伊太利亜サンジミニャーノ
都心に住む友人の近衛君が「財産放棄の通知が来ましたよ」と言うではありませんか。
よく聞くと、山陰の田舎に住んでいた母方の祖母の住んでいた土地の遺産相続を譲渡してくれということらしいのです。
近衛君のご両親は既に亡くなって、その祖母も半世紀近く昔に亡くなっていて、「今頃、相続税放棄とは」と友人も驚いているわけです。
恐らく、税務署が調べに調べあげたのでしょう。相続人全てをリストアップして、書類には、全ての相続人には子や孫や曾孫ら81人と書いてあったらしいのですが、田舎の土地ですし、そう高価なものではなく、80人で分割しても大した金額にならず、相続税もあるでしょうから、譲渡の名を借りた放棄せよとの勧告に他ならない、と近衛君はにらんだわけです。
その土地は、国か県か市町村に持って行かれるそうです。
伊太利亜サンジミニャーノ
こんな話、日本全国、何処にでもあることでしょうね。
相続したとしても、相当な相続税を支払わなければならず、先祖代々の土地を泣く泣く手離すしかない人も多いかもしれません。
私が今住むアパートもまさしくそうです。
もともとは、星野さんという大地主の土地でしたが、相続税のお陰で切り売りせざるを得なくなり、最近、「最後の砦」だった私のアパートの目の前の竹林まで売却してしまいました。
かつては、駅まで2キロぐらいまで全て自分の土地だったらしいのですが、今は殆ど売り払い、見る影もありません。
伊太利亜サンジミニャーノ
考えてみれば、かつての大名屋敷だって、明治になって没収されて、練兵場になったり、官舎になったり、六本木ヒルズになったりして、昔の痕跡も面影すら残っていません。
特に、世界を見渡しても、東京ほど様変わりする都市は、世界広しと言えどないことでしょう。
土佐藩築地邸跡
そうそう、先日、築地界隈を散歩していたら、中央区役所の目の前に看板があり、そこには「土佐藩築地邸跡」と書いてあり、ビックリしました。
土佐藩邸と言えば、上屋敷は今の有楽町の国際フォーラム、かつての東京都庁にありました。
坂本龍馬は、この有楽町の辺りをウロウロしていたのかと思ってましたら、この看板によると、坂本龍馬は、有楽町ではなくて、こちらの土佐藩築地邸(中屋敷、もしくは下屋敷)に寄宿していて、ここから剣術修行のため、桶町(今の八重洲、京橋)にあった千葉定吉の道場に通っていたらしいですね。
坂本龍馬は、築地~八重洲辺りをウロウロしていたとは感慨深いものがあります。
坂本龍馬、京都で暗殺されて今年でちょうど150年です。