100年前の関東大震災直後に起きた不都合な真実

 9月1日は、関東大震災から100年の節目の年です。100年は、長いと言えば長いですが、「人生100年時代」ではあっという間です。

 本日付の新聞各紙はどんな紙面展開するのか? 興味津々で都内最終版の6紙を眺めてみました。そしたら、「扱い方」が、どえりゃあ~違うのです。

 扱い方というのは、大震災のどさくさの中、「朝鮮人が井戸に毒を流した」などといった流言蜚語が飛び交い、自警団らによって朝鮮人・中国人が虐殺された事件をどういう風に紙面展開するのか、といったことでした。毎日新聞は、社説、記者の目、社会面を使ってかなり濃厚に反映していました。朝日新聞も負けじと、社説、特集面、社会面で積極的に報道しています。東京新聞も、「売り」の「こちら特報部」で朝鮮人虐殺正当化の「ヘイト団体」まで取り上げています。ネットで確認したところ、時事通信もかなり報道していました。

 その一方で、うっすらと予想はされましたが、産経新聞と読売新聞は全く触れていません。産経と読売の幹部は「朝鮮人虐殺はなかったこと」にしているかのようです。日本経済新聞も、ほとんど触れていません。と、思ったら、辛うじて、社説で、虐殺があったことを、震災直後に発行された「震災画報」の記事を引用して取り上げております。何故、論説委員が直接書かないのか不思議です。

 劇団俳優座を創設した一人である千田是也(本名伊藤圀夫、1904~94年)は、大震災後、千駄ヶ谷で朝鮮人と間違われて暴行された経験があり、芸名を、「千駄ヶ谷のコリアン」から付けた逸話は有名です。千田是也のような実体験をした人が亡くなると、歴史は風化して「なかったことに」なるのでしょうか。

スーパーブルームーン

 松野博一官房長官は8月30日の会見で、朝鮮人虐殺について問われ、「政府内において事実関係を把握する記録が見つからない」と宣言したようです。しかし、震災直後の内務省警保局の電信文には、朝鮮人殺害や日本人誤殺、流言の拡散などが記され、震災から2年後に警視庁が発行した「大正大震火災誌」にも掲載されています。また、政府の中央防災会議の2009年の報告書では、震災の死者・行方不明者約10万5000人のうち「1~数%」(つまり、1000人~数千人)が虐殺犠牲者と推計しています(東京新聞「こちら特報部」)。ということなので、岸田政権が事実関係を把握しようとしないのか、もしくは「なかったこと」にしようとする強い意思が伺えます。小池百合子都知事が犠牲者追悼式典に追悼文を送付しないのも、同じような理由なのでしょう。

 大震災のどさくさに紛れて、朝鮮人だけでなく、「主義者」と呼ばれた反国家主義者も虐殺されました。その一番の例が無政府主義者の大杉栄と妻の伊藤野枝、そして6歳の甥橘宗一が憲兵隊によって虐殺された「甘粕事件」です。さすがに本日、そこまで取り上げるメディアはありませんでしたね。(甘粕正彦憲兵大尉はその後、満洲に渡り、満洲映画協会の理事長になり、ソ連侵攻で、「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」という辞世の句を残して服毒自殺しました。)

スーパーブルームーン

 産経、読売、日経も岸田政権も小池知事も「もう自虐史観はやめて、前向きな新しい歴史をつくろう」という積極的な意図が見えますが、読者には100年前の史実が伝わっていません。

 昨日は、西武池袋百貨店が、大手百貨店としては1962年の阪神百貨店以来61年ぶりにストライキを行いました。テレビで、ある若い男性がインタビューを受けていましたが、彼は「ストライキなんて教科書に載っているのを知っているぐらいで初めてです」などと発言していました。彼よりちょっと年を取った世代である私からすれば、「えー!!??」です。特に、我々は国鉄のストで学生時代はさんざん悩まされた世代ですからね。会社でも30年前まで頻繁に時限ストを行ったいました。

 30年前ぐらいにストライキが頻発した出来事を(当然のことですが)若い世代は知らないのですから、100年前の虐殺事件ともなると、知るわけがありません。特に、産経と読売の読者でしたら、知り得ません。でも、あれっ?そっかあ~。今の若い人は新聞読まないかあ~。

 奇しくも、本日から関東大震災直後の虐殺事件を扱った映画「福田村事件」(森達也監督)が公開されたので、御覧になったら如何でしょうか?

【追記】2023年9月2日

 関東大震災後の朝鮮人虐殺事件に関して、「国営放送」のNHKでさえかなり積極的に報道していました。予算審議を政府に握られているNHKが出来るのに、何で政府の意向に従わなくても済む読売、産経、日経が政府の顔色を窺って報道を避けるのか、全くもって不思議です。

銀座、ちょっと気になるスポット(4)=時事通信社

 「銀座、気になるスポット」シリーズは一体、何回続くんですかねえ?

