「戦時下の娯楽とメディア」=第55回諜報研究会

 12月9日(土)に東京・早稲田大学で開催された第55回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)に参加して来ました。お二人の研究者が登壇されましたが、今回の共通テーマは「戦時下の娯楽とメディア」でした。大変興味深いテーマで、実際、お二人とも清々しいほど面白い講演でしたが、参加者はわずか数人でした。オンラインで参加されていた方も何人かいらっしゃったようですが、それにしても「勿体ないなあ」と個人的には思いました。戦時下の古い話とはいえ、現代にも通じる話もあったからです。

 最初の講師は、都留文科大学・明星大学非常勤講師の戸ノ下達也氏でした。演題は「戦時下日本の娯楽政策ー『健全娯楽』の実像ー」でした。主に、1931年の満州事変から45年の終戦にかけての戦時体制下で、映画、演劇、音楽やダンスホール、バー、待合といった娯楽やその施設が徐々に検閲されたり、閉鎖されたり、上演、上映、レコード販売が禁止されたりする様を、歴史的に丹念に、その政策を逐次に追った報告でした。内容は、驚くほど大変マニアックでしたが、これ以上の漏れはないと思われるほど完璧で綿密な調査には圧倒されました。あまりにも内容量が多いので、このブログで御紹介できることはほんのわずかです。

 今、NHK朝のドラマで、笠置シヅ子をモデルにした「東京ブギウギ」をやっていますが、まさに戦時中が舞台で、上演が禁止されたり、風紀上の理由で直立不動で歌わされたりする場面が出てきたりしました。こういった娯楽の規制については、当時の文部省や内務省警保局の風俗警察、興行警察(こんなんのがあったとは!)、特高や、それに内閣情報部(局)が監督官庁として実際に取り締まりや政策を行って来ましたが、このような娯楽禁止や「弾圧」政策はほとんど「閣議決定」で決められていたというのです。

 これらは78年も大昔に終わった過去のことに過ぎない、と水に流すことは簡単ですが、講師の戸ノ下氏は、つい3年前の新型コロナウイルス感染拡大防止策として、第二次安倍内閣が行った学校休校や劇場や音楽ホールなどでの上演、演奏自粛などを閣議決定で決めたことを思わせる、と発言していました。小池百合子都知事による「三密」政策なんかもありましたね。慮ってみれば、善い悪いという話は別にして、平時でなくなれば、時の権力者や当局者がいとも容易く国民をコントロールできる仕組みを強調したかったのではないかと思われました。

 ただ、緊急の戦時体制ですから、為政者だけでなく、大衆の中には「ぜいたくは敵だ」との当局の口車に乗って、娯楽を営業する「非国民」を密告したり、為政者に協力した人もいたようですので、日本人らしい生真面目さといえば言えなくもありません。先のコロナ禍でも、マスクをしなかったり、ワクチンを接種しなかった人に対して、私も含めて白眼視してきましたからね(苦笑)。いわゆる同調圧力です。

 いやはや、戸ノ下先生の講演から少し外れてしまいましたが、敵性音楽となったジャズやタンゴの演奏やレコード販売の禁止の話はよく聞いていましたが、能や文楽や歌舞伎など日本の伝統芸能まで、演目によっては上演が禁止されていたことは今回初めて知りました。実は、これは私が会場で質問したものでしたが(笑)、戦前の国家主義といいますか、全体主義は「芸術家受難の時代」と言ってもよく、とても当時に生きたいとは思えませんね。判断基準が「不健全」とか「風紀を乱す」といった恣意的な理由ですが、実際は、反戦思想や国体護持に違反する思想を取り締まって、1億総国民を全て戦争に協力させることが目的ですから、表現の自由なんかあるわけありません。(もう少し書きたいのですが、戸ノ下氏の講演はこの辺で終わりにします。もっと詳しく知りたい方は、戸ノ下氏の著書「戦時下日本の娯楽政策」(青弓社)をお読みください。)

