渡来系移住民について考える

 新型コロナの感染拡大で、東京、そして神奈川、千葉、埼玉といった首都圏の行政の長が次ぎ次ぎと週末の「外出自粛」を要請しました。行政の長は、コロナウイルスがオーバーシュートして、さらなるクラスターもエンラージし、このまま何もしなければロックダウンを招くようなアージェントイッシューになっている、などと懇切丁寧に説明してくださいました。

 有難う御座いました。

 29日(日)の関東地方は珍しく大雪。自宅を出られなければ、良識のある大人は、本を読むしかありません。私は3世紀から8世紀にかけての日本の古代に時間旅行することにしました。2860円と少し高かったのですが、吉村武彦編・著「渡来系移住民」(岩波書店、2020年3月17日初版)を思い切って購入しました。新聞の広告に出ていたのですが、一読しただけで、「新しく分かってきた歴史の実像を知ることの興奮と喜び」(「刊行にあたって」より)を感じることができました。

 まず、本の題名のことですが、半島や大陸から来日してきた人を「古事記」では「帰化」、「日本書紀」では「渡来」の用語が使われています。しかし、帰化とはいっても、永住せず、途中で帰ったり、再来日したりする者がいたり、渡来といっても、そのまま居ついてしまう永住者がいたりしたといいます。ということで、本書では彼らのことをひっくるめて「渡来系移住民」と呼ぶことを提唱しています。

 彼らの代表的な集団は、東漢氏です。「やまとのあや」氏と読みます。古代史に詳しい人以外は読めないでしょう、と吉村氏は書いてますが、私は 、古典的名著である上田正昭氏の「帰化人 古代国家の成立をめぐって」(中公新書)などを読んでいたので、読めました。 645年の大化の改新の火ぶたを切った乙巳の変で、蘇我入鹿(いるか)の暗殺後にその父蝦夷(えみし)らを護衛したのが東漢氏でした。蘇我氏との関係が深かったのです。

 また、平安初期の征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)も、渡来系移住民である東漢氏でした。田村麻呂の父である苅田麻呂の上表文によると、坂上氏は「後漢の霊帝の曾孫の後裔」と称し、半島の帯方郡を経て列島に帰化したといいます。東漢氏は半島から渡来してきたので、私は、朝鮮系かと間違って覚えていました。漢民族は、楽浪郡(紀元前108年、現在の平壌付近)や帯方郡(2世紀末から3世紀初め)などを朝鮮半島に直轄地として置いていたことを忘れていました。(ただし、彼らがそう主張しているだけで、東漢氏は朝鮮系である可能性も残されています)

 同じように、本書では書いていませんでしたが、渡来系移住民である西漢(かわちのあや)氏も漢民族かもしれません。ちなみに、「東」と「西」は、生駒山脈の東を大和、西を河内と呼んだからだろう、と著者の吉村明大名誉教授は説明しています。

 もう一つ、応神紀に伝承する有力な渡来系移住民は秦氏です。「はた」と読みます。日本書紀では、弓月君(ゆづきのきみ)が百済から渡来し、秦氏の祖となったとされていますが、後に「太秦」(うずまさ)と名乗る秦氏は「秦始皇帝の三世の孫、孝武王より出ず」 (「新撰勢姓氏録」) と主張しています。この点について、吉村氏は、確かな資料がないので推測するしかない、としながらも、中国の秦(しん)と関係した人が含まれていた可能性は皆無ではない、と微妙な書き方をしています。となると、逆に、秦氏は、中国とは関係なく、朝鮮半島の百済人が自称した可能性もあるということです。渡来系のほとんどが何らかの職能技術集団ですから、秦氏は、機織りの機(はた)から来ているのではないか、という説がありますが、こちらは確かでしょう。

 秦氏、または太秦氏は、山城(京都)を地場に活動を広げた渡来系移住民で、太秦にある弥勒菩薩像で有名な広隆寺は秦氏の氏寺で、嵐山近くに秦氏の古墳もあります。京都に平安京を遷都した桓武天皇の生母である高野新笠(たかののにいがさ)は、「百済の武寧王の子純陀太子(じゅんだたいし)より出づ」(「続日本紀」)と紹介されていることから、百済人脈の流れで、桓武天皇が京都に遷都された可能性も否定できません。

 ちなみに、祇園祭で有名な八坂神社も、 幕末まで感神院、または祇園社と称し、諸説あるものの、斉明天皇2年(656年)に高句麗から来朝した使節の伊利之(いりし) が創建したといわれています。八坂神社の祭神の一人は素戔嗚尊ですが、梅原猛説では、スサノオは新羅系を取っていました。スサノオは出雲の神とはいえ、京都も半島からの影響が強かったことになります。

 渡来系技術者集団は、その職種によって、陶部(すえつくりべ)、鞍部(くらつくりべ)、画部(えかきべ)などと呼ばれました。また、5世紀になって河内で馬の生産が盛んに行われるようになり、彼ら「典馬(うまかい)は新羅人」(「日本書紀」)とされています。渡来した馬飼(うまかい)人は、恐らく、馬だけでなく、同時に鉄器も日本列島に伝えたのだろう、と私は思います。なぜなら、先日のブログ「古代史が書き換えられるアイアンロード」にも書きましたが、スキタイ人が馬の口の中に嵌める「鉄のはみ」を発明して、野生馬を自由に御すことによって、長距離の「移動革命」を成し遂げたからです。 馬と鉄のはみは、その後、匈奴と漢に伝わり、それが朝鮮半島を通って、日本列島に伝えられたことは間違いないでしょう。もちろん、農具や武器をつくる製鉄技術も同時に入ってきたと思います。

 このように、現代人が想像する以上に、渡来系移住民と日本列島との関係が濃厚だったことが分かります。

(つづく)

【単なるお知らせ】SNSと同期できました!

