1970年の「レット・イット・ビー」から半世紀も経つとは…

 YouTubeで「うちで踊ろう」を公開したミュージシャン星野源のサイトに、日本の最高指導者の安倍晋三首相がコラボ投稿して、自宅自粛要請を呼び掛けたことに対して、喧々諤々の論争になっています。

 安倍首相は自宅の居間で、愛犬とじゃれたり、珈琲を飲んだりしてくつろいでいるブルジョワ生活をあからさまにしてしまったせいか、派遣切りに遭った人とか、店舗休業を余儀なくされたりした人たちから、「何を呑気なことやってるんだ。そんな暇があったら、休業補償の問題を即刻解決してもらいたい」といった切実な投稿のほか、「国会議員ら特権階級は減給されることなく満額振り込まれるから羨ましい」といった皮肉な意見が殺到したようです。

 安倍さんに期待し過ぎるからいけないんですね。モリカケ問題をあやふやにし、財務省の現場職員が自殺してもまるで他人事。公金の私的流用の疑いが濃厚な「桜を見る会」を結局、なかったことにした安倍さんですからね。最初から、そういう人だと肝に銘じていれば、「裏切られた」なんて思わないはずです。

 それより、この星野源のサイトを、先週8日に逸早く教えてくれたのが、高校時代のバンド仲間の神林君でした。そんな政治的な話ではなく、全く音楽的な話で、曲のコードが普通のメジャー、マイナーではないので、「あの変なコードをコピーできるかい?」と投げかけてきたのでした。我々が、バンドをやっていた初期の頃、ロックの楽譜などほとんど発売されていなかったので、レコードが擦り切れるほど何回も何百回も聴いて、音を取ったものでした。その点、彼には「絶対音階」があるので、仲間が驚愕するほど簡単にコピーしてしまうのでした。

 ということで、早速聴いてみたら、その「うちで踊ろう」は、ボサノヴァ風と言えばボサノヴァ風で、バリバリにブルーノートとかマイナーペンタトニックのようなジャズコードをふんだんに使っていました。記号で書けば、例えば、CとかCmとかではなく、C7(♭9,13)といった複雑なコードです(笑)。

 ギター片手にそんなことをしていたら、久しぶりに自分の音楽遍歴を思い出してしまいました。全く個人的などうしようもない話ですから、ご興味のない方は、ここで左様なら(笑)。

◇◇◇

 ざっくり言いますと、子どもの頃は歌謡曲や演歌なども聴いてましたが、10代の多感な時代に入ると俄然、ロックです。それが20代まで続きます。ビートルズ(解散後のソロも含めて)、ローリングストーンズ、レッド・ツェッペリン、クイーン、エリック・クラプトンなどはほぼ全てのアルバムを買い揃えました。

 30代に入ると、一変してクラシック音楽オンリーです。特に、モーツァルトのCD全集を40万円ぐらいかけて買い揃えたほか、グレン・グールドにはまってからバッハ、ベートーベン、ブラームス(交響曲第1番は10種類近く)を中心に聴き、ショパンもルビンシュタインによる全集、ポリーニ、ホロヴィッツ、ポゴレリッチ、キーシン、ブーニンらの演奏に耳を傾けました。ドビュッシーは卒論のテーマだったので、改めて、偏屈なミケランジェリのピアノに惚れ、歌劇「ペリアスとメリザンド」まで買い、そして何と言っても、のめり込んだのが20代の時に最も感激したワグナーです。フルトベングラーよりもクレンペラーが好きでしたね。当時ブームだったマーラーもチャイコフスキーもスメタナも堪能し、バルトーク、ストランビンスキー、シェーンベルク辺りまではカバーしました。現代音楽はグバイドーリア、アルボ・ペルトらも聴きましたが、苦手でしたね。武満徹は例外ですが。

 40代になると、今度はジャズです。若い頃は「爺の音楽」として敬遠していましたが、もしかしたら、今は、ロックやクラシックよりも一番リラックスできて好きかもしれません。グレン・ミラーやベニー・グッドマンなんかは既に聴いてましたが、ジャズにはまったきっかけは、ビル・エヴァンスでした。彼のアルバムをほとんど買い占めて、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ウィントン・ケリー、トミー・フラナガン、オスカー・ピーターソン、ジョージ・シアリングなどピアノばかし聴いてました。ラッパは、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、アート・ペッパーら王道ばかりでしたが、オーネット・コールマンと晩年のマイルスあたりの前衛的になるとついていけなくなりました。

