暴中膺懲にはならない?

珍しい白鳥対ヌートリアの戦いの瞬間(仏在住のANさんから)

辺見庸著「1★9★3★7」を読んでいたら、久し振りに「暴支膺懲」という言葉が出てきました。何?読めない?とな。

ぼうしようちょう…横暴なシナを懲らしめてやれ…といった意味です。帝国陸軍による中国侵略のテーゼとなり、先の戦中はスローガンとなり、盛んに喧伝されました。「鬼畜米英」と一緒に使われることも多く、特にその御先棒を担いだのが、当時の最先端メディアの新聞でした。

しかし、今回の件では、何処の国もメディアも「暴中膺懲」などと言ったりしませんね。

ここでは、仲裁裁判所の下した裁定に、中国が「そんなもん知るか」と拒絶して、国際法に従わないことを明白にしたことについて、言っています。

振り返ってみませう。

オランダ・ハーグの仲裁裁判所は昨日の7月12日に、中国が主張している南シナ海の広い範囲で独自に設定した「九段線」には「法的根拠はない」との裁定を下したのです。

これは、中国が南シナ海の西沙諸島や南沙諸島などに軍事拠点と見られるような要塞を建設したり、艦船や戦闘機を派遣したりして、着々と覇権を確立し、危機感を感じたフィリピンが「国連海洋法条約違反だ」と仲裁手続きを求めていたものです。

中国の強引な海洋進出に対する初めての国際的な司法判断で、これで中国の主張する「歴史的権利」が否定されたわけです。

これに対して、中国政府は「判決に拘束力なし」と拒絶したのでしたね。

そもそも、「歴史的権利」という言葉こそ、幻想であって、領海や領土などは弱肉強食の論理で人間が勝ち取ったという面を完璧に否定できず、それこそ、日本が「歴史的権利」を主張したら、南シナ海も日本の領海であると主張できないこともないのです。

ご案内の通り、海南島も日本領土で、日本政府の支配下にあった歴史もありますからね。

ということは、国際法に拒否権を発動する今の中国、というより、人民解放軍勢力は、世界第2位の経済力を追い風にして、世界制覇を狙っているのではないか、と東南アジア諸国をはじめ、世界中が注視していると言っても過言ではないでせう。

このまま、中国が国際法を無視して軍事力を拡大すれば、そのうちリットン調査団(?)を派遣せざるを得なくなり、極東の島国も憲法を改正して軍需産業を軸に経済を活性化して、合法的におおっぴらに、中国からの「侵略」を阻止する軍事行動を発展させることができる良き口実を与えかねないのではないかと、私は思っています。

ただ、80年前のように、暴支膺懲にならないのは、当事者である東南アジア諸国連合(ASEAN)の足並みがそろわないからです。ASEANには、華僑が多く、ほとんど経済的社会的政治的実権を華人が握っており、何といっても「経済最優先」が、先の悲惨な大戦を通じて身にしみて分かっているからでしょう。

えっ?知らない?

“暴中膺懲にはならない?” への1件の返信

  1. 「癲声塵語」を低くみて
     今回のコラム、僭越を省みず、申し上げます。今年の上半期(もう七月になっちゃってるけど)のベストコラムでした。

     辺見庸からの立ち上がり。左翼小児病の発作かと危ぶんでいると、その後の流れは違いました。
     論点を「暴支膺懲」と承けて、それを現在のチャイナの「暴支」へとぐぐっと転じる。
     チャイナの南シナ海、海南島がかつて日本領だった史実をさっとなぞり、「リットン調査団」が出てきて、思わず噴き出していしまいましたよ!。

     「癲声塵語」をはるか低くみて、まさに先生の独壇場でした。

     ただ「結」は、愚生の立場からは痛恨の極み。画竜点睛を欠くとはこのことか!?(笑)
     「軍事行動=悪」という戦後の平和主義は、アメリカの核(軍事)に守られた日本でのみ成立する幻想です.世界政府がない以上、軍事バランスこそ「平和」を維持できるというのが、残念ながら現実なのです。

     レーニンの「帝国主義論」にある「資源と労働力と市場」獲得のため戦争が起こるのは、いまも変わっていません。
     もっとも「戦場」は、かつてのアメリカのテレビドラマ「コンバット」(うーん、これで年がばれるな)のような人間くさいものではなくなっています。ハイテク武器が中心で、昨年頭の弱いサヨクが心配したような「徴兵」された素人の出る幕はありません。邪魔なだけ。「戦場」も「情報戦」「歴史戦」と広がっています。この意味ではすでに「戦争」は始まっているのです。

     話も戻すと、ラオス、カンボジアはこれまで人民元も流通する「遅れてきた帝国主義・チャイナ」の植民地であったようです。ところがここにきて、チャイナの経済崩壊で様相が変わりつつあるとか。華僑経済も動向をみて変わっていくでしょう。彼らは「滅公奉私」という「感ばたらき」(鬼平犯科帳)で動きますから。さらにチャイナ国内の特権を持たない虐げられた膨大な人々もいよいよ食べられなくなれば立ち上がるでしょう。

     1982年、フォークランド紛争で英国議会は艦隊や爆撃の派遣には反対の空気が支配的だった。そこでサッチャーは「情けない。ここには男は私しかいないのか!」と言い放ち、議場はどっと沸いて、風向きは一変したといいます。

     愚生の敬愛する人の一人に曽野綾子女史がいます。女史は文章を公に発信する上では、毒にも薬にもならぬ発言は書かないという信条をお持ちです。愚生の尊敬する所以です。

     先生もこの伝で、どうぞ毒を撒きちらし「挑発」しまくってください。ただ自家中毒(笑)にならぬようご注意くださいませ。

     
     

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