日馬富士事件をズバリ推測

銀座「和らん」旬菜盛定食 1500円

◇場外乱闘事件

今、角界は土俵外で大騒動が巻き起こってます。

横綱日馬富士(33)=伊勢ヶ濱部屋=による東前頭八枚目貴ノ岩(27)=貴乃花部屋=への暴行事件のことです。

現在進行形で今後どんな展開になるのか分かりませんし、私のようなインサイダー情報を持たない輩が予想しても、多分外れると思いますが(笑)、恐らく、日馬富士は引退か、廃業に追い込まれることでしょうね。

しかしながら、この事件はあまりにも不可解なことが多過ぎます。

トラブルがあったのは、巡業先の鳥取市内の飲食店で、10月25日深夜から26日未明にかけてのこと。貴ノ岩の貴乃花親方が鳥取県警に被害届を提出したのが29日。それでも、貴乃花親方が日本相撲協会に被害届を提出したのが事件から3週間も経った11月14日だったということです。

その14日に貴乃花親方が専属評論家契約を結んでいるスポニチが事件をスクープして発覚したことから様々な憶測を呼びました。

例えば、日本相撲協会の八角理事長に対する意趣返し。つまり、貴乃花親方は2年前の理事長選で惨敗したことから、現執行部体制に対する不満があり、態と場所中にトラブルを表面化させたのではないかという疑惑です。

私は、そこまではないと思います。モンゴル人同士のトラブルだったので穏便に済ませたかっただけかもしれませんが、貴乃花親方の行動の不可解さは否定できませんね。

◇八百長なければ日馬富士が一番強い?

トラブルから発生したのは、モンゴル出身力士による宴席で、日馬富士は、日頃から貴ノ岩の生意気な態度が気に食わなかったという伏線があった上に、その場で貴ノ岩が「もうあなたたちの時代じゃない」と挑発して、日馬富士が説教したところに、電話がかかってきたか、もしくは、スマホを弄って黙殺したかのように見えたため、激昂して貴ノ岩をビール瓶で殴って重傷を負わせたということです。

普段は穏やかな日馬富士は酒癖が悪く、「酔うと何をしでかすか分からない」という報道もありました。何しろ、三升も呑んでしまうそうな。

日馬富士は30発も殴り続け、止めに入った横綱白鵬まで投げ飛ばしたといいますから、八百長がなければ、日馬富士が今の角界で一番強いことが証明されてしまいました。

あれっ?何か変なこと書いてしまったかな?(笑)

 

「江戸の銭勘定」は一読の価値あり

自宅近くの本屋さん「よむよむ」で見つけた山本博文監修「江戸の銭勘定」(洋泉社歴史新書)を読んでます。

斯界の権威山本博士は監修になっているので、御本人の執筆ではなく、自分の東大の院生にでも書かせたのかもしれません。あくまでも空想に近い推測ですが(笑)。

それでも面白いことに越したことはありません。恐らくテレビの番組制作会社の三次団体の若いADがクイズ番組の種本にするにはもってこいかもしれません(笑)。

そもそも、私自身は、江戸を舞台にした時代劇や小説や歌舞伎に出てくるお金が今の幾らぐらいになるのか、素朴な疑問がここ何十年もあったのでした。この本はその疑問に見事に答えてくれます。

江戸時代は300年近くも続きましたから、そりゃ、物価の変動はかなりあったことでしょう。そこで、本書では目安として、文化文政期を基本にして、1両=18万円、1匁=3000円、1文=30円としております。

握り寿司一貫4文=120円、蕎麦一杯16文=480円、銭湯8文=240円で、大体現代と変わりませんが、酒一升250文=7500円はちょっと高いですね。

文化文政期の職人(上大工)の年収はおおよそ26両2分=447万円だったようです。

庶民の娯楽の歌舞伎の木戸銭は100文=3000円、大相撲となると銀3匁=9000円と結構したようですね。勿論、座席はピンからキリまでありますから、概算です。

「千両役者」ともなると、年収が1億8000万円ということになるんですか。花形ですね。

私が注目したのは、江戸時代の新聞、瓦版で当時は読売と呼ばれていたそうですが、今もあるじゃん!(笑)

この本によると、現存する最古の読売は、元和元年(1615年)5月8日発行の「大坂阿倍野合戦図」で、あの真田幸村が活躍した大坂夏の陣を報道したものらしいですね。江戸時代の探訪記者、従軍記者も頑張ってたんですね。

このことは、横浜にある日本新聞協会の新聞博物館にもない「新事実」でした(笑)。

大相撲の赤房、白房…て何?