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 今年3月4日以来、この《渓流斎日乗》ブログと、SNSのフェイスブックとツイッターとの同期が、テクニカルな問題のため、途切れていましたが、本日から再開することができるようになりました。

 ここ3週間以上、途切れていましたので、「もしかして、新型コロナウイルスに感染しているのではないか」と思われた方は、一人もいませんでしたが、たったお一人、SNSのブラウザを通して愛読して頂いている西日本にお住まいのAさんから「最近、更新されていませんが、どうかなさいましたか?」と、途切れて1週間ぐらい経ってから心配メールを頂きました。有難いことです。

 それでも、フェイスブックなどでは途切れたとはいえ、普通のサイトでは、ほぼ毎日更新しておりました。今さら、過去の記事を遡ってお読み頂くような殊勝な方はいらっしゃいませんでしょうが、お伝えだけはさせて頂きます(笑)。

 また、フェイスブックもツイッターもなさらない皆さまは、何の話かさっぱり分からないことでしょうから、この話はどうか御放念賜りたく存じます。

 SNSとの同期が途切れたのはテクニカルな問題が生じたためでしたが、その復旧作業のために日々、獅子奮迅して頂いた情報通信技術の松長技師長様には御礼申し上げます。

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 おかげさまで、この《渓流斎日乗》ブログも、先週の3月15日で、丁度、満15周年の節目を迎えることができました。2005年に、当時住んでいた北海道の帯広で始めたのですが、山あり谷ありの出来事があり、一番脂がのっていた頃の2008年8月から2015年10月までの7年間の記事は消滅してしまいました。

 そんなことに怯むことなく、今後も、ほぼ毎日のペースでブログを更新して参りますので、宜しくお願い申し上げます。

新型コロナの影響で、カミュの「ペスト」が売れているそうな

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 新型コロナの世界的な感染拡大の影響で、24日になってやっと東京五輪が来年に延期されることになりました。表では報道されませんが、最終的にゴーサインを出したのは、独占放送権を持つ米NBCでした。勧進元のIOCじゃなかったんですね。もちろん、日本の内閣総理大臣や東京都知事や米大統領にも最初から決定権はなかったわけです。

 NBCといっても、単なる放送局ですから、最大の最終的意向はスポンサーということになります。(テレビ局と代理店が慌てふためいてスポンサーさんの意向を伺っている姿が目に浮かぶようです)そのスポンサーである米大手企業も、新型コロナの影響をもろかぶって株価が大暴落して、青息吐息です。オリンピックどころじゃない、今年の開催はとても無理ということになりました。そもそも五輪は慈善事業でも何でもないし、経済波及効果を狙った営利活動ですからね。

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  さて、新型コロナの蔓延で、今、日本ではフランスのノーベル文学賞作家、アルベール・カミュ(1913~60年)が1947年に発表した「ペスト」(新潮文庫、宮崎嶺雄訳) が爆発的に売れているようです。文庫は、1969年10月30日初版ということですから、もう半世紀以上昔の本です。が、「都市封鎖」など今の状況と酷似しているということで、真面目な日本人のことですから、急速に話題になったわけです。版元も2月中旬から1万4000部の増刷を決定しました。

 カミュが「ペスト」を出版したとき、まだ34歳の若さです。この作品は世界的なベストセラーとなり、10年後に史上最年少の44歳でノーベル賞を受賞する大きな弾みになったとも言われてます。(ペストは、第2次世界大戦の戦争の惨禍を比喩したとも言われ、改めてカミュの想像力と創造力には感服します)

 私は学生時代にフランス語を専攻していましたから、もちろん、読みました。1970年代の学生の間では、サルトルとカミュが人気を二分していました。ということで、結構、カミュの作品は読みました。代表作「異邦人」は、原書で読みましたが、「ペスト」は翻訳だけでした。そこで、今回、話題になっているということで、原文に挑戦してみることにしました。

 そしたら、いきなり、出だしで躓いて、ニッチもサッチもいかなくなってしまいました。それは、ダニエル・デフォー(1660~1731)の言葉を引用したエピグラフです。

Il est aussi raisonnable de représenter une espèce d’emprisonnement par une autre que de représenter n’importe quelle chose qui existe réellement par quelque chose qui n’existe pas.

DANIEL DE FOE.

 デフォーと言えば、「ロビンソン・クルーソー」で有名な作家です。カミュは何故、デフォーを引用したのか?