 ウエス・モンゴメリーにはまってからは、ジャズは好んでギターばかりです。ハーブ・エリス、バーニー・ケッセル、ケニー・バレル、タル・ファローらがお気に入りで今でも聴いてます。ヴォーカルは、ヘレン・メリルを端緒に、やはり、ビリー・ホリデイ、ナット・キング・コール、エラ・フィッツジェラルドの正統派でしょうが、以前にブログで書いた通り、ジュリー・ロンドンはしびれますね(笑)。

 50代になると、主にボサノヴァが中心で、シャンソンやカンツォーネもよく聴くようになりました。ボサノヴァのアントニオ・カルロス・ジョビンはレノン・マッカートニーに引けを取らない20世紀が生んだ世界最高の作曲家だと思ってます。シャンソンは、何と言ってもセルジュ・ゲンズブールです。エディット・ピアフもシャルル・トロネもいいですが、フランソワーズ・アルディ、シルビー・バルタン、イブ・モンタンというミーハー志向。カンツォーネはジリオラ・チンクエッティと極めてオーソドックスなポップスですが好んで聴きました。

◇「14歳の法則」を発見

 今は、昔のCDを引っ張り出して色んなジャンルの曲を聴いています。正直、今流行のラップにはついていけません。分かったことは、人間は、14歳の時に聴いた音楽がその後の人生を決定づけることでした。大袈裟な言い方ですが、人生で最も多感な14歳前後に聴いた音楽が、その人の「懐メロ」になるということです。14歳と言えば中学生ですから、お小遣いも少なく、そんなにレコードなんて買えません。私の場合は、「ミュージック・ライフ」などの音楽雑誌を買って、レコードのジャケット写真を何度も何度も穴があくほど眺めて「欲しいなあ、お金があったらなあ」と思っていました。それが、長じて金銭的に余裕ができると、その反動で、昔買えなかったCDレコードを次々と買い集めることになってしまったのです。

 個人的ながら、私の場合は、写真でアップした通り、S&G「明日に架ける橋」、サンタナ「天の守護神」、CSN&N「デジャ・ヴ」、CCR「コスモズ・ファクトリー」、EL&P「展覧会の絵」、フェイセズ「馬の耳に念仏」、ジャニス・ジョプリン「パール」などです。いずれも1970年か71年に発売されたものだったことが後になって分かり、この「14歳の法則」を新発見したのです(大袈裟ですが、商標登録申請中=冗談です)。記憶していた耳が自然と当時流行った音楽を求めたのでしょう。嗚呼、当時聴いていたシカゴ、BS&T、チェイス、クリスティー、カーリー・サイモン、ジェームズ・テーラー、カーペンターズなんかも本当に懐かしい。

 1970年は、4月にビートルズか解散し、最後のLP「レット・イット・ビー」が発売され、映画も公開された年でした。私は、朝早くから夜遅くまで、3本も4本も、この同じ映画「レット・イット・ビー」を新宿の武蔵野館で何回も見続けたものでした。当時は、入れ替え制ではありませんでしたからね。よく飽きなかったものです(笑)。

 あれから半世紀もの年月が過ぎてしまったとは、とても信じられません。振り返ると、邦楽はほとんど聴かず、洋楽ばかり聴いていたことになります。

 この私が発見した「14歳の法則」、きっと貴方にも当てはまると思いますよ!

“1970年の「レット・イット・ビー」から半世紀も経つとは…” への9件の返信

  1. 記事にケチをつける意図はありませんが、
    幅広く聴いていくうちに、音楽的嗜好とは時に上書きされながら
    様々に形を変え、移り変わっていく場合もあるのではないか――。

    例えば、私にとっての「14歳の法則」は00年前後の
    洋楽ラップメタルやラウド、ヘヴィ・メタルあるいはクラブ系EDMに相当します。

      ”Guerrilla Radio – Lyrics & 日本語字幕”
      Rage Against The Machine(RATM)
    ttps://www.youtube.com/watch?v=5aqPJ68Fjm0
      ”Sleep Now in the Fire”:(RATM)
    ttps://www.youtube.com/watch?v=kl4wkIPiTcY