江戸城趾

稀勢の里ブームで、大相撲人気が再燃して切符が手に入らないそうなので、専らテレビ観戦。

江戸の明暦の大火で、市中100万人の人口のうち、10万人が亡くなったことは以前書きました。

亡くなった方々は、本所の回向院に葬られたそうです。宗派に拘らない寺だったからだったようです。

その回向院では、資金捻出のため(?)、お上から勧進相撲が許可されていました。闇か大っぴらか知りませんが、賭け相撲だったようですね。

現在も、相撲興行には顔役さんが欠かせないとか、相撲部屋同士で星取勘定のやり取りがあるとかないとか、といった話は、茲では触れません(笑)。

今日は相撲の土俵の上にある櫓の下の房のことを書きます。

江戸時代の浮世絵を見ると、相撲興行は戸外で行われ、屋根が付いた土俵で、ちゃんと4本の柱があったことが分かります。

この柱は、観客の見る角度では死角となって見にくいせいか、室内興行になると、いつから始まったのか定かではありませんが、屋根は吊り屋根となり、柱はなくなりました。その代わりに、4本の房がぶら下がっています。

ベテランの中継アナウンサーだと、「赤房下で…」とか、「白房下で…」とか解説してくれます。房に色が付いているわけです。

これは出鱈目に付けたわけではなく、風水、陰陽道、四神相応などから決まりがあります。これらは大陸から伝わりましたが、和風にアレンジされるようにもなりました。

何と言っても、相撲は神事ですからね。

まず、テレビ画面の手前を「正面」と言い、行司さんが立っている向こう側を「向正面」と言います。左が「東」、右が「西」です。東の方が西より上位で、番付によって変わりますが、同じ横綱でも東の方がその場所は格上になるわけです。

で、「房」の話でしたが、正面が「黒房」、向正面が「赤房」、東が「青房」、西が「白房」となります。

これは、方位学によるもので、北が黒、南が赤、東が青、西が白だからです。

江戸城趾

これには「四神相応」と言って、その方角に四神が当てはまります。

北が玄武(亀みたいな神様)、南が朱雀、東が青龍、西が白虎です。そうです。奈良県明日香村のキトラ古墳にも描かれていたあの四神です。

相撲の話に戻しますと、正面が北、向正面が南…ということになるのです。そして、それぞれが四季にも相当します。色が四季の色だとも言えます。つまり、青は「あはし」赤は「あかし」、白は「しるし」、黒は「くらし」から来ていたのです。

整理しますと、
【東】左側=青房(青龍)・春
【南】向正面=赤房(朱雀)・夏
【西】右側=白房(白虎)・秋
【北】正面=黒房(玄武)・冬

奈良の平城京、京の平安京も、江戸城を中心にした江戸市中もこのような風水や陰陽道、四神相応などで街づくりされていたことがよく知られています。

特に、家康、秀忠、家光の三代将軍のブレーンだった南光坊天海大僧正が、江戸の都市設計計画に大きく関わったことは有名です。

しかし、その一方で、これら天海上人がつくったと言われる街づくりは、実はこじ付けで、後世の人による作り話だったという説もあるようです。

小生は、来週、休暇を取って、「江戸の五色不動尊巡り」をする予定ですので、自分なりに調べてみました。

かなり知っていたことでしたが、結構面白かったです。

この話はいつかまた。

「分からない」ということ

Noukyavilla

昨日は、大関琴奨菊が日本出身力士としては、10年ぶりに優勝して大騒ぎでした。

「日本出身力士」というと江戸時代の人は、さぞかし違和感を覚えることでしょうけれど、この10年間は、春場所でも秋場所でもなく、全て「モンゴル場所」になっていましたから、私は、「日本出身人」として、素直に嬉しく喜ばしかったです。ま、これ以上書くと、不特定多数の人が目に触れるブログですので、差し支えることにもなりかねないので、やめておきます(笑)。

また昨日は、と書きますが、列島全土に異常な寒波が押し寄せて、南国奄美大島では、何と明治34年(1901年)以来115年ぶりに降雪が記録されたそうでね。大した魂消た。ちなみに、この年は、福沢諭吉が亡くなり(享年68)、官営八幡製鉄所が竣工し、田中正造が足尾銅山鉱毒事件で、天皇に直訴した年であり、世界では、英国自治領としてオーストラリアが発足し、英ヴィクトリア女王が逝去した年でもあります。ちょうど、ロンドン留学中の夏目漱石が、女王の葬列を見送ったといいます。

南国に100年以上ぶりに雪が降るなんて、「異常気象」に他ならない、などと人間は、言葉で納得する動物です。そして、「エルニーニュの影響」などと説明されれば、さらに理解度が深まります。

さて、話が飛んでしまうようですが、今朝の新聞で、「週刊ポスト」と「週刊現代」の広告が出ておりまして、「ポスト」が「わずか半年で株価2万3000円まで大反騰する」と力説する一方、「現代」の方は「株価1万4000円割れへ 急いで逃げろ―世界経済の潮目が変わった」と真逆の悲観論を展開しております。