 デフォーは、色んな職業を遍歴しましたが、政治的プロパガンダも発信するジャーナリストでもあり、諜報員でもありました。そして、1665年のペストの大流行(当時のロンドンで約10万人が死亡したという)を題材にした「ペストの記憶」という作品(原題は「疫病年誌」)を還暦を過ぎた1722年に発表しています。フィクションですが、かなり事実に基づいているようです。英国でペストが大流行した時、デフォーは5歳でしたが、周囲から色んな話を聞いて育ったと言われています。

 恐らく、カミュはこの作品を読んでいたので、エピグラフとしてデフォーの言葉を引用したと思われます。

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で、先程引用したそのデフォーの文章ですが、正直、一読してさっぱり意味が取れませんでした。丸一日格闘して、何十年かぶりに仏訳をやってみました。

 これ以下は、フランス語に興味がない方は飛ばして頂いて結構なんですが、この文は、まずaussi~que 構文で、que以下と同じくらい aussi以下だ、という意味になります。私が躓いたのは、 par une autreの部分で、何でune(女性名詞) なのか?と思ってしまったのです。emprisonnement(監禁、拘束)男性名詞なので、これを受けたわけではない。それなら、une espèce de(一種の)となると、どうも違うような気がします。une autre chose(別のもの) なのかなあ、と思ってしまいました。カミュの「ペスト」はオラン市の都市封鎖が描かれているので、監禁状態を、都市封鎖という「別のもの」で比喩しているのかなと思ったわけです。

 そこで、こう訳してみました。

現実に存在するあらゆるものを、この世に存在しないものによって表現することが理にかなっているのと同じように、一種の監禁状態を別のものによって表現することは、意味のあることだ。 ーダニエル・デフォー

 うーん、哲学的考察で、日本語にしても意味が分かりにくい…。(ちなみに、かつて読んだ翻訳本はとうの昔に紛失してます)

 そこで、語学の天才の刀根先生にメールで問い合わせてみました。そしたら、私が躓いていた par une autre の une(女性名詞) は、 une espèce( ということは、 une espèce d’emprisonnement ) でいいのではないか、と言うのです。そして彼の翻訳を提示してもらいました。

 ある監禁の状態を、それとは異なる監禁のあり方というものをもって描き出してみせる。それは、何でもいいのだが、本当にあるものを、ありもしない何ものかでもって表すことになぞらえることができる。―― つまり十分に正当なことなのだ

 私のように、直訳調ではなく、こちらはしっかり文学的に翻訳していますね。

 それにしても翻訳は難しい。でも、面白い。それに思ったのですが、日本語はすぐ古びてしまいますね。半世紀以上昔に出版された宮崎嶺雄訳の「ペスト」では、「細君」とか、「看護婦」とか、「イスパニア人」とか今ではあまり使われなくなった古い日本語が出てきます。

 新訳が望まれます…なんて書こうとしましたが、最近の日本人の翻訳力は数段、落ちているんじゃないでしょうか。洋楽ポップスや洋画のタイトルなんぞは、もう意味も通らないのに構いもせず、原文をカタカナのまんま表記して、翻訳作業そのものを放棄しています。

 最近の新型コロナ騒動では、クラスターとか、オーバーシュートとか、ロックダウンとか、カタカナ用語のオンパレード。

 何ですかあ~?

【追記】

Il est aussi raisonnable de représenter une espèce d’emprisonnement par une autre que de représenter n’importe quelle chose qui existe réellement par quelque chose qui n’existe pas.

 のこと。フランスにお住まいのガランス先生にお伺いしたところ、以下のように翻訳して頂きました。

一種の監獄状態を、なにか別の状況に置き換えて表現するというのは、なんであれ現実に存在するものを、存在しないものによって表現するのと同じくらい、破天荒なことだ。

この注釈として「 raisonableはもちろん、道理にかなったという意味ですが、もしかして逆説的に使っているのかと。文脈からすると、できそうもないことをやってのける、と言っているような気がします」といったことも書かれていました。

 なるほど、すっきりしました。

 

「城南五山」を探訪すべし

 おはようございます。京洛先生です。

 また、色々、その筋の事を書いていますが、好きですね、ホントに(大笑)。

 古代史の本を読んで、ブログにあれこれ書いたり、「仙人秘水」とかいう高価な天然水を注文したり、そして、今度は、許永中の新刊本まで紹介したり…。これでは新型肺炎にかかる暇はありませんね(笑)。ただ、どれも、これも、表面を撫でただけで中身が「薄い」ですよ。《渓流斎日乗》なら、もっと、味のある、誰も、触らない、知らないことを書かないといけませんね。

 例えば「城南五山」って知ってますか?お城巡りで姫路に行ったり、東京近郊の古城跡をまわっているのですから、都心も歴史探訪しなければいけませんね。

「え!何ですか、それ?『京都五山』ですか?いや『京都三山』なら知ってますが…」と、寝惚けた返事が返ってきそうですね(笑)。

「城南五山」というのは、東京の山手線の目黒駅から五反田駅、大崎駅を経て品川駅に至る地域にある「島津山」「池田山」「花房山」「御殿山」「八ツ山」の五山のことです。

 目黒から品川にかけての小さな山々というか、台地ですね。いわゆる超富裕層が住む高台です。

 江戸時代は大名屋敷などでしたが、明治維新後は帝都の超高級住宅地になりました。ですから、田園調布、成城学園、松濤、白金なんて、新興・新参の、といいますか、一つランクが落ちる高級住宅地になってしまいますよ(笑)。

 まず、江戸時代の「御殿山」は、三代将軍徳川家光のお気に入り。桜の名所で、歴代将軍が鷹狩りの際に休息した「品川御殿」がありました。

池田山」は備前岡山藩の池田家の下屋敷。上皇后・美智子さまの生家もありました。(現在は、ねむの木の庭公園 )

島津山」は仙台伊達藩の下屋敷があった所で、明治になって旧薩摩藩主島津公爵が購入し、 英国風洋館の私邸を建てました。今は「清泉女子大学」になっています。

花房山」は目黒川に面して、播磨の三日月藩の上屋敷がありました。明治、大正期の外交官で日本赤十字社の社長を歴任した花房子爵の別邸があったことからそう呼ばれています。

