神職資格取得試験のあれこれ

伊太利亜ヴェローナ・ジュリエットの館

◇氷雨

急に寒くなった今日この頃。氷雨が降るので、バスに乗ったら、大渋滞で普段なら駅まで5、6分のところ、全く身動き取れず、35分も掛かりました。笑うしかないです。

◇神道

現役の神職さんによる神道に関する講演会があったので、昨日は、半休を申請して、時間とお金をたっぷり掛けて聴講したのに、内容が薄くてガッカリ。

「これなら、自分の方が知識があるのでは」と、トランプさんのように傲慢になってしまいました(笑)。

講師はまだ、30代の若い人なので、人生経験も文献知識も少ないので仕方ないかもしれませんが、参加者の質問にまともに答えられないケースが多かったので、残念な気がしました。

唯一の収穫は、神職の資格取得試験に、伊勢神宮で一週間の「合宿」が必須だということぐらいですかね。文字通り、同じ釜の飯を喰って、朝の5時から夜の8時ぐらいまで、祝詞修行三昧のようでした。

あと資格試験には、雅楽も必須なんですね。笙や篳篥といった笛のほか、糸ものと言われる琵琶か琴はどちらか選択しなければならないそうです。このほか、色々な太鼓や小鼓などの打楽器です。

もう一つの必須科目は舞踊で、左舞が中国大陸から、右舞が朝鮮半島から伝わってきたそうです。

雅楽も渡来人が伝えたことが文献に見られるように、「日本古来」というのも怪しくなってきます。

以前にこのブログで書きましたが、全国3万社ある稲荷神社の総大社「伏見稲荷」を創建したのは、新羅からの渡来人秦氏で、秦氏は松尾大社も創っております。

京都の有名な祇園祭は、平安時代に疫病の流行や怨霊の祟りを鎮めるために始まったものですが、お祀り自体は、朝鮮半島の高句麗系の渡来人が創建した八坂神社(祗園社)の祭神をまつったものだということも何度も書きました。

さて、以前聞いた話では、神官だけで生業として生きていける人は、本当に少ないようです。確か、7割ぐらいの神官は兼業のようです。

そのせいか、記紀もまともに読んでいないような「戦後世代」も多いようで、実に勿体無い気がします。

講演会で面白かったのは、講師がわざわざ狩衣に着替えて笏まで持って登場してくれたことです。彼は、狩衣のことを「今で言うジャージですね」とうまいことを言っておりましたが、私の関心事は、烏帽子と笏でした。

講演中にこっそり、スマホで検索したら、奈良平安時代の頃は、この笏に祝詞か何かを書き付けて、チラチラ見ていたようですね。なあーんだ、カンニングペーパーじゃないですか(笑)。今は、この笏は、威厳を正すためだけに使われ、必ず右手で持ち、左手を添えるそうです。

“神職資格取得試験のあれこれ” への1件の返信

  1. Unknown
     通訳から神官まで「資格」マニアの、渓流齋ならぬ濁流齋ですね( ´艸`)。
     ところ、”神職資格説明会”でも、御話の出た「笏」ですが、今年の「正倉院展」でも、「笏」が出ていました。正倉院の北倉の残されている、「通天牙笏(つうてんげ)」、「大魚骨笏(たいぎょうこつのげ)」と、さらには「木笏」です。
     ”神職資格説明会”で「笏」の詳しい説明もあったと思いますが、笏には、象牙製の「牙笏(げしゃく)」と、木の「木笏(もくしゃく)」とがあります。
     大宝律令では、五位以上の者は牙笏、六位以下は木笏と決まっていました。
     また、奈良時代以降になって、笏は上部が広く、下部が狭い、今のような、末広がりの形状になってきたそうです。正倉院展で出陳されていた笏は上下とも幅は、ほとんど同じで、末広がりになっていません。笏一つとっても時代とともに様式、形状が変化しているのですね。
     半日、会社を休んでご苦労様でした( ´艸`)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旧《溪流斎日乗》 depuis 2005 をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む