曲も入っています。上の写真のEP盤はビートルズのLP「ラバーソウル」から編集されたものであることは今ではすぐ分かるので、1965年に発売されたと思われます。となると、小学校3年生の時でした。このEPは中学生だった兄が友人から借りてきたものだったので、2週間ぐらいで家からなくなりましたが、ビートルズといえば、激しくてうるさいロックだと思っていたら、こんな優しいバラードもあるのか、と子どもながら驚いたことを覚えています。

 小学生ながら、すっかり洋楽づいてしまい、文化放送の確か、ひがさ缶詰提供の「ポップスベスト10」などを聴いて育ちましたので、新曲を出せば1位になっていたビートルズ(「イエローサブマリン」辺りから=1966年)やローリングストーンズ(「シーズ・ア・レインボウ」辺りから=66年)などを覚えました。初めてレコードを買ったのは小学校4年生の時で、ビージーズの「ジョーク」という曲のシングル盤400円でした。その頃、父親がオープンリールのテープレコーダーを買いましたが、特に音楽を録音したわけでもなく、伯父さんが遊びにきたとき、唄を歌ったり会話したりしたものを録音したものでした。そのテープもレコーダーも今はなくなりましたが。

 LP盤を初めて買ってもらったのが1969年のビートルズの「アビイロード」でした。その時に、父親が初めてソニーのインテグラというステレオを買ったからでした。

 とにかく、中学高校生になるとお小遣いでビートルズのLPを買い集めました。カセットテープレコーダーもその頃に初めて買ったのでしょうが、その後何度も買い換えたので、いつ頃初めて買ったのかも覚えていません。

 1970年代、大学生になると、アルバイトでステレオのコンポーネントを買い揃えました。アンプはヤマハが良いだの、オンキョーが良いだの、スピーカーはデンオンが良いだの、と友人と競って買い揃えました。まだ、LPとカセットの時代で、我々はウオークマンの第1世代でした。

 日本で初めてCDが発売されたのが1983年ということですから、既に社会人になっておりました。初めてCDを買ったのは何だったのか覚えていませんが、LPで持っていたレコードは全てCDに買い換え、持っていたLPは二束三文で中古屋さんに売ってしまいました。80枚ぐらいで9000円ぐらいでしたから惜しいことをしました。

 MDが初めて発売されたのが1992年ということですが、これまた初めて買ったのはいつだったのか覚えていません。ラジカセも何回か買い換えましたが、カセットテープは、しばらくするとテープが伸びて音が聴けなくなったりするので、これまた持っていたカセットは処分して、全てMDプレーヤーに録音し直したりしました。

 30代は主にモーツァルトなどのクラシック、40代はビル・エバンスなどのジャズにはまり、50代以降はボサノヴァなど千差万別聴くようになりましたが、60代になると、次第に音楽はあまり聴かなくなりました。20代は一日16時間ぐらい聴いてましたが、今では一日30分ぐらいでしょうか。

◇今でも誰よりもMDを愛す

 さて、ここからが本題です(笑)。実は今でも語学講座の録音などでMD使い続けているのです、現在は、ネット上での音楽鑑賞が中心になり、録音する際は、フラッシュメモリーとかUSBとかハードディスクとか色々あるようですが、私はMDで止まってしまい、新しいものにはあまり付いていけなくなってしまったからです。

 レコードはSPから始まり、LPとなりCDを経験し、録音は、オープンリールからカセットテープになり、MDへと激動の時代を潜り抜け、もう疲れました(笑)。

ケンウッドのMDパーソナル・ステレオシステムMDXーL1

 実は、長年、語学録音などに使っていたMDプレーヤー(CDプレーヤーとラジオ付き)の調子が最近悪くなってしまい、何か、新しいものにしようかと思ったのですが、私が昔買ったものと全く同じものが通販で売っていたので、今回買うことにしたのです。ケンウッドのMDパーソナル・ステレオシステムMDXーL1という代物です。中古ながら2万5980円もしました。よく見たら「2009年製」とありました。ネット上で説明済でしたが、AMのアンテナが付いてなく、保証書も説明書もなく何か危ない(笑)。それに、楽天で買ったのに、何と古いアマゾンの段ボールに入れて送って来ましたよ(笑)。

 私が同機種を買ったのは「2006年製」で、領収書が出てきたので見たら、2万4800円でした。何だ! 中古品なのに、買った時のモノよりも高くなっているとは! まあ、経済は、需要と供給の世界ですから、高くても買う馬鹿がいるわけですねえ(笑)。この機種は、2006年に買ってから3年後の2009年に2回、CDの再生不可とMD録音の不調で修理に出して、合計9222円の修理代を取られていますが、それ以降1回も壊れていませんでした。まあ、15年間も長い間、よく頑張ってくれました!