 続いて登壇したのは、元NHK放送文化研究所研究員の大森淳郎氏で、演題は「戦時ラジオ放送を聴く」でした。大森氏は、テレビディレクターだったので、人前で講演するのは「今回が初めて」と吐露されていましたが、落語家のような味のある噺し方をされる方で、暗い話も随分と緩和されました。また、大森氏が今年6月に出版した「ラジオと戦争」(NHK出版)が今年の第77回毎日出版文化賞を受賞されました。

 私自身、この本は未読でしたが、大森氏は「なるべく本に書かなかったことをお話しします」と始めたので、拍子抜けしてしまいました(笑)。大森氏のお話で私が一番驚いたのは、あの天下無敵のNHK(当時は社団法人日本放送協会)さんが、戦時中の音源を一切所蔵していないという事実でした。戦前は勿論、テレビはなく、ラジオ放送だけでしたが、文字通り、「放送=送りっ放し」だったわけです。

 それが、今回、当時、ラジオ放送された「サイパン島陥落」を伝える大本営発表や、鹿児島県の知覧飛行場からの「特攻隊出撃」の実況放送などの音源を聴かせてもらうことが出来ました。えっ?どうしたことでしょう?ー実は、それらは、当時、高校生だったタカハシ・エイイチさん(耳で聞いただけなので、漢字が分からず済みません。大森さん教えてください)という方が、いわゆる「ラジオ少年」で、部品を買い集めて録音機まで自分で作ってしまい、その奇跡的な貴重な音源をNHKの大森氏がタカハシさんからお借りして来たものだと明かしておりました。いつお借りしたのか分かりませんが、タカハシさんが御存命なら現在、90歳代後半です。「無名の少年」が残した貴重な歴史的音源ですから、もっと世間に知られても良いと思いました。

 サイパン島陥落は、昭和19年7月18日午後5時に大本営が発表した原稿でした。サイパンの最高指揮官である南雲忠一海軍中将を始め、全員が戦死したことを伝えるとともに、サトウキビ栽培などで移住していた2万人の邦人市民も「おおむね将兵と運命をともにせるものの如し」と発表していました。しかし、大森氏によると、住民の半数は米軍によって収容されたといいます。

 興味深いことは、このサイパン陥落報道から間もなくして、大木惇夫作詞、山田耕筰作曲で「サイパン殉国の歌」(木下保、千葉静子歌)が作られ、SPレコード(ニッチク)も発売され、戦意高揚のため、毎日、ラジオ放送もされたというのです。サイパン玉砕を予測した軍部が、随分前にあらかじめ作詞作曲を依頼したのではないかと思わせるほどの手早さです。

 大森氏は、ラジオ放送の歴史を綿密に調べ上げておりました。NHKは最初から政府べったりの「御用放送」かと思っていたら、放送が開始した大正14年(1925年)から数年は、講演会を放送し、中には軍事費を増強する政府を批判する講演まで放送していたといいます。それが、軍国主義が台頭していく中で、次第に軍部に協力するようになったといいます。 

 一般の人にはあまり知られていませんが、NHKは戦前は、ニュース報道の取材はしていませんでした。専ら国策ニュー通信社である同盟通信社(現電通、時事通信、共同通信)の配信するニュース原稿を読んで放送していました。それが、大森氏らが発掘した戦時中のニュース原稿のゲラを見たら驚きです。同盟通信の原稿を大幅に削除したり、加えたりして、より戦意が高揚するように書き換えて放送していたのです。

 こういう史実は語り継がれなければならない、と思いました。

 

MD再生機が壊れてしもうたぁ…

 うーん、今年4月に買ったばかりのMD(ミニディスク)プレーヤー(2万5980円)がもう故障してしまいました。

 まだ8カ月しか経っていませんが、もともと、中古品だったので、保証期間がわずか3カ月しかありませんでした。せめて、あと数年は持つかと思っていましたから、茫然自失です。15年間も使っていた全く同じメーカーの機種を探して、再度、中古で購入したのですが、愛着があったからです。

