朝日新聞の暴露本?創業家の村山美知子三代目社主が可哀そうに思えます

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 「貴方のことですから涎を垂らしながら読む本がありますよ」と、大阪にお住まいの難波先生のお薦めで、樋田毅著「最後の社主 朝日新聞が秘封した『御影の令嬢』へのレクイエム」(講談社)を読了しました。2020年3月26日初版ですから、出たばかりの本です。

 最後の社主とは、日本を代表する天下の朝日新聞社の創業者村山龍平翁の孫として生まれた三代目の社主村山美知子氏(1920~2020)のことで、今年3月3日に99歳で亡くなられたばかり。あまりにものタイミングの良さが逆に不可解に思われますが、それは、美知子氏本人らの承諾の下で、事前に大枠が執筆されていたからでした。著者の樋田氏は、元々、朝日新聞の事件記者で、会社側から村山家の内情を探るように送り込まれた「秘書役」を都合7年間務めた人でした。会社と創業家である社主との間では、長い間、経営権や株式所有権など「資本(株主)」と「経営」の問題で緊張関係が続いていました。

 いわば「密偵」として送り込まれた樋田氏が、次第に社主の美知子さんの人間的素晴らしさに魅了され、逆に理不尽な経営陣の「オレオレ詐欺」のような阿漕なやり方に憤りを感じていきます。この本は、それら内部事情を実名を挙げて暴露した告発本として読めなくもありません。

 結局、美知子社主の所有していた朝日新聞の11.02%の株式は、創業者の龍平翁が心血注いで収集した香雪美術館に遺贈する形で、経営陣は資本から切り離すことに成功します。既に、美知子氏の実妹である富美子さんが所有していた3.57%の株式と富美子さんの子息で美知子社主の甥にあたる村山恭平氏が所有していた5%の株式は、凸版印刷と従業員持ち株会へ譲渡されていて、これで、創業一族である村山家と朝日新聞との資本関係を断ち切ることに経営陣は成功するのです。どうやったのかー、については本書に事細かく書かれています。天下の朝日(の経営陣)がこんな酷いことをしていたのか、と多くの人は失望することでしょうが、いわば内部の人間が書いたことなので真実なのでしょう。何しろ、著者は当初、美知子社主の遺産を相続する養子探しを村山家の家系図(親族には三井宗家、三菱岩崎家、信州の小坂財閥、皇族の常陸宮妃華子さままでおられた!)まで作成しながら奔走しますが、最後は経営陣によって、良いところまでいった養子縁組をつぶされたりします。

 とはいえ、私自身は、これら「村山騒動」に関してはそれほど興味ありません。それより、ここ描かれた村山美知子さんという大新聞創業者の孫として生まれた「深窓の令嬢」の暮らしぶりには、度肝を抜かされるほど圧倒されました。

 日教組やリベラリストが大好きな朝日新聞ですが、世間で思われているほど反体制的でもないし、赤貧洗うが如しの労働者のためにキャンペーンを張るような庶民の味方の新聞でもなく、これを読むと、新聞経営で大成功を収めた大富豪の手慰みの新聞にさえ思えてきます。右翼だ、左翼だ。反中だ、反韓だ、などとイデオロギー一辺倒で騒ぐ貧乏臭いメディアとは一線を画しています(笑)。村山美知子社主の育ちぶりを読むと、世の中には、右翼も左翼もいない。人間には、特権上流階級とそれ以外しかいない、ということが如実に分かりますよ。

 何しろ、創業者の村山龍平翁が建てた神戸市御影の自宅の敷地は約1万坪で、1908年(明治41年)ごろに3階建ての洋館が建設され、藪内流茶道家元の茶室「燕庵(えんなん)」を模した「玄庵」などが設けられ、その後、敷地内には龍平翁が収集した美術品を集めた香雪美術館も1973年に開設されます。

 香雪美術館は、重要文化財19点、重要美術品23点を含む約2000点が収蔵されています。私も一度、難波先生のお導きでこの御影の美術館を訪れたことがあります。そして、当然のことながら、村山家の豪邸の敷地を拝見することになりましたが、歩いても、歩いても、敷地を囲む高塀がどこまで行っても尽きることなく続いていたことをよく覚えています。阪急電鉄創業者の小林一三は、同電鉄神戸線を敷設する際、村山邸の敷地を買収できず、線路が迂回してしまったことを悔やんだといいます。御影は超高級住宅街として知られ、周辺には住友銀行初代頭取の田辺貞吉邸、武田薬品の武田長兵衛邸、大林組社長の大林義雄邸、野村財閥創業者の野村徳七邸、伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛邸、日本生命社長の弘世助三郎邸、岩井商店(後の日商岩井~双日)の岩井勝次郎邸、東京海上専務で美知子社主も通った甲南学園の創立者でもある平生釟三郎邸などの大邸宅が建てられました。

 村山家は、広大な本邸のほかに、有馬温泉や六甲山や伊豆などに別荘を持ち、東京の滞在先として今はホテルオークラの別館になっている麻布市兵衛町の約3000坪の別邸があったといいます。特権上流階級のスケールが違いますね。想像できますか?

