日本に賠償金を請求した戦後イタリア

カラバッジョ「メディウス」(フィレンツェ・ウィフィツィ美術館)

こうして、電車の中で、スマホでブログを書いてますと、「果たして一体、どなたが読んで下さっているのでしょうか」「昔の読者の方は復活されたのかなあ」なぞと、真っ暗闇の中で手探りしながら、歩みを進めている感じです。

とはいえ、何人かの奇特なメル友さんからは、「あら、イタリアに行ってたんですか」「ブログ再開おめでとうございます」といった感想を寄せて下さるので、励みになってます。

そんな中で、難関書を毎月50冊読破するあの栗林提督から、こんなメールを頂きました。

「イタリアといえば、ムッソリーニを追放したイタリアはちゃっかり連合国側に立って、あろうことか日本に戦争賠償を要求してきました。イタリアは都市国家の集合体で,日本のような『自然国家』ではないので、こうしたことも起こりえるのでしょうか。ひところ、北部が貧しい南部を切り離して独立すると騒いでいたのも、同根なのでしょうね」

えっ?本当? イタリアは、日独伊の三国同盟を締結した数少ない(笑)同盟国でしょ?何でそんなことが…。

ということで、調べてみましたら、これは紛れもない歴史的事実でした。今の中年以降の人でもこの事実を知っている日本人は、少ないでしょう。何故なら理由があるからです。

事実は、昭和48年の「外交青書」にこう書かれています。

◆イタリアの対日賠償請求問題の解決
1952年以来懸案となっていた第2次大戦(1937年7月7日からの支那事変を含む)中の損害に関するイタリアの対日賠償請求問題の解決について1972年6月5日から22日までローマにおいて日伊両国代表の間で話し合いが行なわれたところ,わが政府が総額120万合衆国ドルの見舞金を伊政府に一括支払うことにより最終的に解決することで合意が成立し,7月18日在イタリア高野大使とメディチ伊外務大臣との間に本件に関する公文が交換された。9月18日わが政府が前記支払を下したことにより,戦時損害に関するイタリア政府および同国民のわが国に対する賠償請求問題はすべて解決された。

恐らく、上記を読まない人がいるので(笑)、簡略しますと、日本は戦後27年も経った1972年(しかも、私の誕生日に=笑)、イタリアに120万ドルの損害賠償をした、というのです。

ただし、日本政府の立場は、あくまでも「賠償金」ではなく、「お見舞い金」と見栄を張っているわけです。これでは、学校では教えられないし、歴史の教科書にも書かれないはずです。ということは、日本人の多くはこの事実を知らないということです。

イタリアは、日本の明治維新と変わらない時期に出来たばかりの「人造国家」です。それまでは、ヴェネチアにしろ、ナポリにしろ、言葉が通じないほど別の都市国家でした。

戦後、何でイタリアがあろうことに日本に賠償請求したのか、理由は以下の通りです。

第2次大戦中の1943年、イタリアは、ムッソリーニを元首とする北部の「イタリア社会共和国」と南部の「イタリア王国」に分裂して内戦となります。

 ドイツの支援を受けて創設したイタリア社会共和国は、ドイツ敗北を受け、1945年4月25日に政権崩壊に追い込まれ、元首ムッソリーニも銃殺されます。

一方の南部イタリア王国のバドリオ政権は、終戦一カ月前の45年7月15日に、連合国側に立って日本に宣戦布告します。これで、「戦勝国」となったイタリアが、「敗戦国」日本に戦争賠償補償金を請求する根拠にしたのです。

なるほど枢軸国イタリアは、敗戦国ではなかったのですね。

ちなみに、日本政府は、被害を与えた中国や東南アジア諸国は勿論のこと、直接交戦がなかった「永世中立国」スイス、デンマーク、スウェーデン、アルゼンチン、ギリシャなどにまでも、真面目に賠償金を支払っています。(占領米軍の駐留経費、家族宿舎の建設などインフラ整備代等すべてが日本人の血税で賄われました)

払う方も払う方ですが、賠償金を請求したこれら非交戦国は、あたしに言わせりゃ、火事場泥棒ですよ。

まさに鬼畜欧州。

“日本に賠償金を請求した戦後イタリア” への1件の返信

  1. パトリオットということ
     渓流齋先生は私こと栗林を,ことさらに、おもしろがって「政敵」と遇してきました。じっさいに、そういう局面も、とりわけ近現代史の解釈ではいくつかありました。

     ただ私は大人なので、「もっと勉強すればいつかは先生も判るはず。それだけの地頭の良さは持っているな」と鷹揚に構えていたのです(笑)。

      今回の「日乗」や、「苦天」や「ハードバンク」へのやつあたりやら嫌悪やらを拝見してわかりましてた。共通するプラットフォームが「パトリオット(愛国者)」であることを。

     いま英語圏で「ナショナリズム」というと「ナチズム」と同じような意味づけされるそうな。〈藤井嚴喜『「国家」の逆襲』P5〉。したがって,欧米圏で不用意にナショナリストと言表すべきではない。言うなら、コンサーバティブかトラディショナリスリト。

     つまり「戦後」を脱却できないのは日本だけではないということです。「ポリティカル・コレクトネス」という戦後体制の行きついた偽善が世界的に広まっているのでしょうか。
     
              文句があるならすべて『日乗』へ
      

     

     

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