「幕末下級武士の絵日記」の作者尾崎石城さんのお墓参りをしたくなりました

来月8月に京都に行くことになっています。

京洛先生のお導きですが、最近、寺社仏閣巡りにスイッチが入ってしまったので、京都は本当に楽しみです。歴史ある京都は、ほんの少し歩いただけで、名所旧跡、古刹名刹だらけですからね。

◇安養寺と安養寺

 今回は目的がありまして、村上純一氏が住職を務める京都市左京区にある「青龍山安養寺」(浄土宗)を訪問することです。村上氏は作家村上春樹氏の従兄弟に当たる方で、小生が今年5月のブログで、思い込みの勘違いで、同じ京都市の安養寺でも、 東山区にある「慈円山安養寺」吉水草庵(時宗)の方だとご紹介してしまい、村上氏ご本人から間違いを指摘されてしまった経緯がありました。繰り返しになるので、これ以上述べませんが、御住職にお会いして、仏教の宗派の違いや、現代仏教の問題点などをお伺いすることを楽しみにしています。

 お目にかかるのはちょうどお盆の頃でして、お盆は、新幹線指定席の予約が取りにくい話を聞いてしまいました。その前に、お盆シーズンは割引切符が効かないことも知らされました。京洛先生に相談すると、新橋の安売りチケット屋をウロチョロするなんて貧乏臭くて野暮ですねえ。(それ、ワイのことやないけ!)JR系旅行代理店で予約すると、ホテルと往復切符付きで格段に安く買えますよというので、そうしようかと思ったら、やはり、お盆シーズンだけは割高で、べらぼうに高いことも分かりました。

 そう言えば、私が京都を訪問するのはシーズンオフが多く、お盆に訪れるのは学生時代以来数十年ぶりだということに気がつきました。

◇JR社長に告ぐ

 慌てて、1カ月前に東京・有楽町駅のみどりの窓口に朝の9時過ぎに行ったところ、係りの人が「午前10時からしか販売できません」と言うのです。「えーー」です。仕事が始まってしまうのです。独占企業のJRさんよ、せめて、午前9時からの販売にするべきではないでしょうか! 仕方がないので、昼休みの13時ごろに行ったら、やっと指定券が買えました。ヤレヤレです。

 さて、この間から、 大岡敏昭著「新訂 幕末下級武士の絵日記 その暮らしの風景を読む」(水曜社 )を少しずつ読んでいますが、自分自身が幕末の下級武士になった感じです。タイムマシンがなくても、こういう本を読めば、いつでも過去の時代に暮らしている感覚になれます。

 絵日記の作者は、謹慎中の忍藩(現埼玉県行田市)の下級武士尾崎石城(隼之助)でしたね。先日のブログ(2019年7月19日)で、この本をご紹介した時に、「石城さんの生まれが天保12年となっているが、年齢が合わずおかしい」と書きましたが、後ろの彼の年譜を見たら、「文政12年生まれ」と書かれていました。文政12年なら1829年です。これなら平仄が合います。

 単純ミスなんでしょうが、このほか、93ページの「左端」は「右端」の間違い、97ページの「72図」は「74図」の明らかに間違い・・・と、ちょっと校正が杜撰な感じです。

◇大酒呑みの石城さんと和尚さん

 絵日記の作者尾崎石城は、毎晩のように寺や友人宅や料亭などで、僧侶や町人や女性も交えて酒盛りをして遊びます。田楽、紫蘇茄子、玉子焼き、茶碗蒸し、むきミにつけ、志ゝみ汁などその日何を食したかメニューも伝えてくれます。

 スマホどころか電話も、テレビも映画もない時代です。何を楽しみにしていたのかというと、いわゆる田舎芝居や、浄瑠璃、酒の勢いに任せた即興の歌舞、それに、仏様の誕生日である花祭りや金比羅祭りなどの祭祀、そして、植物を愛でたり、石城さんの場合は、襖絵や屏風絵などのために写生したりしているのです。下級武士だけでなく中級武士との交流もあり、石城さんは毎日、誰か5~6人と、驚くほど多くの人と会い、交流しているのです。