 そして「八ツ山」は、八つの大名屋敷があったから、という説などがありますが由来は不明です。維新後、伊藤博文邸もありましたが、現在は三菱グループの施設「開東閣」などがあります。

「新型肺炎」に怯えず、貴人が大好きなお城巡りと同様、花見がてら、「仙人秘水」のボトルを携えて、「城南五山」巡りをしては如何でしょうか?京都五山でも鎌倉五山でもありませんからね(笑)。

 この節、都心には超豪華なマンションが乱立していますが、「城南五山」の高級邸宅から見れば、そんなもんは「令和版長屋」の趣でしょう(爆笑)。一見の価値ありですよ。

「闇社会の帝王」の告白

 新型コロナウイルス感染拡大のため、世間の皆様と同様に自粛しています。博物館に行きたいのですが、閉館ですし、映画館は、一部開館してはいても、ピリピリとした厳戒態勢で、楽しみに行くんじゃなくて、苦しみに行くみたいで、気がそがれてしまいました。

 フランスでは不要不急の外出禁止令が出されていますが、違反すると135ユーロ(約1万6000円)の罰金を科せられるとか。この金額、何処から来たんでしょうか?日本ならアルバイトの2日分といったところでしょうか。

 ということで、相変わらずの読書三昧で、昨日は、先日、有楽町駅前の三省堂書店でつい買ってしまった許永中著「悪漢の流儀」(宝島社、2020年2月28日初版)を読了しました。

 何でそんな本を?-と詰問されそうですが、こういう手の本は、公共図書館に置いてくれないので、借りられない。自分で買うしかないーというほかありません(笑)。第一、今、地元の図書館は、政府の要請を楯にして、閉まってますからね。

 許永中さん(72)といっても、もう若い人は誰も知らないかもしれません。バブルが弾けた1990年代から2000年にかけてのイトマン事件、石橋産業事件で刑に服した元被告人で、在日二世だったことから、「受刑者移送条約」に基づき韓国に移送され、2013年に仮釈放されて出所し、現在は、ソウル在住。日本での特別永住権を喪失した身でもあります。

 事件捜査の最中では、許氏は「戦後最大のフィクサー」「闇社会の帝王」などとマスコミで盛んに書きたてられ、「悪の権化」のような存在として、ある程度年齢がいった人たちの記憶に残っています。

 しかし、この本では、若い頃からワルで、恐喝や傷害事件などに手を染めたことを認めたものの、長じてからは、不動産業などで成功した実業家で、大阪~釜山間に大阪国際フェリーを運航するなど社会事業も起こしたり、大阪五輪誘致に奔走したりしています。 逮捕されたイトマン事件、石橋産業事件については、身に覚えがない事件で、無実であることを訴えた書にもなっています。

 また、大阪・中津で生まれ育った在日韓国人二世だったことから、子どもの頃から差別され、貧困のどん底から這い上がって、実業界で成功するも、事件で一挙に富も名声も地位も失う波乱万丈の人生で、それでも、あくまでも他人を信じる「性善説」を支持する哲学書にもなっています。

 表紙の帯にも書かれていますが、交際した人脈が半端じゃありませんね。関わった人たちとして挙げられているのは、小沢一郎、竹下登、亀井静香、野中広務、新井将敬、金泳三、宅見勝、柳川次郎、生島久次、古川真澄、小西邦彦、山段芳春、大谷貴義、大山倍達、太田清蔵、堤清二ら政財界と裏社会などの超大物ばかりです。(敬称略。詳細は本文をお読みください)

 リンクした人物など、以前、このブログで取り上げたことがある方ばかりで(深い事情で、消滅した記事もあります)、どういうわけか、渓流斎ブログは、「その筋のブログ」とよく勘違いされますが、そんなことはないんですよ。物事の実相と本質と道理を知りたいだけなのです。

 この本は、許氏の話をライターがまとめた「聞き書き」だと思われますが、どちらかと言えば、本人による一方的な弁明なので、歴史的事実として、どこまで信用していいのか分からない部分もあります。

 でも、「闇社会の帝王」「戦後最大のフィクサー」と言われた人物が、腕っぷしの強さと抜群の行動力と度胸と己の才覚だけで極貧生活から這いがって来た労苦と、その過程で知り合った人間関係は史実として理解できます。

 ただ、許氏本人は、わざと十分語り尽くそうとはしないので、読者は、読んでいて歯がゆいほど隔靴搔痒を感じます。とはいえ、言って良ければ、20世紀末の日本のバブル時代に咲いた仇花の深層を伺い知ることができます。

日本神話の神々は皇族、豪族の祖先神でした=武光誠著「『日本書紀』に描かれた国譲りの真実 成立1300年、『出雲』と『大和』」

  梅原猛著「葬られた王朝ー古代出雲の謎を解くー」(新潮文庫) があまりにも面白かったので、友人の榊原君に話したら、彼は「それならこれも読んだら?」と本を貸してくれました。

 それが、この武光誠著「『日本書紀』に描かれた国譲りの真実 成立1300年、『出雲』と『大和』」(宝島社新書、2019年12月23日初版)でした。

著者の武光氏は、東大で博士号を取得した元明治学院大学教授。日本古代史のオーソリティーです。読み応えがありました。

 「古事記」も「日本書紀」も、神話と呼ばれている部分は、かつては、根も葉もない荒唐無稽の創作物だと言われていましたが、やはり、そうじゃなかったんですね。根拠がありました。

