麻久沙
京都は堀川三条西入る「三条商店会」の洋食レストラン「力」の女将さん、お元気どすか?(宣伝になりましたか?=笑)
ということで、久し振りに京都にお住まいの京洛先生の飛脚便をご紹介致しませう。
…今、「渓流齋ブログ」を見たら、連日「満洲」の事ばかりですね、もう少し工夫をしないとダメですよ(笑)。つまり、話題を広げないと、アホな大学の先生と同程度のブログになりますよ(大笑)。
自然薯掘り(じねんじょほり)と、同じで、そればかりするのも、「人間学」の上達の道かもしれませんが、映画、音楽、演劇、スポーツと何でも興味を持って書かないとダメですよ。…
はあ、そんなもんでせうか。
…今、帝都は東銀座の歌舞伎座の第2部の「東海道中膝栗毛」で、坂東竹三郎が出演しております。えっ?竹三郎を知らない?世の中を騒がす海老蔵なんかを歯牙にかけないところが、通の歌舞伎の見方ですよ。…
はあ…
…竹三郎が師事したのは四代目尾上菊次郎です。四代目菊次郎は六代目菊五郎の相手役を務めるほど将来を嘱望されていましたが、いろいろ事情があり、関西歌舞伎に転出して、晩年は関西歌舞伎に貢献しました。
四代目菊次郎は、四代目中村富十郎(この間亡くなった五代目富十郎の父親)の兄です。坂東竹三郎は菊次郎の芸養子になりましたが、「藝談」によりますと、前名の「坂東薪車」から、尾上菊次郎が名乗っていた「坂東竹三郎」に名前を代えるときは、大変だったという事です。…
ほう…
…「坂東竹三郎」の名跡は、かって「坂東彦三郎」の前名だったりして、音羽屋・橘屋一門にとっては貴重なもので、尾上菊次郎が、わざわざ、菊五郎劇団の大御所、うるさ型の橘屋(十七代目市村羽左衛門)の楽屋に深々と頭を下げに行ったそうです。「ひょっとすると、ダメだよ!」と言われかねないからですね。
昔、十七代目羽左衛門は、市村竹之丞(五代目中村富十郎の前名)の襲名の歌舞伎座の舞台で、「本来、この襲名はあり得ないことだ!」と前代未聞の口上をして週刊誌に取り上げられた逸話もあります。それくらい、音羽屋全体に睨みがきいていました。あの梅幸さんも頭が上がらず、威厳があったのです。…
なるほど、凄さが分かりました。
…薪車(竹三郎)は、OKが出るかどうか心配して、楽屋で菊次郎を待っていたところ、師匠が戻り、「上手くいったよ。安心しな。橘屋(十七代目市村羽左衛門)に話をしたら、じろっと、こちらを見て、『誰が(坂東)竹三郎を継ぎたいのかね』と聞かれたので、『ウチの薪車に竹三郎を継がせたい、と思っています』と言ったら、表情が変わって、『薪車か!あれなら良いよ。あれは良い』とお墨付きを貰ったよ」と、心配する薪車を安堵させたそうです。
という事で、坂東竹三郎は、関西歌舞伎に居ながらにして、名跡「音羽屋」の屋号を名乗ることができる希少な役者なのです。…
うーん、そうだったのですか…
十七代目の市村羽左衛門はやはり梨園の実力者で、六代目亡き後「菊五郎劇団」をまとめていたのです。
仏系米国人が父親で美男で有名だった十五代目市村羽左衛門は、艶聞が多く、芸者との間に産ませたのが舞踊家の吾妻徳穂(人間国宝、芸術院会員)です。
そして吾妻徳穂と四代目中村富十郎の間に生まれたのが、この間亡くなった五代目中村富十郎です。
だから、十七代目市村羽左衛門(五代目尾上菊五郎の甥)は、十五代目絡みの人間関係には神経をとがらせていたのだと思います。そんな中で、風雲児の武智鉄二が、その姻戚関係を利用して、市村竹之丞の襲名を画策したため、羽左衛門がこれを苦々しく思い、先程触れましたように、舞台の口上で、嫌味を言ったわけです。演劇評論家の萩原雪夫さんも武智鉄二については「いやあ、ね」と言ってましたね(大笑)。…
へー、そういうことがあったのですか。小生は、生まれる前のことで、知りませんでしたね。あ、生まれていたかもしれません(笑)。
…戦後、上方歌舞伎は、今の坂田藤十郎(当時は中村扇雀)と、坂東鶴之助(のちの五代目中村富十郎)が「扇鶴時代」と呼ばれ、大変な注目を浴びました。その仕掛け人が武智鉄二で、東京の梨園の主流派、本派は、武智鉄二の動き方は苦々しく思っていたわけですね。…
五代目中村富十郎は、昭和39年に坂東鶴之助から、武智鉄二の計略で市村竹之丞に改名したわけですね。当時は、東京オリンピックに夢中になっていましたから、梨園のことはさっぱり知りませんでした。
…今の坂東彦三郎は、十七代目羽左衛門の嫡男なのですが、病気がちもあって、おとなしく温厚な性格です。本来ならば、彦三郎の息子で十七代目羽左衛門の孫に当たる坂東亀三郎、坂東亀寿がもっと良い役を貰ってもおかしくないのです。尾上菊之助よりも、彼らの方が本派・本流なんですからね。…
確か、幕府公認の「江戸三座」とは、中村座と守田座と市村座でしたからね。確かに、市村家は、本派・本流です。
…やはり、梨園の世界も政治力ですね。ちなみに、今の四代目中村鴈治郎の嫁さんは、吾妻徳穂の孫です。両者の間に生まれたのが中村壱太郎ですから、梨園の人間関係は貴人もお分かりのように濃密、複雑ですね(大笑)。以上…
以上、と言われましてもねえ。ところで、話は変わりますが、歌舞伎用語でもある「役不足」という言葉は、現代では誤用されているようです。皆様もよく調べてお使い下さい。