 聖職に就き、「斎戒沐浴」しているはずの大蔵寺の宣孝和尚も、龍源寺の猷道和尚も大酒呑みの女好きで、時には二日酔いで寝込んだり、大変魅力的な人物に描かれています。

◇半端じゃない読書量

 また、学問好きの石城さんの読書量は半端じゃなく、中国の古典として「左傳十五巻」「六経略記十巻」「史記評林二十五巻」「論語新注四巻」「書経集注六巻」「荘子林注十巻」など、我が国では、賀茂真淵「万葉考三巻」、新井白石「藩翰譜」、「源氏忍草十巻」「古今集」「和漢朗詠集」「俳諧七部集」、徳川家康「御遺訓」、平田篤胤「古道大意」…とキリがないほどです。

 これだけの学問を積んだ人ですから、この絵日記が書かれた6年後に明治維新となり、石城さんは一連の咎めが赦免され、藩校培根堂(ばいこんどう)の教頭に抜擢されます。しかし、明治4年(1871年)に廃藩置県となり、藩校も閉校され、その後、石城さんは宮城県に移り、租税事務の中位の役人になります。そして、明治9年(1876年)にその地で死去し、仙台元寺小路の「満願寺」に葬られたということです。享年47。

 もし、仙台に行く機会があれば、満願寺に行って尾崎石城さんのお墓参りをしたいと思いました。年金も社会保障も人権もない時代。石城さんは、貧しい子どもたちをしばしば食事の席に呼んだりします。心優しい石城さんにはそれぐらい入れ込んでしまいました。

京都・旧「三井家下鴨別邸」の紫陽花が見ごろです

 おはようございます、京洛先生です。

 相変わらず、千葉県の佐倉城址公園、国立歴史民俗博物館と、勉強熱心ですねえ(笑)。「還暦」過ぎの、インテリ老人は、ちゃらんぽらんに人生を過ごすことが得手でないようです。何でも「勉強!勉強!」ではダメですよ。“狐狸庵センセイ”のように大ウソつき、ほらを吹いて、世間を煙に巻くようにならないとブログも面白くありません。

 最近は、男だけでなく、女も歴史が好きだということで、「歴女」とかいう流行語があるようですが、これも、お勉強一筋で、余裕が無い「ガリ勉」の延長です。人間は正直です。無駄がないと、その反動が、ギスギスした表情や物腰に表れるのですよ。

 ところで、迂生が推薦した映画「警視庁物語」を見に行きましたか?芦田伸介の出た「七人の刑事」(TBS系、1961~69)や波島進演じる立石主任の「特別機動捜査隊」(NET、現テレビ朝日系、1961~77)などテレビの刑事ドラマの原型ですから、それこそ“現代映像資料館”だと思って、東京のミニシアター「ラピュタ 阿佐ヶ谷 」に行くべしです。そうしないと、90歳、100歳と長生きできませんよ(笑)。

 さて、貴人から「季節にあった写真はないか」というご下命、注文が飛んできましたので、昨日(6月23日)、京都・下鴨神社に隣接する旧「三井家下鴨別邸」=重要文化財=の紫陽花が綺麗だというので足を運び、写真を撮ってきました。

 三井はもともと養蚕の神様(蚕ノ社)を信仰していました。というのも呉服商ですから縁がありますね。また、三井家の祖霊の「顕名霊社(あきなれいしゃ)」も、京都・太秦の「木嶋神社」に祀っていましたが、明治初めの廃仏毀釈などあれこれ騒ぎがあって、明治42年に三井高安(三井家の遠祖、三井高利=三井家の家祖=の祖父)の三百年忌を機会に下鴨・糺の森に「顕名霊社」を遷座し、その参詣のための休憩所としてこの別邸を作ったわけです。

 昨日、一昨日と二日間はこの旧三井家下鴨別邸の敷地にある「紫陽花苑」を無料開放したので綺麗な紫陽花を見ようという大勢の人で賑わいました。

 貴人は以前、映画の草創期の大スターだった“目玉の松ちゃん”こと尾上松之助の銅像が下鴨神社そばの「糺の森」にあったのを覚えていますか?糺の森というのも、元は木嶋神社境内あって、今ではそこは「元・糺の森」と呼ばれています。

 糺の森とは誤ったことを正すということですね。今度、京都に見えたときに木嶋神社を案内しますが、ここには「三柱鳥居(みつはしらとりい)」という変わった鳥居があります。鳥居を三基合わせたもので、東京の向島の「三囲神社」に行くとこの木嶋神社の三柱鳥居を原型にした「三柱鳥居」が見られます。