 このMD再生機には、CDプレーヤーとラジオも付いていますが、CDもラジオも異常なしなのに、壊れたのはMDだけです。読み取りができなくなり、挿入してもMDがすぐエジェクト(排出)されてしまいます。故障しても、修理してくれるところがないということが最大の障害です。

 不吉な予感はありました。先日(12月3日)、「さよならMD、店頭からも辞書からも 平成に刻まれた思い出は消えず」という朝日新聞の記事を読んだばかりでした。既に、音響機器「ティアック」が昨年12月にMDプレーヤーの生産を終了してしまったらしく、「こりゃ、やばいなあ」と感じていたのでした。

 この記事によると、MDシステムはソニーが開発し、1991年に発表したといいます。となると、たった、わずか、30年も経たずに「終わっちまうのかえ」と言いたくなります。

 思い起こせば、私の世代は、音響機器に関しては随分と振り回されました。録音再生機だけに絞っても、最初、1960年代はオープンリールのテープでしたが、70年代はカセットテープ全盛時代です。90年代からMDになったというのでしたら、カセット時代は20年しか続かなかったということになりますか。えっ?意外にもMDより短かったの?

 MDが衰退してしまった今は、スマホ(のハードディスク)にダウンロードするか、USBに「録音」するという時代なのでしょうか。

 でも、私の場合、MDには学生時代のバンドの演奏とか、ラジオで録音した好きなジャズとか貴重な音源がいっぱい収録されています。それに、いまだに、英語とフランス語の語学学習はNHKラジオを聴いているので、MD録音は欠かせません。とにかく、MD再生機がないと困っちゃうなあ…(山本リンダ)。

 MDプレーヤーは、ネット通販で購入したのですが、そこのサイトを確認したら、「修理があればメールしてください」とアドレスが公表されていたので、メールしてみました。

 でも、土日を挟むとはいえ、5日も経つというのに何の返信もなし。ま、「もう諦めるしかないかなあ」と悟り始めています。

 となると、「MDのない生活」を考えなければなりません。差し当たって、語学学習は、1週間遅れにはなりますが、スマホのアプリで再生して聴くことができます。録音したMDは捨てずにとっておきますが、プレーヤーは、これからラジオとCDを聴くしかないようです。

 でも、こういうことがあると、「永久保存版」だの「永遠」だのという言葉はあり得ないということを実感しましたよ。どうせ、死んだら、私のMDもゴミとして処分されることでしょうし、まあ、「生きているうちが華」という格言しかないということです。

実姉のシンデレラ物語?

「渓流斎日乗」は、個人のブログではありますが、あまり身内のことは恥ずかしいので書きたくないというのが正直なところです。

でも、題材に事欠きますとそんなことを言ってられなくなります(笑)。

昨日、私の実姉が突然、長文をラインで送ってきました。内容は、学生時代に付き合っていた人が急に気になって、ネットで検索したところ、某製薬会社の常務か何か偉くなっているらしく、もし、フェイスブックやツイッターなどに載っていたら、情報を教えてほしい。自分は一切、ソーシャルネット(SNS)はやっていないものでよろしく、といった依頼でした。

どうやら、その方とは、当時はいいところまで行っていたらしく、21歳の誕生日は、東京・西麻布の高級レストラン「P」を貸し切って、友人を集めて誕生会を開いてくれたというのです。

まあ、別に知りたくもない情報でしたが(笑)、姉の要望でもあるので、その人をSNSで調べてみました。私自身、気持ち的には(笑)SNSはほとんど利用していませんが、この「渓流斎日乗」を拡散するためだけに、IT実業家の松長社長の至上命令で、仕方なく嫌いなフェイスブックとツイッターをやっております。主に送信として(笑)。