 実は昨年9月の渓流斎ブログで、「明治の銀座『新聞』めぐり」を5回に渡って連載致しました。明治から現在に至るまで、銀座は、実は新聞社街だったことを足を使って歩いて、現場検証した画期的な企画でした(笑)。5回連載は以下の通りです(クリックすれば読めます)。

 (1)「足の踏み場もないほど新聞社だらけ」=2021年9月17日

(2)「東京横浜毎日新聞社は高級ブランドショップに」=同年9月20日

(3)「尾張町交差点は情報発信の拠点だった」=同年9月22日

(4)「読売新聞は虎ノ門から銀座1丁目に移転」=同年9月24日

(5)「33社全部回ったけどまだ足りない!」(完)=同年9月25日

 以上は明治の新聞社の話でしたが、「大手3紙」と言われる新聞社も、銀座界隈に東京本社がありました。大手町に移る前の読売新聞は、現在、マロニエゲート銀座がある2丁目にありました。「2.26事件」の舞台にもなった朝日新聞社は、現在の築地に移転する前は、有楽町マリオンにあったことをまさか御存知じゃない方はいないと思います。

 現在、竹橋のパレスサイドビルにある毎日新聞東京本社は、日本外国特派員協会が入居している有楽町駅前の丸の内二重橋ビルにありました。移転したのは1966年で、私はまだ小学生でしたが、有楽町の駅のプラットフォームから、窓を通して新聞社の内部が丸見えで、忙しそうに立ち働いている記者さんたちが見えました。記憶違いかもしれませんが。

銀座「時事通信社」

 今回取り上げるのは、報道機関の時事通信社です。銀座5丁目ですが、昭和通りの向こう側ですから東銀座です。この連載の第3回にも登場した木挽町かと思ったら、ここだけは采女町です。江戸後期の切絵図を見ると、時事通信社ビルが建っているところは、信州の諏訪藩3万石の3000坪の上屋敷があったところでした。ただ、町名は、江戸前期から享保9年(1724年)まで伊予今治藩主松平采女正定基の屋敷があったことによります。 享保9年、大火によって屋敷は焼失し、その後は火除地となり、俗に「采女が原」と呼ばれたそうです。

 明治になって、大名屋敷は新政府に没収され、ここには「築地精養軒」が出来ました。精養軒は当初、明治5年(1872年)2月、岩倉具視らの支援で北村重威が銀座で創業しましたが、開業当日に「銀座の大火」により焼失してしまいました。そのため、同年4月にこの木挽町に移転して開業しました。(明治9年、上野公園開園と同時に支店を開設し、それが現在の上野精養軒として続いています)

 築地精養軒は、日本最初の西洋料理店の一つとして評判を呼び、岩倉具視は勿論、西郷隆盛も通ったといいます。

 また、森鴎外の小説「普請中」にも登場するように、築地精養軒は西洋料理店だけでなく、ホテルでもありました。そして、このホテル内にあったのが、「米倉」という高級理容店です。私も10年ぐらい昔に銀座の米倉本店に行ったことがあります(現在、カットとシャンプーセットで1万6500円也。ホテルオークラ内の「米倉」は司馬遼太郎先生御用達の店でした。)

 理容「米倉」は、大正7年(1918年)、米倉近により創業されました。米倉が修行を積んだ日本橋「篠原理髪店」と、義父・後藤米吉の「三笠館」の流れを汲むといいます。私もその10年ぐらい昔に米倉で散髪した時に御主人に聞いた話ですが、この三笠館というのは、日露戦争の連合艦隊の旗艦「三笠」内で営業していたといいます。

銀座「新橋演舞場」

 床屋さんの話は長くなるので、これぐらいにして、築地精養軒は大正12年の関東大震災で焼失してしまいます。(それで、精養軒は上野に本社を移すわけです)。その後、敷地はどうなったのか不明ですが、戦後の昭和35年(1960年)に、東急グループのホテル第一号店として「銀座東急ホテル」が開業します(2001年まで)。ここは歌舞伎座と新橋演舞場の中間点に当たることから、地方から観劇に訪れる人たちの定宿になりました。

 また、銀座東急ホテルは、歌舞伎や新劇の「新派」の俳優の記者会見場としても知られ、私もよく取材に行ったものです。ただ、会場が狭く、太い柱で俳優の姿が見えにくい席が多かった記憶があります。つまり、新高輪ホテルのように、大人数の宴会が開けるような会場がなかったと思います。銀座の超一等地ですから、仕方ないでしょう。

新橋演舞場

 歌舞伎がはねた後、演劇評論家の萩原雪夫さんからホテルの地下のバーでよくビールやスコッチの水割りを驕ってもらった思い出があります。萩原先生からは、長唄と清元の違いや歌舞伎鑑賞の基礎を習い、本当によくしてもらいました。

 2003年から時事通信社の東京本社が日比谷公園から移転してきます。時事通信は戦前の国策通信社「同盟通信社」の流れを汲む報道機関です。明治時代の三井の番頭益田孝が創業した時事通信社と名称は全く同じですが、無関係です。同盟通信は戦後、GHQの顔色を伺って自主解散し、時事通信と共同通信と電通の3社に分かれて再スタートします。

 ちなみに、益田孝が創刊した三井物産の社内報「中外物価新報」(1876年)が、現在の日本経済新聞になったわけです。

幸運にも多くの秘仏さまとお会いできました=「最澄と天台宗のすべて」

 東京・上野の東京国立博物館・平成館で開催中の「最澄と天台宗のすべて」に行って参りました。何しろ、「天台宗のすべて」ですからね。訳あって、会場を二巡してじっくりと拝観致しました。

 この展覧会は「事前予約制」で、私もネットで入場券を購入しました。一般2100円とちょっと高めでしたが、「伝教大師1200年大遠忌」ということで、大変素晴らしい企画展でした。

比叡山延暦寺 根本中堂内部(模擬)