この「三囲神社」も、三井家、三井グループがあれこれバックアップ、支援しています。逸話が好きな貴人は、是非一度訪ねてみることです。感激するでしょう。

以上

おしまい。

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平清盛一族の屋敷跡か?=何と、葬送の鳥辺野で

おはようございます。京洛先生です。

水戸漫遊記や、お城巡りと休日は歴史探索をされているようで何よりです。

ところで、昨晩のNHKの全国ニュースでも報じられていましたが、当地、洛中では、ホテル建設の工事現場から「平清盛一族の屋敷跡か?」とみられる遺構が見つかりました。

昨日はその発掘現場で、遺跡の説明会がありました。迂生も「どんなものか」と野次馬の一人として見てきました。

 場所は京都市内は東山通五条西入る付近で、通称「五条坂」と呼ばれ、清水焼の窯元などがあるところです。

 清水寺に行く観光客でごった返す五条通りに面しています。観光客の激増で、京都市内は、ホテルの新築ラッシュですが、その工事現場から、平安時代後期のそれらしき堀や石垣、井戸などが見つかったのです。

 この遺構は、武家政権を初めて確立した平清盛(1118~1181年)時代のものと、推定されるということで、清盛の屋敷跡ではなかったかと歴史学者、専門家は見ています。

浄土真宗本願寺派(西大谷)

 最初の写真のように堀は東西約15メートル、幅3メートルで、石がしっかり積み上げられていました。出土品から、12世紀頃に作られたと見られます。

 また、この周辺は古代以前から葬送の場所で、平安時代からは「鳥辺野」(とりべの)と言われていました。平氏など武家は、この界隈に軍事拠点や住居を構えていたと見られます。保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)が起きた頃です。

六波羅密寺

  特に、今回注目されていることは、鎌倉幕府が西国の御家人、朝廷を監視するためにつくった「六波羅政庁(探題)」が出来る以前の、平清盛の頃の遺構が見つかったということでした。

 また、遺構の見つかった場所からは、弥生時代後期の「方形周溝墓」も見つかり、平安時代よりもさらにもっと古くから、葬送がこの地で行われていた歴史を知ることができます。

 昨日の遺構現場には大勢の見学する人が来て、発掘した専門家の説明を熱心に聞いていました。流石に、煩い観光客は居ませんでしたね( ´艸`)。

 今回の発掘では、同時に、「平安京」が成立(794年)するもっと大昔の「古代」が、ちらっと地中から垣間見られた瞬間でもありました。

 まずは、ご報告まで。

 以上

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京都の不思議=ボトルの相続

  その後、如何お過ごしですか、京洛先生です。 

ブログを拝見すると、渓流斎先生は、「歴史研究」から「スパイ研究」、さらには「映画鑑賞」と、あれこれお忙しいようですね(笑)。 世間は「天皇の譲位」、「平成」から「令和」への改元で大騒ぎですが、渓流斎ブログには、ほとんど、それが触れられていませんね(笑)。やはり、何か書いてもよいのではないですか?

 いつもながら、マスコミは鉦や太鼓をたたいて、さんざん、世間、大衆を煽っています。何も考えない大衆は、”改元音頭”を踊り、踊らされて、憂さを晴らす、というパターンです。

 新聞各社は「天皇陛下おめでとう!」「慶祝!」と、大きな名刺広告を集めて紙面に載せていますが、あの広告費はチャンと「禁裏」に納めているのですかね?(笑)。自社の財布に入り、収入、収益になるのなら、”あやかり商法”というか、詐欺”みたいな話ですよ(笑)。 

大手新聞各社は「こちらが献上しようと思っても、禁裏は固辞される」ということでしょうが、「日本ナントか協会」とかいう、国際慈善団体の名称を使って、「アフリカの子供を救おう!」と浄財を集め、豪華な自社ビルを建てる費用に充てる手合いとこれでは同じですよ。

 誰も文句を言わないのも可笑しな話です。そのうち、広告収入が、下降線のテレビ業界も、映像版あやかり「名刺広告」を始めるのじゃないしょうか(笑)。「人の褌で相撲をとる」とは、こういうことをいうのです。

