実に久し振りの六本木=サントリー美術館「美を結ぶ。ひらく。」展

 新型コロナ感染拡大による緊急事態宣言が発令されている最中、国禁を犯して、東京・六本木の東京ミッドタウン3階・サントリー美術館で開催中の「美を結ぶ。ひらく。」展に行って参りました。

 いつぞやも、このブログでも書きましたが、雑誌「歴史人」(KKベストセラーズ)の読者プレゼントでこの展覧会のチケット2枚(3000円相当)が当たり、捨てるのも「如何なものか」と思い、1枚は会社の後輩にあげて、もう1枚は、御自ら捕縛覚悟で国禁を犯して出馬したわけです。

東京ミッドタウン

 六本木は本当に久しぶりでした。何年振りか覚えていないくらいです。六本木交差点にあった書店もドラッグストアになってしまっていましたし、女優の倍賞千恵子さんか倍賞美津子さんがオーナーだったという噂の「ばいしょう」という焼き鳥屋さんなど、若い頃にあったお店はもうほとんど姿を消しておりました。(いまだに健在は、喫茶店の「アマンド」と「おつな寿司」とイタリア料理「シシリア」とロアビルぐらいでした)

 思い出すのは、学生の頃に通った「クレイジーホース」というディスコです。酔っ払って友人たちと行ったことぐらいしか覚えていませんが、まあ、当時は最先端の遊びでした。

 ディスコなんて言っても、今の若い人はさっぱり分からないでしょう。

六本木交差点付近

 もう40年以上も昔の話です。そんなことを考えながら、六本木の街を歩いていたら、すれ違う人の大半は、40歳以下の中年と若者たちでした。「そうかあ、彼らは、40年前は生まれてもいなくて、影も形もなかったんだなあ」と思うと何か不思議な感じがしました。同時に、当時出会った60代だった人たちは今、ほとんどこの世から姿を消してしまったんだなあ、と思うと感慨深いものがありました。

古伊万里 色絵菊桔梗文瓶(左)と色絵花鳥文六角壺

 そうそう、肝心の展覧会でした(笑)。自ら進んで、どうしても観たいという展覧会ではなかったので、正直、身が入りませんでしたが、やはり、観ているうちに引き込まれました。(会場は空いていて、作品撮影は自由でした)

 私はかなりの俗人、俗物なものですから、リニューアル・オープンしたサントリー美術館の展示品を観ながら、「あ、これは(サントリー創業者の)鳥井信治郎(1879~1962)の収集品かなあ、こっちは(鳥井信治郎の二男で二代目社長の)佐治敬三(1919~99年)のコレクションだったのかなあ?」などと想像しながら観ていました。

 単なる想像ですが。

エミール・ガレ

 こうして、大実業家たちが集めた(と思われる)目が飛び出るくらい高価な美術品を拝見させて頂く機会に恵まれて、本当に有難いことだと思いました。

 正直に言えば、庶民が「おこぼれに預かった」ということになるんでしょうけど、最近のIT成金の某氏が、「お金の使い方が分からなくて困っている」といった趣旨の手記を月刊誌に書いていたので、こんな美術館でも建てたらどうかなあ、などと私なんか思ってしまいました。

 某氏は、自ら創業したIT企業をソフトバンクグループに売却して2000億円もの個人資産があるらしいのですが、ツイッターで「100万円プレゼント」などと無作為にお金をばらまいたりして、どうも成金趣味の域を出ない気がしています。

 そういうことをするなら、病院を建てたり、感染症研究やワクチン開発の資金を提供したり、他に出来ることがいっぱいあるのになあ、と思ってしまいます。 

歌川国貞「両国夕すずみの光景」文化文政期

 いやはや、こんなこと書いても、単なる「持たざる者」の愚痴に過ぎないでしょうけど…。俗人なもので、つい書いてしまいました。

【追記】

 明治政府による「廃仏毀釈」で、荒廃した寺院から貴重な日本美術品が海外に流出しました。そんな中、日本美術の真の価値を知っていたのが、外国人お抱え教師のフェノロサでした。彼が雇われた当時の帝国大学の月給は、現代に換算すると1500万円だったそうです。毎月1500万円ですよ! そのお金で、フェノロサは、せっせと国宝級の日本美術品を買い集めたのでした。

 尾形光琳「松島図屏風」、狩野元信「白衣観音像」などですが、彼のコレクションは、米ボストン美術館に寄贈されたので、アメリカにまで行かなければ観ることができませんよお。

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