 美知子さんの父親で二代目社主の長挙氏は、旧岸和田藩主の岡部長職(ながもと)の三男だったことはよく知られています。創業者龍平の方は、紀州藩の支藩だった田丸藩(三重県玉城町)の元藩士だったことから、玉城町の中心部にある約10万平方メートルの広さの城山を国から約3万円(今の価値で数億円)で買い取り、町に寄付したといいます。城山の山頂にはあの北畠親房が創建した田丸城の城址があるという逸話も書かれ、私なんかは城好きですから、「村山騒動」の話よりこちらの方が惹かれました。

 美知子さんは「三代目社主」として小さい頃から「帝王学」のようなものまで学び、日本舞踊や茶道、それに戦前は富裕層しかできなかったスキーやフィギュアスケートなども活発に励行しますが、何と言っても、後年、大阪フェスティバルホールを創設して専務理事になるほどですから、作曲家呉泰次郎の音楽塾で作曲法などを学びクラッシック音楽の素養を身に着けます。この審美眼が、若手アーティストの発掘にもつながり、カラヤンやバーンスタイン、小澤征爾ら最高の音楽家らと華麗なる人脈もできます。「村山騒動」よりも、美知子さんが最も輝いていた時だったので、この辺りの描写は読んでいて気持ちが良いです。

 それにしても、朝日新聞経営陣による創業家一族に対する扱い方は酷いものですね。人間とはそういうものかもしれませんが、読んでいて気分が悪くなりました。

緊急事態宣言下の東京・銀座【動画編】

 そう言えば、今は簡単にスマホで動画が撮れました。

「緊急事態宣言」発令という歴史的な事件を写真(静止画)だけでなく、動画として残すべきではないか、とフト思い立ち、IT音痴ながら、試行錯誤の末、ブログにアップしてみました。

何とかご覧になれますか?

歌舞伎座も御覧の通りです。

おまけに、最初のと同じ銀座の中心、4丁目辺りの動画をアップします。

金曜日の午後ですがら、通常の10分の1、いや、100分の1の人数かもしれません。

ウチの会社は、実は、普通の企業ではなく、社会的使命を持った会社なので、今の今まで現場で頑張ってきましたが、ついに、出社人数を絞って、テレワークと自宅待機態勢に移行することになりました。

 小生は、明日から1週間、自宅待機組となりました。ま、出社に及ばず、てなところでしょうか(笑)。

そんなことはありません。と自分で言ってどうするの?と突っ込んでみました。

ちょうど、ギックリ腰のようなものをやって歩行の困難を来していたので、自粛するには良い機会でした。

緊急事態宣言下の東京・銀座

 戒厳令、いや、間違いました。緊急事態宣言が発令された翌々日の4月9日、首都東京を代表する繁華街の銀座を昼休みに散策しました。

 いまだに銀座まで通勤しており、銀座は私の庭みたいなもんですからね(笑)。

銀座4丁目 左は和光、右は三越

まるでゴーストタウンです。早朝でも深夜でもなく、午後1時すぎですよ!

三越百貨店も臨時休業
銀座「鳩居堂」も当面休業

 ノーベル賞作家アルベール・カミュの小説「ペスト」が売れに売れているらしいですね。新潮文庫は2月中旬から最近まで、何と15万部以上も増刷したそうです。

 信じられません。

銀座通り こんなに人がいないとは!

 担当者によると、映画化などの話題なしにこれほど大きな反響を呼ぶのは過去に例がないそうです(以上、読売新聞から)。

 確かに、この銀座の風景も、「ペスト」のような「都市封鎖」された街に見えなくもない。

普段なら観光客でごった返す「銀座SIX」もこの通り(しゃれではありません)
銀座5丁目

 1960年代に「花は何処へ行った」というフォークソングが大ヒットしました(キングストン・トリオ、PPM、ジョーン・バエズら複数)。こんな光景を見ると、思わず「人々は何処へ行った」と呟きざるを得ません…。春の光を浴びて、一番、銀ブラしたい季節がやって来たというのに、です。

東銀座の歌舞伎座 出し物の案内看板すらない!こんなの初めて!