京都「ヘルメス」

 ところで、”10日間連休”のさなか、「奇遇」、「奇縁」のお話を一つご披露しましょう。

 貴人もご存知の三軒茶屋のガルーダ博士が連休中、洛中の別荘にお見えになり、当方にも御報がありました。いつもは、ご友人らと夜の巷を徘徊されるのですが、今回は、女婿の御尊父が亡くなられ、その葬儀、御弔いのために見えました。それら大事な役目を一通り済まされた後、「時間があるので、ご一緒しませんか」と当方に有難い、お誘いがありました。

 そこで、先夜、ガルーダ博士ご夫妻のマンション傍の千本中立売周辺で食事を済ませ、さらに「もう一軒」となり、ぶらぶら三人で歩き出しました。 

「千中(せんなか)」と略称されるこの界隈は、水上勉の「五番町夕霧楼」の舞台で、「売春禁止法」以前は「五番町」という遊郭がありました。今はマンション、住居が立ち並び、そのころの賑やかさは、ほとんど消え去り、薄暗い、人出がない、狭い道筋を歩いていると、ガルーダ夫人が小さな声で「あれ!、ここヘルメスじゃないの?」と、暗がりに燈るバーの街灯を見つけ指さされました。「え!ヘルメス、どれどれ」とガルーダ博士。「そうだ、ヘルメスだ、亡くなったOさんが、よく飲みに行くといっていた、お店だ」と言うなり、「入ってみるか」となりました。

 0さんというのは、ガルーダ博士が、今回、お葬式に行かれた女婿の実父で、建築家と大学教授を兼任されていた方です。「土に還る」自然素材を用いた、独特の建築工法で、家を建てることを実践し、「藁の家」などユニークな建物も手掛けられ、その世界では有名な方だったそうです。「自由人」らしく、京都の飲み屋街にも出没し、談論風発、友人知人も多く、学生にも、大変人気があったそうです。 

「ヘルメス」は、70歳を過ぎたと思しきママさんが一人だけで、お客さんは誰もいません。時代は「平成」から「令和」に移りましたが、店内の雰囲気は、「平成」など無視して「昭和」が今も健在です。貴人が一緒なら「いやあ、懐かしいですね!こんな店がまだあるのですね、京都には」と痺れますね(笑)。店の壁際には、古いレコードが大量に整理整頓され、お客さんの好みに合わせて、それを聴かせてくれます。

 見慣れぬ客に、多少、不審げな表情で「何をしはりますか?」とママさん。そこで小生が「こちらのご夫妻の親戚で、Oさんという方が、よくここへ見えていたそうですが、ご存知ですか?」と、出しゃばって話を向けると、「え、よく存じていますよ。Oさんは。ご病気やと聞いて、心配していましたが…」と、Oさんの近況、動静もよく知っているので、話は簡単でした。

 ガルーダ博士が「いやあ、実は、先日亡くなりました、ワタシも、東京から葬儀に来て、偶然、ちょうどお店の前を通ったので、思い切って店に入ったわけです」と話されると、「え!Oさんは亡くなられはったのどすか?!いつも、一緒に来はるNさんご夫妻が、だいぶ、よおないと、言うたはったから心配してましたが、そうどすか…」。

Oさんのボトル

ママさんは「ええ先生どうしたわ。学生さんも飲みに連れて来はってね」とOさんの懐旧譚とともに、Oさんが店にキープしていたボトルを棚から出して「ご親戚やし、飲んで、センセイを偲んでおくれやす。Oさんも喜ばはるわ」と水割りを勧めてくれました。

 これには、ガルーダ博士も言葉に詰まり、しばししんみり。Oさんの好きだったという、フランク永井の「公園の手品師」などアナログのレコードプレイヤで聴き惚れました。

 ガルーダ夫人は「きっと、Oさんが導いてくれたのよ、パパ」と言われましたが、本当に奇縁、ハプニングでした。

 翌日、ガルーダ博士は、Oさんの息子さんの女婿を、「ヘルメス」に連れて行き、ボトルの引継ぎを済ませ、帰京されました。行きつけのバーにキープされたボトルの相続、形見分けというのも、珍しいと思いますね。

