「新聞と戦争」

 

先週から「新聞と戦争」(朝日新聞出版)を読んでいます。日本を代表する天下の朝日新聞が、戦時中にどんな報道をしていたのかー。当時を知る記者や文献にできるだけ当たって、自戒を込めて振り返った話です。

 

昨年から今年にかけて、夕刊で連載されたものをまとめたもので、連載時から時折、読んでいましたが、こうしてまとまって読むと、ジグゾーパズルが解けるようによく分かります。ただし、順番を変えただけで、連載記事にそれ程加筆していないようで、新聞記事ならいいのですが、単行本として読むと、まるで、俳句か短歌を読んでいるようで、場面の展開が早く、何か尻切れトンボの記事も散見します。読者の一人として、「あ、これからこの人どうなってしまったのだろう?」といった感じで置いてきぼりを食ってしまう感覚に襲われてしまいました。

 

それでも、この本の資料的価値や質の深さには何ら恥じるものはありません。

 

本書では、何回も書いていますが、朝日を含め、新聞は、1931年9月18日に起きたいわゆる満州事変を境に論調を百八十度転換します。それまで、軍部の横暴を批判し、軍縮論を唱えていた朝日新聞も、この日をきっかっけに、日本軍による満洲の植民地化を諸手を挙げて賛成し、はっきり言って軍部と行動を伴にしていきます。(当時は、大不況の真只中で、東北では娘を売る農家もあり、人口問題、食糧問題は今と比べ物にならないくらい緊急の課題だったという世相もあります。)

 

なぜ朝日は、論調を変えたのかー?ということを76年後になって、現役の記者が、自問自答しながら、歴史的事実を追っていきます。確かに専門家向きの本で、一部の好事家しか手に取らないかもしれませんが、面白くないわけがありません。

 

この本については、また触れると思います。

水木しげる「総員玉砕せよ!」

 

妖怪漫画の水木しげるさん(85)の自伝的戦記漫画「総員玉砕せよ!」を脚色したドラマ(西岡琢也作、香川照之主演)が、昨晩、NHKスペシャルで放送されました。よく知られているように、水木さんは、数少ない激戦区ラバウル戦線の生き残りです。左腕を失って帰還しました。

 

今だから、当時の軍幹部の無謀、無自覚、無責任、無定見は非難できますが、その渦中にいた当事者の庶民は何も抗弁も反抗もできず、玉砕という名の狂的な方法で殺害されたのに等しいことが分かりました。特に、最後に出てくる陸士出身の木戸参謀(榎木孝明)は、「司令部に報告義務がある」と言って逃げてしまうところなど、100パーセント、水木さんが見た事実だと思います。

 

木戸参謀は、部下を無意味に玉砕させておいて、自分だけは戦後もぬくぬくと生き延びたことでしょう。日本人はトップに立つ人間ほど卑怯なのですが、その典型なものを見せ付けられました。

 

水木さんは、10日付の東京新聞でインタビューに応えていました。戦記ものを書くのは、戦死した戦友たちが描かせるのかなあ、と言っています。「戦死した連中のことを考えるとわけがわからんですよ。何にも悪いことしていないのに、殺されるわけですからね。かわいそうだ」と語っています。

 

これ以外で、水木さんは大変貴重なことを言っています。

「好きなことをばく進してこそ人生です。カネがもうかるから嫌いなことでもするというのには、水木サンは我慢できないですねえ。人は我慢しているようですけどね。見ていられない。気の毒で。嫌いなことをやるのは馬鹿ですよ。…嫌いなことをするのは、私からみると意志が弱いように見えるねえ。自分の方針を貫かない。従順であったり。特に優等生に多いですよ、従順なのがね。世間が『こうしなくては』って言うとそっちの方向に行くって人が案外多い。好きなことにばく進する勇気とか、努力が少ない。私から見ると、必ず成し遂げるというのがない。命がけになれば選べることですよ。それをやらずに文句ばっか言っている」

 

最後に水木さんは、18歳ぐらいの時、生き方を真似ようと10人ぐらいの人からゲーテを選んだというのです。そのおかげで、ゲーテは水木さんの模範となり、幸せをつかんだといいます。戦場にもエッカーマン著「ゲーテとの対話」(岩波文庫、上中下3冊)を持って行き、暗記するくらい読み、ボロボロになった本を持ち帰ったそうです。

ポールよ、おまえもか!

ローマ

ロックファンを自認する作家のYさんが、「『9・11』以降、ロックは死んだ」といったような主旨のエッセイを書いていました。

古い話ですが、2001年の9月11日の同時多発テロに際し、たまたまニューヨークに滞在していた元ビートルズのポール・マッカートニーが、ショックを受け、その後、ニューヨークで支援コンサートを開催しました。Yさんは、深夜にテレビで、そのコンサートの中継を見ていたら、ポールが「米・英軍の軍事行動に関して全面的に支援する。テロを撲滅しよう!」と叫んで、聴衆から拍手喝さいを浴びていたというのです。(残念ながら、ポールがコンサートを開いたことは知っていましたが、私は、この映像は見ていませんでした)

その時、Yさんは思ったそうです。「その軍事行動で、殺されるアフガニスタンやイラクの市民はどうなるの?ああ、これで、ロックは死んだなあ」

1950年代から若者に圧倒的な支持を得たロックミュージックは、かりそめにも、現体制に対する反逆のシンボルでもありました。60年代にヒッピーやフラワームーヴメントなど、今のフリーターの魁みたいな若者もいましたが、スタンスとしては、既得権を崩して、反逆しようというのが根底にありました。