 以上 こういう写真は、何十年後かに見た人が「えっ?そんな時代があったの!?」と奇声を発するに違いありません。

 ですから、これらは、資料的価値がある写真かもしれませんよ。ただし、無断転載は禁止しまーす。(ご連絡頂くか、リンク先を貼ったり、著作権を明記したりしてくださればオッケーですが)

緊張事態宣言の効果に疑問

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 昨日は、ついに日本の国家の最高責任者である安倍首相が「緊急事態宣言」を発令しました。午後7時からの記者会見は、天下のNHKも民放もどこもかしこも同時生中継でした。私も長く生きていますが、こんな宣言は生まれて初めてです。我々は凄い時代に生きていますね。

 どれくらい凄い宣言なのか、私も固唾を飲んで聞いていましたが、以前と変わらない自粛要請のみで、都市封鎖もなし。厳しい外出禁止令を施行している欧米なんかは、違反すれば10万円とか30万円とか高額な罰金を取り、フィリピンの大統領は、違反者は射殺するとまで言ってるというのに、そんな制裁も何もなし。拍子抜けしてしまいました。緊急事態宣言は、5月6日までの期限付きで、7都府県で実施。感染者の多い愛知県が含まれなかったのは、トヨタがあるせいでしょうか。勘ぐりたくなります。

 事前にマスコミ辞令では閉鎖が発表されていた理髪店に行ってもいいし、安倍首相は「散歩やジョギングをしても構わない」とまで言う始末。果たしてこの宣言がどこまで効果があるのか疑問を持ちました。

 安倍首相といえば、ゴリゴリの強権主義者で、大胆無敵なイメージがありましたが、意外にも、結構ナイーブで、慎重、控えめな人だったんですね。英字紙では、緊急事態宣言を「State of emergency」としてましたが、同じ言葉でも、諸外国に当てはめて訳すと、「非常事態宣言」になります。「緊急」と「非常」の違いなんでしょうか?

 でも、日本の場合は、あくまでも単なるお願いですからね。緊急事態が宣言される前の3月下旬ですが、慶応大学病院の若い研修医たち40人もが、小池都知事の自粛要請を無視して、というか、小馬鹿にして、「3密」で楽し気な懇親会を深夜遅く3次会まで開き、18人以上が新型コロナウイルスに感染していたことが判明しました。医療従事者がこの体たらくですからね。罰金刑にしたいぐらいです。

 何でこんなこと言うのかといいますと、緊急経済対策など椀飯振舞いした後の財源が心配だからです。甚大な影響を受けた中小企業や個人事業主らに対しては納税も1年間猶予する方針らしいですから、赤字国債を発行するのか、いずれにせよ、国民の税金に跳ね返ってくることは素人でも分かります。

東京・銀座

 一方、お上が「店を閉めろ」と言ってるだけで、休業補償なしでは生活が成り立たないという商店主や夜の接待業者らの訴えもよく理解できます。

 減収世帯の賃金補償も、厳しい複雑な基準があって、月収20万円の世帯が11万円になっても補償なしなんですよね。半額以下の10万円ならいいようですが、何じゃらほいです。

 そんなこんなで怒りに駆られながら、先程、椅子から立ち上がろうとしたら、右脚がギクッとして、力が入らず、暫く歩けなくなりました。ギックリ腰はやったことがありますが、ギックリ脚は生まれて初めてです(苦笑)。

 生まれて初めて、尽くしです。

「渡来系移住民」とは何か少し分かりました

 吉村武彦ほか編著「渡来系移住民」(岩波書店)を読破しました。考古学と古代史が専門の5人の学者の論文です。中には大学の紀要論文を読んでいるような趣もあり、一般向けにしては結構難しかったでしたが、「古代史の現代最新知識」がよく分かりました。

 半年も経てば、内容はすっかり忘れてしまうことでしょうから(笑)、加筆しながら備忘録として書いておきます。

 ・5世紀の「宋書」倭国伝に「讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)」の倭五王の名前が見られる。彼らは宋に方物を献ずる代わりに皇帝から称号を得る。例えば、この五王最後の武王ことワカタケルは雄略天皇のことだが、彼は478年に「使持節(しじせつ)、都督倭(ととくわ)、新羅、任那、加羅、秦韓(しんかん)、慕韓(ぼかん)六国諸軍事・安東大将軍・倭王」に任じられた。(吉村武彦氏、33ページ)☞これは、宋にとって朝鮮半島は勢力範囲ではないため、倭に、朝鮮半島の支配を黙認していたということなのか?