一体、どちらが正解で、どちらが当たるのでしょうか?(いずれにせよ、勝負がどうなろうと、その頃、読者は忘れ、すべて自己責任ということで、メディアの誰も責任は取りませんが)

私の答えは、「分からない」が正解です。

一体誰が、昨日、115年ぶりに奄美大島で雪が降ると予測しましたか? それに、正確にいつどこで地震が起きるのか、世界中の叡智を集めても分からないそうではありませんか。

それでも、ヒトは「分からない」では納得できず、何らかの意味づけをして、分かったようなふりをして、刊行物を発行して売り上げを伸ばそうとします。

ま、「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損、損」という流れで世の中は動いていきますから、私は単なるひねくれ者か、皮肉屋かもしれませんけど…(笑)

朝青龍問題

 宇登呂

 

大相撲横綱の朝青龍問題が、国際問題に発展しそうですね。この経緯については、皆さんもうよくご存知なので、触れませんが、何で、こんな問題が発生したのか、色んなメディアで報道されていましたが、一番分かりやすかったのが、12日付産経新聞の「朝青龍騒動3つの非」という記事(小田島光記者)でした。

 

小田島記者は、この騒動になった非は3つあり、第一は、横綱という立場を弁えなかった朝青龍。第二が、自覚のない横綱を育てた師匠の高砂親方(元大関朝潮)。第三が、そんな朝青龍を横綱にした日本相撲協会の特に北の湖理事長(元横綱北の湖)だと、明解な論理で説得してくれました。

 

この記事を読んだのか、態度のデカイ某スポーツ評論家が、その日のテレビのワイドショーで全く同じことを言っていたので、彼の取材力の底の浅さが知れて、軽侮心さえ浮かんできました。まあ、それ程、説得力がある記事でした。

 

朝青龍本人から事情聴取もしないで一方的に「二場所出場停止」などの処分を下した日本相撲協会を批判する人もいましたが、私の意見は、相撲という興行の世界はそういうもので、相撲協会の裁断は正しいと思っています。そもそも、勧進相撲から始まった相撲は、裏社会の力で興行が行ってきた世界であり、一般の、倫理観や正義や人権とやらを持ち込んだら、おかしくなります。

 

やはり、一番悪いのは、仮病を使った朝青龍(本当に疲労骨折なら、サッカーなんかできるわけがない!)で、「年6回の本場所だけ出演していればいい」といった考えが間違っていたのです。裏社会の人々にとっては、巡業こそが稼ぎ時なので、彼らのルールに反するパペットは排除するしかないという論理なのでしょう。しかも、朝青龍は、モンゴル政府が率先してバックアップしているビジネスを母国で展開しているらしく、そのために、しばしば帰国しなければならなかったという事情があったらしい。もし、これが事実だとしたら唖然としますね。ハワイから苦労して関取になった外人の第一世代に当たる高見山らは、余程のことがない限り、帰国しませんでした。時代が違うとはいえ、今後、モンゴル政府の抗議も予想され、外交問題に発展しそうだと指摘する人もおり、この騒動はまだまだ予断を許しません。

 

ところで、気になる記事をみつけました。この騒動で中田英寿の事務所がボロ儲けをしていたというのです。朝青龍が母国モンゴルで、中田と一緒にサッカーを興じていたことは知っていましたが、騒動になったおかげで、中田事務所の素人スタッフが、ハンディカメラで撮影した手ぶれの多い、画質の悪いサッカーの画像が、1分当たり破格の30万円で売られているというのです。あの天下のNHKですら、朝青龍の処分が決まった1日に泣く泣く購入したという話です。

 

この騒動で一番得したのは、中田事務所だったとは!

普天王がブログとな

大鵬ー柏戸時代(わあー古い!)はよく見ていたのですが、(若秩父のファンでした…。若秩父を知っている人はずっこけるでしょう)大相撲が八百長だということが分かってから、ほとんど見なくなってしまいました。

それが、何の風の節回しか、最近になって、真面目に相撲を見るようになりました。

だって、最近は、優勝するのは外人ばかり。八百長レースなら、そろそろ日本人に勝たしてもよさそうです。

そうでない、ということは、最近の相撲はやっと、まともになったのかなあ、と思っている次第です。

そうこうしているうちに、今の現役のお相撲さんは、自分の息子と同じくらいの年齢になってしまいました。年を取る筈です。(もっとも、私には息子はいませんが…)

ということで、ニュースで、小結の普天王がブログをやっていると聞いて、早速見てみました。

写真がきれい!というのが第一印象です。内容も率直で、四股の踏み方も解説しており、見ごたえ十分でした。

お相撲さんがパソコンをやる時代になったんですね。