 となると、新しく買ったこの中古品も2009年製ですから、あと3年ぐらい持ってくれればいいという感じかもしれません。修理に出しても、生産はとっくに終わって、部品もないことでしょうから。

 でも、3年後にこの中古品が壊れたら、今度はどうしましょうか。

 語学学習なんてもうやめてしまうか、専用のラジオ録音機器を買うか…。そして、CDを聴く専用のプレーヤーを買うしかないかもしれませんね。

 何しろ、今の人は、音楽なんて、ダウンロードして自分のスマホで聴くのが主流で、何そのCDって? LPって何ですか? SPって化石かアンモナイトみたいなもんでしょう?と言われることでしょう。

ヒスパニックか?エイジアンか?=それが問題だ

銀座・ひょうたん屋 Copyright par Keiryusai

  この話は、都内で語学学校を経営されていると思われる中村治氏にとってご参考になる話かもしれません。いきなり、御指名されて、さぞかし驚かれていることでしょうが(笑)。

 英語の話です。

  先月4日に、「杉田敏先生のラジオ講座『実践ビジネス英語』が今月で終わってしまうとは!=33年で幕」という記事を書きましたが、この中で書いた通り、「杉田ロス」にはなりたくないので、商魂たくましいNHK出版が発行する季刊ムック「杉田敏の現代ビジネス英語」を聴き始めました。ラジオ放送はなく、スマホにアプリをダウンロードして聴く方式です。 

 今のところ、公私ともに多忙で、なかなか聴く時間が取れないのですが、レッスン1の「The Power of Diversity 多様性の力」は、なかなか考えさせられる濃い内容でした。

 移民の国アメリカですから、米国には多様な人種の人が住んでいます。現在は、白人系が大半を占めていますが、2045年には、ヒスパニックや黒人(アフリカン・アメリカン)、アジア系などのマイノリティ(少数派)が人口比で白人を上回り(もしくは白人が50%を切り)、minority majority(マイノリティ多数派)の時代になるというのです。

 テキストの物語は、ニューヨークに本社を置く世界的な消費財メーカーを舞台に、日本人の主人公・井出恭平が米国に渡り、Diversity Marketingチームに配属されるところから始まります。チームのトップは、ユダヤ系のジェーン・ローゼンバーグ、同僚に、ヒスパニックやネイティブ・アメリカンのチェロキー系やレバノン系らがいてダイバーシティに富みます。

銀座・ひょうたん屋 鰻丼(昼のみ)1850円 Copyright par Keiryusai

 さて、このレッスン1の中で、ヒスパニックの話が出てきました。文字通りスペイン語を話す人という意味で、中南米系の人たちを指します。他にLatino(ラテンアメリカ人=男性)とかLatina(女性)という場合もありますが、男性女性関係なくジェンダーフリーでLatinx(ラティネックス)という言い方があることをこのテキストで初めて知りました。

銀座・みゆき館 Copyright par Keiryusai

 また、さて、なのですが、このことについて語学学校の講師を務めるウンベルト君に聞いてみました。彼はロサンゼルス生まれ、育ちの米国人ですが、メキシコ系です。両親が20代の時に、メキシコからロサンゼルスに移住して来ました。ちなみに、この両親の出身地は、ロックバンド「サンタナ」のカルロス・サンタナと同じメキシコ・ハリスコ州アウトラン・デ・ナヴァロです。今でも彼の祖母ら親戚がそこに住んでいるそうです。となると、彼は「ヒスパニック」の典型ですね。家庭内ではスペイン語が使われていたといいますから。

 そこで彼に聞いてみました。「あなたはヒスパニックで、ラティーノですか?それとも、ラティネックスと言われた方がいいですか?」

 彼は、浮かない顔で、しばし考えた後、「うーん、ラティネックスって聞いたことないですねえ。日本に来てもう5年になるから…。今向こうで使われているかもしれないけど…」と正直に答えました。そして、またしばらく間を置いて、

「うーん、ヒスパニックもラティーノもねえ…間違いじゃないし、問題ないんですけど…。そうだ、やはり、メキシカン・アメリカンが一番だ」と言うではありませんか。

 今度は、こちらが考える番です。「それが一番良いの?」

 すると、彼は「もし、エイジアンと言われてどう思いますか?インド系も中国系も韓国系も皆、エイジアンです。やはり、自分はジャパニーズ(日系)・アメリカンと言われた方がすっきりしませんか?」

 なあるほど、凄い明解ですっきりしました。つまり、エイジアンやヒスパニックではあまりにも範囲が広すぎるのです。

銀座・みゆき館 モンブランとコーヒー 1265円 ランチとデザートで3000円超えてしまった!

 テキストでは、黒人のことを、Black Americanまたは African American という他に、BIPOC(blackIndigenous and people of color)と呼ぶようになったというので、このことも彼に聞いたら、「BIPOC? うーん、知らない。聞いたことないですねえ」とまた正直に答えました。このテキストを創作した杉田敏先生は、毎日欠かさず、ウォールストリート・ジャーナルとニューヨーク・タイムズとザ・ガーディアンの3紙には目を通しているといいますから、ジャーナリズムの最先端に出てくるフレーズや言葉には精通しています。まあ、ネイティブ以上と言えます。逆に新聞を読まない世代は、米国人でも異国に住めば最新用語を知らないのかもしれません。

 この後、私も色々と考えて、「黒人の人も、ヒスパニックの例と同じように、アフリカン・アメリカンと言われるよりも、ケニアン・アメリカンとか、タンザニアン・アメリカンとか言われる方が嬉しいかもしれないね」と言うと、彼も「そうですね。その通りかもしれませんね」と相槌を打つのでした。

 テキストだけでは絶対に分からない微妙なこと(ニュアンス)まで学べた、というお話でした。