読売新聞を拡張した最盛期の人々

読売新聞副社長、日本テレビ会長などを歴任した氏家斉一郎談・塩野米松聞き書き「昭和という時代を生きて」(岩波書店、2012年刊)をやっと読了しました。

刊行された翌13年に氏家さんは84歳で亡くなっておりますから、「遺言」めいた話でしょうが、やはり肝心なことは「墓場まで持っていく」と公言されていたように、はっきりとしたことは分かりませんでした。

特に彼が「暗躍した」社屋の東京・大手町の国有地払い下げや、中部読売創刊に関わり、地元の中日新聞との熾烈な闘いなど、もう少し内情を知りたかったですね。

ご本人は読売新聞経済部の敏腕記者だったので、御自分で執筆すればよかったと思われますが、余計なお世話でしょう。しかし、残念ながら、同じ読売新聞の内情を暴いた御手洗辰雄著「新聞太平記」(鱒書房)、佐野眞一 著「巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』」( 文藝春秋)、魚住明著「渡邊恒雄 メディアと権力」(講談社)などと比べると「読み劣り」してしまいます。

とはいえ、政界、官界、財界に次ぐ「第四の権力」と一時(的に)言われたマスコミの内情がよく分かります。国有地払い下げにしろ、「社会の木鐸」と世間で思われていたマスコミが、実は、向こうの人間(政官財)に取り入って、いや、食い込んで、一緒になって狂言回しの役目を演じていたわけですから、そりゃあ、一介の政治記者如きが「天下国家」を論じたくなることがよく分かります。

新聞記者はあちこちで情報を収集して、スパイみたいに、と書けば怒られるので、止めときますが(笑)、とにかく、コーディネーターのような働きをして、政治家や官僚を動かします。昭和30~40年代の右肩上がりの高度成長期ですから、やりたい放題で自分の思い通りになる感じなのです。何しろ、氏家さんは渡辺恒雄氏とともに、大野伴睦を一国の首相に担ぎ上げようとしたりするのですから、もはや記者の域を超えてます。

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氏家さん本人も述懐してますが、非常に運に恵まれたジャーナリストでした。キューバのカストロ首相には気に入られて2度も会っているし、ベトナムのホー・チ・ミン主席には会いに行ったら、亡くなって、スクープ記事を書くことができ、日本代表として葬儀に参列したりします。

「読売中興の祖」務台副社長には目を掛けられ、50歳そこそこで取締役に大出世します。セゾングループの堤清二さんや徳間書店の徳間康快さんら多くの友人に恵まれて左遷の雌伏期間中に救われたりします。

氏家さんが読売に入社したのは昭和26年。彼は、昭和25年末の時点で、毎日新聞が408万部でトップ、朝日新聞が395万部、そして、読売新聞はわずか186万部だったと記憶しています。読売は、もともと、東京のローカル紙だったからです。

それが、「販売の神様」務台さんの豪腕で、大阪に進出し、九州に進出し、中部に進出し…全国制覇を果たして、ついに世界一の1000万部にまで部数を伸ばすのですから、氏家さんらは、ちょうど新聞拡販戦争のど真ん中で熾烈な取材合戦を繰り広げていたわけです。

しかし、それも遠い昔の話。今では若い人の新聞離れで、天下の読売も700万部とも650万部とも、かなり落ち込んだという話を聞いたことがあります。

既に新聞の影響力は落ち込み、政治家を動かすどころか、利用されて、読売新聞は「御用新聞」とも「自民党機関紙」とも「政界広報紙」と揶揄されるようになりました。

もっとも、氏家さん本人は、最後の方で「新聞は反権力であってはいけない。国益に反してしまうことがあるからだ。せいぜい非権力であるべきだ」と語っていましたから、昔ではなく、今のこのような読売新聞をつくったのは、渡辺氏であり、氏家さんであることがこの本を読むとよく分かります。

2人とも若い頃はバリバリの共産党員だったのに、後年はバリバリの反共・体制護持派になるのですから、人間の抱く思想の不可解さを印象付けます。

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読売新聞について、もっとご意見があれば、コメント御願い致します。私自身は、これまで読売の悪口ばかり書いてきましたが、今、経済面が一番充実していて分かりやすく、抜群に面白いのは読売だと思っているので毎日欠かさず読んでおります。

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