 そんな素晴らしい展覧会なのに、読売新聞社主催ですから、読売を読んでいる方はその「存在」は分かっていたでしょうが、他の新聞を読んでいる方は知らなかったかもしれません。例えば、朝日新聞の美術展紹介欄には掲載していないほど意地悪の念の入れようですから、朝日の読者の中にはこの展覧会のことを知らない方もいるかもしれません。

 私は色々とアンテナを張ってますから大丈夫でした(笑)。先日このブログで御紹介した「歴史人」11月号「日本の仏像 基本のき」でもこの展覧会のことが紹介されていたので、しっかり予習して行きました。(展覧会では、最澄と徳一との「三一権実(さんいちごんじつ)論争」が出て来なかったので残念でした)

◇ 深大寺の国宝「釈迦如来倚像」と御対面

 大収穫だったのは、東京・深大寺所蔵の国宝「釈迦如来倚像」(7世紀後半の白鳳時代)を御拝顔できたことです。何と言っても「東日本最古の国宝仏」ですからね。いつか行くつもりでしたが、向こうから直々こちらにお会いに来てくださった感じです。倚像(いぞう)というのは椅子か何かにお座りになっている姿ですから、特に珍しいのです。日本では古代、その習慣がなかったので、坐像は多くても、倚像は廃れたという話です。

 深大寺には、もう半世紀も昔の高校生か大学生の頃に、何度か参拝に訪れたことがあるのですが、不勉強で、奈良時代の733年に創建され、平安時代の859年に天台宗別格本山となった寺院で、正式名称を「浮岳山 昌楽院 深大寺」だということまで知りませんでした。この寺には先程の国宝釈迦如来倚像のほかに、2メートル近い「慈恵大師(良源)坐像」があり、それも展示されていたので度肝を抜かれました。これは、日本最大の肖像彫刻で、江戸時代以来、205年ぶりの出開帳だというのです。まさに秘仏の中の秘仏です。「展覧会史上初出展」と主催者が胸を張るだけはあります。私もこんな奇跡に巡り合えたことを感謝したい気持ちになりました。

 秘仏と言えば、この「最澄と天台宗のすべて」展では他にも沢山の秘仏に接することができました。兵庫・能福寺蔵の重文「十一面観音菩薩立像」(平安時代、10世紀)、東京・寛永寺蔵の重文「薬師如来立像」(平安時代、9~10世紀)、滋賀・伊崎寺蔵の重文「不動明王坐像」(平安時代、10世紀)などです。

 この中で、私が何度も戻って来て、御拝顔奉ったのが、京都・真正極楽寺(真如堂)蔵の重文「阿弥陀如来立像」(平安時代、10世紀)でした。高僧・慈覚大師円仁の作と言われます。阿弥陀如来といえば、坐像が多いのですが、これは立像で、その立像の中では現存最古とされています。こんな穏やかな表情の阿弥陀さまは、私が今まで拝顔した阿弥陀如来像の中でも一番と言っていいぐらい落ち着いておられました。年に1日だけ開帳という秘仏で、しかも寺外初公開の仏像をこんなに間近に何度も御拝顔できるとは有頂天になってしまいました。(売っていた絵葉書の写真と実物とでは全くと言っていいくらい違うので、絵葉書は買いませんでした)

比叡山延暦寺 根本中堂内部(模擬)

 最澄(767~822年)は、平等思想を説いた「法華経」の教義を礎とする天台宗を開き、誰でも悟りを開くことができるという一乗思想を唱えましたが、比叡山に開いた延暦寺は仏教の総合大学と言ってもよく、後にここで学んだ法然は浄土宗、親鸞は浄土真宗(以上浄土教系)、栄西は臨済宗、道元は曹洞宗(以上禅宗)、日蓮は日蓮宗(法華経系)を開いたので、多彩な人材を輩出していると言えます。

 先程の阿弥陀如来立像を作成した円仁(山門派の祖)は、下野国(今の栃木県)の人で、「入唐求法巡礼行記」などの著書があり、唐の長安に留学し、師の最澄が果たせなかった密教を体得して天台密教(台密)を大成し、天台第三代座主にもなりました。一方、阿弥陀如来像を作成されたように、浄土教も広めた高僧でもあるので、天台宗というのは、懐が広い何でもありの寛容的な仏教のような気がしました。(その代わり、千日回峰があるように修行が一番厳しい宗派かもしれません)

 そもそも、天台宗そのものは、中国の南北朝から随にかけての高僧智顗(ちぎ)が大成した宗派ですから、中国仏教と言えます。もっとも、中国仏教はその後の廃仏毀釈で消滅に近い形で衰退してしまったので、辛うじて、日本が優等生として命脈を保ったと言えます。

 伝教大師最澄も、渡来人三津首(みつのおびと)氏の出身で出家前の幼名は広野と言いましたから、日本の仏教は今の日本人が大好きな言葉であるダイバーシティに富んでいるとも言えます。

上野でランチをしようとしたら、目当ての店は午後1時を過ぎたというのにどこも満員で行列。そこで、西川口まで行き、駅近の中国料理「天下鮮」へ。西川口は今や、神戸や横浜を越える中華街と言われ、それを確かめに行きました。

 最初に「訳あって、会場を二巡した」と書いたのは、会場の案内人の勝手な判断によって「第2会場」から先に見させられたためでした。第2会場を入ると、最澄の「さ」の字も出て来ず、いきなり「比叡山焼き討ち」辺りから始まったので、最初から推理小説の「犯人」を教えられた感じでした。時系列の意味で歴史の流れが分からなくなってしまったので、「第1会場」を見た後、もう一度「第2会場」を閲覧したのでした。

