藤原辰史著「稲の大東亜共栄圏」

Noucavilla

久しぶりに、京都にお住まいの京洛先生のお勧めで、藤原辰史著「稲の大東亜共栄圏」(2012年初版)を読了しました。著者は、初版の時点で、東大大学院農学生命科学研究科講師。今、調べたら、現在、京大人文科学研究所准教授のようです。1976年生まれの若き研究者です。

 版元は、吉川弘文館ですから、ちょっと真面目な堅い学術書のようです。ご興味のある方は読んでみてください。終わり。

 あ、終わりではいけませんね(笑)。少しだけ、かいつまんでみましょう。

 著者は、今になって、ようやく、多国籍バイオ企業による遺伝子資源の独占が知られるようになった、と書きます。その代表格がモンサント社で、次世代の種子を植えても育たない「自殺する種子」を開発するなど、自社やその関連企業に都合の良い情報を組み込んだ種子を、世界各地の農地に送り込んでいることを暴きます。

 まあ、いわゆるひとつの「遺伝子組み換え食品」ということになるんでしょうね。これが、TPPによって、日本に知らないうちに紛れ込んで大量に入ってくるという噂を聞いたことがあります。
 
 このモンサント社を援助しているのが、「ロックフェラー財団」や「ビル・ゲイツ財団」と著者ははっきり書いていますが、私は知らなかったですね。先日、ビル・ゲイツさんが来日して、大手マスコミ新聞が、彼の功績をこれぞとばかりに持ち上げ、尊崇していました。

 しかし、これで、本物のスペクターというものは、多国籍バイオ企業と手を結び、税金逃れのために、「慈善」という善人の仮面を被って世間を歩いていることがよく分かりました。害毒をまき散らす日本の大手新聞社の責任も小さくはありません。

 科学が発展した現代では、遺伝子操作などはお茶の子さいさいなんでしょうが、この本では、実は、日本も戦前戦中は、遺伝子こそ操作はしなくても、品質改良=育種の名のもとに、特に、日本人のシンボルであるコメの種子を改良し、大東亜共和圏にもその技術を導入してきた歴史を辿っています。

 昭和初期の東北地方は、天候不順で作物が育たず、飢饉に襲われました。そのため、国家主導で人口交配が奨励され、大きな成功を収めた初めての品種が「陸羽132号」というコメで、あの宮沢賢治も、農業技術者としてこの品種の普及を試みたそうです。

 大東亜共栄圏ですから、日本の植民地だった台湾や朝鮮などでも、日本人に合うコメの品種改良に励みますが、台湾以外、多くの地域ではうまくいきません。この「失敗した」代表として朝鮮総督府農場試験場の種芸部長を務めた永井威三郎が登場します。

 この人は、戦後になって、農業技術改革を啓蒙する多くの文章を書く文筆家に転向したようですが、何と、先日、このブログでも何回も登場した我が師、正直言えば、俄かファンになった永井荷風の実弟だったんじゃありませんか。吃驚しましたよ。荷風は永井家の長男で、威三郎は三男です。帝大卒業後、マサチューセッツ州立農科大学、コーネル大学大学院、ハイデルベルク大学で生物学や遺伝子学の最先端技術を習得した超エリートだったんですね。

 「断腸亭日乗」は、まだすべて、読んでいませんが、恐らく、この弟さんも何処かに登場しているんでしょう。詳しい方はコメントください。…そう書くと、コメントなんか来ないんですよねえ(笑)

“藤原辰史著「稲の大東亜共栄圏」” への1件の返信

  1. Unknown
    面白い本を見つけられましたね。流石に、いろんな方との繋がりで、新聞の書評欄や大手マスコミでは触れていないような実話や情報が渓流斎日乗様のところには自然に入ってくるのですね。「大東亜共栄圏」は政治、経済はじめ様々な分野に大きな影響を落とし、問題を起こしたことが分かります。中国大陸、朝鮮半島、台湾、南方は日本の植民地だったわけです。そこでの暮らしの実態、真相は、戦後70年も過ぎた日本人には知らないことばかりでしょう。戦争体験、植民地体験をした人がドンドンいなくなり、こういう文献でしか知り得ないわけです。貴重な情報有難うございました。読んで見ます。

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