 ・朝鮮半島の人たちが日本列島に渡ってくる大きな要因には、その時代の半島での政治的情勢があった。例えば、475年に百済が高句麗との戦いに敗れ、漢城(今のソウル)が陥落した時。532年に金官(任那)加耶、562年に大加耶、660年に百済がそれそれ滅亡した時。さらに、663年の白村江の戦い(倭・百済復興軍が唐・新羅連合軍に敗れる)、668年の高句麗滅亡、そこから676年にかけての唐と新羅との戦いなど。(亀田修一氏、320ページなど)

出雲大社

・遣外使節のメンバーには渡来系の者が多く見られる。例えば、608年の遣隋使で名前の分かる使節員や通訳、留学生など11人をみると、大使の小野妹子を除く実に10人が渡来系氏族出身者だった。ところが、時代が下ると渡来系の割合が減少する。608年の遣隋使から約200年後の804年の遣唐使は、実名の分かる20人近くの入唐者のうち渡来系はわずか4人しかいない。(田中史生氏、239ページ)

 ・越前三国(みくに)にいた男大迹王(をほどおう)は、武烈天皇の後の皇位継承者として迎えられたが、すぐには承知しないで、渡来系の河内首馬飼荒籠(かわちのおびと うまかい あらこ)の使者を通じで情勢を確認し、507年、樟葉(くずは)宮(現大阪府枚方市楠葉)で即位(継体天皇)し、荒籠を重用した。(千賀久氏、128ページなど)

 ・「日本書記」継体天皇21年(527年)条に大規模な反乱を起こした人物として「筑紫国造磐井」が登場する(磐井の乱)。福岡県八女市にある前方後円墳「岩戸山古墳」が磐井の墓と推測される。磐井は新羅人を勢力につけてヤマト王権を倒そうと目論んだ。(亀田修一氏、154ページなど)

 ・542年に百済に派遣された紀臣奈率弥麻沙(きの おみ なそつ みまさ)と物部連奈率用奇多(もののべの むらじ なそつ ようがた)は、「奈率(なそつ)」という百済第6位の官位を持っていた。(紀臣奈率弥麻沙は、倭系官人と現地の女性との間に生まれた二世だったといわれる)このほか、543年に派遣された物部施徳麻奇牟(もののべの せとく まがむ)は「施徳(せとく)」(第8位)、553年の上部徳率科野次酒(しょうほう とくそつ しなのの ししゅ)が「徳率(とくそつ)」(第4位)である。明らかに倭国の氏と姓を称しながら、百済の官位を使っていた。冠位十二階は604年だから、まだ実施されていない。(吉村武彦、55ページ)

 ・武蔵国高麗郡(現埼玉県日高市、飯能市)は「続日本紀」によると、716年(霊亀2年)5月、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の7国の高句麗人1799人を移して建郡された。758年(天平宝字2年)には新羅人をうつして武蔵国新羅郡(現埼玉県新座市、志木市、和光市)が建郡された。(田中史生氏、260ページなど)

・これまでの古代史は、遣唐使史観が中心だった。そこであまり注目されてこなかった飛鳥・奈良時代における統一新羅との活発な交流を見直すべきではないか。例えば、672年から701年まで唐と日本の間で外交交渉すら全くなかった一方、新羅と日本の間には高句麗が滅亡する668年から最後の新羅使が派遣される779年まで、新羅から47回、日本から25回の使節が往来した。それに対して、遣唐使は260年間で長安に到達できたのはわずか13回で、全員が帰国できたのはただ1回しかない。(朴天秀氏、283ページなど)

 ・「帰化」とは古代においては、華夷・中華思想(漢民族の華夏が世界の中心で、周囲諸国は遅れた夷狄=東夷、西戎、南蛮、北狄=である)と密接な関係にあった。古代中国では、皇帝の教化が直接行き届く範囲を「化内(けない)」の文明世界とみなし、その外側には「化外(けがい)」の野蛮世界が広がるとして、国家の内と外を区別した。そして文明世界の頂点に君臨する中華皇帝のもとに、その威徳を慕って「化外」から未開の諸民族が集い来ると考えた。彼らが皇帝の民となることを望むと、これを「帰化」と呼び、皇帝は儒教的精神のもと哀れみをもってこれを受け入れ「化内」に編入した。(田中史生氏、205ページなど)