 そのお蔭で、円仁作の「阿弥陀如来立像」を再度、御拝顔することができたわけです。

JR西川口駅近の中国料理「天下鮮」の定番の蘭州ラーメン880円。やはり、本場の味でした。お客さんも中国人ばかりで、中国語が飛び交い、ここが日本だとはとても思えませんでした。西川口にはかたまってはいませんが、50軒ぐらいの「本場」の中華料理店があるといいます。その理由は、書くスペースがなくなりました。残念

 なお、私がさんざん書いた円仁作の阿弥陀如来立像は11月3日で展示期間が終了してしまったようです。となると、是非とも、京都・真正極楽寺(真如堂)まで足をお運びください。ただし、秘仏ですので、年に1度の公開日をお確かめになってくださいね。

 あ、その前に、この展覧会は来年5月22日まで、福岡と京都を巡回するので、そこで「追っかけ」でお会いできるかもしれません。

 円仁作の阿弥陀如来立像は、一生に一度は御対面する価値があります、と私は断言させて頂きます。

業態を変えるのか新聞業界?=ジャーナリズムのレベルが民度のレベルでは?

beautiful Mt. Fuji Copyright par Duc de Matsuoqua

 最近ご無沙汰している日本新聞協会がネットで公開しているデータによると、2000年に約5370万部あった全国の新聞発行部数が、2020年には約3509万部に落ち込んだといいます。つまり、この20年間で、1861万部も激減したことになります。いわば20万部の地方紙が90紙も廃刊したことになります。

 内訳を見ると、一般紙が4740万部から3245万部へと1495万部減、スポーツ紙が630万部から263万部へ367万部減と惨憺たるものです。大雑把ですが、天下の読売新聞も1000万部から700万部、朝日は700万から400万部、毎日に至っては、400万から200万部へと、全国紙と呼ぶには「危険水域」です。

 書籍と雑誌の売上も1997年の2兆4790億円をピークに、2012年になると、その半分以下の1兆2080億円にまで激減しています(経済産業省・商業統計)。

◇スマホが要因?

 「若者の活字離れ」とか、「駅のキオスク店の廃業」などが原因と言われていますが、紙媒体の減少に拍車を掛けた最大の要因はスマートフォンの普及のようですね。総務省によると、スマホの世帯保有率が2010年末にわずか9.7%だったのが、2015年末には72.0%と、この5年間で急速に普及したといいます。

その店は築地の奥深い路地にあります

 その5年間に何があったかと言いますと、日本でアップルのiPhoneが発売されたのは2008年ですが、2010年からスマホは3Gから4Gとなったことが大きかったようです。これにより、データ量が大幅に増量し、文字情報だけでなく、動画もスムーズに観ることができるなど、まさにスマホは、日常生活で手離せないツールになったわけです。

◇ネットに負けた紙媒体

 その中で、ネットサイトの最大の「売り」のコンテンツがニュースだったのですが、1990年代の既成マスコミ経営者は、これほどネット企業が成長するとは夢にも思わず、ほぼタダ同然で、ドル箱のニュース商品をネット企業に渡してしまったことが後を引くことになります。(日本最大のヤフージャパンは、2000年の時価総額が50億円だったのが、20年後には3兆円にまで成長しています。月間250億ページヴューPVにも上るとか)

知る人ぞ知る築地「多け乃」 結構狭いお店と厨房の中に、スタッフが6人もいらっしゃって吃驚

 勿論、既成の紙媒体も指を咥えてこの動向を見ていたわけではありません。2011年から有料の電子版を発行した米ニューヨークタイムズは、コロナ禍の巣ごもりで購読者が増えて、2020年12月末の時点で500万件を超えたといいます(アプリと紙媒体を合わせると750万部)。NYTは、クオリティー・ペイパーと言われていますが、1990年代の発行部数は確か30万部程度の「ローカル紙」でした。また、19世紀から続く英老舗経済誌「エコノミスト」も電子化に成功し、紙で10万部そこそこだったのが、2020年の電子版は102万部に上ったといいます。

◇頑張っている十勝毎日新聞

 日本では、私も帯広時代に大変お世話になった十勝毎日新聞が、いまや1万人もの電子版の有料会員(本紙8万部余)を獲得していると聞きます。私が通信社の支局長として帯広に赴任していたのは2003年~2006年でしたが、当時の十勝管区の人口は36万人、帯広市の人口は16万人で、十勝毎日新聞の発行部数は9万部だったと覚えています。北海道といえば、北海道新聞の独壇場なのですが、十勝と苫小牧ぐらいが地元の新聞が頑張って部数で道新を凌駕していました。

結構、テレビの取材が入る有名店で、この日はカレイ煮魚定食 1500円 に挑戦。味は見た目よりも薄味でした

 ということで、数字ばかり並べて読みにく文章だったかもしれませんが、私自身、長年、新聞業界でお世話になってきたので、最近、「売れる情報」とは何かということばかり考えています。

 このブログも関係しているのですが、俗な書き方をすれば、「お金を出してでも欲しい情報」とは何かです。それは、生死に関わる情報かもしれません。その筆頭が戦争で、新聞は戦争で部数を伸ばした歴史があります。