以上おしまい。 

再びOさんのボトル

北野天満宮の梅が咲き始めました

 京都にお住まいの京洛先生から、うれしい「風物詩」を送ってくださいました。

…大阪の梅田にまで遠出し、念願のデジタルカメラを奮発して買ってしまいました。

今日の午後、その新しいデジカメで近所の「北野天満宮」の梅を撮ってきました。だいぶ紅白梅が咲き始めました。2月の「節分」を終える2月8日(金)から境内の「梅苑」公開は3月半ばまで始まります。「梅が咲いたか、桜はまだかいな」ですね。

 デジカメは高性能カメラで画素数が高く、一度そちらにお送りしたのですが、うまく行きませんでした。そこで、少し画質を落として配信することに致しました(笑)。

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 それにしても、一年経つのは早いものです。こういう具合にあっという間に終わるのです。

 「合格祈願」のお札をかけて無事、大学入学した受験生もあっという間に4年経ち、社会人になり、定年を迎え、人生終末を迎えるわけです。

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あっという間に一生ははかなく終わるわけですから、一日一日を大事にしないといけませんね。…

 諸行無常。何か、「平家物語」か「方丈記」を読んでいる感じですね(笑)。

 一日一生

 

京都・東寺で「終い弘法」開かれる

おはようございます。京洛先生です。

京都・東寺 (著作権:京洛先生)

 そちらでは「忘年会」で大いに盛り上がったようで結構でした。会場は以前「渓流斎ブログ」の”アクセス数〇〇万達成、突破記念”をされた東京・内幸町の「はらぺこ」ということですが、そういえば、以前は、渓流斎ブログに、アクセス数が毎日出ていましたが、最近、見かけませんね(笑)。どういう理由か分かりませんが、ブログを見た人の数字は”人気のバロメーター”です。定期的に出すようにされたらどうですか。新聞や雑誌と同じで「発行数」「販売部数」が明記されないと、広告もつきませんよ(笑)。


京都・東寺 (著作権:京洛先生)

 ところで、当地では弘法大師のゆかりの「東寺」(教王護国寺)で、毎月21日(弘法大師の命日)に「市」が開かれます。今月師走の21日は、今年最後の「弘法市」であり、別名「終い(しまい)弘法」と言われています。

 貴人とは、毎月25日の菅原道真の命日に、北野天満宮で開かれている「天神市」に出かけましたが、「弘法市」はまだ行かれたことはないでしょう。天神市も、今月25日に「終い天神」があります。


京都・東寺 (著作権:京洛先生)

 東寺には、JR「京都駅」から歩いて10分ほどで着きますが、天神市と同じように古着、骨董、陶器、がらくた品はじめ、漬物、果物、野菜、饅頭、おでん、焼きそばなど1200もの露店が並び大変な賑わいでした。


京都・東寺 (著作権:京洛先生)

 夕方のテレビのニュースでもこの様子を報じていましたが、洛中は朝から好天気で、京都市内だけでなく、全国からおよそ10万人の人出があったそうです。凄いですね。


京都・東寺 (著作権:京洛先生)

 また、東寺については、来年3月26日(火)から、新元号を跨いで6月2日(日)まで、そちら、東京・上野の国立博物館で「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅展」(主催 読売新聞,NHK)があります。すでに準備のため展示される仏像などが東京に運び出されています。


京都・東寺 (著作権:京洛先生)

 特に今回の展覧会では”空海ワールド”を東博で繰り広げるようで、この渓流斎ブログでも何度か紹介して頂いたことがある、正月14日に終わる真言宗の最重要の秘儀で、国家鎮護を祈願する「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」の道場が、展覧会で再現されるそうです。どんな秘儀か、会場に出かけられるとよいでしょう。

以上 京洛先生でした。


京都・東寺 (著作権:京洛先生)

 渓流斎です。

 いつも、「京の風物詩」お送りくださり、誠に有難う御座います。

 残念ながら(笑)、「終い弘法」は、家族で行ったことがありますよ。大阪に住んでいた時代ですから、もう30年ぐらい昔です。ちょうど、天下のNHKのクルーが来ていて、若気の至りで取材インタビューを受けてしまい、夕方のローカルニュースに小生は登場したのでした。出演ですよ。ワハハハ