 キリがないのでこの辺で。

「影の首相」今井尚哉氏とは

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 新型コロナウイルスで多数の死者が出ているのに、先日は、くだらないジョークを書いたところ、非難轟々。森一中の白沢さんからは「貴方は相変わらずのsarcasm ですね」と言われてしまいました。sarcasmとは相手を傷つけようとする悪意のある嫌味のことで、ユーモアを含んだirony とは違います。せめて、criticism(批評)と言ってもらいたいものです。

 修行の足りない小生なんか、他人様から何か言われると、すぐ怯んでしまいますが、その点、京洛先生は怯みませんねえ。

 「医師会もテレビも、医療崩壊、医療崩壊なんて叫んでますが、ベッド数にしても医者・看護師の数にしても、日本はコロナの前からとっくに医療崩壊しているのです。何を、今さらですよ」と、内部事情に通じた発言をぶちかましていました。

 「それより、毎日新聞日曜版に連載されている松尾貴史さんのコラム『ちょっと違和感』読んでますか?新聞記者もあれぐらい書けなければ駄目ですね。松尾さんはなかなか大したタレントですよ。今の記者は何をやってるんですかねえ」とご立腹でした。

 ということで、3月5日(日)に掲載された「志村けんさん、新型コロナで死去 心がない、お悔やみの言葉」と題したコラムを読んでみました。為政者に対する痛烈な批判です。特に、小池都知事に対しては、「死者に対する心ない発言」や、緊急性のない記者会見を夜に開いて、記者から「夜出歩くな、とか分かるんですが、それを聞くために夜に集まった私たちは何なんですか」と指摘されても「状況は刻刻と変化しております」と開き直る態度をコテンパンに批判してます。これ、あくまでも、sarcasmではなく、 criticismの極致ですね。

 つまり、目立ちたがりの小池さんは都知事として「やってる感」をテレビで強調したいだけなのです。ついでながら、テレビに出ることで、再選のための選挙公報運動をやっているようなものなのです。都民も騙されてはいけませんね。

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 話は変わって、今、「影の首相」として今井尚哉・内閣総理大臣補佐官が俄然、注目を浴びています。この方、「全校一斉休校」も「1世帯、マスク2枚」も考案して安倍首相に進言して、周囲の制止を振り切って採用させようとしたという噂の持ち主です。

 ジャズシンガーの山岡未樹さんは、メルマガで「84円の切手を使用したとして 50億円、マスク1枚\200円 2枚で 400円で  200億円 かかります。これ 私達の税金ですよね。」と発言されてました。

 確かに。

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 この今井尚哉さん、どんな人なのか調べたら色々と出てきました。まず、お名前は「なおや」ではなく、「たかや」と読むそうで、1958年8月、栃木県生まれの61歳。日本工業倶楽部理事長を務めた宮島清次郎も出た名門・県立宇都宮高校卒業後、東大法学部へ。卒業後、通産省に入省したバリバリのエリート高級官僚です。

 名前からすぐ分かったのですが、新日鉄会長、経団連会長を務めたあの今井敬氏(1929~)は叔父に当たります(本人の父親は医者だったとか)。この今井敬氏も著名人ですが、さらに有名なのが、もう一人の叔父今井善衛(1913~96)です。えっ?何?知らない? この方、府立1中ー1高ー東京帝大ー商工省という絵に描いたようなエリートコースを歩み、官僚トップの通産省事務次官を務めました。。城山三郎の小説「官僚たちの夏」で、商工省入省同期の佐橋滋が主人公の風越として登場し、今井は、同期で次官を争う玉木のモデルになっています。

 この今井善衛は、安倍晋三首相が敬愛する祖父岸信介が商工大臣だった時代の部下で、奥さんが山種証券をつくった山崎種二の娘。一方、安倍首相夫人の昭恵さんの叔母が、山崎種二の三男誠三の妻ということで、安倍家と今井家は遠い縁戚になります。

 そっかあ。ネポティズム(縁故主義)は今に始まったわけではなく、戦国時代、いや古代から日本の伝統芸能でした!