 著者の武光氏によると、縄文人は「精霊崇拝」でしたが、紀元前1000年頃に朝鮮半島南端から稲作の技術が伝わったことにより弥生時代が始まります。この時に、日本特有の「祖霊信仰」が始まったと言われます。

 弥生時代は、稲作技術とほぼ同時に鉄器も伝わったのではないかと思います。となると、馬の「鉄のはみ」を発明したスキタイ人から匈奴や漢にも伝わった騎馬技術も騎馬民族もやってきたかもしれません。集団作業が必要とされる農業は、集団から氏族、豪族へと発展し、水利や領地争いなどにも発展したことでしょう。大陸や半島から技術を伝えた帰化人は、高官として優遇されたことでしょう。

 いずれにせよ、人口200人程度の村が集まって、2000人程度の小国がつくられ、弥生中期には、祖霊信仰による神は、国と呼ばれた土地を守る「国魂」(くにたま)とされます。「日本書紀」の神話に見られる天皇や貴族、地方豪族の神とされる神の多くは、国魂信仰の流れをひく神と言われています。

 となると、神話に出てくる神々は、皇族や豪族の祖先神だと分かれば、理解が早まりますね。

八坂神社 Copyright par Kyoraque-sensei

 まず、誰でも知っている通り、王家(皇族)の祖先神は、天照大神です。

 出雲氏の祖先神は、天穂日命(アマノホヒノミコト=六世紀半ばに創作された天照大神の子神である天忍穂耳命アマノオシホミミノミコトの弟神)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、大国主命(オオクニヌシノミコト)らがいます。

 凡河内(おおしこうち)氏の祖先神は、天津彦根命(アマツヒコネノミコト=天穂日命の弟神)だと言われています。

 中臣氏の祖先神は、天児屋根命(アマノコヤネノミコト=天岩戸神話に登場する祝詞を唱える神。日食の災いをしずめたといわれる)です。※中臣氏主導でまとめられた伝承は、素戔嗚尊と大国主命の出雲での活躍を省いたものがあった可能性は高い(102ページ)。

出雲大社

 ・素戔嗚尊の三柱の子神(五十猛神イタケルノカミ、大屋津姫命オオヤツヒメノミコト、枛津姫命ツマツヒメノミコト)は各地に木の種子を広めた。古代紀伊国は、木材が豊富で良質な船の産地として知られ、そこには大和朝廷の水軍として朝鮮半島とをしきりに行き来した航海民の紀氏がいた。紀伊の須佐神社は、素戔嗚尊を祀り、伊太祁曽(いたきそ)神社は五十猛神を祀る神社で、紀氏と関連する神社であったと考えられる(124ページなど)

・1世紀半ばの荒神谷遺跡の時代、神門氏が出雲全体の国魂である大国主命の祭祀の指導者で、神門氏の分家筋の出雲氏はその補佐役に過ぎなかった。出雲氏は素戔嗚尊を土地の神として祀っていた。ところが、4世紀半ばに、出雲氏が大和朝廷の後援で大国主命の祭祀を主宰するようになり、神門氏は出雲氏の補佐役となった。(126ページなど)

・王家は3世紀初めに三輪山の麓に広大な纏向(まきむく)遺跡を開発して大和朝廷を起こした。吉備(岡山県東部)から移住してきた集団が大和朝廷を開いた可能性が高いが、彼らは大和に来る以前から出雲の国魂信仰を取り入れていたと考えられる。三輪山の神を祭る大神(おおみわ)神社の祭神である大物主神(オオモノヌシノカミ)は、大和朝廷の王家が祀ってきた王家の祖先神であった。「日本書紀」では大物主神を大国主命と同一神としている。(138ページなど)

出雲大社

・6世紀初めに王位についた継体天皇は、有力豪族を大臣(おおおみ)や大連(おおむらじ)の地位につけ、財政関連を蘇我氏に、祭祀関連を中臣氏に、軍事関連を大伴氏に分担させた。また、継体天皇は王家の首長霊の神を大物主神から天照大神に代える思い切った改革に踏み切った(144ページなど)

・さらに継体天皇の主導で、神武天皇東征伝説も創作された。継体天皇は、大伴金村と物部麁鹿火(もののべのあらかい)の有力豪族の支援で大王になった。神話では、後に初代の大王磐余彦(神武天皇)となる彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が降臨する前に、高天原から物部氏の祖先の饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が大和に降って、大和の一部を統一。その後、彦火火出見尊が、大伴氏の祖先である道臣命(ミチオミノミコト)を従えて降ってきた、と大伴氏と物部氏の活躍で大和朝廷が統一されたことになった。(196ページ)  

・中臣氏は、渡来人が伝えたモンゴル高原の騎馬民族の天上他界観に基づいて「高天原」という天の上の世界を構想した。この時、自分たちの祖先神を「天つ神」の中の天児屋根命だとし、「国譲り」神話を完成させた。

・「国譲り」で、大国主命が「顕」の世界から「幽」の世界に去った後、天照大神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に君臨して「顕」の世界を治めることになった。この天孫の子孫が「日本書紀」の時代の人々の「現代」にあたる「奈良時代」の天皇である。

以上、大雑把に言うとこんなことが書かれていました。梅原猛説では、「古事記」も「日本書紀」も主導してまとめたのは中臣鎌足の子である藤原不比等でしたから、当然ながら、中臣氏の祖先神はかなり活躍して格上の神として描かれていたわけです。