 平和になっても、日本は災害大国ですから、地震や津波、洪水、地滑りなどの災害情報は欠かせません。

 結局、突き詰めて考えてみると、「医食住」に関わる情報が多くの人が有料でも手に入れたいと思うかもしれません。だから、グルメ情報もバカに出来ませんよ(笑)。

◇官報は無味乾燥

 今では、官公庁や役所、役場などがサイトで情報公開してますが、失礼ながら「官報」は、素材ですから、味気も素っ気もなく面白くありません。第一、素材を読んだだけでは、情報の裏にある背景や本当の真意も、よほどの通でなければ分かりません。

 となると、既成新聞は、これまで以上に、情報の解説や分析、歴史的背景、将来予想、そして何よりも政財官界の汚職追及と社会不正糾弾などで生き延びていくしかないかもしれません。新聞社は都心に多くの不動産を持っていて、「貸しビル業」で存命を図っているようですが、原点に帰ってニュースで勝負してほしいものです。

ジャーナリズムのレベルがその国民のレベルなのですから。

 

 

先行き暗いメディア業界

 WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

仕事なので、嫌でも毎日、ニュースを見たり、聴いたり、読んだりしなければならないのですが、毎日、いつも何かしらの事件、事故があり、その度に気分がささくれ立ちます。

 最近では特に、幼児虐待殺人事件などは、見るのも聴くのもつらいですね。この事件に関しては、殺害した両親以上に児童相談所の不行き届きを批判する報道も溢れました。「児相さえしっかりしていれば、幼い女の子の生命が救われた」といった論調です。

 昨晩、ラヂオを聴いていたら、恐らく児相に勤めているらしき50代の女性から投稿があり、「ニュースを解説される方は、自分が児相で働いていれば、彼女の命を救えるとでも思っているのでしょうか。児相がどんなに大変で、皆、へとへとになって毎日仕事しているのか理解できないことでしょう。児相ばかりを悪く責めて、煽るようなことはやめてもらいたい」といった趣旨の発言をしていました。

 これに対して、ニュース解説者は「私は何度も児相を取材した経験があり、どんなに仕事が大変か、よおく分かっております…ムニャムニャ…」といった感じで応じていました。

 確かに、今に始まったわけではありませんが、報道各社、特にテレビのワイドショーなどは、やれ、韓国が悪い、やれ、社長の責任だ、などといった煽るような報道が目立ちます。

 そもそも、マスコミの原点は、ガンガンガンと銅鑼を大きく鳴らして「オオカミが来た、オオカミが来た!」と煽っているようなものですからね。そして、自分たちの責任は一切棚に上げて、高いところから人を裁くことに勤しみます。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 今、中国の古典「荘子」を読んでいますが、良いことを言ってますね。

 人間の判断は、常に相対的なものであって、絶対的な正しさはどこにも存在しないのだ。

 国際的な紛争は、お互いの国が正義を主張することから起こります。一緒にすると怒られますが、テロリストにもテロリストの正義があるわけです。胡散臭さは別にして、ですが。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 最近、大学生の就職先としてマスコミの人気は随分低下しているそうです。試みに某サイトを覗いてみたところ、2020年卒の大学生の就職希望ランキングは(1)伊藤忠商事(2)三菱商事(3)JTBグループ(4)三菱UFJ銀行(5)全日空ーと商社、航空、銀行が上位を占めていました。マスコミは、博報堂が17位でトップで、新聞社の首位は読売新聞で、何と75位ですからね。私の世代の1970年代後期~80年代初期は、朝日新聞が必ずベスト10に入ってましたからえらい違いです。

 マスコミが「3K職場」になったのか、やりがいがなくなったのか、理由はよく分かりませんが、こうしてネット社会になり、情報が溢れ、新聞が売れない時代になったからなのでしょう。駅構内のキオスクが次々と閉店して、新聞すら簡単に買えなくなりましたからね。車内で新聞を読む人は絶滅危惧種になりました。

 メディアの王様だったテレビだって、ネットに広告を取られて、かつてのような大名商売ができなくなりましたから、もう、そう悠長に構えていられないでしょう。

 今ですら、テレビのニュースは、視聴者からの「スクープ動画」に頼っているのですから、10年後、いや5年後のメディアがどうなってしまうのか、想像も尽きません。でも、信頼の置けないフェイクニュースが溢れ、報道にみせかけた広告記事や、お店や商品の宣伝を忍ばせたグルメ番組やショッピング番組ばかり増えるような気がします。

 悲観的ですか?

読売出身がスイス大使?まあ、舐められたものです

WGT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 名古屋の篠田先生です。気温34度、名古屋も暑いですよ。

 さて、安倍さんが、駐スイス大使として、読売新聞グループ本社会長で日本新聞協会前会長の白石興二郎氏(72)を充てる人事を検討している話は御存知ですかねえ?