新型コロナで大打撃の飲食業界、芸能界…クラウドファウンディングに挑戦する店も

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 東京・銀座の歌舞伎座近くにある居酒屋Wは、昼は火木金だけランチをやっていて、私も週に1回は行く馴染みの店なのですが、昨日はそこの御主人が嘆いていました。「夜はほとんどお客さんが来ないのでどうしようかと思ってます」と。

 新型コロナの影響で、何処の飲食店も同じような状況だと思います。そこの御主人は30代後半といった感じで、最近、2番目のお子さんが生まれたばかり。昨年は、臨月の奥さんがギリギリまで給仕で働いておりました。「これから子どもに手がかかるので、どうやったらいいのか…」と頭を抱えていたので、私も「夜、お客さんが入らないんだったら、ランチを毎日やるしかないんじゃないですか。協力しますから、頑張ってください」と慰めておきました。

 このほか、観光サービス業界が一番の打撃を受けたことでしょうが、映画、演劇、音楽、芸能、スポーツ関係は軒並み大ダメージを受けています。高校時代の友人佐藤史朗君はプロのアコーディオン奏者で、舞台音楽の作曲など幅広い音楽活動を続けていましたが、ライブハウスでの活動の自粛で、4月の公演も延期せざるを得なくなったようです。

 そう言えば、このブログの技師長である松長氏から紹介された高校時代の後輩に当たる坂元さんが東京・湯島で経営している居酒屋「純酒肴 吟」という店が、お客さんの激減で存続が危ぶまれ、クラウドファウンディングを募集し始めました。例えば、1万円寄付すれば、2カ月間ドリンクが半額、3万円なら半年間は半額、…そして30万円なら3年間、ドリンク代は無料といったリターンがあります。資金は他に、給排水管工事費用にも充てる予定のようです。(私もわずかながら支援しました。他に「システム手数料」もかかります)

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 あまり暗い話ばかりでは、読まれている方も面白くないでしょうから、くだらないジョークをー。

 我らが一国の首相安倍さんのマスク姿がダサい、と米通信社ブルームバーグの記者から嘲笑されています。「もはや、アベノミクスではなく、アベノマスクだ」という見出しで写真入りで報道してます。余計なお世話ですけどね。

 でも、安倍首相のガーゼマスクは確かに珍竹林で、みっともないですね。アベノマスクとはよく言ったもんです。

 あれっ? ジョークにならないぞ!

 それなら、もう一つ。

 最近、急に「三つの密」とか話題になっています。「密集」「密閉」「密接」の三つの密を避けてください、との自治体の長からの要請なんだそうです。

 しかし、そんなことと知らず、初めて「ミッツのミツ」と聞いたおじさん。それは、ミッツ・マングローブとやくみつると壇蜜のことかいな、と誤解したそうな。

 何?おもろうない? 失礼しました~

新型コロナで世界は激変=緊急事態宣言はメリットだけなのか?

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 まあ、何と言いましょうか、新型コロナの影響で、世界が一変しました。どう考えても良い話は一つもありません。(おかげでブログを書く気力が失せました)

 何しろ、二律背反。あっちを立てれば、こっちが立たず。究極的な話は、経済を優先すれば、健康を脅かし、健康を優先すれば、経済が駄目になる、という話です。まあ、ヒトが死んでは元も子もないですから、株価が大暴落しようが大不況になろうが、とにかく、ウイルス感染拡大阻止と終息に向けて、当面、世界規模で全力を挙げるしかありません。

 それでも、観光業を始め、航空・バス輸送業、飲食業、サービス業、エンターテインメント業界を中心に大打撃どころか、辛うじて社員だけは確保して立場の弱い非正規雇用者は見捨ててる状況です。日本の基幹産業である自動車業界も生産どころではないので、その裾野産業の部品関連も目を当てられない深刻事態です。

 卒業式も入学式もできず、アパレル業界もレンタル業界も大打撃。マスコミもイベントやセミナー、講演会等が開催できず、面接調査もできないので、テレビもラジオも新聞も代理店も大幅減収で、実はヤバイ状況です。

 夜の街の徘徊も自粛されましたから、友人と会って情報交換もできません。暗い話ばかりです。

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 さて、久しぶりに京都にお住まいの京洛先生に安否確認してみました。つい先日まで、鷹揚に構えていらっしゃったのですが、今週になって京都産業大学の学生さんの集団感染が明らかになり、京都も緊迫した雰囲気のようです。5月15日に開催される京都三大祭の一つ「葵祭」は、今年は中止が決まったそうです。