神話に出てくる祖先神の末裔である大伴氏も物部氏も蘇我氏も忌部氏も紀氏ら全て排斥されるか没落してしまい、王家(天皇)以外は、中臣=藤原氏だけが、ただ一つ生き残るわけですから、神話といえども凄まじい話であることは確かです。

1300年前の「日本書紀」は今でも生きています。

「仙人秘水」の釜石鉱山からの贈り物

いやはや、最近は新型コロナウイルス一色で、このブログも感染して、新型コロナウイルスに染まってしまいました。

 あまりネガティブな情報ばかり挙げても精神衛生に良くないので、本日は、個人的ながら良い知らせをご報告させて頂きます。皆さまご案内の通り、小生は、親譲りの無鉄砲で、子どもの時分から損ばかりしてきたので、まず大きな抽選や博打に当たったためしがありません。

 それが当たったのです。

 NHKの「ブラタモリ」は、日本全国の地質や列島の成り立ちが分かり、いつも興味深く拝見しているのですが、先月は三陸海岸地方を取り上げていました。その中で、製鉄の街として知られる釜石市を特集していましたが、今は、鉱山は廃坑となり、その代わり、その鉱山で自然に湧き出る水を製品として販売したら爆発的に売れるようになったという逸話をやってました。

 「仙人秘水」というのですが、あれ?どこかで聞いたことがあるなあ、と手元の本を調べてみたら、私も何冊か著書を愛読している免疫学者の藤田紘一郎先生が、全国の天然水の中で、身体に良いものの一つとして、この「仙人秘水」を取り上げていたのでした。

 私は、そうやたらと宣伝には動かない人間なのですが(笑)、モノは試しということで、500ミリリットル24本入りのケースをネット販売で買ってみることにしました。送料等込みで3600円でしたから、1本150円という計算。庶民としてはちょっと高めでしたが、ま、いっか、ということで買い求めました。

  その際、実はほとんど覚えていないのですが、(駄目じゃん!)サイトで、何か、応募抽選をクリックしたらしく、昨日になって、上の写真のような「岩手三陸の特産品詰合わせ」が当選したということで送ってきたのです。

 吃驚ですよ!

 ホタテの干し貝柱なんて、高そう(笑)。何か、お水代の元が取れてしまったようで、申し訳ない気分になってしまいました。

 ということで、3月11日は、東日本大震災から今年で9年。新型コロナウイルス騒動で、十分な追悼式が行われなかったこともあり、もう一度、東北三陸を応援したくなりました。

 釜石鉱山株式会社さま、どうも有難う御座いました。御礼申し上げます。

 

感染検査の遅れで甦る731石井細菌部隊

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 新型コロナウイルスの感染は今や欧州が最も拡大した地域になり、EUの取り決めもほとんど無効となり、国境封鎖や外出禁止令まで出るようになりました。

 AFP通信の調べでは、新型コロナウイルスは3月18日午前2時時点で 、中国本国の感染者が8万881人で死亡者は3226人。中国以外の感染者は10万8805人と発生源を超えてしまいました。特に酷いのは欧州で、感染者で多い国から順に、イタリア(死亡2503人、感染3万1506人)、イラン(死亡988人、感染1万6169人)、スペイン(死亡491人、感染1万1178人)、フランス(死亡148人、感染6633人)と続いています。(日本は、16日18時の時点で死亡35人、感染者1496人)

 先々週まで、それほど警戒していなかったフランスのマクロン大統領は昨日(現地16日)になって急にテレビで国民向けに演説し、感染拡大を阻止するため、必需品の買い出しや病院受診などを除いた外出禁止令を布告しました。カフェもレストランも営業が停止され、公園にも散歩しちゃダメ、なんて言うんですからね。

 マクロン大統領は、ウイルスとの闘いを「戦争」とまで表現していました。こんな事態、これから100年間、語り継がれることでしょう。

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ところで、日本では新型コロナウイルス感染の判別に役立つPCR(ポリメラーゼ連鎖反応) 検査が進んでいません。何故なのか?ー これについて、上(かみ)昌広・医療ガバナンス研究所理事長が 「サンデー毎日」に「731部隊の亡霊『専門家会議』の大罪」という記事で勇気ある告発をしています。

 どうやら、政府が2月14日に発足した専門家会議が怪しい、ということで、そのルーツを明かして糾弾しています。メンバーの12人のうち8人が、4組織の関係者で人事と予算とデータまで独占しているというのです。
 その4組織とは、国立感染症研究所(感染研)、東京大医科学研究所(医科研)、国立国際医療研究センター(医療センター)、東京慈恵会医科大学(慈恵医大)です。
 感染研と医科研は戦前の伝染病研究所(伝研)が母体で、戦後、伝研が分離独立した際に、幹部に帝国陸軍の細菌戦研究機関「731部隊」関係者が名を連ねたといいます。また、医療センターは、陸軍の中核病院で、慈恵医大は、海軍軍医学校創設者の一人である高木兼寛が中心になって設立した医師受験予備校だったそうで、まるで戦前の亡霊が復活したかのように見えます。
 上氏は、帝国陸海軍の流れを汲んでいる組織ゆえに、関係者には秘匿主義があるのではと告発しているわけです。

 以上は、731石井細菌部隊に詳しい加藤哲郎・一橋大名誉教授のサイト「ネチズン・カレッジ」で知りました。

 そう言えば、私も、その注目の感染研には行ったことがあります。諜報研究会の第一回見学ツアーに参加した際、お導き頂きました。2017年11月25日のことです。この日は、石井細菌部隊関連の歴史的舞台を色々と連れて行って頂きました。ご興味のある方はリンク先をご参照ください。