 えっ?何?知らない?やっぱりですか。駄目ですねえ(笑)。すっとぼけたメディアは、「実現すれば、マスコミ界からの異例の大使就任となる」なんて大騒ぎしてますが、大使ごときなのにレベルが低いですね。

 読売新聞が大使レベルなら、朝日新聞は大臣クラスですよ。朝日の主筆を務めた緒方竹虎や副社長を務めた下村宏は、戦時中に国務大臣(内閣情報局総裁)入りしてますよ。 同じ「御用マスコミ」でもここで明らかに格の差が出てます(笑)。

WGT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 まあ、大使レベルなんぞは安売りし過ぎで、マスコミ業界も舐められたものですよ。それを、今の若い記者もデスクも部長連中も何も分かっていない!勉強していないから、下村も緒方も誰なのか、何も知らんでしょう(笑)。

 これだけマスコミが舐められたら、「読売が大使でいいなら、産経なら一等書記官、いや二等書記官、大使館の便所掃除でいいかあ」となるわけです (笑)。

以上 おしまい

審議会委員に選ばれるマスコミ

 どうでも良い話かもしれませんが、私自身は、若き頃、マスコミの仕事を選んだのは、世の中の仕組みがどうなっているのか、知りたかったからというのが一つの理由でした。政治にしろ、経済にしろ、誰が世の中を動かしているのか知りたかったのです。

 有難いことに、マスコミに入ったお蔭で、色んな著名人と会うことができ、おまけに裏社会のことも知ることができ、ある程度のことは分かるようになりました。ただ、仕事が担当にならなかったせいか、霞ケ関の官僚の皆さんとは深く親密になることができず、結局、その「仕組み」を知らずに終わってしまいました。

 特に分からなかったのが、どこの省庁にもある審議会です。誰が選ばれて、何のために、そして何をやっているのか、時折、不思議に感じておりました。実際問題、法案のたたき台になることでしょうし、政策にかなり影響を及ぼしているはずです。それなのに、新聞もテレビもほとんど報道しません。

 特に、ニュースで脚光を浴びるとしたら、内閣府の税制調査会ぐらいでしょうか。これは、内閣府本府組織令第33条によると、「内閣総理大臣の諮問に応じて租税制度に関する基本的事項を調査審議する」会議のことで、その委員は30人以内です。

 その委員は、専門の大学教授をはじめ、いわゆるシンクタンクのエコノミスト、地方自治体の首長さんらもおりますが、今年4月1日現在、読売新聞の取締役や産経新聞の論説委員の方まで選ばれているのです。どういう経緯で、どなたが選出されたのか、皆目見当もつきませんが、マスコミといえば、普通一般の民衆の感覚では、時の為政者の不正をチェックし、「社会の木鐸」とか、「弱きを助け、強きを挫く」ようなイメージがあります。それが、実態は、政府の中に入り込んで、インサイダーとして社会を動かしていることが分かります。これでは政権批判はしないはずです。

 たまたま、税調の委員が政権寄りの産経と読売の方が入っておられるので、分かりやすいといえば、分かりやすい。まさか、反政権報道を繰り返している東京新聞では無理かな、と邪推してしまいます。読売新聞さんの場合、その論説委員や編集委員らが、税調だけでなく、法務省の法制審議会委員やスポーツ庁のスポーツ審議会委員にまで数多(あまた)食い込んでおります。

 しかし、一方では、政府内部に入り込んでいるせいなのか、読売新聞の記事解説が大手紙の中では一番分かりやすく、報道は細かいところまで目が行き届いています。その逆に、為政者に弱く、その半面べったりなのに、反政権的ポーズだけは取ってみせている朝日新聞は、審議会にスパイ、おっと失礼、あまり委員を送り込んでいないせいなのか、記事の内容が薄く無残といえば無残です。

銀座SIXの屋上

例えば、朝日は、「未来投資会議」についてはほとんど目立つように報道しません。これは、アベノミクスの第3の矢として「民間投資を喚起する成長戦略」を実現するために鳴り物入りで創設されたものですが、彼らが何を審議して、どんなことを政府に提案していたのか、読者に知らせてくれません。以前、このブログでも書きましたが、この未来投資会議の「民間議員」である竹中平蔵氏が率先して提言したおかげで、いつの間にか、公共水道水が売られ、国有林が売られるようになったというのに、朝日は、ほとんどそれらの事実を報道しないんですからね。

 メディアは何を報道したか、よりも、何を(故意に)報道しなかったのか、の方が重要だと思いませんか?

 また、安倍政権による過去最大の101兆円を超える予算を支えるために、黒田日銀総裁は、国債を買いまくる禁じ手である「財政ファイナンス」を続けていて、将来的に財政破綻の恐れがあるというのに、どこも解説どころか、事実関係を報道すらしてくれません。それが、最近では、メリケン帰りの「MMT」=Modern Monetary Theory とやらが、日本のシンクタンクや霞ケ関などでも闊歩するようになり、「財政破綻はありえない」という理論も優勢になっているらしいですね。

 まあ、いきなり話が飛んでしまいましたが、ボーと生きていたら、世の中から置いてきぼりにされてしまいますね。クワバラ、クワバラ。

 

遅ればせながらの「プライベートバンカー」

 斯界ではかなりの評判と話題に上った清武英利著「プライベートバンカー カネ守りと新富裕層」(講談社・2016年7月12日初版)を遅ればせながら、今さらになってやっと読了しました。初版が出た3年前は私的な事情がありまして、読書できる状態じゃなかったので、読む機会を逃しておりました、と言い訳しておきます(笑)。

 いやあ、実に面白かった。某経済評論家が「僕が今まで読んだ経済小説の中でベスト3に入る」というので、何となく読み始めたのですが、途中でやめられなくなり、一気に読んでしまいました。

Copyright par Matsuoqua-sousai

 最近はほとんどフィクションは読むことはないので、よほどのことがない限り、小説は読まないのですが、途中で分かったことは、この本の主人公であるプライベートバンカー杉山智一氏は実名で、今では東京の外資系金融機関で勤務し、富裕層向けの「マネー執事」に従事しているようです。昨年3月には「ペライベートバンカー 驚異の資産運用砲」(講談社現代新書)を出版しています。(いつか読んでみようかと思ってます)