で、調べてみましたら、その方は、フェイスブックもツイッターもやっていないことが分かりました。でも、会社広報の報道資料が出てきて、それによると、当人は、常務どころか、社長どころか、今年4月には会長にまで出世されていたのです。名前を聞けば、日本人なら誰でも知っている有名な製薬会社のです。

浅草・雷門

姉は別の人と結婚しておりますし、その方とは「別に会うつもりはない」というので安心しましたが、「世が世なら、今頃、会長夫人だったんだあぁぁ…」と変な喜びようです。

そう言えば、思い出すと、姉は子どもの時から妙な幸運に恵まれた人でした。クジ運が良いといいますか、雑誌やラジオ(テレビじゃないでーす)番組などの懸賞に出すと、必ずと言っていいくらいよく当たるのです。

もう半世紀ぐらいの昔の話ですが、何かのラジオ番組で、1万円が当たったことがあります。今の1万円は、銀座に行かなくても、一晩飲んだらすぐなくなってしまうような金額ですが、半世紀前の1万円は、今の10万円近い価値がありました。

今、50年前、1968年の大学卒の初任給を調べたら、3万0600円でした。2018年、大卒一部上場企業の初任給の平均が21万1039円ですから、50年前の1万円は、現在の7~8万円てとこでしょうか。

その当選金の1万円で、家族5人で新宿にあった「中国飯店」(今はないと思います。グルメ王の辻下さんなら御存知かもしれませんが)でお腹いっぱい食事してまだ余り、残りで真冬用の毛布を買ったことを覚えております。

姉は、1万円以外にも、数千円ぐらいの商品もボンボン当たっていました。

あ、付け加えておきますと、彼女の人生最高の「当選」は、今の旦那さんじゃないでしょうか。職業は秘密ですが、都内一等地に一戸建てを持ち、毎年、海外旅行するなど庶民の私から見ると実に羨ましい暮らしを送っていますからね(笑)。

パブ屋ばっか跋扈

今はほとんど読まれなくなってしまった作家山本夏彦が、何の本か忘れましたが、エッセイで「全ての新聞や雑誌の記事は宣伝である」といったような趣旨で世相を斬り、世の中の本質を喝破しておりましたが、私も最近、そのことを痛感しております。

媒体(メディア)として、新聞・雑誌が、ラジオやテレビに代わり、それがネットに代わっても窮極的には同じなのです。

番組も記事もサイトも全て、宣伝、広告なのです。

政治の世界で、「安倍首相がどうのこうの」と書けば、自民党の宣伝になりますし、経済面に「iPhone8が発売」と書けば、米アップルの広告、スポーツ面に「清宮、プロ宣言」と載れば、職業野球興行の宣撫活動といった具合です(笑)。

以前は、それを世間の人に分からないように、巧妙な手口で、いわゆるサブリミナル効果を狙っていました。福島原発事故を起こす前の東京電力なんかは、莫大な広報宣撫活動費を使って、記者やジャーナリストを接待して、提灯記事を書かせ、「安心安全」「明るい未来の原子力」を演出しました。

それが最近は、露骨になりましたね。テレビはBSのチャンネルが増えて、「電波の希少価値」が薄れ、朝っぱらから「テレビ・ショッピング」ばかりやってます。

ラジオを聴けば、「痛散湯」「痛散湯」と耳にタコができるくらい連呼して、本当に耳にタコができてしまいました(笑)。

ネットも宣伝広告だらけで、一度見た広告は、いつまでも、何処までもついてきます。パソコンで、しょうがなく仕事で調べものをしただけなのに、見たくもない顔のタレント(の宣伝広告)が、どこのサイトを開いても、いつまでも付きまとってきて、仕事にならないほどウンザリすることはしょっちゅうです。