古代日本をつくったのは藤原不比等だったのかも=梅原猛著「葬られた王朝ー古代出雲の謎を解くー」を読んで

出雲大社

 大手出版社の大河内氏から贈呈して頂いた梅原猛著「葬られた王朝ー古代出雲の謎を解くー」(新潮文庫)を読了していたので、この本を取り上げるのは、これで3回目ですが、改めて取り上げさせて頂きたく存じます。

 大雑把に言いまして、私なりの解釈では、古代の日本は、群雄割拠の豪族社会で、その最大級がスサノオ系の出雲王国と天孫系の大和王朝だったことです。出雲は、朝鮮の新羅と高句麗からの渡来人が農業や最新医療を伝え、影響が強かった。一方のヤマトは、朝鮮の百済系(秦氏など)の影響が強かった。

 最初は、出雲が大和や近畿まで制圧して一大王国を築き上げましたが、オオクニヌシの後継者争いの内紛につけこんだ大和が勢いを増して、出雲を「国譲り」の形で征服して全国統一を果たす。

 「古事記」「日本書紀」は、天孫系の大和朝廷の正統性を伝える書で、国の成り立ちを神話の形で暗示しましたが、その神々は、実在の豪族をモデルにした可能性が高い。両書は、出雲王国の神話も取り入れていますが、記紀の最高編集責任者は、実は大和朝廷の礎をつくった藤原不比等だったというのが梅原説です。それによると、「古事記」を太安万侶(その父、多品治=おおのしなじ=は壬申の乱で功績を挙げた渡来人だった)に口承して語ったと言われる稗田阿礼は、アメノウズメの子孫で、誰一人として五位以上になったことがない猨女(さるめ)氏出身だったという説もありますが、全く謎の人物で、梅原氏は、稗田阿礼は、藤原不比等ではないかと主張しています。

 梅原氏は、144ページなどにはこう書いています。

 出雲のオオクニヌシ王国を滅ぼしたのは、物部氏の祖先神であるという説がある。その点について、はっきりしたことは言えないが、「古事記」では国譲りの使者はアメノトリフネを副えたタケミカヅチであるのに対して、「日本書紀」では主なる使者は物部の神を思わせるフツヌシであり、タケミカヅチは副使者にすぎない。「出雲風土記」にも、ところどころにフツヌシの話が語られているのをみると、出雲王国を滅ぼしたのは、ニニギ一族より一足先にこの国にやって来た物部氏の祖先神かもしれない。

出雲大社

 そうですか。出雲を征服した先兵は物部氏でしたか。ちなみに、フツヌシを祀っていたのは香取神宮ということで、物部氏は今の千葉県香取市の豪族か神官だったかもしれません。タケミカヅチを祀っているのは鹿嶋神宮で、タケミカヅチは、今の茨城県鹿嶋市から神鹿に乗って大和にやって来て、藤原氏の興福寺や春日大社に祀られるようになったと言い伝えがあります。つまり、鹿嶋神宮の神官だった中臣氏が、出雲王国の征服で一翼を担い、大化の改新では、蘇我氏を滅ぼして、中臣鎌足が藤原姓を賜って異例の出世を遂げた史実を、記紀は暗示したかったかもしれません。

出雲大社

 梅原氏は295ページでこう書きます。

 中臣氏はどんなに贔屓目に見ても、せいぜい舒明朝の御世に朝廷に仕えた中臣御食子(みけこ)の時代に初めて歴史に姿を現したにすぎない。(乙巳の変後)天才政治家、藤原鎌足が現れ、一挙に成り上がった氏族なのである。そのような氏族がアマテラスの石屋戸隠れ及び天孫降臨の時に活躍するはずがない。これは明らかに、神話偽造、歴史偽造と言わざるを得まい。

 厳しい言い方ですが、石屋戸に隠れたアマテラスを引き出す妙案を考えたのはオモイカネで、藤原氏の祖神とされているからです。中臣=藤原氏は、この時に活躍したフトダマを祖神に持ち、(現実世界では)宮廷の神事を司っていた忌部氏を排斥して、天智帝の下で神事を独占するわけです。

 こうして、藤原氏は天皇の外戚の地位を独占して政をし、近現代の近衛氏に至るまで1300年以上も日本の歴史に影響を与え続けます。その礎を創った藤原鎌足と、律令制を確立し、史書までつくった藤原不比等の功績は図抜けています。特に、不比等は、実務、実働部隊の最高責任者なのに記紀の編纂者として明記せず、黒子に徹した辺りは、まるで「黒幕」のようです。恐らく、不比等は、父鎌足の代で急に成り上がった氏族であることを骨身に染みて分かっており、他の有力豪族からの嫉妬や、やっかみや 、反発や反抗を怖れて、「影武者」に成りきっていたのでしょう。

 このような梅原氏の説は、古代史学会では正式に認知されていないのかもしれませんが、面白い本でした。大河内さん、有難う御座いました。

 

古代史が書き換えられるアイアンロード=そして、デマ情報に騙されるな

 「世界史の概念が根底から覆されるよ」と言いながら、会社の同僚川本君が貸してくれたDVDは、今年1月に放送されたNHKスペシャル「アイアンロード~知られざる古代文明の道~」を録画したものでした。