 それと、アクセス数ですが、サイトの右横下に掲示されてますから、毎日御覧できるはずなのですが。。。どうぞ宜しく御願い申し上げます。

京都は今、永観堂と南禅寺の紅葉が見ごろです

南禅寺

だいぶ寒くなってきましたね、渓流斎さん。京洛先生です。

毎日、北関東の集合住宅から「新橋演舞場」にご出仕、ご出勤ご苦労様です。貴方が演舞場の舞台裏で、黒子として大活躍されているのは知る人ぞ知るです(笑)。

永観堂

舞台表で、汗をかく人もいれば、裏舞台でそれをスムーズに進行させるため汗をかく人がいればこそです。「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人」と古来から言われておりますが、世の中、表もあれば裏もあるのです(笑)。

そういう渓流斎さんに比べ、当方は最近、めっきり汗をかく機会が減り、運動不足です。それを解消するため、一日「1万歩」を目標に洛中、洛外を歩き回ることにしています。日々、朝晩の出勤は、そういう意味で、気分転換とメリハリをつけて、健康管理にもなっていると思いますね。

永観堂

そんな京都はそろそろ、紅葉の季節を迎えました。洛外は既に「見ごろ」になっていますが、京都市内の洛中はこれからです。あと1週間くらいすると何処も「見ごろ」になることでしょう。

そんな中、比較的、早くも見ごろになってきた「永観堂」と、色づきはじめた「南禅寺」をまわってきました。

永観堂

永観堂は、古今和歌集でも「秋は紅葉の永観堂」と言われる古くからの紅葉の名所です。

東山の山腹の傾斜地にあり、紅葉の色づきに最適な土地なのでしょう。平安貴族で歌人の藤原関雄が別荘にした場所に、西暦853年(仁寿3年)に、弘法大師の弟子の真紹僧都が、真言密教の道場に永観堂を建立したということです。

その後、鎌倉時代初期に当時の静遍僧都という人が、法然に帰依したため、お寺は真言宗から浄土宗になったわけです。

永観堂

永観堂で、有名なのが「見返り阿弥陀」(重文)で、紅葉の時季には本堂を拝観する見どころになっています。

しかし、写真のように境内の紅葉は、いつ見ても色鮮やかで、観光客が押しかけて、「凄い!見て見て、綺麗ね!」、「超!綺麗」と感激するのはよーく分かります。

永観堂

次に、永観堂から10分ほど、ぶらぶら歩きして着いたのが「南禅寺」です。

南禅寺

こちらは、まだ「色づく」程度で、本堂の紅葉もこれから「見ごろ」を迎えると思いますが、週末でしたので、紅葉見物の観光客でごった返していました。

南禅寺

以上、ご報告まで。

南禅寺

あ、序に、もう一つ、南禅寺らしい景色をお楽しみください。

南禅寺

おしまい。

梅は咲ひたか、桜はまだかひなあ〜

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京洛先生@京都です。

渓流齋さん、過日「五大力さん」の写真をまだ使ってくださるのは有難いのですが、そんな古い過去の写真を使っちゃあ、権威ある《渓流斎日乗》ブログの値打ちが落ちますよ(笑)。
新聞記事と同じで、毎日、朝晩、紙面を新しく、新鮮な記事、写真を載せないと読者が逃げます。

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売れ残りの「しめ鯖」を、翌日、適当に水をかけて、一見、新鮮で作りたてのようにする偽装、改竄工作は、財務省や安倍政権に任せればよいのです。そういうのは”インチキ・利権製造政権”が、やる手口です。”スシロー”なんていう、白髪頭の政治評論家は、その露払いです。にぎり寿司を食わして、助成金という名の多少のチップを握らせば、テレビ=「電波紙芝居」で大きく持ち上げますからね(笑)。

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舞台裏を、何も知らないテレビの視聴者・大衆は「そんなものか」と、目くらましに遭うだけです。それがまた「世論調査」に影響するのですから、恐ろしい世論誘導で、「政治評論家」と言うより正確には安倍政権の宣撫工作員です。

最近は、スシロー以外にこの手の「専門家」「評論家」「ジャーナリスト」が多すぎますね。今は「スパイ」の顔を見たければ、テレビのコメンテーターを見ればよいのです(大笑)。