そのシンボル的存在がビートルズで、特にジョン・レノンは「平和を我らに」などを歌い、愛と平和を訴えて、反戦デモ行進に度々参加しました。その挙句の果てが、CIAに付け狙われることになり、「CIAによるジョンの暗殺説」なるデマが飛び交うほどでした。

そのビートルズの片割れのポールが、年老いてこの有様だったとは…。

日本にポールに相当する人はいませんが、例えば、元キャロルの矢沢永一が、自衛隊のイラク派遣支援コンサートを開催するようなものだ、と言えばいいのかもしれません。

同時期、来日したローリング・ストーンズの面々がインタビューに出ていて、当時のイラク戦争(今も続いていますが)について見解を求められると、ロン・ウッドは「戦争なんて、何であろうと、とんでもない!」と首を何度も振って拒絶反応を明確にしていました。

英国国家から「サー」の称号を得た貴族のポールが体制的なメッセージをして何が悪い?と言われれば、それまでですが、あまりにも体制的な色が付いた音楽は、個人的には、もう聴く気がしませんね。

アングロ・サクソンの植民地主義者と何の変わりもないじゃありませんか。

日本を愛したジョン・レノンだったら、どんな行動を取っていたでしょうね。

「父親たちの星条旗」

クリント・イーストウッド監督の話題の映画「父親たちの星条旗」を丸の内ピカデリーで見てきました。

新聞も雑誌も大きく取り上げ、辛口の映画評論家も満点に近い評価を与えていたので、大いに期待して見に行ったのですが、正直、無名の俳優を採用したせいか、登場人物と名前がほとんど一致しなくて、困ってしまいました。そういうことに触れた評論家は一人もおらず、「彼らはやはりタダで見て勝手なことを言ってるんだなあ」と再認識しました。

もちろん、この映画に取り組んだクリント・イーストウッドの勇気と業績はいささかも揺るぎのないものであることは変わりはありません。

これまでの戦争映画といえば、「正義の味方」アメリカが、悪い奴ら(日本やドイツ)を懲らしめて、苦しみながらも勝利を収めるといった「予定調和」的な作品が多かったので、観客(もちろん連合国側の)は安心して見ていられたのです。しかし、この映画に登場する戦士たちは、何と弱弱しく、あまりにも人間的に描かれていることか。兵士たちも当時20歳前後の若者たちが多かったせいか、登場する兵士たちも皆、少年のようにあどけなく、戦場では恐怖におびえて、子供のように泣き叫んでいる。硫黄島で米軍は、約6800人が戦死し、約2万1800人が負傷したということですから、実態に近い描き方だったと思います。

主人公のブラッドリーが凱旋演説で「本当のヒーローは(硫黄島の擂鉢山に星条旗を揚げた)我々ではなく、戦場で死んでいった戦士たちです」といみじくも発言した通り、ヒーローに祭り上げられて生き残ったインディアン系のアイラは、死んだ戦友たちに対する申し訳ないという悔悟の念で、アル中が遠因で不慮の死を遂げたりしてしまうのです。

この映画では、星条旗を揚げたヒーローたちが、戦時国債を売るための「人寄せパンダ」に利用され、最後はボロ衣のように捨てられてしまう有様を冷徹に描いています。そこでは、登場人物に対する感情移入ができなければ、カタルシスもありません。かつてのハリウッド映画が避けてきたような題材です。それを態々、映画化したクリント・イーストウッドの勇気には感服しました。

12月には日本側から硫黄島の戦いを描いた「硫黄島からの手紙」が公開されます。予告で見ましたが、こちらの方が面白そうです。もちろん、見に行きます。

 

ああ、レイテ島…

幕別町札内

「週刊文春」6月1号に載った「『厚労省遺骨集団』は『英霊の遺骨』を見捨てていた!」を読んで大変な憤りを感じています。

簡単に内容を説明するとー。

旧日本軍の戦没者は240万人といわれているが、まだ124万柱の遺骨しか収集していない。例えば、フィリピンのレイテ島では、8万人以上の日本軍兵士がほぼ全滅したのだが、戦後60年も経つというのに、まだほとんど回収されず、とうもろこし畑に散骨され、畑のこやしになっている。それなのに、厚生労働省の2002年の白書では「遺骨収集はおおむね終了」と発表している。厚生労働省は現在、戦没者の遺族らの作る民間団体に遺骨収集を任せているが、最近になって、フィリピン大学のフランシスコ・ダダール教授に遺骨の「鑑定」を任せるようになった。ダダール教授は「これは、日本人の遺骨ではない。フィリピン人の遺骨だ」などど、取捨選択しているが、その鑑定の仕方は単なる目視。つまり、カンで行っていたわけだ。ダダール教授は、単なる考古学者で法医学の専門家ではない。「私がやっていることは、当てずっぽうです」と告白しているくらいだ。

こうして、日本兵と思われていた遺骨もダダール教授のおかげで、「帰国」できなくなってしまったようなのです。要するに厚生労働省が遺骨収集事業から一刻も早く手を引きたいという目論みがミエミエです。

週刊文春も「こんなデタラメな鑑定士を雇い、戦没者や遺族を愚弄する厚労省の責任は限りなく重い」と追及していますが、この記事を後追いした新聞がないのも腹が立ちます。

レイテ島といえば、私の父親の叔父に当たる茂期さんという人が34歳でそこで戦死しています。彼は昭和7年頃から、新宿にあった「ムーラン・ルージュ」という劇場で、高悠司というペンネームで劇作家として活躍したそうです。この大叔父のことを思うと、今回の記事は他人事にはとても思えません。

本当に腹が立ちます。