 「随分、大袈裟だな」と半信半疑でしばらく放っておいて、時間が空いた週末に見てみると、これは吃驚。宇宙考古学と呼ばれる人工衛星からの探索で、ユーラシア大陸のアルタイ地域に鉄器文明で栄えたスキタイ人の古代遺跡や50以上の古墳が次々と見つかり、確かに、歴史的大発見!異様に興奮してしまいました。これでは古代史が変わります。

 人類が初めて鉄を生産する技術を獲得したのは、今のトルコのアナトリアに王国を建てたヒッタイト人です。紀元前17世紀前半にムルシリ1世が、バビロン第1王朝を滅ぼして古王国を樹立します。でも、最近になってその遥か昔の紀元前23世紀頃のカマン・カレホユック遺跡から世界最古の人工鉄(直径3センチ)が発掘されたのです。(中近東文化センター考古学研究所・大村幸弘所長ら)

 紀元前23世紀ですよ!今は紀元21世紀ですから、イエス・キリストの時代が随分、つい最近のことのように思えてきます。

 ヒッタイト王国は、鉄を武器に大国エジプト(ラムセス2世)と対等に戦って世界初の平和条約を結んだりしますが、隣国アッシリアなどの勢いに押され、紀元前12世紀に世界史から忽然と消えてしまいます。その後の鉄器文明は、前10世紀にコーカサス地方(ウクライナ・ビルスクヒルフォート遺跡)、前8世紀にはユーラシア・アルタイ地域に伝わり、スキタイ人が広大な領土を持った王国を築いていたことが最近になって遺跡発掘から分かりました。(愛媛大学アジア古代産業考古学研究センター長・村上恭通教授ら)これでは、古代史を書き換えるしかありませんね。

 スキタイ人は文字を持たなかったため、謎の民族で、同時代のギリシャの文献から「敵の血を飲む野蛮人」という扱いでしたが、実は高度な製鉄技術を持ち、短剣のほか、鉄で加工した黄金のネックレスなどもつくることができ、35キロの城壁に囲まれたアテネの4倍もの広大な首都を持った文明国だったことが、発掘調査から分かりました。

 スキタイ人は、馬の口の中に嵌める「鉄のはみ」を発明して、野生馬を自由に御すことによって、長距離の「移動革命」を成し遂げ、広大な領地を広げ、騎馬軍団で、ギリシャやペルシャ帝国を撃退しました。(スキタイ人はイラン系遊牧民という説があり、ペルシャ帝国はイランですから、今後の民族的研究も俟たれます)

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 このスキタイ人の製鉄技術を受け継いだのが、モンゴル地方の遊牧民だった匈奴です。匈奴の侵攻に度々悩まされた秦など古代中国は、万里の長城を築きます。中国の史書では、敵の匈奴は、野蛮で狂暴で悪者扱いですが、実は、高度の製鉄技術を持った文明国で、特に、鎧を打ち抜くほど強力な「鉄の矢じり」を発明して、匈奴の単于(ぜんう=君主)冒頓(ぼくとつ)は、漢の高祖劉邦を苦しめます(紀元前200年の白登山の戦い)。

 ヒッタイト人からコーカサス~アルタイのスキタイ人、そしてモンゴルの匈奴、さらに南下して中国の漢(特に、鉄が農具に使われ農業革命を起こす)にも伝わった製鉄技術は「アイアン・ロード」と命名されます。今のトルコから最後は日本列島(弥生時代)にまで到達するわけです。あのシルクロードより遥かに古いのです。

 いやあ、凄いドキュメンタリーでした。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 さて、話は少しだけ変わります(笑)。新型コロナウイルスの感染は、ついに世界的な大流行(パンデミック)になりましたが、3月13日付読売新聞に掲載された「世界動かしてきた感染症 『パンデミック』も運んだ交易」と題した山崎貴史編集委員の記事は実に興味深く拝読させて頂きました。

 特に、「感染症は人の移動や交易の活発化で拡大した」という世界史的分析は秀逸でした。例えば、グローバリズムは今に始まったわけではなく、5~8世紀は、シルクロードを経由して交易が国境を越えて大いに盛んとなり、その間にインドが起源とみられる天然痘が西は中東、欧州へ、東は日本にまで拡大します。この記事には詳しく書かれていませんでしたが、当時の日本の奈良時代、「古事記」「日本書紀」を編纂した中心人物と目され、絶大な権力を誇っていた藤原鎌足の次男不比等も、その子ども藤原四兄弟(武智麻呂=南家、房前=北家、宇合=式家、麻呂=京家 )も若くして病で亡くなっています。それは、天然痘だった説が有力です。ですから、私なんか「そうだったのか!」と相槌を打ってしまいました。

 また、14世紀には、欧州では人口の3分の1が死亡し、黒死病と恐れられたペストが大流行します。これは、中央アジアが発生源と言われ、モンゴル帝国が西へ拡大する中、伝わったと言われています。領土拡大の帝国主義と病気拡散はセットだったことが分かります。この黒死病による人口減で、欧州は農奴が急減し、中世の封建的身分制度が崩壊し、ペストを防げなかった教会の権威も失墜し、人々の意識に「国家」の概念が生まれ、近代的な主権国家の誕生に結び付くという分析も、目から鱗が落ちるようでした。つまり、パンデミックが社会を変革したのですからね。

 その点、現在のパンデミックは、貧富の格差拡大など社会の矛盾の現れなのかもしれません。果たして、この現在のパンデミックが、世界を変えるほどの社会変革をもたらすのか? 私自身は、デマ情報に惑わされず、パニックにならず、世界史的視野で、大いに注目していきたいと思っています。