冷静に観察すれば、検索エンジンのグーグルやヤフーは、検索を隠れ蓑にした広告宣伝会社であり、SNSのLINEやツイッターやフェイスブックも交流サイトを謳った宣伝会社です。彼らの広告費獲得行為を「ビジネスモデル」などと高尚な言い方をしているだけなのです。

先日聞いた話ですが、皆さんも御存知の某テレビ局の某報道記者が、上司から、ある取材を命じられた時、「何で、パブ屋のお先棒を担がなきゃならないのですか」と反抗したことがあったそうです。

うーん、随分気骨のある人だったんですね。

とはいえ、「これは個人の感想です。効果には個人差があります。」と私も顰みに倣って付け加えておきます(笑)。

新聞を読まない若者 

公開日時: 2007年10月27日 @ 09:15

毎日新聞の読書世論調査で、新聞を読むと答えた人の割合は、過去最低の78%だったそうです。初めて、8割を切ったそうです。

70代以上は79%、60代は88%、50代が85%、40代が88%、30代が72%。これが、10代になると、48%、20代でも57%と6割を切ります。

特に学生さんで、「新聞を読まない」という人が46%にもなり、インターネットをする人が74%にも上ります。ネットで、ニュースもスポーツの結果も簡単に情報が手に入りますからね。しかし、新聞の醍醐味である論説は、ネットではあまりありません。そこまで、必要がないのかもしれません。彼らは、自分の思想信条に合わない意見は取るに足りない空論か、宿敵とみなして、まず読まない。自分の思想信条にあった意見なら、地の果てまで追いかけて探して、読み、「あーやっぱり、自分の考え方は間違っていなかった」と納得し、ますます、自分と相違する意見は読もうとしない傾向にありますからね。

この調査で、一番、私ががっかりしたのは、ラジオを聴く人が38%と、初めて4割を切ったことです。ラジオの広告費がネットの広告費に追い抜かれるはずです。私は昔からラジオファンだったので、残念です。

目に見えない悪霊の悪戯

ミラノ・ドゥオモ広場

公開日時: 2006年11月13日

昨日は、「私物はほとんど持たない」吉田太一さんのことを書きましたが、私の友人の刀根君もまさしくその典型です。何しろ、イタリア旅行から帰ってきて、そのまま成田空港からボストンバック一つで東京に定住してしまったのですから。

定住先では、家財道具は、K氏の涙ぐましい素晴らしい計らいで冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど最低限の設備は整っていましたが、「それ以外」の物は、一切ありませんでした。見かねた私は、もう中古なのですが、自分のラジカセを取り敢えず、持っていってあげることにしました。

でも、今度は自分の音楽再生機がなくなってしまいました。私は、テレビがなくても生きていける人間ですが(佐藤さん、すみません)、ラジオや音楽がなければ、人生が退屈しすぎて耐えられません。

そこで、昨日、有楽町のビックカメラにまで行って、安い小型のラジカセを買ってきました。(もうカセットテープは付いていなくて、MDとCDなので、「ラジカセ」とは言わないでしょうが)

深夜遅く、ラジオを同調させて「登録」する作業をしたところ、どうしても、AMのNHK第2(教育放送)とFMのJ-WAVEが入りません。J-WAVEの方は何とか幽かにチューニングすることができましたが、NHK第2は、どうしてもチューニングしないのです。

「どうしたものか?悪霊にでも取り付かれているの?」と本気で、思いました。何しろ、他に数多に放送局があるとはいえ、私は普段、日々、ほとんど、J-WAVEかNHK第2しか聴いていないのです。NHK第2は語学の勉強のためです。何か、目に見えない悪霊が悪戯しているとしか思えなかったのです。

私は不貞寝しました。

翌朝起きて、ハッと気がついて、笑ってしまいました。

NHK第2がチューニングしないはずです。日曜日の深夜(月曜日の未明)だったので、放送が終わっていたのでした。今朝はJ-WAVEもはっきり聴こえます。

お騒がせしました。