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まあ、それは閑話休題。今、「北野天満宮」では梅が満開です。
無実の罪で、大宰府に左遷された菅原道真公に因んだ「飛梅」は九州まで飛んで行ったという事ですが、全国の約1万2千社ある天満宮の総本社である「北野天満宮」の本殿(国宝)の前にも「紅和魂梅(べにわこんばい)」というご神木の「飛梅」が植えてあります。
伝説の飛梅と、同じ品種です。樹齢およそ300年だそうです。この紅梅は薄紅色です。

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渓流斎さんもお見えになったことのある境内の「梅苑」の梅も満開です。

今日(12日)は平日でしたが天気も良く、梅を見る人出も多く、入園料700円(茶菓代込み)の梅苑内の茶店の腰掛も満員御礼で、座る席が無いので、まごまごするお年寄りや外国人観光客の接遇に茶店のアルバイトさんも大わらわでした。

梅見物も今月末まででしょうね。
もうすぐ、洛中も桜の季節にかわります。

是非また、京の都に足をお運びください。

京都・醍醐寺の五大力さん

皆さんこんにちは、京洛先生です。

ここ、二、三日、洛中は気温が上昇し、春の訪れを感じさせる毎日ですが、帝都は如何でしょうか。3月の奈良の「お水取り」が終わらないと、春はやって来ない、と言われていますが、梅も咲き始め、あっという間に、桜満開、花見気分になるでしょう。

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ところで、渓流齋さんは「五大力(ごだいりき)さん!」は、ご存知ですかね?

「え、五大力さん? 何ですか、それは!」「人力車の大きいのですか?」「いや、待てよ? ごだいちから、という、昔の人の名前ですかね」との反応があるかもしれませんね(笑)。

まあ、関東や東京の人は、ほとんど分からないでしょうね。

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「五大力さん」とは、世界遺産でもある「醍醐寺」が、毎年2月15日~21日までの1週間、「五大力尊仁王会」という、同寺にとって、最大の宗教儀式を執り行うのですが、それを親しみを込めて「五大力さん!」と、京都の町衆は、昔から呼んできているのです。

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「五大力さんのお札。あれは、昔から、ウチの玄関、台所に貼ってあるわ!」「あの日は、醍醐寺で、大きな鏡餅を持ち上げ、競わはるのと違いますか」というふうに、その意味や歴史は分からなくても、京都の庶民は、自然にアタマの中に入っていることなのです。

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醍醐寺は空海の孫弟子の源大師聖宝が、貞観16年(874年)に開基したお寺です。醍醐山も、聖宝が名付けたと言われ、醍醐天皇のバックアップで、寺勢は興隆、延喜7年(907年)には、後醍醐天皇の発願で「薬師堂」も建てられ、下醍醐一帯は大きく発展しました。その後、応仁の乱で、醍醐山の麓の下醍醐は、国宝の「五重塔」を残して殆どが焼失、その後は、豊臣秀吉の手で再興され、「醍醐の花見」は有名ですね。

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この「五大力尊仁王会」は、千年以上続く、大きな宗教儀式で、同寺によると、全国各地から、この法会に、およそ10万人の信者、信徒が訪れると言われています。

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特に7日間にわたって延べ千人のお坊さんが祈祷した「五大力尊」の分身であり、あらゆる災難からも守られる、という「御影(みえい)」は、2月23日の一日に限って授与されるというので、朝から夕方まで、それを授かろうという人が、続々と醍醐寺にやって来ていました。

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愚生は、天気も良く、温かい日和でもあり、23日(金)、久しぶりに「奉納の餅ち上げ」の見物と、「御影」の授与を受けに、同寺に出かけて写真を撮ってきました。とくと、ご覧ください(笑)。

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醍醐天皇の御代から始まった「五大力尊仁王会」と違って、「奉納の持ち上げ」は、戦後、始まったもので、歴史はそれほどありません。終戦直後の食糧難、モノ不足の時代に、お米や餅米をもちよって大鏡餅を奉納し、ご利益を得ようという庶民、大衆の願いから始まったようです。

Copyright par Kyoraque Sensei

女性は90キロ、男性は150キロもある巨大な鏡餅をどれだけ持ち上げて居られるか、時間を競うわけで、境内の特設会場には、それを見ようと大勢の人だかりができました。

Copyright par Kyoraque Sensei

「御影」の授与には二千円が必要ですが、有難いお札を拝受しようと、長蛇の列で、同寺としては、かなりの志納金が集まったと思いますね。
来月になると、今度は桜を愛でる人で、醍醐寺はさらに、大勢の観光客でごった返します。