 そして、バンコク在住の元病院長の日本人資産家の100万米ドルを横領して殺人未遂事件まで起こした元シンガポール銀行(BOS)ジャパンデスク(日本人富裕層向け運用担当)の梅田専太郎受刑者も実名だったとは・・・。さすがにBOS時代の杉山氏の上司で、きついノルマを課して、杉山氏の顧客や手柄を分捕って、悪の権化のような描き方をされている桜井剛という人は実名ではなく、仮名のようですが、あの村上ファンドの村上世彰氏まで実名で出てきます。

 それに、私はこの本を読んで初めて知った方々ですが、シンガポールで成功し、ほとんどの人にはよく知られている若き実業家佐藤俊介氏や投資・経営アドバイザーの木島洋嗣氏らも実名で登場し、このほか、「税金逃れ」のために約30億円の資産を持ってシンガポールにやって来た元パチンコ業者や元不動産業者らも多く登場します。

 この本に登場する日本人は、何十億も何百億円も稼いでしまって、所得税や相続税対策のために、シンガポールに渡って、ペーパー会社を作ったり、不動産投資をしたりして、またまた年間、何千万円もの利益を得ながら、退屈を持て余して、生き甲斐もなく不幸そうに見えます。でも、ご安心ください。プライベートバンカーは皆様のことは相手にしてませんから(笑)。彼らにとって、5億円、10億円でさえ大した資産に見えないでしょう。50億円か100億円以上なら「マネー執事・指南役」として忠実に仕えてくれることでしょう。

 ということで、私にも、皆さんにも全く関係がない話でしたね(笑)。

 著者の清武氏は、ナベツネさんとの確執からと言われて読売巨人軍代表の座を解任されて一躍時の人になったのが、2011年11月のことでした。もう7年半も前なんですね。敏腕社会部記者だったという噂は聞いたことがありましたが、その後多くの名ノンフィクション作品を発表し、その底知れぬ猛烈な取材力には恐れ入りましたね。恐らく、大変大変失礼ながら、国際金融に関しては素人だったはずで、相当な数の専門書を読破したことでしょう。清武氏は、「おつな会」の仲間である鈴木嘉一氏とは読売新聞の同期入社で、仲が良いと聞いたことがあるので、いつか機会があれば、またお話を聞いてみたいと思ってます。

若い女性が群がる「京のかたな」展=刀剣が大ブーム

お久しぶりです。京都の京洛先生です。

最近の《渓流斎日乗》のアクセスは如何ですか?
お堅い話ばかり続いておりましたから、読者の皆さんがついていけないのか、高踏過ぎたのか分かりませんが、減ったことでしょう。まあ、めげずに頑張ってください。
 さて、美術の季節の到来ですが、今日の日曜日は、貴人は、東京・上野公園で「ムンク」展でも鑑賞ですかね? 「共鳴する魂の叫び」などと「魂」のない紙面づくりをしている朝日新聞社がえらい力を入れていますね。前日に起きたことを載せるのが日刊新聞のはずですが、2,3日遅れても、平気で、紙面に載せることが目立つのが、最近の「朝日新聞」です。
 これでは、「新聞」でなく、「朝日旧聞」ですよ(笑)。
 「朝日は左翼だ!」なんて、皮相的に紙面批判している連中は、こういうことに気が付かないのでしょうかね。
 朝日新聞は完全に紙面づくりに手を抜いているのです。貴人が「経済面」を評価する読売新聞のような、ある種の「真面目さ」と「ひたむきさ」が感じられませんね。要するに、読者をなめているのです。
 迂生は昨日、国立京都博物館の「京のかたな」展(11月25日まで)を覗いてきました。昨日から始まった第70回「正倉院展」(奈良国立博物館、11月12日まで)も、読売新聞社が「特別協力」ですが、この「京のかたな」展も、読売新聞がNHKと共催です。
 かって、「ミロのビーナス」展や「ツタンカーメン」展を主催した朝日新聞社の文化事業のパワーは、この分野でも、完全に消え失せています。「適当にやっていても給料はもらえる」と社内がだらけ切っているのでしょうね。これでは、部数が400万部切ったと言われてますが、ますます減ることでしょう。社長以外は、危機感ゼロではないでしょうか。
◇若い女性がいっぱい
 ところで、迂生は、週末はなるだけ美術展は混雑するので避けていますが、昨日の土曜日(11月27日)は、新装した「南座」の記念行事で、歌舞伎役者総勢70人が、南座前から八坂神社までの四条通りを「お練り」をするので、観光客などはそちらに目が行き、京博には来ないと考え、同時刻に出かけましたが、まったく想定が外れました(笑)。
 京博も入場するのに10分も待たされ、しかも、館内は最前列で名刀を見る人が、長い列を作っている有様です。
 しかも、最近、若い女性の「刀剣マニア」が激増しているそうで、昨日の同展も7割は若い女性で吃驚仰天しました(笑)。
 京博の案内人によると「平日も女性で混んでいて、週末だけではありません」ということでした。どうやら、今、若い女性の間で、刀剣が大ブームになっているらしいのです。
 「京のかたな」展では、鎌倉時代の国宝の則国、久國、吉光の名刀や重文の刀がずらりと並び、いずれも、手入れが行き届いているので燦然と輝いているのは圧倒されます。
 それを若い女性がガラス越しに食い入るように眺め、「凄いわね!」「きれい!何とも言えない、妖しい!」と言葉を交わしていました(笑)。
◇長刀鉾をじっくり拝見
 迂生は、同展の目玉の一つ、「祇園祭」の山鉾巡行では、常に、先頭にいく「長刀鉾」に飾られていて、今は非公開になっている全長1.47メートルの、長刀を見ることが楽しみでしたが、こちらは、手入れはされているとはいっても、光り輝いてはおらず、見る人も少なく、じっくり拝見できました。
 この長刀はは室町時代後半の大永2年(1522年)に京都の鍛冶師、長吉が作ったと伝えられています。
 ところが、1536年の「天文(てんぶん)法華の乱」(延暦寺の天台宗僧徒と日蓮宗宗徒の争い)で、何者かに強奪され行方不明になりました。しかし、行方不明になった翌年、近江のお寺で見つかり、買い取られて、再び、祇園祭を執行する「八坂神社」に奉納された経緯があります。
 恐らく、その間にいろいろな逸話、ドラマがあったと思いますが、刀剣に限らず、貴重な美術品には権力、経済力を持った人間に絡む逸話があり、それを追うだけでも面白いと思いますね。
 以上、おしまい。