 いつも世の中を斜に構えて冷ややかに眺めている京洛先生のことですから、今の状況に対する批判は辛辣です。

 …京都は知事、市長が2日に、共同記者会見して「不要不急で、首都圏や大阪、兵庫に行かないでくれ」と、禁足令が出ました。東京は事実上”封鎖都市”ですね。
 戦時下と同じですが、そういう見方をする人は少数で、テレビは「早く!緊急事態宣言を出せ!」と安倍首相の尻を叩く大合唱です。安倍さんが気の毒になりました(笑)。緊急事態宣言を出したら凄いことが起きますよ。買い溜めなどをして高く転売する人間が増殖し、治安も悪くなり、予想もしない副作用や反動が起こります。

 安倍さんは、それを、恐れて慎重になっているんです。「医師会」は医療体制の視点だけで「医療崩壊する。早くしろ!危機的状況で俺らは大変なんだ」とだけ言っているのです。私も病院業界に少しだけ首を突っ込んだことがありますけど、開業医の団体は、エゴだけです。本当に大変なのは黙々と、新型肺炎の治療に当たっている現場の人達です。テレビに出て喋っているドクターと称する輩に対しては「テレビに出るより、現場に出たらどうなのだ!」と言いたいですね。「謝礼」だけもらって、「私の知り合いが、本当に大変だと言ってました」などと言ってるのですから酷いものです。専門家だけが正しいわけでも、正義でも何でもないのです。逆に言えば、専門家って、その世界のことだけしか知らない人のことでしょ?専門家の中には非常識な人間もいるです。
 今やテレビに引っ張りだこの岡田女史も、もはや「医療関係者」「専門家」でなく、女優サンです(笑)。ドラマ「看護師は見た!」を企画して、その主演に起用したらどうですかね。あの程度のルックスのタレントは少ないですから、丁度いいですよ。…

 いやはや、大笑いです。これだけシニカルに世の中を見られる人はいません。日本人は、集団ヒステリー気味のところがあります。戦時中、イケイケドンドンと声高に叫んだのは軍人だけでなく、隣組の庶民たちでしたからね。

 ラジオを聴いていたら、実にアンケートを取った85%もの人が「緊急事態宣言」を出すべきだと主張しておりました。恐らく、メリットしか頭になく、副作用やデメリットは全く考えていないからなのでしょう。マスコミが「早く出せ」と世論を煽っている側面もあります。
 フィリピンのドゥテルテ大統領は4月1日夜、国民に向けてテレビ演説をし、移動制限など政府の政策に抗議した場合、射殺を含めた強硬措置をとると宣言したそうじゃないですか。「射殺」ですよ、射殺。日本は良識ある国だから、そんなことありえない、というのは浅はかな考えでしょう。緊急事態宣言で、土地や建物の接取に抗議したり、品不足のスーパーでデモ抗議したり、自粛要請を無視したりすれば、まず公務執行妨害で即、逮捕かなあ。。。

全体主義的な監視態勢には反対です

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 2020年の新しい年を迎えた1月に、新型コロナウイルス感染がこれほど猛威を振るって世界的に拡大することを想像できた人は皆無だと思います。何しろ、1月半ば過ぎにこのウイルスの話が初めて日本に伝えられた時、テレビに出てきた医者の肩書を持つコメンテーターが、はっきりと「ヒトからヒトへの感染はない」と断言していましたからね。

 毎日、憂鬱なコロナウイルスの蔓延のニュースを聞かされてうんざりする中、笑いが一番欲しい時に、志村けんさんが亡くなり、日本でも流れが変わりました。

  とはいえ、いつまでも悲観しているわけにはいきません。テレビに出てくるコメンテーターは、まるで井戸端会議のように言いたい放題です。真偽は定かではないのに、言い放しで終わり、誰も責任を取ろうとはしません。いっそのこと、分からないことは分からない、予想がつかないことはつかない、とはっきり言ってもらった方がすっきりします。

  でも、はっきりしていることは、この2020年の新型コロナ騒動で、世界全体がガラリと変わったことです。どう変わったのか?ー

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 「サピエンス全史」で知られるイスラエルの歴史学者のハラリ氏が、今朝の日経新聞に寄稿して、良識ある市民にとってただならぬ事態になりかねないことを警告していました。 例えば、「全体主義国家」である中国当局は、市民のスマホを細かく監視し、顔認証機能を持つ監視カメラを何億台も配置して情報を収集しているといいます。市民には体温や健康状態のチェックとその報告義務を課すことで、感染が疑われる人物を特定します。同時にその人の行動を追跡して、接触した者まで特定するといいます。感染者に近づくと警告するアプリまで登場したとか。まるで、ビッグ・ブラザーによって監視されるジョージ・オーウェルの「1984年」の世界のようです。