    しかし、大学に入り『NHKラジオ深夜便』を聴くようになって
    ロックを遡ってのジャズやブルース、そしてフュージョンからソウル、R&B
    あるいはクラシックやオペラへと興味が拡がる中で、以前は等閑視していた、
    日本の古い昭和歌謡や演歌、民族音楽としての民謡にも関心が向くようになりました。

    笠置シズ子や美空ひばり、そして藤圭子、沢田研二、等々
    そういう生まれる前の演歌やGS、大衆唱歌も良く聴いてみると、
    同時代の洋楽を非常によく研究していて面白い。
    逆に、14歳の頃に傾倒していたのに全く見向きもしなくなったJポップや
    洋楽ジャンルも掃いて捨てるほどある。

    聴くだけであれば、ネットで簡単に音源に辿り着けるという事も
    あるかと思いますが、私にとって絶対的な音楽ジャンルというのは存在しない。
    少なくとも現在メタルコアファンである私が、かつてなら許容できなかった分野も
    特に嫌悪感もなく聴けるというのはお伝えしておきたい:ただし、
    ヴォ―カロイドや声優音楽を除く。

    ブログ主への注文ではなくネットの話ですが、
    19、20で聞いた音楽と一緒に年を取っていく人を見ていると
    美化された思い出を押し付ける自称音楽通が多くて、最近、閉口しています。
    そういう硬直化した物知り()高齢者を勢いづかせる”法則”にならないよう
    くれぐれもお願いしたい次第です。

    長文ご容赦。

  2. ワタクシの「洋楽」はジェファーソン・エアプレインから始まりました(「あなただけを」はGSのレパートリーでもありました)。ジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリックス、しばらくしてジム・モリソンが亡くなり、なんとなく「ロックは終わったなぁ」と生意気にも思ったことでした。ビートルズは70年の「解散」以前に事実上解散状態であることを、ワタクシたちはおぼろげに察していたんじゃないかな。背伸びの対象が「ビッチェズ・ブリュー」や「ウェザー・リポート」、「サークル」などに移っていったのです。アイラーのラスト・レコーディングを買って、好きになろうと日々努力したり(w)。

    1. あらあら吃驚。米澤画伯ではありませんか?お元気でいらっしゃいますか?
      画伯の洋楽事始めがジェファーソン・エアプレインとは渋すぎる(笑)。ウッドストックにも出てましたよね。
      ジャニス・ジョプリン、ジミヘン、ジム・モリソン、皆んな27歳でしたね。あ、大切な人を忘れてます。ブライアン・ジョーンズです。
      マイルスの「ビッチェズ・ブリュー」はちょっとついていけず。マイルスなら「カインド・オブ・ブルー」が好きです。
      コメント有難う御座いました。

      1. 何故か突然サンタナ「アブラクサス」をん十年ぶりに聴きながら渓流斎さんを覗いてみたら、「おやまぁ」と。「ビッチェズ・ブリュー」はウッドストックの翌日から3日間で録音されたものなのだと、去年気づきました! 

          1. 色々繋がっているのです(W)。詳しくはお暇な時に駄ブログ(余白やの余談)などを。

  3. 「全くコピーできず」…へーっ、そうなんですね。あの浮遊感の秘密がありそうですね…。

  4. 「偏屈なミケランジェリのピアノ」:噴き出した。
    「アントニオ・カルロス・ジョビンは・・・20世紀が生んだ世界最高の作曲家」:作品を多く知ってるわけではないけれど、自分もそう思い続けてきました。

    1. (最後少し追加しました)
      アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリをご存知だとは、通ですね(笑)。彼はピアノの椅子の高さが調整できないだけでコンサートをキャンセルしたといわれる伝説の持ち主です。
      トム・ジョビンはクラシックだけでなく、セロニアス・モンクやチャーリー・クリスチャンらジャズの素養を身につけたと思います。聴こえる音楽は、イージーリスニングのように心地良いのに、全くコピーできず、見たことも聞いたこともないコードを使っていて魂消ました。
      レノン・マッカトニーは、クラシックの素養もなく単純なロックンロールを基盤にして、Eleanor Rigby やHappiness is warm gun のような名曲を作ってしまうんですから、超天才でしょう。

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