読売新聞を拡張した最盛期の人々

読売新聞副社長、日本テレビ会長などを歴任した氏家斉一郎談・塩野米松聞き書き「昭和という時代を生きて」(岩波書店、2012年刊)をやっと読了しました。

刊行された翌13年に氏家さんは84歳で亡くなっておりますから、「遺言」めいた話でしょうが、やはり肝心なことは「墓場まで持っていく」と公言されていたように、はっきりとしたことは分かりませんでした。

特に彼が「暗躍した」社屋の東京・大手町の国有地払い下げや、中部読売創刊に関わり、地元の中日新聞との熾烈な闘いなど、もう少し内情を知りたかったですね。

ご本人は読売新聞経済部の敏腕記者だったので、御自分で執筆すればよかったと思われますが、余計なお世話でしょう。しかし、残念ながら、同じ読売新聞の内情を暴いた御手洗辰雄著「新聞太平記」(鱒書房)、佐野眞一 著「巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』」( 文藝春秋)、魚住明著「渡邊恒雄 メディアと権力」(講談社)などと比べると「読み劣り」してしまいます。

とはいえ、政界、官界、財界に次ぐ「第四の権力」と一時(的に)言われたマスコミの内情がよく分かります。国有地払い下げにしろ、「社会の木鐸」と世間で思われていたマスコミが、実は、向こうの人間(政官財)に取り入って、いや、食い込んで、一緒になって狂言回しの役目を演じていたわけですから、そりゃあ、一介の政治記者如きが「天下国家」を論じたくなることがよく分かります。

新聞記者はあちこちで情報を収集して、スパイみたいに、と書けば怒られるので、止めときますが(笑)、とにかく、コーディネーターのような働きをして、政治家や官僚を動かします。昭和30~40年代の右肩上がりの高度成長期ですから、やりたい放題で自分の思い通りになる感じなのです。何しろ、氏家さんは渡辺恒雄氏とともに、大野伴睦を一国の首相に担ぎ上げようとしたりするのですから、もはや記者の域を超えてます。

◇◇◇

氏家さん本人も述懐してますが、非常に運に恵まれたジャーナリストでした。キューバのカストロ首相には気に入られて2度も会っているし、ベトナムのホー・チ・ミン主席には会いに行ったら、亡くなって、スクープ記事を書くことができ、日本代表として葬儀に参列したりします。

「読売中興の祖」務台副社長には目を掛けられ、50歳そこそこで取締役に大出世します。セゾングループの堤清二さんや徳間書店の徳間康快さんら多くの友人に恵まれて左遷の雌伏期間中に救われたりします。

氏家さんが読売に入社したのは昭和26年。彼は、昭和25年末の時点で、毎日新聞が408万部でトップ、朝日新聞が395万部、そして、読売新聞はわずか186万部だったと記憶しています。読売は、もともと、東京のローカル紙だったからです。

それが、「販売の神様」務台さんの豪腕で、大阪に進出し、九州に進出し、中部に進出し…全国制覇を果たして、ついに世界一の1000万部にまで部数を伸ばすのですから、氏家さんらは、ちょうど新聞拡販戦争のど真ん中で熾烈な取材合戦を繰り広げていたわけです。

しかし、それも遠い昔の話。今では若い人の新聞離れで、天下の読売も700万部とも650万部とも、かなり落ち込んだという話を聞いたことがあります。

既に新聞の影響力は落ち込み、政治家を動かすどころか、利用されて、読売新聞は「御用新聞」とも「自民党機関紙」とも「政界広報紙」と揶揄されるようになりました。

もっとも、氏家さん本人は、最後の方で「新聞は反権力であってはいけない。国益に反してしまうことがあるからだ。せいぜい非権力であるべきだ」と語っていましたから、昔ではなく、今のこのような読売新聞をつくったのは、渡辺氏であり、氏家さんであることがこの本を読むとよく分かります。

2人とも若い頃はバリバリの共産党員だったのに、後年はバリバリの反共・体制護持派になるのですから、人間の抱く思想の不可解さを印象付けます。

◇◇◇

読売新聞について、もっとご意見があれば、コメント御願い致します。私自身は、これまで読売の悪口ばかり書いてきましたが、今、経済面が一番充実していて分かりやすく、抜群に面白いのは読売だと思っているので毎日欠かさず読んでおります。