 これは、感染者を発見することで良い面がある一方、いずれ終息して平時に戻っても、一生、死ぬまで当局に監視追跡されかねいことになります。そして、一度、「緊急事態宣言」が出されれば、後戻りできない可能性があることをハラリ氏は指摘し、最悪の事態にならないよう警告しているのです。

 ハラリ氏は「全体主義的な監視態勢を敷くのではなく、むしろ市民に力を与えることで、私たちは自分の健康を守り、新型コロナの感染拡大を阻止することを選択できる」と主張するのです。

 大いに賛同します。言い方は悪いですが、どさくさに紛れて、市民を監視する全体主義的な緊急事態宣言を発令しようとする極東の島国がありますが、いかがなものか、です。 「厳重な監視態勢を敷かなければ感染拡大を阻止できない」と主張する政治家がいることは承知していますが、中国の例のように後戻りできない可能性の方が大きいのです。 (平時でも、時の政府は、自分たちの気に入らない霞ヶ関の高級官僚を追跡し、風俗店に出入りしていたことを御用新聞にリークしてましたからね)

 昨晩は、小池都知事が緊急記者会見して、 密集、密接、密閉の「三つの密」がそろうバーやキャバクラやカラオケ等への夜間の出入りを自粛するよう呼び掛けました。私自身は、何年、いや何十年も行ってませんが(苦笑)、店側は死活問題でしょうね。でも、首都封鎖されるよりマシでしょう。封鎖されれば、首都機能が麻痺して、株も大暴落して世界同時大不況になる最悪のシナリオも考えられます。

 自由とデモクラシーを取るか、全体主義を取るかー。良識ある市民を信じるか、罰則を厳しくするか-。監視社会にするのか、しないのかー。新型コロナウイルス騒動は政治思潮にも影響を与え、今後の世界を変革していくことは間違いありません。

 

志村けんさん逝く

 コメディアンの志村けんさんが29日深夜に新型コロナウイルス肺炎で亡くなりました。今朝のニュースで聞いて、「えっ!」と衝撃を受けました。でも、一番驚いているのは本人自身かもしれません。まだ、70歳ですから、これからまだやりたいこともあり、やるつもりだったことでしょう。

 何か、中途で終わったような気がしましたが、ここ数年の、彼のテレビ出演を見ていると、「ファミリーヒストリー」で過去のルーツを探ったり、民放のバラエティーで、一度は結婚を決意した女性アイドル歌手との仲を初めて告白したり、どこか、自分の過去を総括するような番組が多かった気がします。

 厳格な学校教師の息子ですから、根は真面目でかなりの勉強家だったようです。

 私自身は、ドリフターズ時代から何十年も見てきて、大いに笑わせてもらいましたので、本当に惜しい人を亡くしました。とても悲しいですが、 選ばれたような時代を象徴する病気で亡くなり、志村けんらしい劇的な最期でした。語り継がれることでしょう。

 昼休みに銀座を歩いていたら、志村さん死去のニュースが影響したのか、街を歩く人の10人中9人はマスクをしていました。慣れたとはいえ異様な光景でした。

土浦城

 さて、3月5日から3週間ほど、このブログがフェイスブックやツイッターなどのSNSと同期していなかったのですが、別にブランクなどなく、普通にほぼ毎日ブログは更新してきました。

 それが長年愛読して頂いているM氏から、「ブログ再開おめでとうございます。しばらく更新がなかったので心配してました」とのメールが今朝届きました。「えっ!?」です。失礼ながら、M氏は、フェイスブックやツイッターを通してこのブログを閲覧されるような方ではないと思っていたからです。

 私自身、正直、このままSNSと同期しなければ、あまり好きでないフェイスブックをやめるつもりでした。これまで、フェイスブックのことを「他人のプライバシーを切り売りする吸血鬼」とか「メディアにかこつけた宣撫諜報部隊」なぞと散々悪口ばかり書いてきましたからね。

 そしたら、本当に最近になって急に、卒業以来一度も会っていない大学時代の旧友と40年ぶりにフェイスブックを通して繋がったのです。学生時代に参加していた音楽倶楽部の人たちでした。

どうせ全ての情報は抜き取られているんでしょうが、やるじゃん、フェイスブック!と感心しました。

新型コロナ騒動が収束して落ち着いてから、いつか皆で再会しましょう、という話にまでなりました。楽しみですね。

以上、あくまでも個人的な感想でした。