以上、ご報告迄。

京都・西陣は千本釈迦堂の大根炊き

京都・西陣「千本釈迦堂」©️Kyorakusakio

京洛先生です。

最近、どういうわけか《渓流斎日乗》では、滋賀県の大津農林水産通信員とやらが、幅を利かせておられるようです。

が、「元祖」「本家本元」はこのアタシだということを、読者諸兄姉の皆々様方にはよおく御理解、御芳情、御鞭撻の程、宜しく賜わりたき次第にて存じまする。

京都・西陣「千本釈迦堂」©️Kyorakusakio

◇12月8日は臘八大接心

あ、さて、12月8日は、何の日かご存知ですか? 「米国がイスラエルの首都をエルサレムに宣言して、パレスチナで紛争が激化している?」「富岡八幡宮の女性宮司が弟(前宮司)に殺された?」。
それも大きな事件でしたが、仏教徒の始祖、お釈迦様、釈尊、仏陀が悟りをひらかれた「成道会(じょうどうえ)」(12月8日)です。禅宗では「臘八大接心(ろうはつ おおぜっしん)」と言って、12月1日から8日まで僧堂できびしい修行に勤しみます。

◇応仁の乱の舞台で大根炊き
京都・西陣の一隅にある「千本釈迦堂」では、その「悟り」にあやかり、毎年開いている「大根焚き」の日です。鎌倉時代から続いていて、今では、洛中の冬の風物詩にもなっています。
同寺は、仮寓のそばでもあり、今日はその盛況ぶりを覗いて来ました。
通称”千本釈迦堂”。正しくは「大報恩寺(真言宗智山派)」は、あの「応仁の乱」でも、唯一、焼け残った洛中の最古の建造物であり、本堂は「国宝」になっています。

京都・西陣「千本釈迦堂」©️Kyorakusakio

貴人も数年前に、大根炊きを食べに見えたでしょう。本堂の横の「宝物館」の運慶、快慶らの重文の仏像の見事さにびっくりされたりしましたが、例のあの椿事もこの境内でしたね。

◇この紋どころが見えぬか!
緋毛氈の敷かれた床几に腰を掛け、出来立ての温ったかい大根焚きを食べていると、大阪からやってきた、さる民放の報道クルーが、迂生に「取材に応じてくれませんか」と頼みに来ました。
こちらは、取材でも、インタビューでもなんでも応じても良いのですが、後で、彼らが上司から叱られたら可哀そうなので、偶々、着用していたジャンパーの胸の小さなマークをお見せしたところ、カメラマン氏は、大声を出してその場にひっくり返って、大急ぎで逃げ出しました。

何もご存知の無い貴人も、慌てて、「京洛先生!何かあったのですか」と、心配そうな表情を見せられたので、「いやいや、これを見せただけですよ」と、微苦笑しながら、ジャンパーに縫ってあった彼らのライバルのテレビ局のマークを見せたのでした。
貴人もそれを見て「ヒヤ―、それでは、カメラマンさんも驚いて逃げますよ」と大笑いになりました。

京都・西陣「千本釈迦堂」の大根炊き 1000円©️Kyorakusakio

千本釈迦堂の大根焚きは、7日と8日の2日間開かれていて、報道関係者は初日に殺到するので、8日はマスコミは何処も来ておらず、人出もそれほど多くありませんでした。
ただ、大きな大根が3切れと油揚げが一枚入った無病息災の大根焚きは千円です。
関係者によると2日間で1万人が大根焚きを食べるので、俗に言えば売り上げは1千万円はくだらないわけですね。
仕込みから料理、接遇をするのは檀信徒さんで、事実上、無料奉仕でしょうから、この売り上げはすべてお寺の収入になるわけです。ただ、お寺としては「お賽銭」のほかは、これと言った大きな収入がないだけに、この「大根焚き」は、お寺の修理維持費にとっては貴重な財源になっているのは確かです。

ちなみに、鎌倉時代、同寺の三世慈禅上人が、大根の切り口に梵字(ぼんじ)を書いて魔よけにしたのが起源の「大根焚き」は、少し辛めの出汁が、大きな大根に染みて、昼飯代わりになるくらいボリュームがあり美味かったですね。

ご報告迄。